2009年6月30日火曜日

第六回 鬼貫青春俳句大賞募集


 ☆応募規定・・・俳句30句  (新聞、雑誌などに公表されていない作品)
 ☆応募資格・・・15歳以上、30歳未満の方
 ☆応募方法
  ●作品はA4用紙1枚にパソコンで縦書きにしてください。
  ●文字の大きさは12~15ポイント。
  ●最初に題名、作者名、フリガナを書き、1行空けて30句を書く。
  ●末尾に本名、フリガナ、生年月日、郵便番号、住所、電話番号を書く。
  ●郵送またはFAXで下記まで。
   〒664-0895 伊丹市宮ノ前2-5-20  財団法人 柿衞文庫  宛
  電 話:072-782-0244
  FAX:072-781-9090
 ※応募作品の返却には応じません。
 ※応募作品の到着については、必ずご確認くださいますようお願い致します。

 ☆応募締切・・・2009年10月6日(水)必着

 ☆選考・表彰・・・2009年11月3日(火・祝)14:00~17:00
  ●於・
柿衞文庫 講座室(兵庫県伊丹市宮ノ前2-5-20)
  ●下記選考委員(敬称略)による公開選考【どなたでもご参加いただけます】
   稲畑廣太郎 (「ホトトギス」副主宰)
   山本純子 (詩人)
   坪内稔典 (柿衞文庫也雲軒塾頭)
   岡田 麗 (柿衞文庫学芸員)
   岸田茂男 ((社)伊丹青年会議所 副理事長)  (以上 5名(予定))
  ●賞
   大賞1名〔賞状、副賞(5万円の旅行券)、記念品〕
   優秀賞若干名〔賞状、副賞(1万円の旅行券)、記念品〕

http://sendan.kaisya.co.jp/onitsurasho09.html


今年も始まりました、鬼貫青春俳句大賞。
全国の三十歳未満の方、チャンスです。
是非、応募して下さい。
そして、公開選考会に来て下さい。

ある意味、私にとってはどんな賞よりも狙わなくてはいけない賞です。
…いろんな因縁がありますから(笑。

 

読者の居るところ


考えてから話す(行動する)人と、
考える前に話す(行動する)人と、
あなたはどちらですか?
私はちなみに、考えながら話す(行動する)タイプです。

このblogも、すでにお気づきのとおり、支離滅裂、論理錯綜、長くて読みにくいが結論はなくて腰砕けで、あまりきっちり考えず書いていることもあります。それでもなにか、「次の俳句」を考えるヒントにぶつかることを期待しつつ。



大きな問題に首をつっこんでいて、すこし、気後れしています。
まだ考えがまとまってはいないので、とりあえず自分が「読者」ということを考えるヒントになりそうなことをまとめておきます。



昨年、e船団「日刊この一句」で塩見恵介氏が、須山つとむ「冬銀河ゴビの駱駝の今頃は」の鑑賞で次のようなことを書いていた。
言いたいことの一つは、「句会のあり方」だ。(略)今の「技法中心」「うまい俳句至上観」では、主宰選・互選にかかわらず、「自句に点が入る」ことに重きを置かざるを得ない。「作者中心」なのである。「点が入る・入らない」よりも魅力的な意味づけを句会にもたらす仕掛けをしたい。たとえば合評の鑑賞を豊かにする仕掛けは必要だ。現在の句会の合評は、たとえ句の善し悪しを述べるにしても、おおむね作者の作句意図・作意をなぞるだけに終わっている。鑑賞によって作者を超えようとする須山つとむは現代の句会にあって希有な存在だ。 
2008年1月23日 
http://sendan.kaisya.co.jp/ikkub08_0103.html

「鑑賞によって作者を超える」。 塩見氏の鑑賞は作者の意図、既定路線を超克した新しい「読み」を目指して(ときに雄大な空回りを演じつつも)、読者を挑発する。
ところでジョーの本名は、いったい何なのだろう?ここで知り合っただけの関係。実はまだ会話もしていない。自分が勝手にあいつのことをジョーと決めているだけなのだ。
 2009年6月27日 
http://sendan.kaisya.co.jp/ikkubak.html
 参考→「ふらんす堂編集日記」http://fragie.exblog.jp/11400675/



「座」での読み手は「選者」だ、と先日書いた。「座」につく「仲間」は基本的に知識・志向を共有していると考えられる。  文台を引下ろせば則反故也。 芭蕉「座」で「仲間」に向かって放たれた句と、「句集」としてひろく世間に放たれた句とでは、たとえ同じ俳句だったとしてもまったく異なるだろう。



