2014年3月31日月曜日

坪内稔典古稀の会


先日(2014323日)、京都グランディアホテルで「ネンテンさんと3070100の会」が開催された。

これは、坪内稔典氏が70才になる年に、「船団の会」創設30年、雑誌『船団』100号、という節目が重なることを祝うものだった。
そして、当日の参加者も、船団会員が約100名、外部招待客が約100名の200名。なんともきりのいい、華やかな会となったのだった。

この会は、「船団の会」の岡さんと、塩見先生とが企画・立案して、開催にこぎつけたもの。お二人との関係からしてお前も関わったのかと思われそうだが、私は何も聞かずに当日行って、会場では受付の手伝いをしたり、クラッカーを鳴らしたりしただけで、あとは食って飲んでしていたので、ほぼ無役であった

塩見先生曰く「結婚式の披露宴イメージ」というパーティは、大広間の立食パーティに人が入り乱れるなか、金屏風を前にした坪内先生夫妻がデンと構え、吉藤美也子氏(FM宝塚アナウンサー)による、さすがの司会捌きで粛然と進行されていった。

そして、当日の見所は、やはり塩見先生の偏執、いな、編集のビデオ。
パワーポイントを駆使し、過去から現在へ至る写真や、ネンテン先生の原点を探る故郷、母校をめぐったり、弟さんからのメッセージを撮影したりしたビデオレター、船団の各地区句会からのメッセージなど、盛り沢山の内容。
ほんと、あの先生学校の仕事大丈夫なんだろうか。。。と、いささか恩師の職場事情を心配してしまったほど、気合いの入ったビデオではあった。
(ネンテン先生の故郷めぐりについては、こちらをどうぞ)

興味深かったのは、主催側の「船団」会員を除けば、あまり俳句実作者が招待されていなかったことである。特に関係の深い、宇多喜代子氏、茨木和生氏を除くと、豊田都峰氏、小池康生氏、杉田菜穂氏といったあたりか。
そのかわりというか、坪内先生と仕事をしている、出版社・新聞社の担当さんたちが多く参加されていた。
俳句作家としての上下関係(=「俳壇」)よりも、句会を実際ともにする仲間(結社)と、俳句をとりまく社会(裏方)が優先、というのが「坪内稔典の現在」ということになるのだろうか。

かつて、「三月の甘納豆のうふふふ」発表をうけて林桂氏は「坪内稔典の現在から遠望する」という文章を発表した(『未定』14、1982年4月、のち『船長の行方』書肆麒麟、1988年。所収)
そこでは坪内氏の「現在」が一見「今まで」に過ぎるとしか見えない、と評されたことに関する危機意識が述べられつつ、当時の坪内氏が山本健吉や吉本隆明に引きずられる形で言語空間における主体の確立を欠落させてしまったのではないか、と批判する。

そこから遠く30年が過ぎた。
坪内氏にとっての「現在」は、いったいどんな地平が見えているのだろうか。
それは、おそらく1980年代前後、高柳重信の死後から、あまり変わらず、「俳句の過渡性」の、むしろ非言語的な部分への着目が増していっているのではないだろうか。


ちなみに、『Ku+』「いい俳句とは何か」アンケートにおける坪内稔典氏の回答を引く。
「俳句とはどんな詩か」を問い続けるとき、「いい俳句」が生まれる可能性がある、と考えています。この場合の「いい俳句」とは今までになかった俳句です。きわめて独断的に生まれますが、それが波紋のように広がって独断を超えます。・・・・・・「いい句」は何年もかけて育つのです。もちろん、作者も問い続けていなくてはなりません。日本語の表現史の先端に露の玉のように生じる俳句、それは何か、を。この問いを手放したとき、「いい俳句」から見放されます。


今日、「笑っていいとも!」が32年の幕を閉じた。
そこで、爆笑問題の田中裕二が、「タモリさんの照れ笑い」が好きだ、と言っていた。「32年間やってるのに、なんで慣れないんだろう。なんでまだ照れるんだろう。そんな人だから32年間続けられたのだろう」と。

