2010年2月28日日曜日

週刊俳句149号

 
週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句 第149号
 
「新撰21」一句鑑賞、外山一機氏の一句を鑑賞させていただきました。
ほかに、小倉喜郎氏の10句や、山口優夢氏の連載、それに加えて越智友亮氏の「ゼロの会」句会録が掲載されています。ことに句会録は大変おもしろく読みました。
「新撰21」に止まらない波及効果として、直接的ですが非常に興味深い活動です。
今日28日が第二回の活動日だそうで、その結果報告も楽しみ。

外山氏への一句鑑賞は、意外なことに拙文が初めてだったようです。
掲載が延び延びになっていたようですが、2月頭の
この記事 と並行して書いた文章だったので、多少思い入れ過剰の奇妙なものになってしまいました。
上の稿書いているときに改めて読み直して、やはり好きな句が多いなぁと再確認しました。

「ゼロの会」句会録からも、俳句の「約束事」にひとつひとつ丁寧に向き合っておられる姿勢はとても興味深いですね。竟宴の三次会でお隣だったのですが、その時はあまりお話しできなかったので、今度お会いしたらいろいろ伺いたいところ。
 

2010年2月27日土曜日

キャスティング (2)

 
『新撰21』の企画がいつからあったのか知らないが、私自身、若手というか、身内のアンソロジーを妄想したことがある。
すでに「花の昭和六十年俳人」の呼び声もあるが、佐藤文香、山口優夢、谷雄介の三人はいずれも昭和六十年生まれの俳句甲子園組である。これに同じ条件の数人を加えてアンソロジーにしたらどうだろう。
タイトルは「1985」でどうか。(「1Q85」でも別に構わない)
思いついたのは一年半ほど前で、誰に言うでもないまま、佐藤文香の初句集や『新撰21』 の企画を聞いて、すっかりあきらめてしまっていた。
ただ、今回の流れで一番ふさわしい話題かと思うので、そのとき考えた妄想キャスティングを書き付けておくことにする。

そのころ考えていたメンバーは、以下の六人である。
・佐藤文香
・谷雄介
・山口優夢
・徳本和俊
・藤田亜未
・久留島元

この六人だと、東西、男女、学年、いずれもきれいに3:3に分かれるので非常に気に入っている。(私、徳本、藤田は1985年の早生まれ)
不詳私と、新撰組の3人は棚上げにしておいて、以下では身近なふたりの俳句作家を紹介することにする。

徳本和俊は私と同じ甲南中高出身で、中学以来の悪友である。第四回、第五回俳句甲子園に出場。俳句甲子園に出場した全国の高校生を結ぶFax句会「バンビ句会」を発足、運営していた。私より早く「船団」に入ったが、サークルやら仕事やらにかまけて一向俳句に打ち込むそぶりなく、しかし離れるわけでもなく、数年の沈黙を経て「SHIRO」30句で2008年第五回鬼貫賞を受賞した。おそらく歴代もっとも話題性に富む作品群だっただろう。

  今朝の春松前城の外は晴れ
  九戸城オタマジャクシがまだ来ない
  月朧不来方城に回れ右
  猫の恋山形城は欠伸する
  水戸城の中納言です春時雨


冒頭から5句を引いた。
このでんで、北は松前城から、南は首里城の「首里城はまだ少し先去年今年」まで、30の城を詠み込んだ句が並ぶ。
多くは百名城とされる名城で、一見するとただ無作為に取り合わせただけのように見えるが、例えば「山形城」が奥羽最大規模の雄壮な城であることや、「首里城」の守礼門の風景などを想起すれば、ところどころ響きあうものは感じられる。もちろんそんなことも抜きにして、意味の分からないことがおもしろい、という楽しみ方でいいのである。それぞれの城へ行ったときに思い出してしまうようなフレーズがあるかもしれない、という、偶然性に賭けたような言葉遊びは、俳句の一面として忘れてはいけないだろう。

作者の側からすれば、有季定型の上に、名城の名前、北から南へ、といくつもの制約を勝手に設けて連作を試みているわけで、マゾヒスティックというか、少なくともただ思いつきだけではできない。どの城を選び、どんな言葉を取り合わせるか。彼の神経の使い方は言葉への挨拶の精神だ、と言ってもいい。その制約の彼方に、「首里城」のような連作を超えた一句があるので作品の質を保っている。

もちろん彼は、100句で勝負できる作家かどうか怪しいし、まして俳句の未来を担う人材というわけでもなかろう。本人だってそのつもりなどまったくないはずだ。
ただ、『新撰21』に一番欠けているのは、彼のような、無意味な「遊び心」ではないかと思う。
俳句の「遊び」がこういう方向だけに限定されるとは思わないが、こういう方向をまったく切り捨ててしまうのも惜しいだろう。


藤田亜未は大阪府生まれ。栄養士として働いており、いまは国家資格の勉強中だとか。すでに2007年に句集『海鳴り』(創風社)を出しており、「船団」若手のなかでは話題になることの多いひとりである。つい先日もBS俳句王国にも出演していたそうなのだが、残念ながら見逃してしまった。


