2009年5月28日木曜日

「俳句の未来予想図」 vol.04


今日でようやく休校措置も終了。図書館が使えないと新しいことがなにもできないので困る。それなりに大学図書館が充実した大学にいるという幸せを思う。

さて、誰が読んでいるかもわからないまま、対談「俳句の未来予想図」と、それに対する自分の考えを長々書き連ねてきた。
しかしながら他にもこの対談には注目すべき示唆が詰まっている。
たとえば、つぎのような発言。

高山  ただ、昭和初年生まれからいえば、宇多喜代子さん、安井浩司さん、加藤郁乎さん、坪内稔典さんもいるというふうに、作家としてはいると思うのですが、かたまりはないですね。
高山氏はこのあとも、「例えば、角川俳句賞の選考委員は四人いますが、矢島渚男さんはあの年齢であれだけ業績をお持ちだけど、特集が組まれたことはありますか」「あの世代はもうそういう特集の対象にならないのです」と発言している。

俳句には「世代」でくくれるグループがいる。
一番有名なのは「大正八・九年組」で、すなわち、
  金子兜太、佐藤鬼房、沢木欣一、鈴木六林男、森澄雄、石原八束 …以上、大正8年生まれ。
  飯田龍太、三橋敏雄、草間時彦、津田清子、野沢節子、伊丹三樹彦 …以上、大正9年生まれ。

といった面々。なかでも金子、森、飯田、三橋、は四天王ともいうべき顔ぶれである。
戦後、高柳重信(T12)が編集した「俳句研究」誌などではこの大正八・九年組が大活躍しており、飯島晴子(T10)、波多野爽波(T12)、赤尾兜子(T14)、藤田湘子(T15)なども含めて同世代意識を保って活動していることが伺える。

閑話休題。
高山氏の発言には大納得だが、加藤郁乎(S4)ならともかく、矢島渚男、宇多喜代子(S10)、安井浩司(S11)、坪内稔典(S19)は初年生まれとは言い難い。むしろグループからすれば角川春樹(S17)や、摂津幸彦(S22)らに近い。 (*)
昭和初年というと、川崎展宏(S2)、岡本眸(S3)、廣瀬直人(S4)、鷹羽狩行、有馬朗人(S5)、辻田克己、稲畑汀子(S6)、といった顔ぶれを挙げるべきで、負けず劣らずバラエティに富んでいる。先日亡くなった阿部完市(S3)を送る意味でも、昭和一桁世代俳人の特集は組むべきかも知れない。神野さんがいうとおり「カリスマは周りの人が作り上げていくもの」なのだから、カリスマ不在を歎くばかりではダメなのだ。


続いて、神野さんの発言。
神野  結社出身の人の作品がよく見えないと言うことは、結社にいて自分の作品を矯めるビジョンが見えないということです。では、どこへ行けばいいのかというときに、(略)私の周りの若手は今の権威として角川俳句賞をすごく狙うんです。
神野はほかに、自分も含めて「私たちの世代では結社に入らず、自分の敬愛する俳人と一対一の私淑関係を持つ人が増えています」という。これはだが、文字通り神野さんの周りの若手、の話だろうと思う。
ひとつは「俳句甲子園」の影響があるのだろう。
「俳句甲子園」のゲーム性にはまった高校生たちは、結社にはいることなく俳句の基本的な技法を身につけ(あるいはそう思いこみ)、かつある程度俳人とも面識を得られる。そうなれば、今どき様々な通信手段を使って「私淑関係」を築くことは可能である。
ただし、そのような関係を続行させるのは決して簡単ではない。まず結社に入らないと定期的に句会に参加することができない。俳句を発表する媒体もなくなる。自然、作句の機会も減り、勉強も自ずから独学になるので知識も偏る。
俳句が発表できないと面白くもないので続けるモチベーションを保つのも難しい。
結局、「私淑関係」を継続することができるのは、環境の整った一部の若者、端的に言えば東京近郊でひまのある大学生、に絞られてしまう。

最近「結社離れ」を正面からとりあげる俳句関係メディアが多いが、実際結社に属さず活動している若手が、何人いるのだろうか。
とはいえ「結社離れ」の若手が、中央に限らず存在することも事実だ。実情を知るためには、「結社離れ」と騒ぐよりも、「結社に属さず活躍する若手」特集を組んでくれたほうが面白い気がする。


もうひとつ、高山氏の発言。

高山  雅ではなく俗、その俗もお洒落ないかにも俳諧的な諧謔ではない詠み方がほしい。そういうとき、社会性俳句とか前衛俳句とか、長いこと悪口ばかり言われてきた時代のものに手がかりがあるかもしれない。

高山氏の発言を見ていくと、坪内稔典氏がいう「俳壇の雅化」へのアンチテーゼとして「社会性」を持ち出しているようだ。
しかし「雅/俗」と、「伝統/前衛」は併置できるものだろうか。

