2022年2月7日月曜日

【転載】京都新聞2021年12月20日「季節のエッセー」(28)

 「へろへろと」

大学の講義で俳句を扱うときは、実作と鑑賞をセットにしている。
もともと俳句には句会というシステムがあって、実作だけでなくお互い鑑賞、批評しあう文化がある。ただ自分たちの作品を読むだけではどうしても視野が狭くなるので、講義では虚子から現代の若手まで、私が独断で選んだ秀句の一覧を配布し、学生たちに任意で好きな句を選んで鑑賞文を書いてもらう機会を作る。

鑑賞にあたって季語など語彙の解説はするが、基本的に作品だけで自由な鑑賞にゆだねている。俳句は五七五の言葉を見て、読者それぞれが受け取ったものが答えになると思うから。
また、そのほうが学生たちは教科書にない表現を楽しんでくれるようだ。

学生から人気があるのは次のような句。

はっきりしない人ね茄子(なす)投げるわよ   川上弘美 

現代の人気作家による小気味いい一句。男女の関係性もうかがえ、わずか十七音で想像が広がる楽しい句だ。

へろへろとワンタンすするクリスマス  秋元不死男ふじお

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面白いことに、この句を鑑賞する学生はほとんどがワンタンをインスタントと想像する。
クリスマスなのに一緒に過ごす相手もなく自宅でインスタントのカップをすすっているわびしさ、自嘲を読み取り、共感するのだ。

作句年代や作家の背景を考えれば、作中のワンタンはインスタントではなかっただろうし、プロレタリア文学的な批判精神を読み取るべきなのかもしれない。
しかし上五の擬音で生じる、チープだがあたたかなユーモアは、学生の鑑賞とも通底しているだろう。

今年の春は思いがけない鑑賞に出会った。

若さとはこんな(さび)しい春なのか 住宅(すみたく)(けん)(しん)

白血病で、二十五歳の若さで世を去った自由律俳人の句。
この句について、ある学生が「この句は僕たちの句だ」と書いた。新型コロナ感染症の影響で卒業式も入学式もなくなり、仲間との卒業旅行も、新しい友だちとの出会いも奪われた僕たちだ、というのだ。
胸を突かれた。
喪失感は青春詠の定番だが、確かに、こんなにも物理的に大量の「淋しい春」が生み出され、共有されたことはなかったのではないか。
今後、私たちは、あるいは彼ら自身は、喪失感をどうやって埋めていけるのだろう。
(俳人)