本人を知っている人なら分かると思うが、坪内先生もまた、おそろしくシャイである。
シャイで、照れ笑いしながら、しかしぽろっと鋭いこと、聞き逃せないような評語を言いこぼす。

思うに、「表現の先端に立」っている、その自負は、あの「照れ笑い」に潜んでいるのではないだろうか。

2014年3月24日月曜日

外山一機は麒麟村の夢を見るか


私も「へうたんの国は、ありません」という一文を寄せさせてもらった。

せいぜい一ヶ月程度、麒麟さんと親しい数名が執筆するのだろうと思って気軽に引き受けたのだが、27日の56号から開始された同企画は、3月末の現在をもっていまだ終わる様子がなく、二人ずつ毎週『鶉』を絶賛する、という、なんとも贅沢な状況が続いている。
とはいえ、何を書いてもすべて筑紫磐井氏のツンデレに回収されてしまいそうな思いで苦笑していたところ、先ごろ行われた芝不器男新人賞選考会において、西村麒麟氏が大石悦子奨励賞を受賞した、という報が飛び込んできた。

まったく、2014年は西村麒麟の年、ということになりそうである。
ここ数年、東京へ行くときには麒麟さんに連絡をとり、ともに酒杯を傾けながら愚痴を託つのを習いとしていたのだが、今度は祝杯を挙げに行かねばならぬ。


さて、拙文では西村麒麟を次のように評した。
ともかく麒麟氏の作品は、あくまで作者によって仮構された桃源郷であるところに眼目がある。野暮を承知で私見を申しあげれば、俳句という小さな詩型によって擬制される世界の虚構性に自覚的であるという点で、麒麟氏は当代屈指の存在です。
あえて言うまでもなく、麒麟俳句における「へうたんの国」は、徹頭徹尾、仮構された世界である。

へうたんの中に見事な山河あり  西村麒麟
飛び跳ねて鹿の国へと帰りけり

ところで、知っているひとはよく知っているが、西村麒麟と同年生まれの作家に、外山一機がいる。
 
  平成四年歌会始御製歌
  白樺の堅きつぼみのそよ風に揺るるを見つつ新年思ふ
  白(しら)(かは)の方()

  狐(きつ)の身()
  一(ひと)(かせ)ぎ   外山一機


 すっぽんぽんでかわいそうなもの、3号機とあたし。 巻民代

巻民代は外山一機の「別称」で、句集『御遊戯』(電子書籍、2013の「作者」。

作風において両者は一見、著しい違いを感じさせる。
また、おそらく西村麒麟は共通点を強く否定するであろうが、私見では「俳句という小さな詩型によって擬製される世界の虚構性に自覚的」な作家として、両者は双璧といっていい。
その俳句形式のもつ「擬製」する力への自覚の通底をもって、私は彼らの「同世代評」を書きたい、と思っている。
それは、前後の作家に顕著に見られる「パフォーマンス性」と、無縁ではないからだ。

ただ、西村麒麟があくまで肯定的に俳句型式に身を委ねているのに対し、外山は手を変え品を変え、時に偽悪的に、時に自らチキンレースに挑むような切迫感とともに、形式の意味を問い続けている。

外山一機が、俳句形式への鋭い洞察を加えながら、俳句形式が必然のようにもたらす「月並」とも「菊弄り」ともつかぬ「平野のアポリア」に対し並々ならぬ関心を払っていることは周知のとおり。

外山は、俳句形式によってほとんど自動書記的に作られる「俳句」なるものの自立について、考証と実践を通し追究している。彼がしばしば厳しい口調になるのは、形式の力に拠りながら、形式の力に無自覚であるかのような「俳人」の在り方である。
そのような眼にあって、たとえば「俳句の国」の住人であるかのごとき西村麒麟は、どのように映るのか。


