2010年12月31日金曜日

回顧と展望(1)

 
間が空いてしまいました。
ドラえもん特番のない大晦日、みなさまこんばんは。

さて、一年の終わりということで私的に今年の回顧と展望を述べておこうと思います。

実は今年からgoogle Analyticsとやらを導入したので、アクセス数とかがわかるようになりました。
とはいえイマイチ用語も見方もわかってないのでテキトーですが、当blog、だいたい毎日訪問して下さってる方が20~30程度いらっしゃいます。ありがとうございます。ギリギリ指で数えられるくらいなので、直接顔で確認できる範囲、同人誌の会報クラスですね。

この一年は「週刊俳句」とか、たまに書かせていただいたので、そういうときはグンと延びますが、それでも70~80程度、三桁にはほとんど達しません。トラックバックとかきちんとできればもう少し変わると思いますが、どーもよく使い方がわかってないので、こちらからのリンクばかりで相互リンクまではほとんどしてません。
そういうわけでプレッシャーもなく自由に垂れ流していて、このあいだ師匠にも
「キミの文章は長いから読んでるとコーヒーが冷める」
と言われてしまいましたが、思わぬ方からフイに「見てますよ」と声を掛けられ(釘を刺され?)たりするので、ネットは油断がなりません。


前置きはそのくらいで、月ごとに更新記事を振り返りつつ、今後の展望を述べていきたいと思います。


1月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_01_01_archive.html
更新回数3回。セッション630。(ただし11日からのカウント)
週刊俳句新年詠、「新撰21を読む」に参加させていただく。
同時に、haiku&me主催のツイッター読書会について言及したところ、思わぬ反響。blog開設以来のコメント数を記録。
こちらのツイッター読書会はその後順調に14回まで続き、それぞれのまとめが公開されています。
私もまとめを読ませて貰っていたのですが、結構おもしろい意見もあって、試みとしては充分成功したようです。当初否定的な意見を述べたのは早計だったかもしれません。リアルタイム読書会は「句会」的で馴染みやすかったという面もありそうです。
ただ改めて見直してみたとき、個々の作家論がより深化したか、別の大きな問題意識に至ったか、は疑問。
これはあくまで私の立場からの感想なので、ツイッターに参加していたそれぞれには実りがあったのだろうと思いますが、それが単発的なつぶやきではなく、まとまった形で見られるようになれば、この「試み」が「成果」としてわかりやすくなると思います。
『超新撰21』も発刊されたことですし、今後に期待したいと思います。

2月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_02_01_archive.html
更新回数6回。セッション1086。
鶏頭論争を経由して、現代俳人の「主題」の問題へ。
ロボット俳句のこととか、俳句の「作者」をめぐる基本的な考えはこの月にまとまって書いている気がします。舌足らずのところも多いながら、まぁ大筋結論は今も変わらないので、今後もこのあたりの議論を叩き台に、考えていくことになりそうです。
上記、1月の中村安伸さんとの対話に始まった、「新撰21」補遺キャスティング企画が始動。3回に分けて、実際に句会で接していて面白いひとたちを出来るだけ紹介したつもりでしたが、残念ながら「超新撰」には反映されず。
前月の余波か、かなり訪問者数のおおい月でした。

3月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_03_01_archive.html
更新回数6回。セッション695。
前月に続き、キャスティング企画。
「超新撰21」募集、「芝不器男青春俳句賞」一次予選の告知もこの時期。
なんだか随分昔だったような気がしますが。このころは首相も鳩山由紀夫さんでした。
………随分昔のような気がします(汗)。

4月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_04_01_archive.html
講師回数4回。セッション672。
このころから坪内先生の旧作を意識して読み始めるようになりました。
この月は『過渡の詩』『弾む言葉』『』モーロク俳句』の感想をアップ。
1983年前後の論調の変化については、もう少し丁寧に追いかけていきたいと思ってます。これについては、沖積舎から『坪内稔典コレクション』の発刊が始まった(
現在は第2巻『子規とその時代』のみ)ので楽しみ。
Amazon.co.jp「子規とその時代―坪内稔典コレクション<2>」

5月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_05_01_archive.html
更新回数6回。セッション872。
e船団で、わたなべじゅんこさんと小倉喜郎さんとの「時評」が高柳克弘氏の句集『未踏』を取りあげて話題に。
何度か当blogでも煮え切らない感じで文章を書きましたが、週刊俳句でも上田信治さんらが文章を発表し、議論としては面白く展開したように思います。個人的な成果としては高柳克弘作品の、ある種の明快さ、わかりやすいエンターテイメント性のようなものが、外山一機氏や北大路翼氏らと共通するものだ、という確信を得られたこと。いずれも先行する美意識に対してわりと素直で、その美意識にどう連なり、どう表現するか、というところに意識が向けられているという気がします。
ちなみに時評バックナンバー、こちらで復活してます。

6月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_06_01_archive.html
更新回数4回。セッション975。
角川『俳句』が「若手俳人の季語意識」対談を掲載。非常に興味深いものでした。
続いて『現代詩手帖』で「短詩型新時代」が特集。これも興味深く、高柳克弘100句選から波及した高山れおな100句選、上田信治100句選でも非常に楽しんだ月でした。
そして坪内氏の『モーロク俳句』と、桑原賞受賞をめぐる議論が始まったのもこの時期。

7月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_07_01_archive.html
更新回数5回。セッション1205。
今年もっとも来訪者が増えた月。
拙稿を高山れおな氏に「豈Weekly」で取りあげていただき、坪内氏の桑原賞受賞をめぐる議論を少々。残念ながら発展性のある議論ではありませんでしたが、立場の違いが見えてきたのは収穫でした。
半年たって改めて整理しておくと、私は桑原論を論文として認めていません。「論」としての強度(前提の定義、論証の確かさ、議論の一貫性など)がまったくなく、単なる時局に乗じたエッセイでしかない。そのわりには案外鋭いところをついているし有名なので、話の枕に利用するには適当ですが、それ以上の価値はありません。
従って、坪内氏の発言「第二芸術論的地平に立つ私」も挨拶程度に受け取ってよいと思うし、また実際私には俳句が「芸術」でなくてはならない理由が見あたらないのです。
俳句甲子園に育った私は、桑原論に出会う前に俳句の面白さを知ってしまったし、今となっては桑原論が実際なんの強度も持たないエッセイであることを知っている。芸術であろうがなんであろうが俳句は楽しいではないか、という立場にある私には、往年のキャッチフレーズ的成功はともかく、「芸術」という語の価値そのものが疑われている現在にまで影響を及ぼすものとはとても思えないのです。



さて、こう振り返ってみると、あちこちお邪魔して違和感を覚える部分はどこか、ということを考えて、自分なりに頑張って答えをひねり出してきているのがわかります。
ネットの即時性は一気に議論が盛り上がる感じがいいのですが、一方で反応速度を試されて気がしてしまい、墓穴を掘る危険性も実感したところでした。
ところで論客がそろっているわりに俳句blogで「炎上」があまり見られないのは、やっぱり皆さん大人なのだな、とか。

長くなったので一度ここでアップ。

 

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