2020年10月24日土曜日

日本学術会議会員任命拒否の問題について(個人の見解です)

 

10月になってから連日報道されている「日本学術会議任命拒否」の問題について、かなりナーバスになって、Twitterのアカウントでもくりかえし言及しています。

 私自身が学術の世界に身を置いているということもありますが、民主主義社会の成員として、また末席ながら俳句という表現に関わる者として、今回の問題には非常に嫌な感じを覚えています。

これは特定の政党、派閥への愛憎によるものとは無関係です。

Twitterアカウントでもたびたび言及し、参考になりそうな意見はRTしていますが、ここで改めて私個人の見解をまとめておきたいと思います。

 

報道のとおり、菅義偉首相は日本学術会議の新会員について、会議が推薦した105名のうち6名を任命しませんでした。

菅首相 学術会議の任命見送り「学問の自由とは全く関係ない」 NHK WEB

新会員の任命手続きは、昭和24年(1949年)の発足以来何度も変更されてきたようですが、現行の推薦制度となった平成16年(2004年)以来、推薦された候補者が拒否されるのは初めてとのことです。

日本学術会議は理由の説明と、6人をふくめた候補者全員の任命を求めていますが、現在まで首相は「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から判断した」と述べるだけで、当事者である学術会議会長との会談においてさえ明確に回答しませんでした
しかも、「推薦リストを見ていない」と発言する(のちに官房長官が「リストを詳しく見ていなかった」とニュアンスを訂正)など、この問題について真摯に向き合ったとは思えない態度が報道されています。

 日本学術会議これまでの経緯 NHKWEB

そもそも日本学術会議とはなにものでしょうか。

日本学術会議は、日本学術会議法に基づいて設置される総理大臣所轄の機関です。「わが国の科学者を代表する機関として、科学研究の連絡を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする」(日本学術会議法第二条)のだそうで、第一条に経費は国庫の負担であること、第三条に職務の独立性が規定されています。(日本学術会議法PDF

その役割について公式HPでは、政府に対する政策提言、国際的な活動、科学者間ネットワークの構築、科学の役割についての世論啓発4点をあげています。
つまり個人的な研究活動ではなく社会への還元や、分野を超えた、あるいは国際的なネットワークの構築を担当する機関です。(一部ジャーナリストによる
別に会員でなくても、学者は自由に研究すればいい」という指摘は、そもそも根本的壊滅的に的外れです)

各分野210名の定員が規定されているほか、約2000名の連携会員がいて分科会があるとか、会員は二期6年間を務めるとか、まあいろいろありますが、規定の推薦制度では「現役会員と連携会員」が優れた研究または業績のある科学者を選考し、内閣総理大臣に推薦することになっており、推薦理由は各候補者の業績で明らかです。

昭和58年(1983年)の政府答弁では、当時の中曽根総理大臣が「政府が行うのは形式的任命にすぎません」と明言しており、従来の法解釈との整合性が問われています。
政府は平成30年(2018)にも任命手続きの見直しを行っていたことを明らかにしましたが、法解釈を変更したことは認めていないようです。

もちろん最終的な任命権が国民の代表である総理大臣にあるならば、拒否の権限がない、とまではいえないでしょう。

※今回任命拒否された6名の共著『学問と政治』(岩波新書)において岡田正則氏は「任命に関する手続を定めている「日本学術会議会員候補者の内閣総理大臣への推薦手続きを定める内閣府令」は、氏名だけを記載した名簿に基づいて総理大臣が任命すべきことを指示している。つまり、総理大臣は会員候補者の所属も性別も研究分野も業績も、そして社会的活動も見てはならない状態で任命行為を行うこととされており、それゆえ拒否の基準をもっていないのである。したがって、総理大臣による任命の拒否は恣意的で違法な行為と評価されることになる」と述べている。この規定がおかしいと思うなら内閣府令を改めるべきであり、その手続を怠って勝手に任命拒否を行った菅政権は、やはり非合法政権というしかない。2022.09.12追記。

