2020年12月21日月曜日

【転載 京都新聞2020.11.16 季節のエッセー(17)】

 「黄落期」

 歳時記では、立冬から節分までを冬季に分類する。今年は十一月七日から冬になった。お約束なので仕方がないのだが、困るのは「紅葉」が秋季に分類されていることだ。
 紅葉が秋なのは当たり前だと思われるかもしれないが、例年、紅葉のピークはどう考えても十一月半ばから後半、つまり歳時記では初冬。一足早く冬の訪れを感じたい時季なのである。「冬紅葉」という季語もあるが、どちらかというと寂しい雰囲気。「錦秋」とも呼ばれる紅葉の華やさは失われてしまう。

 多くの俳人は、嘱目()といって目の前の題材や季節感を詠み込むときは「紅葉」季語のイメージを大切にしたいときは「紅葉」と、使い分けているのが現状かと思う。

 銀杏などの黄葉をあらわす「黄落」という季語もある。「黄落期」となれば十一月も後半で、季語としては晩秋だが、世間的にも冬を感じ始めるころだろう。今年は寒くなるのがはやいようなので、紅葉も冬の訪れも、少しはやくなりそうだ。

 学生時代、地下鉄の今出川駅から地上へ出ると、ちょうど京都御苑の木々が目に入った。初冬の青空に銀杏の黄葉が映える様は、とても見事だった。講義がはやく終わって時間があるときは御苑を抜けて、四条まで歩くこともあった。御苑はお金をかけずに季節を感じることのできる、一番身近なスポットだ。

 今から思うと、学生時代はよく歩いた。
 京都大学のある百万遍へはたいていバスに乗らず歩いていたし、北大路でひらかれる句会へも、歩いて通っていた。
 地下鉄に乗れば五分、歩けば十五から二十分。コートのポケットに手を突っ込んで、その日出さなくてはいけない俳句を考えながら歩き出す。目につく言葉を口ずさみ、題材を探す。初冬の季語か、まだ晩秋の季語は使ってよかったか。

 鞍馬口の古本屋を通り過ぎ、紫明通りの銀杏並木が見えればもう半分。北大路通りを渡り、北文化会館へ急ぐ。

 そういえば京都の人に今出川から北大路まで歩くと言ったら、上り坂だから大変でしょうと言われたことがある。上り坂? 言われてみれば、確かに。
 坂の多い神戸生まれの私はちっとも気にしていなかったが、擦れ違う自転車はスピードを上げ南下していく。北山へ向かって、少し傾斜があったのだ。
 やはり町のことは、歩かなくてはわからない。


2020年11月9日月曜日

【転載】京都新聞2020.10.13 季節のエッセー(16)

「正倉院展」 

奈良国立博物館の正倉院展は今年、七十二回目を迎えるという。

NHKの紅白歌合戦が七十一回目だそうなので、それより一回多い。
そろそろ年中行事として歳時記に掲載されてもよいのではないか。

ご存知の通り、正倉院は聖武天皇遺愛の品などを中心に収蔵した東大寺の宝物庫。
そこから特に奈良時代の息吹を感じられる名品だけが選ばれる展示会なので、大変なにぎわいになる。
私は行ったり行かなかったりだが、例年、NHKの番組でとりあげられた翌日は長蛇の列ができ、一時間、二時間待ちも覚悟しなくてはいけない。
奈良国立博物館は京都に比べ、どちらかというと地味、といって悪ければ通好みの企画展が特徴だと思うが、正倉院展だけで一年の収益をほとんどまかなっているのではないかと疑っている。

幾何学模様を組み込んだ華麗な毛氈。
鮮やかで緻密な螺鈿細工。
輝く象牙の調度品。

大陸から渡来したものも多い。

ガラスケースのなかに鎮座する名宝をぐるりと取り巻いた観覧客が、口々に嘆声をあげる。

「昨日テレビで見たやつ」
「すごいねえ」
「きれい」

古代の美に圧倒されながら、現代では失われた技術を思う。時代が進んでいると思っているのは現代人のおごりで、進化したのではなく比重が変わっただけかもしれない。

聖武天皇が積極的に仏教をとりいれた理由もよくわかる。
国際化が叫ばれて久しいが、日本史上、もっとも国際的に開かれたのは奈良時代だったのではないだろうか。
唐風の都大路に仏教寺院、大陸趣味の調度品をとりそろえ、きっとかなり背伸びして、異国文化になじもうとしていたに違いない。
現代では使い方がわからない小物もあるが、そもそも当時の日本人たちはどこまで使いこなしていたのだろう。

ところで奈良国立博物館のミュージアムショップでは仏足石や蔵王権現、天女像などしぶい仏像をゆるキャラっぽく描いた「元気の出る仏像」シリーズが人気で、オリジナルのスタンプやTシャツが販売されている。
今も毎年正倉院展に通っている妻は、「走り大黒」がお気に入りなのだが、近年この像は中国の感応使者という神像ではないかとされるようになった。
渡来の神像が日本で別の神格である大黒天だと思われたうえ、現代ではゆるキャラに生まれ変わった。

悠久の歴史は、そんな転生譚も伝えている。

2020年10月24日土曜日

日本学術会議会員任命拒否の問題について(個人の見解です)

 

