2010年12月31日金曜日

回顧と展望(2)

 
承前。
 
8月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_08_01_archive.html
更新回数6回。セッション964。
八月は、俳句甲子園の月。
しかし今年も残念ながら参加できず。
旧稿「山口誓子『構橋』を読む―後期誓子俳句読解の試み―」を転載。続稿が載る予定の同人誌は未刊なので転載はもう少し先になりますね。また、「週刊俳句」で「俳句界」を読んだレポートを掲載いただきました。

忘れられないのは、月末に山口優夢角川俳句賞受賞の知らせが飛び込んできたこと。
俳句甲子園出身者では初の受賞者。いや、何度祝ってもめでたいです。

※追記
そういえばこの頃話題になった、俳句甲子園の句碑問題についてもうにゃうにゃ書いた。自分で乱暴にまとめると俳句甲子園は「クールなゼロ年代俳人」養成機関ではなく、文部科学省もお墨付きの教育事業であって高校生と俳句とを出会わせるのが目的の場なのだから、野暮なのは当たり前、自分たちのスタートとして句碑を作ってくれるならそれはそれでいいじゃないかとやかく言いなさんな、と、まぁ書いたわけです。
この問題からは後に橋本直氏がもっと緻密な議論を展開されていてこちらのほうが面白いので、一読をオススメします。

9月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_09_01_archive.html
更新回数6回。セッション892。
湊さんの「s/c」、藤田・越智の「傘」、中村安伸氏と宮崎斗士氏の「俳句樹」、と、新設サイトやユニットの告知があいついだ月。
青木亮人さんがツイッターで独自の写生論を展開され、私的にまとめさせていただく。実作の手法としてでなく、形式にかかわる問題として写生を捉えなおすという視点。
また坪内稔典『現代俳句入門』の感想をアップ。

10月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_10_01_archive.html
更新回数3回。セッション812。
全然更新できなかった月ですね。前々から宿題にしていた、藤田、越智両名のユニット誌『傘』vol.01の感想をアップ。かなり批判的に書きましたが、長々書きすぎて嫌味なだけだったかも。関係各位、不快に思われたらお詫びしたい。

11月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_11_01_archive.html
更新回数8回。セッション888。
前月の反省から、短い記事でできるだけアップするように努力しました。
この月3日、鬼貫賞を受賞。因縁深い賞だったので(笑)、嬉しいというよりもようやく獲った、という安堵の気持ちが強かった日でした。各方面からお祝いの言葉を賜り、賞自体よりもそっちのほうが嬉しかったり。
また、このときの実感をもとに、「選考会」の在り方についてだらだら述べてみました。

要するに選者ひとりの絶対的基準で選んだら、それは結社と変わらないだろう、と。
それでもかなりの幅を許容して、俳句の裾野を広めつつ現代俳句の旗手を発掘し続けたところにホトトギス主宰高浜虚子、という人のすごさがあるわけです。ちなみに虚子に次ぐのは俳句研究編集長・高柳重信だろうと思いますが、俳句の大衆化という面でははるかに及びませんでした。
現代において、よくも悪くもひとりの選者の絶対的基準を信じるというのはかなり難しいし、「裾野拡大」と「新人発掘」とを高水準で並行できる選者って、一体誰になるのか、ということになる。
この難しさ、に「結社の時代」の分岐点を見る言説が生じるわけで、結社を超えた「賞」ではなおさら。むしろ同格・複数選者の価値のぶつかり合いによって、つまり「句会」によって決まることが、「俳句」作品にとっていい結果なのではないか、選者もその覚悟をもって、自他の出会う場として選考会に臨んでほしい、
という、
そういった考えが、だいたい頭のなかにあって、わかりきったことをぐだぐだ書いたのだと思ってください。

この月は川上弘美『機嫌のいい犬』も発刊。
今のところメディアで大きく取り扱われたという話も聞きませんが、私見ではこの本こそ俳句メディアは大きく取りあげて、特集でも組んで一気に読者層拡充に努めて欲しいと思います。
俳句人口1000万伝説を唱え、俳句上達の大衆路線を邁進するなら、こういうところでがっつり行かなくちゃいかんだろう、と。「芥川賞受賞につながった俳句」。「創作の基本は取り合わせ」。なんでもテキトーに惹句つけろ(暴論)。
まぁ、冷静にいうと俳句畑でない方を引きずり込むのは相手もあることで難しいのかもしれませんが、川上弘美氏の句集は句集としても普通に面白いのであり、また本人後書き「俳句を、つくってみませんか」は、俳句入門には最適の一文だと思います。だからこそ、俳句メディアももっと歓迎してよいと思うのです。


さてさて、12月は告知しかできてないので省略するとして、以上、一年を振り返ってみました。
こうして見るとblog的には下半期は事件もなく落ち着いてますね。
俳句活動としては、なにより賞をいただいたということで自分の路線に自信をもったというか、まぁもとより明日の俳句を一手に担うほどの気概も根性もないわけですが、俳句の中で自分の居場所があってもいいと思えた、あるいは居場所を守っていくだけの自信は与えてもらった、という気がします。
賞をきっかけに、ということなのか、来年はいくつか表に出るお仕事も頂いたので、与えられた仕事をこなしつつ、自分のやりたいようにやっていくつもりです。関西の若手をつないでいきたいというのも水面下で進行中なので、こちらもおいおい。

当面の課題は、坪内稔典氏の言説史の再検討と、実作面での追っかけ、ですね。

それでは皆さま、この一年、長文駄文書き散らかすblogにおつきあい頂きありがとうございました。来年もおつきあい願いましたら幸いです。
良いお年を。
亭主拝。

回顧と展望(1)

 
間が空いてしまいました。
ドラえもん特番のない大晦日、みなさまこんばんは。

さて、一年の終わりということで私的に今年の回顧と展望を述べておこうと思います。

実は今年からgoogle Analyticsとやらを導入したので、アクセス数とかがわかるようになりました。
とはいえイマイチ用語も見方もわかってないのでテキトーですが、当blog、だいたい毎日訪問して下さってる方が20~30程度いらっしゃいます。ありがとうございます。ギリギリ指で数えられるくらいなので、直接顔で確認できる範囲、同人誌の会報クラスですね。

この一年は「週刊俳句」とか、たまに書かせていただいたので、そういうときはグンと延びますが、それでも70~80程度、三桁にはほとんど達しません。トラックバックとかきちんとできればもう少し変わると思いますが、どーもよく使い方がわかってないので、こちらからのリンクばかりで相互リンクまではほとんどしてません。
そういうわけでプレッシャーもなく自由に垂れ流していて、このあいだ師匠にも
「キミの文章は長いから読んでるとコーヒーが冷める」
と言われてしまいましたが、思わぬ方からフイに「見てますよ」と声を掛けられ(釘を刺され?)たりするので、ネットは油断がなりません。


前置きはそのくらいで、月ごとに更新記事を振り返りつつ、今後の展望を述べていきたいと思います。


1月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_01_01_archive.html
更新回数3回。セッション630。(ただし11日からのカウント)
週刊俳句新年詠、「新撰21を読む」に参加させていただく。
同時に、haiku&me主催のツイッター読書会について言及したところ、思わぬ反響。blog開設以来のコメント数を記録。
こちらのツイッター読書会はその後順調に14回まで続き、それぞれのまとめが公開されています。
私もまとめを読ませて貰っていたのですが、結構おもしろい意見もあって、試みとしては充分成功したようです。当初否定的な意見を述べたのは早計だったかもしれません。リアルタイム読書会は「句会」的で馴染みやすかったという面もありそうです。
ただ改めて見直してみたとき、個々の作家論がより深化したか、別の大きな問題意識に至ったか、は疑問。
これはあくまで私の立場からの感想なので、ツイッターに参加していたそれぞれには実りがあったのだろうと思いますが、それが単発的なつぶやきではなく、まとまった形で見られるようになれば、この「試み」が「成果」としてわかりやすくなると思います。
『超新撰21』も発刊されたことですし、今後に期待したいと思います。

2月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_02_01_archive.html
更新回数6回。セッション1086。
鶏頭論争を経由して、現代俳人の「主題」の問題へ。
ロボット俳句のこととか、俳句の「作者」をめぐる基本的な考えはこの月にまとまって書いている気がします。舌足らずのところも多いながら、まぁ大筋結論は今も変わらないので、今後もこのあたりの議論を叩き台に、考えていくことになりそうです。
上記、1月の中村安伸さんとの対話に始まった、「新撰21」補遺キャスティング企画が始動。3回に分けて、実際に句会で接していて面白いひとたちを出来るだけ紹介したつもりでしたが、残念ながら「超新撰」には反映されず。
前月の余波か、かなり訪問者数のおおい月でした。

3月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_03_01_archive.html
更新回数6回。セッション695。
前月に続き、キャスティング企画。
「超新撰21」募集、「芝不器男青春俳句賞」一次予選の告知もこの時期。
なんだか随分昔だったような気がしますが。このころは首相も鳩山由紀夫さんでした。
………随分昔のような気がします(汗)。

4月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_04_01_archive.html
講師回数4回。セッション672。
このころから坪内先生の旧作を意識して読み始めるようになりました。
この月は『過渡の詩』『弾む言葉』『』モーロク俳句』の感想をアップ。
1983年前後の論調の変化については、もう少し丁寧に追いかけていきたいと思ってます。これについては、沖積舎から『坪内稔典コレクション』の発刊が始まった(
現在は第2巻『子規とその時代』のみ)ので楽しみ。
Amazon.co.jp「子規とその時代―坪内稔典コレクション<2>」

5月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_05_01_archive.html
更新回数6回。セッション872。
e船団で、わたなべじゅんこさんと小倉喜郎さんとの「時評」が高柳克弘氏の句集『未踏』を取りあげて話題に。
何度か当blogでも煮え切らない感じで文章を書きましたが、週刊俳句でも上田信治さんらが文章を発表し、議論としては面白く展開したように思います。個人的な成果としては高柳克弘作品の、ある種の明快さ、わかりやすいエンターテイメント性のようなものが、外山一機氏や北大路翼氏らと共通するものだ、という確信を得られたこと。いずれも先行する美意識に対してわりと素直で、その美意識にどう連なり、どう表現するか、というところに意識が向けられているという気がします。
ちなみに時評バックナンバー、こちらで復活してます。

6月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_06_01_archive.html
更新回数4回。セッション975。
角川『俳句』が「若手俳人の季語意識」対談を掲載。非常に興味深いものでした。
続いて『現代詩手帖』で「短詩型新時代」が特集。これも興味深く、高柳克弘100句選から波及した高山れおな100句選、上田信治100句選でも非常に楽しんだ月でした。
そして坪内氏の『モーロク俳句』と、桑原賞受賞をめぐる議論が始まったのもこの時期。

7月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_07_01_archive.html
更新回数5回。セッション1205。
今年もっとも来訪者が増えた月。
拙稿を高山れおな氏に「豈Weekly」で取りあげていただき、坪内氏の桑原賞受賞をめぐる議論を少々。残念ながら発展性のある議論ではありませんでしたが、立場の違いが見えてきたのは収穫でした。
半年たって改めて整理しておくと、私は桑原論を論文として認めていません。「論」としての強度(前提の定義、論証の確かさ、議論の一貫性など)がまったくなく、単なる時局に乗じたエッセイでしかない。そのわりには案外鋭いところをついているし有名なので、話の枕に利用するには適当ですが、それ以上の価値はありません。
従って、坪内氏の発言「第二芸術論的地平に立つ私」も挨拶程度に受け取ってよいと思うし、また実際私には俳句が「芸術」でなくてはならない理由が見あたらないのです。
俳句甲子園に育った私は、桑原論に出会う前に俳句の面白さを知ってしまったし、今となっては桑原論が実際なんの強度も持たないエッセイであることを知っている。芸術であろうがなんであろうが俳句は楽しいではないか、という立場にある私には、往年のキャッチフレーズ的成功はともかく、「芸術」という語の価値そのものが疑われている現在にまで影響を及ぼすものとはとても思えないのです。



さて、こう振り返ってみると、あちこちお邪魔して違和感を覚える部分はどこか、ということを考えて、自分なりに頑張って答えをひねり出してきているのがわかります。
ネットの即時性は一気に議論が盛り上がる感じがいいのですが、一方で反応速度を試されて気がしてしまい、墓穴を掘る危険性も実感したところでした。
ところで論客がそろっているわりに俳句blogで「炎上」があまり見られないのは、やっぱり皆さん大人なのだな、とか。

長くなったので一度ここでアップ。

 

2010年12月12日日曜日

「超新撰21」シンポジウム

セレクション俳人プラス 『超新撰21』刊行記念シンポジウム&パーティ超新撰21竟宴のご案内

:2010年12月23日(木,休日)pm1:00開場 pm1:30
開演所:アルカディア市ヶ谷(私学会館)5階(穂高・大雪)
 〒102-0073 千代田区九段北4-2-25
 Tel=03-3261-9921
 JR or 地下鉄 市ヶ谷駅徒歩2分

シンポジウム 定型 親和と破壊

第1部 座談;『新撰21』『超新撰21』に見る俳句定型への信・不信(仮題)(1:35~3:00)
高野ムツオ, 小川軽舟, 鴇田智哉, 対馬康子, 筑紫磐井(進行)

第2部 パネルディスカッション;君は定型にProposeされたか(3:15~4:45)

Coordinator;関悦史,
Panelist;清水かおり,柴田千晶,上田信治,Dhugal J.Lindsay,高山れおな

第1部,第2部それぞれ 自由発言;聞きたいこと,知りたいことの時間を設けます

宴の前に(パーティ会場にて)
当日投句作品選披講(5:15~6:15)
投句・選句方法
シンポジウムとパーティ双方に出席する方へ、受付で投句用紙をお渡しします

2:50~3:00の休憩時に所定の箱へ投句をお済ませください
投句数はお一人一句とします。
選者は、「超新撰21」入集俳人・小論執筆者・編者ほか関係者ならびに当日のパネラーとします

4:30~5:00に各自3句選(内,特選1句)
お披露目を兼ねて、選者による各自披講、特選1句へ選者からプレゼント贈呈

記念の宴
(8:00終了予定)
会費・申し込みについて
シンポジウム……会費1,000円・事前申込制
記念の宴……会費9,000円,事前申込制
(シンポジウムと記念の宴通しで、合計会費10,000円となります)
邑書林にて受け付けます
当日、邑書林の出版物及び「超新撰21」関係者の書籍販売コーナーを設けます。どうぞご利用下さい
8:15~10:00の貸切二次会(プロント市ヶ谷店)を用意しておりますのでこちらもご予約下さい。(3,500円呑み放題) 
主催:邑書林(お問い合わせ、お申し込みはこちらまで)385-0007
長野県佐久市新子田915-1 Tel=0267-66-1681 Fax=0267-66-1682
mail=younohon@fancy.ocn.ne.jp(内容は変更される場合がございます。どうぞご了解ください)
(宿泊斡旋は致しません。各自でお願い致します。アルカディア市ヶ谷にも宿泊可能です)web
からもお申し込み頂けます。

相変わらず、ちょっと過激なタイトルは邑書林ならではの味付けですな(笑)。

関さん、上田さんのパネルディスカッションはたいへん興味深いんですが、うーん、今年は行けそうにないので、ともかく告知のみ。
まぁ東京の誰やら誰やらは行ってくれるでしょうから、感想レポートなり、直接会うなり、いずれ結果は聞けるはず。
まだ残席はあるようですが、全申し込み制なのでご注意を。
随時、邑書林の掲示板で残席案内が出ているようです。

それはそうと、シンポジウム案内も併載されている「週刊俳句」189号、190号がおもしろい。

岸本尚毅氏へのインタビューが先週から掲載されいてるのだが、これがめっぽう面白いのだ。
岸本氏が爽波を介して虚子に関心を抱くのは、句風のうえからもごく自然なことであり、虚子を「俳句の力」がすごい話はまぁ、よくわかる。しかしそのうえで岸本氏が「俳句の天才」として挙げるのが三橋敏雄だったので、おっ、と、思ったわけである。

三橋敏雄は、系譜の上からいうと「前衛俳句」の流れで理解されることの多いが、知られるように独学で古典の勉強をおさめた人でもあり、飄逸かつ厳格な句風でおびただしい佳品を送り出している。
すこし前に、伝統俳人を名乗る一部の人たちが有季定型でない俳句を「俳句に似たもの」と呼称して排除していることが話題になった。彼らは「(本物の)俳句」と「俳句に似たもの」とを、有季定型という限られた形式だけで機械的に識別できると信じているらしかった。
そんななかで私が思ったのは、有季派の人たちは三橋敏雄をどう捉えているのだろうか、ということだった。
高柳重信や富澤赤黄男、渡辺白泉らの作品を「俳句に似たもの」呼ばわりするのは、是非はともかくなんとなく理解できなくもない。これらは「俳句的なsomething」を持っているとしても、「俳句でない」と受け取られる性格を、自ら引き受けている作品だろう。
しかし、三橋敏雄の俳句はどうか。
これを「俳句でない」と断言できるとしたら、それはよほどの覚悟がいる、と私は思う。無季であろうがなんであろうが、三橋敏雄の句には紛れもなく「俳句的something」が満ちているからだ。
というわけで、「俳句的なsomething」を考えるためには純度100パーセントの虚子、その虚子の風を継承しているとされる岸本氏、そして岸本氏が絶賛する三橋敏雄の作品を考察してみる必要がありそうである。



参考.

