2010年6月23日水曜日

備忘録、現代詩手帖


『現代詩手帖』6月号が図書館に入っていたので読む。
もう少し考えをまとめてからと思っていたのですが、ちっともまとまる様子がないのでこのへんでアウトプット。思いつくままダラダラと。



こちらの勉強不足と苦手意識があるせいか、「現代詩」の人の発言はどうもわかりにくいように感じる。
岡井隆×松浦寿輝×小澤實×穂村弘、の座談会でも現代詩寄りの話題になるとついていけない。それでも不案内な現代短歌について、笹井宏之氏の位置付けなどは興味深く読んだ。

たしかにこういう、一見すると既製の「壇」からまったく無関係な存在が話題になる、というのが現代の特徴なのだろう。これまではそういった存在がいても、大なり小なり「壇」と関わりを持たなければ話題になることは難しかった。現在では「壇」とは無関係なネットや同人誌にも作品発表や批評の場があり、また中央の「壇」もそれに反応する用意がある。(『俳句』誌が先の対談に関悦史氏の起用したことも画期的だろう)

ただ一方で、新媒体で活躍している若手が総合誌を無視しているかと言えば、そうではない。むしろ様々な媒体が乱立している状態だからこそ、中心点となる、ある種の公的空間を強く求めているというべきだろう。
短歌は知らず、昨年「俳句の未来予想図」で神野紗希氏が指摘していたような、若手の角川俳句賞へのこだわりもその一例である。あるいは、「週刊俳句」「豈weekly」の発展も、ブログ乱立の時代にオフィシャルな空間を作っておきたい気持ちの表れではないだろうか。

当方のような個人的な空間(ブログ)は、言ってみれば同人誌よりまだ小さい、友人知己にむけた会報レベルだろう(それでもどこで他人の目に触れるかはわからないし、友人知己にも怖い見識の人がいるので一応見せられる文章を書く努力はしているつもり)

一方、「週刊俳句」「豈weekly」のように多くの人間が混じり合う空間は、ネットの開放性も含めてすでに総合誌的存在になりつつある。そういう場では一定の水準を踏まえた議論がなされるべきだろうと思うし、それはブログのような感情的言いっぱなしであってほしくない、とも思う。

もっとも二つのサイトはともにブログ形式をとっているので、こんなことはいち閲覧者の勝手な欲望なのかもしれないが、たとえば「ふらんす堂編集日記」でも、個人的なブログ記事と「週刊俳句」記事や「e船団」記事とは分けて取り扱っている様子が見える。(個人ブログでの書評にはいちいち対応していない)
いまの社会に必要なのは、このような「オフィシャルを育てる」自律性ではないだろうか。



100首選、100句選はいろいろと楽しめたが、やはり指摘があるとおり黒瀬氏の選に比べ、高柳氏の選は特定の俳人に偏る傾向があるようだ。こういう企画はやはり並び大名とか大御所揃えみたいなところがあって、できるだけ多くの人を並べたほうが目にも楽しいのではないか。とはいえ、私のように世間の隅っこで所属同人誌くらいしかまともに読まない不精者にとっては、さすが広い視野からの俯瞰図で興味深く、面白く読んだ。
高山れおな氏の―豈weeky版ゼロ年代百句 検討篇も大変楽しかったのだが(高柳さん100句選が選ばれる過程も公開してくれたら面白いのに。きっと誰を入れるか相当悩まれたに違いない)、やはり高山色が非常に濃厚なラインナップだといえる。
むしろ冨田拓也氏の俳句九十九折(87) 七曜俳句クロニクル XLの目配りがさすがであって、氏が詩歌アンソロジー編集を専門にされたらそれだけで名をなすのではないかと思われる。

書きながら思ったのであるが、対談にしても100句選にしても、富田拓也氏や関悦史氏のような、いわゆる既製俳壇とは無関係に現代詩歌の読者から俳句に参入してきた人の眼のほうが、俳句専門誌ではない『現代詩手帖』の企画には相応しい記事になりえたのではないか。


それは別に高柳氏や小澤氏がどうこうなのではなく、俳句の文脈で物事を読まない/読めない人に対して俳句を紹介できる人材は誰か、ということだ。今の大相撲協会や自民党ではないけれど、広報にこそもっと外部の眼が必要なのかも知れない。