このへん、小西甚一あたりから読み直さなくてはいけないので、また次回。


*ちなみに、川名大『現代俳句 上下』(ちくま学芸文庫)「新興俳句」の章の総説には次のように書かれている。
戦後生まれの団塊の世代の中で新興俳句の精神に連なる俳人としては、摂津幸彦や大井恒行を挙げておけば十分だろう。
『現代俳句』には宇多喜代子、角川春樹の項目がなく、また坪内稔典についても昭和六十二年以降の句集が取り上げられていない。小林恭二が同世代の「昭和三十年代俳人」をプロデュースしたのと反対に、川名(S14)は同世代俳人を論じ切れていないと見るべきではないか。「昭和20年世代俳人」論も、書く余地は充分にありそうだ。

 

2009年5月24日日曜日

出た、「ポストモダン」

ウラハイ = 裏「週刊俳句」: 〔ネット拾読〕殿山泰司がやたら心にしみてくる夜

文学理論というツールは使えれば便利なのかもしれず、実際、身近に文学理論に通じる近代文学専攻の院生などもいてたまに教えを請うたりするのだが、使いつけないと泥沼にはまる上、原著をよみこなす知力もないのでおおむね敬遠している。
ただ、話題にのぼったので勢いに乗ってかきつけます。

ポストモダンとは何か。
以下、東浩紀「ポストモダン再考―棲み分ける批評Ⅱ」(朝日文庫『郵便的不安たち#』、2002。初出は『アスティオン』2000年)に拠ります。

東氏は「ポストモダン」と「ポストモダニズム」を別に考える必要がある、という。
まず「ポストモダン」とは、七〇年代アメリカで「文明批評の文脈で使われ始めた言葉」である「六〇年代の先進国で目立ち始めた様々な社会的・文化的変化を総称する、便利な言葉のひとつに過ぎなかった。」
ところが、イギリスの批評家チャールズ・ジェンクス『ポストモダンの建築言語』(七七年)、フランスの哲学者ジャン=フランソワ・リオタール『ポストモダンの条件』(七九年)を契機に、フランスの言語論や現代思想、またアメリカの八〇年代に興ったフェミニズム批評やマイノリティ運動までをまきこんだ「時代精神としてのポストモダニズム」という用語が定着する。

このように、「ポストモダン」や「ポストモダニズム」の意味は歴史的な経緯に照らしてもきわめて曖昧であり、まずそこを整理しないと有効な議論ができない。とりわけ厄介なのが、ジェンクスの美学化とリオタールの思想化という二つの極を抱えることで生じた歪みである。(中略)そこで生まれた新たな思潮は、美学的には七〇年代のハイブリッド化(された消費社会が生み出す芸術様式)を肯定しつつ、思想的には六〇年代のラディカリズム(六八年の哲学)を継承するという、常識的に考えて無理のある二重性を担わされることとなった。

(略)今後は「ポストモダン」は六〇年代から七〇年代にかけての先進国で始まった社会的・文化的・認識論的な変化の総称として、他方で「ポストモダニズム」は、その変化と同時代に有力だったひとつの文化的な潮流の名前として用いられることになる。

六〇年代から七〇年代には、日本を含む先進諸国は大きな社会的・文化的変動を経験した。その変動は、情報化と消費社会化、マイノリティの顕在化と文化のサブカルチャー化、経済のグローバル化と金融化などさまざまな特徴をともない、現在に至るまで私たちの世界を大きく規定している。

このような大きな変化を「ポストモダン」ととらえるのであれば、
実際に過去一〇年間、ポストモダン化は世界的にも日本的にもますます過激に進んでいたのであり、今後も衰える兆しはまったくない。そして他方で、時代精神としてのポストモダニズムははっきりと役割を終えている。

そして、この錯綜の上に、「日本型ポストモダニズム」の流行、があるらしい。

そもそも日本におけるポストモダニズムの流行は、プラザ合意に始まりバブル崩壊に終わる断続的な好況期とほぼ重なっている。この時期の日本は、膨れあがる海外資産と右肩上がりの株価、強い円、低い失業率と高い生産性などの経済的な条件を反映して、(中略)ポストモダニストたちは当時、日本こそが世界で最もポストモダン化され情報化され消費社会化された国家であり、したがって今後は世界中が日本化していくだろうと好んで論じていた。
東浩紀氏のわかりやすい文章でわかったような気になっているだけで、まったくわかっていないことが改めて確認される。
なんとなく「大きな物語の凋落」というのはソ連崩壊やベルリンの壁倒壊、いわゆるマルクス主義神話の凋落をイメージしていたんですが、七〇年代ヴェトナム戦争から始まっていたんですね。

半可通の知識に拠って申し訳ないが、情報化、市場経済化、文化のサブカル化、…といった「ポストモダン的」諸現象は、俳句をとりまく環境としては理解するべきかもしれないが、俳句の読解には直接影響しないように思う。
なんというか、「大きな物語の凋落」というポストモダン的現象が起きるために必要な「大きな物語」が、そもそも「俳句」に存在していたとは思えない。
ありうるとしたら確かに「社会性俳句」崩壊の直後世代、坪内稔典摂津幸彦、それに続くいわゆる「ニューウェイブ世代」=「CMとコピーの構造主義の世代」(*平井照敏)なんでしょうが。
もっと俳句表現史に即して、俳句内部の動きとして考えるほうが有効な気がするなぁ。