週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句 第189号 2010年12月5日
週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句 第190号 2010年12月12日
週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句時評 第10回 「俳句に似たもの」のゆくえ

2010年12月7日火曜日

淡路島バイクで俳句ハイキング

1 趣 旨 
 日本発祥の文芸である俳句が若い世代で楽しまれている。こうした俳句に興味を持つ青少年が一堂に会し、交流することにより、それぞれが相互に感性を高める場とする。また、淡路島の冬の名勝地である黒石水仙郷までのサイクリングを実施することにより、感じたことを言葉として表現することをねらいとする。

2 日  時   平成23年1月8日(土)~10日(月・祝) 2泊3日 

3 会  場   国立淡路青少年交流の家

  〒656-0543 兵庫県南あわじ市阿万塩屋町757-39
対  象  高校生・大学生・社会人

5 募集人数  20名(先着順)

6 講  師  江渡 華子(えと はなこ)

        神野 紗希(こうの さき)

7 持 ち 物  着替え、雨具、運動靴、筆記用具、洗面用具、タオル、健康保険   証(写し可)、常備薬など。
 ただし、2日目はマウンテンバイクに乗るため、その活動に適した服装が必要。

8 参 加 費  5,000円(食事、シーツ代及び黒岩水仙郷入場料等も含む)

9 申し込み (1)方法 参加申込書によりFAXで申し込む。
       (2)締め切り 平成22年12月26日(日)

        ※募集定員に達し次第締め切ります。



江渡華子の俳句ワーキングショップ。なんと神野さんとダブルキャスト。
宿泊費に食費と、ふたりの講習が入って5000円は破格の安さだ。恐るべし、淡路。

美人のお姉さんふたりに俳句を教えてもらいたいそこのあなたは、上のHPから申込用紙をダウンロードしてすぐさまFAX!
(とか茶化した書き方だと怒られそうだが、気にしない)

人数少なめなので、早めにどうぞ。
紗希さんのblogの但し書きによると、社会人は「30歳くらいまで」だそうです。
「きつねの望遠鏡」1月の水仙郷

あ、ちなみに、本件紹介しているこんなbogも見付けました。
「立命館の歌姫」、久々に聞いたなぁ(笑)
情熱淡路島 淡路島バイクで俳句ハイキング

うーん、9日に学会入ってなかったら俺も行くんだが(笑)。
別件で(俳句関係ですが)7日、8日は松山に行く予定。距離的には近いところをうろうろするのに、すれ違い。
 

2010年11月29日月曜日

選考会(2)

 
承前

俳句賞の選考会にとって「選考委員が複数であること」はどういう効果・意味があるのか、という話題である。
結論から言ってしまえば(まずおおかた予想できるとおり)「句会」効果である。

ここ数年、ほぼ毎年のように11月になると鬼貫青春俳句大賞の公開選考会に参加している。毎年投稿して敗れ去っていたのだが、それはそれとして、いち観衆として選考会を眺めていても、なかなか面白いものがある。
それは、異なる視点をもった選考委員がひとつひとつの作品をそれぞれに「読」んでくれるからだ。同じ作品に対して異なる意見をもつ五人が、お互いの意見をすりあわせながら作品に対する評価を定めていく。
自分の作品、他人の作品に対する評が交わされ、納得しあったり、ひとりの思いがけない発言で、(よくもわるくも)がらりと議論の風向きが変わったりもする、そのライブ感。

これはそのまま「句会」である。観衆は「句会」に参加した心地で楽しんでいるのだ。

鬼貫賞の選考委員は例年五人。坪内稔典氏(「船団」代表)、稲畑廣太郎氏(「ホトトギス」副主宰)、山本純子氏(詩人・俳人)、岡田麗氏(柿衛文庫学芸員)、に後援の伊丹市商工会議所からひとり参加者がある。
顔ぶれを見ていただくとご想像のとおり、選考会はだいたい例年、坪内氏の主導のもとに、いかに稲畑氏の「有季定型」が妥協するか、がひとつの争点となる。(坪内氏が司会をするという現実的理由もある)

今年、稲畑氏が推したのは次のような句である。

露草の踏まれてきゆうと鳴りし朝  「一日千秋」
家々へ子らをみちびき秋灯     同

天空の光を引きて燕来る      「四季」
聖五月石畳行く修道女       同

稲畑氏はこれらの句群を「素直」と評して高く評価したのだが、果たしてこれらは素直と呼べるかどうか。
選考会中、坪内氏も指摘していたが、「秋灯」「聖五月」といった季語の本意はすでに我々の「素直な」日常とは違う、虚構の世界である。 「伝統俳人」とは、有る意味そうした虚構(季語の伝統)を通じてのみ「写生」する人々だ、といえるかもしれない。
従ってたしかに「伝統」には「素直」な句だが、「写生」と呼べるのか、句として魅力があるかどうか、疑問である。 当日もこの「素直さ」が争点となり、結局これらの作品はどれもほかの選考委員の推薦をうけるには至らなかった。

坪内氏は今回の選考会冒頭、次のように発言していた。うろ覚えなので大意要約だが、

若い人たちの賞なのだから、無茶をしてほしい。もっと俳句にとって無茶が必要なのではないか。正岡子規は明治のころ、俳句の可能性を使い尽くす、というつもりで俳句を作っていた。子規は百年後に俳句が残るとは思っていなかったし、自分たちの世代で滅びるとさえ思っていた。だから無茶な冒険もたくさんした。無茶が俳句を豊かにするのだ。
稲畑氏の有季定型、「素直」を尊しとする姿勢とは全く違うのである。では他の人はどうだっただろうか。

山本氏はH氏賞受賞歴もある詩人である。口誦性や独自性、なにより楽しげな雰囲気を大切にされている。今年山本氏のイチオシは金田文香さんの次のような句群。山本氏は終始、金田さんの感性のオリジナリティを評価していた。

椅子机椅子机椅子机夏至
籠に屑入らずともよし晩夏光
永き日のバイソンの地鳴りかもしれぬ

KANADA「くすくすむずむず」

岡田氏は柿衛文庫の学芸員である。毎年、季語の本意、発想の新規性などバランスよく目配りした評が印象的である。第五回でまっさきに徳本和俊「SHIRO」を推された英断には敬服せざるをえない。

九戸城オタマジャクシがまだ来ない
二条城二百十日のことでした
首里城はまだ少し先去年今年

徳本和俊「SHIRO」

門外漢である商工会議所メンバーの方から思いがけない発言が飛び出すこともある。
今年面白かったのは、句を「文章」と呼び、「わかりやすい文章」を基準に選んだと発言していたこと。(ちなみに私の作品は「わかりにくい文章」と評された)これについて坪内氏が、
句のことを普通、文章とは呼ばないですね。でも、考えてみればこれもひとつの文章なわけで、句読点はないから文ではない。文章という視点から見てみると別の視界が広がるかも知れない。
と発言しており、興味深かった。畸形の文章としての「俳句」を考えてみるとき、その畸形性は「片言性」という坪内氏のキーワードをもって理解しうるだろう。

昨年大賞に選ばれた羽田大佑くんの作品は、坪内氏が1位、稲畑氏が2位、岡田氏が4位に選んだ作品であった。

青年はスーツのままに春祭
専攻は古代ギリシャ語星月夜
マフラーを巻く本心に触れぬやう

羽田大佑「カタカナ+ひらがな+漢字」

坪内氏は、就活や大学生活のなかで揺れ動く青年らしさをよしとし、また俳句に馴染みの薄いカタカナ語を積極的にとりこむ姿勢を評価した。稲畑氏はカタカナ語を用いつつも季語をしっかりと使い、有季定型におさめる技倆を評価した。
ひとつの作品をめぐって、異なる視点からの「読み」が重なって受賞に至ったのだ。

句会とは、ひとつの作品に対して多様な「読み」を許容するシステムである。
複数による選考会は、句会によく似ている。お互い、異なる視点から異なる「読み」を提示しあい、相補しあって作品の「読み」を育てていくのである。ひとり机にむかう孤独な「読書」ではなく、共同で作品を「読む」行為である。
作品に対する評を決めるにあたって、たしかに独断のほうがブレがないかもしれない。
独断のほうが、選者にとって納得のいく結果がでるだろう。
しかしそれでいいのか。
それは俳句作品にとって幸せなことなのだろうか。
いわば、結社にとっての「主宰」のように、ひとりの「読み」が絶対化してしまうこと。
結社において「弟子」は「師匠」の選に、一対一に向き合い、師の「読み」と自分の価値観とをすりあわせたり、反発したりしながら、成長する。一対一の関係だからこそ、成長する実力というのも、あるだろう。
だが、結局、ひとりの選者がもつ許容範囲には限界がある。
だからこそ異なる意見同士をすりあわせながら作品を評価していくという手法は、俳句にとってきわめて相性がいいのではないか。
むろん、あらかじめ限られた数人による選考会による「読み」が正しいわけではない。
むしろ、絶対的評価がないことを証明するだけでしかないかもしれない。
しかし、それでよい。その「場」の結論は絶対ではないが、その「場」の評価としては最優先されるべきなのだ。
句会とはなにより、その「場」の参加者のものである。投稿者は甘んじてその「場」の結論を受け入れるべきだし、句会(選考会)以外の論理によって、その「場」の論理がゆがめられることは、あってほしくない。

「句会」というシステムを活かすためにも、その「場」での議論が重視されるべきだろうと思うし、また、特に総合誌の選考会においては、多様な価値観が活発に混じり合う「場」であってほしい、と思うのだ。




前回記事をわたなべじゅんこさんのblogに取りあげていただいてます。
http://junkwords.jugem.jp/?eid=247

多数決しましたよ、ということを見せたいだけなら、M-1ばりに点数化してみせるべきだと思いますね。それはそれで、それぞれの選者にとっては矜持を守れることでしょう。
しかし、それぞれが作品(漫才)をみせることがすでにエンターテイメントであるM-1と違い、俳句は「作品」と「読み」とが同時にあって、完結する。お互い顔をつきあわせて「読み」あう場が設けられている、そのことに積極的な意味を考えていくと、おのずから上のような結論になりました。お答えになれば幸い。
 

2010年11月28日日曜日

11月が、おわらぬうちに。

 
つて外山一機氏がされていた技巧俳句の真似をしてみたい、といつも思っていたのだが、氏がされたような先行俳句の超絶パロディなどはとてもできないし、やったところでただの物まねにすぎないし、ということで試作品。


いくやまいまいおやいかさかさ明治節

行くや蝸牛小屋以下坂さ明治節

郁乎舞い舞い親烏賊逆さ明治節

逝くや毎々おや医科探さ明治節

生山今井親居が性さ明治節




参照
 週刊俳句 Haiku Weekly: 外山一機 俳人としての私
google検索「いくやまいまいおやいかさかさ」
 「超絶短詩」-Wikipedia
 

2010年11月21日日曜日

週刊俳句187号

 
本日リリースの 週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句 第187号 に、10句作品を掲載していただいてます。
角川俳句受賞者・山口優夢氏の10句、寺沢一雄氏の99句も読める、"充実"のラインナップ(笑)→(週刊俳句編集後記参照)



さて、今回せっかくの機会なので全句多行形式で揃えてみました。
『船団』で高柳重信特集を組んだときに一度だけ多行に挑んだのですが、それ以来すこしずつ、一行書で書いた作品のなかで多行にあいそうなものを組み替えてみる作業をしていました。
とはいってもなかなかうまくはいかないので、実際はほとんど書き下ろし状態。誰にも見て貰ってないので悩んだわりには結果は惨憺たるもの。かる気持ちで挑むと手痛い目をみるということを思い知らされました。
とはいえ、「多行」も俳句の一領域であってみれば、かるい気持ちでの挑戦も、やってみる価値はあろうというもの。
特に現在、多行を言葉遊びの面に特化して作品化しているのは管見の限りでは外山一機氏くらいしかおられないのではないか、と思われ、無意味系言葉遊びで揃えてみました。




多行の多行たる所以である「改行」の作用は、読者に「切れ」を強制するところにあると思う。
一行であっても「切れ字」や「体言止め」などによりある程度は「切れ」のルールは共有されているのだが、どこにアクセントを置くかは結構読者に委ねられている。「切れ字はないけどここで一拍置いて読みたい」とか、そういう言葉は句会などでよく交わされるところであるし、逆に取り合わせの句に対しては「切れているけど、イメージが重なるから、なだらかに連続して読みたい」という評もよく聞く。
(たしか小林恭二の句会シリーズにもそんな発言があったはずだが忘れてしまった)
しかし、多行や分かち書きでは、作者の作った「切れ」が、改行や空白という視覚的なものによって強制的に働きかけてくる。
したがって、個々のイメージの独立性が高まり、飛躍したイメージを連絡させたり、異なるイメージをたたみかける手法などが有効になる。
一方でそれだけ読者による解釈の幅は狭くなるし、表記も面倒なので、はっきり言って句会には向かない。
詠まれる俳句(口誦される句)と、読まれる俳句(書かれる俳句)とを分割して考えれば、多行は圧倒的に「読まれる俳句」であり、というか、書かれなければ意味をなさない。


このあたりの特性を踏まえた上で、多行にしかできない遊び方を考えていきたい、というのが、ささやかながら今回の趣意なのであるが、……志は高くても実作が追いつくかどうかはまた別問題、と言うところがあるのではある。
 

2010年11月20日土曜日

坪内稔典/川上弘美

 
坪内先生より、鬼貫賞のお祝いということで、出たばかりの新刊『坪内稔典コレクション2 子規とその時代』(沖積舎)をいただいた。買おうか、図書館で購入依頼しようか、悩んでいたところだったのでとてもありがたい。

本書は、単行本未収録や絶版などで現在入手困難になっている文章5篇を収めたもの。解題から収録論文について引くと、


  1. 正岡子規―創造の共同性(初出『シリーズ民間日本学者 正岡子規』19991年8月)
  2. 子規の俳句・子規の短歌―その根源的新しさ(初出『国文学』2004年3月)
  3. 漱石の俳句(初出『国文学』2001年1月)
  4. 虚子―人と生涯(初出『郷土俳人シリーズ3 高浜虚子』1997年7月)
  5. 架空対談「新傾向の論理」(初出『船団』1988年10月)

となっている。先日話題にした、高柳重信に対して坪内氏が持ち出した別の論理、「創造の共同性」を中心としたラインナップである。

最近後輩からはちょいちょい、実作より評論のほうに気持ちが傾いている、と指摘されるのだが、実作のお祝いで評論集をいただいたというのも、絶好の機縁。ちょうど気持ちの向いているときに、ネンテン先生の辿り着いた論理を改めて読み直すことができるのはありがたいことだ。これから何度も読み返すことになると思う。

もうひとつ、これは前々から楽しみにしていた、川上弘美氏の句集『機嫌のいい犬』(集英社)を購入してきた。
何が良いって、専門俳人による序跋が一切ないのがいい(笑)。
あとがきで、著者自身が述べているが、俳句に出会うための一冊としては、じつにいい本なのではないだろうか。

掲載順はいたってシンプルに、作句をはじめた1994年から2009年まで、15章。
以前、『ユリイカ』川上弘美特集で見た、初期の「暴れん坊」な時代の句に面白いものが多い。

はっきりしない人ね茄子投げるわよ  1994
海にゐる古船長のやうなもの  1995
鳴いていると鼬の王が来るからね  1995
初夢に小さき人を踏んでしまふ  1996

年代が進むにつれて、「俳句っぽさ」が増してくるけれど、そのぶん「暴れん坊」は影を潜める。そのなかで

秋晴や先生に酒おごらるゝ  1999
蛸壺あまたなべてに蛸の這ひ入りて  2000

などは『センセイの鞄』『龍宮』といった著作を想起させる。
ほかにも、

花冷や義眼はづしし眼のくぼみ  2001
鯉の唇のびて虫吸ふ日永かな  2001
目ひらきて人形しづむ春の湖  2002
きみみかんむいてくれしよすぢまでも  2002

のような、無機質にエロスを匂わせる句が、小説と似た空気でおもしろい。

ともかくこの句集、俳句にいままで興味が無くて、ただ言葉や小説を読むのが好き、というくらいのライトな文芸ファンには是非読んで欲しい。そういう人たちに、自信をもっておすすめできる句集だと思う。

俳句を、つくってみませんか。
この句集におさめられているのは、つくりはじめの頃の「暴れん坊」な―これは、はいくの先輩から苦笑まじりに言われた言葉です―句をはじめ、ぜんたいにつたない句ばかりです。そんなふうですけれど、もしもこの句集を読んで、少しでも「俳句、つくってみようかな」とお思いになった方がいらしたら、それはこの句集にとって、何よりの褒美となることでしょう。

『機嫌のいい犬』


※附記 11/21付の朝日新聞朝刊に集英社の広告があり、そのなかで川上さんの句集も掲載されていました。この調子で俳句以外の読者の目にふれる、手に取りたいと思われる句集であれば、句集にとっても俳句界にとってもいいことだろうと思う。

※附記 11/24、11/21リリースの「週刊俳句」187号に遅れてアップされた時評欄で『機嫌のいい犬』がとりあげられています。やっぱり初期の句のほうが面白いよなぁ。
週刊俳句 Haiku Weekly: 【週刊俳句時評 第18回】山口優夢
 

2010年11月17日水曜日

選考会(1)


既に旧聞に属するが、今年の角川俳句賞の選考会は、随分難航したようだ。

結果はご案内の通り、山口優夢氏と望月周氏の両氏同時受賞、という形になったのだが、最終的にこのふたり(正確には2作品)が残った段階で、選考会が大いに揉めたようだ。
詳しくは発売中の角川『俳句』11月号をお読みいただきたいが、偶然にも両氏に投票したのは、同じく正木ゆう子氏と池田澄子氏だったらしい。

山口優夢「投函」は、池田氏が特選、正木氏が並選。
望月周「春雷」は、正木氏が特選、池田氏が並選。

で、そのほか矢島、長谷川の特選はそれぞれバラバラ、特選と並選の重なった山口、望月両氏が点数でリードして最終選考に残った形であったらしい。


望月「春雷」は、<九官鳥同士は無口うららけし>、<遠火事の百年燃えてゐるごとし>などのうまさ、大胆さ、が評価された。一方で<冬山の差し出す鹿を撃ちにゆく>などの句が矢島氏から「作り過ぎている」と批判され、<夜もすがら声おそひ来る雪女郎>についても