10月になってから連日報道されている「日本学術会議任命拒否」の問題について、かなりナーバスになって、Twitterのアカウントでもくりかえし言及しています。

 私自身が学術の世界に身を置いているということもありますが、民主主義社会の成員として、また末席ながら俳句という表現に関わる者として、今回の問題には非常に嫌な感じを覚えています。

これは特定の政党、派閥への愛憎によるものとは無関係です。

Twitterアカウントでもたびたび言及し、参考になりそうな意見はRTしていますが、ここで改めて私個人の見解をまとめておきたいと思います。

 

報道のとおり、菅義偉首相は日本学術会議の新会員について、会議が推薦した105名のうち6名を任命しませんでした。

菅首相 学術会議の任命見送り「学問の自由とは全く関係ない」 NHK WEB

新会員の任命手続きは、昭和24年(1949年)の発足以来何度も変更されてきたようですが、現行の推薦制度となった平成16年(2004年)以来、推薦された候補者が拒否されるのは初めてとのことです。

日本学術会議は理由の説明と、6人をふくめた候補者全員の任命を求めていますが、現在まで首相は「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から判断した」と述べるだけで、当事者である学術会議会長との会談においてさえ明確に回答しませんでした
しかも、「推薦リストを見ていない」と発言する(のちに官房長官が「リストを詳しく見ていなかった」とニュアンスを訂正)など、この問題について真摯に向き合ったとは思えない態度が報道されています。

 日本学術会議これまでの経緯 NHKWEB

そもそも日本学術会議とはなにものでしょうか。

日本学術会議は、日本学術会議法に基づいて設置される総理大臣所轄の機関です。「わが国の科学者を代表する機関として、科学研究の連絡を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする」(日本学術会議法第二条)のだそうで、第一条に経費は国庫の負担であること、第三条に職務の独立性が規定されています。(日本学術会議法PDF

その役割について公式HPでは、政府に対する政策提言、国際的な活動、科学者間ネットワークの構築、科学の役割についての世論啓発4点をあげています。
つまり個人的な研究活動ではなく社会への還元や、分野を超えた、あるいは国際的なネットワークの構築を担当する機関です。(一部ジャーナリストによる
別に会員でなくても、学者は自由に研究すればいい」という指摘は、そもそも根本的壊滅的に的外れです)

各分野210名の定員が規定されているほか、約2000名の連携会員がいて分科会があるとか、会員は二期6年間を務めるとか、まあいろいろありますが、規定の推薦制度では「現役会員と連携会員」が優れた研究または業績のある科学者を選考し、内閣総理大臣に推薦することになっており、推薦理由は各候補者の業績で明らかです。

昭和58年(1983年)の政府答弁では、当時の中曽根総理大臣が「政府が行うのは形式的任命にすぎません」と明言しており、従来の法解釈との整合性が問われています。
政府は平成30年(2018)にも任命手続きの見直しを行っていたことを明らかにしましたが、法解釈を変更したことは認めていないようです。

もちろん最終的な任命権が国民の代表である総理大臣にあるならば、拒否の権限がない、とまではいえないでしょう。

※今回任命拒否された6名の共著『学問と政治』(岩波新書)において岡田正則氏は「任命に関する手続を定めている「日本学術会議会員候補者の内閣総理大臣への推薦手続きを定める内閣府令」は、氏名だけを記載した名簿に基づいて総理大臣が任命すべきことを指示している。つまり、総理大臣は会員候補者の所属も性別も研究分野も業績も、そして社会的活動も見てはならない状態で任命行為を行うこととされており、それゆえ拒否の基準をもっていないのである。したがって、総理大臣による任命の拒否は恣意的で違法な行為と評価されることになる」と述べている。この規定がおかしいと思うなら内閣府令を改めるべきであり、その手続を怠って勝手に任命拒否を行った菅政権は、やはり非合法政権というしかない。2022.09.12追記。

しかし異例の拒否理由は、公表どころか、現在に至るまで学術会議側にも伝えられず、別の候補を選考するよう要請もなかったようです。

ここが最大の問題ですが、現在のように、法に規定された「定員に満たない」状態は「違法状態」にあるといえます。
政府が「違法状態」を作りだしたにも関わらず、それを是正する手段を講じないのは、あきらかなルール違反だと思います。

 

これ以外のことは派生する問題ですが、根深い問題でもあります。

 

たとえば拒否された6名はいずれも安保法制や共謀罪で政府方針に異を唱えた経緯があり、そのため拒否されたのではないかとの憶測が、新聞やテレビなどで報道されています。
政府は否定していますが、仮に業績ではなく思想信条や政治的立場によって任命が拒否されたとすれば、重大な憲法違反になるでしょう。

いうまでもなく日本には思想信条の自由があり、たとえ共産党員であろうが、新興カルト教団の信者だろうが、反社会的行為によって取り締まられることはあっても、思想信条によって不利益を被ることはあってはなりません。

望んで就任する会員ばかりではないでしょうが、職務を引き受けるかどうかは当人の判断ですし、業績以外に「総合的、俯瞰的」基準を設けるなら、事前に調整すべきです。

なお学術会議で任命されたなかには、ほかにも政府方針に反対の立場での著述を行っている会員もいるようなので、一概に思想的弾圧だと騒ぐのは早計です。

政府は、「日本学術会議」の組織のありかたについて検討をはじめ、与党でもプロジェクトチームが設置されました。

そんななか、連日テレビコメンテーターやタレント、さらに政府・与党の政治家までもが各種メディアで真偽定かでない(というより明らかに情報の偏った)情報を多数発信しています。 

