2009年5月14日木曜日

「文藝」48-2号(2009年夏)

穂村弘特集こと「青春ゾンビあるいは恋愛幽霊によるコトバ入門」です。

以前から面白いとの噂はお聞きしていたが、実際図書館で読んでみてこれは面白いと納得しました。
調べてないので憶測ですが、たぶん「文藝」が俳人をこんなふうにフューチャーすることはない、と思う。 俳人をフューチャーしても、たぶんここまで面白くはならない、ような気がしますね。

なかでも圧巻は、谷川俊太郎×穂村弘、の対談。専門論文よりマジメに読んだのではないだろうか(ヲイ)。
まず、谷川ファンでもある穂村氏が、現代詩のなかで例外的に谷川さんだけが読まれているのはなぜでしょう、と訊いたときの答えが秀逸です。
金目当てだったところじゃないかな(笑)。ウケなきゃ喰えなかったわけだから。

いいなぁ、この割り切り方。
他にもどんどん谷川語録。

詩にはメッセージはない、というのが基本的な立場ですね。
だから僕は、「ある美しいひとかたまりの日本語をそこに存在させたいだけ」

僕は本当に伝えたいことを正確に伝えようと思ったら散文で書きます。

だって言葉とはいくらでも戯れることができるわけだから。それできれいなものをいっぱい作れるなんてすばらしいことじゃないですか。

(「谷川さんは自分のコトバがストックとして残ることを夢見ないんですか?」という質問に)
見ないです。
こうした考えの基層にあるらしいのが、つぎの言葉。
「欠乏から書き始める作家と充足から書き始める作家と、二種類ある」…自分は明らかに充足から書き始めている。

充足した自分のなかからは、伝えたいメッセージとか、書きたいものがあふれ出る、ということがない。しかしだからこそ、「自分が空っぽになって巫女的に言葉を発する」ことができる。
昨日触れた、大正・昭和初期世代俳人たちの「人生」に対して、六十余年の平和を享受してきた我々が立ち向かうヒントは、このあたりに隠されているような気がします。

他にも、穂村氏が最近よく発言する、詩のふたつの要素「共感(シンパシー)」「驚異(ワンダー)」について、ここでも言及しています。
曰く、一般読者や世間では圧倒的に「シンパシー重視」。
 でも、詩歌の第一義的な働きは「ワンダー」だと思いたい。

このあたりはすごく興味深い。

話は飛びますが、最近、中高生の読書傾向の話を聞く機会がありました。
そうすると面白いのが、テーマがはっきりしたもの、がスキなんだそうです。
 テーマがはっきりした、ベストセラーが好きなんですね。(出口のない海とか、ケータイ小説とか)
 テーマがはっきりしていると、多少難しくても読める。(高瀬舟とか、山月記とか)
 テーマがなかったり、ちょっとひねったものは、「わからない」。
こーゆー話は、「シンパシー」と「ワンダー」というキーワードを使うと、読み解ける気がします。


高柳重信がすでに指摘していることですが、俳人は同時代の詩歌の動向に無頓着だといわれます。
実は、4Sとかそれ以前の世代はそうでもなかったようですが、確かに自分自身、短歌や現代詩を読むことはまったく、ない。
そーゆー私が言うのもなんですが、今回の「文藝」は、いろんなことに、ヒントをいただけた気がします。
 

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