2019年10月7日月曜日

【転載】京都新聞 2019.04.23 季節のエッセー(1)

「ハナミズキ」
大変なことになった。
京都新聞文芸欄から、季節のエッセーについての依頼である。まさか、自分にこんな連載依頼が来るとは思わなかった。
文章を書くのは好きだからありがたいが、テーマが問題だ。俳人には季語の知識があって季節に敏感だと思われがちだが、そんなことはない。他の人は知らないが私の場合、知識はあっても実感がともなわない。
ふだんは俳人らしく歳時記という字引のようなものを持ち歩いているので、わからないときはすぐ調べる。桜とチューリップならわかるが、石楠花や山吹の咲く時季に自信がない。山菜を採りに野山へ入ることもないし、田打ち、麦踏みなどの農耕季語になるともうお手上げだ。いや、もともと四季や節気といった区分は一年を等分した暦の目安であって、体感と一致するとは限らない。季節を意識し文芸に生かすというのが、実は都会的な知識先行の営みなのだ。
したがって俳句を作らねばならぬ時には、歳時記やスマホを片手に目を配り、季語をさがす。そうすると今まで自分の関心外だった風景が立ち上がる。
むしろ、これこそ季語の作用ではないかと開き直ってみる。
以前、ある女子大学で俳句の創作演習を担当したとき、庭にハナミズキが咲いているのを見つけて学生に紹介した。
ちゃんとプレートで掲示してあったので私も自信をもって紹介できる。
しかしほとんどの学生は花を目にしていても名前に気づかなかった、ハナミズキをはじめて認識した、という。
平成時代にもっともカラオケで歌われた曲は一青窈さんの「ハナミズキ」だそうだ。
私が目を留めたのも、学生たちが反応したのも、もちろんあの曲が脳裏にあったからだ。ここ最近、平成最後と銘打った数々の歌番組でもくりかえし流れ、改めて名曲だと思った。
かつての知識人たちが桜や山吹であまたの歌を連想したように、現代の私たちもそれぞれの知識をふまえて季語に接する。季語の伝統は、ただ昔ながらの教養を守り伝えていくだけではなく、更新されていく。
本欄でも、自分なりの季節をお届けできればと思う。(俳人)

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