豊かな読み手、となると、やっぱり意識的な読み手の集まる「座」へ期待する。
大衆的読者は面倒くさがりで辞書は引かない。(略)私が句会派なのは、素敵な読者に出会いたいから。そして、そういう読者になりたいから。(塩見恵介)
2009年2月16日 http://sendan.kaisya.co.jp/ikkub09_0202.html



読者と作者をむすぶ「共感(シンパシー)」それに対峙する詩の要素として穂村弘氏が提示するのが「驚異(ワンダー)」だ。「共感」よりも「驚異」をめざしたい、と穂村弘氏はいう。
しかし、短歌よりさらに短い、俳句という極小文藝は「驚異」だけで成立しうるのか。



「直喩表現は、喩えるものと喩えられるものとの共通点が受け手に理解でき、しかも、その置換が思いがけない方向に跳ぶときに、効果が大きくなる。」
中村明『比喩表現の理論と分類』(秀英出版、1977)
参考→ 「直喩研究の指針」http://ibuki.ha.shotoku.ac.jp/~hisano/comparaison.html



たとえば「季語」について、かつて山口優夢氏は「場面設定」であると喝破した。



じつは同じようなことを私自身、教育実習の現場で生徒に話したことがある。
俳句は極めて短い。
短いことばでひとつの世界を作るために、読者が補ってくるよう工夫することが多い。
季語も工夫のひとつだと考えればわかりやすい。
季語という共有の知識、共有の感覚(の積み重ね)がなければ、たとえば次のような名句ですら成立しえないだろう。

  起立礼着席青葉風過ぎた 神野紗希

第四回俳句甲子園でこの句に出会っていなかったら、私は俳句を続けていない。
この句にとって季語の働きは、カレーのルー、程度かもしれないが、それでも確実にこの句は季語「青葉風」のもつ爽快感と向日性に依って造られている。
だから私は、「青葉風」という季語を説明するためにこの句を例示することはあるが、「青葉風」を知らない中学生にむかってこの句の衝撃を伝える自信がない。



たとえば「俳句のサブカル化」といった時。
知識と識見を兼ね備えた専門家が読み解く価値のある句がダメで、
サブカルチャーのように前提となる知識がいっさいなく読める句だけがよい、
などそういった二者択一をせまる類の議論が生まれるのだろうか。
両者は、同時に併存していていいはずだ。
 参考→上田信治「ポストモダンについて 今言えそうなこと」 
http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/06/blog-post_2593.html



同じ「教室」という、誰でも共有できる舞台設定で。

佐藤先生僕の消しゴム嗅いで去る   佐藤文香

変なことをする先生である。それを変だと思いながら胸にしまっている生徒の視線。先生と生徒との、微妙な距離感はとても「共感できる」。しかし変にずれた空気感であり、それを一句に仕立ててしまう作者も、変だ。
私は『海藻標本』の、すみずみまで俳句的神経の細やかさが目立つ句群よりも、季語も定型も思想も主張も看取できない、この変な一句のほうが好きである。



思いの外、疲れた。

     

2009年6月27日土曜日

読者、というやつ。

昨年、参加していたメール句会で、拙句をめぐってちょっとした議論があった。

  アイリッシュウルフハウンド秋の風

句の出来はさておき(本当は一番肝心なことだが)、当時この句に対して、

「アイリッシュウルフハウンド」がわからない。調べろ、と怒られそうだが、調べない。たとえわからない単語でも、なにか手がかりになるような世界観があればいいのだが、読者は作者ほどその句に愛着はないので、浸透していない言葉には無頓着であることを覚悟しなくてはいけない。
という句評をいただいた。(blog掲載にあたり、私に要約させていただきました)
ちなみにアイリッシュ・ウルフハウンドというのは、犬種中もっとも背が高いという長毛種の狩猟犬である。→ http://www.konmakk.com/iwh.html
このとき、議論になったのは別にこの話題だけではなかったのだが、私にとって興味深かったのは「読者」の立ち位置に関する言及であった。そこでそのとき、私は次のように返信した。

句会では誰もがそれぞれの知識をもって、それぞれ自由に読めばいい、とも思います。最低限の俳句のルールをふまえたうえなら、知識の多寡によって制限される句は、それだけで読者を選ぶ、特殊な句であるといえます。特殊な句を作るなら、それに見合う覚悟(理解されにくい可能性)を背負うべきだ、と、僕は思います。
だから今回の句が「読まれなかった」としても、その評価を「甘受」します。(そういう特殊な句の在り方、というのも僕は好きですけれども。)