池田 雪女郎でも虚でもいいんだけれど、虚が実の顔をしてくれないと困る。虚が虚のままで終わってしまって、それがカッコいいでしょ、みたいな匂いがあるところが、私が◎ではなく○にした理由です。
と批判されている。

山口「投函」については、冒頭句<桃咲くやこの世のものとして電車><ラムプ灯れば春の昏さのラムプかな><電話みな番号もちぬ星祭>などの句について、感覚の独自性、抑制の利いた表現力、取り合わせの確かさ、などなど池田氏から大きく評価された。批判点としては<冷房とレジスターとが同じ色><白玉やをんなは水のやうに群れ>などの句が全員から批判され、

正木 悪いところを言い始めると「投函」は欠点だらけです。私もいい方の句を評価して○にしましたが、ちょっと無理かなというくらい欠点が多かった。<投函のたびにポストへ光入る>は無季ですね。無季でもいいけれど、こういう無季はいただけない。
とまで言われている。
(個人的には<ポスト>は無季の弱さを感じない、しゃれたいい句と思うのだが。)

面白いのはここから先で、それぞれ欠点があるなら大賞ナシもある、という話題になったとたん、編集部が

編集部 状況的に結論が出ないから受賞作なしということではなく、もう一歩、考えていただきたいと思います。
と割って入っているところだ。話し合って賞に見合う作品が出なければ当然「受賞作なし」もありうるはずなのだが、出版社としてはせっかくの話題作りがフイになってしまうのは避けたいのだろう。そのようなわけでここから選考委員の激論が始まり、話題は「受賞作なし」か「同時受賞」か、の二者択一になっていき、議論が妙な様相を見せ始める。

池田 (「投函」の<ハロウィンの街の明かりのパラフィン紙>はいいでしょう。
正木 平凡。<ハロウィン>でなければいいのかもしれない。私は「投函」も五篇の中に入れています。いい作品だけれど角川俳句賞としては今回の五十句は推せないと思います。来年、頑張って欲しい。
池田 「春雷」の<黄泉に火を放ち>など、これが「文学的格調の高さだ」みたいな古さがどうも。
正木 両方とも譲れないと言うことであれば「受賞作なし」ということもありますね。

矢島 私は「春雷」を捺します。そうすると四点になるから、これが受賞でいいのではないですか。
長谷川 私は「風のくるぶし」をハズしましたが、「春雷」はどうしても採れない。「投函」のほうが手垢がついていないと思います。

正木 選びきれないからダブル受賞というのが最近、ありがちですが。
池田 この流れでしたら今回は受賞作なしですよ。でも、今までこの水準の作品で採っている例もあるので、同時受賞もあり得ると言うことです。
これはちょっとおかしい。先例がどうあろうと、自身が選者として授賞させられるかどうかを考えればいいはずなのだ。ところがやはり歴史のある賞では先例が大事にされるらしく、

長谷川 それでは今回は同時授賞ということでどうでしょうか。われわれの意見の対立はこの議論を呼んでもらえれば十分にわかるはずです。
正木 今までだって欠点のある作品が受賞したことはあるんですから。また話題になる選考会になりそうですが(笑)。同時受賞ですね。
と結論が出て、結局同時受賞にまとまったのである。
議論の流れを見ると今年は受賞作なしの方向だったのではないかと思うが、結局、編集部の意向にそって「同時受賞」の「話題」づくりがされたような印象がある。もちろん受賞側には何の責任もなく、胸を張って受賞を誇ればいいのだが、なんとなく、読んでいる側には釈然としないところが残る。そのもやもやを抱えたまま、選後の感想を読んでみる。

正木 選考は複数でするとあまり意味がないということですね。一人で選ばないと。だって、一人一人違うんだから。
池田 そう。どうしても多数決ということになります。
正木 過去の選考経過を読むと、折り合いを付けているのよ。だから、決まる。複数の選では、意見は合わないものです。
長谷川 全体的にもう少しレベルの高い作品があればよかった。その点、応募者の努力をお願いしたい。レベルが高いとは誰にでも合うということではなくて、反対する人にも納得させるだけのものを持っている作品ということです。


毎度おなじみの定型的な感想の応酬である。
長谷川氏の意見はそのとおり正論なので構わないとして、正木氏、池田氏の発言は納得できない。結局今回こそ「折り合いを付けて」同時受賞だったのではないか。複数選考に「意味がない」なら、選考委員を引き受けなければいいではないか。もちろん両氏がそんな意図を持っているとは全く思わないが、どこか定型的な言葉で自他をなぐさめているようで、どうもいけない。

かつて俳句には、高柳重信の独断で選ばれる「50句競作」があり、また現在も『俳句研究』誌には「30句競作」のコーナーがあるわけだが、それでもなお複数選考が圧倒的なのは何故か。
何故か、と問うのはたぶん大人の事情な答えが返ってくるだけなので意味がないかも知れないが、俳句の賞にとって「複数選考」とはどういう意味をもつのか、本当に「意味がない」のか、は考えてみてもいいと思う。



ということを、先日、鬼貫の公開選考会の間、ずっと考えていたのだが、なんだか長くなったので一度アップしておきます。続きは次回。



そういえば、来年の角川俳句賞の選考委員が変わるようだ。矢島渚男氏が退いて、小澤實氏が入るらしい。
小澤氏が入るということ自体はなんの文句もないが、しかし、長谷川櫂・正木ゆう子・小澤實、と並べて考えるといささか人選が偏っている、という気がする。長谷川氏と小澤氏とはともに「新古典派」とよばれた人たちだし、言うまでもなく三者は「昭和三十年代俳人」の代表格だ。作る俳句と選ぶ俳句は別物だろうし、今回だって長谷川氏と正木氏とは意見が分かれたわけで三者が共闘することもないだろうが、しかしまぁなんとなく、"新体制"の方向性を見てしまうのは仕方ないかな、とも思われる。
この話題、微妙に次回にもつながります。
 



2010年11月14日日曜日

告知


鬼貫賞受賞以来、各所からお祝いのお言葉を賜り、恐悦至極です。

思いがけぬ方から連絡いただいたりすることもあり、思いがけぬ形でお祝い下さる方もあり、なんだか賞をとったそのことよりも、多くの方々にお祝いしていただけるということ自体が嬉しい今日このごろ。俳句は一人でできない文芸ということ、これほど思い知らされることはございません。まったくありがたいことでございます。

謝、感謝。





で、まだ未確認なのですが、毎日新聞14日付の「季語刻々」というコーナーで、坪内先生が拙句をご紹介くださっているようです。「船団」84号の、「変身!?」というテーマにあわせて作った一句。


この号では「自分が○○に変身したら」というテーマで、会員が短文と一句を披露している。
こーゆー、無茶ぶりというか、妙な「お題」の題詠で一致団結するところに、俳句を楽しむ集団としての「船団」の真骨頂がある。おもしろい句をいくつか。


冬うらら伝える音の無き日かな  工藤恵(聴診器)
鏡中を出でよ踊れよ牡丹雪   北原武巳(鏡)
椿が赤いぼくが火傷をさせたんだ  ふけとしこ(スチームアイロン)
啓蟄のノズルを伸ばすウォシュレット   ゆにえす(トイレのノズル)
去年今年明日を待っている便座  大角真代(便座)
急降下してくる鷹とすれ違う  宮嵜亀(H2O分子)


2010年11月9日火曜日

うたげ

 
鬼貫大賞授賞式の当日、旧友たちの好意で祝勝会を催して貰った。


徳本氏が自宅を開放してくれて、急遽呼びかけてくれたのが、中高時代の悪友4人。突然の呼びかけにも関わらず、忙しいなかを駆けつけてくれて、結局その日は夜を徹してしゃべり散らすことになった。翌朝はやく出勤するにも関わらず、嫌な顔もせずセッティングの労をとってくれた上、酒席をご用意くださった徳本氏には感謝の言葉もない。

集まってくれた連中は、いまは俳句から離れているが、高校時代にはともに句会を囲み、俳句甲子園を目指したり、応援したりした、同輩・後輩。甲子園出身者たちの活躍を話すと、驚いたり、喜んだり。

そのほか、お互いの近況や同じ高校の卒業生たちの噂を聞いたり、あまりのくだらなさにここでは言えないような話をしたり。(実を言うとくだらなすぎてほとんど覚えていない)
ひさびさの同窓会気分で、思う存分羽目を外してしまった。思えば高校卒業から8年が過ぎようとしている。ふつうの友人はもう大学も卒業しているし、それぞれの職場で才覚を発揮しているようだ。

私も、随分ながい間、好き勝手やってるなぁ、と実感。
身分は学生でも、いい加減、学生気分ではいられない年齢になってきているはずだが。


で、そのうちの一人、仲間内ではもっともマジメに仕事をしていると覚しいK氏が、突然の祝い事なのにケーキを持って駆けつけてくれた。



「パンダ」。・・・ですよね、たぶん。



「大賞おめでとう」のメッセージを忘れないあたり、心憎い。さすがのセンスだ。
ちなみにこの時点で彼は何の大賞か聞かずに、「久留島が賞とった」という情報だけで注文してくれたそうだ。なんというありがたさであろう。




一応、バースデー仕様のケーキだったようで、ろうそくも10本ついてきたので、



こうなった。

男子校出身者のノリって、こんな程度である。


ちなみに、端っこで光っているのは、後輩がコンビニで買ってきてくれた、ハロウィン仕様のチュッパチャプス。
びっくりするほどセンスが光っている。ええ、文字通り、光ってます。

 

こんな素晴らしい友人をもったことを、これほど感謝したことはない。

2010年11月4日木曜日

第7回鬼貫青春俳句大賞


標記、選考会が11/3に柿衛文庫で開催されました。

その席において、大賞を受賞する栄誉に恵まれました。

審査員の先生方、関係各位、本当にありがとうございました。


うーん、考えてみれば、第二回、伝説の29句で話題をさらって以来、一度も佳作にすら入らず、苦節五年、六年。気づけば、伊木勇人、山田耕平、越智友亮、徳本和俊、羽田大佑、と後輩、同輩たちが次々大賞を射止める中、万年投稿者となり果て、もうこのまま朽ちていくのかなとか思っていたところ、ではありました。(すみませんそこまで深刻に思ったことはありません)
何にせよ、山口優夢氏が角川俳句賞を受賞したその年に、応募者30人の大きくはない賞であるとはいえ、長く投稿しつづけてきた賞を受賞できたのは、至上の喜びである。

もう一度。 関係各位、ありがとうございました。


ちなみに、優秀賞を受賞した山本拓也くん(仏教大)は、ここ数年句会をともにしている句友だが独特の言語感覚の持ち主であり、従来の俳句にない単語を強引に季語と取り合わせて完成させてしまう、見事な感性を有している。これから「船団」の目玉になっていくに違いない存在である。
また、同じく優秀賞の金田文香さん(愛知県大)の30句は、今回もっとも注目を集めた作品群のひとつ。審査員のひとり、詩人の山本純子氏に賞された感性は、こちらもきわめて独特のもの。俳句甲子園出身でしばらく俳句からは遠ざかっていたそうだが、今年から作句を再開し、この日のために愛知から駆けつけたという。いくらネット環境が整備された時代でも、若手同士のコミュニケーションがとれない地方ではなかなかテンションを継続していくのは難しいが、これからも是非、俳句をかき回して欲しい人材である。



山口優夢氏の「投函」が掲載された『俳句』11月号、選考座談会がめっぽう面白いので、感想はまた後日。



小生の受賞作30句は、来年『俳句研究』春号に掲載される予定だそうです。お目にとまれば幸いです。


※附記 e船団、「ねんてんの今日の一句」で早速とりあげていただいてます。
http://sendan.kaisya.co.jp/nenten.html (11/4)
→バックナンバーに移行http://sendan.kaisya.co.jp/nenten_ikkubak.html (11/5以降)

もうひとりの優秀賞、林田まゆさんは、直接面識はなかったのだが、その名も「君が好き」というJ-POPばりの直接的なフレーズの数々で話題になった。
優秀作の全句掲載はないと思うが、おいおい柿衛文庫その他で紹介されるはずなので、時宜をみてご紹介したい。
 
※附記 柿衛文庫HPのニュース記事
http://www.kakimori.jp/2010/11/post_129.php

※附記11/16 受賞者、「金田文香」さんは「KANEDA」表記、「林田まゆ」さんは「林田麻裕」表記らしいので一言訂正しておきます。
 
 

2010年10月12日火曜日

ジャーナリズムとアンソロジーと


最近読んで、殊に面白かった記事をご紹介。

以前紹介した、湊圭史さんの新しいHP、
s/c で、川柳誌『バックストローク』50句選 が公開されている。
川柳誌『バックストローク』50句選&鑑賞(1)
川柳誌『バックストローク』50句選&鑑賞(2)

『現代詩手帖』の短歌・俳句の100選にあわせて始められた企画で、blogでずっと「予備動作」を公開されていたが、待望の「本選」が公開されたことになる。「予備動作」の句群の厖大さも圧巻で、これだけの句群に目を通しアップされている労力は大変だっただろうと思うが、そのうえ「本選」は湊さんの鑑賞文付きであり、川柳不案内の読者(ワタクシ)にとっては非常にお得感がある。
アンソロジーというのはどんなものでもジャンルの入門として期待される面があると思うが、(1)の冒頭に置かれた湊さんの巻頭言ではしっかりとそのことが意識されている。

一般的に言っても、短詩型の雑誌は同ジャンルにすでに参加しているもの以外には、非常にとっつきにくいものである。たいていは最初から句や歌が羅列されていて、発行しているものにその意識はなくとも、慣れないものを拒絶する体裁をとっている。この点、『バックストローク』も例外ではない。現代川柳になじみのない読者でも、少なくとも何らかの表現に高い意識をもつ人たちに開かれてゆく道すじはないものだろうか?
そこで、私は川柳ジャンルになじみのない読者にも面白さ(少なくとも、私が感じている面白さ)の核が伝わるように、毎号500句以上、累計推定で15000句(500×30の単純計算で)の掲載句から50句を絞り込んで、鑑賞を書いてみることにした。ここを手がかりに、『バックストローク』、そして広く現代川柳の作品に興味をもっていただけたらありがたい。

まだすべてを精読できていないのだが、それでも確実に先入観として持っていた「川柳イメージ」は崩れてしまった。
鶴彬とか時実新子とか、私でも知っている名前から漠然と想像していた現代川柳は、俳句よりも明確なメッセージ性を持ったものだった。しかし、ここ数年、湊さんのHPなどで紹介してもらった川柳はもっと多元的であり、わかりやすいメッセージ性をもっているものと、意識的にイメージを拡散させるもの、重層化させていくもの、とが混在しているようである。
私は現代俳句の方向性としての多様性を重視する立場であるが、現代川柳にも同様のことがいえるとして、それでもなにか「俳句っぽさ」「川柳っぽさ」が残るとすれば、そこはどこなのか。
湊さんは時実の言葉を借りて「危機感」というキーワードをあげていて、これは「極楽の文芸」な俳句には縁遠いキーワードかと思われる。(個別に「危機感」を核とする俳句はもちろんあって、富澤赤黄男なんか代表ですが、俳句代表かというとすこし違う気がする。)非常に興味深いところである。

もうひとつは、先日衝撃的な創刊号を発刊した「俳句樹」の第2号。
創刊号よりも多彩なラインナップで、いろいろ興味深い評論が多かったが、特に筑紫磐井氏の「長編・「結社の時代」とは何であったのか」 は、質・量、ともに圧巻。

そもそも「結社の時代」というのが『俳句』編集長の仕掛けたキャッチフレーズだった、というのが私にとっては初耳だったのだが、この力稿では「結社の時代」のキャッチフレーズの誕生から最盛期、衰退期にいたるまで丁寧に追いかけており、ひろく俳句ジャーナリズムというもののありかたを考えさせるものとなっている。
必読である。

※附記 リンク(聯関)にS/Cを追加させていただきました!

2010年10月11日月曜日

現代詩セミナー in 神戸2010

現代詩セミナー in 神戸2010「詩のことばと定型のことば~定型から何を学ぶか」

<日 時>  2010年11月6日(土)午後1時~11月7日(日)午後5時
<場 所>  神戸女子大学教育センター         
〒650-0004         神戸市中央区中山手通り2-23-1
   ℡・078-231-1001


<参加費>  2日間・・・5000円        1日のみ・・3000円
<定 員>  100名(定員になり次第締切)
<申込締切> 10月20日(水)
<主 催>  グループ「批評と創造」(現代詩セミナーin神戸実行委員会)
<共 催>  神戸女子大学、思潮社(討議に参加する発話者)吉増剛造、野村喜和夫、杉本真維子、樋口覚、夏石番矢、黒瀬珂瀾、宇多喜代子、藤原安紀子、荻原裕幸、岩成達也、季村敏夫、細見和之、たかとう匡子、中塚鞠子、倉橋健一、彦坂美喜子
■スケジュール   
11月6日(土)総合司会・細見和之   於・5階特別講義室     
 午後1時 開会     
 午後1時10分~2時30分  講演・野村喜和夫「定型から遠く離れて」     
 午後2時40分~4時     講演・夏石番矢「究極の詩とは何か?」     
 午後4時10分~5時30分  シンポジウム・樋口覚、野村喜和夫、夏石番矢

*講演の内容に即して      午後6時より  懇親と交流会   

11月7日(日)     
 午前11時 開会     
 午前11時10分~1時 三つのグループに分かれてシンポジウム  於・3階各小教室
*前日の講座を引き受けるかたちで、セミナーの主テーマにそって、パネラーの自作等を資料に具体的なディスカッションの場を作る。        
 グループA・・吉増剛造、宇多喜代子、藤原安紀子、細見和之、彦坂美喜子(司会)        
 グループB・・野村喜和夫、樋口覚、岩成達也、季村敏夫、荻原裕幸、中塚鞠子(司会)        
 グループC・・夏石番矢、黒瀬珂瀾、杉本真維子、倉橋健一、たかとう匡子(司会)

 午後1時~2時  昼 食     
 午後2時~3時 講演・吉増剛造「沼澤地方(朔太郎)から新潟(金時鐘)へ」    
 午後3時20分~午後5時     金時鐘ほか参加者による詩の朗読   (司会・今野和代)
 閉会・・・

セミナーについてのお問い合わせ : 06-6834-6969                          078-732-4646          06-6337-0262





こんなイベントやってたんですね。地元なのに寡聞にして知りませんでした。
興味深そうではありますが、参加費一日でも3000円かー。 しかも、どの会場にいつ行くか、はなはだ悩むラインナップですね。 誰か、いっしょに行く人います?

