2019年12月28日土曜日

【転載】京都新聞2019.11.18 季節のエッセー(7)



鞍馬天狗の鼻が折れた、というニュースが盛り上がったのは、二年前のこと。ご記憶の方も多いと思う。
叡山電鉄(叡電)鞍馬駅前に設置された天狗の顔のモニュメント、その隆々とそびえる鼻が大雪の重みで折れてしまい、しばらくは絆創膏を貼った情けない姿だったのだ。素材は発泡スチロールだったそうだ。
考えてみれば寒風吹きすさぶ鞍馬の山中で、これまでよく無事だったものである。その後天狗の鼻は修復され、山に平和が戻った、かに見えた。
ところがこのたび、なんと二代目誕生の話が持ち上がった。叡電開通九十周年にあわせ、沿線にある京都精華大学の学生がデザインするらしい。お披露目は十月十八日。強化プラスチックで補強し、雪対策も万全という。
実は、何を隠そう私の研究テーマは、天狗の説話である。しかもこの秋から、縁あって京都精華大学に勤めている。
これは見に行かねばなるまい。
企画自体に関わったわけでもなく、完成披露式には行けなかったが、今月初め、ようやく見に行くことができた。
肌寒くなったとはいえ紅葉にはまだ早く、叡電の混雑もほどほど。途中、大木が倒れていた箇所は昨年の台風の傷跡だろう。終点鞍馬駅で下り、駅舎を出ると見なれた初代大天狗の顔。振りかえると新しい二代目が、駅舎のすぐ隣に鎮座していた。
初代は黒々とした太眉が特徴だったが、二代目は巻き毛気味の白い眉、白髭がいかめしい。新旧二体の赤ら顔が、秋晴れの空に映える。インスタ映えかどうかはともかく、十二月までは併置されるらしく、台風被害をはねかえす話題スポットになると信じたい。
鼻の高い大天狗像は、室町時代に狩野元信(かのうもとのぶ)が描いた鞍馬(くらま)僧正坊(そうじょうぼう)図が始まりといわれる。その真偽はともかく、それまでトビのような姿で描かれていた天狗は、室町時代後半になって神話の猿田彦(さるたひこ)を思わせる鼻高姿で描かれるようになった。
高慢、我執の魔物というマイナスイメージから山の神として威厳をそなえるのもこのころからである。今回は天狗像の変遷を追いかけた自分の研究が現代につながっている実感があり、運命すら感じる。
ところで、参詣の帰りにお土産物屋で天狗面のマグネットを購入したのだが、早々に取り落として、鼻の部分が欠けてしまった。とかく天狗の鼻は、折れやすい。(俳人)



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2019年11月8日金曜日

【転載】京都新聞2019.10.14 季節のエッセー(6)


「うんどうかい」
スーパーで買い物をしていたら、「うんどうかい」と書いてある立て札が目に入った。入場門を模した飾りつけ。そんな季節か。
最近は、夏場の練習を避けて五月に開催するところも多いと聞くけれど、それでも「スポーツの秋」のイメージは強い。
フリー素材を駆使して作られた飾りつけを見ながら運動会の思い出を振り返ろうと思ったが、ほとんど何も覚えがなかった。当たり前だ。昔から運動は嫌いだった。むしろ、姉の学校の運動会へ、家族で応援に行った思い出のほうが鮮明である。
自分だって相応に応援されたはずだが、何の記憶もない。
いや待て、確か低学年の団体競技で、ボールを使った創作ダンスのようなものをした。放り上げたボールをうまくキャッチできず、競技中何度も拾いに行った。逃げ出したくなった。なんだか、ぽかりと頭の隅に空気が入ったような、むなしい、さみしい気持ちがした。
騎馬戦をやったのは何年生だっただろう。
健康体なのに体力がなく、とにかく運動ができなかった。物心ついたときから、どうも自分は体を動かすのが人より苦手だということに気づいてはいた。
逆上がりができない。
なわとびができない。
個人競技はまずくても自分が落ち込むだけだが、球技や団体競技だとクラス全体に迷惑をかけた気になるのがいやで、運動は、やるのも見るのも、応援するのさえ面倒だった。
もちろんマラソン大会は常に最下位。走っている間はいいが、先生と一緒にゴール付近に戻ってくると女子が走り始めていて、ゴールの前にすれ違うのが変な気持ちだった。
中学受験のとき、マラソン大会がない学校を選んだ。それだけが要因ではなかったけれど、それが大きな魅力だったのも確かだ。
大きな声では言えないけれど、中学、高校の体育の授業は実に不真面目だった。体育祭は友だちとしゃべっていた記憶しかない。ずる休みするほどの度胸はないので、自分の出番くらいは出場したはずだが。
頭の隅のぽかり、は、まだ残っていて、ときどき発動する。
ただの逃避癖である。
とはいえ、それが私にとっては当たり前になり、ぽかり、をなだめて、怒られない程度にやりすごせるようになった。ぽかり、のむなしい手ざわりは、どこかで私の俳句につながっている気がする。(俳人)

