2021年12月31日金曜日

2021年回顧


「船団」が2019年に「散在」して以後、定期的に作品発表する媒体は持っていないのですが、ありがたいことに今年もいくつか俳句関係でお仕事をいただきました。
句作のほうは、メール句会を中心に活動しています。句数はかえって多いくらいですが、出来は当たったり外れたり。

一番大きかったのはなんといってもNHK俳句誌で特集記事を担当させてもらったこと。
「異界を詠む 妖怪と俳句の世界」ということで、
妖怪、お化け、幽霊など、目に見えない世界のモノと日本人がどうつきあってきたのか、歴史を溯り、古代中世の認識から現代俳句までを関連づけ、例句をあげながら概観しました。
解説、年表などはすべて久留島の文責に拠りますが、編集担当さんと何度も電話で打ち合わせし、NHK俳句の誌面に相応しい企画になるよう推敲を重ねたので、よい経験になりました。図版など、こちらからはもっといろいろな絵を提案したのですが「不気味すぎる」などの理由で却下されたものも多かった、とこっそり暴露しておきます(それでもネット上で絵が怖すぎるとの批判を目にしました、たぶん私はお化け絵に慣れすぎて麻痺しているのでしょう)。

 NHK 俳句 2021年 8月号 [雑誌] (NHKテキスト) NHK出版 日本放送協会

amazonなどではまだ購入は可能なようなのでよろしければどうぞ。

坪内稔典さんのブログ「窓と窓」で、何度か作品を掲載してもらいました。

久留島元の新作―日本の鰯雲

久留島元の新作―茸が踊り出す

「船団」会員作品をあつめた『あの句この句 現代俳句の世界』創風社出版、が5月に刊行。

 日本は妖怪の国春の川   久留島元

 蚊柱は奇術師たちの墓の上

「天狼を読む会」研究会は、オンラインで継続中。

次回は2022年1月15日(土)13:30~の予定です。ご関心のある方は亭主まで。

おなじみ、「週刊俳句」にも記事を一本書かせてもらいました。

【週俳7月9月10月の俳句を読む】 俳諧徘徊 久留島 元  週刊俳句 Haiku Weekly 第762号

久留島の仕事とはまったく関係ないのですが、今年は待ちに待った句集の刊行が、続々。

まずは、杉浦圭祐さんの『異地』邑書林
数年前から準備している準備していると聞きながら出ていなかった杉浦さんの第一句集。

 滝を見し者より順に声あぐる  杉浦圭祐
 ざり蟹の諸手を挙げて運ばるる

木田智美『パーティは明日にして』書肆侃侃房
関西で句会をともにしてきた、またKuru-Coleにも参加してくれている木田さんの、商業出版としてははじめての句集。歌集が多い出版元から出たというのも、俳句の枠組みとは違う発想をもつ彼女らしくて素敵です。

 ラズベリータルト晴天でよかった 木田智美
 妊娠の蜥蜴を這わせれば重し


塩見先生の「船団」時代を総括する句集、『隣の駅が見える駅』朔出版については記事を書かせていただきましたので省略。

塩見恵介『隣の駅が見える駅』を読む 曾呂利亭雑記


まさかの同時刊行となった堀田季何さんの『星貌』邑書林『人類の午後』邑書林

さまざまな詩型を横断し、国境も自在に飛びこえる堀田さんらしくさまざまな詩的実験にあふれた句集ですが、どちらもなぜか無理なく調和し、成立しているところが不思議で魅力的です。
破調で切れっ端のような句や、長律の連作を続けて詩として味わいたいようなものもあり、また別に句の力を感じるものもあり、諷刺として直截すぎると思うものもあり、次々と「読ませる」句ばかりでかえって一句を選ぶのが難しいのですが、読後、なんともいえぬ刺激で(句を創らなくては)という気にさせられた句集です。

 しはぶきて蛇や砂より砂を吐く 堀田季何 『星貌』「亞刺比亞」
 ぐわんじつの防弾ガラスよくはじく 『人類の午後』

年末になって相子智恵さんの第一句集『呼応』左右社が刊行。

相子さんとはNHK-BS俳句王国という今はなき番組でご一緒したご縁があり、そのときの放送回は10年前、東日本大震災の影響でしばらく延期になった、という思い出があります。

相子さんは、当時から若手には珍しい大ぶりで豊かな句を書かれる本格的な作家として衆目の期待するところでした。
紙媒体のみで発表した第一回Kuru-Coleにもご参加いただいたりしたのですが、このたび、本当に待望の句集を刊行され、作品をまとめて見られるようになったのは本当に嬉しい。