しかし一方で、わからない季語、知らない単語に出会ったとき、例えば目の前に電子辞書があったら、それを使わないかどうか。調べて読みが変わった、ときにそれは直感的な、一般的な読みを排除したことになるかどうか。
僕ならば、調べるでしょう。調べた上での鑑賞を述べるでしょう。

ちなみに今回は、「メール句会」という特殊性があるように思います。句会では、歳時記と、せいぜい電子辞書程度しかありません。しかしメール句会ではネットに接続して何でも調べられる(可能性)がある。それを活かすことが、いいのかわるいのか。
僕は、一句を必ず「鑑賞」しなければならないなら、どういう知識を援用しても、上のように「調べて読んだ評」をします。
一方で、一過性の句会では専門知識を要求するような句、読み手=座を無視した句は、評価されずにいても仕方がないと思います。メール句会の場合は、…正直わかりません。
(一部抜粋、掲載にあたり改行箇所などを一部変更。)

考えの根底にあるのは、最近いよいよ力を増している「俳句は座の文学」というテーゼに対する、ひとつの疑問である。
この俳句の活字化に伴う結社誌の普及で、句会から俳句のおひろめの場としての機能が奪われてしまった。(略)/(書き文字であった)俳句は、特定された読者に対する限りない信頼感を軸に成り立っていた。要するに、「ここまで踏み込んで書いても、彼らなら読む筈だ」という安心感である。/ これに対して活字化された俳句は、明らかに違う風合いをもっていた。すなわちそれは始めから不特定多数の、読み手としてはまことに見えにくい読者に提供された。
小林恭二『俳句という遊び』エピローグ(岩波書店、1991)

この本以降、俳句世界は改めて「句会」の力を重視するようになった。私自身がこの本に出会って俳句を知り、句会を知った。今でも俳句の魅力の半分以上は句会にある、と信じて疑っていない。
句会、で出会った句に対しては、そのとき自分が知りうる限りの知識と読解力とでもって、全身全霊、必死に句に読解しようと努めなくてはいけない。私は小林恭二の著作からそのことを学んだのである。それが「座」を共有する人間のつとめである。
なぜなら、句会では「読み手」は「読者」ではない。「読み手」は「選者」である。

私たちは句会で、「○○選」と叫んで選句をする。「選句」する以上、その責任は負わなくてはいけない。その句がなにを目指しているのか、この句はアリなのか、なしなのか。その理由を、直感的でも良い、きちんと言えなければ、それは句に対して失礼だろうと思う。

もっとも、「アイリッシュ・ウルフハウンド」のような「俳句世界の用語」以外の知識を問うような単語は、「俳句世界」の俳人たちが知らないのも当然だ。はなから冒頭の拙句は「読まれない」可能性が高い句だったので、それはそれでよい。

しかし現代俳句は、句会を離れても成立する。つまり、活字化された俳句の場合である。
活字化された俳句を見るときというのは、基本的には「句会」の場ではない。「読書」であり、自分の娯楽だ。どう読もうが、全面的に「読者」の自由である。

ちなみに、「読者」は、普通、一句単独では読まない。
ページをひらいて一緒に目に飛び込んでくる俳句は、基本的に関連づけて読むだろう。
ページを繰っていったりきたり、あっちを読みこっちを読み、たまに著者略歴も見ながら、句集一冊から、作者の私生活を想像したりするだろう。
傍らに辞書を置き、途中で飽きてネットサーフィンし、そのまま部屋の隅に積んでおいたり、Book offに売り飛ばしてしまったりするだろう。

そういう「読者」にあてて俳句を作るのと、ひとりひとりが「選者」=つまりよりよい俳句の理解者たらんとしている場に向けて俳句を作るのと、同じ枠の中で考えて良いのだろうか?