しかし異例の拒否理由は、公表どころか、現在に至るまで学術会議側にも伝えられず、別の候補を選考するよう要請もなかったようです。

ここが最大の問題ですが、現在のように、法に規定された「定員に満たない」状態は「違法状態」にあるといえます。
政府が「違法状態」を作りだしたにも関わらず、それを是正する手段を講じないのは、あきらかなルール違反だと思います。

 

これ以外のことは派生する問題ですが、根深い問題でもあります。

 

たとえば拒否された6名はいずれも安保法制や共謀罪で政府方針に異を唱えた経緯があり、そのため拒否されたのではないかとの憶測が、新聞やテレビなどで報道されています。
政府は否定していますが、仮に業績ではなく思想信条や政治的立場によって任命が拒否されたとすれば、重大な憲法違反になるでしょう。

いうまでもなく日本には思想信条の自由があり、たとえ共産党員であろうが、新興カルト教団の信者だろうが、反社会的行為によって取り締まられることはあっても、思想信条によって不利益を被ることはあってはなりません。

望んで就任する会員ばかりではないでしょうが、職務を引き受けるかどうかは当人の判断ですし、業績以外に「総合的、俯瞰的」基準を設けるなら、事前に調整すべきです。

なお学術会議で任命されたなかには、ほかにも政府方針に反対の立場での著述を行っている会員もいるようなので、一概に思想的弾圧だと騒ぐのは早計です。

政府は、「日本学術会議」の組織のありかたについて検討をはじめ、与党でもプロジェクトチームが設置されました。

そんななか、連日テレビコメンテーターやタレント、さらに政府・与党の政治家までもが各種メディアで真偽定かでない(というより明らかに情報の偏った)情報を多数発信しています。 

2020年菅政権の日本学術会議会員任命拒否に関連して噴出した誤情報 発声練習 2020-10-15

 政府が理由を開示しないまま、(政府与党の政治家が積極的に関与して)世論を誘導し、日本学術会議へのネガティブキャンペーンが行われているとしか思えません。

もちろん、日本学術会議の活動こそ特定の思想に偏っているのではないか、恣意的に会員を選考しているのではないか、という疑問もあります。
日本学術会議が過去に行った声明や提言には「学問の自由」の観点から疑義を呈されているものもあるようです。

そのほか、予算もなく雑務ばかりだとか、活動実態のない学者貴族の名誉職、政府に批判的な老人たちのガス抜きだとか批判も根強く、調べれば調べるほど、確かに改革の必要性はありそうだと思えてきます。
改革は、大いにすればいい。むしろなくなったほうが、すっきりするかもしれない。

しかし政府が日本学術会議という組織に問題意識を持っていたのであれば、そもそも105名全員を拒否し、活動について検討すべきであり(事実これまでも改善に向け有識者会議が行われてきた)、日本学術会議法改正を議論すべきはないでしょうか。

声明や実績の敵を人事で討つ、そんな行為が許されるのでしょうか。

一部の新会員(なぜか人文学に集中)だけが拒否され、抗議を始めたとたん、拒否の理由はわからないままなし崩し的に組織そのものが変えられてしまう。それでは結局のところ官邸、ないし首相の恣意的判断を「忖度」申しあげ、意向どおり活動するしかなくなってしまう。
そうなれば組織の独立性も脅かされ、紛れもなく「学問の自由」の危機につながります。

誰が、いつ、どんな理由で6名を除外したのか、手続きに問題はないのかという説明(ないし検証)が、改めて必要です。

 

正直なところ、私も今回の問題に接するまで日本学術会議の実態は知りませんでした。今もその意義や活動実績を詳しく把握しているわけではありません。
学術会議は各分野からの選考なので私の身近な分野の会員数は少なく、今回問題になっている分野の専門家の適性を判断する力さえ、私にはありません。(加藤氏の著作くらい読んだことはありますが)