本当は近代文学専攻なり、哲学専攻なり、いやただの趣味人でもいいのだけど本当にわかっている人に解説してほしいところ。  

※5/25、誤植訂正。


http://www.kakimori.jp/2009/05/post_78.php

 

柿衞忌のご案内【6月7日(日)】
当文庫の創設者である亡き岡田柿衞翁をしのびつつ、その翁の業績を永く顕彰するために設けられた「柿衞賞」(かきもりしょうー40歳未満の新進俳文学研究者への奨励賞)。第18回目となる本年は、該当者が選出されないという残念な結果になりました。そこで今回は、近年の受賞者3名に、柿衞文庫の資料にもとづいて、最近の研究成果をわかりやすくお話いただきます。俳文学研究の最前線を知るよい機会となると存じますので、ふるってご参加賜りますよう、ご案内申し上げます。

・日時:6月7日(日) 午後1: 30より(3時半終了予定)
・場所:柿衞文庫 講座室・内容(参加・聴講無料)
 ○黙祷―柿衞翁をしのぶ
 ○柿衞賞選考結果の報告
 ○既受賞者のみなさまによるご講演
  「一蝶・其角・芭蕉」 井田太郎氏(第14回受賞)
  「其角・追善のかたち」 根来尚子氏(第16回受賞)
  「俳誌という遺産―昭和新興俳句に関してー」 青木亮人氏(第17回受賞)
なお、当日は山中宗六社中による呈茶がなされます。(呈茶席は午後4時終了予定) また、特別展「酒都伊丹につどうー詩人・俳人・画人たち」も開催中ですので、みなさまお誘い合わせの上、ぜひご来館ください。

俳句イベントのご紹介。 
私は残念ながら6/7は別の学会があって伊丹には行けないので、どなたか行かれる方はあとで内容教えて下さい。
ちなみに青木さんは大学院で私の先輩にあたり、今年三月、博士号を取得された気鋭の俳句研究家。昨年、柿衛賞を受賞されたのですが、近世俳諧でなく近代俳句の研究者が受賞するのはきわめて稀なことだそうで、近世文学会でも話題になったとか。
ずっと正岡子規周辺の明治俳壇を対象に研究されていたのですが、最近では山口誓子など新興俳句にも興味を移されています。たいへん丁寧で堅実な研究をされる方ですし、高校の非常勤もされているので講演は面白いと思います。

お時間のある方は、是非。

2009年5月22日金曜日

http://sendan.kaisya.co.jp/

急告: 新型インフルエンザ感染の拡大により、5月30日~31日の「船団・初夏の集い」は延期させて頂くことになりました。よろしくご理解の程、お願い申し上げます。


………マジか!!
いやぁ、危ないんじゃないかとは、思ってましたけどね。。。
全国から、「伊丹市」住人の先生や、「神戸市東部」の司会がいる大会に集まって、宿泊までするってどうよ、とは思ったけど。。。
京都でも感染者出ましたしね。仕方ないですよね。。。
延期だし。
中止じゃないし。


ちなみに、うちの大学でもついに休校措置がとられました。京都市からの要請だとのこと。
神戸市、大阪市では来週頭から休校措置を解除して通常インフルエンザ対策に切り替える、とは言っていますが。結局、どういう対応がいいのかよくわからん。まぁ若者が集団生活しているのはやっぱり危険な気もしますねぇ。。。

  

2009年5月21日木曜日

「俳句の未来予想図」 vol.03


俳句を文化にしてしまってはダメなんじゃないかな。
神野紗希氏―「俳句」P.97

前回、文脈の流れですこし暗く、しかも誤解を生みかねない閉め方をしてしまったので慌てて更新を続けます。


前回、僕は次のように記事を締めくくった。

俳句は、…文学は、もっと、生き残るために騒ぎ立ててもいい頃じゃないか?

すこし捕捉をしたい。

「文学」という言い方、これは、川名大氏が『俳句は文学になりたい』というときの「文学」ではない。
また、正岡子規が「俳句は文学の一部なり。文学は芸術の一部なり」というときの「文学」でも、ない。
今さら僕ごときが言うまでもなく、近代が仮想した「文学」観、「芸術」観は、とっくに崩壊してしまっている。
僕が使う「文学」は、端的に言うといま「国文学」が相手にしている「文学」であり、「言語表現ならばすべて文学」という「文学」である。

だから、僕は神野紗希さんの冒頭の発言に共感する。
俳句は、表現でありたい。
少なくとも「俳句」を、できあがって完成しているもの、と捉えなくない。
できあがって完成していて、ただただ継承し伝えていけばいいもの、と捉えたくない。
おそらく冒頭の発言は、この「俳句の未来予想図」のなかで一番注目され、反応を呼んだ発言だと思うが、…それが文脈を正しく捉えた反応だったかどうかはともかくとして、…だから僕も俳句を言語表現の一類型として「文学」に含むことはあっても、守り伝えていくべき「文化」だとは考えていないのだ。
この「文化」という言葉に関しては、また別に機会があったら書きます。

さて、「俳句を文化にしない」。そのためにどうするか、なのだが、そこからが 「俳句の未来予想図」 参加者と僕とではすこし違う。出発点は一緒だが、ルートもゴールも違う。
これから細かく、参加者の発言を追って違いを指摘していきたい。

