「鬼を払う」
なやろう~なやろう~
赤い唐様の着物、足もとは高下駄。左右の手にはレプリカの盾と矛。巨大な仮面をつけて、奇妙な呪文を叫びながら、ゆっくりと歩き続ける。
十数年前、三重県で体験した、「追儺のまつり」だ。
平安時代に宮中で行われていた大晦日の行事を再現したもので、方相氏という四つ目の怪人が矛と盾を打ち鳴らし、侲子とよばれる子どもたちを引き連れて、目に見えない鬼を払う。節分の原型といわれる祭りである。
私はその年、斎宮歴史博物館の募集した方相氏役に応募し、抽選で選ばれた。そして冒頭の格好で、鬼を払う役をつとめたのだ。
年も押し迫った寒空のもと、慣れない高下駄を引きずりながら叫んでいると、後ろのほうから聞き知った声がきこえる。一緒に参加することになった先輩や友人たちだ。
無役の彼らは後ろからついて歩きながら、方相氏の声に唱和する。
ところが、なんだか関係のない言葉がまじっている。
なめろう?
なやもう?
なやごろう?
最後のは銭形警部役で有名な声優さんじゃないか。ふざけすぎだろう。ひどい。
なやろう〜。なやろう〜。
ところがだんだん、後ろの声にひかれて、自分でも何を言っているのか分からなくなる。
なやおろ~(違う)、なやろろ~?
ついには「なあおお」と意味の分からない声を上げたまま、祭を終えた。
先輩たちがにやにや笑いながら、お疲れさまと声をかけてくれる。疲れたのは半分あんたらのせいだと思いながら、係の方に謝る。ちゃんとできなくてすみません。
あとから気づいたのだが「なやろう」は「儺やろう」で、鬼を遣るという意味だった。平安神宮で行われている追儺式では「鬼やろう」と掛け声を上げているそうだ。
それが分かっていれば混乱することはなかった。疲れと無知でいい加減な呪文を叫んでしまったのである。あの年、三重県に病気が流行っていたら、その責任は鬼を払えなかった私の責任かもしれない。
なにはともあれ、鬼を払ったらそのあとは福徳がやってくるのを祈るばかり。やってくるのは宝船に乗った七福神か、笠をかぶったお地蔵さまか、それとも今なら赤い服を着たおじいさんだろうか。