2012年1月27日金曜日

俳句評論のスタイル 2


 ※1/28、一度アップした内容に追記しました。

年末に塩見先生から勧められた、岡井隆・金子兜太『短詩型文学論』(紀伊国屋書店)を読んでいる。


数多い短歌・俳句入門書に欠けている理論体系につき、実作者が情熱をこめて贈る問題書


という帯の惹句にふさわしい、なかなか「熱」のこもった本なのだが、どうもしっくりこない。
読んでいる限りには刺激的でおもしろいのだが、本を閉じてしばらくすると何が書いてあったのかよく思い出せない。
本書に限らず、どうも私は俳句に限らず創作実作の理論書、というのが苦手らしい。

私がこれまで受けてきた教育(国文学研究)では、「論文」というのは、何かを明らかにし、その成果を客観的根拠に基づいて論証する文章を謂う。
この場合、論じる対象は必ず論者に外在し、論者は対象に対し客観的に分析を加え、対象のどの部分をどう明らかにしていくか、ということが問われる。

一方、実作の理論書は、資料に基づいて何かを明らかにするということではなく、実作者の実感に基づいて俳句創作という行為について考え論じる、それ自体を目的にしている。
いわば、創作という自分に内在した、あるいは自分の延長上にある行為について考えるわけで、「実作者」として創作行為を論究することに意義がある、と考えるならば、客観的根拠に基づいたり、何か新しい発見をしたりする必要はない。

そして、そうした「創作」への理論的考究に対して興味が持てないとすれば、少なくとも私は実作的な意味で俳句評論家になれないし、俳論を書く、というのも難しい。(参考.
藤田哲史の俳論はすぐれて作家的である

ちなみに『広辞苑』で「論文」を調べると、以下のように出ている。


① 論議する文。理義を論じきわめる文。論策を記した文。
② 研究の業績や結果を書き記した文。
                       『広辞苑』第五版
私の謂う「論文」は②であり、世間一般に謂うものは①であることが多いようだ。



上のようなことは、昨年、竹中宏さんにお会いしたときに、
「君は実作者なのか研究者なのか」
と問われたのがきっかけで考え始めたことである。

そのときはお隣に「研究者」の青木さんがいたので、そのような問いになったわけだが、しかしそう聞かれて私はどうも答えづらかった。「研究者」でないのはむろんだが、だからといって竹中さんの言うような意味で、つまり「俳句表現の探求者」としての意味で、私が「実作者」であるかどうかは、自身、はなはだ疑問である。
同時代の優れた俳句表現に出会いたいという欲求はあるし、それが自分の作品であればこれ以上の悦びもないが、他人の作品であったとしても読者としては充分うれしい。従ってむしろ「俳句愛好家」のほうがすっきりする。
そのような私にとって、読み応えのある「俳論」とは、「作家的」なものではなくて「作家論」的なものであり、個別具体の作品、作家の魅力を分析することによって俳句全体への見方を変えてくれるような、そんな評論が、もっとも望ましい。

ところで、私のひいき目かもしれないが、近年の俳句界においては大上段の創作理論を展開する大論客が登場しないかわり、個別の作品分析において優れた解釈を見せる論者が増えているのではないだろうか。

当blogでとりあげた評論家たちは、そのような傾向のなかで現れた人たちである。



若手評論家たちの、いわば先輩分にあたるのが高山れおな氏である。
私が読んだ高山氏の文章はおもに「―俳句空間―豈weekly」「詩客」での時評形式のものだが、確固たる問題意識を持ちながら繰り出される論鋒は(ときに過剰なほど)鋭く、また具体的なものでああった。
ただし、その論法がしばしば挑発的でジャーナリスティックに過ぎることは、本人も認めるところである。(参考.
日めくり詩歌 俳句 高山れおな(2011/10/20)

ちなみに高山氏については、自称なのか他称なのか「The Last Romantic」の二つ名がある。(仮想シンポジウム【「新撰」「超新撰」世代ほぼ150人150句選をめぐって】上田信治)実にふさわしいと思う。