 群青世界セーターを頭の抜くるまで 相子智恵

年末ぎりぎり、ラストを飾ったのは西川火尖『サーチライト』文学の森

第11回北斗賞受賞。そしてKuru-Coleには二度にわたって参加いただいた作家。間違いなく、これからどんどん目にする機会が増えるでしょう。

 子の問に何度も虹と答へけり 西川火尖


みなさま、おめでとうございました。

来年もよい俳句に出会えますように。

2021年12月7日火曜日

【転載】京都新聞2021年11月16日 季節のエッセー(27)

 「鞍馬再訪」

先日、鞍馬寺を訪れた。
昨年の台風被害によって長らく止まっていた叡電鞍馬線が九月に再開し、緊急事態宣言が明け、紅葉シーズンの直前という絶好のタイミングである。
少し肌寒いが、秋晴れのよい日だった。

ちょうどこのエッセーでも、二年前のこの時期、鞍馬駅前の二代目大天狗像のことを書かせてもらった。
前回は一人で、山門から本殿まで歩いて引き返したのだが、今回は担当講義の学生たちを連れ、鞍馬寺から奥の院を抜け、貴船神社までの道を踏破する。
奥の院まで参るのは約十年ぶりだったで、外出自粛のなまった体にはやや不安が残るが、学生たちの前で弱音は吐けない。
鞍馬駅に着くと、初代大天狗はすでに撤去され、二代目が運転再開を喜んでいた。集まった学生たちに簡単な解説と注意事項を話し、のんびりでいいよ、と声を掛けて、まずは本殿を目指して歩き出した。

結論から言えば、山道は思ったよりも厳しくはなかった。
奥の院参道に進むと周囲に倒木を切り倒したあとが目立ち、台風被害の爪痕を感じたが、整備の直後ということもあるのか、むしろ以前より歩きやすい気がした。途中、「鞍馬寺」と書かれたカバンを持って登山道の点検をしている男性と行き会った。さすがに身軽で、休憩する我々をすいすいと追い抜いていった。

学生たちの反応はさまざまで、きれいな形のドングリを拾って喜ぶ余裕のある者、大きく遅れて息を切らしている者。日ごろ運動不足で、血行が急に良くなって足がかゆい、と言いだす学生もいた。
それでも学外を歩くような講義は久しぶりで、会話しながらの登山が楽しかったという声が多かった。

貴船神社から貴船口駅まで下って来ると、もう日没が近く、風が冷たかった。
帰りの電車内で学生たちと一乗寺のラーメン激戦区について話していたら、一人が早速食べに行くと下車していった。気軽に食事を楽しめる、日常は戻っているのだろうか。

気づけばこのリレーエッセーの担当も、あと半年弱。先月、大森静佳さんが卒業されたので、私が参加したときのメンバーは全員代わってしまったことになる。
時間が止まったようなパンデミックの間も季節はめぐるし、変わっていく。変わって、少しは良くなったのだろうかと自問する。(俳人)

2021年11月30日火曜日

【転載】京都新聞2021年10月12日掲載 季節のエッセー(26)

 「子ども時代」

ずいぶん日の入りが早くなった。

今年は外出の機会が少なかったからか、あるいは雨が多かったせいか、例年のような猛暑を感じる間もなく、風が涼しくなってきた。気付けばベランダの朝顔も勢いを失っている。

 すっかり秋だ。

ところでネンテン先生こと坪内稔典氏によれば、季節の変化を意識するのは実はとても不自然な行為だという。
子どもは季節の変化に驚いたり、感動したりはしない。それが自然だ、というのだ。人が季節を意識するようになるのは、環境に影響され、気力の衰えを自覚する中年以降だそうである。

俳句をやっていると普段でも季語を意識することが多いが、自然なこと、ではないかもしれない。たしかに子ども時代は、数ヶ月単位で周りの風景を観察して、変化に気付くといったことがない。目の前のことに一生懸命で、それどころではないからだ。

そういう私は極端に物心がつくのが遅く、子ども時代の記憶があいまいなのだけれど、子どものころは歩くのがとても遅かった。
遅いというより、歩かないらしい。
立ち止まっては石を拾い、よそ見をして脇にそれ、座り込んでおしゃべりを始める。幼稚園までの送り迎えで、大人の足なら片道十五分か二十分ですむ道を、母は二時間以上かけて付き合っていたそうだ。

そのころの断片的な記憶のひとつが、幼稚園の近くにあった「ライオンのいる家」のことだ。

その家には大きな庭があり、石垣の透き間から、中をのぞくことができた。
その庭の奥に大きな檻があって、一度、かすかに茶色い獣の背中が見えたのだ、たしか。

それからは毎日、庭をのぞきこむのが日課になった。しかし檻の中になにかいる気配はするものの、姿をしっかり見ることはできなかった。

もちろん本当にライオンだったかどうかは、今ではよくわからない。
いや、おそらく当時から、本当にライオンだとは思っていたわけではなかった。
ライオンならどうしよう、ライオンかもしれない、ライオンだったら面白い。人目や常識より、その面白さを優先してしまう。
たとえその正体が、ただの大型犬だったとしても、あの時代、「ライオンの家」は、毎日の楽しみだった。(俳人)

