2009年5月18日月曜日

「俳句の未来予想図」 vol.01


何百年先の人たちから見ると、われわれは正岡子規派なんですよ、多分。             
橋本榮治氏の発言-「俳句」p.77


これからしばらく、予告どおり『俳句』2009年1月号に掲載された、対談「俳句の未来予想図」を詳細に読んでいく、ということをしたい。

対談では、それぞれの簡単な自己紹介と俳句との出会いが語られたあと、司会の高山れおな氏がいきなり切り出す。

高山 さて、俳句は停滞しているんじゃないかという意見がありますが、皆さん方の現状把握はどんな感じですか。

これに対して、橋本榮治氏は、停滞しているかどうかは「今は断言できない」といい、それは「俳句は内容が変わってきた」からだという。「戦前戦後は多かれ少なかれテーマ主義だったが」、「今は俳壇に一つの方向性を与える大きなテーマはない」。

実は以前、冨田拓也氏とネット上で意見を交換した際にも、ほとんど同じ話題になった。この感触は、橋本氏の独創的な見方ではない。先日挙げた小川軽舟氏の発言もふくめて、おおざっぱに言えば、今、誰もが同じ感触を持っている、といえそうだ。
それを俳壇史的にとらえるか、それともポストモダン的にとらえるかは自由だが、問題は、どう見えるか、ではなく、われわれがナニをするか、である。

高山氏は、現在の俳句表現は大正昭和の余力でなんとか飛んでいる、と言い、それに対して冒頭に掲げた橋本氏の「われわれは正岡子規派」発言が続く。

子規が改革したように、誰かが新たな改革をすれば、また明らかな発展へ進むとおもうのですが、子規派という認識でしたら、余力で飛ぶしかないでしょう。

この発言、いろいろ問題がある。

自分自身の立ち位置として、子規にまでさかのぼって改革の可能性を考える、橋本氏の姿勢には共感したい。
しかし、教科書的な言い回しをすると、正岡子規は前近代の「俳諧」から「発句」を切り離し、文学・芸術の一分野としての「俳句」として確立させた、最大の功労者である。
もし今、「子規のような改革」が行われるとするなら、これまでの「俳句」はまっこうから否定され、別の、まったく新しいsomethingに生まれ変わらなくてはならなくなるだろう。

古代文学の研究者であり、一方で現代俳句のすぐれた批評家でもあった神田秀夫は、「現代俳句小史」(『論稿集五、現代俳句の台座』より。初出昭和32年)のなかで、子規のつぎのような特色に言及する。

ひとつは、俳諧連歌の発句(第一句)を、附句一切から切り離し、「連句」を文学ではない、と全否定したこと。

もうひとつは、前近代の和歌俳諧に対して、誰のいつどういう時代環境状況で作った作品か、といったことを無視し、すべて輪切り同列に巧拙を論じたこと。それどころか「絵画も彫刻も音楽も演劇も詩歌小説も皆同一の標準を持って論評」(『俳諧大要』)できる、と考えたこと。

つまり、子規が凄いのは、……それがどの程度成功したかはともかく、……「俳句」を、「俳諧」の伝統を引きつつ、まったく切り離された新しい文学の一種だ、と位置付けた点にある。 文学としての「俳句」を成り立たせたのが、「写生」という「作者を読者にひらく工夫」坪内稔典『俳句発見』、初出平成13年) だったのである。
おそらく、この根本的な技法について、つまり「作者を読者にひらく工夫」を経ずに、「俳句」を現代に活かすことはとても難しい。
しかしそれは、根本的な意味において、「子規」を肯定していることになる。

本題に帰る。
我々に課された問題は、それほど影響力のある「改革」を、この時代に行うことができるかどうか、であり、またどうやって行うか、である。
子規のような無謀……当時子規は「俳諧を知らざる書生」とまでののしられた……によって無視するにはあまりにも大きい恩恵を、我々は近代俳句史から享受してしまっている。
ただ、改めて確認すれば、子規を含めて、これまでの俳句法を見直すべき時期にきている、……それがたとえ結果的に子規を肯定することになっても、一度立ち止まって見直すべき時期にきている、とは、いえるのではないか。

※ この稿、まだまだ続く。 
※ 後日、改行など変更
  

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