  夏みかん味方が敵に変わる時
  これからもよろしく夏のはじまりぬ
  夏の森ここは立ち入り禁止です
  12秒91風の輝きぬ
  突然でごめんね夏の蝶になる


いずれも句集『海鳴り』より。
実は彼女の句集が出版されたとき、出版祝いを兼ねて句集の合評会を主催したことがある。
今、その記録を横に置きながら改めて句集を読み直してみると、やはり彼女の句はほとんど「つぶやき」と「季語」との取り合わせで作られている。巧みさはないかもしれないが、省略の詩とされる短詩型と相まって、読者が自分自身と重ねて共感を呼びやすい、思わず口ずさみたくなるような魅力を持っている作品群だといえるだろう。共感するばかりが俳句ではないが、共感される俳句も俳句である。
また、季語の感覚もいわゆる「俳句の人」ではなく、時に「夏のはじまりぬ」「風の輝きぬ」など季語の改変などもさらりと行ってしまう、案外大胆な一面を隠し持っている(歳時記では「立夏」「風光る」で立項されるのが普通だろう)。

彼女の句は句会では一発でわかってしまうことがあり、正直どうかと思うこともあるのだが、ある程度まとまった数を読むことで一貫した作者像が見え、またなんと言っても否定しがたい「わかる魅力」があり、最近ではほぼ全面的に肯定している。「12秒91」の句などは、数字を示すだけで、おそらく短距離走を詠んだ景であることがたちどころにわかる。こういう再現力というか、独り善がりにならず読者にわからせる表現力、というのは作者の天性の美質だろう。
「俳句を読まない人にもわかる俳句」というのは、変に小理屈をこねまわすより単純に、こういう「わかる俳句」なんではないだろうか。

  

2010年2月19日金曜日

キャスティング (1)

 
キャスティングを妄想する趣味がある。
漫画や小説などを読んで、もしこれが実写映画化されるならどんなキャスティングがいいか、妄想するのである。
最近は意外と映画化が簡単に進むので、自分で妄想するよりも早く映画が発表されたりすることもあるのだが、たいていの場合「違うんだよな~」とか呟いて自分なりに考え直したりする。
ネットをさまよっていると案外同好の士は多いらしく、まぁ考えてみればストーリーは原作だし演出も脚本も考えず役者のプロフィール見ながら並べて遊ぶというのは、いかにもネット住人らしい遊びではある。なかには自分の考えるキャストと全く同じことを想像している人を見つけたりして、なかなか楽しい。

思いついたなかで個人的に気に入っているのは「ルパン三世」で、これは絶対ハットリくんやヤッターマンより実現性が高いと思っていたのだが、やはり再現しようとすると難しいのか、実現の噂は聞かない。
もっとも、実は私が生まれる十年も前に目黒祐樹主演で映画があったそうなのだが、これはまぁ昔のこととして、いまの俳優で是非演じて欲しいのは、

 ルパン三世 : 唐沢寿明
 次元大介 : 伊原剛志
 銭形警部 : 内藤剛志

の3人である。
唐沢さんがシリアスからコメディまで幅広いカメレオン役者であるのは周知のことだが、特にバラエティに出ている時のテンションの高さを見ると、「不二子ちゃ~ん」でトランクス一枚になる名シーンを嬉々として演じていただけるのではないかと思う。
唐沢さんと共演の多い伊原さんは武士も似合うのだが、クラシカルなガンマン役で見たい。内藤さんの厳つい顔はとっつぁんそのものだが、江戸前のイメージがないのがつらい。陣内孝則さんのほうがいいかもしれない。
あと、峰不二子はよく挙げられる藤原紀香か松雪泰子。石川五エ門は時代劇役者で、ベテランなら京本政樹、若手なら山口馬木也などを希望したい。

昨年放送されたNHK「坂の上の雲」なんかも、主役4人(秋山兄弟、正岡兄妹)のキャスティングは完璧だったが、明治の元勲たちはことごとくイメージが違って、かなり違和感があった。たとえば、伊藤博文を加藤剛、山縣有朋を江守徹が演じていたが、江守さんはむしろ遊び人で有名な伊藤公のほうが適任だし、「生涯一軍人」を自称した陰気なオタク気質の山縣公は、柄本明さんとか蟹江敬三さんのような癖の強い役者さんのイメージなのである。(江守さんが薄味だとはとてもいえませんが。)

他にもいろいろ取りそろえているので機会があったらご披露したいが、当ブログの閲覧者にはあまり興味のない話題かと思うので、閑話は休題。



何が言いたかったというと、実は『新撰21』に関する話題である。

どうも一部に多大な誤解を招いたようだが、私の記事をざっと見ていただければ分かるとおり、私は『新撰21』の人選に関して不足や不満がある、とは言ってきたけれど、そうした不満はこの手の企画なら当然のことだから、そのこと自体を批判したことはない。(むしろ擁護的な文章を書いてきたつもりである)
先月、すこしだけ批判的に書いたのは、そうした不足点や不満点といった部分に触れずに、「新撰組」21人の作家論や作品論ばかりが充実していくことに対する批判であった、と思っている。
要するに、『新撰21』に対する批判、ではなく、『新撰21』の取り上げ方に対する批判、であった。