俳句は座の文学。
というテーゼは、もちろん、活字化しきった俳句に活力を取り戻すための、意識的な試みであったはずなのだが、テーゼだけが一人歩きしていると、その「意識」が無意識に変わって、俳句が座を離れて読まれている現実を忘れてしまいそうになる。

ところで、当然だが、わがままな「読者」は、徹底的に調べて、鑑賞する自由もあるし、そういう意識的な「読者」だけをめがけて放たれる俳句も、当然ありうる。

たとえば、高柳重信の多行形式俳句という試みは、視覚的効果や、意味の飛躍、用語の特殊性、どれをとっても活字でしか楽しめない俳句を追求したものだった。
しかし、活字化された俳句は正岡子規の時代からあったはずで。
多くの俳句作家は長らく高浜虚子という巨大な選者を活字越しに見ていたはずで。

俳句百年。
いまでも俳句は、座の文学なのだろうか。


2009年6月22日月曜日

船団、初秋の集い


新型インフルエンザで、延期をやむなくされた船団の会「初夏の集い」を以下のように行います。気軽にご参加ください。なお懇親会のみ、申込みが必要です。


◆日 時: 2009年9月5日(土)14:00~ (※今回は9月5日のみです。)
◆場 所: コープイン京都・大会議室 
アクセス
(京都市中京区柳馬場蛸薬師上ル) (TEL:075-256-6600)
◆プログラム: 

◇14:00~15:00 対談 女うた・男うた―百年後の詩歌
    道浦母都子 × 坪内稔典
◇15:30~17:30 シンポ 百年後の俳句―百年後、俳句は生きているか
高山れおな・高柳克弘・三宅やよい・塩見恵介

◆懇親会: 18:30~20:30
 第一回船団賞発表パーティー

 ●会 費: ◇対談とシンポ:1,500円 ◇懇 親 会:5,000円(要・申込み)

 ●懇親会申し込み: 8月5日締め切り。はがきで申し込んでください。
船団の会 〒562-0033 箕面市今宮3-6-17
      (電話:072-727-1830)

http://sendan.kaisya.co.jp/shoka09.html


予定が決まったようです。 まだ予定は未定ですが参加できる見込みです。
よく見ると懇親会費が安くなってますね、やはり学生には辛いという声が届いたのでしょうか(笑。
大学は夏休み中なので、大学関係者は来やすいですね。皆さん、是非気軽にご参加を。
東京や他地方の方々で参加される方、ご一報くださると喜びます。
 

2009年6月19日金曜日

「俳句研究」2009年夏号


突然ですが、私は不誠実な俳句雑誌購読者であって、購読している総合雑誌はまったくない。
威張ることじゃないですね、すみません。

その代わり、学生という立場をフル活用して、大学図書館が購入している、『俳句』、『俳句研究』の二誌だけはできるだけマジメに読むように努めている、つもり。『俳句研究』に関しては、直販形式になってから一旦購入停止状態だったのを交渉して購入継続にこぎつけた。『俳句』は国文学科書庫にだけ配架されているので、たぶんうちの学生で二誌を毎号見ているのは、私一人である。

図書館に配架されるのは発刊して二週間くらい遅れるので『俳句』についての情報は結構遅くなる。そのあいだネットとかで話題になった記事はとりわけ念入りに読む。話題になってないところは流し読みになりがちなのだが、次号の座談会でもう一度再読する。
一方、『俳句研究』は販売形式が変わったせいか話題にのぼることが少なくなったが、季刊ならではの誌面の充実度は、やっぱりすごい。

今回の特集は、「宇多喜代子の世界」。
内容は、
 ・自選100句と自注
 ・金児兜太、筑紫磐井、寺井谷子、茨木和生、西村和子、木割大雄、渡辺誠一郎、片山由美子、各氏の随筆風宇多喜代子論。(というか、宇多さんとの思い出、のような感じ)

 ・略年譜
 ・大石悦子、山本洋子、岩城久治、井上弘美、三村純也、神野紗希、若井新一、各氏の「著書を読む」。
 ・妹尾健、辻田克己、高野ムツオ、ほか各氏による「宇多喜代子の一句」
 ・それに、和田悟朗、山田弘子、小川軽舟、ほか各氏によるアンケート。

高柳編集長時代の、「そのまま現代俳句大系の一冊になるような」誌面には比べるべくもないが、先日来私も言及した「特集を組まれない世代」をとりあげたものとしては重要だろう。
そして、その誌面を見ていると、なんとなく「特集を組まれない」=組みにくい、のも、分かる気がしてきた。

川名大『現代俳句 上下』で宇多喜代子が立項されていない、とは以前述べた。ちなみに平井照敏『現代の俳句』にも記載がない。
要するに、表現史のなかに位置づけづらいのではないか、と思う。
自選100句を見ても思う。
各氏の随筆で浮かんでくる、人物像からも思う。