橋本  この三十年代の俳人たちのことを学んで、神野さんたちの世代が出てくる。だから、神野さんの世代で俳句を作る人が何人増えるかでもって、俳句の未来が図られる。…また、十年後二十年後には七、八十代は大幅にいなくなります。
まずこれは間違いだろう。なぜなら十年後、二十年後にはたぶん、新しい「七、八十代」が増加するからだ。(いわゆる団塊世代の退職問題) 団塊世代の人数と経験と、それに次代を担ってきた自負から来る強引な馬力は、侮れない気がする。
団塊世代が怖いのは、彼らが教養世代の最終ランナーでもあるからだ。生活と時間に余裕があって、そこそこの文化的素養…古き良き「文学」観である…を持っているオジサン、オバサンが、「文化」にあこがれて「ボケ防止」に「俳句」を「習い」始める。
そういうオジサン、オバサンは「プロ」ではない、とあるいは思うかも知れない。だが、五十代から俳句を始めても、七十代になるまで二十年ある。一家言なすには充分な時間ではないだろうか。そして、その「途中参加」組に、「プロ」以上に面白い人がいることも多い。

たとえば、僕が俳句を始めたころからお世話になっている「船団」会員の 須山つとむさん は1940年生まれで(今、略歴を見て驚いた。)、句作を始めたのは93年からという。
須山さんはジェントルマンである。陶器や美術がお好きで、しかも世界を股にかける登山家でもある。そんな須山さんの視点はひろく、そして誠実である。
 冬銀河ゴビの駱駝の今頃は
 パウル・クレーの絵皿の旅へ十一月
 賢治のように下着をたたむ冬銀河
 仁王像の乳首大粒秋曇句集

『ダリの椅子』(青磁社、2004)より。

おもしろい俳句が、年齢的に「若い人」「次の世代」から生まれるとは、限らない。
しかし、須山さんのように魅力的な七十代が多いかと言われれば、それは違うだろうとも思う。
だから二十年たってもやはり、神野さんの世代がリードできているかどうか、はよくわからない。

続いて次のような発言。
対馬  私などは逆に、こういう時代だからこそ、求心力を求めているというか、テーマ性を求めてくるのではないかという気はするんです。
高山 (前略)個人的には(テーマ主義が)来てますね。今度はテーマ主義で行こうというのは自分としてはあります。
ここも、違和感。高山氏は「前の時代を乗り越える際に参考になるのは、前の前の時代です」とも言う。
しかし、「俳壇」に、主義主張や論争や対立軸がなくなってしまったのは、なにも今日昨日ではない。僕自身が繰り返し繰り返し言ってきたように、昭和三十年代俳人が見ていた「開拓すべき土地がない」光景の延長線上に、まだ僕らは立っている。
僕らが見直すべきなのは、前の前の世代、たった五十年かそこら、でいいのだろうか。
vol.01で僕は、自分自身の足下を見直すためには子規まで遡って見ていく必要がある、ということに触れた(つもりだった)。
「現代俳句」に残された遺産は、あまりにも豊富である。「現代俳句」の百数十年の歴史は、実にいろいろな方向の俳句を生み出してきた。
その、すべてがフラットな状態で僕らの目の前にある。
対立軸のない「凪」の状態というのは、逆に考えればとても贅沢な環境だ。
「みんな違って、みんないい、みたいに相対化しちゃうと何もでない」(神野氏)ことも事実であるが、今の時代にみんながひとつの答を出せるわけでもない。肝心なのは、自分の拠って立つものを意識すること、ではないだろうか。

僕の中での当面の課題は、「いろいろ試す」ことである。
どこまでできるかはわからない。しかし、「現代俳句」が、今の形になるまでに選択してこなかったもの、切り捨ててきたもの、を再検討し、自身で少しずつ試してみたいと思っている。


参照HP
筑紫磐井氏「感想風に(俳句1月号「俳句の未来予想図」を読んで/作品番号20)」
 → http://haiku-space-ani.blogspot.com/2009/01/blog-post_5758.html
佐藤文香氏「BU:819的ジヒョー![俳句の未来編]」 
 → http://819blog.blog92.fc2.com/blog-entry-85.html
五十嵐秀彦氏「『俳句』2009年1月号を読む」 
 → http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/01/20091-p71-08-weekly-1p134-55-t.html


2009年5月20日水曜日

「俳句の未来予想図」 vol.02

 
だから、昭和三十年代の人の俳句を読んだとき、すごく明るいなという感じがあります(笑)

神野紗希氏「俳句」P.79

引き続き、「俳句の未来予想図」にこだわっていきたい。

高山れおな氏は小川軽舟氏『現代俳句の海図』に取り上げられた、「昭和三十年代俳人」たちを概括し、俳句に「表現すべき主題」が失われた時代に「一種の俳句原形主義というか、俳句純粋主義」に拠った俳人とし、日本経済が一番景気の良い時代の余裕を背景にしており、現代が直面する「苦しみ」「暗さ」がないことを指摘する。