【転載】京都新聞2021年9月6日 季節のエッセー(25)

 「秋の虫」

書斎で仕事をしていたら、パサッと音がして、何かが目の前に落ちてきた。
よく見ると積み上げた書類の端に、黒、というより焦げ茶色の小さな虫。
どうやら開けていた窓からコオロギが入ってきたらしい。
部屋の明るさに驚いているのか、じっとしたままなので、ポリ袋でつまみあげ、ベランダに逃がした。

それから三日ほど、「彼」は我が家のベランダで、夜になると盛大に鳴き声を響かせていた。
「リッ」に濁音がついたような短い音を連続でくり返し、ほとんど休まない。だいたい夜の七時から鳴きはじめ、夜中は鳴きっぱなし、朝には止んでいる。
イソップ童話ではアリと対比されて音楽好きの怠け者になっているが、身近にいるときわめて勤勉だし、定時労働である。
いや、イソップ童話はキリギリスだったか。

鳴き声をたよりにネットで検索してみたところ、オカメコオロギの一種ではないかと思う。移動したのか、力尽きたのか、「彼」の鳴き声はいつの間にか止んでしまったが、前途に幸多かれと願う。

コオロギを漢字で書けば蟋蟀。音読みすれば「しっしゅつ」。
見た目にはやたらとヒゲが多い字で、小さく引き締まったバッタ的な姿に、通じるような、そうでもないような。
「悉」も「率」も羽音をあらわす音の字を虫偏と組み合わせた、いわゆる形声文字で、特に意味はない字らしい。辞書には、古くは今でいうコオロギを「きりぎりす」、キリギリスを「こほろぎ」と呼び、「蟋蟀(しっしゅつ)のきりぎりす」という言い回しがあったとされる
あるいは、「こほろぎ」は秋に鳴く虫の総称とう。

そういえば秋の歳時記にはチャタテムシという虫も記載されている。
ダニかシラミに近い小虫で室内のカビを食べるそうだが、障子などにとまって体をこすりつけ、お茶を点てるような音をたてるらしい。歳時記ではもうひとつ「小豆洗い」の異名があり、やはり音にちなむそうだ。
これは同名のお化けがいて、谷川や井戸端で、誰もいないのに小豆を洗う音が聞こえるという話が全国に伝わる。
出没場所も異なるし、お化けの正体が虫だというわけではなく、カサカサいう音を「小豆を洗う音」に聞きなす心性が共通しているのだろう。
秋の音もさまざまだが、聞く人の側が、それぞれに空想を広げてきたわけだ。(俳人)

コオロギの出自は妖怪研究家 小西雅子 青松虫の女「窓と窓」

2021年8月30日月曜日

【転載】京都新聞2021年8月2日 季節のエッセー(24) 

 「お化けの季節」

パンデミック前の二〇一九年、南座で通し狂言『東海道四谷怪談』を初めて観た。
健気な貞女から、追い詰められて幽霊へ変貌するお岩の凄惨さが印象的だった。

怪談話が夏の風物詩になったのは、江戸時代後期には、お盆の時期に怪談芝居を演じることが多かったからだといわれる。その理由も、冷房もない狭い芝居小屋では客を呼ぶことが難しく、大物ではない若手や助演格の役者で実験的な芝居を掛けることが多かったからだという。
本物の水(本水(ほんみず))を使った見せ場や、戸板返しなどの手法は、そうした夏芝居の苦境から生まれた奇策だそうだ。
私のように季節を問わずお化け話を追いかけているとあまり気にしないのだが、世間では怪談に準じて「お化けといえば夏」という常識が定着しているようで、夏に合わせてお化け関連のイベントや特集が増える。
今年はありがたいことに、某俳句誌から、八月号の特集として「異界を詠む」という特集記事の依頼をいただいた。(*)

好きな分野なので以前から注目していたが、お化けに関する俳句は案外、冬の句が多い。雪女、狐火は冬の季語だし、(こがらし)や天狗が築く一夜塔 泉鏡花」のような句もある。凩の吹く寒夜に神通力を発揮する天狗。江戸趣味を愛した幻想小説家らしい句だ。

もちろん冬限定ということはない。坪内稔典著『季語集』では夏の季語に「河童」をあげている。芥川龍之介の命日、河童忌のイメージもあるだろう。
河童は江戸時代から人気者で、先の特集ではふれられなかったが、現代川柳の川上三太郎にも、河童をテーマにした連作がある。「満月に河童安心して流涕(なみだ)」「君を得て踊るよルムバルムバ河童」「この河童よい河童で肱枕でころり」と硬軟とりまぜて自由自在な詠みぶりが楽しい。