2019年11月4日月曜日

【転載】京都新聞2019.09.10 季節のエッセー(5)

「夏の夜神楽」

この夏、台風9号と10号の隙をつくように、宮崎県を訪れた。説話や仏教文学を専攻する研究会の合宿で、天孫降臨の伝承地として知られる高千穂や、柳田國男ゆかりの椎葉村をめぐったのである。

宮崎は県内各地に神楽が残ることでも有名。特に高千穂の夜神楽は、高千穂神社で毎晩観光用に上演されている。時間は夜八時から一時間ほど。宿舎に着いて一度汗を流し、宮崎グルメを堪能してから神社へ向かった。

南国宮崎の気温は、意外に京都より低い。それでも蒸し暑さの残るなか、行ってみれば夏休みということもあってか舞台を取り巻く客席は盛況だった。海外の観光客や我々をふくめ六十人ほどはいたように思う。訛りの強い司会者のにぎやかな挨拶がすむと、太鼓と笛の音が祭場に響き、夜神楽が始まった。

その日の演目は、天岩戸に隠れた天照大神を誘い出したという神話にもとづく「手力雄の舞」、「鈿女の舞」、「戸取の舞」、そして伊弉諾尊と伊弉冉尊の夫婦神が豊作を祝って酒を醸すという「御神体の舞」。
「御神体の舞」は一名「国生みの舞」というそうだが、容貌魁偉な男神とおかめ顔の女神が怪しげに腰を振りながら見つめあい、酒を酌み交わし、抱擁し、挙げ句、酔った神々が祭場から客席になだれこむ、笑いに満ちた演目だった。
男神が女性の外国人客に抱きつくと、女神が怒ったふりをして追い掛け回し、女神が男性客にしなだれかかると男神が怒りだす。そのたび笑いがおこり、写真撮影が始まる。
神話というより田の神夫婦と人々のじゃれあいに見える。
本来なら真夜中の眠気覚ましに、もっと大胆に、猥雑わいざつに、演じられてきたのかもしれない。
祭りの活気を少し実感した気がした。

本来の夜神楽は、収穫が終わり、山里が冬にそなえる十一月ごろ、三十三番が夜通しかけて演じられる。観光用の演目は何分の一かに省略されたものにすぎない。
夜神楽の司会者は、今度は本番で会いましょう、そのときは無礼講で、神様と宮崎のお酒を楽しみましょうと呼びかけた。
秋の実りに感謝し、村の祭りに供されるべき夜神楽を、夏の夜に観光として楽しむ。
倒錯したことには違いない。一方で時代に即した行為にも思える。
田の神の祭と国生み神話が交わるように、伝統とは、案外柔軟なものなのかもしれない。(俳人)

2019年11月2日土曜日

日本万歳

 

 日本万歳

日本は平和の国よ 伊勢熊野明治靖国等しくゐます

日本は平和の国よ ミサイルが上空はるか彼方を飛翔

日本は平和の国よ リポDを飲んでお受験がんばる子たち

日本は平和の国よ 子どもらの「死ね」も「殺す」も笑顔のままに

日本は平和の国よ 政治家も子どももすぐに「命を賭ける」

日本は平和の国よ 簡単に人は死なぬと笑える国よ

日本は平和の国よ 日本語を話せぬ者は国民でない

日本は平和の国よ 沖縄に基地ある限り本土の平和

日本は平和の国よ 徴兵も派兵も机上の薄笑い

日本は平和の国よ 美しく明るく人を踏みにじる

日本は平和の国よ 日本が嫌いと声をあげられる国

2019年10月28日月曜日

【転載】京都新聞2019.08.05 季節のエッセー(4)

「ゲリラ豪雨」

夕立、驟雨(しゅうう)、銀竹(ぎんちく)、村雨(むらさめ)。


この時期にわかにざっと強く降る雨のことだ。

趣深いが、今ではゲリラ豪雨かスコールと呼ぶほうがふさわしい。今年も「大雨に警戒してください」という注意喚起をよく聞く。

ところで、ゲリラ豪雨の別名を「鬼雨」というらしい、と以前、ネット上で話題になっていた。

「おにさめ」ではなく「きう」。
漢籍に由来でもあるのだろうか。
気になって調べたところ、実は鬼雨を豪雨や大雨の意味で使うのは最近で、気象学者でエッセイストの倉嶋厚氏による『雨のことば辞典』(講談社)や、詩人の高橋順子氏による『雨の名前』(小学館)によって二〇〇〇年代に広まったらしい。

両者がもとにした資料はわからないものの、日本最大の漢和辞典『大漢和辞典』も鬼雨を「大雨」と説明する。

用例には唐の詩人・李賀の詩から「鬼雨、空草(くうそう)に灑(そそ)ぐ」(原文は漢文)という一節を引いている。
ところが、どうもこの解釈が間違っているらしい、云々。