そこに、冒頭の神野氏の発言が入る。
神野氏は決して、「明るさ」自体を否定的に捉えているわけではないようだが、「新興俳句、社会性俳句に興味がある」とも発言している。

社会性俳句批判もひと段落して、もう一度この世代を見直そうということだろうか。
ただ、このあたりの問題意識は、ほとんど高山氏と神野氏、若手ふたりの応酬だけで成り立っているような感じ。橋本氏、対馬氏らにとって、社会性俳句を担った大正世代は研究対象、再評価の対象というよりも直に接した記憶のほうが深いのだろう。年齢が近いということもあるだろうが、現代俳句の遺産を積極的に見直していこう、という姿勢に、私も共感している。
高山氏は、「昭和三十年代俳人」と銘打ちながら、昭和三十年生まれの夏石番矢氏が入っていないことをかねてより問題視しており、ここでも控えめながら指摘している。

もちろん、神野氏が言うとおり「どの時代のどのムーブメントもその世代をすべて網羅しているわけではなくて、これまでの歴史の中で新しいと思われる点を、それぞれの人がチョイスして、ピックアップしてみせている」のであるから、小川氏が夏石氏を戦略的に切り捨てたとしても、それは小川氏の立場であり、問題はない。
また、そのピックアップに反発する立場があっても、それはそれで俳壇にひさしぶりに対立軸が現れるかもしれなくて、外野としては面白い。

…いま、不用意につかったが「外野」という立場。
俳壇で「公共」がなくなったこと、俳壇全体を巻き込んだ対立軸がなくなったこと。それはつまり、「外野」が増えた、ということでもある。「外野」は、自分に関わることにしか興味がない。
自分にかかわること。つまり、僕の場合でいえば、 今、「昭和三十年代俳人」が何をしてきたか、ではなく、これから僕たちがどんな俳句を作っていけるか、ということのほうに、興味がある。

ところで、まさに世代としても、経歴としても「昭和三十年代俳人」に「入っても良い」はずの対馬康子氏の次のような発言。

こういう世の中になって、ますます混沌としてきた。(略)文芸はそもそも個人の存在みたいなところをみつめるところで存在してると思うのです。だから逆に言えば、この社会がある限り、私たちは俳句を詠める。
これは、小川軽舟氏の「俳句はどこへ行くのか。とりあえずどこにも行かない」発言に、どこか通じている気がする。


話は突然飛ぶが、先日、ちょっとショックなニュースを教えて貰った。雑誌『国文学 解釈と教材研究』(学燈社)廃刊のニュースである。 
 →読売新聞 
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20090518bk17.htm

国文学総合誌としては斯界の二大看板のひとつ。
名もなきペーペーの身では直接影響はあまりないけれど、国文学を学ぶ人間としては、見通しが暗くなる。
大学図書館で立ち読みして、面白そうな記事があるときだけ買う、不実な購買者である僕としてはあまり大きなことは言えないのだけど、それにしても確実に「冬の時代」の寒さを増している実感がある。
だから、たとえば、中古文学会創設四十周年記念講演で、東京大学名誉教授の秋山虔氏がつぎのような言葉でご講演を締めくくった、のを見ると何とも言えない気持ちになる。


さて、いつぞや新聞の文芸時評のなかで、フランスの若い批評家の言である由ですが、「文学が危機に瀕しているといわれるが、文学の重要性を理解できない社会のほうこそ危機に瀕している」という文言が紹介されていました。私たちはいま厳冬の寒風にさらさらていますが、胸を張って堪え、突き抜けることによってやがては春の季節を引き寄せることができるのだという思いでございます。

秋山虔「中古文学研究の今昔」『中古文学』七九号(2007年6月)

船団が主催するシンポジウム「百年後の俳句」に、「百年後も生きているだろうか、俳句は。」という惹句がついているのは、決して大げさではないような気が、している。
俳句は、…文学は、もっと、生き残るために騒ぎ立ててもいい頃じゃないか?

*後記。
・)「e船団」の日刊一句で拙句と当blogとをご紹介いただいたみたいです。ありがとうございます。
「e船団」から来てくださった方、こんにちは。読みにくいですが、お暇なときに眺めてやってください。
・)参考資料を集めようとネットを徘徊していたら、旧友の古いblogに自分が書き込んでいるのを発見。同じようなところをぐるぐるしてるなー、となんともいえない気分になる。
・)東京連中は相変わらず定期的に集まって活動しているようだ。振り返ってみると関西の同世代にもしばらく会ってない。みんなで俳句の話がしたい。

・)…なんか、暗い。文脈の流れで暗くなってしまいました。「未来予想図」なのに。いかんいかん。
次回、もう少し明るく展望できるようにします。
   

2009年5月18日月曜日

「俳句の未来予想図」 vol.01


何百年先の人たちから見ると、われわれは正岡子規派なんですよ、多分。             
橋本榮治氏の発言-「俳句」p.77


これからしばらく、予告どおり『俳句』2009年1月号に掲載された、対談「俳句の未来予想図」を詳細に読んでいく、ということをしたい。

対談では、それぞれの簡単な自己紹介と俳句との出会いが語られたあと、司会の高山れおな氏がいきなり切り出す。

高山 さて、俳句は停滞しているんじゃないかという意見がありますが、皆さん方の現状把握はどんな感じですか。

これに対して、橋本榮治氏は、停滞しているかどうかは「今は断言できない」といい、それは「俳句は内容が変わってきた」からだという。「戦前戦後は多かれ少なかれテーマ主義だったが」、「今は俳壇に一つの方向性を与える大きなテーマはない」。