  

2010年10月10日日曜日

『傘 karakasa 』vol.1 を読む

 
本稿は、『傘karakasa』発行人ふたりからの「悪口を書いてよい」という許可のもと書き始めたもの。掲載が遅れたことを発行人ふたりに謝りたい。(以下、敬称略)

2010年9月9日発行。発行人は藤田哲史、越智友亮。
特集記事がメインの小冊子。全28頁。
おそらく発行人の平均年齢の低さは俳句史上マレにみるもの。
創刊号は「特集 佐藤文香」。
書き下ろし作品8句「エマープ」、ロングインタビュー6000字、年譜、書籍、作品20句、発行人ふたりの佐藤文香論に加え、gucaで佐藤とともに活動する歌人、太田ユリによるエッセイ、と特集記事としては懇切を極めている。
ほか、発行人ふたりがそれぞれ作品7句を掲載し、さらに「創刊について」という文章が巻末に付されている。

まず雑誌の概要を知るため、「創刊について」と題された巻末の文章から見てみよう。
ここには雑誌を作るに至った経緯が語られる。文責が記されていないため「傘」発行人ふたりの共同人格による宣言とうけとってよいだろう。
越智の高校生以来の「雑誌を作る」というアイディアに対して、「雑誌を作る気はさらさらなかった」藤田が賛同したのは、『新撰21』の刊行により同世代俳人を意識するようになったかららしい。しかし「『新撰21』の作品の評価が、かつての俳句の中にとどまっている」「本当の新しさはまだ見出されていない」と考え、自分たちの考えを発信する媒体を作ろうと考えたという。それではなぜ手軽なネットではなく紙媒体を選んだのか。

それは「主題なき時代」にあえて面と向かってメッセージを投げかけることの難しさを感じているからです。……「この作品はいい」という読み手が発するメッセージ。そしてそれを<効率よく>ではなく、<確かに>伝えたい。[傘P.28]
好感が持てる文章である。「読み手」の立場を標榜する小気味よい宣言は、「読み」を重視する最近の潮流に連なる。
かつて、俳句はほとんどひとりの「読み手」(選者)によって価値付けられていた。
すなわち正岡子規であり、高浜虚子がその地位を継いだ。明治から昭和にかけての作家のほとんどは、子規、虚子というすぐれた読み手によって見出されたのである。
そして虚子の没後、俳句界を代表する「読み手」の存在は希薄になった。
かろうじて『俳句研究』編集長・高柳重信の存在感はそれに近かったと思われ、五十句競作からは摂津幸彦らすぐれた作家を輩出したが、現在の総合誌にそこまでの強力な「読み手」の個性は感じられない。
一方、「週刊俳句」や「豈―weekly―」といったネット媒体は、高柳克弘氏が「批評に特化している」と評したように作品発表よりも読む意識が強い。
むろん、それぞれは複数の書き手(読み手)によって発信され、共有の個性をもっているわけではない。しかし、複数の書き手(読み手)による「読み」の場を提示し、そこに一種の価値を見出す動きは、google、Wikipediaの、あるいはAmazonブックレビューのもつ「集合知」的な考え方による、「読み手」(受容者)からの視点が感じられる。
そして、ネット媒体に登場する機会も多い高柳克弘、神野紗希といった若手の代表格が、一様に作品の「読み」を重視する発言を繰り返していることも想起されよう。
師事する主宰の「読み(選句)」によって見出され、デビューするのが結社時代におけるスタンダードだったとすれば、それとは違って、不特定の「読み手」たちによって評価される、ということがいま現在行われつつあるのではないか。
「傘」は、自らが拘る紙媒体という形とは別に、現在のネット媒体での動きと地続きの運動のなかで生まれた媒体であることが、ここで察せられる。

以下、特集記事に入る。
新たな読みを発信していくはずの「傘」が『海藻標本』で宗左近賞を受賞し世間的評価も高い佐藤文香を、あえてとりあげた理由は何か。「6000字インタビュー」(P.6~11)を読んで伝わってくるのは佐藤文香への強い共感であり、佐藤文香をもって「現代の俳句」を切り取ろうとする「傘」の姿勢である。

A(佐藤)そもそも私には、なぜ主義が表現より先に立つのか、というのが疑問です。私は言葉の指し示す意味内容と言葉の姿や音、を同じ比重で捕らえている、もしくは後者に重きを置いているから、そう思うかも知れない。単純に言葉が好きなんです。

A 私にとっては、歴史も社会も、外国も、言葉なんです。言葉は手段ではない。

[傘P.8~9]

「メッセージ」(主義、主張)よりも「言葉」を優先する姿勢は現代俳句のひとつの方向性であり、佐藤はその道の最先端を感じさせる作家である。その上で佐藤を特徴付けるのは、自らの俳句の方向性に対する、圧倒的な楽観主義(と見える姿勢)である。

A 私は俳句を「かっけー!」と思ってます。

I(インタビュアー)その「かっけー!」はだれかに伝わってほしいと思いますか?言葉の姿・調べのことでもいいんです。それが俳句の魅力ならば。
A そうですね。自分が「かっけー!」と思うものを、そのままの形でわかってもらえれば嬉しいですが、それが無理ならなぜかっけーかを説明する努力は必要だと思います。

I 「豈」に掲載された外山一機さんの「消費時代の詩」という文書では、そういった俳句への「萌え」が個人の感動で止まってしまう危惧感が感じられました。個人の感動が共感となりうるのか、という問いが話してきて思ったのですが……
A 私は自分の「好み」になぜかものすごく自信があるので説明したらみんなわかるはずだと思っている。もしかしたら説明に自信があるのかもしれない。

[傘 P.8~9]

これらの発言は、「主題なき時代」に「確かなメッセージ」を発信しようとする「傘」編集人の姿勢と呼応する。むしろふたりの経歴を想起すれば、藤田、越智が佐藤文とともに培ってきた姿勢というべきだろう。藤田、越智はともに俳句甲子園出身であり、また東京の学生句会などで佐藤とは旧知のなかである。彼らはいわゆる「甲子園組」のネットワークのなかで、考えを固めてきたのだと推測される。
その意味でこの特集は「ミウチ褒め」である。意地悪な言い方をすれば、佐藤本人の弁をもって佐藤が自分たちの「ミウチ」であると標榜している、ともとれる。
佐藤ファンにとっては嬉しいロングインタビューだが、「佐藤文香がいま考えていること」(ロングインタビュー惹句)を本人に確かめてしまうことは、「読み手」の純粋さを危うくしないだろうか。(意識して仲間をプッシュするのは一般的なことで構わないが、作家との交流が作品に優先するとすれば既存の同人誌、結社誌と変わらない)
むろん上はうがった見方であり、藤田、越智が、佐藤を「ミウチ褒め」でなく評価していることは明白だ。では、藤田、越智が「佐藤文香」という作家(作品の書き手)をどう見ているのか。以下、ふたりの佐藤文香論を見てみよう。

藤田の佐藤論「リセット・ア・ダイアル」(P.14~)については、山口優夢が「週刊俳句」時評で大きくとりあげている。 (*1)
藤田は話題になった第一句集『海藻標本』が「本当の佐藤文香」を浮かび上がらせなかった、と評し、その「諸悪の根源」として池田澄子の序文をあげ、池田序文が「いっこうに作品について深く鑑賞することはなかった」と批判する。
これについて、山口も「そもそも序文とは鑑賞を主目的にしているわけではない」「序文に深い鑑賞がないから句集の本領が評価されていないのだ、などとは、お門違いもいいところではなかろうか。」と苦言を呈している。
他にも藤田の池田批判は問題が多い。たとえば、俳句甲子園で最優秀賞を受賞した「夕立の一粒源氏物語」を入集させなかったことを池田序文が「見事な根性」と評価していることについて藤田は、「夕立」の句は甲子園で完結していたために入集させなかったのだ、と述べる。

つまり、「夕立」の一句は、俳句甲子園のものであり、彼女のものではなかった、そして佐藤自身は冷静にそれを見抜いてしまっていた。彼女は、句集の完成度に拘ることによって「夕立」をあっさり捨て去ったのだった。 [傘P.14]

しかし藤田は、池田序文のどこに反発しているのか。藤田は池田序文が佐藤を「さびしい」と評することに強く反発するが、池田序文はまさに「句集の完成度に拘る」「冷静さ」をこそ「見事な根性」と評したのだろうし、いま読み返してもそうとしか読めぬ。
池田は、第一句集を編むにあたって「どれだけの数からの抜粋であるかは知らず、驚くべき完成度」を保ったことを評価している。そしてまだ若い佐藤が、もっとも饒舌であってもよい年代に早々と俳句形式にコミットしてしまっていることについて「さびしい」としているのだ。佐藤より年少の藤田の感慨はともかく、見ている風景は同じだろう。

だいたいが、俳句は痛々しい詩形式である。断腸の思いで多くを切り捨て我慢することを要求する詩形式、それ故に心許なく切ない詩形式だ。 [海藻標本 序]

以下、藤田は佐藤の句の「新しさ」を、言葉の質量のなさ、に求め、外山一機の論(*2)を借りながら「伝統的な語彙を器用に使いこなしつつ、アウトプットされた作品がなぜか伝統とはかけ離れたものに見える事実」を指摘する。
かつて外山論に捧げた賛意同様、藤田の見立てには共感するところが多いが、その「新しさ」を証するにあたって藤田の論調はいささか性急である。
たとえば藤田は以下の二句を比較して、

くちなはは父の記憶を避けて進む  佐藤文香
青大将実梅を分けてゆきにけり   岸本尚毅

つまり、佐藤の作品の「くちなは」はあくまで「父の記憶」の浮游するスピリチュアルな空間上に存在していて、そこに内在する「質量」はゼロである。一方岸本の「青大将」は、「写生」にしっかりと照準を合わせた作であって、確かに蛇の「質量」を保証している。 [傘P.15]

というのだが、では
 露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな  摂津幸彦
の「金魚」に質量はあるのか。そもそも言葉の「質量」とはなんぞや?
藤田はさらに、池田澄子の作品も質量が希薄になっている、と述べる。池田作品が、口語体という形式もあってライトな日常性をまとっていることは周知のことで異論はないが、池田作品に軽快さのみを見るのはむしろ皮相にすぎない。
 忘れちゃえ赤紙神風草むす屍  池田澄子

前述のとおり「言葉の俳句」への傾向は現代俳句の主流であり(*3)、冨田拓也なども現代のライトヴァース俳句の代表に池田澄子らをあげながら、「新古典派」と呼ばれる作家にもライトな傾向の句が散見されることを指摘している(*4)。
つまり「言葉による俳句」への傾向が時代を追って拡張傾向にあること、その最前線に佐藤がいること、を指摘するのが妥当なところであろう。
全体に藤田の論は、先験的に藤田自身がもつ「佐藤文香」像にこだわるあまり、作品鑑賞による裏づけが不充分なのではないか。作家本人を知っている場合に起こりがちだが、作品鑑賞の裏づけがない作家論に意味はない。藤田が指摘する佐藤の、言葉への強烈な信頼感、というべきものはたしかに佐藤を特徴付ける性質であり、また佐藤自身の弁にも明らかだが、しかし『海藻標本』では表面化しきっていないものであろう。
前掲の外山論や、また私自身もかつて外山論への賛意(*5)とともに指摘したように、この時期の佐藤の句は詩型への驚くべき親和性がある。私見ではその「巧みさ」と「新しさ(言葉への強烈な信頼感)」が調和するのは「ケーコーペン」以降と見ており、おそらく藤田論ともこのあたりは共有できるはずである。

以上、藤田論を批判的に検証した。藤田は『海藻標本』以後に佐藤の本質を見ながら、『海藻標本』所収句にこだわって論を進めていた。
対して、越智友亮「氷を入れるように、でも」(P.18~)は、『海藻標本』以後の佐藤の活動(B.U.819)を紹介しながら、文体の変化を見ていこうとしている。
越智があげる『海藻標本』以後の句は以下のようなもの。越智論では文に従って句があげられているが、ここではいくつかを抜粋し掲載順に並べ直した。
 友達のパパに手を振る良夜かな  『里』2008.11
 鰯雲あの鰯は俺の鰯だ   『里』2008.12
 昨日壊した斧を分別する冬日  『里』2009.1
 星形に輝く星をおくれ母さん  『里』2009.2
 狂言のうしろバナナを食べる人  『里』2009.5

これらから越智は、1)現代仮名遣いが増える、2)破調や口語が増える、3)俗っぽい言葉を用いている、4)切れ字を避けている、5)言葉の組み合わせの面白さ、などの特徴をあげている。
ところが越智はこれらの句を「評価できない」と一蹴してしまう。 また、『週刊俳句』93号に発表された連作「ケーコーペン」中の

「池田澄子「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」を紹介
   ケーコーペンで輝く「蛍」(夏)」
についても、「字体で面白さを表現しようとしているが、内容が普通であり、よくない。」とする。
工夫点は字体ではなく文体、表記というべきだが、私見ではこの句の眼目はそこではない。
まず蛍光ペンによって「輝く」文字を詠んだ句は管見では初めて見たし、それによって一句の中心となる季語が「輝かされる」ことへの発見が際だつ。また池田澄子という現代作家の作品をも季語「蛍」=「(夏)」と理解する俳句リテラシー、それを教授する学校教育の現場、長文の詞書の作用、などなど、俳句を取り巻くさまざまなレベルでの仕掛けを、一瞬に相対化する視点を含み込んでいる点で、この句を含めた連作には発表当時から非常に興味を覚えていたのである。
越智はこの時期の句を、佐藤が「挑戦に徹したものであり、成功しているとはとても思えなかった」としているが、現在の佐藤の句につらなる、俳句形式そのものを相対化しかねない緊張感を孕んだ作品群は、特に「ケーコーペン」における意識と通底しているであろう。
以下、越智は、角川俳句賞の候補作となった「まもなくかなたの」について、次のように評する。

佐藤は「B.U.819」活動で模索した「新しい俳句表現」を活かしながら、文語体で形式にはまった句で構成されていることがわかる。つまり、「新しい俳句」の表現を用いて、『海藻標本』へ回帰しようとする動きがあることである。[傘P.21]

いささか文意が不明瞭であるが、しかもそのあとに『週刊俳句』140号における佐藤自身の言葉「回帰というよりは、より広くなるよう更新された振れ幅のなかで平衡感覚を取り戻した」を引いているので「回帰」が矛盾するのだが、それはともかく、勢い任せの表現を抑制できるようになった、と理解する。その上で

そう、ウイスキーに氷を入れすぎて味を弱くしてはならない。今の佐藤は危ういところにいる。それは間違いない。[傘P.21]

と結ぶのである。(気障を気取っている)

いささか勇み足にも見えるのふたりの論が共通するのは、先にも指摘したように、創刊の辞に寄せられた「主題なき時代」の「主義主張なき俳句」の旗手として、佐藤文香に光明を見る姿勢である。
これは「俳句想望俳句」と評された越智にも近いものがあり、まさに藤田の指摘するとおり「かつての俳句からの引用だけで作品が構成できるほどの、俳句の成熟度」を示す方向性であるといえよう。
藤田、越智のふたりが、自らの方向性の先達として「佐藤文香」を特集に選択し、また次号の予告として特集「ライトヴァース」を予告していることは、その意味で全く正しい。見てきたとおり、佐藤を含めた彼らの方向は「ライトヴァース」的な傾向のなかで理解できると思われるからだ。自分たち自身を遡及する動きであり、いわば母恋の王子といったところである。

いろいろと悪口ばかり書き連ねたが、見ている風景はどうやらよく似ている。彼らの母恋の旅路が、新たなる俳句と、新たなる読みへ連なることを期待しつつ、擱筆する。


※ 10/26、引用文にそれぞれの掲載頁を追記。



*1 週刊俳句 Haiku Weekly「週刊俳句時評 第9回 傘と樹と」

*2 外山一機「消費時代の詩―あるいは佐藤文香論―」『豈』49号、2009.10

*3 早く平井照敏『現代の俳句』(講談社学術文庫、1996)のあとがきに、「言葉の俳句」の時代の到来が告げられている。

*4 ―俳句空間―豈weekly「俳句九十九折(77) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅩ・・・冨田拓也」4/17日記事を参照。

*5 曾呂利亭雑記「週刊俳句146号」
 

2010年9月30日木曜日

『現代俳句入門』を読む


坪内稔典編。
昭和60年7月30日発行、沖積舎。

全体の構成は、四部に分かれる。
まず、坪内氏による「口誦の文学―俳句とはなにか」と題した論考集。
本書は特に章番号を付していないが、紹介の都合上、本章をⅠ章とする。それぞれの章には編者自身による解説が施されているため、内容を端的に知るために便利なので抜粋して示しておく。まず「口誦の文学」は、

