兵庫県赤穂市は言うまでもなく赤穂義士の事蹟で著名だが、その赤穂義士の「義憤公憤」にあやかって、毎年、身近な”怒り”の川柳コンクールを募集している。
2012年度の大賞に選ばれた一句は、
美しい国に瓦礫があるばかり
だという。なお2011年度は、以前当blogでも紹介したとおり
想定外そんな言葉ですまされぬ
というものであった。
2011年度の作品が、新聞記事の一文かコラムニストの一言をそのまま切り抜いて拝借しただけに見える稚拙さであるのに対して、2012年度の作品は、「瓦礫」という厳然たる具象によって苛立ちをあらわしつつ、「美しい国」をかけ声にしていた某首相の再登板をも論い、かろうじて「文芸」の名に値しよう。
ちなみに選者は「赤穂商工会議所赤穂「怒り」の川柳コンクール実行委員会」とあるだけで、固有名詞は不明である。
何故あえてこのようなコンクールを取り上げたのか、といえば、ひとつは「川柳」というジャンルの、ある現実を考えようと思ったのであり、
もうひとつの理由は、この程度のことであっても、一年たてば、それなりに現実から離れた「文芸」が立ち上がるのだ、と、複雑な思いに駆られたからである。
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東日本大震災という災害の大きさと、それに伴う福島第一原子力発電所爆発、向後数十年はかかるであろうという除染から廃炉への道筋を思えば、これからも、東北の現実をふまえた作品が作られるであろうことは至極当然で、むしろ作るべき、との声もあろう。
問題は、作品が作られることではなく、作られた作品が何を生み、何を生まないか、ということに過ぎず、また、その作品を発表するかしないか、発表するに際して「震災」あるいは「原発」を看板に掛けるのかどうか、であった。
だが同時に、かの震災を絶対視して、何か「変わらなければならぬ」と他人を強要し、ある種の倫理観を強請するかのような、そのような声に従う必要はあるまい。
ある記事によれば、記録に残っている我が国の災害のなかでもっとも多くの犠牲者を出したものは関東大震災で、10万5000人。明治三陸沖地震の犠牲者は2万2000人で、東日本大震災は2万629人という(2011年7月29日時点)。
「変わらねばならぬ」というならば、もとより「俳句」は変化し続けなくてはいけない詩型なのであり、変化し続けなくてはならぬという意味において、「東日本大震災」や「原発」が、(大きなものではあっても絶対の)事由にはならないはずだ。
「天災は忘れたころにやって来る」は、寺田寅彦の言葉をもとに造られた警句とされる。
原拠とされる「天災と国防」も
よく知られており、度々参看されているが、昭和36年に書かれたとは思えぬほど
改めて鋭く「現在」を穿っている。
天災の起こった時に始めて大急ぎでそうした愛国心を発揮するのも結構であるが、昆虫や鳥獣でない二十世紀の科学的文明国民の愛国心の発露にはもう少しちがった、もう少し合理的な様式があってしかるべきではないかと思う次第である。
寅彦もまた”時代の子”であり、私は「愛国心」の語には相容れない温度差を感じざるを得ない。しかし「天災」(拙文においては「戦災」も含む)に際して急造した「愛国心」に距離をおく考え方は、この度濫造された様々なスローガンに対しても有効であろう。
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このたびの震災・原発事故に際して、むしろ私がショックだったのは、季語をめぐる「俳人」たちのうろたえぶりであった。
私にとって季語とは「ことば」にすぎず、むろん現実の季節感に基づく物であったとしても、そのものであろうはずはなく、和歌や漢詩を経て極端に概念化された「美意識」の集積であり、多分に虚構に属するものであった。
したがって「季語」とは、「定型音律」とともに、当たり前の日常から逸脱した非日常を楽しむ装置として機能し、ゆえに「詩語」たりえたのである。
しかし多くの俳人達にとってはそうではなかった、らしい。
川上(弘美) 五月(注、2011年5月)に、俳人と詩人そして小説家で話す機会があったんですけど、その時に俳人の方が「自然は優しいもの、自分に沿ってくれるもの」と信じていたのに裏切られてショックだと。聞いた当座は、ナイーブな自然観だなあと思ったんですが、よく考えてみると私だってふだんは「豊かで美しくいつくしみ深い自然」という面をつい拡大して考えている。
「読むところから俳句ははじまる」『ユリイカ 現代俳句の新しい波』2011年10月
これは私にとっては衝撃であり、あらためて「季語」について考えさせられる機会になった、という意味ではごくありふれたことではあるのだが、たとえば高浜虚子が俳句を「花鳥諷詠」「極楽の文学」と唱えて、関東大震災の俳句を詠むことを避けたこと、などを改めて考えてみたいと思うようになったのである。
私はかつて極楽の文学、地獄の文学ということをいった。そして俳句は地獄の文学でなくって極楽の文学であるということをいった。これを今少し精しくいってみようならば、極楽の文学というのは地獄を背景に持った文学である。
高浜虚子「地獄の裏づけ」『俳句への道』(岩波文庫)
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二村(典子) 私は川柳の会にも出ているのですが、違いをどうこう言いたいわけではないのですが、季語に対する態度が俳句と川柳では違うなと思います。例えば、読みですと「桜」と出てくると、俳人は、真っ先に思い浮かべるのは現実の目の前の桜です。西瓜とか狐とか何を言われても真っ先に目の前のそのもの自体を思いかべるのですが、川柳だといきなり比喩にたどりつくという読み方をする人も多いのです。そうしますと、言葉というのはすぐ手垢がつくものですから、すぐ現実の物にたどり着いてくれると手垢がつきくくて、まことによいことだなと思っていたのです。・・・
坪内(稔典) 俳人って、具体的にどういう俳人をさしているのかが問題ですね。つまり季語って手垢をつけることだと思うのですよ、言葉に。つまり現実の桜と季語の桜は違いますよね、明らかに。現実の桜があって、季語の桜というのはこういうものですよと皆で約束したわけじゃないですか。
二村(典子) でも、第一印象はあくまでもやはり現実だと思うのです。
「『季語きらり100』座談会 歳時記を編む」『船団』96号、2013年3月
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原発事故によって自然が汚染されてしまったことについては、「季語」とか「俳人」という以前に、人として憂うべき事態と考えます。季語とは言葉であって自然そのものではありませんが、季語をとおして自然への認識が深まるということはあるかも知れません。