しかし言うまでもなく私たちの社会は、陰に陽に学術の発展による恩恵をうけています。
今後、学問の多様性を国が保障しない、できないとするならば、表現もまた、無関係ではありえません

「表現の自由」がいかにもろく、国家によってないがしろにされてきたかという苦い歴史を、我々は知っています。「あやまちはくりかえし」てはなりません。

 私は、今回の政府による日本学術会議会員任命拒否に疑問を持ち、その理由が正しく開示されることを望みます。


〈追記〉ついに恐れていたことが明らかになりつつあります。11月8日の報道によれば、「複数の政府関係者」が「政府方針への反対運動を先導する事態を懸念し、任命を見送る判断」をしたことを認めたというのです。(共同通信11/8(日)6:00配信

まだ公式に政府が認めたり証拠書類が出たりしたわけではないので慎重に見極めたいと思いますが、なんだかんだと言い訳を続けた背景が結局「政府方針に反対する者を排除する」という判断だったとすれば、個人の政治思想信条によって学問的業績を否定する、当初指摘されたとおり学問の自由、表現の自由を脅かす判断だったことになります。
本件が、当初から警戒されていたとおり滝川事件の再来となるのか、それとも学問の独立性に関する健全な議論の呼び水となるのか、改めて注視したいと思います。〈11/8追記〉


曾呂利亭亭主・久留島元

 

参考資料 

日本学術会議第25期会員名簿(PDF

日本学術会議会員のなかには渡部泰明氏(和歌文学)、若尾政希氏(近世思想史)などの名前があり、協力学術団体には中世文学会、日本近代文学会、日本近世文学会、俳文学会も名を連ねている。もちろん、知っている人がいないから関係ない、という問題ではない。

日本学術会議のこと たぬきのひるね2020/10/02
日本学術会議会員、美学会会長の吉岡洋氏のHP

日本学術会議会員の任命拒否について私の考えるところ 松沢裕作の補遺と弁明

日本学術会議問題に是枝監督ら映画人怒りの抗議声明 2020年10月5日 日刊スポーツ 

日本学術会議、いっそ改組されたら? JBpress 10/06

学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか? WirelessWire News

誤解だらけの日本学術会議 榎木英介のサイエンス&メディカルニュースウォッチ 10/10(土)10:35

学術会議問題「明らかな違法」 任命拒否された教授ら会見 2020年10月23日19時07分

法律家6団体「菅内閣総理大臣による日本学術会議の会員候補者の任命拒否に強く抗議し、日本学術会議法に則って会員候補者全員の任命を求める声明」

日本学術会議会員任命拒否に関する見解 近世文学会常任委員会 20201016

声明「「日本学術会議」に対する政治介入に抗議し、会員任命拒否の撤回を求めます。」 日本近代文学会理事会、昭和文学会常任幹事会、日本社会文学会理事会、日本文学協会運営委員会 10/25追記

菅首相 日本学術会議「会員一部大学に偏り 多様性の確保必要」2020年10月27日 NHK WEB 10/27追記
「総合的・俯瞰的」立場から「多様性」を求める、というのはわかるが(東大京大に偏りがちなのは明らか)、それは全体的な基準であって個人の選考基準じゃないだろう。定年による入れ替えで会員を選考することはわかっているのだから、事前に通達するか、今後考えるように、というあたりが妥当。紙に残さない、口頭で圧力をかける、得意の「忖度」文化。
それにしても、推薦・選考を行わなければいけない日本学術会議側にさえ「説明できないこと」がある、というのはどういうことなのか。

日本学術会議の新会員任命拒否に反対する声明 日本歌人クラブ 現代歌人協会 10/27追記
短歌は、動いたようです。俳句の動きが鈍いのは、いつも通りという感じですが、暗い気持ちになります。

学術会議問題で躓く菅内閣、根底には「言葉の貧困」 JBpress 11/8追記
舛添要一氏の記事。特に新しい情報はありませんが、学術会議改革をやりたいにしても戦略ミスで不正確な情報が目立つと批判しています。同じJBpressには「首相の心中を忖度する」論も見受けられますが、説明できない心中を忖度申しあげねばならぬような事態こそ、公文書や記録に残らない閉鎖的で既得権益の横行する腐敗政治だと危惧せざるをえません。

