2011年7月29日金曜日

俳句評論について



先日来、斎藤環氏の著書を使って、「評論の作法」という大仰な問題を考えてみた。

実際のところ、斎藤氏の著書は全体的に興味深いものであり、先日来述べてきたような問題点も、結果として大きな破綻を生んでいるわけではない。
むしろこの論著を出発点としつつ、さらに裏付けの論証を勧めれば、立派な漫画論、現代日本文化論になりうるのではないかと思われる。
特に最終章で漫画を、図像と言葉、擬音・擬態表現など「複数の回路を持」つ表現だとし、また「フキダシ」「人物の(記号的)表情」「漫符」「スピード線・集中線」などの、かなり膨大な「コード」の系列が「ユニゾン的に同期」している、というのは興味深い指摘である。
さらに、アニメ・漫画が他のメディアに比べ「表現形式それ自体がその表現内容を規定する度合い」が高い、「ハイ・コンテクスト」なメディアである、と論じ、「送り手と受け手の間に距離感がない」ことで成り立つ、という。
斎藤氏はここで江戸の黄表紙などにも触れつつ、日本文化論へ傾斜しかけているが、このあたりの議論は個別の文化現象として論じる方が意味深いだろう。「ハイ・コンテクスト」というのは日本文化としてよく指摘されるようだが(※)、俳句をめぐる議論としても理解できるものである。
このあとに続く、




漫画・アニメという虚構空間において、自律的な欲望の対象を成立させること。まさにそれこそが、おたくの究極の夢ではなかったか。「現実」の性的対象の代替物に過ぎない「虚構」などではなく、「現実」という担保を必要としない虚構を作り出すこと。どんなに緻密に虚構世界を構築して見せても、それだけでは全く不足なのだ。


といった指摘は考察は興味深いが、理論上の議論、という気もして、よくわからない。私に言わせればやはり、具体的な作品論を通して議論すべきだと思う。




さて、うだうだ書いてきたが、私見による「評論の作法」を活かしつつ、今後、特に俳句評論をしていこうと思えばどうすればよいのだろうか。

まずは歴史的な作家、作品の捉え直しであろう。
以前もふれたことがあるが、俳句の議論は、ともすれば「座」とか「かるみ」とか、江戸時代の俳諧用語、あるいはさらに俳諧研究の用語、を使ってしまう癖がある。
特に、前衛論議が終わって「古典帰り」が起きた、おそらくは昭和五十年代半ばから、その傾向に拍車がかかっているのではないか。
俳句が俳諧をもとに成立したことは言うまでもないが、なんの前提も検証もなく先祖返りしてしまっては、近代百年の歴史が飛んでしまう。
そもそも我々のもつ「俳句」のイメージで「俳諧」を読んで良いのか、ということが前提としてあるはずであり、我々の「俳句」イメージの形成してきた近代百年の「俳句」観、「俳句」論を、もっと厳密に再検証すべきではないか、という気がしている。
それは、これまでのような著名作家たちの作品を並べればすむような「俳句史」ではなく、それぞれの時代に即して、資料に基づいて行われるべき議論であるべきなのだが、・・・その作業の膨大さと緻密さの前に、私もはっきり言って恐れをなしている状況である。

ただしこの難行に挑む何人かの優れた評論家も存在している。



(この項、続く)











※ 斎藤氏は参考図書としてE.T.ホールの名を挙げている。ちょっと調べると、「文化を越えて」という著作の中で、この「ハイ・コンテクスト」という用語を使っているそうだ。読んでからまた言及します。     


2011年7月28日木曜日

メモ。彌榮氏評論評判録

 
彌榮浩樹氏の評論「1%の俳句」について言及している記事のまとめ。
私の感想は以前書いたとおりだが、内容や姿勢について賛成できないことは多々あれど、俳句専門誌ではなく文芸誌に俳句論が載った(賞を受賞した)、ということがまず大きな功績だと思われる。ある程度の無茶というかキャッチーな切り込み、また通説的な事柄の言い換え、といった部分は、掲載場所を考えれば大いに納得できると思っている。

もっとも、私としては「俳句らしくみえる」「99%」の沃野のほうが俳句だと思っているのだけど。

詩客 俳句時評 第5回 「1%の俳句」と「鳥籠は鳥のような何かを得る」  山田耕司

夕螺の一言日記 彌榮浩樹著「1%の俳句」

週刊俳句 Haiku Weekly: 彌榮浩樹「1%の俳句」を読む 関悦史

万来舎 短歌の庫 江田浩司評論 彌榮浩樹の評論「1%の俳句― 一挙性・露呈性・写生」を読む。

週刊俳句 Haiku Weekly: 彌榮浩樹「1%の俳句―一挙性・露呈性・写生」再読 有季定型と「写生」は結婚しうるか(1) 青木亮人
週刊俳句 Haiku Weekly: 彌榮浩樹「1%の俳句―一挙性・露呈性・写生」再読 有季定型と「写生」は結婚しうるか(2) 青木亮人
週刊俳句 Haiku Weekly: 彌榮浩樹「1%の俳句―一挙性・露呈性・写生」再読 有季定型と「写生」は結婚しうるか(3) 青木亮人