2020年菅政権の日本学術会議会員任命拒否に関連して噴出した誤情報 発声練習 2020-10-15

 政府が理由を開示しないまま、(政府与党の政治家が積極的に関与して)世論を誘導し、日本学術会議へのネガティブキャンペーンが行われているとしか思えません。

もちろん、日本学術会議の活動こそ特定の思想に偏っているのではないか、恣意的に会員を選考しているのではないか、という疑問もあります。
日本学術会議が過去に行った声明や提言には「学問の自由」の観点から疑義を呈されているものもあるようです。

そのほか、予算もなく雑務ばかりだとか、活動実態のない学者貴族の名誉職、政府に批判的な老人たちのガス抜きだとか批判も根強く、調べれば調べるほど、確かに改革の必要性はありそうだと思えてきます。
改革は、大いにすればいい。むしろなくなったほうが、すっきりするかもしれない。

しかし政府が日本学術会議という組織に問題意識を持っていたのであれば、そもそも105名全員を拒否し、活動について検討すべきであり(事実これまでも改善に向け有識者会議が行われてきた)、日本学術会議法改正を議論すべきはないでしょうか。

声明や実績の敵を人事で討つ、そんな行為が許されるのでしょうか。

一部の新会員(なぜか人文学に集中)だけが拒否され、抗議を始めたとたん、拒否の理由はわからないままなし崩し的に組織そのものが変えられてしまう。それでは結局のところ官邸、ないし首相の恣意的判断を「忖度」申しあげ、意向どおり活動するしかなくなってしまう。
そうなれば組織の独立性も脅かされ、紛れもなく「学問の自由」の危機につながります。

誰が、いつ、どんな理由で6名を除外したのか、手続きに問題はないのかという説明(ないし検証)が、改めて必要です。

 

正直なところ、私も今回の問題に接するまで日本学術会議の実態は知りませんでした。今もその意義や活動実績を詳しく把握しているわけではありません。
学術会議は各分野からの選考なので私の身近な分野の会員数は少なく、今回問題になっている分野の専門家の適性を判断する力さえ、私にはありません。(加藤氏の著作くらい読んだことはありますが)

しかし言うまでもなく私たちの社会は、陰に陽に学術の発展による恩恵をうけています。
今後、学問の多様性を国が保障しない、できないとするならば、表現もまた、無関係ではありえません

「表現の自由」がいかにもろく、国家によってないがしろにされてきたかという苦い歴史を、我々は知っています。「あやまちはくりかえし」てはなりません。

 私は、今回の政府による日本学術会議会員任命拒否に疑問を持ち、その理由が正しく開示されることを望みます。


〈追記〉ついに恐れていたことが明らかになりつつあります。11月8日の報道によれば、「複数の政府関係者」が「政府方針への反対運動を先導する事態を懸念し、任命を見送る判断」をしたことを認めたというのです。(共同通信11/8(日)6:00配信

まだ公式に政府が認めたり証拠書類が出たりしたわけではないので慎重に見極めたいと思いますが、なんだかんだと言い訳を続けた背景が結局「政府方針に反対する者を排除する」という判断だったとすれば、個人の政治思想信条によって学問的業績を否定する、当初指摘されたとおり学問の自由、表現の自由を脅かす判断だったことになります。
本件が、当初から警戒されていたとおり滝川事件の再来となるのか、それとも学問の独立性に関する健全な議論の呼び水となるのか、改めて注視したいと思います。〈11/8追記〉


曾呂利亭亭主・久留島元

 

参考資料 

日本学術会議第25期会員名簿(PDF

日本学術会議会員のなかには渡部泰明氏(和歌文学)、若尾政希氏(近世思想史)などの名前があり、協力学術団体には中世文学会、日本近代文学会、日本近世文学会、俳文学会も名を連ねている。もちろん、知っている人がいないから関係ない、という問題ではない。

日本学術会議のこと たぬきのひるね2020/10/02
日本学術会議会員、美学会会長の吉岡洋氏のHP

日本学術会議会員の任命拒否について私の考えるところ 松沢裕作の補遺と弁明

日本学術会議問題に是枝監督ら映画人怒りの抗議声明 2020年10月5日 日刊スポーツ 

日本学術会議、いっそ改組されたら? JBpress 10/06

学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか? WirelessWire News

誤解だらけの日本学術会議 榎木英介のサイエンス&メディカルニュースウォッチ 10/10(土)10:35

学術会議問題「明らかな違法」 任命拒否された教授ら会見 2020年10月23日19時07分

法律家6団体「菅内閣総理大臣による日本学術会議の会員候補者の任命拒否に強く抗議し、日本学術会議法に則って会員候補者全員の任命を求める声明」

日本学術会議会員任命拒否に関する見解 近世文学会常任委員会 20201016

声明「「日本学術会議」に対する政治介入に抗議し、会員任命拒否の撤回を求めます。」 日本近代文学会理事会、昭和文学会常任幹事会、日本社会文学会理事会、日本文学協会運営委員会 10/25追記

菅首相 日本学術会議「会員一部大学に偏り 多様性の確保必要」2020年10月27日 NHK WEB 10/27追記
「総合的・俯瞰的」立場から「多様性」を求める、というのはわかるが(東大京大に偏りがちなのは明らか)、それは全体的な基準であって個人の選考基準じゃないだろう。定年による入れ替えで会員を選考することはわかっているのだから、事前に通達するか、今後考えるように、というあたりが妥当。紙に残さない、口頭で圧力をかける、得意の「忖度」文化。
それにしても、推薦・選考を行わなければいけない日本学術会議側にさえ「説明できないこと」がある、というのはどういうことなのか。