Ku+』1号(2014.03)、第1特集「いい俳句」アンケート回答より。
外山一機「意識的であれ無意識的であれ、俳句形式の居心地の良さを自覚しながら、そして以後ことがよいということがいかなる事態であるのかを自覚しながら、それでも自分の作品を「俳句」と呼ぶことを是とする自分の精神に準じようとして書かれたような俳句。また、その句を前にしたときに、自分があるいは俳句形式によって書かされてしまった(読まされてしまった)のではないかという周知と喜びを感じるような俳句。」


2014年3月6日木曜日

びーえるとかもえとか


ちかごろ「BL俳句」というものに手を出し始めた。
私にとっての「BL俳句」への関心は、次のふたりのツイートに要約される。

 1月29日 
「共有結晶」二号。岩川ありささんが、BL短歌、と、BL読みできる短歌、を、同じカテゴリー内の別概念として考えているのは卓見だと思う。BLを支持はしても萌える人ではない私が、BL短歌をめぐる状況に強く惹かれるのは、岩川さんの言う、読みのモード、の部分に反応しているということだろう。

私見ではこれに加えて、作品が本来もつコンテキストから逸脱してしまう力を重視する。

このベクトルが、二次創作同人誌を作ったり、妄想カップリングを行ったりする原動力としての性格をもつことになる。

実のところ、私自身は「BL」に限らず「萌え」文化自体にあまり興味がなく、その意味で現在主流の「オタク」文化とかなり心理的径庭を感じている。その理由を考えたとき、行き当たったのが上の「萌え」の定義である。

つまり、私はアニメや漫画などの「作品」自体への関心は強いのだが、それは「作品」内外の情報を過剰に摂取したい、という欲求である。従って作品個々のコンテキストを重視し、コンテキストを離れたキャラクターないし属性に対する執着は薄い。

これに対し、「萌え」はあくまで鑑賞者本位の感情である。
東浩紀『動物化するポストモダン』などはさらに、「萌え」を「物語の断片」に対する「動物的反応」とまで述べ、「萌え」キャラクターの多くがオリジナルを持たない「萌え」要素の組み合わせにすぎない、という。
もちろんこれは少し前の議論だし、そうは言っても「サンプリングしていても固有性は残る」という大塚英志の発言とか、いまいち萌えない娘問題とか、考えなくてはいけないことは多いのだけど、それはいまは措く。



「BL俳句」運動の中心にいる石原ユキオさんが「短絡的に「男同士の性愛を描いたものはBLである」と考えるひと」に対して書いている文章を引く。

Wikipediaのボーイズラブの項にはこのように書いてある。 
 ボーイズラブ(和製英語)とは、日本における男性(少年)同士の同性愛を題材とした小説や漫画などのジャンルのこと。書き手も読み手も主として異性愛女性によって担われている。
つまり細かいことをバッサリ切り落として単純に言えば「女性向けに男性同士の性愛を描いたものがBL」ということになる
男同士の性愛を描く創作物のジャンルはBLだけではない。
(…中略)
そう。「わたしにとっては」を入れるならばなんでもBLになり得る。
男同士の性愛を描いたものはBLである。
うん、マル!
古典文学も鉛筆と消しゴムもゲイ漫画もわたしにとってはBL! 


これは、上の私的定義、鑑賞者本位に立った「萌え」とか、作品のコンテキストを逸脱するベクトルとか、そういう方向ときわめて重なる発言だと思う。

一方で私が興味深いのは、それが「俳句」という、極めて小さな、一般に言えばコンテキストという概念を導入することさえ難しい短詩型において発露された、ということなのである。

小説や漫画のような、ある程度の長さをもった「作品」に対して、私は作品のコンテキストから逸脱して「読む」ことを好まない。
しかし、「俳句」という極めて小さな詩型から「BL」の物語を立ち上げることが可能な「読者」の存在はとても心強い。
だから「BL読み」は、直接的な性愛をよみこんだ句に対象が限定されてはおもしろくないし、一句の読みが「異性愛読み」と「BL読み」、さらに「ゲイ読み」など複数の可能性と併存することにおいて、真価を発揮すると思う。