青木さんの長編評論はついに完結編。 「1%の俳句」批評から始まって、数年来ツイッターその他で発表されている青木さん自身の「写生」論につながっているので読み応えアリ。



どうでもいいけど、
ここの書きぶりは、高評価なのか低評価なのかよくわからないが、奥歯にものが挟まったみたいでヤな感じ。


まあ、話のついで、と言ってはなんだが、今年の「群像」新人文学賞・評論当選作の彌榮浩樹「1%の俳句ー一挙性・露呈性・写生」も話題に上がった。
どう、上がったかは、ご想像にお任せする。


2011年7月23日土曜日

マンガ的川柳


こちらでもたびたび参照させていただいている、「週刊 川柳時評」で、拙論に言及していただいている。
週刊「川柳 時評」川柳句集の句評会

話題は、先日行われたばかりの、「渡辺隆夫新句集『魚命魚辞』・小池正博『水牛の余波』合同句評会」である。
両氏の句集については私も何度か触れさせてもらったが、渡辺氏は『バックストローク』創刊号において、すでに「川柳のマンガ的読み」に言及していたそうだ。
小池氏はそこから出発して、拙論の、「マンガ俳句」と「漫画的俳句」との区分について、に言及し、渡辺句集を「キャラクター川柳」の視点から読み解かれたようだ。

当日は、案内を頂戴していながらもろもろの関係で行くことが出来なかったが、「マンガ的読み」について、いつかご意見をいただければと思っている。
 

2011年7月19日火曜日

評論の作法(下)

 
承前


2.定義のあいまいさ


これは1より大きな問題だ。まず「戦闘美少女」という本書の注目するカテゴリ自体が、相当振れ幅の大きいものである。
本書第五章「戦闘美少女の系譜」では、1960年代~90年代のアニメ、漫画、ドラマに登場する「戦闘美少女」が大量に列挙され、13の類型に分類されている。そのうえで「物語設定はわずか一三の系列分類に尽くされる」というのだが、これが実に問題が多い。

「紅一点系」としてゴレンジャーやガッチャマンが入るのはわかるとして(彼女らは少女というより成人女性だが)、「銀河鉄道999」が分類されるのは何故か。ご存知メーテルは戦闘もこなすが、むしろ鉄郎に対する母性が際だっており、時間を旅する全能の賢者とでもいうべきであり、どちらかといえば「巫女系」に近いだろう。また「同居系」と分類されるラム(うる星やつら)、小璘(まもって守護月天)は「戦闘美少女」なのだろうか。むしろ和登サン(三ツ目が通る)や毛利蘭(名探偵コナン)のほうが「戦闘」に近いのではないか。分類表には含まれないものの本文中には作者の「思い入れの深い作品」として「じゃりン子チエ」に言及があり、「戦闘」はどこへ行ったかと疑われる。そういえば我らが猫娘(ゲゲゲの鬼太郎)や雪女(地獄先生ぬ~べ~)はどう理解できるのか、……
などなど。

これらはすべて「戦闘美少女」の定義、あるいはそれぞれの分類の定義が明示されていないためにおこる疑問である。
また長編漫画では物語の展開に応じて、あるいはもっと露骨に世間にウケる方向にシフトして、連載中にキャラクターが変化する場合も多い。
たとえば「ドラゴンボール」のブルマは当初はバイクにまたがり宝を求めて冒険する美少女であったが、後半ではほとんど傍観者になっていた。「こち亀」の秋本麗子の造型なども一定しているとはいえまい。

こうしたブレを考察するためには、どのキャラクターのどの部分をもって「戦闘美少女」と認定するか、またどの分類とするか、明確な基準が必要である。
恣意的、主観的な分類で「わずか一三の系列に…」とするのは、自家撞着の議論というべきであろう。

さらに対象となっているジャンルに、アニメ、漫画ばかりでなくテレビドラマや映画が含まれていることで事態はより複雑化する。
基本的に本書が対象としているのは「おたく」の愛好するアニメ漫画における「虚構の存在」としての「戦闘美少女」である。
ところがここでは「セーラー服と機関銃」「スケバン刑事」なども参照される。これらはアイドルが主演したということで虚構性が高い、と見なしているようなのだが、ではほかの映画やドラマではどのような状況だったのか、それについて一切言及がない。当然、ほかのヤンキーものやトレンディドラマにおける女性像が参照されるべきだろう。