その意味で、高柳氏が対談のなかで、結社の役割を「読む技術を育てる場」として再評価したいと言っていることは、いろいろな意味で示唆深い。
高柳さん、これって、「俳句というものが、同好者だけが特殊世界を作り、その中で楽しむ芸事」という桑原発言を全面的に肯定していることになりませんか。つまり俳句の文脈で読む訓練をした愛好者、同好者でなければ「読めない」ということ。
むろん、そのほうが私の俳句観にとっては都合いいわけで、立場は違えど同じ発想の味方を得たという心強さを感じるわけですが。

 

2010年6月13日日曜日

告知振り返り。

※6/13投稿、6/15補筆。補筆に伴い、カテゴリを「告知、俳」に変更。

  
すでにご紹介したイベント記事、近くなってきたので再掲。



まず、6/20 は
『超新撰21』応募〆切

応募枠はたった2人、ということで、全国の新人Under50のなかで、2人というのは余りにも少ないような気がするし、21人中の2人ではせっかく「応募」の意味がないような気がするけれど、それでもまぁ、面白そうな企画ではあるし、一度喜んだ手前、再掲。
今年の角川俳句賞には余裕がなくて出せなかったのですが、こちらは既発表100句なのでじっくり考えて出したいと思います。



翌週、6/26 は、
大阪俳句史研究会のイベントがあります。青木亮人さんとわたなべじゅんこさんによる対談です。
すでに書いたとおりですが。本来、お二人にお世話になっている私は一番に駆けつけて最前列でニヤニヤしていたいところ当日わたくしは本業の関係で広島におりますので、誰か行かれる方は感想聞かせてください。

曾呂利亭雑記:新聞記事 付告知



これはついでに。
7/31、伊丹に佐佐木幸綱氏・宇多喜代子氏・坪内稔典氏の鼎談があります。
 
―短歌と俳句の交響 第二弾―短 歌 も 俳句 も





で、これは告知ではありませんが、以前からちょっとずつ触れていた坪内稔典『モーロク俳句』について、高山れおな氏が満を持して言及。
→ 
―俳句空間―豈weekly: 坪内稔典『モーレツ俳句ますます盛ん』

きっと高山さんなら違和感を覚えるだろうなぁというポイントに、まさに言及されています。 全体を通じて俳句評論史を正確に押さえた把握であり、私のような、にわか勉強の人間にとってはとても有益な批評である。 にも関わらず。 いつもの明晰な論調が、今回はうまく着地していないようにお見受けします。 結論は、いずこ?


高山氏は、坪内氏が俳句の特質として注目する「句会」の在り方について、先日の
「鶏頭論争」のときにも異見を述べていたが、ここでもきわめて厳しい見方をしている。

しかし、問題は本当に句会に他者など居るのかということで、上記引用の「他者」を「仲間」に入れ替えても文章が完璧に成り立つのでもわかるように、実態としても句会に居るのは他者というよりは仲間であろう(だから句会が悪いと申しているわけではありません、念の為)。……一方で、仲間でしかないものを他者と呼び替えて、制度的な実体として固定化してしまえば、本来の批評は隠蔽され、その先にあるのはナルシシズムでしかなくなる恐れはないのか。実際、「e船団」における坪内の仲間褒めのはなはだしさを見ていると、その危惧が半ば当たっているような気がしないでもない。

高山れおな、前掲記事


仰っていることはよくわかるが、それじゃあ「仲間」に置き換えられない他者の視点というのは可能なのか、疑問。理論上の厳密な他者ではなくとも、個として別の人の視線を自然に意識する「句会」のシステムは「私」に閉じこもりがちな他文芸と決定的な違いがあるのは、これは実感として当然ではないか?
普通、文章というのは最後に結論を述べるものだと思うが、今回の記事の結びは次のようなものである。

