2010年5月30日日曜日

備忘録。



昨日行われた、船団初夏の集い2010年懇親会にて。
代表・坪内稔典氏が、新刊『モーロク俳句ますます盛ん』(岩波書店) で桑原武夫学芸賞を受賞したお祝いでのスピーチ(記憶をもとに大意要約)



この本があまり売れないので困っていたんです。
売れないのは理由があって、ひとつは、題名の「モーロク」という言葉に抵抗感があること。もうひとつは、題名のわりに読み始めると案外小難しい評論があったりして、全部読むのが大変だ、ということ。それで、あまり売れてないんですが、この賞をもらって、少しは売り上げが伸びるかな、と思ってうれしい(笑)。
うれしいのは他にも理由があって、桑原武夫さんの名前を冠した賞であること。桑原さんはご存知のとおり第二芸術論を書いたひとで、おおざっぱに要約すると、俳句なんてものは菊作りみたいなものでくだらない、第二芸術だ、といったような内容ですよね。僕も三十代のころ、なにくそ、と俳句を始めたころは反発していた。でも、ちょうど「甘納豆」の句が出来たころから、少し考えが変わってきた。つまり、第二芸術でいいじゃないか、と思い出した。それが俳句のいいところなんじゃないか、と。
菊作りをやっている人にとっては菊作りも立派な芸術だ、もっと言えば、パチンコでプロになる人にとってパチンコのほうが俳句よりすばらしいものだ。
自分がなにか一つのことに集中して、誇りをもつことはいいことです。でも、他のものをくだらない、ということはできない。そういう絶対的な価値観に対して、自分を茶化すことができる、相対的になれるのが俳句の本質ではないか、と思う。モーロクとか。いい俳人、金子兜太さんとか池田澄子さんとか、僕が尊敬している俳人はそれができる人。そういうふうに、楽しんでやれればいいと思います。
みんな、この本を買ってください(笑)



参考記事。桑原武夫学芸賞に坪内稔典氏-MSN産経ニュース


2010年5月20日木曜日

ちゃいな。

 
不思議の国、中国。
いや、正確には中国ではないのですが。

わたなべさんのブログ で知ったのですが、私も何度かメール句会でご一緒したことのある金子敦さんの句が、なぜかニューヨークのチャイナ街に出現した、という怪事件。

詳細はこちら。→「
チャイナタウンのスーパーで見つけた俳句

リンク先は巌 真弓さんのブログ。「コーディネーター、編集&ライター(るるぶニューヨーク(JTBパブリッシング)」ということで、ニューヨークでご活躍中らしい。
で、いわをさんがチャイナタウンで発見された和菓子?の包装に、どうしたものか金子敦さんの

  ラーメンにコーンの沈む暮春かな

が印字されていたという。(金子敦『冬夕焼』ふらんす堂 に所収とのこと)

ここまで一言一句同じで偶然もなかろうし、しかし写真で見る限りはラーメンともコーンとも関係なさそうなお菓子。
意味がわからずに採ったとしてもフシギだし(それならもっと別の言葉がありそうなもの)、ただ単に気に入った句を書いてみたかっただけ?それにしても金子さんの句集が遠く海外にまで。。いや、もちろん作業をしたのは日本在住人である可能性もある。
謎は深まるばかりである。



勝手に見守ってきた『未踏』問題。
紗希さんのブログでのコメント欄でさらにすこし進展があり、一応ひと段落した模様。気になる方は前日の記事からリンク先に飛んで下さい。
(あまり人のブログのコメント欄を引用したり、無断リンクしつづけるのも何ですし、かといってあちらの議論を再燃するのもご迷惑なので)

個人的には、私自身が「船団」外の方と話している時の微妙な違和感(言ってることは同じようなのに見方が違う)が端的に表出して、興味深い議論でした。もちろん「船団」と「船団」以外、で分けるのも妙なハナシではあるのですが。
要するに、俳句を批評/評価するときに、どんなチャンネルで臨むか、ということだと思う。
そのチャンネルを多様にしてできるだけ「よく」詠んであげるほうがいいのか、いち読者として自分の立ち位置を定めて「おもしろい/おもしろくない」で切っていった方が誠実なのか、そのあたりは今でも迷うところだが、現時点ではできるだけ多様なチャンネル(価値観)でもっていろいろな俳句に接したい、と思っている。
 

2010年5月16日日曜日

問題

(承前)