俳句とはなにか。このことを考えることによって、わたしは不断に俳句への入門を試みている。俳句を支える共同性にこだわった二篇の評論と、それの応用篇とも言うべき二つの俳人論をここに集めた。
とある。いずれも一九八四年に描かれたもので、「口誦の文学」(初出「俳句研究」1984.7)、「<赤い椿白い椿と落ちにけり>の成立」(初出「三田学園研究紀要」1984)、「悪の花」(小寺勇『随八百』解説、1984.4)、「ことばたちの表情」(今井豊『席巻』解説、1984.4)の四篇から成る。

次に「乱反射―俳句の現在」と題した論考集(以下Ⅱ章)。解説に、

俳句が現在に生きている人の表現である限り、同時代の様々な動向は俳句をも貫く。この章では、四人の秀れた友人にその同時代の俳句へアプローチしてもらった。彼らの眼が放つ光線はあたかも乱反射のように入り乱れながらも、そこにまぎれもない<俳句の現在>を浮上させている。

とあり、宇多喜代子「個の凍結とその時代―昭和四〇年代の問題」、安立悦男「<私>の居ない風景」、仁平勝「<発句>の変貌―切字論・序説」、夏石番矢「戦後俳句と西洋詩の交差―高柳重信と翻訳詩」の四篇を収める。

次に、「はまなすの沖―時代と俳句」と題した、坪内氏の時評集。(以下Ⅲ章)

最後は、「甘納豆とひな人形―句作の現場」と題された、坪内氏の散文集。(以下Ⅳ章)

俳句は、たとえばそれが形而上的な雰囲気を漂わせた句であっても、作者の日常に根ざしている。この章には、<坪内稔典>という一俳人の日常を描いた文章をあつめてみたが、日常とは実は、誰にとっても句作の現場そのものであろう。
さて、以前から何度か、坪内稔典氏の「転換」が、昭和60年前後にあるらしい、という予測を述べてきた。
「転換」とは、「俳句」を「過渡の詩」と捉え、前近代的な座に支えられた自足的な「発句」から、未だ書かれざる、外へ広がっていく過渡的姿勢をもつ「現代俳句」をピックアップした<論客・坪内稔典>から、現在のモーロク俳句提唱につながる「口誦」「片言」重視の俳人・<坪内ネンテン>、への「転換」である。
本書はまさにその昭和60年発刊の論集であり、所収の文章の多くが1984年に書かれたものである。すでに「初老宣言」(Ⅳ章、P.185)がなされたあとではあるが、かなりリアルタイムに、「転換」の状況を知ることができる。
たとえば、『山本健吉全集』の刊行が始まったことに触れる「個と共同性」(Ⅲ、初出1983.5.28)では、繰り返し「座の文学」、共同性とのかかわりを説いた山本の理論が、戦後の俳壇において孤立し、「戦後はただの一人の俳人も発見してはいない」と批評する。そのうえで、
実際の私たちは、さまざまな共同性を支えとして生きており、共同性が多様化した分だけ、自分の存在が不確かでわかりにくくなっている。こうした状況は、現象的には個を重視して袋小路に入ったように見える。だが、ほんとうは、共同性の新たな在り方を模索している、そうした過渡的な状態にすぎないのではないだろうか。当然、俳句もまた、今は<過渡の詩>である。

としている。
見方によってはかつての「解体」へ向かう過渡とは別の方向へ「過渡」を捉えようとしているようである。しかし、「新たな共同性」というところに、山本のような「座」へ回帰することを拒否する姿勢が伺える。
さて、Ⅲ章所収の時評で興味深いのは、1983年に逝去した、中村草田男と高柳重信について言及している部分である。
なかでも高柳は周知のとおり坪内氏を世に送り出したプロデューサーであり、関わりが深い人物である。「追悼・高柳重信」(Ⅲ、初出1983.7.25)を見てみよう。

高柳重信にとって俳句は、常に<未知なる俳句>(「俳句形式における前衛と正統」)としてあった。正岡子規が俳句形式を俳句と呼んで以来、俳句は、この世にまだはっきりとは姿をあらわしていない<未知なる俳句>になった。このように高柳は考えた。……以来彼は、<未知なる俳句>とのかかわりにおいて、一切を感受し思考してきた。その徹底ぶりは、制度化された既知になじんている俳壇の人々に、あたかも異物のように自らを印象づけることになった。
坪内氏は上記のように高柳の姿勢を評価する。そのうえで、現在の自らを対置させ、次のように述べている。

その高柳と、ここ数年、緊迫したかかわりを、わたしやわたしの友人たちの側から創り出せそうな予感があった。たとえばわたしは、新興俳句をその時代のすぐれた試みとは認めても、俳句定型のとらえ方などに、共同性やナショナリズムの問題が深くかかわっていないことが物足らなくなっていた。俳句の場にしても、それらの問題を掘り下げるなかでしか意味をもたないのではないかと考えていた。こうした考えをぶつける、その一番ふさわしい相手が高柳だったのだが……

坪内氏の論は「恩返し」の機会を失い、当惑しているようである。
しかし、死後も高柳の存在は坪内氏のなかでは大きかったと思われる。現在でも高柳の多行形式への批判(口誦に適さない、活字媒体への偏向)を言及することがあるが、仮想敵としての「高柳重信」はまだまだ健在なのではないか。

Ⅰ章の「悪の花」は、小寺勇という作家の句集に添えられた解説らしいが、ほとんど坪内氏の持論となっており、なかなかの力稿である。
このなかで坪内氏は「小寺の同門(草城門)の俳人」富澤赤黄男の作品について、「孤独な精神の緊迫感」を評価しながらも、句集『沈黙』(昭36)を「自我の地獄図」と呼び、「孤独の悲惨さをあまりにもはっきりと告げるものであった」と結論づける。そのうえで、俳句形式がもつ「無名者の共同性を無意識のうちにかかえこむこと」が、「孤独をも相対化する智慧」になりうるのではないか、と論を進めている。
すなわち「自我の地獄図」への強い反発が、坪内氏を「共同性」論理へ向かわせた様子がわかるのである。



以上、坪内稔典編『現代俳句入門』のなかから、興味深い点を紹介した。
実作ではなく評論、思考の面から俳句へ「入門」を誘う書であり、現代俳句評論の入門書としてもおもしろい本である。
坪内氏の軌跡を追うためには、1983年時点での坪内氏の「ここ数年の業績」、つまり『俳句の根拠』(静地社、1982)あたりが恰好と思われる。
このあたりが坪内氏の「片言」論の始発らしいのだが、しかし実はこの本、絶版で古本屋にも見あたらない。どこかで手に入れられたら、また書きます。
しかし、この時期の坪内先生の出版点数、ハンパないなぁ。。。
  

2010年9月29日水曜日

ゲゲゲ・ブーム

 
NHK朝の連続テレビドラマ「ゲゲゲの女房」が、先週土曜日めでたく最終回を迎えた。

思えばこの十年、「妖怪」は慢性的なブームだった。

1994年に京極夏彦氏が『姑獲鳥の夏』(講談社)で鮮烈なデビューを飾り、
1996年、水木しげる、荒俣宏、京極夏彦の三氏を中心に「第一回世界妖怪会議」(於境港)が開催、
 同年にテレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第4期(フジ)が放送を開始し、
翌1997年、世界妖怪協会公認、世界初の妖怪マガジン『怪 KWAI』(角川書店)が創刊、
 また1993年から設置が始まった境港の水木しげるロードにブロンズ像80体の設置が完了、
2000年、大丸ミュージアム他で「大妖怪展」(朝日新聞社)が開催、
2002年には、国際日本文化研究センター怪異・妖怪伝承データベースを公開、
2003年3月、境港で水木ロードの終着点に水木しげる記念館がオープン、
 また『怪』に連載の京極夏彦『後巷説百物語』(角川)が直木賞を受賞、
2004年、「大(oh)水木しげる展」(朝日新聞社)が開催、
2005年、三池崇史監督、神木隆之介主演で映画『妖怪大戦争』が公開、
2007年、テレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第5期(フジ)がスタート、
 同年にウェンツ瑛士主演で実写映画『ゲゲゲの鬼太郎』(松竹)が公開、、、

ブームというのは、いわゆる「ファン」以外も巻き込むからブームである。
この十年で、「妖怪」と、それを愛好する人たちの知名度は、飛躍的に一般化した。
ただ、2009年のアニメ第5期放送終了を最後の山場として、「妖怪」ブームは終焉を迎えつつあった。展覧会もいささかマンネリ化し、妖怪研究家、妖怪小説家を名乗る人たちの出現もひと段落、ファンの拡大も歯止めがかかり、そろそろ満腹を覚え始めていた。

そこへきて、「ゲゲゲの女房」である。
京極夏彦氏に倣って「水木者」を自称し、水木しげる氏を「大先生」(オオセンセイ)と呼び崇敬する私としては、キャスティング発表段階では主演ふたりの美形っぷりに相当の懸念を抱いていた。
ところが始まってみればこれが朝の番組としてはほどよく、自己主張しないふたりのキャラクターが悲惨な貧乏物語を爽やかに仕立て上げていた。終わってみれば平均視聴率が20パーセント近い、近来の朝ドラ不調を払拭する大ヒットだったらしい。(主演ふたりは名演ではないとしても好感がもてたし、大杉漣、風間杜夫、竹下景子といったベテラン陣は絶品だった)
夏でもきっちりシャツを着ていたり、赤ん坊が妙に手がかからなかったり、商店街がこぞって水木夫妻の応援団だったり、細かな違和感はすべてのみこんで、リアリティよりレトロの雰囲気が先行した。
水木夫妻はいつの間にか「昭和の夫婦」の代名詞になっていた。

成功は、やはり「女房」が主役だったことによるのだろう。
水木自身を主役に据えていたら、もっと悲惨なものになっていただろう。雑誌の低迷とか、アイディアを得るための努力とか、手塚人気への嫉妬とか、水木本人が直面していた生々しい話題は、家を守る「女房」の視点からは、中心的な話題にならなかった。(そういえば手塚治虫はじめ白土三平、石森章太郎など水木より売れていた漫画家は全くドラマに登場しなかった。長女の尚子(藍子)さんが手塚ファンだった、というのは原作にも書いてあり有名な話)
「女房」はただ、仕事をする夫の背中を信じていた。「夫唱婦随」は「昭和の妻」が納得しやすい設定だったろう。事実多くのファンが、自分や、自分の両親を投影し、"感動"した。
ドラマで見るかぎり水木はせいぜい「ちょっと変わった」温厚な仕事人であり、たまにオナラの話題で盛り上がったりするものの、たとえば

ブームってのは働かんでも金が入ってくるからいい
などと身も蓋もないことを放言する水木大先生とは、やはりちょっと別人だった。


ふと、穂村弘氏の、驚異(ワンダー)/共感(シンパシー)の二分法を思い出す。

大先生は漫画や随筆などさまざまな媒体で自身の伝記を語っている。多くの人がその稀有な人格に圧倒される。
人が死んだらどうなるのかを知ろうとして弟を海に突き飛ばしたという水木少年。太平洋戦争の最前線の悲惨さを、食欲と糞尿の話題でつづる水木二等兵。南方での生活に憧れながら「我々は冷蔵庫を棄てられない」と喝破する水木氏。手塚治虫文化賞授賞式で、手塚や石森のように徹夜自慢をしている人は早死にした、と語った水木大先生。
それらはもちろん、水木が提供する「水木しげる」であり、真実の「武良茂」ではない。
京極夏彦氏の言葉をかりれば、水木の最高傑作は水木サン自身、なのだ。
この十年の「妖怪ブーム」は、世間に求められる形で水木が提供した「水木サン」を中心としたブームだった。
しかし、今回ブームになったのは「水木サン」でもなかった。
「昭和の夫婦」という、実にALL WAYSな、受け入れられやすいパッケージに包まれたとき、より広い層を巻き込んだ「ゲゲゲ・ブーム」が出現したのである。

「水木者」の先達、京極夏彦氏は、大先生のすごさを次のように分析している。


水木しげるという大作家の偉大かつ特異な点は、自らのスタンスをほとんど変えずに、メディアを乗り換えることで時代に対応するという、実に潔いスタイルをとり続けてきた――という事実に集約することができるかもしれない。……水木しげるは、「自分が面白いと思うこと」だけを「みんなが面白がれるもの」に作り替えてプレゼンテーションすることに全身全霊を傾けてきた人である。

「水木しげる大先生の限りない魅力を伝えるために」『大水木しげる展』図録、2004

思えば、ドラマにも出た実写「悪魔くん」は、貸本時代のように貧乏人のために革命を仕掛ける救世主の物語ではなく、小ずるい悪魔メフィストとともに少年が妖怪退治をする活劇だった。「正義の味方」というパッケージによって、「悪魔くん」はヒットしたのだ。
いくら本物でも、ただ描くだけではだめだ。ウケなければ生活が出来ない。どうすればウケるか。水木作品は水木作品が生き残るために、どんどん形を変えてきた。だからこそ生き残った。その裏には、絶え間ない、生きるための努力があった。

「師事する」「私淑する」というのは、ただ師の言葉に従うだけの、信仰者の謂いだろうか。違うと思う。ただのファンではなく「水木者」としては、やはり水木がどのように努力してきたか、そのすごさを知っておきたいと思うのである。そして、大先生の努力を知るゆえに、「水木者」は努力を惜しまない。あらゆる知識とあらゆる手段を使って水木しげるの魅力を伝える。


盲信し、追随するだけの信仰者として、先達が歩んだ努力のあとを知ろうとしないのは、
師の威を借りて生きることよりもなお恥ずかしい、
と、私なら思いますが、まぁ、そのへんは、考え方の相違なのかな。

好きなことだけをやりなさい。好きなことは一生懸命やりなさい。

水木しげる


一人の優れた俳人が居るとする。その弟子は精進して、師の作品に似た、師より少し劣った作品を作る。その弟子がまた、師の作品に似た作り方の、少し劣ったものを残す、とすれば、俳句の衰退は約束されているとよく言われた。
三橋敏雄は、渡邊白泉と西東三鬼を師とし、白泉とも三鬼とも異なる俳句を残した。

池田澄子「根を継いで新種の花を 師系に学ぶ」『休むに似たり』2008



参考.俳句樹:海程ディープ/兜太インパクト -1- 人間・金子兜太 中村亮玄



2010年9月26日日曜日

鬼貫、告知

 
いまさらですが…


第 7 回  鬼貫青春俳句大賞

芭蕉とほぼ同じ時代を生きた上島鬼貫は、10代から盛んに俳句を作り、自由活発な伊丹風の俳句をリードしました。柿衞文庫では、開館20年を機に今日の若い俳人の登竜門となるべく「鬼貫青春俳句大賞」を2004年から設けました。

●募集要項● 
☆応募規定・・・俳句30句(新聞、雑誌などに公表されていない作品)
☆応募資格・・・15歳以上30歳未満の方(応募締切の10月6日時点) 

☆応募方法  
● 作品はA4用紙1枚にパソコンで縦書きにしてください。  
● 文字の大きさは、12~15ポイント。  
● 最初に題名、作者名、フリガナを書き、1行空けて30句を書く。   
 末尾に本名、フリガナ、生年月日、郵便番号、住所、電話番号を書く。
● 郵送またはFAXで下記まで。    

応募作品の返却には応じません。また、応募作品の到着については、必ずご確認くださいますようお願いいたします。      

財団法人 柿衞文庫(ざいだんほうじん かきもりぶんこ)
  〒664-0895 伊丹市宮ノ前2-5-20
  電話/072-782-0244
  FAX/072-781-9090 

☆応募締切・・・2010年10月6日(水)必着 

☆選考・表彰・・・2010年11月3日(水・祝) 午後2時~5時
 於 柿衞文庫 講座室(兵庫県伊丹市宮ノ前2-5-20 別添地図参照)  

下記選考委員(敬称略)による公開選考 [どなたでもご参加いただけます。]     稲畑廣太郎(「ホトトギス」副主宰)     
山本純子(詩人)     
坪内稔典(柿衞文庫也雲軒塾頭)     
岡田 麗(柿衞文庫学芸員)     
吉澤嘉彦(社)伊丹青年会議所 専務理事    
以上 5名(予定)  


賞     大賞1名〔賞状、副賞(5万円の旅行券)、記念品〕
優秀賞   若干名〔賞状、副賞(1万円の旅行券)、記念品〕     


主催 財団法人 柿衞文庫、也雲軒     
共催 伊丹市、伊丹市教育委員会
後援 伊丹商工会議所、伊丹青年会議所(予定)


今回は正直、出せるかどうかまだわかりませんが、最近ほとんど年中行事化してるからなぁ。
あと一週間、がんばってみましょうか。
  

2010年9月24日金曜日

写生 青木亮人さんへ。


青木亮人さんがツイッターで、興味深い「写生」論を展開されている。(http://twitter.com/k551_jupiter/)

論文というのではないけれども正直、ツイッターではなくきちんとした文章の形で、たとえば「週刊俳句」なんかに書いて欲しいような、示唆深いものである。
大変勉強になったので、私個人に宛てられたものと解するより広くご紹介すべきであろう、と思い、また私自身の心覚えとしても役に立つので、以下、拙文でまとめを試みたい。

もともとは、佐藤雄一氏が「週刊俳句」24号に発表された
「高浜虚子小論 <季語>の幽霊性について」という文に対して青木さんがコメントを返されたのが発端だったようだ。
その後、ツイッターを通じて佐藤氏と青木さんとの間で意見交換があり、たとえば