実は以前、冨田拓也氏とネット上で意見を交換した際にも、ほとんど同じ話題になった。この感触は、橋本氏の独創的な見方ではない。先日挙げた小川軽舟氏の発言もふくめて、おおざっぱに言えば、今、誰もが同じ感触を持っている、といえそうだ。
それを俳壇史的にとらえるか、それともポストモダン的にとらえるかは自由だが、問題は、どう見えるか、ではなく、われわれがナニをするか、である。

高山氏は、現在の俳句表現は大正昭和の余力でなんとか飛んでいる、と言い、それに対して冒頭に掲げた橋本氏の「われわれは正岡子規派」発言が続く。

子規が改革したように、誰かが新たな改革をすれば、また明らかな発展へ進むとおもうのですが、子規派という認識でしたら、余力で飛ぶしかないでしょう。

この発言、いろいろ問題がある。

自分自身の立ち位置として、子規にまでさかのぼって改革の可能性を考える、橋本氏の姿勢には共感したい。
しかし、教科書的な言い回しをすると、正岡子規は前近代の「俳諧」から「発句」を切り離し、文学・芸術の一分野としての「俳句」として確立させた、最大の功労者である。
もし今、「子規のような改革」が行われるとするなら、これまでの「俳句」はまっこうから否定され、別の、まったく新しいsomethingに生まれ変わらなくてはならなくなるだろう。

古代文学の研究者であり、一方で現代俳句のすぐれた批評家でもあった神田秀夫は、「現代俳句小史」(『論稿集五、現代俳句の台座』より。初出昭和32年)のなかで、子規のつぎのような特色に言及する。

ひとつは、俳諧連歌の発句(第一句)を、附句一切から切り離し、「連句」を文学ではない、と全否定したこと。

もうひとつは、前近代の和歌俳諧に対して、誰のいつどういう時代環境状況で作った作品か、といったことを無視し、すべて輪切り同列に巧拙を論じたこと。それどころか「絵画も彫刻も音楽も演劇も詩歌小説も皆同一の標準を持って論評」(『俳諧大要』)できる、と考えたこと。

つまり、子規が凄いのは、……それがどの程度成功したかはともかく、……「俳句」を、「俳諧」の伝統を引きつつ、まったく切り離された新しい文学の一種だ、と位置付けた点にある。 文学としての「俳句」を成り立たせたのが、「写生」という「作者を読者にひらく工夫」坪内稔典『俳句発見』、初出平成13年) だったのである。
おそらく、この根本的な技法について、つまり「作者を読者にひらく工夫」を経ずに、「俳句」を現代に活かすことはとても難しい。
しかしそれは、根本的な意味において、「子規」を肯定していることになる。

本題に帰る。
我々に課された問題は、それほど影響力のある「改革」を、この時代に行うことができるかどうか、であり、またどうやって行うか、である。
子規のような無謀……当時子規は「俳諧を知らざる書生」とまでののしられた……によって無視するにはあまりにも大きい恩恵を、我々は近代俳句史から享受してしまっている。
ただ、改めて確認すれば、子規を含めて、これまでの俳句法を見直すべき時期にきている、……それがたとえ結果的に子規を肯定することになっても、一度立ち止まって見直すべき時期にきている、とは、いえるのではないか。

※ この稿、まだまだ続く。 
※ 後日、改行など変更
  

2009年5月17日日曜日

「俳句の未来予想図」

 
 
『俳句』2009年1月号に掲載された、橋本榮治氏、対馬康子氏、高山れおな氏、神野紗希氏の四名の対談「次代の俳句の潮流を探る――俳句の未来予想図」。
すでに多方面から議論の的となっていますが、つまりそれだけ興味深い内容だった、といえそう。
船団のイベント「百年後の俳句」と、奇しくも(?)パネラーの一人がかぶっていることもあり、予習がてら再読していました。
おそらく当日のシンポジウムはまったく違う展開になるはずで、そういう予想や補助線を引きつつ、この対談のことを考えてみたい。

と思っていたのですが、研究会が続いたので予告だけ。
本編は今週中に、できるだけ書きます。

今はそれより新型インフルエンザが大変。小生の住んでいる地区はまさに渦中。
小生ものんきに京阪奈往復 していていいものかどうか、すこし様子見。もっとも、お休みになったほうが家でいろいろ作業できるかもしれない。

※5/17投稿。 5/18、すこし表現を改めました。
 

2009年5月14日木曜日

「文藝」48-2号(2009年夏)

穂村弘特集こと「青春ゾンビあるいは恋愛幽霊によるコトバ入門」です。

以前から面白いとの噂はお聞きしていたが、実際図書館で読んでみてこれは面白いと納得しました。
調べてないので憶測ですが、たぶん「文藝」が俳人をこんなふうにフューチャーすることはない、と思う。 俳人をフューチャーしても、たぶんここまで面白くはならない、ような気がしますね。