個人的には上のような認識だったので、直接とりあげて異議を唱えさせてもらった中村安伸氏からのコメントは当然として、まるで私が『新撰21』の人選を徹底批判したかのような受け止められ方をされたのは、大変驚いた。

ただ、それもこれも、私自身の『新撰21』に対する不満、を曖昧にしたままだったこと、また、中村氏に提案されたように、それではどのような企画を臨んでいるのかを示すべきだったこと、など、こちらの怠慢があったことも事実である。
そこで、今回はまず第1弾として、『新撰21』に代わるような私案、つまり「妄想キャスティング」をいくつかご披露したいと思う。

そのうちのひとつは、これは堀本吟さんが当ブログのコメント欄でおっしゃっていたことと関わることで、堀本さんは

もし私が死ぬまでに一冊句集を出したならば、それが初めての句集であり、日本の俳句会では(句集とか賞とかがプロの証として見立てられますから)、わたしはその時はじめて新人になるわけです。今回は、新人発見と銘打っていても最初から年齢制限にひかかかって対象外です。(…)若者もおもしろいけれど、老人もなかなか粋に真摯に晩年をたたかっていますよ。俳句誹諧は、化けてゆく文芸です。
というように仰っている。
確かにそれはその通りで、キャリア的に百戦錬磨の堀本さんが「新人」扱いされることはないと思うが、実際のところ現在の俳句人口からすれば、隠れた「新人」の年齢分布は五十代、六十代のほうが圧倒的に多いに違いないのである。今回の『新撰21』がその現状に風穴を開けるアンチテーゼ的な企画だったことは充分意識したうえで、逆に、五十代六十代の「新人」にアンソロジーが続くのも悪くない。

ひとつは(私が心配する必要もない)下世話な購買層の話で、これから俳句を始めようという五十代六十代が興味を持ってくれるのではないか、ということ。俳句の純粋読者を増やしたいという意味でも、購買力のある層をターゲットにすることは重要だと思う。
そしてもうひとつは、単純に私の身の回りでおもしろい俳句を詠むひとが、私より年長であるけれど私と同程度のキャリアの「新人」さんであることが、多いからである。

  花疲れうどんは粉にもどりたい    山本純子『カヌー干す』
  忍法はここに伝わる軒つらら      々
  胴体も頭もポンポンダリアです    水野洋子「MICOAISA」4号
  霰酒あなたは豹になりなさい      々
  海は雨なまこいっぴきいないから   小西雅子『雀食堂』
  そっとそっと目玉が帰る冬の夜     々
  水の姿で人が歩いている晩夏     木村和也「船団」83号
  牡蠣酢食う天文学者になるはずが
      

いずれも「船団」会員で、2000年前後に句作をはじめておられる。
(山本さんは1999年。小西さん2000年。木村さんは中学時代に開始するが長いブランクがあり再開は2003年。水野さんはちょっと手許でわからない)
ちなみに、「新撰組」のキャリアは、著者略歴によれば、矢野玲奈氏が2006年~でもっとも短く、わが後輩の越智と藤田哲史氏の両名が2003年~と並んでいる。
越智という男は、中学一年から文芸部に出入りして句作をしていたので、私とはかなり年が離れているのだが、キャリアでいえば二年も差がない。

まさに彼らこそ「新人」である。

もちろん、「おもしろい俳句」の基準が選者によってかなり左右されるだろうし、「新撰組」以上に分母が多いだろうから、結果的に「人選への批判」は圧倒的に大きくなることはおおいに予想できる。
ただ、私としては、「新撰21スポンサー」さんが仰っているような、「おもしろい句集」への手引きとなりうるようなアンソロジー、という意味で、「中高年新人」のアンソロジーを読んでみたい、という思いがある。



長くなったので、今回はここまで。
 

2010年2月11日木曜日

週刊俳句146号

「週刊俳句」146号、盛りだくさん。
生駒氏の四ツ谷龍氏講演会記録や、開成中学校生徒による『新撰21』鑑賞も読み応えがあったのだけど、個人的にはやはり神野・外山両氏の「新撰21竟宴シンポジウムを受けて」が興味深かった。

昨年末に行われた「新撰21竟宴」シンポジウムの第二部では、形式、自然、主題、の、三つの問題について活発な議論が交わされた。当日の議論についてはすでに「豈weekly」73号に全文が公開されている。

http://haiku-space-ani.blogspot.com/2010/01/21_09.html
当日の議論は非常に興味深かったのだが、聞いていて疑問や違和感を覚える点も多々あった。特に、参考資料として提示された外山一機氏の評論「消費時代の詩ーあるいは佐藤文香論ー」(『豈』49号、2009.10。以下、外山論①)の位置づけは再検討の余地があるだろうと考えていた。
その後、続稿Haiku New Generation: 葬送と若書き ―「消費時代の詩」(豈49号)補遺―(2009.12.28。以下、外山論②)も発表されたので、自分なりにリアクションをしたいと思いつつなかなかまとめられなかった。
そこに今回の〔新撰21シンポジウムを受けて〕アトラクションとしての俳句 外山一機「週刊俳句」149号、2010.2.7。以下、外山論③)が発表され、個人的には大変すっきりしたのである。