「回帰」という発想から「写生」を捉えると、それが「虚構/事実」かは問題ではなく、言語表象の段階において、追体験の強度がどのように操作されているかが、焦点となるだろう。簡単にいえば、「ありのままかどうか」ではなく、「ありのままに見えるかどうか」が問題となる。
4:14 AM Sep 19th webから
その時、「ありのままに見えるかどうか」を考えた際、言葉に「事実=レアル」が「痕跡」としてどの程度刻印されたかが、問題の焦点となる。「痕跡」は、素人読みでは、デリダ流にいえば「差延」となろうし、ハイデガー風にいえば「常に到来しつつあり、未だ到来しないもの」となろうか。
4:16 AM Sep 19th webから
といった発言もあって、詳しくお尋ねしたいところなのだが、正直なところ挙げられている哲学・理論をまったくわかっていないのでこのあたりはスルーしておく。
ただそのあとで

先ほどもつぶやいていましたが、「回帰」「幽霊」は時間に関する認識と感じます。俳句の世界では、季語や定型に関する議論は空間的な把握が多く、言説の現前性や表象における追体験を発生させる枠組みとして論じたものは、ほぼないように思います。
6:27 AM Sep 19th yy_sato宛
という発言があり、思いついて次のようなメールを青木さん個人宛に送信した。

ツイッター拝読。
僕の師匠、塩見恵介に、写生とは、「読者が具体的な景を再生産できるリアリティある表現」との発言があります。いま出典が失念していますが、たぶん坪内先生の子規理解から来ていると思います。とりあえず『俳句発見』にも「子規の写生とは一句を目に見えるように、すなわちリアルに構成することだった」P.14とあります。具体的でなく申し訳ありませんが、よく似たお話が交わされていたので、ご報告まで。

塩見先生の発言は私が「写生」を考える際に常に指標にしている言葉なのでどこかで読んだのは間違いないが、今回いまだ出典を捜索しあてていない。
さて、私のメールが「言説の現前性」「追体験」などの用語に引きずられて議論を捉え損なっていることは自明である。これに対して青木さんは、より興味深い形で返答してくださった。
「写生」が「読者が具体的な景を再生産できるリアリティある表現」は仰る通りとして、こだわりたいのは、再生産の過程なんですよね。「再生産」よりは「追体験」が近いかな…「写生」句を読む際の「追体験」=想起しうるものと想起しないもの、その選別の判断や選択、(・・・)
1,284,980,216,000.00 webから
記憶が想起される過程において、たぶん、他ジャンルにはない俳句独特の想起のあり方や追体験のリアリティがあるように感じるわけです。「写生」はリアルを構成する、それはいいとして、有季/無季定型において作動する想起のあり方は、小説や詩、短歌と異なるんじゃないか、と。(・・・)
1,284,980,389,000.00 webから
それを捉える際、“「写生」はリアルを構成する”という角度から俳句における「写生」を考えると、抜け落ちるものが多いように感じます。なので、その追体験の想起の過程そのものを捉えるという意味で、時間的な概念(曖昧な表現ですが…)を裁ち入れると、(・・・)
俳句で「写生」を行った際の急激なねじれ、歪み(のようなもの)のありようを、今少し詳しくつかめるのではないか、と。
1,284,980,852,000.00 webから
うん、ツイッターはブツブツ切れるのでどこを引用して良いか迷いますね(笑)。
ツイッターも一応記録されているのだから文章形式への引用ルールがあると便利なのだが。
それはともかく、重要なのは、俳句表現が読者にもたらす「追体験」の過程が、他の文芸ジャンルとは違うのではないか、というご指摘である。
つまり私は実作者の発言を指標として、実作手法としての「写生」にしか言及できていなかったのだが、青木さんは読者に独特の「想起」させる形式、仕掛けとして「写生」を捉え直している、ということと思う。

これは個人的な感想ですが、ありのままに写す「写生」ということと、有季/無季定型という器は、かなりの摩擦を生じさせるものでは、と感じます。季語を使用しつつ、またたとえ使用しなくとも、十七字前後で描写すること自体、かなりの無理があり、ある種のずれを生じさせるのではないか。
1,284,982,773,000.00 webから
それを「ずれ」と表現することが妥当かどうかは微妙な問題ですが、とにかく、無理がある。文学理論風にいうと、17字という物語言説を読み下す際の時間と、17字に託された物語内容に流れる時間の膨らみは、まず一致しない。
1,284,982,973,000.00 webから
「写生」=ありのままに写す行為と「有季/無季定型」に表現される内容とのズレの問題はたしかにそのとおりだろう。
青木さんが後に指摘することとも重なっているが、「定型」表現による「無=意味」な内容を提示して解釈を読者に強要するような、「近代的」な作者/読者の関係を意識できた最初の俳人は、正岡子規であり、次に高浜虚子であろう。
青木さんは、素十のトリビアルな写生句を、「無=意味」句として提示している。
なるほど、より具体的な「美意識」を提示しようとした水原秋桜子や、人間探求派・新傾向俳句派は、たしかに「無=意味」俳句ではなく、だからこそ虚子に反発したわけだ。
ところで、ありのままに書くことを重視して「定型」を棄てたのが碧梧桐だった。

曳かれる牛が辻でずつと見廻した秋空だ   碧梧桐 大正7
菜の花を活けた机をおしやつて子供を抱きとる    大正14
青木さんの文脈からいうと、虚子と碧梧桐の対照が、ちょうど「写生」と「定型」と「無意味」との関係性を明らかにしている。
リアルに構成するだけなら碧梧桐の句は実にリアルであり、無意味といえば無意味でもあるのだが、虚子のように意味を読者に解釈させるような余地は、まったくない。
「写生」に偏って「定型」を棄てた碧梧桐は、結局無惨な「言い過ぎ」俳句になってしまったわけだ。

個人的な理解からいえば、大局的には青木さんの指摘は従来言われ続けてきた俳句の余白、つまり坪内稔典氏がいうところの「片言性」と、片言性を支える「共同性」の問題に近いとおもう。
ところが、従来はこの「共同性」というやつが、「座の文学」とか「挨拶」とかの俳諧用語に回収されてしまって問題が朧化してしまっていた印象がある。
むろん子規や虚子自身が俳諧から俳句を立ち上げてていったのだが、大事なのは子規や虚子たちが「近代」の眼から俳諧を捉えていたこと、である。
従ってやはり、「近代文学」を読み解く際に有効な視点は、基本的に「俳句」にも有効な面があろう。青木さんの一連のご発言は、よりクリアに、俳句と他形式との「機構」の差に言及されているように思われる。
特に、碧梧桐を補助線とすると、なぜ碧梧桐が「俳句」でなくなってしまったか、我々が「俳句っぽい」と感じるsomethingがどこらへんに起因するか、というのが、かなり明確になるようだ。これは大変示唆深い視点だと思う。

以上、大変勉強させていただきました。
続きの「季語」論、お会いしたときにお聞きできるのを楽しみにしていますm(_ _
)m。
 

2010年9月14日火曜日

卯波にて。



先日速報させてもらった山口優夢氏の角川俳句賞受賞を祝う催しが、12日、銀座は卯波で行われた。卯波は人も知る鈴木真砂女の店。現在は孫の宗男さんが店主となり、一度閉店されたのだが今年から営業を再開されている。お店のHPはこちら
発起人である江渡華子、神野紗希両氏の呼びかけに応えて集まったのは日頃優夢氏と親交深い若手俳句作家約二十名。優夢の親友である酒井、千崎両名や、東大句会の生駒、藤田両氏をはじめ、中村安伸氏、矢野玲奈氏、外山一機氏、越智友亮などの新撰組、小川楓子氏、榮猿丸氏など超新撰メンバー、松本てふこ氏や西村麒麟氏に加え、高柳克弘氏も顔を見せるなど錚々たる顔ぶれがそろった。
かくいう私もちょっとしたついでがあって東海道を上る都合があり、噂を聞きつけて東京まで足を延ばし末席に加わった次第である。おそらく、平均年齢の若さと賑やかさに関しては俳句関係では特筆すべき集まりだったのではなかろうか。
私など興奮してしまって、途中から主賓の優夢を放り出してしゃべくっていた気もするが、それはそれ。ともかく山口優夢という名前に多くの人が集い、彼の受賞を心から言祝ぎ、かつそれを肴に一夜の歓を尽くしたのである。

紗希さん、江渡さん、楽しい会に呼んでいただきありがとうございました。何もお手伝いしなかったけれど宗男さん野口さん、お料理もお酒も大層美味しかったです、ごちそうさま。

あらためて。

山口優夢氏、受賞おめでとうございます。




今月、ふたつも新しい俳句媒体が発足した。
ひとつは「俳句樹」。中村安伸氏、宮崎斗士氏のふたりを中心に、「豈」「海程」の合同ブログという形式をとっていくようである。
現在は創刊準備号と題して発足趣旨などが掲げられているだけだが、先日100号をもって終刊した「豈-Weekly-」の後継的な位置付けもあるらしく、活発な議論の中心点となることが期待される。

もうひとつは藤田哲史氏、越智友亮氏、いわゆる「新撰組」最年少のふたりが組んだ「傘karakasa」。こちらは紙媒体で、創刊号は「特集・佐藤文香」。
佐藤文香の新作8句、ロングインタビュー、発行人ふたりの文香論などコンパクトだが充実の内容。ふたりの作品は巻末に置かれ、作品発表ではなく毎号特集を組むスタイルをとっていくらしい。創刊趣旨には
「この作品はいい」という読み手が発するメッセージ。そしてそれを<効率よく>ではなく、<確かに>伝えたい。そういう気持ちを突き詰めた結果、雑誌という形態に拘らざるをえなかった。
と力強い言葉があり、あえての紙媒体という拘りに注目していきたい。
発行人の越智は本人も言うように高校時代から「雑誌作りたいんスよ~」と唱え続けてきた。
その彼がついに雑誌を発行したかとも思い、ようやく手に入れた相棒が藤田哲史であるということにも興味深く思う。藤田氏は私のなかで、独立独歩、自分の道を歩むタイプかと思っていたのだが、このユニット活動を通じてどのような面をみせてくれるだろうか。
「週刊俳句」誌上での前夜祭を大いに楽しませてもらったこともあり、創刊号を送ってもらって早々に読んだ。
全体として楽しんだが、発行人ふたりにはblogで「悪口」を言って欲しいと頼まれているので、真摯なふたりに応えるためにも他日別稿を用意することにしたい。



さて、たまたまと言えばたまたまなのだろうが、優夢氏のお祝いの席ではこのふたつの媒体の中心人物、中村氏と、藤田・越智両名が集まっていた。
人脈の狭さを感じるよりも「新撰組」ら若手の行動力を評価すべきであり、また所属結社や経歴、年齢にこだわらず積極的に交流を図ろうとする姿勢に注目すべきであろう。
そういえば神野紗希さんがツイッター上で


結社の時代→総合誌の時代→ユニットの時代?がぜん増えた。
12:00 PM Sep 5th
とつぶやいている。たぶん短詩型女子ユニットgucaなどを念頭に置かれての発言だろうと思われるが(他にもあればご教示ください)、超結社ユニットの活動はたしかに時代の特徴といっていいと思う。
これまでは大きなオオヤケとしての総合誌と群小結社誌・同人誌との対比があったわけだが、ここへきて、総合誌の問題意識もいささか大きすぎるという問題が出てきたのではないか。
私見をぶっちゃけてしまうと、総合誌では私個人の問題意識とはまったく違う話題ばかりが特集されることが多いので、あまり興味が惹かれないのである。
参考:曾呂利亭雑記「古典?」8月19日

もちろん総合誌は雑誌として売れねばならず、常に様々な読者に対応する必要があるので当たり前ではある。結社誌とても規模は小さいが抱える事情はそう変わらないだろう。
これに対し、同人誌よりももっと身軽なユニットは個人の問題意識を共有する小さな活動単位である。総合誌、結社誌でも扱いかねる個人の問題意識を直接反映させることが期待できる。
もっとも本来ユニット活動とはおそらく結社内部に止まっていいはずのものである。
藤田哲史氏は一方で「澤」注目新人という結社人の一面も持っているので「澤」誌内部で書評欄、批評欄を任されたるようなこともありうるだろう。そこで実力を蓄えて雑誌編集に加わり、句会や勉強会の世話役を任され、、、というのが、従来の結社でいう若手の育て方だったと思われる。
つまり若手の問題意識に主宰なり幹部なりが対応し、受け止めていく組織が結社内部にあれば、ユニットは結社内部の勉強会でありえた。
ところが今、ユニットは結社を超えてつながりを求め、結社と別に表現媒体を持つようになった。同世代で固まる傾向があるのも、問題意識の共有が図りやすいからだろう。
誤解を招くといけないが、彼らは結社を否定しているわけではなく、越智を除く3人はあくまで結社を背景とした結社人である。ユニットの多くは問題意識を共有していても、同じゴールを目指すような、結社活動には発展しえないものに見える。
こうした動きは学問の世界での「学際」のキーワードを思い出させる。
超結社活動などはせいぜい、軍記研究者と和歌研究者との共同研究くらいのものだろうが、たとえば10月にイベント開催が予告されている「詩歌梁山泊」などは、それぞれの専門性を背景にしながらも枠組を崩していこうとする動きを感じる。
これらの動きがどこまで何をもたらすかはわからないが、当事者たちにとって、またジャンル全体にとっても少なからぬ刺激をもたらすことは確かだろう。




参考:週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句時評 第9回 傘と樹と


2010年9月7日火曜日

短詩

 
詩、川柳、俳句、といろいろボーダレスの湊圭史さんが、新たなサイトを立ち上げた。

S/C。
シンプルなデザインと変わった名前のサイト。
s/c は現代川柳を中心とした短詩の紹介、評論を目的としたブログ型式+α のサイトです。

とのこと。
ジャンルに拘らず、「短詩」というところにポイントを絞って作品・鑑賞・評論を幅広く掲載していくようだ。

こちらで「続きはwebで」8句を掲載していただいた。
 http://sctanshi.wordpress.com/

ページ左上段にあるメニューから「短詩作品」を選んでいただければ、拙句掲載ページに飛べます。まだ少ない作品掲載のなか、柳人・樋口由起子氏と並んでるのがうれしい。
作品は既発表でよいとのことだったので、以前、第一回船団賞に出した20句のうちから8句選んで提出いたしました。
選考のときは箸にも棒にもかからなかった作品ですが(笑)、せっかくテーマを決めて作ったので封印するに忍びず。このたび思いがけず公開の機会を与えていただいたので、ありがたく投稿させていただいた。



「続きはwebで」は、すべて現代風俗を詠むという形で作っている。

出来がよくないので今回の8句からは削除したが、このとき
春一番google検索上昇す

という句も作った。
春一番が吹いたというニュースのあった日に、googleの検索上昇ワードに「春一番」が入った、という私の目撃した事実を詠みたかったのだが、うまくいっていない。
しかし、春一番が検索上昇する、というのは、季語の現代的な更新ということと、季語を便利な「ことば」として扱いたいということと、二つの意味で自分の姿勢にフィットしており、なんとか使いたかったものである。うまく表現できなかったら仕方がないのだが。


しかし、秋の投稿で「春」の句を出している時点で、有季派としては失格ではある。
 

2010年8月30日月曜日

速報ッッッ!!!

 
角川俳句賞に望月、山口両氏 (時事通信)

第56回角川俳句賞(角川学芸出版主催)は30日、望月周氏(45)の「春雷」と山口優夢氏(24)の「投函」に決まった。賞金各30万円。授賞式は来年1月21日、東京・丸の内の東京会館で。

おおォォッッ!!おめでとう!!!!


俳句賞受賞者と知り合う機会は最近増えてきたが、友人が俳句賞受賞するのははじめてだ。
昨年あたりから波が来ていたが、やはり「優秀な女性に何度か出鼻を挫かれて、叩かれて、最後に栄光を勝ち取る」(新撰21竟宴シンポ)のが優夢流らしい。

それにしても、めでたいっ!
 