問題が、ズレている。

ズレているからこそ、「反発」にも見えるのだろうが。


先日紹介した上田さんの記事に、時評担当のわたなべさんがコメントを付けている。
同じ記事に付けられた、さいばら天気氏のコメントに、またわたなべさんがコメント返ししているのだが、問題がどんどんズレまくっている。

なぜズレているか。

上田氏は言う。

ていうか、どういう句を書くことが、彼を、読者を、ほんとうに自由にするのか、っていうことですよね、問題は。
小倉氏は言う。

『未踏』でいうならば、冒頭にあまりにも大きな意味を持つ句があるために、句集全体が引きずられてしまう感じがするのです。そして作句年順に進む。そうすると、句集の評論や感想などを読んでいると視線がみな同じ方向からのものになってしまっている。多くの人が同じように「いい句集だ」と言うのだから、いい句集なのだろうけど、それは実は作者にとって本当に幸せなのだろうかなと感じました。

2010年5月11日

二人の視点は、どちらも同じ方角を向いている(ように見える) 。
小倉さんにしても上田さんにしても、句集のなかから一句の表現を独立させて読む姿勢をもって臨んでいるのだし、またその一句の表現ができるだけ自由に読めることを望んでいる。 基本的には上田さんは小倉さんの意見に首肯し、同じ視点で句を見ているのだろう、と思う。
(もちろん、小倉さんは揶揄まじりに、上田さんのほうがより中立に、良い点悪い点をあげている、という性質の違いはある。)

そこに、さいばら氏のコメントを重ねる。

拝読した記事から、好悪の如何はうかがえるものの、その先がない(ように読めた)ので、興味の対象には入ってきませんでした。

最後に、信治さんの言う「どういう句を書くことが、彼を、読者を、ほんとうに自由にするのか、っていうことですよね」という根源的な問題については…「偶然」と幸せな関係にあるほうが、自分を自由にすると、私は信じています。
「反発」を呼んだ主な問題はこのあたりにありそうだ。

さいばら氏は当初、「興味深く「なく」拝読」 というツイートを発信しており、それを上田さんが否定的見解ということでまとめて記事に引用し、さらにそのためにわたなべさんがコメント欄で絡んでいるのだがそれは問題が拡散するので措いておいて、私が考えてみたいのは、なぜそもそもさいばら氏の興味に触れなかったのか、つまり小倉・わたなべ両氏の対談が、「好悪の如何」だけに見られてしまったか、なのだ。
(二人の書く文章はたしかに、ややネガティブ・キャンペーンめいた印象を与える性質のものだったかもしれないが、孕んでいる問題点はそこだけではない)

小倉さんが高柳さんの句に対して述べている言葉を引いてみよう。

新鮮さを期待して句を読む私としては、ちょっと物足りない句集であった。それは彼の句の多くは、すでにある世界を少し、いやかなり上手く塗り替えた印象がある。

 入れかはり立ちかはり蠅たかりけり(191p)
一読してなるほどと思うのだが、結局それで終わる。こういった季語はすでに我々の中にインプットされていて少々上手く詠まれても、そこから新鮮さを感じることはほとんどない。このような季語の前提をもとに次へ進まねばならない。例えば取り合わせで新しい世界を作り出すなど。
ここでふと思い出すのは、昨年「船団」のイベントで高柳さんが語っていた、「季語」を自分たちの言葉で更新しつづけていく必要がある、という言葉だ。高柳さんの季語観はある意味でいうと正統派であり、季語を使う作家として、素直に見習うべき倫理観である、といっていい。
ただ、高柳さんは、たしか「更新」という言葉を使っていた。
「更新」のためには、当然だが、現在ある「季語」の「本意」を知らなくてはいけない。
その、本意を知る、レベルに、高柳さんと小倉さんとでは、かなりの差違があるような気がする。

たとえば、
神野紗希さんのblogで問題にされている、

六月の造花の雄しべ雌しべかな  克弘

の「六月」。
この「六月」の働きをきっちり読み分けることのできるひとは、それはかなり季語に関心をもち、また高柳さんの句に対しても誠実に読もうとする姿勢の読者、いわゆる「精読者」的な存在だろう。

小倉さんやわたなべさんが想定している読者は、おそらく「精読者」ばかりではない。
通りすがりの、ちょっと覗いたひとでも立ち止まって、「へぇ」と面白がってくれるような、そんな俳句こそ、彼らの(そして「船団」に共感する多くの会員が)目指している俳句なのだ。