*(以下、文中敬称略)
シンポジウムでは外山論①の対象となった佐藤文香自身が違和感を表明していて(*1)、言葉は違うが他のパネラーからも批判的な立場の表明が相次いだ。
司会の高山れおなも、外山論①「かなり本質的なところをラディカルに衝いている」と認めつつ、「患者を取り違えている」カルテではないかと評し、この評がおおむね妥当性を以て迎えられたようだった。(*2)
実際、外山論の大きな問題は、いわゆる「昭和三十年代俳人」が射程に入っていないことであろう。
外山論①で現代の高柳克弘、佐藤文香に対置される「かつての新人」は、坪内稔典や「彼にオーガナイズされた」人びとであり、「昭和三十年代俳人」登場以前の人びとなのである。
これは外山論②を読むとなお明確になるが、外山にとって、論ずべき「新人」は摂津幸彦らの登場を以て終わったのである。
従って、外山が現代の「新人」の特徴として注目する特徴が、現代の「新人」よりも上の世代からの「じつは俳句界全体の過去三十年くらいのスタンダード」だ(*3)、というのは、外山自身が冒頭で認めたように、一面の事実ではあった。
ただし、小川軽舟『現代俳句の海図』において、たびたび引用される小林恭二の言葉を補助線とすれば、少し違った見方をする必要が出てくるだろう。


小林によれば、彼ら(注、昭和三十年世代)以前の俳人のメインテーマは「俳句に何を求めるか?」だったが、これ以降は「俳句とは何か?」になる。これは俳句に限らず、この世代の精神的な根っこを押さえた把握だと言っていいだろう。
小川、前掲書。角川学芸出版、2009.02

これに対して外山論①は次のように述べる。

彼らに対して「俳句とは何か」と問うことはほとんど無意味であろう。彼らにとって俳句とはすでにそこにあったものにほかならない。彼らは「俳句で何をするか」と問うのであり、「俳句とは何か」と問うのではない。

外山によれば、現代の新人たちの特徴は、テーマや本質に迫るよりもまず、俳句という文芸(外山論③の用語を使えば「アトラクション」)で何ができるか、を試すのである。
私なりに半可通の用語で言い換えるなら、高柳や佐藤は、「俳句の文脈
」に自身の表現を落とし込むことに、おそろしく無自覚で、おそろしく巧いのである。(作句の「主体」とは、この「落とし込む」行為の主体に他ならない)
外山が使う「消費」とは、高柳や佐藤や、また山口などの「俳句の文脈」が、それこそ前衛も伝統もない多様性をもっていること、その多様な「俳句の文脈」のなかに表現を落とし込む際になんの抵抗もないように感じさせること、などの印象をとらえて謂う語なのだろう。


現代の「新人」たちの俳句と、「昭和三十年代俳人」たちの俳句とは、表現の表面上はさほど違いはないように見える。
しかし、最大の違いは、現代の「新人」たちが「昭和三十年代俳人」たちの後に出てきた、という、まさにその動かしがたい事実だろう。「昭和三十年代俳人」たちが「開拓すべきフロンティア」を見付けられなかった世代(小川前掲書P.202 *4)だとするならば、私を含め現代の「新人」は、自分が俳句を始める前(いや生まれる前?)から「開拓は終わった」と唱えられ続けてきた世代なのである。

佐藤文香が、一見「フェティシズム」を感じさせるほどに既存の価値観に忠実な俳句を作りながら、一方で自ら「狂気」を名乗るほどに「新しい表現」を志向し続けていること。
しかも、近作においては両極の止揚点ともいうべき、注目すべき作品を生み出しつつあること(*5)は、その意味で、極めて意義深いことである。

すなわち、佐藤と、それに高柳や山口、彼らを(一方的な)共感を持って語る私や、おそらく外山にとっても、俳句を「型」通りに習得すればいいもの、などとは考えていない。同時に、俳句を通じて何を伝えるか、という一貫したテーマのようなものも、おそらく持ち合わせていない。それよりも、俳句という表現形式を借りて、どのような表現を生み出しうるのか、試しつつ試す、というような、そのような行為を繰り返しているのではないか。
なにか内なる衝動をもって文芸表現にあたっているのだ、というよりも、俳句という表現形式を借りることで自分自身の可能性を試しているような、そんな印象があるのである。
そこに緊張感をもって臨むか、一種俳諧的な遊びをもって挑むか、は人それぞれだが、もともとの内的な衝動よりもまず「形式」を借り、句会という「場」を借り、伝統的な「季題」を借り、ときに「題詠」や「写生」、またときに先行するテクスト群のテーマを借りる、というふうに外的要因に対することで「表現」を生み出すという姿勢が、彼ら「現代の俳人」には強く感じられるのである。
むろんそれは俳句にとって必ずしも目新しいことではないのだが(*6)、より明確な形で表出していることに「現代の新人」たちの特徴を見出すことはできるだろう、というのが、ささやかな私見となる。