以上はネットで指摘された知見を整理したものだが、確かに日中では「鬼」の意味が異なる。日本でも鬼籍に入るという言葉があるが、中国では鬼を死霊、死者の意味で使う。

筋骨隆々で人を食うこわい鬼のイメージは、日本で定着したものだ。
どうやら大雨という解説は『大漢和辞典』の勘違いで、解説だけで使用例のない「幽霊語」だった。

ネットの集合知はあなどれないが、念のため図書館で裏取りすることにした。

まず倉嶋著をみると「大いに降る雨。鬼は程度の並外れたこと」、高島著は「鬼のしわざかと疑われるような並外れた大雨」と解説している。
夏の雨、ゲリラ豪雨とは書いていないが、「鬼」を強い、すごい、といった修飾に使っている。

一方、典拠たる李賀の詩は初秋の墓地が舞台の怪奇幻想趣味あふれる作品。鬼雨は陰々滅々たる秋雨がふさわしい。

つまり鬼雨を大雨とするのは単純な間違いではなく、鬼に対する日中の違いから生まれたわけだ。
言葉の成り立ちとしてはかなり面白い。

なお、ほかに何冊か本を探してみたが、鬼雨をゲリラ豪雨と解説する資料はまだ見つけていない。

ゲリラ豪雨は正式な気象用語ではないが、二〇〇八年ごろから報道関係者が使用し、定着した言葉という。
鬼雨も、ゲリラ豪雨の別名として日本語に定着していくだろうか。(俳人)


追記.
井川香四郎さんという作家の時代小説に『鬼雨』というタイトルがありました。梟与力吟味帳というシリーズの6巻、2009年講談社刊行。読んでみたところ、テンポがよくて面白かったです。鬼雨は鬼画降らせたような大雨で説明されていましたので、倉嶋著を参考にされたものでしょうか。

2019年10月21日月曜日

【転載】京都新聞 2019.07.01 季節のエッセー(3)


「シコブチさん」
京都から滋賀に流れる安曇川ぞいに、シコブチさんという神さまがまつられている。シコブチにはいろいろな字を宛てるようだが、材木を運ぶ(いかだ)乗りだという。
伝説によれば、シコブチさんはいつも子どもを筏に乗せて急流を下っていたが、あるとき河童に子どもを引き込まれたので、筏で川をせき止めてしまった。干上がった川の底で姿をあらわした河童は、今後シコブチさんと同じ格好の筏乗りには手を出さないと誓ったので許してやったという。
一説には、年に三人だけ子どもをひきこむ条件で許したともいう。シコブチさん、強すぎである。
シコブチさんをまつる社は、大津市葛川、高島市朽木、そして源流に近い京都市左京区大原、久多に集中し、日本遺産「琵琶湖とその水辺景観―祈りと暮らしの水遺産」にも指定されている。
昨年の夏、妻の車でドライブにでかけて、たまたま日本遺産の幟を見つけて立ち寄ったのが、朽木岩瀬の志子淵神社だった。
ちなみにこのときの目的は、同じく朽木の、くつき温泉てんくうへ行くことだった。この温泉施設は、朽木の山々を見わたす露天風呂「天狗の湯」で知られている。
地元の天狗伝説にちなんだそうだが、風呂場の外壁が天狗の顔のオブジェになっていて、ちょうどその口の中に温泉がある。外から見ると巨大な天狗の鼻が天空にのびていて、なんとも印象的である。
そんな天狗の湯の帰りに、河童伝説の志子淵神社に行き逢ったというわけだ。
とはいえ実は、シコブチさんの存在や伝説は前々から知っていた。以前、私の所属する東アジア恠異学会という研究会の先輩たちが調査したと聞いていたからだ。
この東アジア恠異学会は歴史学を中心とした学術団体だが、研究者だけでなく小説家や一般の方まで、怪異に関心をもつさまざまな人が集まり、議論を交わす団体である。
河童のような妖怪伝承も考察の対象で、古いシコブチ信仰と、比較的新しいはずの河童の伝説がいつごろ合体したのか、河童以前に水害を鎮めた水神の伝説があったのでは、など怪異学的関心は尽きない。
ああ、そういえば河童のキュウリ好きは祇園社の神紋に由来するという説がある。これもまだ出所を確かめていない。研究を進めなければ。(俳人)

2019年10月14日月曜日

【転載】京都新聞2019.05.27 季節のエッセー(2)