今回発見だったのは、中勘助にお化け俳句が多かったこと。全集をめくると、決して多くはない俳句作品のなかに「夜がらすやうぶめさまよふ山の町」のような不気味な句がある。夜がらすは、夜に悪声で鳴くゴイサギのこと、うぶめは難産で死んだ女性の霊だから、これは夏の一句か。
他にも謡曲や昔話から着想したらしい
「山姥の木の葉のころも秋の風」「諸行無常茶釜は一夜狸なり」のような句がちらほら。中勘助も、季節を問わずお化けを好んでいた仲間らしい。

*『NHK俳句』2021年8月号にて、特集「異界を詠む ~妖怪と俳句の世界」という記事を担当、解説と例句鑑賞、年表作成などを行いました。


2021年8月11日水曜日

【転載】京都新聞2021年6月28日 季節のエッセー (23)

 「座」

おかげさまでオンライン三昧である。
先日は、この数年研究が盛り上がっている『徒然草』に関するシンポジウムに参加した。全国から三〇〇人以上が視聴したそうだ。
小川剛生氏らの研究によれば、作者の兼好法師はもと関東の武士出身と考えられるが、京都で土地を購入するなど生活基盤を安定させ、歌人や能書家として、積極的にいろいろな人々と交際していたそうだ。「遁世者の文学」とか「無常観の美学」といったイメージがずいぶん変わってしまうが、当日はそうした実態をふまえつつ、古典や仏教思想に通じた文章をどう読むかが議論され、月並だが刺激的なシンポジウムだった。
その前週は、所属していた俳句グループ「船団」のイベントがあった。「船団」は、ネンテン先生こと坪内稔典氏が中心の俳句グループだったが、二〇二〇年六月をもって解散(ネンテン先生いわく「散在」)になり、記念イベントが昨年開催される予定だったもののパンデミックの影響で延期になり、さらに今年もオンラインになった。
なお、今回は旧「船団」会員の句を集めた本の出版記念会という位置づけで、解散記念の集会は改めて来年、企画されるらしい。
当日は、テレビ会議アプリでつながった参加者がネンテンさんの指名で順番に発言し、近況を報告した。
同じ会員とはいえ、ほとんどつきあいのなかった人が多いのだが、久々に会う人が意外な活動をしていたり(あの人演劇やってたんだ、エキストラで出てたならテレビで見てたかも・・・)、誌面で名前しか知らなかった人を初めて認識したり(女性だったのか・・・)、なんだかんだと楽しいひとときだった。
遠方から、大人数が、仕事の合間にも集まれる。ネットツールのありがたさはこの一年でよくわかった。
そのうえで、当初から感じていた人恋しさはぬぐえない。
一人一人の話を聞くにはいいが、隣でこそここそと交わす雑談がない。相づちも、応答も、どこか遠い。やはり、人と顔を合わせ、言葉を交わすことは、人間にとって原初的な娯楽らしい。
俳句は座の文芸といわれる。俳句だけでなく歌人や俳人たちは一座を共にして詩歌を詠み、交流してきた。交流の形は時代によって変わるだろうが、果たしてこれから、どんな形になっていくだろうか。

2021年8月3日火曜日

【転載】京都新聞2021年5月24日 季節のエッセー(22)

「電車時間」

大学のはじめの二年間は、京都の南端にあるキャンパスに通っていた。

神戸の実家から大学の最寄り駅まで、電車に乗って二時間、さらにキャンパスまでは坂道を十数分かけて登っていた。

この電車時間、慣れてくると時間配分を考えるようになった。

まず神戸から大阪までは人が多くて座れないので本を読む時間。一度路線を乗り換え、大阪からだんだん人が少なくなってくると着席のチャンスだ。サラリーマン風の男性は北新地周辺で降りることが多いので狙い目。
それからはリラックスして、本を読んだり、目を閉じて居眠りをしたり。語学の授業前には必死で予習をしていた。準備が悪いのは今も変わらない。

京橋を越え、東大阪のあたりを走るころには読んでいた本も片づけて、たいてい眠りに落ちている。
当時は大学最寄り駅のひとつ手前で車両の切り離しがあり、乗客が入れ替わる気配とガタン、という衝撃でやっと目を覚ます。
前の車両に乗っていれば乗り換えの必要はないが、後列から乗ってきた客をふくめ、車両のほとんどが学生で埋まっていく。
次の駅で一斉に下車して、改札口へ向かう学生の群からいったん外れ、目を上げると駅の周りには田畑が広がっている。小鳥の囀りを模した駅のチャイムを聞きながら、混雑が落ち着くまで少し息を整えた。

投句の締切が近くなると、登下校の時間は句作りに充てられる。
キャンパス内の緑。
蛙の合唱。
旋回する子燕。
夏鶯の、春とは違う朗々とした鳴き声も意識するようになった。
歳時記に「老鶯」という季語があるが、実際ののびやかな鳴き声とのギャップに違和感があってうまく使えなかった。