本人によると俳句との出会いは古本屋で芭蕉、蕪村の句集を濫読したことからだそうだ。「Romantic」の所以たる「理想」も読書経験によって自ら育て上げたものであり、「読者」としてひろく俳句史を見渡すところからキャリアをスタートさせているのである。そのため、関悦史氏や上田信治氏同様、高山氏も「読む」行為に意識的である。
彼の批評行為が明晰なのは、芭蕉・蕪村といった「理想」を明確な指標として、つねに俳句表現史を意識した「読者」目線で行われるからだろう。その意味ではむしろ、独自の美意識に基づいたアンソロジーをネット上にアップし続ける冨田拓也氏に近い部分もある。
しかし違うのは、高山氏は自分の問題意識を「ジャーナリスティック」に時流に対応させ、発表することを恐れないことである。

「豈weekly」運営中のわずか1年余り、高山氏は多くの論争の主役となり、過激に俳句界を刺激してきた。
その「豈weekly」をきっかけに生まれた『新撰21』(邑書林)は、俳句界だけでなく隣接諸分野にも少なくないインパクトを与えたが、これこそ高山氏(個人ではないにせよ)の、俳句史的な問題意識を反映させたものだったはずだ。
ただしこれは、高山氏によって『新撰21』の作家たちが領導されるとか、組織されるとか、そういうことではない。傍目にどう写るかはともかく、私は(身びいきもふくめ)若手たちは、そう簡単になびいたり、染まったりはしまい、と思う。

実は私自身、高山氏の論争に関係したことがある。結局立場の違いを確認しただけだったが、お互いの問題意識をきちんと認識していれば異なる立場にあっても議論が可能だ、という言葉をもらったことで、今後、どのように議論が展開させうるだろうか、と楽しみにしている。

(※追記 このことに関連して付言しておく。高山氏の論法は相手の言説を逐次解体しながら綿密濃厚に反駁を加える、というものである。はっきり言って、高山氏と立場を違える者がつきあうのは相当しんどい。その姿勢も含め、俳句の多様性にこそ第一の魅力を覚える私としては氏の論に賛成できないことが多い。ただ、感情にまかせた言いっぱなしではなく、建設的に議論として展開するためには、立場の違う者同士でも具体的な「読み」のレベルで問題意識を比べ合うことが重要ではないか、と思っている。)



俳句ジャーナリズムの系譜が、筑紫磐井氏から高山れおな氏へとつながっているとすれば、現代の若手でその資質を備えているのはおそらく、神野紗希山口優夢のふたりではないか、と思う。
ふたりとも「週刊俳句」の時評で健筆をふるい、優夢のほうはそのままジャーナリズムで就職してしまった。
二人の時評は、しばしば性急な論理展開が目立ったが、そのことも含めて話題性があり、少なくともネット上では注目されることが多かった。
特に「総合誌の時代の終焉? これからの俳句とメディア 神野紗希」は、総合誌の在り方ということから俳句メディア全体へ提言を含み、「神野紗希」という立ち位置の有効性を再認識させるものであった。

さて、こうしたジャーナリズム、時流に対応した批評活動とは真逆の文章を発表し続けている若手がいる。
西村麒麟さんである。

すでに当blogでは何度も紹介してきたが、「きりんのへや」は週2回というハイペースで連載が続いており、俳句、川柳、短歌とジャンルを問わず自分の嗜好に合った作家、作品をとりあげてコメントしていく、という手法でファンを拡大し続けている。
(あの長文が毎回携帯電話で投稿されている、PCを持っていないらしい、という事実が発覚したときは衝撃が走ったものである)

麒麟さんの鑑賞は、作家の業績を批評的に分析するのではなく、ただ「好き」な作家、作品を「紹介」する、という態度に徹しており、最近はコメントもだんだん短くなってほとんど読後感をツイッターでつぶやいているような、そんな感じである。
ただその筆致は実に軽やかで楽しげで、二十代にしてほとんど芸談の域といえる。むろん時流とはまったく無関係で(たまに「ナウいキリン」がありますが)、選ぶ作家も作品も、まったく自由自在なのである。
彼の取り上げる作品は、しばしばその作家の代表的作品ではなく、むしろ一般には見過ごされているような句であることも多い。また代表的作品であっても、句集全体を見渡すことで別の面が見える、ということもある。
要するに麒麟さんがやっているのは、批評や分析の土台となる、まったく地道な「読書」なのである。
これに近いのは小林恭二「『悪霊』の諸句」(『実用青春俳句講座』ちくま文庫、に所収)であろうか。
これも批評以前の、ただ読後感を列記したような文章だが、それが『悪霊』の、ほとんど暴力的な存在感を際立たせていて読み応えがあった。私が永田耕衣の魅力を知ったのはこの文章のおかげである。