日本学術会議の新会員任命拒否に反対する声明 日本歌人クラブ 現代歌人協会 10/27追記
短歌は、動いたようです。俳句の動きが鈍いのは、いつも通りという感じですが、暗い気持ちになります。

学術会議問題で躓く菅内閣、根底には「言葉の貧困」 JBpress 11/8追記
舛添要一氏の記事。特に新しい情報はありませんが、学術会議改革をやりたいにしても戦略ミスで不正確な情報が目立つと批判しています。同じJBpressには「首相の心中を忖度する」論も見受けられますが、説明できない心中を忖度申しあげねばならぬような事態こそ、公文書や記録に残らない閉鎖的で既得権益の横行する腐敗政治だと危惧せざるをえません。

学術会議任命見送り 人文・社会科学系学会220余が共同声明 NHK WEB 11/6 11/8追記

日本学術会議第 25 期推薦会員任命拒否に関する 人文・社会科学系学協会共同声明(pdf)11/8追記

菅首相はどこで何を間違ったのか……学術会議問題“失敗の本質”(文春オンライン) 2020/11/27  12/15追記

西日本新聞 社説・コラム 【日本学術会議問題】平野啓一郎さん 2020/11/30 11:00 12/15追記
日本学術会議は政府から独立を、自民党PTが提言 大学ジャーナルONLINE 2020/12/14 12/15追記 

自民党プロジェクトチームによる【日本学術会議の改革に向けた提言】(PDF)あり。
独立した法人格とすることにより「政府の内部組織として存在しているにも関わらず、政府から独立した存在であろうとすることで生じている矛盾が解消する」と他人事のように言ってますけどそもそも今の日本学術会議法を定めたのはいったいどこのどなたなんですかね。
そもそも独立していると明記されている法文を無視して「内部組織なのに介入できない!」って駄々をこねているのが現政権ではないのか、と。
いろいろと【改革案】が述べられていますが、現在、どこにどんな問題がどのように生じているか、という指摘はせずに「骨太の助言を期待する」「アカデミアの政治的リテラシーの向上」など丸投げ表現が踊り、これだけ見ても何が問題なのかはさっぱり理解不能ですが、とりあえず「人文・社会科学」研究者を目の敵にして発言力を小さくしたい、という意志だけは伝わってきました。

【独自】「首相の違法行為」学術会議任命拒否に抗議し辞任 東大名誉教授が文化庁の会議座長を:東京新聞 TOKYO Web 2020/12/15  12/15追記

池内恵 時代錯誤のレッドパージと学者集団の大いなる矛盾(中央公論)2021/01/19配信 21/2/1追記

日本学術会議の一部に、歴とした国の機関に属しながら時代錯誤のマルクス主義や、一面的な反軍思想を掲げる主張や活動があり、古色蒼然たる「不平士族」の対応策のために政権の対応も時代錯誤の「レッドパージ」になってしまっている、と指摘する。

抜粋記事で全文ではないが、ネットで読める範囲では、学術会議の抱える問題はあるが、法で定められた国家機関に対して、改革案も代替案も出さず、「人事を用いて締め上げる」陰湿な為政者としてのイメージを与える失策だと、ごく当然の批判を行っている。

日本学術会議幹事会声明「日本学術会議会員任命問題の解決を求めます」令和3年1月28日日本学術会議幹事会資料(PDF) 21/2/1追記

任命拒否巡る文書、内閣府が不開示決定 共同通信6月28日 21/8/21追記

学術会議任命拒否 候補6人と弁護士ら、理由不開示に不服申し立て 毎日新聞2021年8月20日 21/8/21追記

学術会議「任命拒否」の理由不開示に不服、学者らが審査請求 弁護士ドットコムニュース 2021/08/20 21/8/21追記

1年近く経って話題になることが少なくなりましたが、改めて問題を整理すると恐ろしくシンプルです。

《問題》日本学術会議法に基づいて設置された日本学術会議において、平成16年以来定められた推薦制度に基づいて推薦された105名の会員のうち6名のみが、内閣の任命を拒否され、理由も開示されていない。

《ありがちな意見へのコメント》

  • 内閣に人事権がある → 昭和58年の政府答弁(形式的任命)に矛盾。
  • 人事理由を開示すべきでない → 推薦すべき学術会議側にも説明されておらず、代替案提出すらできない。「任命拒否」への抗議ではなく「理由不開示」への抗議である。
  • 推薦理由の説明が先 → 内閣に提示済み。各人の業績はオープンにされている。
  • そもそも組織に問題がある → 6名だけが拒否される理由になっていない。
  • そもそも組織に問題がある → 法改正議論して組織改革しろ、話はそれからだ。
  • 外国では学術会議は独立機関で → 法改正議論して組織改革しろ、話はそれかry
  • 税金が投入されるなら国民の理解を → 法改正議論して組織改革しろ、話はそry
  • 反日学者の集団だ → 憲法で保障された思想信条、学問の自由に基づき、不利益を被ることはあってはならない。組織の問題は法改正ry
  • 勝手に研究すればいい → 学術会議活動と個人の研究活動は別なので話にならない。