朝は眠たくて景色を見る余裕はなかったが、帰路、乗客もまばらな時間帯に、広い車窓から沈む西日を眺めるのが好きだった。
夕日、夕焼けを季語と認めるかどうかは賛否あるようだが、日の入りが一番見事なのは、やはり夏だろう。「夏は夜、秋は夕暮れ」という清少納言には、反論しておきたい。

多くの人は、俳人は自然の風景に感動して季節の詩を詠むと思っているだろうが、実は少し違う。
少なくとも私は、季語の知識から自然を見るようになった。はじめに言葉ありき。
そして季語をふくめた言葉を更新するため、俳句を詠んでいるのだ。

2021年7月31日土曜日

過去作「絵の群」

 

2020年2月、第12回船団賞応募、1票も入らず。

この年船団は「散在」したので、最後の応募作。


「絵の群」

久留島元 

1.      絵の群をかきわけ春はまだ来ない

2.      春隣似顔絵描きのペンの先

3.      笑い絵の隅に小男少し春

4.      聖マリアみんながふんできた踏絵

5.      鯰絵と落花と丘に埋めておく

6.      メーデーはポンチ絵特集号のなか

7.      牛蛙墨絵の裏で動かない

8.      蛇が来て舌で油絵を削る

9.      切り絵ちかちか琉金きらら

10.   地上絵を灼く炎帝が力づく

11.   ぬばたまの塗り絵の茄子を懸命に

12.   箱庭か砂絵でしかないぼくんち

13.   光とか月とかまるで水絵です

14.   危な絵のなかも紫朝顔も

15.   いなびかり岩絵は祈りまたは意志

16.   古絵巻の鬼が秋気に乱舞です

17.   虫の声影絵の犬はもう古典

18.   紅葉かつ散れば錦絵忍者の死

19.   山遠く鉄絵火鉢に帰る雁

20.騙し絵の画廊主人のクリスマス




2021年6月21日月曜日

【転載】京都新聞2021年5月24日 季節のエッセー(21)

 「春の夢」

やらかした。

と思う、ような夢をみることがある。

そこはどうやらホテルのようだった。
家族が集まって、ちょっと高級な食事をするつもりらしく、祖父母や、親戚が集まっている気配を感じていた。
ひとつ上の階へ行くため、みんなはエスカレーターに乗ったのに、私は一人で大きな階段に向かい、なぜか階段の手すりより外側に足をかけて上がりだした。
もちろん三十半ばを過ぎてそんなことをするわけがない。
ああ、これは幼いころの夢だ。
おどけたことをしたかったのか、どんどん登っていって、気付いたら、前に柱があって進めなくなっていた。まずい。高くて飛び降りることもできないし、ああ、やらかした、どうしよう。調子に乗るから失敗したんだ、やらなきゃよかった。後悔しながら、ふと、

(でも夢だから、あきらめてもいいか)

と思った。
そこで私は階段から足を踏み外し、ゆっくり下へ

そこで目が覚めた。
落下の奇妙な浮遊感と不快感が残っていた。妙にものわかりのよく、しかも後味の悪い夢だった。

先日、あるところで夢に関する取材を受けた。
質問は、昔の人々は夢をどうとらえていたかというもので、夢で神仏に出会う話や、バクがいつから悪夢を食べると信じられているのか、という解説をした。

そのついでに、自分の夢についても考えてみたが、あまり記憶にない。夢のなかで夢だとわかっていて、起きてすぐ内容のばかばかしさに忘れてしまうことがほとんどだが、どうも幼いころ住んでいたマンションを舞台にした夢をみることが多いように思う。
その家からは高校生になって引っ越したのだが、なぜか大人になっても同じ家にいて、大学時代の先輩と話をしていたり、友人と口論になったりして目が覚めるのだ。

現在の科学で夢は、記憶を整理、定着させるプロセスだと説明される。だから時系列が乱れるのは大変わかりやすい。いつも舞台が一緒だということは、あの家が私の原風景ということになるのかもしれない。

せわしない新年度になって、また失敗の夢を見そうだ。
不安な思いは夢の中だけにしたいが、今回のエッセーは、締め切りを大幅に遅れてしまって、ついに夢に見たことを白状しておく。


関連リンク

読売KODOMO新聞 【俺はググらない】どうして人は夢を見るのか 久留島元さん「昔の人は夢を買ったり盗んだりした…?」

優夢氏、その節はありがとうございました。

2021年6月11日金曜日

【転載】京都新聞2021年3月16日 季節のエッセー(20)

 「ダブリンの桜」

飛行機にさえめったに乗らない私が、数年前の春、アイルランドへ行った。
観光ではなく、ダブリンの博物館が所蔵する日本の絵巻物コレクションの調査旅行に誘っていただいたのだ。
唯一のヨーロッパ経験がアイルランドというのも珍しいだろう。
関西国際空港からドバイ経由で二十時間余、古城と妖精伝説、そしてギネスビールの街だ。

