朝日川柳の件。
2022年7月15、16日付の朝日新聞「朝日川柳」に、安倍晋三元首相の銃撃事件を揶揄するような内容の作品が複数掲載されたことが、SNS上で物議を醸している。(略)
問題となったのは、15・16日付の朝日新聞に掲載された「朝日川柳」だ。選者・西木空人氏によってそれぞれ7本の川柳が選ばれている。
15日には「銃弾が全て闇へと葬るか」「これでまたヤジの警備も強化され」など、16日には「疑惑あった人が国葬そんな国」「死してなお税金使う野辺送り」など、安倍氏の事件や国葬を行う政府方針を揶揄するような複数の川柳が選出されている。16日は選ばれた7本すべてが安倍氏を題材にしたとみられる作品だった。
この記事は朝日新聞の「回答」が主眼だから比較的ニュートラルな書き方だが、次の記事になると川柳の受け止め方が全然違っている。
批判が集中しているのは「朝日川柳」の7月15日、16日付です。この二日間にわたって、安倍元首相を揶揄するような内容ばかりが選出され、「死人に鞭打つとは、それでも報道機関のすることか」との声がSNS上にあふれているのです。
このとおり、一句も例句をひくことなく、しかも「安倍元首相を揶揄」と書いています。
もう一度J-CASTのほうの記事を読んでみましょう。「安部氏の事件や国葬を行う政府方針を揶揄するような複数の川柳」とあります。揶揄の対象が異なっています。
はっきり言って後者の記事は、例句を引く前に読者に先入観をあたえる、煽り記事にすぎません。
実際の作品はどうでしょうか。
還らない命・幸せ無限大 (2022.07.15掲載)
銃弾が全て闇へと葬るか
これでまたヤジの警備も強化され
疑惑あった人が国葬そんな国 (2022.07.16掲載)
死してなお税金使う野辺送り
忖度はどこまで続く あの世まで
国葬って国がお仕舞いっていうことか
「安倍氏」個人を揶揄するような、あるいは「死人に鞭打つ」ような句は、私見では一句もありません。すべて安倍氏の在任中の時事、職務上の「疑惑」と、そうした人物を「国葬」にするという政治方針についての批判です。
公人の業績や政治方針に関する批判、揶揄は、時事川柳として当然ありうべきものである。(当該作品の優劣を問わない)
特に第一句については、すでに繰りかえし指摘されていますが、安倍氏の事件についてではなく、東電旧経営陣に対する賠償命令を素材としたもの。
きちんと読み直してみると、
還らない/命・幸せ/無限大
と五七五で読めば、「命も幸せも無限大(だったのに)もう還ってこない」となるし、
還らない命/幸せ無限大
として「還ってこない命/幸せは無限大(だったのに)」ととることも可能でしょう。
いずれにしても「安倍元首相を揶揄」するような理解とするのは、かなりアクロバティックというか、悪意のある誤読というべきで、まして、
「暗殺された人に対して、ご冥福をお祈りするということがそんなに難しいことなのか」
などという感想(たかまつなな)は見当外れも甚だしいものです。
ただしそのような理解を誘引する要素があったのは確かで、ネット記事の出方として、16日付の川柳欄で7句すべてが安倍氏銃撃事件や国葬に関わる句(ほかの3句は「利用され迷惑してる民主主義」、「動機聞きゃテロじゃ無かったらしいです」「ああ怖いこうして歴史は作られる」)だった、つまりカラーが統一されていた。
そのあとで前日15日を見れば、誤解する人がいても理解できる。
しかし実際には15日は、東電賠償の句(ほかに「高裁も最高裁もなかりせば」)や、季節外れの長雨を話題にした句(「梅雨明けと言われ機嫌を損ねたか」)もあった。
つまり、16日が「反安倍一色!」といきりたった人々が前日記事の「粗探し」に殺到した結果、誤読が生まれたのである。
先入観と正義警察による暴走、時系列の無視である。
本来であればこのような、小遣い稼ぎで類型的煽り文をならべたコタツ記事が扱う「炎上」など相手にしないほうが正しいのだろう。
しかし、歴史上、こうした「善意」の一般市民による「言葉狩り」「自粛」が、おぞましい結末に至った例は多い、そのことを我々は知っている。
諷刺というなら、まさにこうした事態をこそ揶揄し、啓発しなければならない。
にも関わらず、朝日新聞は、川欄欄への「ご批判」を受けとめてしまった。
遺憾と思う。
Twiiterで述べた私見を繰り返す。
西木空人氏の選んだ川柳は、諷刺というには直接的すぎるし、掲載句すべて同じ主題という均質性も、まことに「つまらない」と思う。
しかし、つまらない川柳すら発表できない国で、圧倒的で衝撃的な川柳が発表されるはずがない、という点において、私は朝日の川柳欄を支持するものである。