端的にそんな印象を浮かべやすいのは、筑紫磐井氏の文章「汎時代的―時代論」である。
タイトルからしてそうだ、宇多喜代子は「時代を限ることが出来ない、汎時代的な活動をしている」
 雑誌「未定」で、「高屋窓秋の最期を看取る」宇多喜代子。
 現代俳句協会会長として「「昭和」という時間を生きてきた優れた先人達の句業、心ならずも不遇に果てた人たちの遺志、埒外に置かれたままの少数派の試行。けっしてそのままにしておいていいものではありません」と宣言した宇多喜代子。
 その一方、石井露月系の「古くさい結社」で活動を始めた宇多喜代子。
 大阪俳句史研究会を立ち上げ、「多くの人と語り合う」宇多喜代子。
 古季語、難季語研究の「あ句会」の中心人物である宇多喜代子。

それぞれの活動の顔は、それぞれ親しい執筆者が文章を寄せていて、相互補完的に宇多喜代子の多面性を明らかにしている。

こう、幅があると、…却って、論じにくいだろうな、と、思うのである。
坪内稔典氏は、もっと過激に、「今日の俳句会の中心にいる七十代、六十代」に、「明確な、そして、その人に固有の方法が見当たらない」「方法が明確でないだけに、個性もまたかなり希薄である」と批判し、そのなかに宇多喜代子、矢島渚男、大串章、黒田杏子、大石悦子らを含んでいる。(『俳句発見』所収。初出2002年)。(もっともこのなかには藤田湘子、川崎展宏、福田甲子雄ら、もうひと世代上の俳人も含まれているのだが。)

ここで、唐突ながら先日来の宿題をひとつ片付けておきたい。

実は、神野紗希さんのblogで、拙文のポストモダン言及を引いて、次のようにコメントをいただいていた。 →http://saki5864.blog.drecom.jp/archive/421

私の思うところでは、そのあと久留島くんも指摘しているように、イデオロギーという点でいえば「社会性俳句」のあたりが「大きな物語」に匹敵するのかもしれない。もしくは、「境涯俳句」あたりも、それに近い信仰をもっているような気がする。/でも、俳句において、もしポストモダンがやってくるとしたら、それは「季語」の問題と絶対に関わってくるんじゃないかな。季語を「大きな物語」とまで言ってしまっていいのかはちょっと疑問だけど、俳句にあきらかなポストモダンが訪れないのは、逆にいえば、信じるべき季語体系が、手放されずに手元にあるからなんじゃないかなあ。

季語を「大きな物語」と捉える視点は、ちょっと虚をつかれた。
でも、なんとなく違和感を感じて、直接論及を避けているうちに、すっかり忘れて先日「結語」なんて書いてしまっていたわけで。記事をアップしたあと気づいて、申し訳なく、あわててかけこみ宿題提出をさせていただきます。
直接論及できなかったのは、「季語」が農耕稲作水田文化に根付いた「物語」だ、というのは確かにそうだ、と思ったからだ。そして、稲作文化に根付いた物語大系を無視して、ただのデータベースとして使っている僕たちの姿が、「動物化するポストモダン」だと言われれば、まったくその通りな気がする。
しかし、なぜ違和感が残ったか、と言えば、伝統的に続く「物語」から言葉を取り出して、まったく違うイメージに刷新してしまうこと、というのは別にポストモダン的状況に限らず、俳句・俳諧にはありがちなことではないか、とも思ったからだ。
なぜって、歳時記という存在自体が、データベースだからだ。
それに「歳時記」は、固定した『大きな物語』ではない。どんどん新しい季語を取り入れていって、どんどん稲作文化から離れようとしている。それはポストモダン的状況に限らず、近代的都市が生まれて以来、=つまり「俳句」が生まれて以来、ずっと起こっている状況ではないだろうか?

今回の特集で、宇多喜代子さんが臨む範囲の広さと、同時に宇多さんが生きた近代俳句の広がりというのを考えさせられた。(たぶん同号にあったアベカン追悼記事も影響している)
しかし、現在の宇多さんの立ち位置というのは、どうなのだろう。たとえば昨年の『俳句研究』で一年間「季語鼎談」を主導したように、また今回の特集でも「意識的に」季語文化を生きているとの言及があったように、宇多さんはいま、季語の守護神といっていいお立場にある。

「意識的に」生きなくてはいけない文化のなかでの表現、というのは、果たして現代の表現として機能していると言えるのだろうか?

