2010年2月27日土曜日

キャスティング (2)

 
『新撰21』の企画がいつからあったのか知らないが、私自身、若手というか、身内のアンソロジーを妄想したことがある。
すでに「花の昭和六十年俳人」の呼び声もあるが、佐藤文香、山口優夢、谷雄介の三人はいずれも昭和六十年生まれの俳句甲子園組である。これに同じ条件の数人を加えてアンソロジーにしたらどうだろう。
タイトルは「1985」でどうか。(「1Q85」でも別に構わない)
思いついたのは一年半ほど前で、誰に言うでもないまま、佐藤文香の初句集や『新撰21』 の企画を聞いて、すっかりあきらめてしまっていた。
ただ、今回の流れで一番ふさわしい話題かと思うので、そのとき考えた妄想キャスティングを書き付けておくことにする。

そのころ考えていたメンバーは、以下の六人である。
・佐藤文香
・谷雄介
・山口優夢
・徳本和俊
・藤田亜未
・久留島元

この六人だと、東西、男女、学年、いずれもきれいに3:3に分かれるので非常に気に入っている。(私、徳本、藤田は1985年の早生まれ)
不詳私と、新撰組の3人は棚上げにしておいて、以下では身近なふたりの俳句作家を紹介することにする。

徳本和俊は私と同じ甲南中高出身で、中学以来の悪友である。第四回、第五回俳句甲子園に出場。俳句甲子園に出場した全国の高校生を結ぶFax句会「バンビ句会」を発足、運営していた。私より早く「船団」に入ったが、サークルやら仕事やらにかまけて一向俳句に打ち込むそぶりなく、しかし離れるわけでもなく、数年の沈黙を経て「SHIRO」30句で2008年第五回鬼貫賞を受賞した。おそらく歴代もっとも話題性に富む作品群だっただろう。

  今朝の春松前城の外は晴れ
  九戸城オタマジャクシがまだ来ない
  月朧不来方城に回れ右
  猫の恋山形城は欠伸する
  水戸城の中納言です春時雨


冒頭から5句を引いた。
このでんで、北は松前城から、南は首里城の「首里城はまだ少し先去年今年」まで、30の城を詠み込んだ句が並ぶ。
多くは百名城とされる名城で、一見するとただ無作為に取り合わせただけのように見えるが、例えば「山形城」が奥羽最大規模の雄壮な城であることや、「首里城」の守礼門の風景などを想起すれば、ところどころ響きあうものは感じられる。もちろんそんなことも抜きにして、意味の分からないことがおもしろい、という楽しみ方でいいのである。それぞれの城へ行ったときに思い出してしまうようなフレーズがあるかもしれない、という、偶然性に賭けたような言葉遊びは、俳句の一面として忘れてはいけないだろう。

作者の側からすれば、有季定型の上に、名城の名前、北から南へ、といくつもの制約を勝手に設けて連作を試みているわけで、マゾヒスティックというか、少なくともただ思いつきだけではできない。どの城を選び、どんな言葉を取り合わせるか。彼の神経の使い方は言葉への挨拶の精神だ、と言ってもいい。その制約の彼方に、「首里城」のような連作を超えた一句があるので作品の質を保っている。

もちろん彼は、100句で勝負できる作家かどうか怪しいし、まして俳句の未来を担う人材というわけでもなかろう。本人だってそのつもりなどまったくないはずだ。
ただ、『新撰21』に一番欠けているのは、彼のような、無意味な「遊び心」ではないかと思う。
俳句の「遊び」がこういう方向だけに限定されるとは思わないが、こういう方向をまったく切り捨ててしまうのも惜しいだろう。


藤田亜未は大阪府生まれ。栄養士として働いており、いまは国家資格の勉強中だとか。すでに2007年に句集『海鳴り』(創風社)を出しており、「船団」若手のなかでは話題になることの多いひとりである。つい先日もBS俳句王国にも出演していたそうなのだが、残念ながら見逃してしまった。


  夏みかん味方が敵に変わる時
  これからもよろしく夏のはじまりぬ
  夏の森ここは立ち入り禁止です
  12秒91風の輝きぬ
  突然でごめんね夏の蝶になる


いずれも句集『海鳴り』より。
実は彼女の句集が出版されたとき、出版祝いを兼ねて句集の合評会を主催したことがある。
今、その記録を横に置きながら改めて句集を読み直してみると、やはり彼女の句はほとんど「つぶやき」と「季語」との取り合わせで作られている。巧みさはないかもしれないが、省略の詩とされる短詩型と相まって、読者が自分自身と重ねて共感を呼びやすい、思わず口ずさみたくなるような魅力を持っている作品群だといえるだろう。共感するばかりが俳句ではないが、共感される俳句も俳句である。
また、季語の感覚もいわゆる「俳句の人」ではなく、時に「夏のはじまりぬ」「風の輝きぬ」など季語の改変などもさらりと行ってしまう、案外大胆な一面を隠し持っている(歳時記では「立夏」「風光る」で立項されるのが普通だろう)。

彼女の句は句会では一発でわかってしまうことがあり、正直どうかと思うこともあるのだが、ある程度まとまった数を読むことで一貫した作者像が見え、またなんと言っても否定しがたい「わかる魅力」があり、最近ではほぼ全面的に肯定している。「12秒91」の句などは、数字を示すだけで、おそらく短距離走を詠んだ景であることがたちどころにわかる。こういう再現力というか、独り善がりにならず読者にわからせる表現力、というのは作者の天性の美質だろう。
「俳句を読まない人にもわかる俳句」というのは、変に小理屈をこねまわすより単純に、こういう「わかる俳句」なんではないだろうか。

  

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