2010年1月31日日曜日

週刊俳句145号

 
「週刊俳句」の企画連載「新撰21の一句」に、書かせていただきました。
中本真人さんの一句です。これは自分で希望したのですが、予想以上に難しく。
平明なよさ、を伝えるのは非常に難しい、ということがよくわかりました。

 
週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句 第145号 2010年1月31日
 
週刊俳句 Haiku Weekly: 〔新撰21の一句〕中本真人の一句 久留島 元: "Haiku Weekly"


さて、今週の週刊俳句の十句作品は谷雄介・三木基史氏の両氏。

谷ユースケ(と、敢えて呼ばせていただく。)は言わずと知れた俳句甲子園出身の奇才。 正月早々、俳句王国でも威勢良く活躍していて、今回も相変わらずトバしてますが、私見では今回のは、「空回り」気味(笑)。句より口のほうが元気なんではないか、と、少し思う。彼のカラーが一体どういう方向を目指しているのかは、いまだ見えません。

三木さんは最近句会でご一緒になることが多く、「週刊俳句」誌上で一緒になれたのは偶然ながら嬉しい限り。例の『新撰21』では関西勢が少ない、とは、各所で発言があり、また私も言っていますが、もしまた別の若手アンソロジーがあるなら三木さんは絶対入らなくちゃいけない人でしょう。今回の十句では、タイトルにもなっている
  オレンジのへそ雑音を閉じ込める
など、好きな句。

上田信治氏の現代俳句協会講演会の記録、山口優夢氏の新連載「新撰21の20人を読む」も、随所に示唆深い発言があり、興味深く読みました。前者は特に、参加できなかっただけにありがたく、後者は竟宴の後夜祭的なノリでも楽しめました。
優夢氏は、同日発行の「豈Weekly」にも好論を寄せており、どちらも同世代俳人を論じる上では重要な論考になってくるのではないか、と。


さて、そんな訳で今週もとても面白く読ませていたのですが、すこし気がかりな点。
直接、「週刊俳句」ではなく、haiku&meという別の媒体で、のようなのですが、今度新しく『新撰21』ツイッター読書会なるものが開始されるそうです。
別に私がツイッターに参加してないから言うわけではないのですが、、、ちょっと、『新撰21』で、盛り上がりすぎじゃないですか?

自分も「一句を読む」に参加させてもらって、今も原稿執筆中だったりするので、そう、大きな声では言えないのですが。
『新撰21』は非常に良い本であり、重要な本だと思う。そう思えばこそ、昨年末から再三取り上げ、企画にも参加させていただいています。
ただ、この手の企画本なら当たり前のように、不足な点もあるわけです。その一端は前述の通り、何度か触れたこともあります。だから、『新撰21』が、決定打!になっては、いけないのです。決定打!なんて、この手の企画で出て良いのかどうかもよくわかりませんが、ともかく、褒めすぎは禁物。でなければ、『新撰21』出版であらわになったいくつかの「注意点」や「不満点」が、後続企画で活かされないことになりかねません。別の本が出たら、もっと褒める? そうなると今度は『新撰21』が宙に浮いてしまいます。
なにごとも、ほどほどが肝心。

若者を褒めて伸ばしてくださる方々には、若者の一人として御礼の言いようもないほどありがたいのですが、逆に「新撰組」に漏れた一人としては、ここで不服を述べておくことも重要なのではないか、と思い、書き記す次第です。



亭主拝
※参考
山口優夢「鶏頭論争もちょっと、にちょっと」―俳句空間―豈weekly: 鶏頭論争もちょっと、にちょっと・・・山口優夢
 

※2/4附記
ちなみに。ネットというのはスゴイもので、ちらほら拙稿に対して反応してくださる声を拾うことができます。直接のコメントではないので反応する必要もないのかもしれませんが、中村さんからも似たコメントを頂いたので誤解のないように書いておくと、「若者を褒めて伸ばす」というのはまさに読書会などの場を設けてくださるその行為そのものについてです。読書会の内容は予言者でもなければ知りようもありませんが、たとえどんな批評であれお小言であれイヤミであれ悪口雑言であれ、「大好きの反対は無関心」ですから、プラスマイナス差し引き圧倒的にプラスでしょう。つまり褒め。だからむしろそんな大事にしなくても。と、これは若手の側が本来言う台詞ではないはずなんですが。
 

2010年1月8日金曜日

週刊俳句……と、読まれること。

 
なんだかばたばたしていてお知らせが遅くなりました。
「週刊俳句」2010年新年詠に投句させていただいてます。
 → 週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句 第141号 2010年1月3日

お正月ならではのなんとも読み応えある素敵な顔ぶれのなかに自分の名前が混じっているというのは何とも言えない気持ち。
 ↑ あー、これって、「週刊俳句に載せてもらってうれしいw」な、権威w的考えでしょうか。


でも、ある程度の「活字化」、「オフィシャル化」に対する憧れとか、緊張感とか、って悪いものではないとおもいます。問題はそれに囚われすぎることなので。
私自身、当たり前ですが、居酒屋で友人同士で話すことと、目上の人がいる場合と、いろんな人が見る可能性の高いブログでの発言と、さらにいろんな人が見る可能性の高い人気サイト「週刊俳句」での発言と、では、全部切り分けてます。
それは、裏表とか、嘘つくとかではなく、言わなくていいことを言わないだけ。
書くと、ものすごーーーく当たり前のことですが、これが意外とわかってないんんじゃないか、という人が多い気がするわけで。もちろん、自分自身も馴れてきてはき違えることが、ないとは言えないので、このあたりは自戒も含めています。