さて、以上のような観測を持っていた私にとって、外山論③と同時に発表された、神野紗希さんの〔新撰21シンポジウムを受けて〕私たちは、なぜ書くのか 神野紗希は、ちょっと衝撃的だった。
正直なところ、日曜日の昼に読んでから今までこの稿が書けなかったのは、自分の中でどう対処していいかわからなかったから、それほど衝撃があったから、である。
外山論①と同時に発表された「主題はあるか」(『豈』49号)に続く形で、紗希さんの決意が述べられている。
私は、創作者として明らかな主題を掲げるべきだといっているわけではない。しかし、書いていく中で、主題、言いかえれば作家自身の志向とか倫理のようなものはおのずと現れるもので、読者として他者のそれに敏感でありたいということと同時に、いち作者としても、自らの志向や倫理のようなもの、みずからがうちに持っているであろう主題に、意識的でありたいと思っている。(…)私自身、俳句をはじめたころは、俳句の「表現行為としての面白さそのもの」に惹かれて、俳句をつくっていた。(…)大学一年生のときにまとめた第一句集にも「これからも俳句を真剣に遊んでいきたい」と書いたくらいである。そんな昔の自分を、今はすこし嫌悪している。(…)俳句は、単なることば遊びではない。

嫌悪、という、強い言葉を敢えて使っておられるのは、そこに覚悟をもっているということだろう。それだけの覚悟のある表現に対して、今、私は満足に応えられるだけの準備がない。「主題」という言葉についてきちんと、それこそ用語の面からも、俳句研究の文脈からも、踏まえてからでないと発言する資格はないと思う。

一点だけ。文中、紗希さんは長谷川櫂氏の「追悼」十句を例示している。
たとえば虚子にも多くの追悼句があり、名句も多いが、私の理解では追悼句も「挨拶」の文脈で捉えられており、虚子個人の「志向や倫理」という語のニュアンスで理解するのは難しいのではないか、と思う。
高山れおな氏が言うように、私を含めて「主題を話題にすることさえ回避する」傾向があることは事実だ。ただ、やはりそこには理由があって、「主題」という語のニュアンスが、かならずしも自分の理解とは違うニュアンスだと思うから、「回避する」のだろうと思う。

話題を呼んだ山口優夢氏の一連の評論(*7)も、そのあたりに接しているだろう。確かに現代でも「戦争」も「病気」も「死」もなくなったわけではないのだから、現に日本では再び「貧困」が問題になってきているのだから、共有すべき「主題」が持てないのは、時代のせいではなく、「僕ら」自身の問題である。問題なのは隣で自殺しているサラリーマンに興味を持てない自分たち自身であり、そのことこそが「ふざけている」のだし、またそのことに気づいている気づいている自分たちの罪悪感もまた「ふざけている」のだろう。

ただ、だからといって明確に、具体的にひとつの一貫したテーマを持ちえたとしても、それがいつの間にか共有されずに島宇宙に回収されてしまう。そのこともまた、「ふざけている」現状の、一断面ではあるのである。

その現代にさえ、俳句が、主題を持ちうるのか。
というか主題ってそもそもどんなものを言うのか。
これから、すこしづつ考えていきたい。



*1 パネルディスカッションでの佐藤の発言。記録、佐藤9「タイトルに名前を入れていただけるというのは大変に光栄なことでございますが、正直に言って驚いてしまいまして。・・・「なにか『新しい』ことができるなどといまだに本気で考えているとしたら、それはむしろ狂気である。」ってとこです、私、たぶん狂気なんじゃないでしょうかね。いまだに新しいことをやりたいと思ってます。」 
ちなみに、山口10は、外山論への反論として、「形式を消費するということに新人の俳句の価値を置いていること」に対し、「そもそも形式を使いこなすというのは、俳句をする、俳句表現を行うという上での前提なんじゃないかな」という発言をしている。これも「俳句形式を完全にわがものとする」自由を得た(小川前掲書P.206)という昭和三十年代俳人の認識と通じるところがある。

*2 高山32

*3 高山68の発言。「主題の回避というのは当然、同時にその主題を作り出す主体の回避ということにもなるわけですけれども、主題や主体を回避するというのはじつは俳句界全体の少なくとも過去三十年くらいのスタンダードだと思うんですよね。」

*4 むろん、現代も含めて本当に「開拓すべきフロンティア」が存在しないかどうかはわからない。たいてい新しい形式や表現の発想はコロンブスの卵のように出現するもので、後から見ればどんなに必然的でも、当事者たちにすれば「フロンティア」が始めから見えていたわけではないだろうから。とは言っても、私を含めて目に立つ新しい「フロンティア」発見の方法はなかなか見出しにくい現状ではある。

*5 すでに書いたことだが、個人的には話題の『海藻標本』以上に、「週刊俳句」93号において発表された群作「ケーコーペン」(http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/02/blog-post_5259.html)、特に「佐藤先生僕の消しゴム嗅いで去る」
が秀逸だった。この群作では既存の俳句にない語彙と感性が何の抵抗もなく俳句の文脈に落とし込まれており、いくつかの俳句的タブーを軽やかに侵犯しつつ、かつ無理を感じさせないという点で驚異だった。
昨年の角川俳句応募作も、両極の「平衡感覚」という視点から理解すべき作品群だろうが、個人的にいうとこちらは、緊張感がありすぎて、疲れた。これは批評というか感想である。