上記類型に「宝塚系」があること(リボンの騎士、ベルサイユのばら)でもわかるとおり、「戦闘美少女」はすでに舞台上に実在した。宝塚の男役だけでなく、歌舞伎の女形の問題もある。類型「服装倒錯系」(ひばりくん、らんま)の延長上に位置づけられる「オヤマ!菊之助」が主役に女形を据えていることは、後述の歴史性の問題とも関わって重要であり、なぜ本書が言及しないのか疑問である。

このように、対象を広げれば「戦闘美少女」の問題はどんどん拡散する。
結局のところ、本書の論述が1960年代以降のアニメ、漫画に焦点を絞った理由が明らかでないため、「おたく」と「戦闘美少女」とを結ぶ着眼の根拠も疑わしいものになってしまうのだ。



3.非歴史性

すでに言及したが、本書の論述対象は主に1960年代以降のアニメ、漫画に集中している。
ところが実際にはアニメ、漫画に限らず、日本には「戦闘美少女」が存在しており、アニメ、漫画の「戦闘美少女」はこの延長上に誕生したと考えられる。

まず歌舞伎で有名なものは女装した盗賊、弁天小僧菊之助だが、近世に上演された演目には女形の立ち回りを見所にしたものも少なくなかったらしい。
その直系と言うべき剣劇女優(浅香光代など)の系譜は、のちの時代劇における女剣客に引き継がれている。池波正太郎「剣客商売」は連載が1972年~、ドラマ版は73年~らしいだが、本作に登場する女剣客・佐々木三冬の造型は明らかに「るろうに剣心」「サクラ大戦」などに近い。アニメ、漫画と同時代の時代劇作品についてはもっと検討が必要であろう。

また、本書がディズニー映画「ムーラン」や、中国アニメ「白蛇伝」に言及しながら、中国文化に触れないのも片手落ちである。
本書は再三、欧米文化との差異を論じながら中国文化について目を向けず、「西欧」と「日本」との対立にしか言及しない。前近代日本文化における圧倒的な大陸の影響力を思えば、あまりに歴史的視座を欠いた考察である。
あるいはアニメや漫画に限定すれば、当時の中国アニメは論及対象に及ばなかったかもしれないが、カンフー映画に言及がないのは惜しまれる。
私は映画には詳しくないが、武侠小説には数多くのヒロインが登場しており、いずれも武術の達人として活躍している。
中国の国民作家である金庸の武侠小説が翻訳され始めたのは1996年以降だが、そもそも中国では武侠物に男性顔負けの美女、美少女が登場するのは当たり前で、古く「水滸伝」の一丈青や瓊英、「封神演義」の鄧蝉玉、「西遊記」の羅刹女などは日本でもよく知られており、京劇でも活躍する。また武田泰淳が小説化した「十三妹」は「児女英雄伝」に登場するヒロインであり、典型的な戦闘美少女と言うべき存在だ。

このように中国-日本の文化には戦闘美少女を受容する文化的土壌がある。

アニメ、漫画の戦闘美少女はその土壌の上に成立したのであり、1960年代に突然現れたのではない。
アニメ、漫画と、これら先行ジャンル、あるいは先行作を引き継ぐ他ジャンルとを比較検討しなければ、アニメ、漫画における戦闘美少女の爆発的増殖も理解できないのではないか。

むろんこれら全てを論じることは不可能だし、論じたとすればかえって粗雑な議論になるばかりだろう。
だからこそ、2で指摘したように論及の対象を限定し、その範囲内での精度を高めるべきだったのではないか。時代で区切るか、ジャンルで区切るか、は論者によるが、論述対象に限定をかけるほうが、他との差異がより明確になったのではないだろうか。
  

2011年7月17日日曜日

評論の作法(上)

 
斎藤環『戦闘美少女の精神分析』(ちくま文庫、2006)を読んでいる。
ちょっと前の本なのだが積ん読のまま放っておいたのを思い出したのである。特に深い意味はない。


ナウシカ、セーラームーン、綾波レイなどの日本の漫画・アニメに溢れている「戦う少女」のイメージが、アメコミの筋肉質なアマゾネス系戦士と異なって特殊な存在である、という視点から、トラウマ(外傷)を持たない可憐で無垢な「戦闘美少女」の特性とそれを愛好する「おたく」の心理学特性を分析する……
裏表紙に書かれた解説をもとに要約すれば、おおよそはこのような内容だろう。
本書はもともと2000年に単行本として出版されたそうである。出版された当初は本格的な「おたく評論」の先駆者としてかなり評判になったようだし、解説の東浩紀氏がしきりと強調するように、後続の評論家にも大きな影響を与えたらしい。