ダブリンへ向かう飛行機で、隣に座っていた女性が話しかけてきた。
チャイニーズかジャパニーズか、と聞いているらしい。
ジャパニーズ、と答える。
ご多分に漏れず、私も英会話のできない日本人だ。何度も聞き直し、単語を並べて応対する。
どうやら女性の娘は日本でアートを学んでおり、東京に行ったことがあるようだ。たしか、ダブリンは寒いが雪は少ないとか、日本は雪が降るとか、そんな会話をした。しっかり答えられないことに罪悪感を覚えつつ、長い空の旅で、早速短い国際交流を経験したのだった。

ダブリンのホテルに着くと、庭で桜が咲いていた。
日本より開花がはやい。
アイルランドは暖流の影響で気候が穏やかだと、ガイドブックにも書いてあった。なるほど、雪も少ないのだろうと、女性の話を思い出した。

まだ夕方だったのでホテルを出て、石畳の町並みを歩いた。
大きな川の河口に近く、歴史的な観光名所も多いので、なんとなく小樽を思い出す。
街の本屋には、アイルランド出身のワイルドやジョイスの関連本が並んでいた。
コンビニのようなお店に入り、パンと飲み物を買ってホテルの部屋で食べた。

翌日から、ダブリン城の敷地内にある博物館で調査が始まった。
調査と研究報告、現地の研究者との交流会、そして、パブでの打ち上げ。数日しかない滞在期間はめまぐるしく過ぎた。

ある日の打ち上げの最中、現地で合流した同世代の友人から、春画をプリントした店を見たと聞いた。散歩しても見当たらなかったよと答えたが、あるはずだという。

その夜、ホテルまでの帰り道で、店を発見した。
日本食を出すらしいイザカヤで、北斎の春画を拡大プリントしたカーテンを下ろしていたのだった。なぜか柱には、中日新聞のロゴが貼られていた。
春の夜は、やはりまだ少し肌寒かった。


※文中登場するイザカヤさんは、
Yamamori Izakayaという名前で、日本風の居酒屋として観光客にも有名なお店です。

※ついでにダブリンの思い出を書いておくと、観光名所も行政も一箇所に集まっているところなので、きれいで住みよい感じ。治安が悪い時期もあったそうですが、私の行ったときはまったくそんな雰囲気はなく、物慣れない観光客にも優しい、歴史と文化を感じさせる素敵な街でした。ただ、夜はイカつい警備員さんがお店に出ていて、つまりそういう不安もある程度あるってことかな、と。
週末盛り上がったバーでビートルズがかかり、店中が合唱、これはもうお開きか、と思っていたら同じテンションのまま次の曲が始まり、店中歌い続ける。そんな楽しい空間も味わいましたが、パンデミックであのへんも大変だっただろうな。

2021年5月25日火曜日

木田智美『パーティは明日にして』(書肆侃侃房)

 

2021年5月4日火曜日

塩見恵介『隣の駅が見える駅』を読む

朔出版、 著者の第3句集。

帯の惹句に「平成を駆け抜けた「船団」時代を総決算」とある。文字どおり「船団」解散にあわせて、新たな旅立ちという思いの籠もった一冊ということだろう。
構成が変わっている。二章構成で、Ⅰ 四月のはじめ~八月のおわり、Ⅱ 九月のはじめ~三月のおわり、となっていて、後書きにあるとおり、句作の現場であった大学の二期制にあわせたもの。

まずはざっと目に付いた句を。

#STAY HOME スイートピーが眠いから  Ⅰ

レタスから夢がこぼれているところ

犬動画見て猫動画見て日永

縄文の空に野生の虹を飼い

ポケットにいつの胃薬夏の月

女子力の高い団扇の扇ぎかた

中年は急にトマトになるのかも 

世の中をちょっと明るくする水着

廃船に汽笛の記憶草いきれ

ぷかぷかを悩む水母に陽が届く

いちじくはジャムにあなたは元カレに  Ⅱ

月ノ出ルアッチガマンガミュージアム

橋を焼くように別れて芒原

むく鳥は空消した消しゴムのかす

消化器のなかが霧笛であったなら 

コロッケのぬくさは正義冬めいて

虚子以後を小さなくしゃみして歩く

熱燗のそれぞれに貴種流離譚

初夢がめっちゃ良くなるストレッチ

燕来る隣の駅が見える駅

中高で専任教員として多忙を極めるなか、京都の女子大学で講師体験が長いせいか、ターゲットのみえる句が散見される。
日常的な「あるある」で笑いを取りにいっているような句も多く、機知と日常詠が本集の基調をなしているといえる。そのなかで「胃薬」「熱燗」の句は「中年」の現実といえるかもしれない。
そうした日常詠が多いなかで注目できるのは、「縄文の空」「廃船に」「橋を焼く」「むく鳥は」「消化器の」のような、ロマンティックな見立ての句だ。壮大さと繊細さが同居していて、作者の詩質が本質的に叙情にあることを思わせる。
「ぷかぷかを悩む水母に陽が届く」は、作者の想像力と日常的ユーモアの、中間的位置づけかもしれない。一見軽いが、「陽が届く」の優しい明るさが心地よい。