もちろん、それだけ (外に広がる俳句だけ) が俳句でなくてもいい。
だが、それもまた俳句であって、しかも俳句のかなり大きな一面なのだ、と思う。



前出の紗希さんのblogでは、その後もコメント欄で上田さんと紗希さんのやりとりがあり、問題が深まっている。(
週刊俳句記事コメント欄にもリンクがある)

的はずれかも知れないが少し思うのは、高柳作品の先行する作品世界への親和性の高さ、が、よく出るとちょっとズレて面白い作品にあんるし、悪く出ると「天井の見える」作品になってしまうのではないか。
そのことは以前、自分なりに指摘したつもりである。 →
拙稿「世代論とか」

たとえばその点において、外山一機さんの作品などとよく似た傾向を持っているといえるだろうし、また表出の仕方、見える「天井」の模様はずいぶん違うけれど、北大路翼さんの作品なども同方向を向いている可能性がある。
いずれも、結構マジメなエンターテイナーである。
 

2010年5月9日日曜日

高柳さんのこと。

 
が 
時評「俳句の力」 で話題になっていることを、先日お伝えした。

気をつけて見ているせいか、それとも私がたまたま目にするのか、これまでの時評欄よりも、賛否両論、話題になっていることが多いようである。
いくつかは、少々心ない発言があったり、不毛でとるにたらないものもあったようである。
そのなかで、今日アップされた上田信治さんの記事 を読んでほっとした。いつもながらフラットな視点で、しかも的確に問題点を浮かび上がらせてくれている。

「船団」組の感じたキュークツさは、作者が、あらかじめの意図によって、一句と読者の運動をコントロールしてしまう(できてしまう)ことの、結果のような気がしてならない。

俳句も文学も、たぶん「好き嫌い」の要素が大きい。
ただ、その「好き嫌い」を、「好き嫌い」でなく説明することは、難しい。



「船団」は、言っておくが所謂「結社」ではない。
坪内稔典氏を代表におく俳句グループであり、みんながみんな坪内さんの弟子というわけではないし、ステレオタイプな結社のようにすべての弟子が師匠の言うがままに動くような団体では断じてない。従って、所謂「船団」調な俳句、というものは、たしかに存在し、それは坪内氏の作風から波及していく方向にあるものだが、まったく違う俳句も共存しうる環境にある。
ただ、やはり「季語」や「定型」といった約束事に対しては、かなり寛容に捉えている人が多いのは間違いない。
その入り口の広さ、ハードルの低さが俳句の魅力である、というのが、正岡子規に学ぶ坪内氏の立場だからだ。すなわち、「季語」の本意、という先行する知識などに囚われることなく現在ありのままの立場から季語を使う「写生」の立場、である。

夕顔の花といふものの感じは今までは源氏其他から来て居る歴史的の感じのみであつて俳句を作る場合にも空想的の句のみを作つて居つた。今親しく夕顔の花を見ると以前の空想的の感じは全く消え去りて新たらしい写生的の趣味が独り頭を支配するやうになる。

よく知られた、虚子「俳話」の、道灌山での子規の言葉である。

(この稿、続く。……予定)

2010年5月4日火曜日

いまさらくわばら。

 
いまさら、と思うのだが、未だに話題にのぼるのが桑原武夫「第二芸術論」である。
桑原氏は、本来フランス文学者である。吉川幸次郎、今西錦司と並ぶ、戦後京都学派のひとりで、今に続く学際研究の流れを作ったエライ人で、一〇巻にもなる全集も出ている。
しかし現行の国語便覧などではやはり「第二芸術論」が代表論文としてあげられており、なんだか複雑な気持ちになる。
というのは、「第二芸術論」と題された例のエッセイを、何度読み返してもまったく「論文」だとは思えないからである。

当時話題になったという、大家と素人の区別がつかないなどという批判は、たとえば「なんでも鑑定団」や「芸能人格付けチェック」のような番組を見ていれば、どんなジャンルにも当てはまることは一目瞭然である。(門外漢に判別がつくなら書画骨董の偽物に騙される人も、プロの音楽家の演奏を聴き損ねる芸能人もいない道理である)
「俳句というものが、同好者だけが特殊世界を作り、その中で楽しむ芸事」であるという批判が、実は「小説を読む」行為とパラレルたりうることは、かつて真銅正宏氏の著作をもとに考えたことがある。 → 「俳句を読む」 ~真銅著をうけて~