じつは俳句というのが全然辺境でなかったりする可能性はないのでしょうか、日本語においては。「自己、正義、理念」が位しているべき場所に、よりにもよって「俳句」が席を占めている。二十年来のわが国の政治状況を見ながら、わたくしの中で半ば確信となりつつある悪夢です。恐怖と申しても過言ではありません。第二芸術論は結局のところ無力だった、ということでしょうか。不幸にもなのか、幸いにもなのか、なにがなんだかわかりませんが。
高山氏の「悪夢」というのは、六十年前の桑原武夫氏的な恐怖、些末な断片主義こそが日本文化の中枢に居座っているという恐怖ないし嫌悪と捉えて良いのだろうか。そうだとすると、その恐怖が結局は日本の伝統文化的なるものと西洋文化的なるものとの差違に過ぎず、その差違をなくそうとした桑原的衝動は「西欧中心主義への反省が欠如していた」(*1)というべきなのは自明ではないのか。またその中心主義が中心に据えてきた価値観自体が揺らぎつつあり、いうなればすべて中心ではなくすべて辺境たりうる、という世界的現状全体に対する悪夢というべきであり、日本語に特化した問題ではないように思う。
もちろん現実として、辺境たるべき「俳諧」「俳句」が正統の日本文化・日本語の中心のような顔をして君臨していること、はいささか空寒いものがある(*2)。しかし「辺境」「遊び」「不真面目」を主張する坪内流俳句がそうした中心にいるような俳句に対するアンチテーゼであるのはいうまでもないだろう。


ま、とりあえず、高山的立場と坪内的立場の違いに対する私の見立ては結構いい線いってた、ということで。自賛。


※ 6/15補筆。
高山さんの文章中、どうしても納得がいかないのは以下の部分である。坪内氏が「菊作りと俳句作りの楽しさは同じ、そして俳句作りとパチンコをする楽しさも同じだ」、と述べている部分に対する批判である。
なるほど、ひとりの人間の生活において、俳句と菊作り、あるいは俳句とパチンコが等しく楽しく重要であることはあり得る、という以上にありふれた光景に違いない。そしてまた、それらの世界にも四Sのごとき伝説の名人や、藤田湘子のごときすぐれたハウツー本の書き手がいたりするのであろうが、坪内のような気難しい顔をした批評家がいないことだけは確かなように思われる。つまりやはり両者は同じではないのである。
そうだろうか?
私はパチンコを知らないが、少なくとも身内にはパチンコを好んでかるい蘊蓄を垂れてくれる人もいるわけで、それを商売にする人がいてもなにもフシギはないと思う。
それは措くとしても、だからこそ坪内さんの文章にはある時期から明確な変化があらわれ、問題となっている一著「本としての統一感はあまり感じられない」ものになった、のではないのか。
批評であればまず、その統一感のなさが奈辺に起因するものであるかを問うべきだろう。(統一感のなさに気づかないとか、それを当たり前と飲み込んでしまうのはおすすめできない)

問いの答えは自明である。
現在の坪内氏にとって、俳句が桑原的批判に正面から応える「芸術」ではなく桑原的批判を飲み込んでしまう「遊び」にすぎなかったことを証明し、かつその答えを導くに至った自らの変化の軌跡を見せたかった、のに他ならぬ。俳句が、ふつう文学を論じ政治、思想を論ずるのに使われるような「批評」に適さない、「遊び」であることを証明するために。

この坪内定義に抗うならば、それこそ正面から生真面目に、俳句の「文学性」なり「芸術性」なり、なんでもいいが、「文芸」の価値が娯楽以外の別の面から評価することができるか、という問いに答えて貰わないといけないと思うが、どうだろう。

少なくとも私は、この問いに対する答えはしらない。




*1 講談社学術文庫『第二芸術』の「まえがき」による、桑原氏自身のことば。

*2 たとえば、本来は歌語であり和歌に発する全ての文化に共通する季語感覚を俳句独自の価値観であるように夢想したり、芭蕉の捻出した概念を絶対視して“禅 zen”の境地として世界に誇る日本文化と喧伝したり、という「中心」面をしている俳句と、あくまで口語・遊びにこだわる坪内流俳句が同一視できないのはいうまでもない。

 

2010年6月2日水曜日

季語

  
朝日新聞5/31に掲載された、高山れおな氏の「俳壇時評」で、坪内さんの桑原武夫賞受賞に触れられている。


坪内稔典の『モーロク俳句ますます盛ん―俳句百年の遊び―』(岩波書店)が、桑原武夫学芸賞に決まったそうだ。重厚な評論集のひょうげた書名は、坪内の屈折した俳句観を汲んだ版元の提案らしい。しかし屈折と言えば、現存俳人中、俳句に最も粉骨してきたうちの一人に、史上、俳句を最も効果的に侮辱した人物の名を冠した賞が贈られる事態以上の屈折もあるまい。
確かに、俳句の評論集に対して、"第二芸術論”の著者の名を冠した賞が授与されるという光景は一見とても奇妙だ。
ところがその奇妙さを乗り越えて、桑原の名を肯定してもいい、という立場に、現在の坪内稔典がいる。
この事態を「屈折」と捉えてしまうこと自体、坪内さんの立場と高山さんの立場(立ち位置)との、決定的な距離を示しているようだ。


