堀田季何さんの、『俳句ミーツ短歌』笠間書院、2023を読んでいる。
主宰誌『楽園』の連載をもとに再編成された本で、平易な口語体ながら季何さんの俳句・短歌論が縦横に披露され、世界の詩歌に基準とする著者の深い見識に触れることのできる本である。
やはり最も興味深いのは、世界のハイクや季語をめぐる議論である。
SUSHIやJUDOが世界でそのまま通用するように、近年はHAIKUも世界の言語でそのまま用いられます。ウィキペディアでも百以上の言語がHAIKUを扱っていて、その数はSUSHIとほとんど変わりません。
世界のHAIKUについては、関西現代俳句協会青年部のHPでかつて連続エッセーのテーマとしてとりあげ、季何さんのエッセイを基調に、各氏から示唆深い文章を寄せていただいた。
最近では、ウクライナの俳人、シモノーワ(シーモノワ、シモノヴァ)さんが話題である。
珠玉の俳句をもう一度 「戦禍の中のHAIKU」ウクライナ(1)
「ウクライナ 俳句交換日記」NHKドキュメント初回放送日: 2023年1月23日
ウクライナだけでなくロシアにも俳句で平和を祈る人々がいる。
俳句を平和の架け橋に ウクライナ、ロシア、ベラルーシ…連なる非戦の声 中日新聞2022年6月8日
馬場朝子さん「俳句が伝える戦時下のロシア」インタビュー 日常が伝える戦争の悲惨 好書好日
むろん、俳句を「平和を祈る詩型」などと美化する言説に、安易に与することはできない。
討伐を了へぬ燕も巣立ちけり 小島昌勝
といった聖戦俳句、翼賛俳句が賞賛されてきた歴史を、我々は知っているからだ。
明治時代に写生の方針が定まり、大正時代にはそれが正確に研究され、現代に至つて燦然たる花をひらいた。而も俳壇未曾有の聖戦俳句が生まれ、大東亜戦争開始以来ますます偉いなる業績を成さんとしつゝある。まことに現俳壇に学ぶほど幸福なものはなく、昭和時代の俳句の進展はとゞまるところを知らぬ勢である。
水原秋桜子「巻末に」『三代俳句鑑賞 春夏の巻』第一書房、昭和17年(国立国会図書館デジタルコレクション個人データ送信サービスにて閲覧可能 リンク)
わが畑もおそろかならず麦は穂に 篠田悌二郎 セクト・ポクリット ハイクノミカタ
英帝国ひれ伏すや匂ふ夜の梅 長谷川素逝
ますらをはすなはち神ぞ照紅葉 水原秋櫻子
それとは別の話で、俳句がいまやHAIKUであることは、実例、作例が証明するところであって、いくら日本国内でガラパゴスな定義を叫ぼうとも意味のないことである。
EUのファンロンパイ大統領、初の俳句集を出版 世界のこぼれ話 REUTER 2010.04.16
EU初代大統領が「平和の俳句」 ウクライナに寄り添い「調和」の思い込め 東京新聞2022.07.18
かつて私も、翻訳の限界ということを考えていた。
論文や実用書ならば翻訳されて情報が広く伝わることに意味があるだろうが、「吾輩は猫である」を「I am a cat.」と訳したときに日本語のも吾輩」のニュアンスは失われるのではないか、まして韻文、まして短詩型であれば、その弊害は大きいのではないか、という紋切り型の考えであった。
しかし振り返ってみれば当然ながら、私も多くの翻訳小説に恩恵を受けてきた。ハリー・ポッターの世界的人気の前に「翻訳の限界」を言うことに、どれほどの意味があるだろうか。
もちろん翻訳で失われるものはあるし、母国語で味わう幸福、深い理解はあるだろう。翻訳の向き不向きで評価が変わってしまう作家、作品もあるだろう。
村上春樹がノーベル賞候補としていつも話題になるのは、作品の無国籍性が翻訳にむいているからだとよく指摘される。一方、日本文学者のドナルド・キーンは、泉鏡花の小説を英訳する難しさを述べたうえで、この文章を味わうために日本語を学んだのだ、鏡花こそ日本語の醍醐味だと言っている。
けれども、それでも文学には翻訳で伝わるものがあるという前提があればこそ、ノーベル文学賞には価値が認められているわけである。
しかし、その翻訳という作業がもつステレオタイプな危険性、「母国語」という幸福の裏にあるナショナリスティックな陶酔を、樫本由貴は鋭く撃つ。