2010年8月29日日曜日

速報。


当方でもたびたびご紹介しております、大学院の先輩にあたる青木亮人さんが松山市子規記念館でご講演されたそうです。
もとロッカーな青木さんらしく、かなり攻めた感じの興味深い講演になった模様。


夏季子規塾 青木亮人「「ワシノ文ガ載ツトラン……-活字化・発信の意義-」」

松山だったので行かれんなぁ、残念。とか思っていたのですが、なんと現地から佐藤文香がツイッターで実況してくれており、その概要を知ることができます!

http://twitter.com/search?q=%23kakishikijuku

下の文が古いものなので、下から順に上がって読んでください。
毎度毎度、他人のふんどしでなんとやら、だけれども、佐藤文香の毎度の奮闘に対して感謝と感銘を伝えるためには、こんな閲覧客の少ないblogででも告知するほかないのである。

文香、GJ。

※ 続報。
国文学関係では著名な、笠間書院のオンラインアーカイブでこの記事が紹介されています。
 青木亮人さんの講演がtwitterで実況される

このアーカイブは国文学関係記事をどんどん紹介してくれる便利なものですが、……しかしウチまでウォッチされてるのか。以前に一度紹介されたのでちょっと怖かったのですが、すげぇな笠間。

8/30、笠間書院のアドレスを間違えていたので訂正しました。
 

2010年8月28日土曜日

誓子を読む。


まともなネタがないまま8月が終わってしまうので、過去の拙稿「山口誓子『構橋』を読む―後期誓子俳句読解の試み―」を転載してみることにしました。

もともとこの文章は、わたなべさん主催のメール句会から発生した冊子『ろくぶんぎ』第1号(発行わたなべじゅんこ、2009.05.16)に掲載してもらったものである。
この小冊子は句会参加メンバーの内々で作った限定非売品である。今回は特に許可をもらってここに転載することになった。
ただし件の小冊子では、紙幅と編集の都合上、私が提出した原稿とは若干異なるものが掲載された。そのため論旨は明快になったが一部公開されなかった部分もある。
今回はそれらの異同箇所をふまえ、掲載分に最低限の加筆修正を加えることにした。例句は赤で示した。
またネット掲載の特性を考え、新たに改行を増やしたため、ただでさえ長いものが更に長くなってしまった。長さだけで特に何もない駄文だが、おおかたの叱正を賜れば幸いである。



山口誓子『構橋』を読む―後期誓子俳句読解の試み―

俳句文芸史上における山口誓子の功績については今更確認するまでもない。

都会趣味、海外詠、連作俳句、独自の造語など新境地を開拓し、虚子をして「辺境に鉾を進める」「征虜大将軍」(『凍港』序)と言わしめ、秋桜子とともに新興俳句運動をリードして「写生構成」による作句法を説き、戦後は桑原武夫「第二芸術論」(昭和二十一年十一月)に反発する形で『天狼』を創刊(昭和二十三年一月)、「酷烈なる俳句精神」による「根源俳句」を提唱し、「即物具象による構成・構造の新風を樹立」(『現代俳句大事典』)した。

しかし、『天狼』創刊以降の誓子俳句の評価は決して高いとは言えない。誓子の深い理解者であった文学者、小西甚一氏は誓子俳句のピークを昭和二十年前後と見ており、


戦後は、残念ながら、この水準を維持することがだんだん難しくなってゆく。誓子ほどの天才でも――である。


『俳句の世界』講談社学術文庫

と書いている。
誓子俳句が戦後「面白くなくなる」というのは、すでに通説と言ってよく、坪内稔典氏はさらに過激に言う。



写生構成は現代の俳句の最も基本の方法である。だが、誓子におけるそれは弱点を持っていた。その弱点が、次第に大きくなり、誓子の俳句からかつての新鮮さを失わせる。戦後、殊に一九五五年(昭和三十)ごろから後の誓子は無惨である。そこにはかつての新鮮きわまる誓子の面影はない。


『俳句発見』富士見書房


こうした鑑賞が的を射ているかどうか、速断は避けたい。

だが誓子という人は明治三十四年(一九〇一)十一月三日から平成六年(一九九四)三月二十六日に亡くなるまで九十二歳という長命の持ち主であって、坪内氏のいう「無惨」な時期を、実に四十年も過ごし、俳句を発表し続けていたことになる。

ちなみに誓子の全十八冊の句集(『大洋』『新撰大洋』は一冊とする)のうち、昭和三十年以降のものは九冊。単純に言って半分である。
当たり前だが、誓子自身は自分の句を「無惨」とは思っていなかっただろう。戦後の誓子俳句に変化(もしくは低迷?)が見られるとするならば、誓子自身はそれをどう捉えていたのだろうか。一方的に切り捨てる前に、きちんと向き合ってみなければならない。

と大上段に出たが、この問いに対して、筆者の力はあまりに不足している。本来なら『凍港』以下の句集とその初出に当たり、著作や俳論を軸に議論を進めるべきだろう。また同時代の作品、俳論、さらに社会背景などさまざまな角度からも検証する必要がある。

本稿ではまず、準備体操として、昭和四十二年三月に出版された『構橋』を読み、思いつくことを書き付けておこうと思う。

『構橋』は昭和四十二年三月、春秋社から誓子句集三部作の第一作目として刊行された。同年五月には『方位』、同年七月に『青銅』と連続して出版されている。

掲載された句はそれぞれ、昭和二十七年~三十年、三十一年~三十四年、三十五年~三十八年、の作品で、昭和三十年一月刊行の『和服』(昭和二十三年十月~昭和二十六年十二月の作品)に続く、十二年ぶりの新句集である。

時期としてはまさしく坪内氏のいう「無惨」な時期の始発にあたっており、後期誓子俳句を見直す入り口としてふさわしいのではないかと思う。

さっそく内容に入りたいのだが、『構橋』はまずタイトルが難解である。試しに『広辞苑』と『大漢和辞典』を引いたが、載っていない。仕方がないので誓子自身の解説を引く。

「構橋」は構築された橋である。私は曾て中村憲吉の歌集『林泉集』にこの語を含む作をいくつか讀んだ。爾来、私は「構橋」の語に惹かれてゐた。(略)
十二年の滞留を終つて、伊勢から阪神間の西宮に轉ずるに當つて私は橋をわたらねばならなかつた。その橋を私は吊り橋のやうな不安定な橋ではなく、構橋のやうな屈強な橋と思ひたかつた。永く伊勢に潜んで貯へた力を發揮するために、その屈強な橋を渡りたいと思つた。
「構橋」の語には私の祈りが籠められてゐる。
歌人の造語だったようである。句集の一句からとった題名ではなく、誓子自身、この語に託して昭和三十年前後を「転機」と捉えていたのだろう。
では内容に入ってゆく。

  夜光る蟲の悲しみ身より溶け      昭和二十七年
  眞黒な硯を蠅が舐めまはる       同

山口誓子、五十一歳。「蜥蜴の誓子」とも呼ばれる誓子の、小生物に対する偏愛は健在。

  春濱に兄弟倒(こか)しあへる愛     同
  冬濱に噛みあふ犬よ殺しあへ      同
  死したるを棄てて金魚をまた減らす   同

これらの句作には三つの重心がある。「兄弟」「犬」といった対象と、「春濱」「冬濱」という物、その<二物衝撃>を主観的に把握する作者。情景だけでなく作者の主観的な把握を明確にするところに特徴があるが、その把握が直截的であり、不気味な印象を与える。

俳句評論家、山本健吉によれば、昭和十五年の「箱根山中」を機に誓子俳句は「近代俳句の旗手としての素材拡張時代」から「内面的な心の裡にレンズの焦点を当て出した第三期」(山本『現代俳句』)に入っている。

また『星恋』(野尻抱影との共著)の著作もある「星好き」誓子には星の句も多い。

  寒月が星座の間明るくす        同
  寒昴獵夫その犬といふ順序に      同

 「海を出し寒オリオンの滴れり」や「寒雨降りゐしにオリオン座大犬座」という作品もある(ともに二十七年)。現行の歳時記は星座を季語と認めていないため、他の季語と組み合わせたり、「寒オリオン」などという造語を用いたりしている。

この時期は定型を逸脱する形が多いのも特徴である。後記には「現在の私は十七音を嚴守し、五七五の調べを重んじてゐるから、現在から見れば許し難い句も混つてゐる。すこしは手を加へたが、手を加へらぬ句はそのままにして置いた」とある。

  開放の夏期大学を覗くもの         昭和二十八年

詞書に、「大宅壮一来る」。「句による自伝」(『財政』昭和三十二年)にも「八月に入って大宅壮一が鈴鹿市の夏期の大学講師としてやつて来た」「畳の上に寝転びながら懐旧の談に耽つた」とある。大宅壮一はいわずとしれた評論家、ジャーナリスト。三高時代に誓子と同級で、もっとも親しい友人だった。

  颱風に妻は痩身飛ぶ飛ぶと         同
  颱風に遅るる妻を目で手繰る        同
  高潮と流れ金魚の行方知れず        同


詞書「颱風」。この年九月、誓子は台風十三号に見舞われる。夕方頃、高潮を避けて家を出て避難、翌朝帰ると自宅は大破し、「書斎に闖入した高潮は……おびただしい蔵書と金魚を呑んだのである」(「句による自伝」)。

大きな被害を受けた誓子だが、句や自伝から見られる調子は明るい。結局このことがきっかけとなり、誓子は長年療養生活を営んだ伊勢を出て、西宮市苦楽園に移ることになる。

  鵙は尾をくるりくるりと吾が首途      同

詞書「苦樂園抄」。決して巧い擬音とは思えないのだが、誓子俳句のイメージを裏切る明るさ、軽やかさである。誓子はすでにこの年三月から小旅行を繰り返しており、体調は回復していた。復活した誓子は療養地を離れ、精力的な活動を始める。

  息を矯め聖誕祭の燭吹き消す       昭和二十八年
  大和また新たなる國田を鋤けば      昭和二十九年

伊勢時代と比べ、総じて句風が明るい。無邪気、と言ってさえいい。

  淡路小國夏川の碩荒れ           昭和二十九年
  渦潮を見に行く舟も錨揚ぐ         同
  渦潮の怖さ立ち上がりて怺(こら)ふ     同
  渦潮の中百疊を敷く平           同
  渦潮を出て潮筋に乗りゆくのみ       同

詞書「淡路行」。昭和二十九年十一月、誓子は橋本多佳子、美代子らと淡路を旅行する。後記に、「すこしまとまつて作が出来た。健康になり、「俳句の眼」が据わつて来たのか」とある。

確かに膨大な群作であり、「渦潮」だけで十五句、全体でおよそ五十句が並ぶ。
ちなみに誓子は秋桜子とともに連作の理論的実践者として知られるが、彼によれば連作は、


  1. 「個」の俳句の創作過程

  2. 「個」の俳句の構成過程

の二段階を経ていなくてはいけない(「「連作俳句は如何にして作らるゝか」『かつらぎ』昭和七年十月)。


また「連作俳句は感情のシムフオニイである」「相互に感情が交流しあはない句は連作俳句ではない」(「詩人の視線」『ホトトギス』昭和八年四月)とも言う。


この定義に「淡路行」を照らして見ると、乗船から渦潮を見た感動、帰港まで時系列上に並べられているが、句相互の「感情の交流」は見えにくい。
むしろ「渦潮」という題に対して作られた群作という観がある。

さらに二句目「錨揚ぐ」は情景描写にすぎないし、三句目「渦潮の怖さ」も、渦潮に対する感情の素直な露出が見られるばかりで、誓子の手応えに比して、決して巧い俳句とは思えない。
しかし同年には次のような句もある。

  飲み干して冷やしラムネが身についたと  昭和二十九年
  秋晴よ犬は股間を毛に包み        同
  鰯雲日本に死すること辭せず       同


これらの句は「写生構成」「知的構成」というよりも、作者の発見を核に季語を配した、「取り合わせ」の技法が表に出ている。もっともその後「取り合わせ」が主流となるということではなく、


  闇に焚火いかなる處何の爲        昭和二十九年
  交み斑猫忽ち別の行動へ         昭和三十年
  身を扁(ひらた)くし青蜥蜴吾に媚ぶ    同
  足先で授乳喜ぶ緑世界          同


という作者の主観的把握がわかりやすい句風が続くのだが、この時期誓子が作風を模索していたのは確かである。
ちなみに「足先で」の句は「航」の詞書があり、義弟、山彦の長男、幼い末永航を詠んだ句である。航は私の伯父に当たる。

この前年、主宰誌『天狼』は創刊五年大会を開き(昭和二十八年十一月)、自身は句集『和服』をまとめ(昭和三十年一月)、その流れの中で山本健吉、中村草田男ら反・天狼派との「根源俳句」をめぐる論争が華やかに展開していた。その渦中にあって誓子は

  向日葵立つ方位未確の山の上       昭和二十九年

という句境だった。しかし誓子は、昭和三十年十二月の土佐旅行を経験することで「未確の方位に進むべき方位を見出した」という(「句による自伝」)。
その「方位」とは、

  この床几吾も休めど遍路のもの      昭和三十年 
  海道を暮れて歩ける遍路ひとり      同


といった句境であった。(「土佐行」)。

これらは作者の主体的な把握は明確だが、伊勢時代の作品のような特殊な感情の露出はない。また素材はかつて誓子が好んだような新素材ではなく旅行先で発見されるものであり、先述した「群作」志向も続いている。誓子は完全に転機を迎えた、といってよい。

以上、『構橋』の句作を中心に、誓子俳句の変化を見た。誓子自身はこの変化を肯定的に捉えていたようだが、戦前の誓子俳句を期待すると肩透かしをくうのは確かだろう。この「方位」は、続く句集『方位』の題名として引き継がれ、後記誓子俳句が本格的に始動する。
『方位』以下の句に関しては、いずれ別稿を期したい。


2010年8月19日木曜日

古典?


古典俳句を代表する俳人で、文化功労者の森澄雄さんが、18日朝、肺炎のため、東京都内の病院で亡くなりました。91歳でした。

古典俳句の森澄雄さん死去 NHKニュース

「古典俳句」ってなんだ?

→参照google検索「古典俳句」:
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E5%8F%A4%E5%85%B8%E4%BF%B3%E5%8F%A5&aq=f&aqi=g1&aql=&oq=&gs_rfai=


ご無沙汰しております。
八月冒頭にいろいろどたばたしすぎたせいで、かなりぼうっとしておりました。無為無為。

取り急ぎ先回も告知しましたが、「週刊俳句」に文章載せてもらっています。

『俳句界』2010年8月号を読む 久留島元

先に舞台裏を明かしておくと、拙稿は私の自発投稿というわけではない。「週刊俳句」発行人のひとりであるY君から「“俳誌を読む”のコーナーで書いてみませんか?」という依頼があったのである。
雑誌の指定はなかったのだが、書店に行ったらちょうど『俳句界』8月号が前日に発刊されていたのでそれにした。角川『俳句』は大学図書館で継続購入されているのでよく読んでいるが、『俳句界』は大型書店に入ったときにしか手に取ることもないので、この際だからじっくり読んでみようと思ったのである。
そう思って読み終えた結果が拙稿なのだが、読み直してみると随分腐して書いてあるようにみえる。投稿する前にもちょっと躊躇ったのだが、実際私にとっては「違和感の多い」誌面だったのだし、べつに書評は褒めるばかりが能でもないと思いなおしてそのまま提出した。あとから考えてみれば「週刊俳句」常連には私などよりよほど筆鋒鋭い論者が多いので、あれくらいなら全然許容範囲だと思う。(一応褒めるところは褒めたし。)

ただ総合誌の問題意識がこのあたりだと、改めて俳句ジャーナリズムの不振が思われる。
上の拙稿では触れられなかったけれど人気の秘密を探る!波郷、龍太、楸邨」(P.125~)という記事もなかなかに「?」な記事であった。
この記事は「本誌2009年12月号「昭和俳句の巨星」で行った人気投票で、それぞれ2位、3位、4位に輝いた。あまたいる人気俳人、実力俳人の中で、なぜ今、彼らが支持され愛されるのか。その人気の秘密を詩人、歌人、俳人それぞれに探っていただいた」というもの。
それぞれ、波郷を井川博年氏(詩人)、龍太を井上康明氏(俳人)、楸邨を岡井隆氏(歌人)が担当している。 井川氏の波郷評は波郷のもつ青春性と、波郷に憧れて文学を志した自身の思い出とが完結に綴られていて短いながら読ませる文章だが、一方、井上氏の

晩年近い龍太の文言は、単なる技術論や俳句の骨法からはなれ、本質的な俳人の姿勢や作句の神髄を語るようになる。……今、このように俳句について虚心に語る格調あることばが求められているのではないか。
などという「品格」論は正直、辟易する。
龍太が読まれている理由、「人気の秘密」の一端はもしかすると確かに文章も含めた「品格」にあるかもしれないが、それをそのまま受け取って秘伝めかした「本質」「神髄」など芸道用語で絶対視してしまっては、それこそ龍太の本質なんて絶対に見えてはこない。

岡井隆氏の文章には別の意味で考えさせられた。

虚子に対する秋櫻子。その秋桜子門下の楸邨。そして楸邨の育てたたくさんの人材。/わたしは、秋櫻子に対する藤田湘子まで含めて、かういつた人間模様がおもしろいし、これらの人間関係の深さは、他のジャンルにはない俳句(短歌も同様であるが)独特のものだと思つてゐる。そして、そのことが楸邨(だけではないが)の作品とふかく絡み合つてゐるのを感ずる。俳句は、言葉の芸だけではない。人間と人間の関係が、とくに結社とか俳壇とかいつた集合体を背にして、動いてゐる人間の事業、人間の行為として、作品がある。さういつた観点からみると、楸邨はいよいよ深みを増す。
作品の読みに、積極的に外部情報を取り込んでいこうという立場である。
むしろ俳句は匿名の句会を背景とする「言葉の芸」であり、また一方では結社俳壇を離れた句集になっても読まれる価値がある、と考える私としては、まったく相容れない考えである。
必然的に入ってくる外部情報(作者名や句歴)はともかく、どちらかというとドラマチックに仮構された外部情報(ex.秋桜子『高浜虚子』)までも作品鑑賞に取り入れてしまう、それは個人的な楽しみ方のひとつとしてはありうるとしても、一般的な読みの方法としては斥けられるべきではにないか。

たとえばこうした作家単位の「人気」を探るとき、作家の人物的な魅力をみるのか、作品ごしにみえる作家の魅力をみるのか、で方向性はまったく変わる。
高柳克弘氏をはじめとする若い論客が提唱する「作品本位の鑑賞」という問題意識は、俳句ジャーナリズムの本道ではあまり真剣に論じられていない印象をうける。そのことが総合誌の記事にもあらわれているといえる。

先に、「豈weekly」終刊に際してもすこしかんがえたことがあるが、短期間での批評の積み重ね、問題意識の共有にはネット媒体は圧倒的な優位を有する。(*)
誰かの発した問題意識にとっさに応えられる即時性、ネット環境さえあれば誰でもどこでも簡単にアクセスできる利便性や、コストや制限を考えず自由に使える誌面、コピー&貼付で引用には正確性が期され、またバックナンバーも簡単に閲覧可能、など。
紙媒体の総合誌はそれに比べると、限られた誌面には、つねに新規読者開拓のページを用意せねばならず、一冊を出す手間と労力はネットの比ではない。問題意識の共有、積み重ねは大変難しい。
しかし、一方で継続した問題意識は紙媒体のほうが有利な点もある。
国会図書館に行けば過去数十年の蓄積が残っており、またこれからも(予算のある限り)残り続ける(はず)。その有利を武器に、なんとか総合誌には、根本的な問題提起、根本的な議論、を期待していきたいものだ。