2009年6月13日土曜日

ポストモダンあれこれ、結語。


『週刊俳句』111号に、上田信治さんの記事が掲載された。 →週刊俳句 Haiku Weekly: ポストモダンについて今言えそうなこと 上田信治

上田さんとは面識がない。ないが、共通の句友が多いので、(勝手に)親近感を抱いている。そのうえ数年前、ネットを通じてたいへん面倒な議論に丁寧につきあっていただいたことがあり、以来、(面識もないのに)(一方的に)信服している。

だからというわけではないが、今回の記事にはとても共感を覚える点が多かった。
今回の「断章スタイル」の記事は、冗長な文章にして誤解を招くのを避けたためだろうか、幅広い問題意識を端的に論じていて、とても示唆的。下手な長文で書くと文脈上、当初意図しない部分が結論めいてしまうことがあるので、上田さんのスタイルはその意味でも誠実である。今回の記事もその危険が大きいが、スタイルを変えられるほど器用ではないので変えずに行きます。

まず、「ポストモダン」という語について。
私は5/24の記事で、東浩紀の著書に拠り、「ポストモダン」70年代以降の変化の総称)と「ポストモダニズム」特定の時代思潮)を分けて考えた。
一方、上田さんは高田明典『知った気でいるあなたのためのポストモダン再入門』に拠りつつ、以下の4概念を分類する。
 ・ポストモダニティ(ポストモダン状況)1970年ごろに端を発する時代状況。
 ・ポストモダニズム(ポストモダン思想)ポストモダン状況に登場した思想的枠組み。
 ・ポストモダン(思潮における時代区分)「モダンの後に位置する(今は分からない)何か」
 ・ポストモダンX(ポストモダンの要素を持つ文化的現象)
「東ポストモダン」は「高田ポストモダニティ」に対応しているようだが、
「東ポストモダニズム」が「高田ポストモダニズム」に対応しているのかどうか、
また「高田ポストモダン」がなぜ「今は分からない」のか、つかめないのだが、*
「ポストモダンX」=「ポストモダン的表現」を大きく扱うところを除けば、
おおむね東著に拠る私の理解でもしのげそうである。

そのうえで上田さんは(音にすると変な感じ)、高田著を縦横に引用しつつ、「ポストモダニズム」の沿革をあきらかにしている。このあたり、とてもあざやか。

さらにそのうえで上田さんは(わざとやってます)、やっと「俳句」に議論を移す。

上田さんがおっしゃるとおり、
 ポストモダン的表現として読める作品を、俳句に見出すことは容易である。
私は「日本的モダニズムの特徴」、つまり「ポストモダニズム文化=非モダン文化=日本文化」な錯覚だろう、と意識的に切って捨てたのですが(6/3)、
 定型それ自体が、定型に対する「問い」を生むものだからかもしれない。
という上田さんの示唆は、じっくり考える必要がある。なにしろ「俳句」は、生まれてたった百年の間に、作家ひとりひとりに「俳句とは何か?」という疑問を突きつけ続けているのだから(夏石番矢編『俳句百年の問い』参照)。

そのなかで上田さんが着目したのが、坪内稔典の代表句なのである。
  三月の甘納豆のうふふふ
・坪内稔典の句に見られる商品名や過剰な通俗性は、「わざとやってます」という文脈で理解されるべき。
・氏の他の代表作と比べても、この句には異質な肌合いがある。(略)「既知の何かをよりどころに書かれた感じがしない」というか。

上田さんは、<三月の>「メタなアプローチ」を通して、見る人に「俳句かよ?」「人間かよ?」と疑問を起こさせ、「それぞれ個別の価値」を創出させる俳句であり、坪内俳句のなかでも群を抜いて「ポストモダン的」である、という。


すこし脱線。
前に言ったとおり、最近、理論系の入門書を再読している。いま読んでいるのは近現代文学専攻の友人たちに紹介して貰った本で、
 土田知則、青柳悦子、伊藤直哉著『現代文学理論 : テクスト・読み・世界』(新曜社、1996)
 土田知則、青柳悦子著『文学理論のプラクティス』(新曜社 2001)
の二冊。
姉妹編になっていて、前者は理論カタログ、後者が実践例、といった構成になっている。わりに読みやすいし、巻末にブックガイドがついているのでオススメである。

さて、後者のなかに、川上弘美が取り上げられている。(「あるようなないような 気配と触覚のパラロジカル・ワールド」p.198~)
スリリングな展開を持つこの批評を、無謀にも一口にまとめてしまえば、

 川上作品は、ひとまずディス・コミュニケーションの世界、他者との違和感を生きている  ようである。しかし最終的に作品は、そもそもコミュニケーションという概念の根底にある「主体と客体の二分法」の撤廃へむかう。その結果、論理(ロジック)を超えたパラロジカルな世界の顕在化を、「触覚的に体験させる魔術的装置」となっている。
とでもなるだろうか。(かなりの暴挙。詳細は本文をお確かめ下さい)
この批評自体は、とても面白く、読める。
しかし、それでも私には、「不毛」に見える。