「俳句甲子園」
 起立礼着席青葉風過ぎた 神野紗希
高校二年のとき、俳句甲子園という大会に出場した。
ご存じだろうか。高校生が五人一組になり、俳句の創作力と、ディベート形式の質疑応答によって鑑賞力を競う大会で、毎年八月に愛媛県松山市で開催されている。
小説、漫画の舞台にもなり、最近は発起人である夏井いつき氏の出演番組でも取り上げられ、すっかり有名になった。
今年は第二十二回大会が予定されているが、私が出場した第四回大会のころは出場校も少なく、まだまだ地方の町おこしイベントという感じだった。
松山なら温泉に入れるぞ。お前は電車旅が好きだから旅の俳句作れるだろ。そんな適当な誘い文句で、気の合う友だちと参加した大会で出会ったのが、冒頭の句だった。
ちなみに初心者の私たちは初日の予選で敗退。掲句は二日目、準決勝で出された句だった。
教室の号令とともに青葉を揺らす一陣の強い風。窓の外は初夏の陽気。
わずか十七音が、高校生にとって身近な実感をありありと再現できることに衝撃を受けた。青葉の季節になるといつもこの句を思い出す。
受験もあって私はしばらく俳句から離れた時期もあったが、大学に入ると再開した。母校では、顧問の先生も本気になり、第七回大会では後輩のチームが全国優勝を果たした。以来、関西の出場校は、残念ながら優勝からは遠ざかっているが、洛南高校が出場を重ねており、三度の準優勝を経験している。
最近は滋賀、和歌山からも出場校が増え、今年の三月には彦根東高校、和歌山の県立海南高校でそれぞれ練習試合が行われた。
私は和歌山での試合に審査員として参加したのだが、驚いたのは、和歌山の高校生が彦根まで試合を見学に行ったり、大阪や兵庫の高校生が和歌山まで見学に来ていたり、とにかく高校生たちの熱心さだ。
今どきは学校や世代を超えて俳句の好きな若者がSNSでもつながっており、そんなことも活気づかせる要因になっているらしい。うらやましい。おじさんたちのころ、高校生はまだ携帯を持っていない人も多かった。俳句のやりとりに、学校のファクスを使っていたんだぞ。そんなことを思いながら、昭和生まれ、平成育ちの私は、平成生まれの俳句作家たちを見ている。
次の時代は、どんな時代になるのだろう。
(俳人)

2019年10月7日月曜日

【転載】京都新聞 2019.04.23 季節のエッセー(1)

「ハナミズキ」
大変なことになった。
京都新聞文芸欄から、季節のエッセーについての依頼である。まさか、自分にこんな連載依頼が来るとは思わなかった。
文章を書くのは好きだからありがたいが、テーマが問題だ。俳人には季語の知識があって季節に敏感だと思われがちだが、そんなことはない。他の人は知らないが私の場合、知識はあっても実感がともなわない。
ふだんは俳人らしく歳時記という字引のようなものを持ち歩いているので、わからないときはすぐ調べる。桜とチューリップならわかるが、石楠花や山吹の咲く時季に自信がない。山菜を採りに野山へ入ることもないし、田打ち、麦踏みなどの農耕季語になるともうお手上げだ。いや、もともと四季や節気といった区分は一年を等分した暦の目安であって、体感と一致するとは限らない。季節を意識し文芸に生かすというのが、実は都会的な知識先行の営みなのだ。
したがって俳句を作らねばならぬ時には、歳時記やスマホを片手に目を配り、季語をさがす。そうすると今まで自分の関心外だった風景が立ち上がる。
むしろ、これこそ季語の作用ではないかと開き直ってみる。
以前、ある女子大学で俳句の創作演習を担当したとき、庭にハナミズキが咲いているのを見つけて学生に紹介した。
ちゃんとプレートで掲示してあったので私も自信をもって紹介できる。
しかしほとんどの学生は花を目にしていても名前に気づかなかった、ハナミズキをはじめて認識した、という。
平成時代にもっともカラオケで歌われた曲は一青窈さんの「ハナミズキ」だそうだ。
私が目を留めたのも、学生たちが反応したのも、もちろんあの曲が脳裏にあったからだ。ここ最近、平成最後と銘打った数々の歌番組でもくりかえし流れ、改めて名曲だと思った。
かつての知識人たちが桜や山吹であまたの歌を連想したように、現代の私たちもそれぞれの知識をふまえて季語に接する。季語の伝統は、ただ昔ながらの教養を守り伝えていくだけではなく、更新されていく。
本欄でも、自分なりの季節をお届けできればと思う。(俳人)