学術会議任命見送り 人文・社会科学系学会220余が共同声明 NHK WEB 11/6 11/8追記

日本学術会議第 25 期推薦会員任命拒否に関する 人文・社会科学系学協会共同声明(pdf)11/8追記

菅首相はどこで何を間違ったのか……学術会議問題“失敗の本質”(文春オンライン) 2020/11/27  12/15追記

西日本新聞 社説・コラム 【日本学術会議問題】平野啓一郎さん 2020/11/30 11:00 12/15追記
日本学術会議は政府から独立を、自民党PTが提言 大学ジャーナルONLINE 2020/12/14 12/15追記 

自民党プロジェクトチームによる【日本学術会議の改革に向けた提言】(PDF)あり。
独立した法人格とすることにより「政府の内部組織として存在しているにも関わらず、政府から独立した存在であろうとすることで生じている矛盾が解消する」と他人事のように言ってますけどそもそも今の日本学術会議法を定めたのはいったいどこのどなたなんですかね。
そもそも独立していると明記されている法文を無視して「内部組織なのに介入できない!」って駄々をこねているのが現政権ではないのか、と。
いろいろと【改革案】が述べられていますが、現在、どこにどんな問題がどのように生じているか、という指摘はせずに「骨太の助言を期待する」「アカデミアの政治的リテラシーの向上」など丸投げ表現が踊り、これだけ見ても何が問題なのかはさっぱり理解不能ですが、とりあえず「人文・社会科学」研究者を目の敵にして発言力を小さくしたい、という意志だけは伝わってきました。

【独自】「首相の違法行為」学術会議任命拒否に抗議し辞任 東大名誉教授が文化庁の会議座長を:東京新聞 TOKYO Web 2020/12/15  12/15追記

池内恵 時代錯誤のレッドパージと学者集団の大いなる矛盾(中央公論)2021/01/19配信 21/2/1追記

日本学術会議の一部に、歴とした国の機関に属しながら時代錯誤のマルクス主義や、一面的な反軍思想を掲げる主張や活動があり、古色蒼然たる「不平士族」の対応策のために政権の対応も時代錯誤の「レッドパージ」になってしまっている、と指摘する。

抜粋記事で全文ではないが、ネットで読める範囲では、学術会議の抱える問題はあるが、法で定められた国家機関に対して、改革案も代替案も出さず、「人事を用いて締め上げる」陰湿な為政者としてのイメージを与える失策だと、ごく当然の批判を行っている。

日本学術会議幹事会声明「日本学術会議会員任命問題の解決を求めます」令和3年1月28日日本学術会議幹事会資料(PDF) 21/2/1追記

任命拒否巡る文書、内閣府が不開示決定 共同通信6月28日 21/8/21追記

学術会議任命拒否 候補6人と弁護士ら、理由不開示に不服申し立て 毎日新聞2021年8月20日 21/8/21追記

学術会議「任命拒否」の理由不開示に不服、学者らが審査請求 弁護士ドットコムニュース 2021/08/20 21/8/21追記

1年近く経って話題になることが少なくなりましたが、改めて問題を整理すると恐ろしくシンプルです。

《問題》日本学術会議法に基づいて設置された日本学術会議において、平成16年以来定められた推薦制度に基づいて推薦された105名の会員のうち6名のみが、内閣の任命を拒否され、理由も開示されていない。

