「春の夢」
やらかした。
と思う、ような夢をみることがある。
そこはどうやらホテルのようだった。
家族が集まって、ちょっと高級な食事をするつもりらしく、祖父母や、親戚が集まっている気配を感じていた。
ひとつ上の階へ行くため、みんなはエスカレーターに乗ったのに、私は一人で大きな階段に向かい、なぜか階段の手すりより外側に足をかけて上がりだした。
もちろん三十半ばを過ぎてそんなことをするわけがない。
ああ、これは幼いころの夢だ。
おどけたことをしたかったのか、どんどん登っていって、気付いたら、前に柱があって進めなくなっていた。まずい。高くて飛び降りることもできないし、ああ、やらかした、どうしよう。調子に乗るから失敗したんだ、やらなきゃよかった。後悔しながら、ふと、
(でも夢だから、あきらめてもいいか)
と思った。
そこで私は階段から足を踏み外し、ゆっくり下へ
そこで目が覚めた。
落下の奇妙な浮遊感と不快感が残っていた。妙にものわかりのよく、しかも後味の悪い夢だった。
先日、あるところで夢に関する取材を受けた。
質問は、昔の人々は夢をどうとらえていたかというもので、夢で神仏に出会う話や、バクがいつから悪夢を食べると信じられているのか、という解説をした。
そのついでに、自分の夢についても考えてみたが、あまり記憶にない。夢のなかで夢だとわかっていて、起きてすぐ内容のばかばかしさに忘れてしまうことがほとんどだが、どうも幼いころ住んでいたマンションを舞台にした夢をみることが多いように思う。
その家からは高校生になって引っ越したのだが、なぜか大人になっても同じ家にいて、大学時代の先輩と話をしていたり、友人と口論になったりして目が覚めるのだ。
現在の科学で夢は、記憶を整理、定着させるプロセスだと説明される。だから時系列が乱れるのは大変わかりやすい。いつも舞台が一緒だということは、あの家が私の原風景ということになるのかもしれない。
せわしない新年度になって、また失敗の夢を見そうだ。
不安な思いは夢の中だけにしたいが、今回のエッセーは、締め切りを大幅に遅れてしまって、ついに夢に見たことを白状しておく。
関連リンク
読売KODOMO新聞 【俺はググらない】どうして人は夢を見るのか 久留島元さん「昔の人は夢を買ったり盗んだりした…?」
優夢氏、その節はありがとうございました。