2010年4月28日水曜日

近況、2

 
坪内稔典『モーロク俳句ますます盛ん 俳句百年の遊び』(岩波書店2009.12)

がおもしろい。


 時間性を抹殺する俳句形式の構造に、作者の精神の空白状態が交叉したとき、そこに「俳」とも呼ぶべき独自の「表現」が成り立つ-これが、山本(引用者注、山本健吉)の虚子論が私たちに教えてくれることである。つまり、俳句の特殊性は、「季題」でも「物と言葉の二重構造」でもなく、形式と作者の二つの「空白」が交叉する場所にあるということになろうか。
 俳句形式が時間性を抹殺する構造だと言うことは、そこではことばによる「表現」は本来的に成立しないということであり、換言すれば、形式のうちに「空白」をかかえこんでいるということだ。……特にこの「空白」は、作者の精神(意識)の「空白」状態に触れたとき、たとえば虚子がそうだったように、もっとも波紋を拡げる。

「戦後俳句のゆくえ」前掲書

近著にしては硬い文章だな、と思ったら、初出は1981年、『鑑賞現代俳句全集第一巻』(立風書房)であった。
興味深いのは、およそ30年も前の文章を、自ら「私の俳句論の三部作をなす」とする本書に収録した、その意味だ。坪内氏は上の文章に続き、俳句形式が先験的に孕む「空白」に意識的に向き合い、自分の意識の「空白」と交叉させた作家の成果として、
  夜のダ・カポ/ダ・カポのダ・カポ/噴火のダ・カポ  高柳重信
を挙げている。

前時代の作家たちが意識した「主体」や「表現」や「社会性」などと別に、坪内氏が高柳重信の「敗北主義」から継承した「空白」への着目というのは、何なのか。また、坪内氏が「戦後俳句のゆくえ」から30年後の現在に見ている風景はどういったものなのか。すなわち、我々の目の前に現れる俳句を、どう見ていくか。どう作っていくか。

もう一節、同書から、今度はもう少し新しい文章を引く。

最近、私は、
 たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ
という自作を興味深く眺めている。「ぽぽのあたり」についていろんな読み方が行われており、作者としてははっとしたり驚いたり。それは、今までは気づかなかった自分の一面を見る感じ。この句を通して連衆の力を感じているのだ。
もちろん、連衆の力だけを信じているのではない。連衆の力を引き出すには、おそらくいろんな個人の力がいるのである。恐ろしいことだが、たとえば深い孤独感などがその個人の力。

「連衆いろいろ」、前掲書。初出2001年

 

2010年4月20日火曜日

おいおい

 
いや、俳句とは何の関係もないけれど。

あなたのつぶやきが永久保存される意味

 

2010年4月18日日曜日

新聞記事から 付告知

 
俳句界では俳句が内向きで俳句作家以外に対するアピール力に欠ける、ということはほとんど通説で、結社の弊害とか読者層の固定化とか若者が作らないとか、いろいろ嘆き節を聞く。ところが「日本文化」の代表としての認知度、期待度は内部の人が思うより高いらしい。
このたび、外つ国へ向けて「俳句」の伝導をお国が支援してくれるという。

俳人黛まどかさん、文化交流使に 文化庁が指名

1200万円。。。よくもまぁ、「仕分け」されなかったものだ。
と思ったら、もうひとつ「外国俳句」に関して。

EU大統領:句集を初出版 欧州俳壇デビューを果たす

ふーん。。。

海外における「俳句」ってのは、どうもよくわからないのですが、こうして見ると思ったより「俳句」は「期待」されているんでしょうか。
ただ、たとえば藤原正彦氏の文章に芭蕉の「わびさび」が引用されたりしているのを見ると、どうも過剰な「日本文化」を期待されているのではないか、という気がしてしまうわけですが。。


 *

それよりも面白そうな、大阪俳句史研究会の6月例会の宣伝。

6月26日(土):総会・記念講演 
 記念対談 青木亮人×わたなべじゅんこ―「子規と子規以降の俳句史めぐって」―

青木さんは、こちらでもたびたび参考にさせていただいている、気鋭の近現代俳文学研究者。私の大学の先輩でもあり、また講義に潜っていたこともあるので「先生」でもあります。
5月には東京の大東文化大学開催の近代文学会でもご報告される予定のハズ。

わたなべさんは、これも私がずっとお世話になりっぱなしの「船団」の大先達。
最近、『seventh_heaven@』『junk_words@』という独特のタイトルの句集を2冊続けて刊行され(前者2008年7月。後者2009年6月)、更に続けて、プチ俳句評論集と名付ける『俳句の森の迷子かな―俳句史再発見―』(2009年11月)を刊行された。もしかすると「船団」でいま一番俳句に対して自分のスタイルを貫いている人かもしれない。
今月からはe船団の時評欄で小倉さんと丁々発止のやりとりを繰りひろげておられますね。小倉さんもわたなべさん相手なので、前回よりのびのびしておられるように見える。今後の展開が楽しみ。