《政府与党メンバーが主導したデマ》

  • 下村博文氏「政府に対する答申は2007年以降出されていない」
    →政府が諮問を行っていないため「諮問に対する答申」は提出されていないが、提言、報告を多数行っている。
  • 甘利明氏「日本学術会議が中国の軍事研究「仙人計画」に積極的に参加している」
    →国際的な学術交流は行っているが軍事研究に参加した事実はなく、甘利氏は当該ブログ記事をこっそり「間接的に協力しているように映ります」と修正。2020.10.12

以上2021/8/21追記。


今回の問題以前に日本学術会議の声明や活動について批判している記事

 「学術会議声明批判」戸谷友則『天文月報』112-1_47 2019.01

自衛官と大学の関係について雑感 舞鶴鎮守府別館からの雑感 2017-02-17


2020年10月13日火曜日

【転載】京都新聞 2020.09.07 季節のエッセー(15)

「変わり目」 

食事時、使っている器が壊れそうになっていることに気づいた。

前から少しひびが入ってはいたが、いよいよ寿命のようだ。

我が家ではもっぱらシチューや煮物を入れるのに使っている深めの器、本当はカフェオレボウルといって、フランスではカフェオレを入れて飲むらしい。

休日に雑貨屋に寄ればいいだろうと思っていたら、妻が信楽まで足を伸ばそうと言う。それなら、と出かけることにした。

車を運転するのは妻である。

信楽では、三月まで放送されていた朝の連続テレビ小説「スカーレット」関連で観光協会主催の展示やモデルとなった女性陶芸家の作品展をやっていて、実はそれも見に行けたらと話していたのだった。

滋賀県が舞台だったこともあるが、放映中、あのドラマに我が家はすっかりハマってしまっていた。

何度失敗しても止められても穴窯に挑み続ける主人公や、お互いの才能を意識し、擦れ違いながらも新しい関係を築こうとする家族の姿は、途中コミカルな掛け合いを交えつつ、淡々として荘厳な印象さえ受けた。

創作、表現に少しでも関わっている人にとって、特に胸に迫る内容だったのではないか。

梅雨明け前の信楽でも、最高気温は三十度を超えていた。

会場入り口で手指の消毒や記名をうながされる。いまやおなじみの風景。

展示の内容はドラマで使われた昭和の舞台セットや小道具。マスクをつけた子どもたちが歓声をあげ、ドラマの登場人物の名前を呼んでいた。わかりやすい内容ではなかったと思うのだけど、よほど好きだったのだろうか。

私の小学生時代は、トレンディドラマの全盛期。熱心な視聴者ではなかったが、今「スカーレット」を見て成長していく子どもたちとは、社会を見る目はきっと違うだろう。

ニュースでもよく取り上げられる信楽駅前の大狸像は、マスクと法被で夏の装いだった。

カフェオレボウルは見当たらなかったが、駅隣接のお店でマグカップをひとつ買った。一品ずつ手作りの作品を仕入れているという。駅のお土産屋さんにしてこのクオリティー。

暑いのに来てくれたから、と箱詰めの料金をおまけしてもらったうえ、うまく包めなかったと言って紙袋までもらってしまった。そういえばレジ袋も有料になったのだった。

きっかけは様々だが、時代はいつも変化している。変わり目の、夏の思い出。(俳人)

2020年9月9日水曜日

【転載】京都新聞2020.08.03 季節のエッセー(14)

 「死後の世界」

地獄の釜がひらくと、ご先祖様が帰ってくる時季である。

京都のお盆といえば(ろく)(どう)(ちん)(こう)()の六道参りが、今年は中止らしい。〈中止ではなく規模縮小、オンライン実施だったそうです〉

寺には平安時代の文人官僚、小野篁(おののたかむら)ゆかりの井戸があり、特別公開の時期は観光客でにぎわう。篁は、昼は内裏で勤め、夜は井戸から地獄へ通い、閻魔王の補佐をしたといわれる。数年前に、従来知られていた「冥途通いの井戸」のほかに「冥途返り(黄泉返り)の井戸」つまり帰り道が発見され、話題になった。このときはストラップまで記念発売されて、お世話になっている方が欲しいというので買いに走ったのだった。

ちなみに中国にも名のある文人が冥界で働いていたという説話がある。篁の説話は中国説話を翻案したのだろう。

死者を迎える「迎えの鐘」は小屋のような囲いでおおわれており、例年の六道参りでは参拝客が鐘を撞くためごったがえす。

  金輪際わりこむ婆や迎鐘  川端茅舎

『今昔物語集』によれば、この鐘は篁の寄進でつくられたという。名人の鋳造した鐘は、三年間土に埋めれば撞く人がいなくても自ら定時に鳴ると予言されたが、三年経たずに掘り出されてしまったという。

異説では、それでも唐土まで鐘の音が響いたため、冥途にも聞こえるだろうといって、盆迎えの時季に撞く習慣になった

そのころ珍皇寺は、周辺の地名にちなみ愛宕おたぎ寺と呼ばれていた。愛宕おたぎぐんの正確な範囲はわからないようだが、平安京の葬送地のひとつだった鳥部野とりべのふくむ広大な地域だったらしい。