2019年9月16日月曜日

第16回鬼貫青春俳句大賞

第16回鬼貫青春俳句大賞 募集【2019年11月21日(木)必着】

芭蕉(ばしょう)とほぼ同じ時代を生きた郷土伊丹の俳人 上島鬼貫(うえしまおにつら)は10代からさかんに俳句を作り、自由活発な伊丹風の俳句をリードしました。そこで、柿衞文庫では、今日の若い俳人の登竜門となるべく「鬼貫青春俳句大賞」を2004年から募集し、今年で16年目を迎えます。同賞は、大賞および優秀賞に加え、高校生の方をはじめとするより若い世代の方々にも挑戦していただきたく、10代の方を対象にした敢闘賞も設けています。今年も若い世代の皆さんの意欲的な作品をお待ちしています!
●募集要項●
 ☆応募規定・・・一人俳句30句を一組として応募(新聞、雑誌などに公表されていない作品)
 ☆応募資格・・・1990年生まれから2004年生まれの方
 ☆応募方法
  ・応募作品は、A4用紙1枚にパソコンで縦書きにしてください。
  ・文字の大きさは、12~15ポイントで表記してください。
  ・最初に題名、作者名、フリガナを書き、1行空けて30句を書いてください。
  末尾には、本名、フリガナ、生年月日、郵便番号、住所、電話番号を必ず書いてください。
  ・郵送またはFAXで下記まで応募してください。
    ※応募作品の訂正・返却には応じません。
    ※応募作品の当文庫への到着については、各自でご確認くださいますようお願いいたします。
    ※応募作品の著作権及びこれから派生する全ての権利は主催者に帰属します。
    ※個人情報は、表彰式のご案内および結果通知の送付に使用し、適正に管理いたします。
     また、柿衞文庫の事業のご案内をさせていただくことがございます。

      公益財団法人 柿衞文庫(こうえきざいだんほうじん かきもりぶんこ)
       〒664-0895 兵庫県伊丹市宮ノ前2‐5‐20
       電話/072-782-0244  FAX/072-781-9090

 ☆応募締切・・・2019年11月21日(木)必着
 ☆公開選考会・表彰式・・・2019年12月21日(土)午後2時~午後5時(終了予定)
            於 柿衞文庫 講座室(兵庫県伊丹市宮ノ前2‐5‐20)
              ※当日は応募者に限らず、どなたでもご参加いただけます。

  ◎選考委員による公開選考会
    稲畑廣太郎氏(「ホトトギス」主宰)
    塩見恵介氏(俳人)
    山本純子氏(詩人)
    藤原正人氏(伊丹青年会議所 専務理事)
    岡田 麗(柿衞文庫 館長)      以上5名(予定・順不同)

  ◎選考委員と来場者によるフリートーク
    来場者の皆様のご質問等について、選考委員の先生方がお答えくださる貴重な機会です。せひご参加ください。

  ◎賞について
     大賞1名〔賞状、副賞(旅行券5万円分)、記念品、「俳句」誌上に受賞作品を掲載予定〕
     優秀賞若干名〔賞状、副賞(旅行券1万円分)、記念品〕
     ≪10代の方を対象にした賞≫
     敢闘賞1名〔賞状、柿衞文庫理事長 坪内稔典の直筆色紙、記念品〕
     

主催:公益財団法人 柿衞文庫、也雲軒
共催:伊丹市、伊丹市教育委員会
後援:一般社団法人 伊丹青年会議所、角川『俳句』(予定)

2019年9月1日日曜日

「俳句は続けなくたっていい」について


翻車魚ウェブ:俳句は続けなくたっていい 佐藤文香 についてつぶやいたまとめ。








2019年5月12日日曜日

令和


代替わりや元号施行にまつわるお祭り騒ぎが続いている。
日ごろは日陰者扱いだった古代史や古典文学の研究者が、とっかえひっかえテレビに出て解説しているのは、なかなか奇妙なながめだ。私のお世話になっている先輩や先生がたもあちこちで活躍しており、そのこと自体は個人的に喜ばしい。

令和という語の、出典や内容については、以下のページが参考になる。

「令和」の出典は漢文!?――『万葉集』と中国古典作品との深い関係 三宅香帆 | web春秋 はるとあき

筆者は京都大学大学院で万葉集を専攻し、現在は書評家、文筆家として活動されているらしい。ほかにも万葉集推しの文章があついので、詳しくはご本人のHPも参照してほしい。

より専門的な内容としては

 岩波書店 岩波文庫の校注者による,「令和」 Q&A集!

 ミカド文庫 「新元号「令和」の来歴と意義」京都産業大学 准教授 久禮旦雄

に専門家による解説がある。
番組によっては歴史学者ということで人を選ばずコメントをとっているところもあるが、やはり餅は餅屋で、万葉集なり天皇制なりを専門に研究している人の解説を基本にするのがベターである。

なお、万葉集が近代に「国民歌集」として評価され、近代の国家観形成に大いに利用されたことについては品田悦一『万葉集の発明―国民国家と文化装置としての古典』(新曜社)、古橋信孝『誤読された万葉集』(新潮新書)などの研究がある。
品田氏は今回の「令和」出典についても、源泉となった詩文の影響を重くみて万葉集や今回の「令和」にも政権諷刺の意味合いを読み取るべきだといった発言を行っているが(参照)、氏の研究から見えるのはむしろ時々の政権や読者によって適度に牙を抜かれた詩文こそが受容されてきた歴史や、日本文化を強調し慶祝ムードを演出した現政権の巧さであって、本来の作品を超えて解釈が重ねられていくことも古典の本義ではあるだろう。