この文脈で引用するのは誤解を招くが、最近、頭の隅にこびりついていることがある。『週刊俳句』100号記念の延長に発表された、谷雄介の発言である。

「週刊俳句のココがダメだ」ということなんですけども、「~を読む」のコーナーに少し不満があります。 それぞれの作品について鑑賞を書いておしまい、という体裁のものが多いなという気がしてます。(略)どれだけ豊かに読み込めるか、どれだけ上手く書けるかの勝負を見ているような気がしてしまい、少し辟易。
週刊俳句 Haiku Weekly: 谷 雄介 「~を読む」のコーナーに辟易
理論批評の多くは、「どれだけ上手く書けるかの勝負」に、陥ってはいないか?

閑話休題。
その意味で、上田さんの今回の批評が面白かったのは、坪内俳句の「ポストモダンっぽさ」、つまり表現史上の特徴を指摘しつつ、自らの鑑賞態度の表明と、現在の『船団』に対する違和感(挑戦?期待?)、に議論が着地しているからだ。
谷氏が、今回の上田さんの批評を読んでどう受け取るかはわからないが、私としては、現代を生きる俳句愛好者・上田信治の見解に触れて、興味深かった。

そして、結論的に言うと、やはり上田さんの、
・ポストモダニティの影響下の心性、素材、技法 etc.
について言えば、それは要するに「ポスモダンっぽさ」の「取り入れ」であり、個々の作家のレベルで語られるべきテーマであって(山岳俳句とかの類)、俳句自体の課題ではないだろう。
に賛成なのである。
80年代以降を生きる個々の作家の作品や、作句姿勢について、「ポストモダンっぽさ」が看取される可能性はあるだろう。その可能性は否定しないが、…その視点は、あっても、なくても、いい。もっと言うなら、論じられるべきは「ポストモダンっぽさを取り入れた」結果、成功しているかどうか、それの表現が我々にどのように受け止められたか、ではないだろうか。


一応、本稿をもって私の「ポストモダン俳句」言及は終わらせていただきます。
錯綜した長文をお読みいただいた方々、ありがとうございました。

それにしても今回、 改めて、坪内稔典という人の表現史的立ち位置が、まだ定まっていないのだなぁ、という、問題に辿り着きました。困ったもんだ。


* 上田さんによる高田著の引用は、おおむねわかりやすく、示唆的なのだが、
「現代」が、単なる「今という時代」の別名であれば、それを「ポストモダン」と呼ぶことは、言葉の定義上できない。「今という時代」の次に来るのは、常に、次の「今という時代」だから。「現代」のあとに来るものは「現代」。「モダン」のあとに来るものは「モダン」。(同p.66)
・「ポストモダン」とは、「歴史の先端」としての「現代」の、次に来るもの。進歩の幻想の終わりの、その次に来るとされている逃げ水のようなもの。
・だから、幻想としての「モダン」が、ほんとうに潰えてしまったら「ポストモダン」という語は、意味を成さない。
これはどういう文脈で読み解かれるべきなのだろうか。
「モダン」は、「現代」というよりいまや「近代」であり(『広辞苑』にもふたつの意味が載っている)、産業革命だとか市民革命だとか、歴史的、思想史的に区分された「モダン」、チャップリンの「モダンタイムズ」の時代なのであって、そして「ポストモダン」は「ポスト現代」ではなく「ポスト近代」である。従って、今を生きるわれわれの間で「幻想としてのモダン」が消えても、時代区分として(それが歴史用語か思想史用語かわからないが)「モダン」は残ると思うし、だからこそ「ポストモダン」という区分が有効になるのは?
 

2009年6月3日水曜日

ワンダーとか、ポスモとか、コラージュとか。


詩や短歌から小説へ移った書き手は昔からたくさんいるのに、その逆の小説家から詩歌へという例は皆無である。
穂村弘「共感と驚異・その2」『整形前夜』(2009年)

とある機縁で穂村さんを読む機会があって、こんな箇所を見つけた。
しかし、俳句の歴史にすこし興味がある人なら、多くが知っているはずだ。小説家から俳句へ移った、有名人の名前を。 むろん、高浜虚子である。