*6 前稿 曾呂利亭雑記: 我はロボット附記参照
*7 ―俳句空間―豈weekly: 鶏頭論争もちょっと、にちょっと・・・山口優夢
「ちょっとにちょっと、にあれこれ、にちょっとずつ」http://blog.goo.ne.jp/y-yuumu/e/a2417233f95ffa35c20dc9dc4fec3fd6

 

2010年2月6日土曜日

我はロボット

 
かつて正岡子規は近代俳句を創始し、そして俳句の滅亡をも予言した。



日本の和歌俳句の如きは一首の字音僅に二三十に過ぎざれば之を錯列法(バーミュテーシヨン)に由て算するも其数に限りあるを知るべきなり。語を換へて之をいはゞ和歌(重に短歌をいふ)俳句は早晩其限りに達して最早此上に一首の新しきものだに作り得べからざるに至るべしと。

『獺祭書屋俳話』

管見の限りでも、まったく同じ論法で俳句の滅亡に言及する文章をいくつか見たことがある。
そしてその事態は現実になっている。
ウラハイ = 裏「週刊俳句」: 〔link〕俳句自動生成ロボット


私にとって謎なのは、「俳句を詠む主題」または「作者の思い」というやつである。
正直に言って、私には俳句を詠む主題も理由もない。だから、今井聖氏のこのような発言に出会うと、当惑してしまう。


今井 何か表白したい強烈なものがない限り、やる必要がないんです、文芸なんて。大袈裟に言うとデモーニッシュなものがないんだったら、なぜ、自己表現をするんですか、何のために、という感じがするんです。

『俳句』2009.05合評鼎談

いや、「そういう俳句」があるのは、重々知っている。読むのも好きである。だが、少なくとも私には、ないのだ。困ったことに私は今すぐ俳句に関わることを、辞めなくてはいけない。

なぜ私が俳句を続けているのか。
答えは、楽しいから。おもしろいから。
ある友人は、俳句を続けることをチョコを食べ続けてやめられない感覚に譬えた。(彼女はいまそのチョコを食べていないらしいが)
私はそこまでチョコ好きではないのだが、その表現が一番身に沿っていると思う。

私なりに俳句ができるのは、なにか「おもしろい」と感じたときである。
だから、「おもしろい」対象がなければ、俳句が生まれることがない。
「おもしろい」だけでは、語弊があるか。

京都でお祭りのアルバイトに参加したとき。

動物園でキリンの情事を見たとき。

線路の枕木で首のない蛇の死骸を見たとき。

歩いていて、なにか変な言葉遣いを聞いたとき。

変な言葉が、俳句の型にあてはまると思いついたとき。

しかしそれは、ただ興味を持った、ということにすぎず、「何か表白したい」強烈なメッセージや主義主張があるわけではなく、俳句を通じてそうしたものを発信したいわけでもない。




僕は本当に伝えたいことを正確に伝えようと思ったら散文で書きます。

谷川俊太郎『文芸』48-2夏号、穂村弘との対談

だから、私の作る俳句は、俳句ロボットが作る俳句と、たぶん全く変わらない。
もしかすると俳句ロボットのほうが「うまい」かもしれない。

しかし、私が作った俳句は「私」が「おもしろい」と「思う」俳句だが、ロボットの作った俳句は、誰かがおもしろいと思わなければ無限に作られるだけである。
簡単なことだ。人間は、その人なりの理屈や気分や感情で、価値を判断する。
ロボットの句は数式で割り切れるが、私の句は、少なくとも「おもしろい」と一瞬思ったこと、それが残る。

私にとって「作者の思い」とは、その程度にしか過ぎなくて、逆に言うと、その程度の「おもしろい」で「作者」に近づいてこられても、困る。
読者が「俳句」から「作者」を想像して、「作者」と一緒に一句をおもしろがってくれれば望外の喜びではあるが、
「俳句」から「作者」を想像して、それを「私の思い」だと思われると、ちょっと、困る。
それとも文芸にはやはり、残したい、伝えたい「作者の思い」がなければ、いけないのだろうか。

そうだとすると、私は文芸というもの自体を誤解していることになる。

えらいこっちゃ、である。 


※附記
文中の「おもしろいという対象」云々は、つまり、自分の外にある、ということなので、個人的には、挨拶とか写生とか花鳥諷詠とかと、同じようなことを言い換えているだけで、さほど特異なことはないと思います。虚子にとって花鳥諷詠が人事を含めた花鳥諷詠だったように、私にとっては言葉だけで諷詠の対象たりうる、ということに過ぎない。

※附記
いささか牽強付会に三橋敏雄の言葉を引けば、
「俳句は感動を詠むっていうけれども、人間はそんなに感動しているんだろうか。生活が無感動でつまんないから俳句を作って、そして俳句ができたときに、あ、これはいけた、この一句はできたな、と思ったときに感動するんだ」