それにしても平成の終わりが、左右こぞってこんなにも天皇をあつく信奉する時代になるとは、文字どおり「昭和」には考えられなかったのではないだろうか。

実生活においては和暦より西暦のほうが使いやすいし、本の奥書などで和暦が使われていると西暦に換算するのが面倒(算数は大苦手だ)だが、職業柄、古い資料などをめくるときには当然和暦と西暦を対応させ、時代の指標として和暦がある安心感も、また持っている。
たとえば春秋社刊行の『日本秀句』シリーズ(『明治秀句』(山口青邨)、『大正秀句』(富安風生)、『昭和秀句』(1石田波郷、2秋元不死男))のように、また村山古郷の著作に見られるように、和暦による時代区分は、現代の我々にとっても時代についてある程度の喚起力をもち、便利なものがある。
各総合誌がいっせいに「平成を振りかえる」「平成の名句」などを特集したのも、また、そのなかで異口同音に昭和にくらべて平成の輪郭をとらえにくい、という発言があったのも、こうした伝統につながりながら俳句史を紡いでいく意識であろう。
そういう私自身、昨年の平成特集で俳句甲子園に関する一文を草している。(「俳句α」2018年秋号、毎日新聞出版)



時代を画する指標としてグローバル以外のローカルな指標があったとしてもとやかく言われることではあるまいが、ただし、それが天皇制とふかく結びついている以上、元号に対する態度が、現代の天皇制に対する態度に重なってくるのは、当然であろう。
ところで、短歌の世界では狂騒の始まる前にいくつか鋭い時評があったものの(瀬戸夏子「現代短歌」2019.02、内野光子「ポトナム」2019.02/転載ブログ)俳句の世界で元号や天皇制を正面から扱って示唆的だったものは、管見に入ったのは高田獄舎のブログくらいであったことを、記憶の隅に置いておきたい。

もちろん和歌の流れを汲む現代短歌と、俳諧から独立した俳句とは、発生からして天皇制との関わりは違うわけだけれど、俳諧教導職として神道と俳諧普及に寄与した三森幹雄の歴史を忘れるわけにはいかないし、平成最後の歌会始に俳人協会前会長・鷹羽狩行氏が出席していることは、決して他人事ではないはずだ。
新天皇、新元号への奉祝ムードに追随する企画が目立つなか、もちろん別段批判や反対だけが意見ではないけれども、それにしても異見異論がないことに、自ら顧みて薄ら寒い気がする。
ひとつひとつは特段気にするほどではない、なかった、はずのできごとの積み重ねに、無自覚であったことが、後世に罪とされないように、歴史を顧みて気をつけなくてはいけない。


2019年5月6日月曜日

句会セット


関西ゼロ句会の雑談のなかでExcelで作った清記用紙・選句用紙の見本があれば使いやすいという話題が出たので、公開してみます。
googleドライブの共有フォルダにアップしましたので、よろしければ、ご自由にダウンロードして句会で利用してください。

googleドライブの共有フォルダ(句会セット)

清記用紙(8句用、10句用)
選句用紙

をアップしています。

普段の句会ではそれぞれ使い勝手のいいように、専用に作ったり、その場で用紙を切ったりされていると思いますが、一応汎用性の高さを考えて作っています。初心の方、または、特にこだわりがない方など、ご利用ください。

句会の進め方についてもあったほうがわかりやすいかもしれませんが、それぞれのグループによって大事にしているものが違うので、一概に「こんな進め方がいい」とは言い切れません。一般的なものは、書籍や事典、もっといえばgoogle先生で検索しても出てくるので、各自調べてみてください。
大きくわけて、おたがいの合評を重視する合評句会と、主宰の指導句会があると思いますが、投句数や進行の順序など細かく言い出せば、本当に無数、グループの数だけ違います。トランプのようにローカルルールがたくさんあるので、誰でもほかのグループに行くと戸惑うことが多いです。
中には別の句会に行って「こんなルールじゃダメだ」とか「ふつうはこうだ」と説教し始める人もいますが、それは一種のマナー講師みたいなもので、別の文化を許容できないだけと断じてよいでしょう。それぞれのグループにはそれぞれ志向、目的があり、郷に入れば郷に従うのが本当の作法です(もちろん文化の違いを意識し、別のやりかたを提案したりするのはとてもいいことですが)。

もっとこうしたほうがいいとか、ご意見・ご感想あれば承ります。


亭主


2019年2月16日土曜日

季語論


俳句にとって季語が必須の、絶対条件なのか。
これは、他ジャンルからみれば奇妙に思えるほど、俳句界においてはくりかえし議論され、作家や協会の分断をまねき、近代俳句においてもっとも可燃性の高い論題であり続けている。