鳥部野は、現在の清水山墓地に続いている。

珍皇寺周辺は六道の辻と呼ばれ、ほかにも地獄絵で有名な西福寺、幽霊の子育て飴を売るみなとやなど、彼岸に近い場だ。

六波羅蜜寺には空也(くうや)上人像もある。空也にはじまる踊り念仏は盆踊りにつながるので、まさにお盆シーズンにはうってつけだ。

ところで、京都の西北には愛宕(あたご)山がある。

火伏せと天狗信仰で有名な愛宕神社の総本宮。そして愛宕山の麓には、これも葬送地である化野(あだしの)がひろがり、愛宕郡から移ってきたという念仏寺がある。

さらに愛宕山には能「愛宕空也」の舞台となった竜神のすむ滝がある。

ちょうど京都市内をはさんで、対角線上にあるふたつの地名が響き合い、京と死後の世界をつないでいるのである。(俳人)

2020年7月27日月曜日

【転載】京都新聞2020.06.29 季節のエッセー(13)


「町の歴史」

外出自粛が続くなか、ご多分にもれず極端な運動不足になった。
もともとアウトドアなほうではないし、自宅勤務で家を出る機会が減り、施設の休業で行くところがなくなって、本当に家から出なくなった。
買い物も気をつかうので、ひたすらパソコンの前で作業をしたり、人と連絡をとったり、ネットサーフィンをしたりの日が続く。
さすがにこれではいけない。
歩くべし。

神戸から滋賀に移って三年目だが、買い物スポットや通勤路以外は知らない道も多い。
ひとまず近くの神社をめざす。
このあたりはマンション隣接地帯と田んぼとの距離が近い。田んぼ道からさらに住宅街へ。桜の木が見えてくる。今年は花見もできなかった。目的の神社は、大きくはない地元の村社だが、創建は欽明天皇にさかのぼると伝え、鳥居や社殿が立派だ。例祭には子ども相撲の奉納があるそうだが、今年は中止になった。やむをえない。夏越しの祓えはあるだろうか。
そこから迂回して自治会館を目指す。その近くに「行者堂」があることをグーグルマップで確認済みだ。不審者で通報されたらどうしようかと不安になりながら、スマホ片手に曲がりくねった細い路地を進む。あった。残念ながら行者堂は施錠されていた。家から十分ほどの地域に息づく信仰の現場である。
路地を歩いていて、昔ながらの集落と新興住宅地との境が明らかな場所や、地元ならではの苗字の表札を目にすると思わず立ち止まってしまう。安易な憶測は他人のプライバシーを傷つけるので危険なのだが、町の歴史に触れた気がして、わくわくする。
滋賀県は人口あたりの寺社の数が多く、古い寺社が残る土地だ。自転車で行ける距離に、重要文化財を守るお寺があるので驚く。
先月も、観光では行かないような寺社をいくつかめぐった。細い路地や農道も示してくれるグーグルマップは、こういうときも強い味方である。
とはいえ、位置情報システムで動きを把握されているというのは、考えようによっては恐ろしい。そういえば感染者の行動把握にも活用されているようだ。
  青嵐神社があったので拝む  池田澄子
 池田さんの句は、たまたま見つけた、お参りしたという気軽さが心地よい。「グーグルに神社があったので拝む」私は、神さまよりスマホに見られているのかも。(俳人)

2020年7月16日木曜日

ビジネスニーズとマーケットの話


あらゆる業界で、マーケットを広く大きく流行にのせる、というより、ニッチでも欲しい人へ届ける、という流れがあると思う。
わかりやすい大きなヒットより、ニーズのあるところに投げ込んで、バズったものが後追いでブームとかヒットとか名づけられる、という感じ。
その結果、「ニーズのあるところに欲しいものを与える」式のビジネスモデルが唯一正解みたいになっているように思う。
買ってくれる前提の市場にエサを与える、公式が供給するのを待つオタク、みたいな囲い込み戦略ばかりになる。 これに「嫌なら見るな」「人の好きなものを悪く言うな」というお気持ち配慮が重なり、容易にカルト化していく。
近しい分野だと出版業界がそれ。
枕詞のように使われる出版不況の実態は、ネットの充実による紙の雑誌不買で電子書籍などの分野を考えると大きな変化がないことが明らかにされつつあるけど、もとより売れないはずの句集や研究書は、明らかに以前よりボンボン出版されていて、人気者になればどんどん一般書を出すようになっている。
もちろんその人たちの仕事が認められ注目されているのだ、と思えば嬉しいしいいことなのだが、結局誰に向けて届けてるのか、どこへ発信できているのか。
カルト的に、教祖の本を買わせてるだけならこれ以上タコツボ掘り進むことに意味があるのか。

オタク界隈でいえば、地上波ゴールデンでの子供番組が減り、深夜帯で、ある程度自由な製作が許されている反面、一定の固定ファンがジャンルを支える、そんな構図なのではないか。周辺ジャンルや歴史を掘り返すような広がりは見込めない。

そういえば、パンデミックの影響下で大学ではオンライン講義が普及したが、学生を名乗るアカウントでオンライン講義の不備を糾弾し学費減免を訴えるものが散見された。
それらの学生の「消費者目線」のクレームに大きく欠けていたのは、本来高等教育が持っていた「自習」という観点ではなかったか。
「自習」の観点のないところに、ただエサのように供給しつづけて、それがどこへ繋がるのだろうか。
 参考:学生の日常も大事(1) - 中世文学漫歩