たしかに読み物としてはかなり面白いし、示唆されるところも多かった。書かれた当時を思えば相当先見性に富んだものだったのだろうと推測できる。

にも関わらず、私は読みながら苛立ちを感じていた。
私の考える「評論」のレベルからすると見過ごせない点があちこちにあったからである。

結果として本書は、ほかの粗雑な「日本文化論」、つまり日本の文化が特殊で世界に類が無く、「おたく」や「ジャパニメーション」が今後の世界を導くようなステキなモデルたりうるという……要するに、耳心地いい幻想をふりまいているだけではないか。
確かに日本文化は特殊かもしれないが、それなら特殊でない文化など世界のどこにもない。
問題はどのあたりが共通していてどのあたりが特殊なのか、その特殊性はどう育まれたか、なのだ。その分析がない日本文化論は、「世界に一つだけの花」の歌詞のようにまったく意味がない。凄いぞ日本ガンバレ日本、キミは生まれつきみんなと違う才能があるから競争しなくてもいいんだよ、日本文化は世界で一番なんだよ……みたいな。


違和感は自分の考えを育てるための重要なスタートになる。
自分自身の評論スタイルを模索するためにも、あえて本書の「まずい点」をメモ書きとして指摘しておきたい。念のため申し添えるが、本書の内容に踏み込んで「おたく評論」を展開するつもりはない。あくまで「評論」を実践的に模索する立場からのメモである。

ひとまず私があげておきたい、本書の問題点は次の三つに要約できるだろう。





  1. 批判先の匿名性

  2. 定義のあいまいさ

  3. 非歴史性

1.批判先の匿名性
本書はしばしば「紋切り型」の「おたく論」を批判する。



 おたくとは、アニメとか怪獣とかの幼稚な移行対象を握りしめ、手放すことも出来ないまま成長してしまった未成熟な人間のことだ。彼らは現実に触れて傷つくことを回避し、虚構の世界に逃げ込んでいるだけである。成熟した人間関係、わけても性関係を恐れ、虚構に対してのみ欲情するような人間。精神医学的に言えば、「分裂気質」――以上、おたくについて思いつく限りの紋切り型を並べてみた。ただし「紋切り型」であることは必ずしも誤りであることを意味しない。問題はそれが「正しかったにしてもさして意味がない」ということだ。(P.19)
ここで重要なのは、この「紋切り型」でおたくを評しているのが誰なのか、そのような認識がどの程度社会で共有されているのか、書かれていないことだ。
批判すべき対象の明確化、これは評論の問題意識を正しく共有してもらうためには必ず必要なことである。
しかし、ここでは批判の矛先が匿名であり、どのような意見の、どのような点を批判しているのかわからない。
これは現在本書を読む人間にとっては重要な過失であろう。

書かれた当時であれば「紋切り型」こそ自然だったかもしれないが、本書の初出から十数年を経ている現在では「紋切り型」以外の見方も多数存在している。しかし本書が書かれた当時にどんな意見がどの程度有力だったのかがわからないために、本書自体の立ち位置もよくわからなくなってしまうのである。
その結果、「紋切り型」を脱したはずの本書が提示するのは、上述のような日本特殊幻想にすぎない。それはたとえば八〇年代(バブル期の)日本で流行した、世界文化の最先端(ポストモダン、脱近代)が日本だ、という言説から、なんら進歩していない。なぜ「紋切り型」を廃して別の枠組みを持ってきたのか、本書の問題意識、重要性は、本書を読んでいてもほとんど伝わってこないのである

(この稿、問題なければ続く。)

2011年7月16日土曜日

若手評論家見取り図、時評篇


先日もとりあげた「川柳時評」で、如月和泉こと小池正博氏が「時評」の難しさについて触れている。



時評とはけっこう困難な作業である。
音楽評論で有名な吉田秀和は、相撲の解説から批評の要諦を悟ったと述べている。現在の相撲解説は愚にもつかぬものだが(そういえば相撲自体の存続もあやぶまれる状況が続いている)、かつては相撲解説者に神風と玉の海がいて、名解説者の評価をほしいままにした。一瞬の取り口を言葉によって鮮やかに解説してみせるそのやり方は、相撲ファンのワクを越えて視聴者を魅了したのであった。
吉田秀和の評論集『主題と変奏』に収録されているシューマン論には「常に本質を語れ」(ベートーベン)というエピグラムが掲げられている。消え去るもの、移り変わる状況を取り上げながら、常に本質を見失わないこと。そこに時評なり批評なりの面目はあるのだろう。



http://daenizumi.blogspot.com/2011/07/71.html

「消え去るもの、移り変わる状況を取り上げながら、常に本質を見失わないこと。」
現代川柳をそれだけで見ることなく、戦前からの「無名性の歴史」をふまえて読み解こうとする小池氏の「時評」がめざす高みが知られる。