個人的な見解を述べれば季語については、夏石番矢が『「俳句」百年の問い』(講談社学術文庫、1995)の解説における、
これに対して、山口誓子(九八ページ)の季語擁護論は、有季俳句の歴史性、慣習性のみが云々されただけで、有季俳句の論理的根拠のなさをかえって露呈している。長谷川櫂の近年の季語オリジナル説は、...(中略)...日本が亜熱帯から亜寒帯にわたる多様な気候風土の多元的環境であることを忘れた、本州日本人(長谷川は九州出身だが)の自己中心的でナルシシズム的な主張と言えまいか。
という批判で、おおむね尽されていると思っている。
すなわち、俳句に季語が必要であるという論理的根拠は、歴史性、慣習性にしかなく、歴史を顧みれば季語を絶対条件としてきたのは、主に虚子ホトトギスの俳壇政治的なスタンスに過ぎないのではないか、とさえ思えるのが実情である。
(参考.筑紫磐井「虚子の季題論と季題」、中原幸子「なぜ取り合わせをしないか 自流を行う」ともに『国文学 解釈と鑑賞』「特集 高浜虚子・没後50年~虚子に未来はあるか」74巻・11号、2009年11月
しかし、これは無視できないことだとも思うのであって、俳句の原型である誹諧の発句に挨拶としておおむね季語が詠み込まれ、以後、発句のみ作る場合も季語が詠み込まれることが多く、歳時記において季題別に分類・享受されてきたこと。
そして何より近代俳句が、高浜虚子の言挙げを根拠に、季語を詠み込んだものを俳句としてきたこと。
これはすなわち、俳句がこれまで歴史的に培ってきた作句・選句の技法が、おおむね「季語のある俳句」を前提に洗練されてきた、積み重ねられてきた、ことを意味する。
単純に言えば、「俳句は季語がある」という強固な前提のもとで作家も読者も育ってきたのであり、ぶっちゃけ「季語を入れれば俳句っぽくなる」のである。
季語にはよく知られるとおり膨大な情報量がふくまれており(季節・空間・情緒)、季語を入れることによって俳句の読み・詠みは大きく広がる。

俳句という定型詩・伝統詩の、作家個人の等身大を超えて読者と共有される「俳句っぽさ」は、俳句をフィールドとする以上避けられないものであり、単純化すれば「俳句っぽさ」に乗るか、かわすか、裏をかくか、ということにおいて俳句作家は俳句を書くのだ。
ただ私は、自分自身としては季語の働きに期待し、季語を利用して俳句を立ち上げるものであるが、一方で教条的な季語絶対論には距離を置きたいと思っている。
私自身が季語を使って俳句を立ち上げているのは、私という作家個人のパーソナリティや限界に由来する、個人的な事情に過ぎないのであって、ほかの作家が無季俳句の可能性を開くことを制限することはできないと考えるからである。

すなわち、これはあらゆる詩型・文芸に言えることであるが、これまで書かれなかったものが今後書かれる可能性、今後開かれていく可能性は無限だと思うからである。
すでにこれまでも無季俳句については、少数の作家によってではあるが挑戦が続けられ、無視できない、多くの佳句・名吟を遺してきた。
昨年10月に犬山で行われた現代俳句協会青年部主催の句会・勉強会でも無季俳句が話題となり、いくつかの代表的作品が例示された(『現代俳句』2019.02にレポート「季語のない俳句の成立条件」掲載)。
草二本だけ生えてゐる 時間  富澤赤黄男
とりめのぶうめらんこりい子供屋のコリドン  加藤郁乎 
二十のテレビにスタートダッシュの黒人ばかり  金子兜太 
目覚めるといつも私がいて遺憾  池田澄子 
投函のたびにポストへ光入る  山口優夢 
赤紙をありったけ刷る君に届け  外山一機
今後無季俳句の可能性がひらかれ、その技法が積み重ねられていくことは大いに考えられるし、「有季」俳句の根拠が「歴史性・慣習性」にしかない以上、未来の俳句について制限を加えることは不可能である、と私は思う。


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2019年1月20日日曜日

2018年のお仕事まとめ


角川『俳句年鑑2019年版』にて、
  • 年代別二〇一八年の収穫三〇代 孤独を力として(執筆:鳥居真里子氏) 
  • 今年の評論Best 7 「読み」の問題を中心に(執筆:岸本尚毅氏) 
にとりあげていただきました。

年鑑というのは活躍著しい作家ばかりが掲載されるものだと思っていたので驚きましたが、それなりに若い頃から続けているとこういうこともあるのですね。
鳥居さん、岸本さん、ありがとうございます。

特に岸本さんは、大学の紀要に掲載した小文(「創作・鑑賞をふまえた俳句の授業―扉としての俳句」『同志社国文学』87号、2017年12月20日)に目を留め、Best7以外の「力作」としてとりあげてくださいました。
俳句を読み、論ずる事の面白さに対する理解が広まったことを感じさせる。(同、p.217)
との評言は正しくその通りで、古き「第二芸術論」観からの新しい展開を示唆しているところも共感しました。「第二芸術論」に対する反発でなく、改めて「読み」の問題として、兜太「造型俳句」を超えた現代俳句論が望まれるところ。



『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018)

がついに発刊されました。
上の現代俳句協会特設ページからお申し込みいただくと、定価2400円+税+送料のところが、送料込み2500円になります。 602円ほどお得。
1月末までなので、おはやめに。