もちろん私自身は本を読むのが好きだし買うし、俳句においても研究においても本出すことが多いグループに属しているし、はっきり出版反対、などと短絡な意見を言うつもりはない。 というよりできないのだが、しかし「本出す」「活字でまとめる」ことにかつてほどの魅力がなくなってきた時代だからこそ、どうすべきか、どうなっていくべきか、は考えなくてはいけないと思う。もしかしたら、自家中毒は手遅れのレベルに達している。

これはよく「日本のビジネスモデルがガラパゴス化する理由」としてあげられる構図とよく似ている。国内ニーズにあわせて最適化していくうちに大きな変化に乗り遅れる、というやつだ。
ビジネスモデルとしては「マーケットイン」と「プロダクトアウト」の対比として説明されるけれども(参考:どっちか一択?マーケットインとプロダクトアウトの正しい考え方)、当然出てくる反論として、「文芸表現」「研究」と「ビジネス」は、同一では語れない。ビジネスは、売れたら正解だけれども、「文芸表現」も「研究」も、売れるか売れないかより、次世代への「更新」のほうが大切な面がある。
そして、自分で新しい表現、新しい分野を開いたつもりでも、それが、カルト的に閉じた場を作ってしまうだけであれば、とても危うい。

研究の場合なら、幸いなことに「専門家」によってある程度の公共性、客観性が担保されるところがあるから、それがどのような公的評価されているかによって、ある程度判断することが可能である。
ニッチなものでも高い評価を得ているものはあるし、逆に、バズって大ヒットしていても「専門家」によっては全く評価しない、できない、それどころか批判されているものもある。もちろん公的評価がいつも正しいわけではないけれども、いつも正しいわけではないから全て間違いだというのは、無茶な議論である。専門知は、専門知として尊重されるべきである。それによってカルト的トンデモとの差異をつけることができる。

ところがプロフェッショナルとアマチュアの区分が地続きの「第二芸術」においては、プロとしての活動が結局のところ「結社制度」のように、師弟関係が、生徒からの学費で稼ぐ先生という経済活動になってしまうところがあり、しかもそれが、主宰が生計を立てるためのカルト的なマーケットを作り出すだけだとすれば、当人たちはいいけれど、一体何のための表現だったのか、わからなくなってくる。
それでも師弟関係には指導という対価があるが、仮に、出版というビジネスに支えられたプロ活動が成立したとして、それが一部の購買者に対してのみ通用するものだとすれば、純粋な作家と読者との関係のなかで、表現はどこへ進むだろう。

戦後、現代俳句協会は「俳人相互の生活や著作権の擁護を主目的」として設立され、新人賞や機関誌を設けた。(楠本謙吉『戦後の俳句』教養文庫など参照)
協会、ひいては近代的な俳壇というつながりは、タコツボ化しカルト化した商売になりがちな個々の結社ではなく、広いプラットフォームで俳句を評価し、職業作家としての生活を保障するために生まれたのではなかったか。
そうして生まれた協会や俳壇が、逆に作家活動や生活を侵蝕するようなことがあるなら、それは本末転倒といえる。

プロとしての矜持を持ってあえてビジネス面の挑戦してきた尊敬する友人が、その人自身の達成やがんばりとは別に、結局のところ、公共的な場から離れた個人サロンを作りだしているように見える。そんな危うさのなかで、どのような形でカルト的な世界同士をつなぎとめて、大きな更新を作れるだろうか。


過去ツイートをもとに追記、改稿

2020年7月12日日曜日

廃品処理 いつですか30句


第8回俳句四季新人賞にこっそり応募したところ、一応最終候補41作に選んでいただいたようです。受賞作は既報のとおり、浅川芳直さんの「雪くるか」、曾根毅さんの「焼身」の2作同時受賞。
それぞれ、作家の個性が出ている作品。おめでとうございます。


で、拙作。こういうの、いままで箪笥の奥(比喩表現)で腐らせていたのですが、無駄なので掲載しておきます。2019年作。
選考会では無得点なので当然コメントもなし。選考委員高野ムツオさんによれば「魅力ある作品が少なかった」とのこと。今見るとずいぶん平和な句が並んでいて、2020年の新人賞として選ばれなかったのは当然かなとも思いますね。



「いつですか」
1.        業務連絡鬼A外へ福は内
2.        森のなか駆け抜け雛祭を見に
3.        平成の怪物の遺書木ノ芽時
4.        胃カメラのずるずる進む春の鼻
5.        花の客医者と薬の話して
6.        春は今でしょうか夏はいつですか
7.        神様の一撃やがて黴生まれ
8.        重代の武者人形と偽系図
9.        肩車されて端午の司令官
10.    わたくしのくの字しの字がなめくじり
11.    王様は痛みに耐えて寄居虫に
12.    強そうなサンバイザーの早歩き
13.    女王の昼寝を運ぶベビーカー
14.    この道で昨日踏まれた松落葉
15.    鯉が鰓ひらくよ夏が終わるのだ
16.    残暑とは「ムー」のずらりと並ぶ棚
17.    生きることパンを買うこと秋桜
18.    百日紅後悔すればきりがない
19.    亀虫を8まで数え飽きている
20.    なんてことないわけないや星月夜
21.    私の希望に沿わぬ芒原
22.    ポストあかあか嵐ちかづく
23.    古墳から出てきた子どもハロウィーン
24.    蛇穴に入ると穴から泣き声が
25.    ポッキーの日よ締切よ締切よ
26.    冬の海鯨の精が放たれて
27.    日向ぼこじっと逃亡者の気分
28.    虎落笛爪の再生する過程
29.    寒北斗いま新天地別天地
30.  狐火の動画眠りにつく儀式