さて、「川柳時評」も含め、昨今のネット評論の活性化は、当blogをご覧の方々には周知のところである。
「週刊俳句」を筆頭とするウェブマガジン掲載の文章、個人blogやツイッターでの句会報告や句集評など、いまや若年層だけではなく一定の位置を築いている。
こうした新しい媒体も足がかりにして新たな書き手が輩出し、十数年来「凪」といわれてきた俳句評論の世界にも、少し動きが見え始めてきたようである。

そんななか、「時評」という形式で、現在もっとも注目すべきは関悦史氏だろう。
もともとmixiなどで句集評などを公開していたという関氏は「―俳句空間―豈weekly」安井浩司や、竹中宏などおもに難解派と目される作家論に健筆を揮い、「新撰21」シンポジウムや川柳の大会でも活躍、豊富な知識量に裏付けされた怒濤の言論活動で周囲を圧倒し続けている。

関氏の評論は長短どれをとっても読み応えがあるが、私がもっとも注目しているのが、blog形式の「閑中俳句日記(別館)」である。
もともとSFや現代芸術などに深い造詣を持つらしい関氏は、幅広い読書傾向の一つとして俳句に親しんできたそうだ。結社句会や文化講座ではなく、読書経験から俳句へ入った、というのは、しばしば指摘されるとおり、関氏の特異性のひとつである。そのためだろうか、関氏の視点は、「俳句」内部の論理ではなく、さまざまな表現形式の一角としての「俳句」の位置を見据えようとしている。大げさにいえば、外からやってきた「お客さん」の視線で、俳句表現と、俳句経験について、その位置づけを考察しているように見えるのだ。
むろん「お客さん」全てが関氏のように活躍できるわけではなく、複雑な問題を整理する手際や、的確な論理展開はまったく彼の個性によるものだ。それにしてもイベントや句集の読後評などのリアルタイムな情報が、関氏の体系のなかでたちまち的確に位置づけられていく様は、毎回圧巻である。


個人的に、関氏には「必殺時評人」の称号を奉りたい。


関氏の活動はそれでもまだネット上を中心としたものだが、総合誌を含めてもっとも活動的な若手評論家といえば、まずは高柳克弘氏であろう。
高柳氏が書き手としての才能を一般に知られるようになったのは『凛然たる青春』シリーズであろう。それまでは角川「俳句」賞受賞作家として知られていた高柳氏であるが、現在では論評活動でも八面六臂の活躍をしているのは周知のとおりである。
実際のところ私は必ずしも高柳氏の俳論に賛同するわけではない。しかし彼の文章については大いにファンを自認している。
高柳氏の文章の魅力は、作品同様、ある程度明確な「理想」を掲げつつ、それと対立する視点や対象についても向き合い、取り入れようとする態度が見えることである。それは「読み」(鑑賞)を重視する姿勢にも重なる。自分と違う方向性の句であっても、まずは作品を「読み」、その鑑賞を基に議論を展開する。だからこそ異なる立場にあっても平静な議論として受け止めることができる。文芸評論の王道の態度である。
先入観をもって否定しない、先に結論を持たない、というのは議論の大原則でもあるが、実際行うのは難しい。まして仕事量が増えれば大変だろうと思うが、高柳氏の文章はいつも緊張感を失っていない。
高柳氏を「エンターテイナー」と評したのは高山れおな氏だが、そのとおり彼は周囲の期待をそのままに、期待通り王道を王道として歩む、その覚悟と不適さを持っているように思う。(あるいは普段の飄々とした態度は、周囲の期待に応え続ける反動なのだろうか…)

高柳氏にはそのまま、「鷹の王子」の名がふさわしいだろう。


思うに、「時評」の役割は二つの側面がある。


一つは、リアルタイムの情報を読者に知らせる広報的な役割。

もう一つは、その現象が全体にとってどのような意味があるか、その現象からどのような問題が提起されるか、を読者に問いかける啓発的な役割。

つまりインプットとアウトプットの両方が重要なのだが、インプットが偏向であれば「時評」とはいえない内輪評になるし、アウトプットが曖昧であってはただの広告、掲示板にすぎなくなる。そのためには幅広い関心をもちつつ、それぞれを自分の中である程度の価値基準をもって価値付けていかなくてはいけないわけだ。