そもそもこのエッセイの根本的な欠落は、著者の言う「芸術」とは何かが不明確なことだ。
 芸術とはこれこれこういう条件を具備している、俳句はこれに当てはまらない、ゆえに俳句は芸術ではない。
このような証明形式でないのである。なんとなく「芸術」という前提があり、それは大家と素人の区別がつくものであり、門外漢にも感動を催させるものであり、そのくせ俗化しないものであり、、、後付の条件が加算されていくばかりなのだ。これは、何かを証明したり、研究成果をプレゼンしたりするような「論文」ではない。せいぜいが激越な「評論」に過ぎないのである。

「論文」というのはこの場合、『広辞苑』でいう「②研究の業績や結果を書き記した文」の意味だ「①論議する文。理義を論じきわめる文」という意味でなら「論文」かもしれないが、そもそも掲載媒体(『世界』1946年12月)を見ても、「研究の業績や結果」を客観的に記すような媒体でないことは明らかである。
だから小林恭二が「現代にあっては真面目に論ずるに値しないと断定しても良かろう」(『俳句という愉しみ』)と述べるのは、過大評価だとさえ思う。「俳壇」外の人間が俳句について語った文章のひとつとして参照する程度でいいのだと思う。
そう思って見れば、彼の指摘する俳句の欠点は、むしろ西洋芸術にない俳句の特質を鋭く捉えている。その特質こそを愛するべきというのが、現在の俳句の流れではないだろうか。



突然、桑原武夫を引っ張り出したのは、坪内稔典『弾む言葉・俳句からの発想』(くもん選書。1987年12月)に言及があったからである。
坪内氏は昭和六十二年四月に出版された『創造的市民講座』(小学館)という本から、桑原武夫と鶴見俊輔との対談を紹介しながら、

もっともこの第二芸術論的な見方はずいぶん早くからありまして、……(坪内逍遙『小説神髄』では)まとまった思想が出来ない、不完全な形式である俳句などは、未開の世の詩歌だ、と決めつけています。

として「西洋の詩歌を手本として考える人たちから、俳句はいつもその小ささ、つまり断片的で片言に近い点を否定されてきたのです」と述べている。 (P.80)
そのうえで、対談で鶴見俊輔が桑原武夫に投げかけた、体系的なものを重んじ断片的なものの価値を否定するのはどうなのか、という疑問に対して、桑原氏が

「敗戦直後『第二芸術論』のころに私の書いたものは、すべて科学への信頼と民主主義の実現というオプチミズムに支えられていたのです。……当時は、断片の美しさを十分にさとっていなかったという点はその通りだと思います」
と答えている、と紹介している。
まったくの孫引きで申し訳ない限りだが、桑原武夫「第二芸術論」を話題にした多くの議論のなかで、このような発表当時の桑原氏の思想的立場や、その後の変化まで捉えて議論しているものを、残念ながら私は見たことがなかったので興味深かった。
本来、桑原氏の議論を正面から取り上げるつもりがある人がいるなら、桑原全集は全部読んだ上で議論を始めるべきなのだろう。(もちろん私はしたことはないし、する予定もないが)



基本的に私は俳句に過剰な期待をする者ではないし、俳句が楽しいから続けているので、楽しくなければたちまち止めるだろう、という極めて軟弱な覚悟でもって臨んでいる。

その私が、いくらか心がけていることがあるとすれば、俳句に対して、できるだけ多様な価値観でもって接したい、ということである。
作句においても、私はできるだけいろんな「方法」でいろいろな俳句を作ってみたいと思っており(それが自分に可能かどうかは別として、志向/嗜好の問題である)、ある意味でそれが「開拓すべきフロンティアを失った世代」の、そのまた次の世代(次の次の世代?)としての、自分たちに許された砦だろうと思っている。
また鑑賞の場ではさらにその多様性の担保、は強く意識しているつもりである。
これは国文学、さらにその上に説話文学という特殊な専攻を学んでいる人間だから、ことさら意識するのだろう。