現代俳句協会青年部メンバーとして、編集・執筆に関わらせてもらいましたが、新興俳句の作家44人の評伝と100句抄に加え、13項目のコラムをそろえ、実に53人もの執筆者がかかわってできました。ほとんど小辞典のような趣です。
私は、「天の川」を創刊・主宰した吉岡禅寺洞(1889~1961)を担当しました。新興俳句の旗手として、「馬酔木」の甘美、「天の川」の晦渋、と評され、無季、自由律、口語など表現を開拓。門下に芝不器男、横山白虹、神崎褸々などを輩出しました。戦後も口語俳句を追及しますが、現在では言及されることの少ない作家です。
拙稿では禅寺洞の戦前戦中の動きを中心にまとめました。
(参考:【俳句時評】 禅寺洞から遠く離れて/外山一機

執筆者が多いこともあって、企画から3年半ほどもかかってできた本。書き手は10代~40代まで(企画中に50代になった人がいるか?)で、それぞれ作家に対するアプローチも違っていて、若手評論家アンソロジーとしても楽しめそう。
紙数の問題で参考文献掲載などが充分でない点、今後のためには残念なところもありますが、新興俳句の作品を一覧するという意味で、はずせない一冊になると思います。



川嶋健佑制作『つくえの部屋』3号(2018.12)の「現代作家の研究 新・現代の大家論」で、長谷川櫂論を執筆しました。
現代の大家をどこに定めるか、は人それぞれの基準があり、逆に言えば、大家の基準がはっきりしないのが現代なのかもしれませんが、それぞれの作家がそれぞれの観点から論じています。もうひとつの特集「新人賞の時代」とともに、結構攻めた企画です。
拙稿は、以前『船団』114号(2017.9)に書いた長谷川櫂論の続きという位置づけで、充分に準備して書いたものではありませんが、ご高覧たまわれば幸いです。
上記、川嶋くんのHPから注文できるほか、一部書店にも流通するようです。



船団の本も、2冊刊行。
船団の会『船団の俳句』(本阿弥書店、2018.03)は船団会員67名の作品と作家評をまとめたアンソロジー。坪内氏のまえがきを引きます。
 近年、いろんなところで、「船団の俳句は・・・である」という言い方に出会う。・・・に入るのは、軽薄とかむちゃくやとか現代的とか。いずれにしても、否定的というか非難のニュアンスがある。 もっとも、それは船団的だな、などと言われると少しうれしい。特色が出ている、ということだから。
「~調」というのが話題になったこともありました。曰く、澤調、オルガン調。
しかし、その「~調」がグループの特色だとすれば、それはグループである以上はある意味共通性があるのは当たり前で、もちろん一人の作家としてそこからどう脱するかは課題であるにせよ、そこだけを批判しても始まらない。その表現が何をもたらし、なにを閉じるのか。そこまで言及しなければ、俳句論としては未完成でしょう。
というわけで、一口にまとめられがちな船団の俳句を一覧できる一冊です。

もうひとつ、『朝ご飯と俳句365日』(人文書院、2018.10)は、人文書院のエッセイ+俳句シリーズ第三弾。
船団は、正岡子規の「病床六尺」に倣って食事をテーマにすることが多いのですが、船団メンバーが、365日、朝ご飯に関する小エッセイと俳句を綴った本。
私は7月11日と1月5日を担当していますが、この間の生活の変化が如実に反映されています。

参考:
大井恒行の日日彼是 坪内稔典「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」『船団の俳句』より
大井恒行の日日彼是 坪内稔典「習さんは三軒隣り水温む」『朝ご飯と俳句365日』


その他、俳句関係のお仕事まとめです。

作品

「ヒト科」 東京四季出版「俳句四季」9月号、精鋭16句(35巻9号、2018.09)

評論・エッセイ

「俳句時評98回 私たちの俳句」『詩客』2018年6月9日号

「松本てふこ小論 分断を超えて」『俳壇』6月号(35巻7号、2018.06)

「特集・平成の暮れに 俳句甲子園のもたらしたもの」毎日新聞出版『俳句αあるふぁ』2018年秋号(通巻167号、2018.9.14)


その他イベントなど

第26回現代俳句協会青年部シンポジウム「俳句の輪郭」司会、2018年4月22日、会場ゆいの森あらかわ(東京)

「週刊俳句」586(2018.07.15)久留島元まるごとプロデュース号

関西現代俳句協会青年部勉強会「句集はどこへ行くのか」司会、2018年7月21日(土)、梅田パシフィックビルディング6FB室

オルガンミーティング大阪 オルガン14号刊行記念トークショー&公開句会、司会、2018年7月22日(日)、梅田 蔦屋書店主催/関西現代俳句協会青年部共催

現代俳句協会青年部勉強会「戦後俳句を聞く(1) ~坪内稔典と片言の力~」聞き手2018年12月23日(日)、柿衞文庫

昨年は思いがけず、いろいろなお仕事に巡り会いました。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

亭主拝