これは小説の法が読者が多いとかお金になるとか言う理由だけによるものではない。書き手の加齢や経験の蓄積と共に、表現感覚が「驚異(ワンダー)」志向から「共感(シンパシー)」志向に移るのが普通であって、その逆ではないということの影響が大きいと思う。
冒頭に続くこの「驚異」「共感」論の箇所は、非常に示唆ぶかい。
まさしく虚子こそは、「驚異」から「共感」へ評価軸をずらした張本人ではなかったか。
穂村さんは、詩歌が読まれないのは「共感」よりも「驚異」に傾くからだ、という。しかし上の見立てが正しければ、俳句が読まれないのは、まったく別の理由に依るのだろう。



「ポストモダン」談義、いまだ華やかである。上田信治さんが今週末「週刊俳句」に書き下ろすそうなのでそこでひと段落するかとも思われ、わやわやしてる間にこっそり、周辺から声を上げてみたい。

問題点は、ポストモダンといっても、詠み方(表現)と、素材(内容・社会風俗)の二つの面があること。これを分けながら考えないとごっちゃになりそう。
 
神野沙希「鯨と海星」http://saki5864.blog.drecom.jp/archive/412

そのあとも紗希さんは同じくブログで、俳句にあらわれる「ポストモダン的」な事象を、
 1.「表現」としてはポストモダン的ではないが「素材」がポストモダン的
 2.「素材」は珍しくないが、季語の歴史性などに対する姿勢がポストモダン的
という二つに大別している。
そのうえで、前者の例として、
  ビニル傘ビニル失せたり春の浜  榮猿丸
後者の例として、
  三月の甘納豆のうふふふふ  坪内稔典
  押入を開けて布団の明るしよ  上田信治

などを挙げている。(同ブログ6月2日 http://saki5864.blog.drecom.jp/archive/422

しかし、どうなんだろう。
いみじくも紗希さんが「俳句はそもそもポストモダン的だとかいう意見」とおっしゃるように、曖昧模糊でヌエ的な「ポストモダン的」なる視座は、「俳句」に馴染みやすいようである。それはたぶん、先日挙げた「日本的ポストモダン」の特徴に、関わっている。
そうして見ると、1.の「ポストモダン的」なものに詩情を見出してしまう視座も、2.の季語や形式をメタ化してしまうような視座も、結局、すべて「ポストモダン的」に見える。
重要なのは、それが「見える」だけではないか、ということである。
はっきりいうと「あれもポスモ、これもポスモ、きっとポスモ♪」という非生産的なレッテル貼りに終わって、たとえば山口誓子が俳句に「モダニズム」を持ち込んだこと、それを素材だけでなく作家の時代状況からも裏づけること、ほどの意味はないのではないか。

ただ、かつて誓子が「モンタージュ」と名付けた近代の作句法とはちがう、それこそ「異物」をかかえたような俳句が「現代的」なのも、印象論としてはたしか。あえて、ある世代以降の俳句に「ポストモダン」の傾向を見るとするなら、それは「コラージュ」のような言葉で表せるかもしれない。それなれば、表現史の問題である。


「コラージュ」俳句、というのはたとえば川上弘美の俳句である。
これも俳句やってる人には有名だが、小説家・川上弘美は小林恭二らと句座をかこむ、ばりばりの俳句作家なのである。
先日、『文藝』の穂村弘特集をとりあげたあと、おもいたって過去十年間の『文藝』バックナンバーをざっと見てみた。
特集でとりあげられているのはほとんど第一線の小説家で(なぜか女性作家が目立つ)、なかに俵万智氏がいた(2004年冬号)。 が、いわゆる「俳人」からはひとりも発見できず、唯一、川上弘美特集で「川上弘美自選・百句ほど」が掲載されていた。

  はっきりしない人ね茄子なげるわよ
  泣いてると鼬の王が来るからね
  目玉おやぢ目玉あらへる日永かな
  風邪つのるつぎつぎ生れて記紀の神
『文藝』(2003年秋号)

たしか、佐藤文香嬢も言っていたが、俳句雑誌は是非、川上弘美特集を組んで欲しい。
そういえばポルノグラフィティのひとが<はせきょー>と結婚したときも俳句界からの反応はほとんどなかった。管見の限りでは「週刊俳句」に記事が一本載った程度。
 →近恵「クリスマスは俳句でキメる!」
http://weekly-haiku.blogspot.com/2008/12/blog-post_21.html

ポルノグラフィティの作詞家がつくる俳句というのも、大変興味があるんですが、いまだ実作例にはお目にかかったことがない。
俳句界は、若手不足を憂うまえに、一度見苦しいほどの「あがき」を見せてはどうか。