2010年9月14日火曜日

卯波にて。



先日速報させてもらった山口優夢氏の角川俳句賞受賞を祝う催しが、12日、銀座は卯波で行われた。卯波は人も知る鈴木真砂女の店。現在は孫の宗男さんが店主となり、一度閉店されたのだが今年から営業を再開されている。お店のHPはこちら
発起人である江渡華子、神野紗希両氏の呼びかけに応えて集まったのは日頃優夢氏と親交深い若手俳句作家約二十名。優夢の親友である酒井、千崎両名や、東大句会の生駒、藤田両氏をはじめ、中村安伸氏、矢野玲奈氏、外山一機氏、越智友亮などの新撰組、小川楓子氏、榮猿丸氏など超新撰メンバー、松本てふこ氏や西村麒麟氏に加え、高柳克弘氏も顔を見せるなど錚々たる顔ぶれがそろった。
かくいう私もちょっとしたついでがあって東海道を上る都合があり、噂を聞きつけて東京まで足を延ばし末席に加わった次第である。おそらく、平均年齢の若さと賑やかさに関しては俳句関係では特筆すべき集まりだったのではなかろうか。
私など興奮してしまって、途中から主賓の優夢を放り出してしゃべくっていた気もするが、それはそれ。ともかく山口優夢という名前に多くの人が集い、彼の受賞を心から言祝ぎ、かつそれを肴に一夜の歓を尽くしたのである。

紗希さん、江渡さん、楽しい会に呼んでいただきありがとうございました。何もお手伝いしなかったけれど宗男さん野口さん、お料理もお酒も大層美味しかったです、ごちそうさま。

あらためて。

山口優夢氏、受賞おめでとうございます。




今月、ふたつも新しい俳句媒体が発足した。
ひとつは「俳句樹」。中村安伸氏、宮崎斗士氏のふたりを中心に、「豈」「海程」の合同ブログという形式をとっていくようである。
現在は創刊準備号と題して発足趣旨などが掲げられているだけだが、先日100号をもって終刊した「豈-Weekly-」の後継的な位置付けもあるらしく、活発な議論の中心点となることが期待される。

もうひとつは藤田哲史氏、越智友亮氏、いわゆる「新撰組」最年少のふたりが組んだ「傘karakasa」。こちらは紙媒体で、創刊号は「特集・佐藤文香」。
佐藤文香の新作8句、ロングインタビュー、発行人ふたりの文香論などコンパクトだが充実の内容。ふたりの作品は巻末に置かれ、作品発表ではなく毎号特集を組むスタイルをとっていくらしい。創刊趣旨には
「この作品はいい」という読み手が発するメッセージ。そしてそれを<効率よく>ではなく、<確かに>伝えたい。そういう気持ちを突き詰めた結果、雑誌という形態に拘らざるをえなかった。
と力強い言葉があり、あえての紙媒体という拘りに注目していきたい。
発行人の越智は本人も言うように高校時代から「雑誌作りたいんスよ~」と唱え続けてきた。
その彼がついに雑誌を発行したかとも思い、ようやく手に入れた相棒が藤田哲史であるということにも興味深く思う。藤田氏は私のなかで、独立独歩、自分の道を歩むタイプかと思っていたのだが、このユニット活動を通じてどのような面をみせてくれるだろうか。
「週刊俳句」誌上での前夜祭を大いに楽しませてもらったこともあり、創刊号を送ってもらって早々に読んだ。
全体として楽しんだが、発行人ふたりにはblogで「悪口」を言って欲しいと頼まれているので、真摯なふたりに応えるためにも他日別稿を用意することにしたい。



さて、たまたまと言えばたまたまなのだろうが、優夢氏のお祝いの席ではこのふたつの媒体の中心人物、中村氏と、藤田・越智両名が集まっていた。
人脈の狭さを感じるよりも「新撰組」ら若手の行動力を評価すべきであり、また所属結社や経歴、年齢にこだわらず積極的に交流を図ろうとする姿勢に注目すべきであろう。
そういえば神野紗希さんがツイッター上で


結社の時代→総合誌の時代→ユニットの時代?がぜん増えた。
12:00 PM Sep 5th
とつぶやいている。たぶん短詩型女子ユニットgucaなどを念頭に置かれての発言だろうと思われるが(他にもあればご教示ください)、超結社ユニットの活動はたしかに時代の特徴といっていいと思う。
これまでは大きなオオヤケとしての総合誌と群小結社誌・同人誌との対比があったわけだが、ここへきて、総合誌の問題意識もいささか大きすぎるという問題が出てきたのではないか。
私見をぶっちゃけてしまうと、総合誌では私個人の問題意識とはまったく違う話題ばかりが特集されることが多いので、あまり興味が惹かれないのである。
参考:曾呂利亭雑記「古典?」8月19日

もちろん総合誌は雑誌として売れねばならず、常に様々な読者に対応する必要があるので当たり前ではある。結社誌とても規模は小さいが抱える事情はそう変わらないだろう。
これに対し、同人誌よりももっと身軽なユニットは個人の問題意識を共有する小さな活動単位である。総合誌、結社誌でも扱いかねる個人の問題意識を直接反映させることが期待できる。
もっとも本来ユニット活動とはおそらく結社内部に止まっていいはずのものである。
藤田哲史氏は一方で「澤」注目新人という結社人の一面も持っているので「澤」誌内部で書評欄、批評欄を任されたるようなこともありうるだろう。そこで実力を蓄えて雑誌編集に加わり、句会や勉強会の世話役を任され、、、というのが、従来の結社でいう若手の育て方だったと思われる。
つまり若手の問題意識に主宰なり幹部なりが対応し、受け止めていく組織が結社内部にあれば、ユニットは結社内部の勉強会でありえた。
ところが今、ユニットは結社を超えてつながりを求め、結社と別に表現媒体を持つようになった。同世代で固まる傾向があるのも、問題意識の共有が図りやすいからだろう。
誤解を招くといけないが、彼らは結社を否定しているわけではなく、越智を除く3人はあくまで結社を背景とした結社人である。ユニットの多くは問題意識を共有していても、同じゴールを目指すような、結社活動には発展しえないものに見える。
こうした動きは学問の世界での「学際」のキーワードを思い出させる。
超結社活動などはせいぜい、軍記研究者と和歌研究者との共同研究くらいのものだろうが、たとえば10月にイベント開催が予告されている「詩歌梁山泊」などは、それぞれの専門性を背景にしながらも枠組を崩していこうとする動きを感じる。
これらの動きがどこまで何をもたらすかはわからないが、当事者たちにとって、またジャンル全体にとっても少なからぬ刺激をもたらすことは確かだろう。




参考:週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句時評 第9回 傘と樹と


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