「時評」は、考え抜いて書く評論とは違う、反射神経のよさの問われる文章だ。
幸いなことに我々は今、得がたい時評子をふたりも知っている。彼らの把握に賛同するにせよ、反論するにせよ、議論を始める用意は、整っている。

 

2011年7月12日火曜日

東京

 
昨日、今日、と、資料調査で東京へ行って参りました。
で、その合間に、東京の句友何人かと遊んできました。場所は伊藤伊那男氏の経営されている、神保町の「銀漢亭」というお店。


遊んだと言っても俳句も作らずひたすらお酒呑んでしゃべくってただけですが、平日の、しかも月曜の夜だというのに遅くまでつきあっていただき、お陰様で、駅の階段を踏み外しそうになるくらい、しこたまお酒を楽しませていただきました。突然声を掛けてお相手してくださった各位に厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。

さんざん呑んだあとですが、やはり呑み……いや話し足りないですね。また是非よろしくお願いします。



で、その席で怒られたのですが、どうも当blogの更新が遅い、と。

そんなこと言われたってこっちは普段天狗とかネコマタとかのことを考えながら観音さんの話とか地蔵さんの話ばっかり読んでるわけで、時には後輩がまったく読んだことも物語について報告しているのを聞いて知ったかぶりで助言しなくてはいけない立場にあるのに、そんな毎日俳句のことばっかり考えてるわけにいかんやろうがしゃーないなあぶぅぶぅ、とか思ったのですが、……たしかに先月などはわずか2回しか更新してないわけで、閲覧くださっている方々には申し訳ない限りです。


だいたいいつもは月に3~4回の更新、つまり平均すれば週1更新をメドにしていたのですが、先月は全くダメでして、これは文句言えません。

私がファンを自認しております、そして今回も大変お世話になった西村麒麟さんなどは、お仕事をされながらお酒を飲みながら実に週2というハイペースで文章をアップされているわけで。
きりんのへや:spica

あるいはまた、小池正博氏のように、お忙しいなか毎週かならず刺激的な時評で川柳世界を案内してくださる方もいるわけで。

週刊「川柳時評」

反省しました。


で、これまではある程度書き上げた文章のみをアップしてきましたが、これからは書きかけのものでも順次公開していこう、と。

あるいは、私はツイッターもやっていませんから、「つぶやき」程度の、備忘録のメモ書き程度のものでも、こちらで書いてしまおう、と。

そのように考えています。


とりあえず、何度か言ってきましたが、継続中の関心事は「俳句評論のありかた」について。
俳句そのものに対する関心でないところが、私の弱いところなのだとは自覚しておりますが、私ごときが下調べもせず書いた文章を「論文」とか「論攷」とか言ってくれる方がいて、それはそれで面映ゆくありがたい気持ちになるのだが、きっとそのままではいけないという気がするわけです。

ちょっと昔の俳句雑誌をめくってみると、いまの議論とほとんど同じような話題が、同じようにくり返されている。もう少し昔の人の文章を読んでいると、やはり同じようなことを言っていたりする。「近代俳句百年」の歴史のなかで、問題になる争点は、じつはほとんど変わってないのじゃないか、という気さえする。
本来はそうした昔の議論の蓄積をふまえたうえで、改めて別の資料なり、方法論なりを持ってきて議論しなくてはいけないのです。当たり前のようですが、俳句評論の世界は必ずしもそうなっていないように、私には思える。

えらそうに言っても実際のところ私など、厖大すぎる俳句評論史の蓄積について、まだまだ勉強をはじめたばかりなので、自分自身の勉強のためにも評論読み直し、それをふまえた「評論」の在り方、を気長に考えていきたい、と、まぁそのように考えております。

これまで以上にまとまりのない、支離滅裂あるいは無責任を極めたものになるでしょうが、生暖かい視点で見守っていただければ幸いです。


亭主拝

2011年7月6日水曜日

漫画的俳句 ~神野紗希氏に応える~


まずはおさらい。
今まで私の書いた「漫画的俳句」に関する文章をリンクしておきます。



  1. 「俳句な呟き」Vol.02 01.09

  2. 「俳句な呟き」Vol.08 02.20

  3. 曾呂利亭雑記 オタクはいく、付・個性のこと

  4. 「俳句な呟き」Vol.26 06.26

1と4で述べているが、「俳句でマンガ(漫画的俳句)」と、「マンガと俳句(マンガ俳句)」は、厳密には異なるものだということを強調しておきたい。

「マンガ俳句」は、マンガが詠みこまれた俳句。「漫画的俳句」は、「マンガ俳句」も含んでよいが、むしろ「漫画的手法を使った俳句」である。漫画的手法とは、「誇張」「単純化」「面白さ重視」などの特徴に集約される。