それを選ぶ指先の欲望 「小熊座」2022VOL.38 NO.446 俳句時評
なぜこの俳句の邦訳に「文語」かつ「定型」が選ばれたのか。...散文より韻文を、口語より文語をという選択は、そうでなければ読者が抱きかねない「これは俳句か否か」といったたぐいの疑問を起こさせない。それどころか「ウクライナで俳句を書いている人がいるなんて、感動」とさえ、読者に思わせるのではないか。
この潔癖は、岩田奎がしばしば表明するような、俳句がオリエンタリズム的な誤読のなかで愛好されてきたことへの忌避感と、表裏の関係にあるだろう。(『俳句四季』39-12,2022.12)(余談だが、私は四方田犬彦氏の講演で同様の質問をなげかけ、「(オリエンタリズムの対象でも)構わないではないか」と返され憮然とした経験がある。)
さて、ここで突然関係ないような話だが、季何さんにならって、SUSHI(寿司/鮨/鮓)の話をしたい。今日スシというと多くの人が「にぎりずし」を想像すると思う。
しかしスシの語源は「酸し」で、「魚肉が自然に発酵し酸味を生じているのを利用して人工的につくるようになった」(ブリタニカ国際大百科事典)ものであるとすれば、滋賀の「鮒鮨」のような「熟れ鮨(なれずし)」のほうが由緒は古いはずであった。(以下、『古事類苑』『日本大百科全書』などの記述を参考にする)
参考.ふなずし うちの郷土料理次世代に伝えたい大切な味 農林水産省
あゆずし うちの郷土料理次世代に伝えたい大切な味 農林水産省
江戸時代になると発酵に時間がかかる「熟れ鮨」に対して、塩や酢を用いる「早鮨(はやずし)」「一夜ずし」などが生まれる。
このなかにも、酢飯に直接魚介や具を混ぜ込んでいく「ちらしずし(ばらずし)」と、締めた魚とご飯を重ねて強く押す「押し寿司」があって、関西のスシは後者が主流である。
大阪寿司(おおさかずし) うちの郷土料理次世代に伝えたい大切な味 農林水産省
さばずし うちの郷土料理次世代に伝えたい大切な味 農林水産省
こうした積み重ねの上に、さらに即席のファストフードとして、酢飯の上に魚をのせ握った「握り鮨」が生まれるわけだが、これは江戸時代後期になってからのもの。
「握り鮨」登場は諸説あるようだが、文化文政時代(1804~30)、イカやエビ、アナゴの煮物をのせた鮨が始められ、つぎにアジなどの光り物を酢に漬けたもの、そしてようやく刺身をのせるようになったのだという。これよりやや先行して太巻の巻き鮨も江戸で始まったといわれている。
現代では、かつて江戸の庶民が「ねこまたぎ」と嫌ったといわれるほど腐りやすく脂の多いマグロが一番人気のネタとなって、世界の漁獲量を脅かすほどに食べられている。
原義が「酸し」、魚を発酵させたものだとすれば、「握りずしのトロ」などは異端も異端、歴史のないヒヨッコにすぎないという気がしてくる。
現在のスシ文化は当たり前のように「サラダ巻き」や「牛肉ずし」を受け入れている。ここであらたに「カリフォルニアロール」が加わったり「キンパプ」が加わったりしたところで、「スシ」がゆがめられた、なんて思う必要あるだろうか。
もちろん個人的に「これはスシではない」と拒否する自由はあるが、本質とは関係のない、個人の思想信条、究極には好みの問題ではないか。
それぞれの時代にそれぞれの料理人が「これもスシだ!」「これもありだ!」と試行錯誤してきた結果、豊かなスシ文化は展開した。そのなかには捨ててきた可能性も、たくさんあるだろう。それぞれにスシの本質、スシの可能性を追求した結果が、現在である。それぞれの探究はそれぞれに尊重されるべきであって、どれがひとつが完全な正解だというのは、後世から恣意的に逆算した、結果論に過ぎない。
同じ結果論なら、私としては、どのような「誤解」のもとにスシや俳句が広がってきたか、それぞれなにを本質とみて、どんな挑戦をしてきたかを楽しむほうがよいのではないか、と思うのだが、どうであろうか。
「これを考案した料理人はだれだ!」居酒屋で海原雄山のごとく激高...