なかでも圧巻は、谷川俊太郎×穂村弘、の対談。専門論文よりマジメに読んだのではないだろうか(ヲイ)。
まず、谷川ファンでもある穂村氏が、現代詩のなかで例外的に谷川さんだけが読まれているのはなぜでしょう、と訊いたときの答えが秀逸です。
金目当てだったところじゃないかな(笑)。ウケなきゃ喰えなかったわけだから。

いいなぁ、この割り切り方。
他にもどんどん谷川語録。

詩にはメッセージはない、というのが基本的な立場ですね。
だから僕は、「ある美しいひとかたまりの日本語をそこに存在させたいだけ」

僕は本当に伝えたいことを正確に伝えようと思ったら散文で書きます。

だって言葉とはいくらでも戯れることができるわけだから。それできれいなものをいっぱい作れるなんてすばらしいことじゃないですか。

(「谷川さんは自分のコトバがストックとして残ることを夢見ないんですか?」という質問に)
見ないです。
こうした考えの基層にあるらしいのが、つぎの言葉。
「欠乏から書き始める作家と充足から書き始める作家と、二種類ある」…自分は明らかに充足から書き始めている。

充足した自分のなかからは、伝えたいメッセージとか、書きたいものがあふれ出る、ということがない。しかしだからこそ、「自分が空っぽになって巫女的に言葉を発する」ことができる。
昨日触れた、大正・昭和初期世代俳人たちの「人生」に対して、六十余年の平和を享受してきた我々が立ち向かうヒントは、このあたりに隠されているような気がします。

他にも、穂村氏が最近よく発言する、詩のふたつの要素「共感(シンパシー)」「驚異(ワンダー)」について、ここでも言及しています。
曰く、一般読者や世間では圧倒的に「シンパシー重視」。
 でも、詩歌の第一義的な働きは「ワンダー」だと思いたい。

このあたりはすごく興味深い。

話は飛びますが、最近、中高生の読書傾向の話を聞く機会がありました。
そうすると面白いのが、テーマがはっきりしたもの、がスキなんだそうです。
 テーマがはっきりした、ベストセラーが好きなんですね。(出口のない海とか、ケータイ小説とか)
 テーマがはっきりしていると、多少難しくても読める。(高瀬舟とか、山月記とか)
 テーマがなかったり、ちょっとひねったものは、「わからない」。
こーゆー話は、「シンパシー」と「ワンダー」というキーワードを使うと、読み解ける気がします。


高柳重信がすでに指摘していることですが、俳人は同時代の詩歌の動向に無頓着だといわれます。
実は、4Sとかそれ以前の世代はそうでもなかったようですが、確かに自分自身、短歌や現代詩を読むことはまったく、ない。
そーゆー私が言うのもなんですが、今回の「文藝」は、いろんなことに、ヒントをいただけた気がします。
 

2009年5月13日水曜日

<重信>以後

実は、このタイトルで小文を書きました。 (→「船団」バックナンバー目次へ http://sendan.kaisya.co.jp/sendan80.html

これは昨年、「船団」で高柳重信特集をするというので書かせてもらったもの。
内容についてざっくりまとめてしまうと、

今の「俳壇」は「五十句競作」で重信編集長のお眼鏡にかなって見いだされた人が少なからず力を持っているのであって、つまり<重信>以後に生きる我々は重信の挑戦を無視して俳句を作ることができない。
そのあと諸事情により発刊が遅れたので、入稿後に掲載された冨田拓也さんの「俳句九十九折」や、そのほか資料を交えて改稿して、重信の挑戦とは何だったのかとか、それなりに考えて書いたのですが、基本的には上のようなことを書きました。それが、昨年の秋。

今年になって「高柳重信読本」が出て、更に角川「俳句」5月号で「重信を読む」特集が組まれました。
自分が勝手に思っているだけだと思ったら、神野沙希さんの一連の活躍(主に今年の正月前後の)や、冨田さんの文章を読んで共感し、最近もっと上の世代まで含めて同じ問題を抱えていることに気づいたのですけれど。
このたび「重信を読む」特集の掉尾を飾った佐藤文香さんの文章「さよなら、重信」を読
んでいて、まったく同じ「重信以後」という語が出てきたので、すこし驚きました。
同世代(佐藤は学年は一つ下だが同じ85年生)で同じ問題意識を共有できているというのは、嬉しい驚き。
つまり我々には、否が応でも<重信>とその仲間たちの遺産を、どう評価し、どう受容するか、という課題が課されているわけです。

いわゆる「新興俳句」や「現代俳句」と呼ばれた俳人たち、つまり大正以前までの俳人たちの活躍と、それに続く昭和初期生まれの俳人たちの活躍で、俳句の裾野は一気に広がった。
ちょっと神経病的な内容から、逆に日常的に些末な内容まで、あるいはナンセンス、ギャグ、ファンタジックな内容に至るまで、俳句が扱う対象は、格段に、無節操といっていいくらい広がった。
だからこそ、それ以後の世代は、新たな開拓場所を見失ってしまった。
小川軽舟さんですら、そう言っている。
ところが昭和三十年世代には、皆で競って開拓できるような目に見えるフロンティアが残されていなかった。表現のフロンティアを求める近代俳句のさまざまな運動は、昭和三十年世代の登場までに、それぞれの使命を終えてしまっていた。

昭和三十年世代にとっては、金子兜太も高柳重信も攝津幸彦も、すでに古典であった。

小川軽舟『現代俳句の海図 昭和三十年世代俳人たちの行方』

「昭和三十年世代」にとってすら、そうなのである。
それよりも更に三十年も遅れた我々は、どうすればいいのだろう?