《ありがちな意見へのコメント》

  • 内閣に人事権がある → 昭和58年の政府答弁(形式的任命)に矛盾。
  • 人事理由を開示すべきでない → 推薦すべき学術会議側にも説明されておらず、代替案提出すらできない。「任命拒否」への抗議ではなく「理由不開示」への抗議である。
  • 推薦理由の説明が先 → 内閣に提示済み。各人の業績はオープンにされている。
  • そもそも組織に問題がある → 6名だけが拒否される理由になっていない。
  • そもそも組織に問題がある → 法改正議論して組織改革しろ、話はそれからだ。
  • 外国では学術会議は独立機関で → 法改正議論して組織改革しろ、話はそれかry
  • 税金が投入されるなら国民の理解を → 法改正議論して組織改革しろ、話はそry
  • 反日学者の集団だ → 憲法で保障された思想信条、学問の自由に基づき、不利益を被ることはあってはならない。組織の問題は法改正ry
  • 勝手に研究すればいい → 学術会議活動と個人の研究活動は別なので話にならない。

《政府与党メンバーが主導したデマ》

  • 下村博文氏「政府に対する答申は2007年以降出されていない」
    →政府が諮問を行っていないため「諮問に対する答申」は提出されていないが、提言、報告を多数行っている。
  • 甘利明氏「日本学術会議が中国の軍事研究「仙人計画」に積極的に参加している」
    →国際的な学術交流は行っているが軍事研究に参加した事実はなく、甘利氏は当該ブログ記事をこっそり「間接的に協力しているように映ります」と修正。2020.10.12

以上2021/8/21追記。


今回の問題以前に日本学術会議の声明や活動について批判している記事

 「学術会議声明批判」戸谷友則『天文月報』112-1_47 2019.01

自衛官と大学の関係について雑感 舞鶴鎮守府別館からの雑感 2017-02-17


2020年10月13日火曜日

【転載】京都新聞 2020.09.07 季節のエッセー(15)

「変わり目」 

食事時、使っている器が壊れそうになっていることに気づいた。

前から少しひびが入ってはいたが、いよいよ寿命のようだ。

我が家ではもっぱらシチューや煮物を入れるのに使っている深めの器、本当はカフェオレボウルといって、フランスではカフェオレを入れて飲むらしい。

休日に雑貨屋に寄ればいいだろうと思っていたら、妻が信楽まで足を伸ばそうと言う。それなら、と出かけることにした。

車を運転するのは妻である。

信楽では、三月まで放送されていた朝の連続テレビ小説「スカーレット」関連で観光協会主催の展示やモデルとなった女性陶芸家の作品展をやっていて、実はそれも見に行けたらと話していたのだった。

滋賀県が舞台だったこともあるが、放映中、あのドラマに我が家はすっかりハマってしまっていた。

何度失敗しても止められても穴窯に挑み続ける主人公や、お互いの才能を意識し、擦れ違いながらも新しい関係を築こうとする家族の姿は、途中コミカルな掛け合いを交えつつ、淡々として荘厳な印象さえ受けた。

創作、表現に少しでも関わっている人にとって、特に胸に迫る内容だったのではないか。

梅雨明け前の信楽でも、最高気温は三十度を超えていた。

会場入り口で手指の消毒や記名をうながされる。いまやおなじみの風景。

展示の内容はドラマで使われた昭和の舞台セットや小道具。マスクをつけた子どもたちが歓声をあげ、ドラマの登場人物の名前を呼んでいた。わかりやすい内容ではなかったと思うのだけど、よほど好きだったのだろうか。

私の小学生時代は、トレンディドラマの全盛期。熱心な視聴者ではなかったが、今「スカーレット」を見て成長していく子どもたちとは、社会を見る目はきっと違うだろう。

ニュースでもよく取り上げられる信楽駅前の大狸像は、マスクと法被で夏の装いだった。

カフェオレボウルは見当たらなかったが、駅隣接のお店でマグカップをひとつ買った。一品ずつ手作りの作品を仕入れているという。駅のお土産屋さんにしてこのクオリティー。

暑いのに来てくれたから、と箱詰めの料金をおまけしてもらったうえ、うまく包めなかったと言って紙袋までもらってしまった。そういえばレジ袋も有料になったのだった。

きっかけは様々だが、時代はいつも変化している。変わり目の、夏の思い出。(俳人)