 
そういえば、先日当blogで紹介した、山本純子さんのエッセイ。なんとなく続けて発表されるのかと思っていたら、よく読むと次回掲載は8月の予定で、全4回、四季のエッセイということらしい。失礼しました、訂正します。
それにしても随分気の長い企画。もう少し続けて読みたかったのに。



角川『俳句』6月号を購入。
もちろん目当ては、榮猿丸氏(「澤」)×大谷弘至氏(「櫂」)×鴇田智哉氏(「雲」)×関悦史氏(「豈」)の季語に関する対談「若手俳人の季語意識― 季語の音調と呪縛」。

四人それぞれが季語の使い方にとても意識的であり、それぞれ立ち位置が違っているのが興味深い。季語をめぐる議論はうんざりするほどたくさんあるが、敢えてこのような違いを表面化させるような議論はちょっと珍しいかもしれない。

以下、自解・他解とりまぜて、それぞれの立ち位置を端的に示す部分を抄出。()内は発言者の名前。


榮猿丸氏について

(関<テレビ画面端に時刻や春愁>となると、<テレビ画面端に時刻や>まではどういう情感をもって接していいか読者がわからない。そこを季語の<春愁>が情感を決定させている。そういう使い方が多い気がするのです。
(榮)季語の取り合わせということで言えば、二物衝撃で、季語とモチーフをぶつけたところに詩を生ませるみたいなやり方がありますが、僕はそういう作り方はしていない。モチーフが生きる季語を探してきます。

(榮)じつは僕も、季語が入らなくなってしまうのではないかと思った時期がありました。……ファミリーレストランのサラダ・バーにある蕪サラダのほうがリアルだとか(笑)。でも、それだと拡がりがないんですよね。季語は偉大なる引用であると同時につねに具体性を失わない。その力にあるとき気づいた。それからは季語なしの句は考えられない。

(榮)歳時記という文化的なコンセンサスや伝統的な価値観のような「大きな物語」が現代において有効かという問題もあるけれど、僕は自分なりの「小さな物語」としての季語を見出して詠むことで、逆に季語に現代の情感を付与できるんじゃないかと思ってます。

(榮)季語の異称、例えば「蓑虫」を「鬼の子」と言い換えるのも好きじゃないですね。
(鴇田)猿丸さんの句に凝った季語が出てくると、ちぐはぐで変な感じがするかもしれない。


鴇田智哉氏について
無季俳句について
(鴇田)できあがった自分の句を見てみると、一句の中で季語が一つの重心になっている。……季語が入ることで、自分の句は俳句として読み得るものになっている、これが、季語に寄りかかっているということです。……季語を使うことで、自分は楽をしているのではないか。
(関)俳句は作らずに現代詩と横並びで俳句を読んでいる人にとっては、季語があろうがなかろうが鴇田さんの世界ということで読めると思うのですが、実作者が読むときはどうしても季語が入っているということで安心するところもあるでしょう。

(鴇田)僕の句は、季語そのものを展開した、一物の句が多いんです。<梟のこゑのうつむきかけてをり>は季語自体が詠まれるべき対象であって、梟とはこういうものだろうという独断です。……世の中には、歳時記を開いて、まだ自分が使ったことのない季語に挑戦!とか、そういう楽しみ方で作る人もいる。でも、自分はそうなれない。その季語に興味がないのにあるフリをするのはおかしいし、逆に、季語以外のものに興味をもったときにそれを中心にして俳句を作ってはいけないというのもおかしい。

(関)今の例だと鴇田さんと季語のかかわり方が非常に特異な感じがしますね。……季語の中から自分の世界観なり世界感覚に合致し、何か反応するものを見つけて作るということですか。
(鴇田)そういう作り方です。

(榮)無季の物足りなさはなかったですか。
(鴇田)できあがった句を改めて見直すと、やはり物足りないと思う部分はあります。でも、その物足りなさの一端は、「有季」という眼鏡を自分が掛け慣れていることにもよると思うんです。