このようなスタイルは、異なる立場の俳句を批判したり攻撃したりする(ときにジャーナリスティックな)「闘争的」な批評に比べると消極的で批評性に乏しいように見える。
しかし、一般的な「読み」の常識を排して自分の好みに準じた読み方に徹する、という行為は、当然自分以外の「読み」の常識に対するアンチテーゼであり、充分に批評的な行為である、といえる。
むしろ毒素がないだけに、きわめて建設的で誠実な批評行為(もしくはその基礎作業)である、といえるだろう。

ただ、麒麟さんのスタイルはきわめて特殊であり、紙媒体ではほとんど魅力が半減するという急所がある。今後、麒麟さんの「芸」域がどのように展開するか、は、ファンの注目するところなのだ。










関連拙稿
曾呂利亭雑記:若手評論家見取り図、時評篇
曾呂利亭雑記:俳句評論について
曾呂利亭雑記:俳句評論のゆくえ
曾呂利亭雑記: 俳句批評のスタイル






2012年1月23日月曜日

12月の俳句

週刊俳句 第248号 「12月の俳句を読む」に寄稿しています。

ちなみに、去年もやっぱり「12月の俳句を読む」を寄稿しておりました。
週刊俳句 Haiku Weekly: 〔週俳12月の俳句を読む〕久留島元
 



同号に、「写生・写生文研究会」のお知らせが。
こちらは、愛媛大学の佐藤栄作先生の文部科学省科学研究助成費プロジェクトの一環だということ。


愛媛大学「写生・写生文研究会」京都研究会のお知らせ

シンポジウム「俳句にとって「写生」とは」

日時;2012年2月4日  14時00分~(18時00分)
場所;京都私学会館301会議室(地下鉄四条駅・阪急烏丸駅の南西、徒歩6分)
http://www.kyt-shigakukaikan.or.jp/access.html

シンポジウム「俳句にとって「写生」とは」
1 講演  14時00分~ 基調講演講師 竹中 宏 氏 (俳人・「翔臨」主宰)
2 討論  16時00分~ 岩城久治、中田剛、関悦史各氏  司会:青木亮人氏

○聴講は無料です。
○事前配布資料がございますので、聴講をご希望の方は下記連絡先にメールいただけると幸いです(当日直接いらっしゃっていただいてもかまいません)。
○研究会終了後、懇親会を予定しております。
○基調講演に先立ち、佐藤栄作(愛媛大学・日本語研究)が趣旨説明をいたします。

お問い合わせ先
愛媛大学写生・写生文研究会事務局 佐藤文香 aya6063@gmail.com

週刊俳句にアップされたのは微妙に前のプログラムのようですが、おおむね上記のとおりということです。会場の都合で無制限というわけにはいかないと思われますが、ご興味のある方はどうぞ。
 

2012年1月15日日曜日

俳句批評のスタイル

 
『俳句界』2010年11月号で、虚子曾孫座談会、つまり畑廣太郎、星野高士、坊城俊樹3氏による座談会が掲載されていた。

そのなかで、たしか星野氏からだったと思うが、虚子の血筋はみんな論理的ではない、といった、ちょっと自虐的(?)な発言があった。
いや、別段ご自身は自虐とか謙遜とかいうつもりではなく「論を語るのが苦手だ」くらいの認識なのかもしれないが、個人的にこの発言は興味深かった。「伝統」には「論」など必要ない、ということがよくわかる発言だったからである。

多かれ少なかれ「論」というのは闘争的なものである。
戦って自分を認めさせる必要のある「前衛」は声高に「論」ずる。
しかし「伝統」を名乗ることは、続いている、継承している、という歴史性に価値を置くことであり、そこに「論」は必要ない。つまり、「伝統」は(変化流動することはあっても)、その存在価値自体を問いなおす、ということは、普通、ない。
その意味で、「勉強」し「評論」する、という姿勢は、多く「前衛」、つまりマイナー側の姿勢として、立ち現れる。
現代の若手作家のなかに、多かれ少なかれ「論」の意識があるとすれば、俳句を、ただ歴史的に継承されてきた詩型で、次代に伝えていくべき資産である、とは捉えていないということである。
詩型を問い直し、詩型を引き受けたり伝えたりする必然性について考える、少なくとも考える余地があると思う作家が多い、ということである。