見逃せないのは、

白南風は地球の欠伸モアイ像  Ⅰ

爽やかや象にまたがる股関節  Ⅱ

印度全土の全印度象嚔

耕して地球にファスナー付けてゆく

蒲公英を咲かせて天と地の和解

などの、地球規模の視点をもった句。どれも壮大な比喩、想像力で気持ちが良い。

アウンサンスーチー女史的玉葱S   Ⅰ

びわゼリーちょっとセリヌンティウス風 

固有名詞を「~的」「~風」で形容詞に使う手法は船団のなかでも一時流行したが、解釈の幅が自由すぎて成功例は少ないように思う。
「アウンサンスーチー女史」は、何故か女史という敬称が必ず付けられる違和感とともに「玉葱S」の謎が重ねられていて、ちょっと複雑な句である。

それから、本集には一時期作者が集中して作っていた「雪女」の句がわずか二句(牛乳のちょっと混じった雪女、眼鏡だけ残して消えし雪女)しか収録されていなかったが、その代わりでもなかろうが宗教・オカルトめいた句がいくつかある。

守護霊がおられるのですビールに泡

サイダー、サイダァー、ってずっと言うイタコ

秋澄んで石触ったり拝んだり

風刺的ではあるものの否定的ではないあたりが作者の愛情かもしれない。

後書に「幼小中高大学生という年下の方々と教育現場で、あるいは、地域の若い社会人や熟した人生を送られている先達の方々とカルチャーセンターで」作られた句をまとめたという。著者の多忙ぶりは、私も仄聞するばかりだけれど、おそらく日本で一番バラエティゆたかな年齢層と句座を重ねている作家ではないだろうか。
表現に野心的な専門家が集まる句会ではなく、さまざまな年齢の人々と交流するなかで生まれた句集であるということが、現代俳句の、ある意味ではもっとも実践的な場で磨かれた表現でありうるということを実感させられる。


2021年3月26日金曜日

天狼を読む会


雑誌、天狼のバックナンバーを読む会が発足しました。

雑誌「天狼」は、山口誓子を中心に、西東三鬼、橋本多佳子らが集い、戦後まもない昭和23年1月に刊行されました。
誓子は巻頭言で「天狼」を「友情的俳句雑誌」と規定しながらも「酷烈なる俳句精神」「鬱然たる俳壇的権威」を備える雑誌を目指すと宣言し、そのとおり戦後俳句をリードする俳句雑誌に成長します。
やがて「天狼」やその僚誌からは、永田耕衣、細見綾子、鈴木六林男、鷹羽狩行、辻田克己、上田五千石といった人びとが育ちました。

神戸大学山口誓子記念館には、「天狼」創刊号から終刊号までのバックナンバーがそろっています。この貴重な資源を生かすため、「天狼」を読む会を発足しました。
現在、毎月1回オンラインで、1号ずつ雑誌を読んでいく読書会をおこなっています。
参加者の興味関心に応じて作品や散文についての感想、意見を交換する勉強会で、研究者、実作者、学生や社会人などいろいろな人が集まっています。

「天狼」を読む会に興味がある、参加したい、という方がいましたら、亭主(久留島)宛にご連絡ください。zoomの招待メールと、資料をお送りします。

 CQA21226◎nifty.ne.JP(◎を@に、JPを小文字に変換してお送りください)

次回は、5月8日(土)13:30~、「天狼」3号の内容を読む予定です。


本日三月二十六日は、山口誓子(1901-1994)の命日でした(すっかり忘れていました)。

誓子が亡くなった翌年が阪神大震災で、住む人もいなかった誓子の住居は全壊しました。
誓子の義弟(妻、波津女の弟)の紹介により、誓子・波津女の遺産はすべて神戸大学に寄付され、同時に蔵書や著作権を大学が一括して管理し、今後の俳句研究の拠点として整備することになり、住居の一部も大学が復元移築しています。


2021年3月16日火曜日

【転載】京都新聞2021.02.08季節のエッセー(19)

 「置き忘れ」

 忘れ物が多い。

特に、傘の置き忘れ。誰しも一度は覚えがあるだろうが、私の場合、残念ながら一度や二度ではない。

二年ほど前になるが、電車に乗ったところで長傘を書店に置き忘れたことに気づいた。幸い、店主とは親しかったのでSNSで連絡しようと思った、そのとき。驚くべき事実に気がついてしまった。
なんと、「傘を忘れたので、後日取りに行きます」という連絡を、その一年半ほど前、同じ店に入れていたのだ。

