初夏らしい日を楽しむ間もなく、もう、六月。
もう一年の半分が終わりつつあるデスよ、なんと恐ろしい。
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先日、「船団」初夏の集いがあった。一番大きい船団の大会で、この日は全国から「船団」会員が結集する。普段、別々の句会に出ていて会う機会が少ない人たちや、「船団」誌上くらいでしかお目にかかれない方々に会うチャンスでもある。
今年は「ROCK ROCK 俳句」と題し、山本純子さん、池田澄子さんを中心に、「声」に注目し、ともかく発声・朗読しまくりの一日だった。
実は前日、大学での飲み会で遅くなって帰れなくなり、京都の後輩宅に一泊して、着替えだけして向かった状況だったのでとても眠たかったのだけれど、山本さんの群読ワークショップに、池田さんの本格朗読、とまったく隙のない構成で一日楽しんでしまった。今年は会員限定の参加だったので、気のせいか、例年以上に密な感じではあった。
そういえば会員限定のはずだったのだが、なぜか坪内さん自ら角川「俳句」の河合編集長を呼んでおられたりしたので、いそいそご挨拶。河合編集長は先日、佐藤文香の紹介で知り合ったばかりなのだけど、同じく国文畑出身というのと初対面の会がディープだったということもあり、勝手に親近感を持ってしまっていて、随分馴れ馴れしくさせていただいてしまった。河合さんという方は、目下が思わず馴れてしまうような、万年青年のような方なのだ。昨年の「新撰21竟宴」での発言でも思ったが、相変わらずの俳句愛が素敵すぎる。
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で、懇親会でご挨拶してると、案外いろいろな方に当blogを見ていただいているようで、恐縮する。最近知ったGoogle Analysticsとかいうアクセス検索によれば、ほぼ毎日20人前後の方が閲覧して下さっているらしく、多い日は40人くらいになる。
気付けば当方、5月11日をもって設立一周年を迎えており、このような結論のない駄文長文ばかりを投稿しつづけながら曲がりなりにも自分以外の方に見ていただいて続けられるというのは実にありがたいことである。多謝、としか言えない。
ちなみに会場では小西雅子さんから、坪内先生の『モーロク俳句』を受賞の直前に取り上げて(4/18)、しかもすぐ後に桑原武夫氏をとりあげる(5/4)というタイミングの良さを褒めてもらったりした。
自分ではあんまり気付いていなかったが、しかも『モーロク俳句』のほうは買ってなかなか読んでいなかったりしたのだが、たしかにタイミング的にはよかった。ちょっと自慢していい。
それはともかく、このblogで続けたい作業のひとつに、俳句評論を読む、ということがある。作品も読まずに理屈ばかりこね回すことには異論も多いと思うが、評論だって先学の築きあげたものであり、その成果を再検討する作業というのは後人がやっていかなくてはいけないだろう。
今のところ俳句評論を概観するには、夏石番矢編『「俳句」百年の問い』(講談社学術文庫、1995年)という優れた書があり、主要な評論が収められているが、いかんせんアンソロジーなのであまり長いものは収録されていない。それに横並びに並んでいるだけなので、それぞれの評論の意味をきっちり理解するというのは難しい。
幸いなことに私はこの年齢になっても研究機関(大学)に属し、研究書・専門書に触れる機会は多い。どこまでできるかは分からないものの、俳句評論の私的な体系づけ、というような作業をやってみたい気持ちがある。
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まぁ作業は遅々としているので、期待せず気長に見守っていただければ嬉しく存じます。
今後、なにとぞ末永いおつきあいの程を。
亭主拝。
※ ちなみに、当サイトの読みは「ソロリテイ・ザッキ」であります。そろり、はプロフィール欄にも書きましたが、中高生時代より使いつけていますHNであり、豊臣秀吉に仕えたお伽衆・曾呂利新左衛門から拝借しております。一説に落語の元祖だとか。新左衛門の話芸教養にはとても及びませんが、世知辛い世の中を舌先と機知だけで渡っていたところに惹かれます。
※ 6/2、冒頭に微妙に間違ったことを言ってしまいましたので表現を若干訂正。茶色字。
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