大谷弘至氏について

(大谷)俳句の上では季語がもっとも雄弁な言葉ですから、それにいかに語らせるか。それが重要です。
(関)クラシックに多いのですが、同じ作品を各演奏家がどう解釈するか。解釈の違いを出すために季語が楽譜のようにあるということですか。
(大谷)そうですね。そこで創造性を競うのが俳句ではないか。僕にとっての季語は識者にとっての楽譜のようなもの。

(大谷)鴇田さんは季語を外す方向へ向かわれましたが、逆に僕は季語を重ねていくことで、それまでの一つの季語で作っていくことに対する慣れや寄りかかりみたいなものを超えていこうと試みています。

(榮)大谷さんの句は季語の持つ美意識で成り立っている感じだよね。
(関)まさに写生の逆で、季語が重要であり、積み重ねてきた美しいものを普遍化していこうとする。
(関)古季語、新季語の探求と一脈通じるところがあると思うのです。季語という制度から外れず、その中でマニエリスティックになっていくのではないか。細部への拘りが世界全体の予定調和性を崩すというか。

(大谷)<眠たげな鹿の子を神は使はせし>は宮島に対する挨拶という気持ちで作った句です。現実というものがあって、自分というものがあって、その間で通う部分で作っているのかもしれませんね。
(鴇田)例えば宮島に行ったときに、目とか、耳とか、肌で感じたことがもとになっているのですか。
(大谷)もとにはなっています。このとき、鹿は大量にいましたが、鹿の子がいた記憶はあまりないのですが、句としてはこう作りました。
(鴇田)まわりに観光客がいくらたくさんいようが、自分は純粋な風景をじっと見つめるというか、想念するというか、そういう感じでしょうか。


関悦史氏について

(関<人類に空爆のある雑煮かな><存在と時間と麦の黒穂かな>とかがそうですが、人のスケールを超えた、ほとんど抽象的な時間の事象を詠もうとしたときに、季語を入れるとそれが身近なスケールのものにまでくっついてくる。具体性を持たせるため、身近なところ、個人的なところに引き下ろすために季語を使っているなということに今回、気がつきました。

(関)私が無季俳句ばかり作っていたころ、邪魔だったのはそこで、歳時記的な宇宙観、世界観を飲み込んでしまうと、虚子が「極楽の文学」とか言ってますけど、徹底的に暗い、否定的な句は詠めなくされちゃうんです。どこかで客観視されるというか。

(関)それぞれ自分なりの季語の新たな使い方をしようとしたら、何百句か作って、自分の句はこういう特質であるというのを踏まえて、そこから自分の固有性に立って普遍性に通じる回路を、季語なら季語を使ってやっていかなければならないだろうということです。

(関<地下道を蒲団引きずる男かな>も現物を見ているな。
(鴇田)<蒲団>がリアルですね。ただこの句、<蒲団>を季語と解釈していいのかどうか。
(榮)いや、<蒲団>の本意は逆にこっちのほうが有るんじゃないかという気がするね。現代のぬくぬくした部屋の中の蒲団を詠んでも、むしろ季感がない気がする。
(関)私の場合、これは受動的な特質が先に立ってるからあまり目立たないが、句の材料を拾いにどこかに見に行くわけじゃなくて、強制的に入ってきた素材に関しては外で見たのが入ってますね。
(関)これの場合、季語が入っていることがある種救いになっている。「蒲団」の本意を更新したと読んでくれたり。これ、季語なしの一行詩だったら悲惨過ぎて見られない。


やはり関さんの的確な分析、把握に教えられることが多い。
それ以外にも、四者四様の季語の用い方が、それぞれとても意識的であるのが興味深く、今後、季語を議論する際にこういった違い、温度差、があることにどこまで意識的になれるかはひとつ、試金石になりうるだろう。

ただ、私の立場としては、大谷氏や榮氏のような季語への一体化は、同調できない部分が多い。

榮氏は季語を現代から読みかえることに意識的だが、それではなぜ「蕪サラダ」から意識を拡げようと思わないのだろうか?