で、お世話になってる二人(二人に面識はないはず)ながら、性格はまったく違うし、同じ明治期の俳句を扱ってもアプローチの方法も随分違うので、これはどんな対談になるのか、まったく予想ができません。本来ならかけつけて一番前の席で鑑賞したいのは山々なのですが、、、うーん残念。当日、私は専門の学会で広島にいるはずです。なので、参加できないのですが、ともかく告知だけはさせていただきます。 誰か行かれる方、あとで教えてくださーい。


曾呂利拝
 

2010年4月12日月曜日

近況

 
落選のお知らせがいつまでもトップなのは気分が悪いので、近況報告。

気づかないうちに新年度が始まっていて、あれよあれよという間にもう十日。
うにゃらうにゃら、俳句も本業も続けていますが、最近はそれにまつわる雑用のほうが多い気がする。ちょろちょろちょろちょろ、お金が出て行くばかり。

最近、ネットやらリアルやら、古本屋で坪内稔典先生の旧著をつづけて購入する機会にめぐまれた。今読んでいるのはこの二冊。

 『過渡の詩 現代俳句行為論』牧神社、1978年9月

 『弾む言葉・俳句からの発想』くもん選書、1987年2月

『過渡の詩』は評論家・坪内稔典の初期の記念碑的作品として有名で、私も「過渡の詩」というキーワードはよく耳にしている(「過渡の詩」を盛り込んだ坪内氏の文章も読んだ記憶がある)。が、まとめて読んだのは実ははじめて。少々当てが外れたのは、「現代俳句を過渡の詩と位置付けた」論考自体がこの書には収められておらず、「過渡の詩」である俳句を「行為する」とはどういうことか、という各論が続く。やっぱり『正岡子規―俳句の出立―』から読み始めるべきだったか。

しかし、今の坪内先生の文章からは想像できないような文体で、難解と言わないまでもどこに力点を置いて読めばいいのか、手探り状態で読んでいる。
とにかく「現代俳句」が置かれた状況に八つ当たりのように苛立つ論者が印象深い。

一つの作品が、一つの世界―言語空間を獲得して成立することはいうまでもない。そういう意味からは、俳句という詩型が「私」が世界を獲得する形式として働くことは疑うまでもない。ぼくがいま問題にしていることは、俳句という詩型が、「私」が世界を獲得することにおいて充分に根源的であるか、充分に鋭利な働きを示すかどうかということである。……Ⅰで考えたような、何者かに身をゆだねるという近代の俳句の性格、その性格を形成した根本のものは、詩型に即して考えると芭蕉の俳諧の残した問題にまでさかのぼる。もちろん、そこまでさかのぼって、「座」や「連句」を回復しようと叫んでもどうにもならないので、問題は、この詩型が、「私」が世界を獲得することにおいて充分に根源的な働きをするかどうかである。

一方で『弾む言葉』のほうは、エッセー集なのでもう少し柔らかい。
おもしろいのは、よく知られたエピソードだが「ネンテン」という呼び名に抵抗が無くなってきた、という話。

たとえば僕のところにやってくる手紙の表書きに「念転」とあったりするわけです。それでだんだん諦めてきまして、数年前、思い切って自分で「稔典(ねんてん)」と名乗ってみたんです。そしたら意外というか、ネンテンと名乗るとちょっと重厚な感じがしましてね。

「俳号という仮面」


ネンテンでもいい、と思うようになったのは、去年、四十代に入ってからである。ふと、中年以上はネンテンがふさわしいかもしれない、と思ったら、急に肩が軽くなり、言動もすこし大胆になった。

「改名の気分」 初出昭和60年

エピソード自体は最近のエッセーでもよく書いておられるが、ああちょうどこのころだったのか、という「当時」を初めて知ったのは収穫。
言ってみれば、評論家・坪内稔典から俳人・坪内ネンテンへの転換期なのである。
(自分自身で認めてしまっているくらいだから、厳密には転換期としては終わりのほうなのだろう)
他にもこのエッセー集、現在のネンテン先生につながるタネが満載でとても興味深い。

『過渡の詩』から『弾む言葉』への9年間、「かつての新人」坪内稔典がどんなことを考えて現在「ネンテン先生」になっていったのか。
ちょっと、本腰入れて読み直してみたくなってきている。



私自身は「船団」に入会したのはごく最近で、しかも直接的に指導を仰いだのは高校時代の塩見先生のみである。そのせいで自分の意識ではあまり「坪内門下」なつもりはない。ただ、今の自分の立ち位置を振り返ってみると気になる俳人の筆頭は、やはり坪内稔典だ、ということになる。今、自分が抱えている問題に、もっとも興味深い形で回答してくれているのが坪内稔典―塩見恵介の二人だからだ。
坪内先生は自身が俳句界きっての論客なので、かえって「坪内稔典」を論じる、というスタイルのものはあまりお目にかからない。といって私がその任を担うというほどの気負いも責任感もないのだけれど、ただ、そのような志向性と、問題点の指摘くらいは、やっておいて損はないかもしれない。