ただ、現代の作家の評論スタイルは、必ずしも一様ではない。その意味で、かつて生硬な議論を正面からぶつけあっていた「前衛」派から見れば、やや異質に見えるかも知れない。



たとえば、上田信治さんという人がいる。

ご存知「週刊俳句」の「中の人」であり、佐藤文香とのユニットハイクマシーンでも活動する。いわば現代俳句の「波」の、原動力のひとり、といってよかろう。
上田さんの文章はどれも鋭い知見にあふれており、当blogでもたびたび取りあげているが、なかでも注目すべきは「アンソロジー」という批評形式である。
上田さんの「アンソロジー」としては、2010年に発表された
ゼロ年代の俳句100句があり、また同年末に発表された「150人150句」、さらに昨年末には週刊俳句編の『俳コレ』(邑書林)が発刊された。
100句選が掲出された当時も述べたが、分類、選択という控えめな手法だけで、しかしこれほど選者の好みが明確に表れたアンソロジーも少ない。

編集がひとつの批評行為たりうることは、山本健吉『現代俳句』(角川選書)を見ればわかる。収録された作家の選択と附された鑑賞によって、その後の俳句の方向性を長く拘束した「名著」である。

小説では、たとえば縄田一男(時代小説)、東雅夫(幻想小説)といったアンソロジーの専門家がいる。彼らは批評家であり、実作者ではない。しかし詩歌アンソロジーの選者は勅撰集の昔から今に至るまで、実作面でも「大家」であった。
そのため、おのずから「選」という行為にも権力関係が生じる。選者と作家との「俳壇」的距離、出版側の状況etcが絡めば、選者には相応の「政治的配慮」が必要となるだろうし、また同じく「俳壇」の住人である読者たちもまた、それを透かし読むことになる。
(※ 山本健吉は実作者としてはそれほど影響力はなかったが、「権力」はそれ以上だったといえる)

しかし、ネット上の「アンソロジー」は、文字通りの「私家版」であり、これまでなら個々人が楽しんでいたであろうレベルの、よい意味での「わがままさ」がある。これについての共感は、俳コレからスピカで書いたとおりである。
(既存のアンソロジーのなかでは塚本邦雄『百句燦々』がこれに近い)
アンソロジスト・上田信治の真骨頂は、作家としてよりもはるかに長く重厚な「読者」体験に基づいた見識が、選句の「わがままさ」を裏づけているところである。
(疑う人はアンソロジーに附された参考文献の量を確認するとよい)
このような「読者」目線の批評行為が、今後「俳壇」に回収されるのか、それとも新たな「俳句読者」を広げていけるのか。注目したい。



ハイクマシーンのもうひとり、佐藤文香も、特異な批評スタイルの持ち主である。
一言で言えば、行動する批評、あるいは存在としての批評、とでもいうべきか。

自身のサイトで繰りひろげた「BU:819」活動、期間限定短詩型女子ユニット「guca」、最近では「句荘」、「東京マッハ」などなど・・・・・・、
ともかく彼女は「行動する」。
この行動力、発信力は若手のなかでも筆頭であり、筑紫磐井氏をして「電子媒体を通じて遍在」するといわしめた(
俳句樹 「「結社の時代」とは何であったのか」を読んで)。
彼女も評論の書き手としては標準以上の実力を持っており、時折、紙媒体ではその実力をかいま見せる。しかし論理以外の部分で嗜好、志向を表現することを好んでいるようだ。つまり、こんなふうに。



私は俳句を「かっけー!」と思ってます。
あと「かっけー!」以外に「おもしれー!」「すげー!」などもあります。

一方で、「自分が「かっけー!」と思うものを、そのままのかたちでわかってもらえれば嬉しいですが、それが無理ならなぜかっけーかを説明する努力は必要」だ、とも語りながら、彼女は読者を選ぶような硬質の評論ではなく、さまざまな「行動」で「説明する」。(引用はいずれも「傘」voil.1より)

