2017年9月19日火曜日

天の川銀河発電所のこと


「俳句を、よろしくお願いします」

のキャッチフレーズとともに、佐藤文香編『天の川銀河発電所 Born after 1968』(左右社)が刊行された。
サブタイトルにもあるとおり、1968年生まれ以降の作家を集めた、俳句のアンソロジーである。
これに類する若手アンソロジーとしては『新撰21』ほか邑書林の3冊のほか、私も加わった『関西俳句なう』(本阿弥書店)がある。対象としては多くが重複しているが、まったく新しく、本書ではじめて出会った作家もいる。
既刊アンソロジーが少なくないなかで、この本の新しさはなんだろうか。
まえがきを引く。
俳句の世界へようこそ。
今、俳句を読んでみるという選択は、アリだと思います。
(略)そのジャンルについて全然知らなくても、本当に面白いものに出会えば、興奮しませんか。願わくばこの本で、今のあなたにとって最高の一句に出会ってほしい。
そこで本書は、「現代俳句ガイドブック」としました。今、私たち比較的若い俳句作家が面白いと思う作品が、このジャンルのなかでどう面白いか、どう新しいかを、ふだん俳句を書かない人にもわかるように紹介しようと努めたものです。この短さで、これだけの多様性が生まれるのか! と思っていただけるだけでも嬉しいです。
(略)そして、これから追いかけたい作家を見つけてください。
俳句を、よろしくお願いします。
一読、懐かしさに包まれる。
佐藤文香の一連の活動、それこそ10年くらい前から、BU:819なんて名乗っていたころからの主張が、形になったのだ。(昔話でごめん)

ガイドブック、というスタンス。
入門でもないし、鑑賞でもない、ましてこれが俳句の全てだというわけでもない。
ただ、佐藤文香という編者の目を通して、一番「おもしろい」「かっこいい」「かわいい」と思う作家たちを、惜しみない愛情でもって「紹介」している本なのだ。
佐藤文香が、「あなた(読者)」に、自分の好きな作家、読んでほしい作家、を力いっぱいオススメしている、そんな本なのである。
(主語が【私たち若い俳句作家】と複数形なのが若干気に掛かるところではある)

私と佐藤文香の目指す俳句は違うけれど、佐藤文香の活動は、いつも私にとって魅力的であり、刺激的である。
今度の本も、すばらしく魅力的な性格と、ただここちょっと、と言いたいところと、いろいろある。いくつかあげてみよう。

まずいいところ。
  • 熱い
編者・佐藤文香が本書にかける情熱は、前掲の序文でも伝わると思う。
収録作品を「おもしろい」「かっこいい」「かわいい」という独自の3分類にふりわけられた構成とか、公募作家を選んだ選考過程を逐一説明する手際とか、全体にこの本、編者のこだわりが熱い。
  • わかる
「特にいまが旬」な18名は81句、公募を含む36名は39句が収録されており、前者には解説の対談、後者には佐藤による寸評がついている。
俳句を読み慣れていない人はこれを頼りに読み始めることができるし、読み慣れた人にもそれぞれの作家の個性を知る手がかりになる。
巻末につけられた「収録作家分布図」は、収録作家を「軽/重」「ホット/クール」の基準でチャートっぽくふりわけたもので、物故作家の配置とともにおもしろい。
こういうのは厳密性が求められるより、読むときのてがかりとか、俳句仲間と話すときのきっかけくらいになれば上々である。これをサカナに、あれこれ言い合うのは結構楽しい。
  • 若い
平均年齢70代といわれる俳句界のなかで、収録作家の若さは特筆すべきである。
『新撰21』だってかなり若かったが、本書には堀下翔、大塚凱、山岸冬草(1995年生)宮崎莉々香(1996年生)を下限として今泉礼奈(1994年生)、小野あらた(1993年生)と若い作家が目白押し。
今回私自身もまったく知らなかった若い作家に出会い、驚いた。『新撰21』の最年少メンバーだった越智友亮や、これがアンソロジー初参加となる中山奈々、生駒大祐らも、もはや中堅の域である。
  • 復活
個人的な感傷を付け加えるが、『新撰21』収録作家でもあった越智友亮、藤田哲史のふたりが、健在な姿を見せてくれたのは嬉しい。
しばらく俳句から離れた時期もあったふたりだが、幸い短いスパンで帰ってきて、変わらぬ実力を示している。心から寿ぎたい。