新しい時代に進むには、前の時代に終止符を打たなくてはいけない。
新しい行に改行するには、前の行にピリオドを打たなくてはいけない。

ピリオドを打つ、というのは、前の時代を否定することでもなければ、前の時代を忘れることでもない。
その成果をきちんと評価して、受け止めて、消化して、次を作っていくということです。
たとえば、その文脈のなかで、「ハイブリッド理論」を置くことも可能なはず。

→ 冨田拓也、「俳句九十九折(4)」http://haiku-space-ani.blogspot.com/2008/09/blog-post_4573.html
→ 同「俳句九十九折(5)」http://haiku-space-ani.blogspot.com/2008/09/blog-post_242.html
→ 塩見恵介、「日刊 この一句」http://sendan.kaisya.co.jp/ikkub09_0501.html

2009年5月12日火曜日

http://sendan.kaisya.co.jp/shoka09.html

◆対談とシンポジウム  於・佛教大学四条センター (13時~17時30分)
  ◇対談―女うた・男うた (13:00~14:20)
道浦母都子(歌人)×坪内稔典(俳人)
『女うた・男うた』(平凡社ライブラリー)の2人の著者が、
再び俳句と短歌、そして言葉について語り合う。

◇シンポジウム―百年後の俳句 (14時30分~17時)
  俳句の若い世代が論じ合う俳句の現在と未来。
百年後も生きているだろうか、俳句は。
☆高山れおな (1968年生まれ。句集『荒東雑詩』)
☆高柳 克弘 (1980年生まれ。評論集『凛然たる青春』)
☆三宅やよい (1955年生まれ。句集『駱駝のあくび』)
☆塩見 恵介 (1971年生まれ。句集『泉こぽ』)

「俳句」という文藝の立ち位置について

能や狂言の魅力というのは、現代ではもっぱら見て楽しむ演劇としてのそれが中心になっ
ているが、つい最近までは、自分で演じて楽しむという楽しみ方がむしろ主流であった。

竹本幹夫「能・狂言の歴史と文学としての魅力」『中世文学の回廊』(勉誠出版、2008)

上のことばは「俳句」という文藝の立ち位置についていろいろ示唆を与えてくれる。
文藝の受容者が、同時に実作者でもありうる、という状況は、この国の文藝を考える上ではある意味で当たり前のことだったのかもしれない。

「俳句」にとって、「純粋な読者」という層が存在しない、あるいは存在しても極めて少数らしいことは、すでに多くの方々の指摘がある。この問題にたいして、
・そのことを問題視する立場(そして「純粋な読者」層を広げようとする立場)
・そのことを問題視しない立場(実作者でなければ俳句は読めない、現状肯定の立場)
のふたつの立場がありうる。
前者の立場は俳句に現代文学としての立ち位置を求めようとする立場だろう。
後者は伝統文化としての俳句に根拠を求める立場かと思われる。
ここでひとつ問題になるのは、俳句の隣人ともいうべき短歌の立ち位置。
現代の社会ではどう見たって短歌よりも俳句のほうが、実作人口は圧倒的に多いはずで、それは大型書店などの詩歌コーナーで俳句関連本と短歌関連本とを比較してみると明らかに俳句関連本のほうが多いことでも明らかである(そのほとんどが実作手引)。
それでもなお、なぜか俳句が短歌に劣等感を感じるのは、短歌界にはたとえば俵万智や穂村弘といった「実作者以外」にも名の知れた人がおおい(ように見える)のに対して、俳句の世界にはそういう「著名人」がいない、まさに「純粋な読者」を獲得できる人材の不足、があるゆえだろう。
考えてみてほしい。
まず間違いなくいえることだが、すこし文藝に興味のある二十代半ば以降の人間で、俵万智や穂村弘を知らない人は少ないはずだ。そう断言していいくらい「サラダ記念日」は売れたし、穂村弘も売れている。
それは果たして、17音と三十一文字の違いなのか、どうか。
少なくとも、黛まどかをアイドルとして敬遠したりしている場合ではない、ということは、肝に銘じておくべきだ。
 

2009年5月11日月曜日

作ってみました。



数年間、勧められたり勧められなかったりし続けていたblog、作ってみました。
時間のあるときに、追々、更新する、つもりで作っています。

俳句にまつわるあれこれとか、主に遠隔地の方々との交渉の場にするつもり。
内容に興味のないひとにとって、あるいは内容に興味のある人にとってすら、
読みづらい、長文ばかり投稿するつもりで満々です。あしからず。