(池田澄子「私の試み」『船団』62号)
「この一句はできたな」と評価する軸(作者)がいるかどうか、そこだけがロボットと俳句作家との違いであると思う。

2010年2月4日木曜日

鶏頭論争に寄せて。

  
鶏頭論争、は、いわずとしれた正岡子規「鶏頭の十四五本もありぬべし」が名句かどうか、をめぐる論争である。

虚子、碧梧桐らはこの句が出された当時の句会に出席していたが評価せず、没後の子規句集にも選定しなかった。そのままいけば「鶏頭」句は世に出ず、一部の子規研究者の間でのみ知られるレア句に止まったであろう。
ところが、長塚節、斎藤茂吉らの再評価を発端に、志摩芳次郎の否定論があり、一時は『俳句研究』がアンケート調査を実施。斎藤玄らが否定派、 山口誓子、西東三鬼、山本健吉らが肯定派にまわって論争になった、のだそうである。
(「現代俳句辞典」『俳句』昭和52年9月臨時増刊号を参考にして要約)

志摩芳次郎が「花見客十四五人は居りぬべし」など類想句と差がない、と否定したのに対して、
誓子はこの句を、病床の子規が「自己の生の深処に触れた」云々と、例の格調高い文体で激賞し、
山本はさすがに誓子調を「あまりに病者の鑑賞にもたれすぎている」と斥けつつも、「死病の床にあってなお生きよう・・・と願うたくましい意志」と、やはり病床で詠まれたことを前提にして、その写生の確かさを讃えている。

これは直接口頭で伺ったことであるが、現在、ホトトギス主宰の稲畑汀子氏もこの句を写生句としてすぐれていると認めておられた。ほかのホトトギス系俳人の方は知らないが、爾来、この句の評価は、おおむね山本説になびきつつ定まってきたのであり、たしか小学校や中学校の教科書などでも子規の代表句として当該句を挙げていたと記憶する。

鶏頭論争が近ごろ何度目かの日の目を浴びたのは、坪内稔典氏が『船団』81号に寄せた連載「俳句五百年」の第七回「鶏頭の句は駄作」がきっかけである。
坪内氏は、子規の代表句は「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」であり、これは芭蕉「古池や」、蕪村「菜の花や」とならぶ、三大名句である、という。(選んだのは坪内氏自身)
坪内氏は、この句が、明治三十三年九月九日の句会でほとんど注目されなかったことなどを指摘し、「鶏頭」の句が、三大名句とは違って、「作者を文脈に入れて読まれているのではないだろうか」と批判、作者名を消して読み直せばこの句は「駄句」だろう、と結論づける。

俳句は作者を抜きにして詠まれてきた。定型や季語の働き、表現のさまざまな技法などが一体化して一句の素晴らしさを作り出す。作者はその表現の力を生み出す創作の主体ではあるが、決して表に現れない。それが俳句の伝統だ。

これに反応したのが、まず、高柳克弘氏の時評「現代俳句の挑戦」俳句』2010.01号。高柳克弘氏は、坪内論を引用しつつ、俳句が作者の情報を抜きに表現のみを対象として論じられるべき、という、従来の主張を展開。作者の置かれた状況を無視した句は誤読かもしれないが、誤読を許容しない俳句に賛成できない、といった論調で議論している。

これを取り上げたのが、今度は高山れおな氏―俳句空間―豈weekly: 鶏頭論争もちょっとで、高柳論が

作品から「作者の思い」を読み取らなくてはならないという、俳句の読みの常識は、更新されるべき時期に来ていると思う。

と大胆に提言しながら「作者の思い」「作者の意図」とを同一視して斥けてしまっているという、用語の不用意さに軽く釘を刺しつつ、

私は髙柳氏がこの文章で述べている考えに全体として不賛成なので、つまり私もそのうちリセットされちゃうのね、とそんなことを思いました。

と述べる。その上で高柳論の根拠となった坪内論を批判を展開しており、「鶏頭」句が、当時子規が詠んだ鶏頭詠のなかでも独立して読まれているのはまさにその表現に依るのではないか、と問題提起しながら、

現に他とは格段に異なる強さで子規の人生をおのれに引き寄せ、時に過剰なまでの読みを誘発する力をこの句が持っている以上、この句を名句と呼ぶに躊躇う理由はないのではないでしょうか。

と稿を結んでいる。(実際に高山氏が指摘する問題点はさらに多岐にわたる)

で、そこに加わったのが、先日触れた、―俳句空間―豈weekly: 鶏頭論争もちょっと、にちょっと・・・山口優夢であった。

実際のところ、ここまでくだくだ述べてきたのは、ことの経緯のまとめのためであって、個人的にはこの句が「名句」であるかどうか、は、どうでもいい(ヲイ)。だから、これで稿を終えても良いのだが、実は山口論は鶏頭論争を超えて、いささか奇妙な(それゆえに興味深い)方向性へ発展している。つまり、「世代論」を経由して「作者にとって主体とは何か」という今日的、といって語弊があれば今日でも問題になっている話題、に発展し、たとえば田島健一氏、さいばら天気氏などが批判的に反応している。
 →「主体という領域 ~相対性俳句論(断片)」http://moon.ap.teacup.com/tajima/996.html
 →「物語を欲しがる君たちへ」
http://tenki00.exblog.jp/10728023/



正直、そちらのほうが興味深いのだが、いずれ別稿を期すことにして現代の「鶏頭論争」が抱えている問題系(最近覚えた理論用語w)に言及しておこう。(ちなみにかつての「鶏頭論争」は、写生をどう捉えるか、といった問題が重視されていたそうだ)