私が関心を持つのは主に「漫画的手法を使った俳句」のほうである。
2で取りあげたゆにえす氏など、もちろん「漫画的俳句」も面白いが、「マンガ俳句」に特徴がある。現代にあっては「マンガ俳句」も、もっと詠まれてしかるべきだろう。

3の文章で言及した「オタク俳句」の試みもそれに類するもの。
私はツイッターユーザーではないため詳しくないが、結構おもしろい作品もあるようだ。ただ、当然出てくる問題として「元ネタ」がわからないといまいち面白さが伝わらない、ということがある。これはかつての江戸俳諧が「忠臣蔵」や「曾我物語」をベースに句を作っていたのが現代人にはよく分からず、注釈に頼るしかない、という感じに似ている。
なかには確信的に注釈付きでオタク俳句に挑戦する向きもあるが、本人も「イタ句」と称するとおり、今後につながるかどうかは未知数である。



さて、『船団』89号に掲載した拙句「夏銀河メーテル待っているつもり」について、神野紗希氏より厳しい批評を受けている。


「待っているつもり」という表現に個性がないので、この文体の中で「夏銀河」と「メーテル」の取り合わせが、いくらでも取り換え可能となっている。「リング上力石待っているつもり」「屋上に綾波待っているつもり」「飴舐めて月(ライト)を待っているつもり」「籐椅子にコエムシ待っているつもり」「夏欅ミカサを待っているつもり」・・・。久留島の句も、一句の魅力の多くを「メーテル」というキャラクターの魅力に頼っているところが弱い。


【週刊俳句時評第34回】昭和二十年ジャムおじさんの夏 「船団」第89号特集「マンガと俳句」 神野紗希 



対象となった拙句は、以下の10句の最後のもの。


 「ジョーならば」
  ジャイアンに挑むのび太と猫の恋
  倒れてもジョーならば立つ春疾風
  春の雨俺がジョーなら勝っていた
  躑躅咲くゴルゴのように振り返る
  青を踏むねずみ男になりきれぬ
  蒲公英に化けて吹かれる狐の子
  浴槽に人魚姫いて春愁い
  行春の目目連の目に泪
  南風ルパン・ザ・サードのテーマ曲
  夏銀河メーテル待っているつもり



自句自解は褒められたことではなく、作品外での作者発言はたいてい無粋だ。
しかし、あえて今作の狙いを明かせば、漫画的価値観でいかに日常的な句を作るか、ということであった。
この場合、作中人物はあくまで現実的日常を生きているのであるが、現実的日常を漫画的価値観をもって見ている。従って私としてはこれは「キャラクター」に頼った句ではなく、漫画的手法を用いた句、という認識である。「のび太」(「ドラえもん」)、「ジョー」(「明日のジョー」)、「メーテル」(「銀河鉄道999」)という古典的作品を用いたことも、価値観として一般化、血肉化しているものを優先したからだった。

神野氏のあげた例の全てを把握しているわけではないが、たとえば「飴舐めて月を待っているつもり」(「DEATH NOTE」)などでは、句中にマンガ内部の小道具が入り込んでいる。
すなわち作中人物がマンガの内部に入り込みすぎており、もともとのマンガがもつ世界に頼った「マンガ俳句」だな、という気がする。
結果的には拙句も、他の人たちの「マンガ俳句」「キャラクター俳句」とよく似た作りになってしまったようで、それは私の実力不足。今作の狙いはそれから脱することにあったので、大いに反省している。しかし、上のような「漫画的価値観」をもって日常を見る視点は、「漫画的俳句」として実践していくつもりである。






引き続き、神野氏の批評を検討する。

神野氏は、「昭和のマンガ」を扱った句として「かつてラララ科学の子たり青写真 小川軽舟」をあげ、次のように評する。


「鉄腕アトム」「子どもの科学」「青写真」といった、おそらく作者の子ども時代の思い出と密接に関わっているモノたちが、「かつて」という時間の経過を示す言葉で括られ、「青写真」という、しばしば「人生の青写真」などという言い方で将来設計をも示唆する言葉で締められている。複層的に関わり合う言葉たちが、一体となって、一人の人間の思い出を体現しているのである。

このあと、神野氏は宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(早川書房 2008年)に拠りながらゼロ年代以降の「昭和ノスタルジーブーム」に言及し、『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005)、『パッチギ!』(2005)、テレビドラマの山崎豊子リバイバルなどの、「昭和をまるでユートピアのようにつくりあげる作品群」と、『船団』89号に散見される(拙句を含めた)昭和マンガの数々を同列視しつつ、