実際のところ、彼女が旺盛な行動力によってぶちあげ、突き進んでいる「俳句」の姿は、よく見えない。ひとりの若手作家としては、もちろんまだまだ模索中であって当たり前なのだが、彼女の面白いところは、明確でないところにむかって、



  私佐藤は俳句をぶっつぶしたいほど愛しています。



佐藤文香公式サイト、BU:819にて(現在は閉鎖)


と叫ぶことができることだ。このとき具体的内容は問題ではない。ゴールはともかく彼女の運転に「乗るかどうか」。会う人ごと、見る人ごとにこの問いを突きつけ、「乗らない人は相手にしない」と言い抜けうる、挑発的戦略性。しかもその大義名分は、「愛」。理屈でない以上、議論もできない。(この戦略性についてはすで田島健一氏の指摘がある)
越智友亮藤田哲史のふたりが「傘」創刊号の特集に「佐藤文香」を選んだように、彼女の存在は間違いなく若手作家に多大な影響力を持っており、今後も既存の俳句界にとってのカウンター、批評的存在となりつづけるだろう。


俳句甲子園出身者が結社に所属しない、という「都市伝説」がある。
結社に所属せず個人的に俳句を続けている出身者も少なくはなかろうが、一方で「俳壇」的な露出が多い出身者の多くは既存の結社誌、同人誌に拠って活動している。森川大和(いつき組)、藤田亜未(船団)、徳本和俊(船団)、山口優夢(銀化)、佐藤文香(里)、宮嶋梓帆(童子/現在休会)、中山奈々(百鳥)、藤田哲史(澤)などである。
結社ではないが、東大俳句会、早稲田俳句研究会のような大学サークルで活動している出身者を含めれば、まったくの「無所属」作家の数はもっと少なくなる。
私は甲子園出身者の特色のひとつに「句会好き」を見ているが、継続して句会に参加するためには無所属のままでは難しく、多くは既存の団体に参加することになる。
完全無所属としては越智友亮がいるが、彼の関わる「傘」「手紙」といった活動はユニット活動に留まり、それ以上の動きは今のところ見えない。
(※ 関西では最近、黒岩徳将を中心とする「ふらここ」メンバーの活躍が目立つ。すでに結社に属している者もいるが、多くは無所属であり、彼らの活動が今後どう展開するかは注目できる)

ではなぜこのような「都市伝説」が横行するのか。
いうまでもなく神野紗希という存在があるからであり、その存在感が常に俳句界のなかで光っているからだ。
神野さんも東大俳句会などには出入りしていたようだが、現在の主軸は自ら立ち上げたウェブマガジン
spicaである。
彼女はこれまで「BS俳句王国」司会や総合誌だけでなく、ネットやイベントを通じて作品を発表し、評論活動を続けてきた。多くの幸運も味方しただろうが、彼女はそれぞれの機会に応えるだけの実力を発揮し、また自ら機会を作る努力を惜しまなかったといえよう。
現在彼女は江渡華子野口る理、とのユニットspicaを中心に、西村麒麟福田若之などさまざまな作家を捲きこみながら、俳句を「読む」という姿勢についての可能性を模索している。(島田牙城氏がツイッターにおいて適切にフォローしたように、スピカは俳壇によって保証された「場」ではなく、自ら立てた「おうち」なのである)

彼女の評論スタイルは、一見既存の総合誌や結社誌にも非常になじみ深く思える。彼女が大学院で専攻したのも富澤赤黄男、高柳重信といった新興俳句運動に関してであり、現代においてはややレトロに思える問題意識も、くり返し問い直し、検証し直そうとしている。また総合誌で「大家」と渡り合う姿は、傍から見れば「俳壇の寵児」と見えるだろう。
(参考.Cinii検索"神野紗希"
しかし、彼女のスタイルは、結社で鍛えられたものでも、同人活動のなかで磨かれたものでもなく、自身で築いてきたものである。
あえて言えば総合誌やテレビ番組で育った、といえるのだろうが、その始発に俳句甲子園という新しいシステムがあるということは、大きな意味を持つ。上の「都市伝説」も、俳句界における彼女の存在感の大きさ、注目度の高さを物語っている。