ちなみに、句を人に褒められるか、褒められたいかどうか、みたいな話題についても、それほど真剣に議論せず、「囚われすぎない」程度に理解すればいいと考えています。
自分が信頼している人にきちんと評価されれば嬉しいし、評価されたくて頑張るのは悪いこととは思わない。評価をうけたくなければ、評価の場に出さなければいい。
「作品」、特に俳句は自分が作るだけでは機能しない、読まれるとき、読まれる場に出されるとき、はじめて「作品」として機能するのだと、そう思う。
ただ、それだけ、が目的なのか、ということと、読まれないときにどう動くか、ということと、まぁ二つとも同じようなことですが、このあたりをはき違えるとちょっとまずい。


自分が評価されないのは評価者が悪い、主催者が悪い、と居直って改善しないのは、まぁ、見込みなし。これに変な政治的圧力を想定したりして悪口を言いふらし始めると、これはもう救いがたい。
評価されない、つまり自分と評価者との間にズレがあるなら、そのズレを埋めるにはどうすればいいか、あるいはズレを超克した作品を作れないか、を考えるのが作家だろう、と思うわけです。自分と評価者との、まぁぶっちゃけていえば妥協点というか落としどころ、それが流通される「作品」ということではないかなぁ。
 

2010年1月1日金曜日

恭賀新年


明けましておめでとうございます。

昨年五月より開設いたしました当ブログ、毎度支離滅裂結論未定の長文ばかり書き連ねておりますが、お陰様で初めての越年を経験しました。もとより誰にも相手をされていないだろうと高をくくって書き始めておりましたものの、やはり書いてる以上何か反応が欲しいなと色気を出してあちこち口を挟んだりしておりましたところ、インターネットとは恐ろしいもので予想もしないところでRSS機能ですか、勝手にリンクを張っていただいたり、記事で言及した当人に誤謬を訂正していただくことがあったり、久方ぶりに会った友人やら初めてお会いした方からも「ブログ見てます」と言っていただくこともあり、ありがたいやら申し訳ないやら、まことに汗顔の至りであります。当方アクセス機能など設置していませんので(別段主義主張があるわけではなくよく分かっていないだけ。)、どのくらいの方がどの程度見ていただいているのか今ひとつ把握していませんが、読みにくい長文を読んでいただいている方々には心より御礼を申し上げます。書けるときに書ける範囲で書けるだけ書いている至って不精な駄文ですが、どうぞお見捨てなく今後ともよろしくお願いします。

と、社交辞令のたぐいはこの程度読みにくくてもいいかと思いますが、以下、近日中に書きたいことなどを箇条書きで。

・「e船団」のトップページが新年から刷新されました。塩見師の日刊一句がお休みになり、小倉喜郎さんの「時評」が開始。私の知っている範囲では「船団」は今までこうした「俳壇」向けの記事はあまり書いてこなかったと思うので、意外というか興味深い試み。「船団」の俳句イメージを、より直接的に発信する場になっていくだろう。

・ 「新撰21」シンポジウムで言及のあった外山一機氏の論考「消費時代の詩ーあるいは佐藤文香論-」(『豈』49号)について。 シンポジウムでは随分とやり玉に挙げられていたが、いま読み直してもなかなか面白い論考だと思う。年末にアップされた論考や、各所で上がっているシンポジウムの非公式レポートなども参考にしつつ、当該論考の再検討作業をしてみたい。鋭意執筆中。
 →「新撰21非公式レポート」 さいばら天気氏のツイッター。 http://twitter.com/saibaratenki 
 →「葬送と若書き―「消費時代の詩」(豈49号)補遺―」 外山一機氏のブログ。http://haikunewgeneration.blogspot.com/2009/12/blog-post_28.html

・「船団」的な「取り合わせ」について。
その一つの理想型は、「船団」の若手よりも中高年以上の層に見られるような気がしている。別に俳句を長く続けてきた人たちではなく、経歴でいえば、たぶん私と同じくらいの「新人」な方々、である。例えば、昨年の「船団」シンポジウムでも道浦母都子さんから絶賛だった、小西雅子さん。
 都市上空魔法のじゅうたんにてくしゃみ

 人の名をどんどん忘れるペンペン草
 折れ曲がるストロー鶴がやってくる
戴いた「MICOAISA」4号から。 MICOAISAは坪内先生を中心とした俳句グループで、年一冊の小冊子を発行しておられる。載っている俳句と、加えてエッセイが楽しい。4号のテーマは、「実は私は」。
「実は、私は~~だった。」で始まり、自分の正体(前世)を仮構するエッセイなのだ。実は、なまこだったり、かめだったり猫の姑だったり、ピアノだったり藻(!)だったり、本当に楽しい。
ちなみに小西さんは、「緋牡丹のお竜」という藤純子演じるところの女侠客だったそうで。。。

何の話だっただろう?
いや、ともかく。マジメな俳句も読み応えがあるが、もっと力を抜いて楽しめる俳句があっていい。


皆さま、今年もよろしくお願い致します。

亭主拝