2020年7月6日月曜日

【転載】京都新聞2020.05.25季節のエッセー(12)


「子規の写生」

 不要不急の外出自粛(・・)。接触者の八割減を目指した国の要請(・・)や施策で、「新たな日常を取り戻す」という、矛盾した標語まで飛び出した。
不思議な感覚だ。
予定されていた句会、勉強会は軒並み中止となり、大学の講義も全て遠隔授業、つまりオンラインでの動画配信や資料共有になった。教員も学生もほとんど大学へ通うことなく、ひたすら課題を通して向き合う日々である。新入生は、大学に入った実感もないのではないだろうか。
 外に出ることができない。そんな状況に、明治の正岡子規を想起した俳人は多いのではないか。
子規は二十二歳ではじめて喀血し、二十九歳のころから病状が悪化するが、以来、三十四歳で没するまで病床で執筆活動を続けた。
仰臥漫録(ぎょうがまんろく)』は、晩年激痛に苦しみながら記した病床記録のようなものだが、今も多くの人に愛されている。それは痛い、苦しい、辛いと訴えながら、どこまでも元気な子規のパワーに圧倒されるからだ。
 たとえば、有名な子規の大食ぶり。
毎食(かゆ)を三碗(毎日ではない、毎食である)たいらげ、そのうえ朝は菓子パン、牛乳。昼は(かつお)佃煮(つくだに)、間食に団子をほおばり、夜はまた鍋や焼き魚を食べて感想を書く。
 そして子規は、よく人に会う。
高浜(たかはま)虚子(きょし)河東(かわひがし)(へき)梧桐(ごとう)()(とう)()()()といった人々が毎日入れ替わり訪問し、雑誌の打ち合わせをしたり、議論を交わしたりしている。
関川夏央さんの小説『子規、最後の八年』でも書かれていたが、子規はすぐ仲間を呼び出した。電話やはがき、電報と手段を駆使し、来るのが遅いと一日何度も連絡させた。かなり大変。
 子規の重視した「写生」という方法は、動きのとれない病床からの庭のながめから生まれた。毎日の小さな変化こそ、頭で作るよりもオリジナルな素材の宝庫だというのである。子規が毎日訪ねてくる仲間と交流し、刺激しあうなかで生まれた発見だった。
 考えてみれば、明治時代ならテレワークという訳にはいかなかった。
十年前と比べても動画配信のスピードは段違いだ。
もちろん対面に比べ不便なことは多いが、通信の発達した今だからこそできることは多い。子規が現代にいれば、きっと今を楽しんで乗り切ったに違いない。
そう思えば、直接出歩いたり、人と会ったりすることのできない今も、立派な「写生」の対象だ。(俳人)

2020年5月27日水曜日

【転載】京都新聞2020.04.20季節のエッセー(11)

「豆ご飯」


の塩焼き、春菊のポン酢和え、がんもにスナップえんどう、大根とトマトのサラダ、若布(わかめ)スープに豆ごはん。
わが家のある日の晩ご飯。エッセーの話題がない、と妻に相談したところ「今の時季なら豆ごはん」と宣言して作ってくれた。
共働きなので普段の家事は分担制。食事も朝は出かけるのが早い人、夜は帰宅の早い人が担当し、作ってもらったら必ず食器を洗うのがルール。
当初、チャーハンと野菜炒めしかなかった私のレパートリーもだんだん増えてきた。
幸い、ネット上には初心者向けに丁寧なレシピがあふれている。そのうえ出汁パックや冷凍食品、メニュー用調味料など力強い味方は多い。日本の企業努力万歳だ。
とはいえ一人で食べる昼食なら、多少塩加減や分量を間違えても我慢して食べてしまえばよい。問題は人に食べてもらうときだ。二人分には量が少なかったり(キャベツは焼くと予想以上に嵩が減る)、あちらを準備している間にこちらが冷めてしまったり(鶏肉は意外に火が入りにくい)、悪戦苦闘である。
特にこの三月は、思わぬ厄災で予定が軒並みキャンセルになってしまい、家にいる時間が増えたので私の担当機会も増えてしまった。
一方妻は、平日は時短ですませることが多いものの、一度思い立つとしっかり季節感のある料理を作り始める。わざわざ毎年苺を買ってジャムを煮詰めるのには感心してしまう。おかげでヨーグルトに合わせる甘味に不自由しない。
コロナ騒ぎがこれほど大きくなっていなかった二月の下旬。俳人の大石悦子さんに公開でお話を聞く機会があった。
大石さんが、師事された石田波郷から最後に添削をうけた句、
 今日よりは()(もは)ら妻(にら)の花
には「鍛錬会に出席(かな)はば、向う一年、句会には出でずともよしとわれから夫に言ひたれば」との前書がある。当時、専業主婦が一泊二日の鍛錬会に参加するには、それだけ制約があったのだ。
大石さんは、句会の日はカレーやおでんを作り置きして出かけたので子どもたちに申し訳なかったといった話もしてくれた。男子厨房に入るべからずの時代のことだが、今も案外、そんな家庭は多いのかも知れない。
 今度、蛤ご飯に挑戦してみようと思っている。私の場合はレトルトだけれど。(俳人)