これは昨年、「船団」で高柳重信特集をするというので書かせてもらったもの。
内容についてざっくりまとめてしまうと、
今の「俳壇」は「五十句競作」で重信編集長のお眼鏡にかなって見いだされた人が少なからず力を持っているのであって、つまり<重信>以後に生きる我々は重信の挑戦を無視して俳句を作ることができない。そのあと諸事情により発刊が遅れたので、入稿後に掲載された冨田拓也さんの「俳句九十九折」や、そのほか資料を交えて改稿して、重信の挑戦とは何だったのかとか、それなりに考えて書いたのですが、基本的には上のようなことを書きました。それが、昨年の秋。
今年になって「高柳重信読本」が出て、更に角川「俳句」5月号で「重信を読む」特集が組まれました。
自分が勝手に思っているだけだと思ったら、神野沙希さんの一連の活躍(主に今年の正月前後の)や、冨田さんの文章を読んで共感し、最近もっと上の世代まで含めて同じ問題を抱えていることに気づいたのですけれど。
このたび「重信を読む」特集の掉尾を飾った佐藤文香さんの文章「さよなら、重信」を読んでいて、まったく同じ「重信以後」という語が出てきたので、すこし驚きました。
同世代(佐藤は学年は一つ下だが同じ85年生)で同じ問題意識を共有できているというのは、嬉しい驚き。
つまり我々には、否が応でも<重信>とその仲間たちの遺産を、どう評価し、どう受容するか、という課題が課されているわけです。
いわゆる「新興俳句」や「現代俳句」と呼ばれた俳人たち、つまり大正以前までの俳人たちの活躍と、それに続く昭和初期生まれの俳人たちの活躍で、俳句の裾野は一気に広がった。
ちょっと神経病的な内容から、逆に日常的に些末な内容まで、あるいはナンセンス、ギャグ、ファンタジックな内容に至るまで、俳句が扱う対象は、格段に、無節操といっていいくらい広がった。
だからこそ、それ以後の世代は、新たな開拓場所を見失ってしまった。
小川軽舟さんですら、そう言っている。
ところが昭和三十年世代には、皆で競って開拓できるような目に見えるフロンティアが残されていなかった。表現のフロンティアを求める近代俳句のさまざまな運動は、昭和三十年世代の登場までに、それぞれの使命を終えてしまっていた。
昭和三十年世代にとっては、金子兜太も高柳重信も攝津幸彦も、すでに古典であった。
小川軽舟『現代俳句の海図 昭和三十年世代俳人たちの行方』
「昭和三十年世代」にとってすら、そうなのである。
それよりも更に三十年も遅れた我々は、どうすればいいのだろう?
新しい時代に進むには、前の時代に終止符を打たなくてはいけない。
新しい行に改行するには、前の行にピリオドを打たなくてはいけない。
ピリオドを打つ、というのは、前の時代を否定することでもなければ、前の時代を忘れることでもない。
その成果をきちんと評価して、受け止めて、消化して、次を作っていくということです。
たとえば、その文脈のなかで、「ハイブリッド理論」を置くことも可能なはず。
→ 冨田拓也、「俳句九十九折(4)」http://haiku-space-ani.blogspot.com/2008/09/blog-post_4573.html
→ 同「俳句九十九折(5)」http://haiku-space-ani.blogspot.com/2008/09/blog-post_242.html
→ 塩見恵介、「日刊 この一句」http://sendan.kaisya.co.jp/ikkub09_0501.html
0 件のコメント:
コメントを投稿