(※ つまり極言すれば、神野紗希という作家をどう遡っても虚子、子規に到達しない、という意味で、西東三鬼や関悦史がそうであるように、神野紗希もまた「俳壇史」の異人であり、「俳壇の寵児」に見える彼女がそこに安住せず「自分のおうち」を守るために論陣を張る姿こそ彼女のアイデンティファイなのだ。


既存の結社、同人誌に加え、甲子園というシステム、無所属というスタイルが定着するかどうか、その可能性として、神野紗希という存在もまた注目されているのであり、また彼女自身も既存のシステムにとらわれない問題意識とメディア戦略とを模索している。
その意味で彼女もまた、「存在としての批評」活動を体現しているといえるだろう。








関連拙稿
曾呂利亭雑記:若手評論家見取り図、時評篇
曾呂利亭雑記:俳句評論について
曾呂利亭雑記:俳句評論のゆくえ

参考blog
さとうあやかとボク。:傘とさとうと俳句甲子園(改1)




※ 1/16、※部分と参考リンクを追記。

2012年1月3日火曜日

2011年業績まとめ。


2011年、亭主の俳句関連業績まとめ。

1月

 https://sites.google.com/site/kansaiwakahai/home スタート。
 亭主は、火曜日「漫画的一句」を担当。
 また6週に1度まわってくる「俳句な呟き」でも「漫画的俳句」について考察。


 「週刊俳句」196号に、12月の俳句を読む 仲冬八景を掲載いただきました。

2月

 「関西俳句なう」紹介記事を「週刊俳句」200号に掲載いただきました。

3月

 『俳句研究』2011年春号に、第七回鬼貫青春俳句大賞受賞作品「こむらがえり」を掲載いただきました。

4月

  「山口誓子『方位』を読む」を「週刊俳句」210号に掲載いただきました。

6月
 『船団』89号(2011.06)「俳句でマンガ」 に「ジョーならば」を掲載。

7月
 毎日新聞7月8日夕刊「こってり関西」で「関西俳句なう」活動を紹介いただきました。
 「樫」66号(2011.07)で、「三木基史近作68句を読む」を掲載いただきました。

8月
 spica 「つくる」で「平成狂句百鬼夜行」の連載を開始。一ヶ月毎日更新。

9月
 「子規新報」2巻33号(2011.09.30)の「次代を担う俳人たち」に登場。

10月
 朝日新聞東京版10月11日夕刊「あるきだす言葉たち」に登場。

 「スピカ」第1号(2011.10)に、『平成狂句百鬼夜行』より「簔笠の佇んでおり野分めく」を転載。

12月

 『船団』91号「特集・夢と俳句 座談会 夢の句に体感はあるのか」に参加。

1月

 「季刊現代川柳 かもめ舎」12(2012.01)「川柳×俳句」コラボ吟行in神戸、に参加。
関連blog:http://junkwords.jugem.jp/?day=20110928


2012年1月1日日曜日

謹賀新年

 
あけましておめでとうございます。
相も変わらず支離滅裂な長文blogにお付き合いいただきましてありがとうございます。

2010年元旦が「恭賀新年」、
2011年元旦が「慶賀新年」、
2012年元旦は「謹賀新年」とさせていただきました。

昨年末は、個人的にいろんなことがあって記事も少なく、埋め草に回顧や展望の記事を書きすぎましたので、大晦日での「回顧と展望」は控えさせていただきましたが、ひとまず無事に越年できたことを寿ぎたいと思います。

思えば1月に「関西俳句なう」活動がスタート。
同月にははじめてNHK「俳句王国」に出演させていただき、偶然にもBS放送の最後という記念すべき回だったわけですが、放送予定日が大震災の翌日。
思えば2月末にはイケスミさんの講演を聴きに松山へ行って、そこでセキエツさんにもお会いしたのでしたが、震災前の記憶はなんだかもう遠いですね。

とはいえ、松山、東京、名古屋、とあちこち行ったのをきっかけに原稿依頼いただく機会もあり、昨年一年は結構、外へむかって広がった、実り多い一年だったように思います。

「俳句なう」のHPも、予定通り1年間で最後の更新がおわり、活動を休止。これからは出版企画のほうで、運営メンバー一同、鋭意努力します。


というわけで、今年も精進しつつ、無理しないでやっていきたいと思います。
さして影響力もない駄文blogですが、今年もよろしくお願いいたします。






亭主拝。