こっから、悪いところ。
  • 字が小さい
すでにあちこちで声があがっているが、字がこまかい。
この細かさは、老眼にもつらいだろうが、単純に言ってかなり内容に関心のある人でなければ読みこなそうと思えないだろう。
たくさん句を収録したかったのだ、という気持ちはわかるが、それにしては行間が広い。行間が詰まっていたら、逆に読みやすかったような気もする。
俳句に関心のない層に届けたいという編者の思いがあるだけに、このレイアウトはなんとかならなかったのだろうか。
  • 熱盛
いいところとして編者の熱意をあげたが、いささか熱すぎるところもある。
  • 対談
本書の特徴として、18名の作家については佐藤文香と先輩作家による解説対談(実況)がついており、実況中継風に作品を読み解いている。
「おもしろい」には上田信治氏、「かっこいい」には小川軽舟氏、「かわいい」には山田耕司氏、と、かなり個性的な面々で、これが功罪半ばすると思う。
解説自体は読み物として大変面白いのだが、何しろ3人とも図抜けた批評家ばかりなので、佐藤文香にプラス3人の個性が加わって、いささか情報過多という気になる。
ちなみに、36名の作家に対してつけられた佐藤文香の寸評は、短くまとまっていてとても読みやすかった。それぞれの作家の、いわゆる特徴や長所とは少し違うと感じるところもあったが、佐藤文香自身が見いだしたツボという感じがして、読み応えがある。
「旬」の作家についても作家個々に論じるより、各章まとめて論じるとか、もうすこし薄めたほうがよかったのではないだろうか。

けっきょくぐだぐだと言ってしまったが、相変わらず佐藤文香の仕事は刺激的である。
先日東京で俳句仲間数名に声を掛けて食事をした際、そこに集まった人が全員本書を手にしていた。もちろん何人かは収録作家自身でもあったのだが、何も約束したわけでもないのに申し合わせたように全員が持参していた、ということが、やはり今いちばん俳句仲間とともに「語り合いたい」気分にさせてくれる本だということだ。


さて、そんな佐藤文香の『天の川銀河発電所』の、販促イベントが関西で開催される。
まだ残席があるようだからここで宣伝を手伝っておこう。

佐藤文香×正岡豊

『天の川銀河発電所born after 1968 現代俳句ガイドブック』刊行記念トーク&サイン会

講師/ゲスト 佐藤文香さん 正岡豊さん 
2017年10月07日(土) 18:00~19:30(開場17:30)
会場:梅田 蔦屋書店 4thラウンジ
参加費:1,500円(税込)
定員:80名
主催 梅田 蔦屋書店
共催・協力 左右社 / 毎日新聞出版「俳句αあるふぁ」
申し込み:蔦屋書店


また翌日は、せっかくの来阪にあわせて関西現代俳句協会青年部で勉強会を企画した。
こちらは若手の歌人・岡野大嗣氏をまねき、短詩型の現在について自由に語り合ってもらう予定である。

「佐藤文香(俳人) × 岡野大嗣(歌人)  フリートーク」

■ 日 時
2017年10月8日 (日) 10:30~12:00  (開場10:00)
■ 会 場
らこんて中崎1階(大阪市北区中崎2丁目3-29)
■ 定 員
20 名(要予約)
■ 会 費
500円
■ 申込・問い合わせ
E-Mail : seinenbu@kangempai.jp
■ 主 催
関西現代俳句協会青年部

午前中の開催ということもあって小さな会場を準備をしたのだが、はやくも申し込みが殺到し、残席僅少となっている。参加を希望される方はおはやめにお申し込みください。





2017年9月2日土曜日

つぶやき


これは、まったくの個人的な基準なのだが、作者の美意識とか倫理とかが前面に出ている俳句は、とても苦手である。「○○ありき」で作られている俳句、という気がしてしまうのだ。

「馬酔木」系の作家に対して、読まず嫌いが多いのも、おそらくそのせいだろうと思う。なんとなく代表句・有名句に気後れしてしまって、ほかの句を読もうという気になれないのである。

微妙なのが中村草田男で、暑苦しいなあと思いながら読んでいくと、あの腸詰め俳句と言われる詰め込み具合が、自ら美意識を壊しているというか、あふれ出ている感じは、好きにはなれないが笑ってしまう。
 妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る 草田男
とかね、これはもう、笑うしかない。(妻抱かな、の上五だけで検索できますよこれ)

富澤赤黄男の切実さは、わりと好きだったりする。赤黄男なんて美意識のかたまりで、自分の好きなワードばかりで俳句を作っているような気がするけれど、全体の作品数がそれほど多くないからなのか、身を削っている感じがして、嫌いではない。
 恋人は土竜のやうに濡れてゐる  赤黄男
 切り株はじいんじいんと ひびくなり