説話文学研究の先駆的な働きをされてきた高名な先生が、

僕らの若い頃は、「文学丸」という船に乗せてくれー、乗せてくれー、と言って頑張ってきたんですよ。源氏物語や和歌とは違うけれど、ここにもひとつの価値があると信じてやってきた。ところが、やっと船に乗せてもらったと思いきや、思いのほかその船が泥船で、一緒に沈みそうになっていますね。
といった意味のことを仰っていたのを聞いたことがある。いわゆる「文学的価値」というものは、今や瀕死である。
紋切り型の批判をなぞっておけば、いわゆる「文学的価値」は西洋近代のnovelを中心にした一時的なものに過ぎず、古典作品や、novel以外のジャンルを計る尺度たりうるかどうか、ははなはだ疑問なのだ。

ある作品をnovel的な価値観だけで捉えられないとき、研究者は様々な価値観を用意する。たとえば大衆小説的な価値観で見てみたり(同時代の人気や普及率)、文学史的な影響関係で捉えてみたり、同時代資料としての価値を探ったり。
研究者の仕事は、対象作品の価値を、できるだけ他の人と共有できる言葉で説明することだ。なぜ自分がそれに惹かれるのか、なぜ自分が時間を割いてこの作品に取り組んでいるのか、その魅力を解説するのが研究者の仕事だ、と、一応は思っている。



ただこの理解には矛盾がある。他の人にとってなんの価値もない(と見える)ものに価値がある!と語ってしまうのが研究者というものでもあるからだ。

結論は結局、わからない。
「みんな違って、みんないい」相対主義を越えて、僕らはどこへ行けばいいのか。
 

2010年5月1日土曜日

時評とか。

 
「船団」会員、山本純子さんのコラム「はるなつあきふゆ」が、朝日新聞夕刊で始まった。
たぶん関西版だけだと思うが、句集『カヌー干す』が写真入りで大きく紹介されたり、注目度が高まっている。
詩人であり学校の先生であり俳句作家である山本さんは、本当に 「ことば」の活力というか生命力というものの存在をよくご存知の方で、詩にも作句にも文章にも、そのあたりの呼吸がみなぎっている。
コラムは全8回予定らしい。楽しみだ。



小倉喜郎さん×わたなべじゅんこさんの時評対談、現在のテーマは、昨年話題を呼んだ高柳克弘さんの第一句集『未踏』。 → 
時評「俳句の力」
案外というか予想通りというか、高柳さんの句に対する違和感の表明がめだつ。

 ことごとく未踏なりけり冬の星(13p) 
『未踏』の始まりにこの句を置く感覚があり、またそれを当たり前のように受け入れる俳壇がある。この感覚では句集が面白くなるはずがない。そもそも詩を志すことは「未踏」の地をゆくことであり、だからこそ表現活動をやっていると言っていい。表現活動の原点なのだ。そのことを今更句集の冒頭に示す必要はない。

小倉喜郎 2010年 4月30日

特に高柳さんが取り上げられたのは、時評的にいま話題になってわかりやすい人が選ばれた、という感じがするが、高柳さんの最大の特徴である、ちょっと高踏的、大時代的なロマンティズムに対する違和感という面では、なるほどと思うところが多い。
ただ、いずれにしても、お二人の批判は一句ごとの鑑賞から発せられているので、高柳さんの句集全体の評ではない。それを目的にしていないのだから、当たり前である。
小倉さんが挙げている「ことごとく」にしても、この句に魅力がないかどうか、はまた少し別。 この句が高柳克弘の代名詞的な扱いをうけるのは、まさに句集冒頭にあえて「原点」を掲げてしまう、伝統的表現行為への意欲的なモドキないしナゾリ、手あかが付いて見捨てられてしまった「青春」の復権、など、実に「戦略」的な句だから、ではないだろうか。この時代にこの句を出すのは、もちろんそこまでの意図と計画性を読み取っていいだろう。そうした、「句集」としての読み、背景となる作家の意図にまで踏み込んだ読解もまた、一句の楽しみ方としては充分アリ、だと思う。
しかし、上のような読みができるのは、俳句に対して充分な興味関心を持っている人間だからではないだろうか。
そのような自問を持ってしまうと、たちまちこの句の魅力は半減する。いや、魅力が半減するというより敷居が高くなる、というべきか。


うーん、だからどうだ、というわけではないのだけれど、お二人の対談に対して私は共感もできるけれど、だからといって高柳さんの句集から受けたのは決して不快感や疲労感ではなかった、ということだけで、その感想の行方をどこに帰着させればいいかがわからない。

さてさて、「みんな違ってみんないい」相対主義より先に、どこにいけばいいんだろう?