「作者の情報、つまり、作句の経緯や、作者の置かれた状況などを、抜きにしても句は論じられるのかどうか。」という、つまりは鑑賞側に終始した議論である。

結論から言えば私の意見は優夢氏の提示する「折衷案」とほとんど一緒である。要約すれば、

  • 鑑賞する際に「作者名」は必然的に付随してくる。そのとき「作者名」から一歩進んだ外部情報を参照するかどうか、は、外部情報を読んでからでないと判断できない。

  • 外部情報を参照したほうがよく読めるかどうか、は、ケースバイケース。表現だけで楽しみたいときは、できるだけ外部情報を忘れるよう、努力する。

  • 「鶏頭」句は、「鶏頭」の群立を「十四五本」と把握した一番手柄であるという表現上の功績があり、評価していい。(花見客~よりはピントが絞られていて、単純に併置しても鶏頭句のほうがよくできているだろう)

ということにすぎない。さらに付け加えれば、

  • 子規が当時病床にあったことを付加して、鶏頭の鮮やかさをより際だたせる読みが、一枚上の「精読」として用意されていたとしても、それはそれで、構わない。

つまり、「三大名句」に入らないからといって、「駄句」まで言わなくも。>坪内先生(^^;。 
といったところ、である。

要するに、どちらがよりよく俳句を読めるか、である。
高柳氏は、外部情報を抜きにして誤読も怖れない、といった、一歩間違えると一昔前のテクスト狂信者のような勢いで、山口氏に茶化されているが、山口氏にも問題があって、許容される「誤読」の範囲内、ということについては、かつて私も考えたことがある。
 →曾呂利亭雑記: 「俳句を読む」 ~真銅著をうけて~

結論を繰り返せば、誤読の許容範囲、は、コンテクスト(文脈)を無視しない程度、ということに尽きるだろう。そして、実際のところ大事なのは、その場の「コンテクストの範囲」なのである。

たとえば「句会のコンテクスト」においては、出される作品は少なくとも「俳句」であり、基本的には「季語の働き」「五七五」などのルールに沿って読まれることが期待されている。
坪内氏が言うように、この句が当時の句会で無視されたとしても、それは「句会のコンテクスト」においてその程度の評価だった、ということである。それが、句会出席者の限界なのか、句会というシステムの限界なのかはわからない。
とはいえ、坪内氏がいうように「句会のコンテクスト」には「作者の情報」はほとんどなく、その意味では「表現」だけに近い勝負であり、その場で「鶏頭」句が「ナシ」という判定だった、という厳然たる事実は残る。ことさら努力せずにこのような鑑賞システムを有している俳句は、確かに他の文芸とは別に論じられるべきなのである。

しかし、実際に我々は句会を離れた場でも俳句を発表するし、また鑑賞するのである。
当たり前の事実として、我々は、「鶏頭」句を句会の場で見たわけではない。時間軸の離れた我々がこの句を鑑賞できるのは、この句を残した資料があり更にこの句を選定し、印刷した句集がある、からだ。つまり、作者でなくとも誰かが残そうと思わなければ、句は残らない。
句集という形で読む以上、我々は「作者名」を消して読むことは不可能であり、また句集を編んだ「作者」または「編者」の意図を無視することも、不可能に近い。「できるだけ努力して」表現に即して読むことはできるが、それでも「正岡子規」という巨大なネームバリューの伝記的存在感を消すのは、非常に困難である。

そして、時間軸を離れた我々が、句集という形で鑑賞する以上、(程度の問題はあるが)作者の歴史的なコンテクストを外すのは、困難を超えてたぶん反則である。従って、我々が子規を読むとき、そこに「電話越しの会話」を想定するのは、残念ながら「誤読」と斥けていい。

「句会」は外部情報のない、純粋(に近い)「読む」行為を保証する。だが、そうした「純粋な読み」だけが「読む」ことなのだとしたら、何のために「句集」は存在するのだろうか。
俳句が「純粋な読み」のためだけに存在し、「句会」が「純粋な読み」を可能にする場として成立しているなら、、、それなら、俳句を句会から外して読むことを許してはいけない。句会において即興で生まれ、その場で消える、泡沫的な存在であるべきだ。つまり、活字資料としての「句集」に、存在価値はない。そうではない、と思う。
すでに何度か考えてきたとおり、すでに芭蕉の時代から、俳句は一方で「読まれる」文芸でもあった。

「句会」というシステムで表現を鍛え上げてきた「俳句」は強い。
しかし、だからといって活字文化としての「俳句」を捨てる必要はない。
外部情報を摂取して、より能動的に「読む」行為に耐えうる「表現」だって、「俳句」には許されているはずなのだ。


以上の話題はすべて鑑賞側に終始している。
俳句批評の難しさは、批評者が同時に実作者であり、ときに作家の実作を認めさせるために他の人の批評を(戦略的に)書くが多い、ことに拠る。従って、先日その通弊を開き直って認めた上に極めて話題性に富む好論をものした山口優夢氏の力業には心から敬意を表しつつも、本稿はここで筆を擱くことにする。