また、大谷氏のような在り方は、対談中でも「息抜きのできる場所のない、けっこう厳しい作業」と評されていたが、なぜここまで「季語」を信頼することができるのだろう?
季語とは多分に「ひとりのおっさんが好きに決めた部分」があるというのに(下記参考)。
むしろ、季語も使いうる「ことば」のひとつであり、「使えば便利」程度に考える、鴇田氏や関氏の態度に共感を覚えた。


参考。週刊俳句 Haiku Weekly:【俳句関連書を読む】西村睦子『「正月」のない歳時記』…上田信治


2010年6月1日火曜日

みなづき

 
初夏らしい日を楽しむ間もなく、もう、六月。

もう一年の半分が終わりつつあるデスよ、なんと恐ろしい。



先日、「船団」初夏の集いがあった。一番大きい船団の大会で、この日は全国から「船団」会員が結集する。普段、別々の句会に出ていて会う機会が少ない人たちや、「船団」誌上くらいでしかお目にかかれない方々に会うチャンスでもある。

今年は「ROCK ROCK 俳句」と題し、山本純子さん、池田澄子さんを中心に、「声」に注目し、ともかく発声・朗読しまくりの一日だった。
実は前日、大学での飲み会で遅くなって帰れなくなり、京都の後輩宅に一泊して、着替えだけして向かった状況だったのでとても眠たかったのだけれど、山本さんの群読ワークショップに、池田さんの本格朗読、とまったく隙のない構成で一日楽しんでしまった。今年は会員限定の参加だったので、気のせいか、例年以上に密な感じではあった。
そういえば会員限定のはずだったのだが、なぜか坪内さん自ら角川「俳句」の河合編集長を呼んでおられたりしたので、いそいそご挨拶。河合編集長は先日、佐藤文香の紹介で知り合ったばかりなのだけど、同じく国文畑出身というのと初対面の会がディープだったということもあり、勝手に親近感を持ってしまっていて、随分馴れ馴れしくさせていただいてしまった。河合さんという方は、目下が思わず馴れてしまうような、万年青年のような方なのだ。昨年の「新撰21竟宴」での発言でも思ったが、相変わらずの俳句愛が素敵すぎる。



で、懇親会でご挨拶してると、案外いろいろな方に当blogを見ていただいているようで、恐縮する。最近知ったGoogle Analysticsとかいうアクセス検索によれば、ほぼ毎日20人前後の方が閲覧して下さっているらしく、多い日は40人くらいになる。
気付けば当方、5月11日をもって設立一周年を迎えており、このような結論のない駄文長文ばかりを投稿しつづけながら曲がりなりにも自分以外の方に見ていただいて続けられるというのは実にありがたいことである。多謝、としか言えない。

ちなみに会場では小西雅子さんから、坪内先生の『モーロク俳句』を受賞の直前に取り上げて(4/18)、しかもすぐ後に桑原武夫氏をとりあげる(5/4)というタイミングの良さを褒めてもらったりした。
自分ではあんまり気付いていなかったが、しかも『モーロク俳句』のほうは買ってなかなか読んでいなかったりしたのだが、たしかにタイミング的にはよかった。ちょっと自慢していい。

それはともかく、このblogで続けたい作業のひとつに、俳句評論を読む、ということがある。作品も読まずに理屈ばかりこね回すことには異論も多いと思うが、評論だって先学の築きあげたものであり、その成果を再検討する作業というのは後人がやっていかなくてはいけないだろう。
今のところ俳句評論を概観するには、夏石番矢編『「俳句」百年の問い』(講談社学術文庫、1995年)という優れた書があり、主要な評論が収められているが、いかんせんアンソロジーなのであまり長いものは収録されていない。それに横並びに並んでいるだけなので、それぞれの評論の意味をきっちり理解するというのは難しい。
幸いなことに私はこの年齢になっても研究機関(大学)に属し、研究書・専門書に触れる機会は多い。どこまでできるかは分からないものの、俳句評論の私的な体系づけ、というような作業をやってみたい気持ちがある。



まぁ作業は遅々としているので、期待せず気長に見守っていただければ嬉しく存じます。
今後、なにとぞ末永いおつきあいの程を。



亭主拝。


※ ちなみに、当サイトの読みは「ソロリテイ・ザッキ」であります。そろり、はプロフィール欄にも書きましたが、中高生時代より使いつけていますHNであり、豊臣秀吉に仕えたお伽衆・曾呂利新左衛門から拝借しております。一説に落語の元祖だとか。新左衛門の話芸教養にはとても及びませんが、世知辛い世の中を舌先と機知だけで渡っていたところに惹かれます。  
※ 6/2、冒頭に微妙に間違ったことを言ってしまいましたので表現を若干訂正。茶色字。