* 関係ないけれど、先日突如勃発した「おっぱい俳句」事件などは、まさにネット…というよりツイッターならではの事件だったと思われる。紙媒体ではありえないし、のちに説明することもできないと思われる、まさにライブ感覚の悪ノリ。踊る阿呆に見る阿呆、で、傍観者の私にはイマイチよくわからないが、ツイッターにはこのような参加者全員の共犯意識/一体感がある。たぶんこのライブ感は即興句会、それも三次会あたりの飲み屋でやる袋廻しに近いものであり、とても俳句的、といって悪ければ俳諧的。
しかして、それが文字として残り公開されるというあたりに、私などは違和感を禁じ得ないわけで、イマイチ参加する気にはならない(ーー;。
不思議な世界である。

参照記事→ B.U.819 【おっぱい俳句合戦】とは(後日補足予定)
 

2010年8月8日日曜日

週刊俳句172号

 
世間は猛暑にやられていますが、
松山では熱い暑い俳句甲子園が盛り上がっています。

残念ながら私は今年も本業の研究会合宿の関係で参加できませんでした。
現地の佐藤文香や山口優夢たちの篤いレポートに期待しましょう。



週刊俳句今週号の「俳誌を読む」に寄稿させていただいています。
今回もおもしろそうな記事が充実。
とりいそぎ、告知まで。
本当は私もこの機会に自分の俳句甲子園体験とかを書いておこうと思ってたのですが、合宿準備でどたばたしてまったく時間が取れず。
旬が過ぎないうちに、書いておきたいですね。
 

2010年8月3日火曜日

つぶやき

 
「ツイッター」を利用するつもりがないので、「つぶやき」たいときはblogを書くしかなく、書くからにはそれなりの文章にしようという色気が出て結局長文になる。
もっとも下書きして意をつくそうとした長文でも誤解を招くのだから、気分のままに「つぶやき」していたら、かなりボロが出るのは間違いない。そんなわけで、考えたことをアウトプットするときは、一応まとめて文章にするようにしている。また、それが性にあってもいる。
これは愛妾、ならぬ相性の問題である。

いや、なにも、ツイッターに文句をつけたいわけではない。

ウラハイ = 裏「週刊俳句」: 【裏・真説温泉あんま芸者】句碑はいま注目の新しいメディア さいばら天気


違和感があるのである。

そもそも、ウラハイでさいばら氏が批評めいた長文を投稿されるのが珍しい。まして内容が、ツイッター界隈の話題。ずいぶんと狭い「俳句世間」をお相手されている。

俳句甲子園と句碑。そんなに違和感があるものか?という、違和感である。

俳句甲子園初期に参加していた人間からすると、この種の「野暮ったさ」は、俳句甲子園にはツキモノ、である。
当然ではないか。このイベントは、ポストモダン時代を生き抜く「ゼロ年代俳人」を生む場でも、クールでカッコイイ俳句作家を生む場でもないのだから。

俳句甲子園は、松山市と松山青年会議所がメイン主催者で、文部科学省、文化庁、全国高等学校文化連盟、現代俳句協会、俳人協会、日本伝統俳句協会、の後援による、教育事業なのである。
この週末にも開催される第13回俳句甲子園開催要項を見てみよう。

http://www.haikukoushien.com/pdf/2010kaisai_ver4.pdf

事業目的:全国各地から俳句という文学を介して高校生達が松山に集い、彼らの日本語を操る能力の向上、将来的な日本俳句文学の興隆のみならず、高校生相互の文化的交流、更には大会に関わる異世代との社会的交流を深め、豊かな人間性を育むことを目的とする。

開催趣旨:<俳句甲子園>は俳句を通じ地域間・世代間の交流と若者の文化活動の活性化に必ず寄与するものと考えます。

「俳句甲子園」を誤解してはいけない。「俳句甲子園」は、俳句と高校生との出会いの場を提供するにすぎない。優秀な作家たちが生まれるのは、副産物なのだ。
ぶっちゃけた話、力一杯俳句甲子園を応援してくれている「松山」が「句碑」を作ってくれるなら、それは慶んで「名誉」に思って良いことだし、出身生たちにはそのくらいの「義理」も「恩」もある、と私なら思う。
そのあと、どんな俳句作家に育つかは、個々の力量だし、考え方だ。

句碑を素直に名誉に思える人なら、「句碑第一号です」と思えばいい。
句碑建立を鼻白んでしまう人なら、「生涯一個だけです(照)」と、松山市に恩を売ったつもりで良い。


……ま、優夢や文香の自筆句碑なんて、どーかんがえてもネタスポットですけど(笑)。
 

2010年7月29日木曜日

ネット俳句と評論と


すでに旧聞に属するが、
『俳句空間―豈weekly』が100号で終刊

その意義についてはすでに多く言及されており贅言を尽くすまでもないが、高い批評水準を常に意識し多くの若手論客に登場の場を与えたこと、ネットらしく時機を押さえたタイムリーで鋭い批評を毎週アップし続けたこと、「遷子を読む」「俳句九十九折」など俳句史に埋もれた作家・作品の再検討作業など、短期間のうちに充実した業績を残したと言えるだろう。
その成果は『新撰21』『超新撰21』の発刊や、その記念シンポジウムでの討議、さらにそれらで注目された論客たちの紙媒体への進出、等々、すでに誰の目にも明らかである。
多くを学ばせてもらった読者のひとりとしては終刊はさびしいが、タイムリーかつホットな批評空間であった『豈weekly』がマンネリズムに陥る前に終刊という決断を(予定通り?)実行したことは、慶ぶべきであろう。執筆者諸兄、お疲れさまでした。
また執筆者たちの充電がすんだら別の形での復活されることを、切に期待するものである。




それに合わせるかのように、
『週刊俳句 Haiku Weekly』で時評がスタート

これまでもネット上で多くの議論の中心になってきた神野紗希、山口優夢のふたりが交代で執筆する形式らしい。推測だが、俳句史上もっとも若い時評子なのではあるまいか。
最近、身の回りで時評というものの性質について考えざるを得ない機会が増えている。時評欄というのは時機を逃さないことを至上命題とするため議論が熟さず、思わぬところで足払いを食わされることも多いようだ。神野、山口両氏もきっといろんなことに巻き込まれるだろうが、個人的にもよく知っている二人なので、注目していきたい。



神野さん執筆の「時評第3回 桜鯛と蛇」では、具体的な句の鑑賞に基づかない俳句批評の不毛性、批評の不特定性が批判対象になっている。
とりあげられているのは『俳句』2010年8月号の、白濱一羊氏による「俳壇月評」と、白濱氏の言及している「e船団」時評欄におけるわたなべじゅんこ氏の「俳壇」の使用について、など。
批評の対象を曖昧な「俳壇」や、「守旧派」「前衛派」などというカテゴライズによってぼかすことの「気持ち悪さ」は全く同感。これまで拙稿ではそのようなことは避けてきたつもりだが、ブログのように責任のない媒体だと揶揄の表現として使ってしまいかねない。自戒を込めて賛同しておこう。
(逆に言うと、雑誌などで軽々に使うのはブログ並の無責任。)

関連してすこし。
俳句評論を流し読みしていて思うのは、論者と言説の多さに比べ、積み上がっているものがあまりに少ない、ということだ。
正確に数えたわけでもなんでもないのでそれこそ「不特定への批判」になってしまうが、今でも俳句について議論する時には芭蕉の言葉が引かれることが多いように思う。
印象論を続ければ、子規、虚子がこれに次ぎ、別格として山本健吉がいる。近代以来一〇〇年、数え切れない作家が俳句について言及してきたはずで(夏石番矢『「俳句」百年の問い』講談社学術文庫)、現代でもこれらの人選の範囲内で議論している人は多いと思う。
曰く、「わび」「さび」「軽み」、曰く「俳諧は三尺の童子にさせよ」。曰く「写生」、曰く「花鳥諷詠」、曰く「挨拶」。
作品として引かれる場合には他に蕪村、一茶がおり、金子兜太が一茶を贔屓しているのは周知のとおり。兜太の一茶解釈(「荒凡夫」)はまさに兜太流というべきだが、しかし俳句の指針として二〇〇年近く前の作品を引くというのは、あまりに後ろ向きではないだろうか。

積み上げていくものがない、というのは、先行研究をあげない、ということでもある。
作品個々の鑑賞にしても、先行する鑑賞者が何を言っているか、どこに注目しているか、全然構わずに自解ばかり述べるのは先行文献を無視しているというべきだろう。
多くは鑑賞者の不注意や勉強不足というより、紙幅や編集側の都合で先行文献をあげる余裕がないのが現状だろうが、それも含めて先行文献への軽視が感じられる。

だからこそ、同年代の、神野さんや高柳克弘さん、外山一機氏らの評論において、古典でなく現役作家の作品と言説をもとに論理を構築しようという姿勢はとても好感が持てるである。



もうひとつ、批評の積み重ねということについて。
『豈weekly』の特徴で述べたように、ネット批評の特徴は、ネット環境さえあれば誰でも無料でアクセスできるところだ。しかも一ヶ月すると書店から姿を消す紙媒体雑誌とは違って、バックナンバーも手軽にチェックできる。検索機能・コピー&ペースト機能はオマケみたいなものだが、引用参照するには大変便利だ。

ウェブ上のコンテンツについては各人さまざまの見解がありましょうが、アクセスが容易な点のみもってしても、アーカイヴとしての大きな利点を有しています。つまり、私たちは、図書館や書店、自分ん家のとっちらかった書棚に足を運び手を動かすよりも効率的に、例えば「俳句にまつわるさまざまなこと」に触れることができます。

さいばら天気「週刊俳句 Haiku Weekly: 後記+プロフィール169」

しかし一方で、過去の記事をあとから変更できること、サーバーの関係で見えなくなることがあるなど、ウェブ上の情報は案外もろく信頼できないのではないか、とも言われる。現在では国立国会図書館のコピーサービスも充実しており、やはり紙媒体での保存がもっとも安全との意見も根強い。

「―俳句空間―豈weekly」に保存されたアーカイブも、果たして間違いなく存続するかどうかは分からない。それは個人の善意・悪意を越えてインターネットの宿命だろうと思われる。とすれば、古風な方法であるが活字にして残すしかない。

筑紫磐井「―俳句空間―豈weekly: 終刊メッセージ」

他分野は知らず国文学の分野では、論文のPDF版などは比較的普及しはじめているが、ネット上のデータベースやHP上の批評については公的なもの以外は敬遠されているのが現状だろう。ブログやネットマガジンの引用など、まぁめったにお目にかからない。
ネットと活字との優位性云々の議論は、現代メディア論の根本課題でもあり私の手に余るのでご勘弁願いたいが、豊かな言説史のための蓄積が意識されること、これは重要である。



で。神野さんのツイッターで気づいたのですが、「e船団」の時評欄、消えてますね。
しばらくおやすみするとは聞いていたので、それはいいのですが、過去記事の検索もできないのでは、ちょっと困る。会員からこのように公開質問で申し訳ないが、「e船団」バックナンバー記事はなかなか面白いものが多いので、「時評」欄もバックナンバー復活、希望します。
 

2010年7月19日月曜日

きつね~あるいは俳句と他者~

東京へ行くついでがあったので、山口優夢、越智友亮両氏に連絡をとり、東京の若手何人かに会うことにした。
真夏日のなか、優夢氏の呼びかけで江渡華子、生駒大祐氏と合流し、そのあと野口る理、西村麒麟氏まで合流。
その日の内に関西へ帰るつもりだったので最後は慌ただしくなってしまったが、近況報告をかねていろいろ話す。話題はほとんどが俳句関係、合間に二度ほど即興句会をしたり。同世代で同じ趣味について何時間も話すことができるというのは恵まれた時代というべきだろう。
普段、俳句にかんして関西にいる有利を感じることもあるが、東京の人の多さはやっぱり魅力的。普段そういう場所で鍛えられている若手と交流するのはとても刺激になる。
わざわざ時間をとってくれた皆さま、ありがとうございました。江渡さん野口さん、浴衣眼福でした。麒麟さん、ケロッピィ楽しみにしてます。(以上、私信)

いわゆる「俳句甲子園」世代の特徴としてよく、無所属で動いている存在が指摘されるが、実際にまったく無所属で活動を続けている人は少数である。多くは大学のサークルや、先輩の所属する結社に入会して活動している。(*1)
むしろ特徴的なのは、結社に属しながらも結社外のつながりに積極的であること、というべきだろう。
それはまた、句会派ということでもある。句会に積極的に出席し、他の人の眼にさらされることで自分の俳句を作っていこうとする傾向が強い。そもそも「甲子園」がチームによるディベートを前提にしたゲームであり、また複数の審査員による評価を常に意識させる場であった。俳句の入り口自体が句会に親和性が高かったのである。
これは多かれ少なかれ現代の若手に共通する特徴だが(*2)、「甲子園」参加者も単独の俳人に憧れたり、唯一の作句法を信奉したりするよりは、相対的にさまざまな俳句を愛する傾向が強い。「甲子園」参加者の句会好きは、自らと異なる俳句観に積極的に接し、俳句全体を愛したい、「俳句」への偏愛とでもいうべき行動なのかもしれない。

これを俳句における「他者」の問題にからめて論じることもできる。
俳句を作るのは結局は自分なのだし、句会に出ず自分だけで作句するという方法もある。
事実、自分の中で熟成された言葉をつむぐ作家のなかには、一句に見事な緊迫感や迫力を籠められる作家が存在する。
ただ、自分の価値観だけで俳句を作っていくといつか袋小路に陥り、自己模倣に走るしかない。所詮、自分の中にしかないカードはそう多いものではないし、日常を過ごしながら緊迫感ある作品を量産しつづけることのできる作家など、およそ存在しない。

一生に一句畢生の句を生む、芸術主義的志向を求めるならそれでも充分だ。

しかし、俳句を読み詠む行為を楽しみ続けたいと思うとき、自分以外の評価・価値観に接することは重要だ。句会とはそのための場と考えていい。摂るにせよ摂らないにせよ、自分にない方向性を知ること。その刺激が自分のなかから新しい俳句を生む。あるいは、生む可能性がある。(*3)
他者性を意識することこそが、作品を豊かにすることは明白であり、それをよりリアルな形で現出させるのが「句会」であるということは、実体験的に明らかと思う。(*4)

ここで、他者とは何だろうか。
原理的に言って、異なる個体は他者といっていい。たとえ双子であっても思考嗜好を持つことはありえないのだから、他人は永遠に他人である。
一方、高山れおな氏が言及するような意味での「他者」をどう考えればいいか。私は「現代思想の方で盛んに言われるようになった他者概念」(高山)については不勉強でよくわからないが、たとえば、



われわれが真摯な体験として「他者」を意識するのは、「他者」が自分にとって理解可能な存在として立ち現れる瞬間ではない。それはまったく逆に、コミュニケーションの相手との会田に「通約不可能な」(incommensurable)関係が現出する時である。

E.レヴィナスは「他者(性)」の問題を終始提起し続けた有数の思想家であるが、彼にとっての「愛」は通常われわれが思い抱くような、「他者」との完全な融合ではありえない。一見平穏に見える融合的、対称的な愛の関係は「他者」の声を封じ、「他者性」という通約不可能なものを自己同一的な思考の枠内に押さえ込もうとする関係に他ならない。

土田知則「テクストのなかの他者性」(*5)
を参考にするならば、同じ句会で同じ俳句リテラシーに添って同じような句を同じように読む「仲間」は「他者」たりえないかもしれない。究極的に言えば、「俳壇」コミュニティの内部に、「他者」など存在しないのかもしれない。
だが、そうであれば一層、コミュニティの外を意識し、「他者」的な視線を意識すること、「他者」に出会う努力を怠らないこと、は重要になるのではないか。
あまり形而上的にばかり考える必要はあるまい。
同じ句会を同じように続けていくばかりでは句会全体が「同一化」してしまうが、異なるメンバーの句会に出たり、外部からのゲストを招くことは必ず違和感をもたらす。その対立こそ「他者性」であり、「他者性」によって自らの俳句を育てようという行為は、誤っていないと思う。
むしろ、すべての俳句を相対視せざるをえない現代において、自らの俳句を育てるためには「他者」を求めていくことにしか可能性がないとすら思えるのだ。

そのような相対主義に陥っていることが、幸か不幸かはわからないが。


テクストを読むということは、共有的なコンセンサスに達するということではない。通約不可能な異質性、つまりは「他者性」に対して、いかに自らを開くことができるか、それこそが肝腎なのである。
前掲、土田


なぜか東京へ行くと、キツネの俳句をよく作る。東京は確かに稲荷の多い土地ではあるのだが。
きつね来て久遠と啼いて夏の夕


  • *1 まったくの無所属というと、神野紗希、佐藤文香、野口る理、越智友亮らが思いつくが、特例といっていい。甲子園から結社に入った作家としては、すぐに森川大和(いつき組)、藤田亜未(船団)、山口優夢(銀化)、藤田哲史(澤)などを想起する。また東大、早稲田、慶應の俳句サークルは甲子園世代も含めて多くの若手作家が属している。厳密には結社といいにくいものもあるが、結局、作品の発表媒体や定期的な句会の場を求めると特定のグループに属さざるを得ないのである。
  • *2 外山一機「消費時代の詩」『豈』49号
  • *3 坪内稔典『俳句発見』(富士見書房)などを参照されたい。
  • *4 小林恭二『俳句という遊び』『俳句という愉しみ』(岩波新書)、『俳句生活 句会の楽しみ』角川学芸出版、2008.10.31
  • *5 土田知則、青柳悦子、伊藤直哉『現代文学理論 テクスト・読み・世界』(新曜社)