このへん、まったくの好みと、先入観。
だから、意外と苦手に思ってる作家でも、腰を据えて読み直したら、好きな句がぽろぽろ出てくる、なんてこともあるかも知れないし、実際そういうこともある。いい加減なものだ。

一方、倫理が全面に出やすい俳句といえば、戦争(反戦)、原爆、震災(災害)、なんかがそうだろうと思う。

社会詠については同様の批判がよくなされるので、あえて付け加えることもない。思想ありき、道徳ありきで作った句は、ゴールが同じところに収斂していく感じが、どうも苦手である。

社会的な情景でも答えを言わない俳句があって、答えは明らかなのだけどあえて読者に投げている、という句は、やっぱり面白い。
 戦争と畳の上の団扇かな 三橋敏雄
 前へススメ前へススミテ還ラザル 池田澄子

メッセージ性の強い俳句は、俳句を使っているだけで結局散文で表明したほうがいいようなものだと思う。フォークソングなんかのなかには、メッセージ性をふくめて名曲とされるものが多いけれど、わざわざ極小詩型のなかで思想を込める必要はないと思う。

山口誓子の面白いところは、メーデー(労働者祭典)とか、クリスマスを詠んでも、明らかにそこに興味がないというか、思想的なものに入り込まずに、目にうつることだけで作り上げるところ。
 メーデーの朱旗奪られじと荒るゝものを 誓子 「黄旗」
 メーデーの道が揺ぐと子は思ふよ
 柊がサラダにありし聖夜餐  「構橋」
 ホテルの聖樹覗きし鈴に玉は無し 「大洋」

『季語別山口誓子全句集』(本阿弥書店)によれば、誓子は『凍港』時代にもクリスマスの句をいくつか作っているが(昇降機聖誕祭のとつくにびとと、わらべらに寝ねどき過ぎぬクリスマス)、「柊が」の句は昭和28年頃に作られたもの。親族の菅沼家でふるまわれたクリスマス晩餐会で作ったものといい、近所の教会で葉書大のカードに書いて配られたこともあるという。
菅沼家は、義弟山彦(波津女の弟)の妻、訓の実家。カトリックの信者であった。

誓子には自分をキリストに擬したような句があるが、
 万緑やわが手のひらに釘の痕もなし 「青女」
 昼寝の中しばしば釘を打ち込まる
信仰心というより強烈な自意識、自尊心のあらわれという感じで、倫理とか美意識とかとは違う気がする。変な句だと思うが、押しつけられている感じはしない。
 雪嶺の大三角を鎌と呼ぶ 「方位」
になると、自分の見立てに酔ってる、自己陶酔の感じがするけれど。

美意識、倫理の枠組みで作られた句は、一般論でいうと枠組みのなかに収まってしまって、もちろんある程度「美しい」し、「意義深い」と思うこともあるが、しかし、結局はそれだけのものだ。
それを素材として扱うことは否定しないが、ストレートに、正面から扱った作品には、あまり興味が持てない。一句ならかろうじて「かっこいい」「おもしろい」ものでも、まとめて読むと息苦しい感じがしてきて、いけない。

難しいのは、BL俳句とか○○俳句といった、一種の「題詠」も、ある程度完成した美意識を前提にした句になってしまう可能性があるということ。
ふるい話だが、かつて田島健一さんがしたBL俳句批判は、ここにつながっていると思う。
苦手、というより、その都度、残念だな、と思う。
震災俳句も、吾子俳句も、BL俳句も、そこに意味が固定する、という点でことごとく残念だ。

これに対して私はかつて、「「BL俳句」のごく一部にしか有効でない」と述べた。

この意見は変えるつもりはないけれど、同時に、私のようにBLに対して思い入れが少なく、バリエーションが少ない人間は、固定された美意識で書いてしまう。田島さんは「意味」という語彙を使っているけれど、要するに俳句を多義的に読むことができなくなる、ということは、とても貧しい世界に思えてくる。

BL俳句の表現が「まだ全然実現されていない可能性がいくらでもあるのではないか」(関悦史の発言『庫内灯』1所収)のかどうか、またそうであるとして今後実現される可能性があるのかどうか、は、私よりもその表現に自覚をもつ作り手たちに委ねられるが、現在のBLジャンルの豊穣を横目に眺めるとき、確かに、思いがけない表現が生まれる可能性が今後ありうると思う。

なんの話だ。

つまり、美意識や倫理を前提とした句は苦手だが、その前提を持ちながら、前提を逸脱したり、くつがえしてしまったりする表現を期待したい、ということ。