しばらく迷ったが、恥を忍んでまったく同じ連絡を入れた。
店主は笑って保管しておいてくれ、後日取りに行くと「こんなこと滅多にないから、笑い話にしたほうがいい」とアドバイスをくれた。
スマホには履歴が残るが、私のほうは進歩がない。

いま使っているものの中では妻からもらった名刺入れが、比較的長持ちしている。あちこちで置き忘れたが、名刺のほかにポイントカードなど個人情報をたどれるものが入っているので、万が一置き忘れてもすぐに気づいて、慌てて取りに戻る。
個人情報といえば、一度、携帯を新幹線のホームに置き忘れたときには、東京駅の忘れ物係から郵送してもらった。

ちなみに鉄道で多い忘れ物のランキングは、例年傘が第一位。年間数十万本が廃棄されるという。もちろん携帯やスマホ、意外と現金も上位に入るそうだ。
冬から春先にかけてよく見かける落とし物といえば、マフラーや手袋。
ガードレールや電柱に結びつけてあるのもしばしば目にする。道で拾った人が目立つように配慮したのだろう、同じ道を行きかう人同士の、無言の会話のようなもの。
いかにも俳人好みの素材だと思うが、成功した句を見たことがない。誰もが目に留めることをオリジナルな表現で言い止めるのは至難の技なのだ。
なくすことが多いせいか、物への愛着は薄くなりがちだ。
文筆業の人だと筆記用具に愛着をもつ人も多いのだろうが、私はなくしたらあきらめて同じメーカーの品を買い直してしまう。
たとえば私が死んだあとも、思い出深い愛用の品というものはたぶんあまり残らない。
以前は我ながら寂しい気もしたが、もしかすると、とても潔いことかもしれない。
そう思うとちょっと愉快な気もする。


※追記。ちなみに、文中に登場する「書店」さんは、葉ね文庫さんである。
※追記。このエッセーを読んだ姉から、「私が東京駅に携帯を行った気がする」といわれた。そういえばそんな記憶がある。
証明が必要だから直接取りに行かないといけないと言われて、取りに行ってもらったのかもしれない。そうすると、郵送してもらったのは姉から郵送してもらったことになるので、上の記憶はやや間違いがある。

2021年1月18日月曜日

【転載 京都新聞 2020.12.21 季節のエッセー(18)】

「袋回し」

十二月といえば袋回し。
俳人共通というわけではないけれど、我々のグループでは、いつからかそういうことになっている。

 袋回しというのは、俳句を作って読みあう句会形式のひとつだ。
 参加者全員に封筒(袋)をひとつずつ渡し、それぞれが封筒の表に俳句の題を書き込む。題は季語でも何でもよい。季語以外の名詞、「走る」「笑う」などの動詞、漢字一字や、「カタカナを使った句」「京都らしい句」のようなテーマでもよい。

 自分の書いた題を詠みこんだ句を封筒に入れ、時計回りに隣の人に渡す。
 すると次の題がまわってくるので、また一句作り、次へ渡す。
 一巡したら封筒をひらき、句会開始。どんな題が来るかは、封筒を見るまでわからない。題詠の瞬発力が試される。

 句会ではお互いよいと思う句を選び、高得点句から順に批評しあっていくのだが、なにしろまず参加者と同じ数の題で句を作らなくてはいけないから大変だ。時間制限を設ける場合もあるが、隣の人が即吟派だと、次々に順番がまわってきて宿題のように封筒が重なっていく。
 一方、反対側の人は暇そうに、お菓子なんかを食べ始める。
 プレッシャー。
 推敲している暇はない、どんどん作ってどんどんまわす。語彙が出なくなり、季語を思いつかなくなってからが本当の勝負。はじめは和やかだった場が荒れ、悲鳴や苦悶の声が漏れだす。
 句会が始まってから、しまった五七五を数え間違えた、何度も直していたら肝心の題を入れるのを忘れていた、なんてミスに気がつくのもよくある話だ。

 ある年の暮れ。幹事が「袋回しの最高得点の景品に蟹のセットをプレゼントする」と宣言した。知り合いの伝手で安く手には入るらしい。
 ただでさえ忘年会を兼ねて出席者が多いところ、景品を聞いた参加者が増えて三十人近い人数になり、狭い会議室のなか、すし詰めになってひたすら句を作った。作句時間が終わると、みんなが一斉にため息をついた。しかし句会はここからだ。全員の句、つまり参加者の人数の二乗ぶんの句を読んで選ぶ。あの日景品を手にしたのは誰だったか。終わるころには疲れ果てて、まるで運動会のあとのようだった。

 袋回しは、発想を飛ばして普段の自分ではない表現に出会うための実験だ。またあのスリリングな運動会を体験したい。