小川の句が、そんな昭和ノスタルジーの心性のそのものを、自らを通して具現化しているのに対し、船団の句のほとんどは、昭和ノスタルジーにひたる心性から作られている。言語表現としての緻密さという点のみならず、句自身が、自らの孕んでいる昭和ノスタルジーについて自覚的であるかどうかという点で、小川の句と船団の今回の句には、大きな差異がある。

と断じる。
昭和ノスタルジーへの違和感については、むしろ私も同調するところであり、上述3の文章で言及してる。引用する。


「関西俳句なう」の「俳句な呟き」vol.8(2011.02.20) では、船団会員ゆにえす氏のサブカル俳句の試みを紹介した。
  また春が来る磯野家の不老不死  ゆにえす
磯野家住人を扱った句では最近、『超新撰21』に収められた久野雅樹氏の句、
  バカボンもカツオも浴衣着て眠る  久野雅樹
が話題になった。
たしかにマンガ的無理を感じさせない佳句であるが、個人的にはあまりにALL WAYS的情趣が強すぎ、つきすぎ、という感想を抱く。
昭和のマンガの住人である彼らがノスタルジーに馴染みやすいのは当然だが、不条理ギャグと新聞マンガとを同列にノスタルジーに回帰させてしまうのは、作られた昭和像を補強しているだけではないだろうか。


ゆにえす句の内容は、日常会話でありふれた「年を取らないサザエさん」という話題にすぎないが、「不老不死」という語の選択により、「また春が来る」不気味さが倍増され、素材にたよりすぎない問題句たりえていると思う。なにより、昔のマンガを読んでいる、正直な違和感が基底にあることが、久野句との明確な違いになっている。

ところで私は昭和60年生まれで、昭和の記憶はほとんどない。郷愁を懐くような思い出もないが、憧れるほど遠い対象でもない。そのためだろうか。「昭和ノスタルジー」を語る上の世代へも下の世代へも、とても違和感を覚える。一学年上の神野氏もほぼ同様ではないだろうか。
しかし、次のような句が、本当に「昭和ノスタルジー」を感じさせるだろうか?


天高しラーメンお代り小池さん  岡清秀
バカボンのママ春陰の絆創膏  若林武史
白鳥を抱きしめているメリーベル  岡野泰輔

たしかにこれらの作品はもとの作品の世界観に従順であり、批評性に欠ける。「取り合わせ」により読み替えができているかどうか、は検討の余地がある。
しかし、そのことと、「昭和ノスタルジーにひたる心性」は同一だろうか?
不条理ギャグの登場人物に貼られた「絆創膏」。ラーメンを食べ続ける貧しい小池さん。「ポーの一族」の無国籍的な風景。これらの風景がおしなべて「昭和ノスタルジー」に見えるとしたら、あまりに原作マンガを知らなさすぎる。
どれもキャラクターに季語を取り合わせた単純な句だが、逆に言えばそれぞれの作品世界をきちんと踏まえ、虚構と日常(季語)との取り合わせを目指しているのだ。その意味で、ただの「思い出」の一部でしかない小川句中のアトムとは、まったく扱いが違う。

川句の認識は、実はそのまま矢作俊彦『ららら科学の子』(文春文庫、2006)に共通する認識だ。
作中の主人公は「昭和三十年代俳人」よりは少し年上の、学生運動経験者だが、かつて科学万能を信じられた時代、を懐かしむ心性は同じだ。
小川句は、「青写真」の季語に沿って、そのまま多くの同世代人が共感できるだろうセピア色の端正な世界観を築いている。しかしそれは、ある季語の現代的変奏というにすぎない。マンガという沃野を、まったく無視して自己の時代認識を露呈しているのみであり、漫画的俳句の観点からみれば新しみに欠ける行為としか言えない。




俳句も「マンガの表現から盗みたい」と後続に回るような姿勢からもう一歩踏み込んで、たとえば芳野の作品がアイロニーをもってマンガや昭和を相対化したように、素材の価値を作品が超えていかなければ、扱う意味がない。

神野氏の批評の結文は、ともすれば「共感」ばかりをめざしがちな、安易な俳句表現への課題として重く受け止めるべきだろう。
しかし、アイロニーや飛躍によって日常を超えていく表現とともに、自分たちをとりまく等身大の漫画的視点も重要である。私見では、ただマンガのキャラクターを扱っただけではなく、漫画的手法、漫画的価値観によって作られる句に、大きな可能性が秘められている。



春の星世界はデッカイ乳で成る  山本たくや
マーブルの壺が私の住処冬  酒井昌子
ペンギンの丹田切断星流る  工藤恵
かぷせるにいまからはいるはるうれい 津田このみ