最近、紙のお仕事もふくめていくつか文章&作品発表の機会を戴きました。
『俳壇』6月号(35巻7号、2018.06)
「松本てふこ小論 分断を超えて」
「新・若手トップランナー18 松本てふこ」で松本さんからご指名いただき、作家小論を書かせていただきました。冒頭一行を引いておきます。
のっけから大きな話で恐縮だが、今の俳句界に分断というものがあるとしたら、つまり「伝統/前衛」「口語/文語」「大家/若者」のような対立があるのだとしたら、その分断を横断し解消してみせるのは、たとえば松本てふこのような作家ではないか。
「詩客」2018年6月9日号
〇俳句時評
第98回 私たちの俳句 久留 島元
2018年3月の北大路翼&上田信治による対談、4月の現代俳句協会青年部シンポジウムをふまえて、「俳句史」という枠組みのなかで消費され、見えなくなっているものがあるのではないかという問題提起をしています。
週刊俳句586号(2018.07.15)
良くも悪くも話題になってしまった、久留島元丸ごとプロデュース号です。
話題性を狙ったことは事実ですが、予想外の方面で類焼が続き、お騒がせしました。
週刊俳句590号(2018.08.12)
出会いで終わるとは思えない 2018年7月21日(土)関西現代俳句協会青年部勉強会『句集はどこへ行くのか』レポート
7月に行われた関西現代俳句協会青年部勉強会「句集はどこへ行くのか?」参加レポートを樫本由貴さんに書いていただきました。久留島が勉強会の趣意とレポート執筆の経緯などを説明しています。
東京四季出版「俳句四季」9月号(35巻9号、2018.09)
精鋭16句に、「ヒト科」を掲載いただきました。
ときどきはヒト科であるがほぼ鯰
毎日新聞出版『俳句αあるふぁ』2018年秋号(通巻167号、2018.9.14)
「特集・平成の暮れに」で「俳句甲子園のもたらしたもの」を執筆しました。
平成最後の年に関する特集で、小川軽舟氏、関悦史氏、島田牙城氏とならんでいます。それぞれ与題が違うこともありますが、切り口、視点がまったく違うのがおもしろい。同じ平成という時代でもまったく違って見えるのだなあという感慨。
宮坂静生・長谷川櫂・対馬康子3氏の「鼎談 平成と俳句」も大ボリュームで読み応えありますね。
長谷川櫂氏による「人類に空爆のある雑煮かな 関悦史」評、関氏の評論中の『震災歌集』『震災句集』批判との応酬のようになっていて、これはこれでなかなか、実は平成最後の「論争」火種になりうるのではないかと思ったり。