2019年10月28日月曜日

【転載】京都新聞2019.08.05 季節のエッセー(4)

「ゲリラ豪雨」

夕立、驟雨(しゅうう)、銀竹(ぎんちく)、村雨(むらさめ)。


この時期にわかにざっと強く降る雨のことだ。

趣深いが、今ではゲリラ豪雨かスコールと呼ぶほうがふさわしい。今年も「大雨に警戒してください」という注意喚起をよく聞く。

ところで、ゲリラ豪雨の別名を「鬼雨」というらしい、と以前、ネット上で話題になっていた。

「おにさめ」ではなく「きう」。
漢籍に由来でもあるのだろうか。
気になって調べたところ、実は鬼雨を豪雨や大雨の意味で使うのは最近で、気象学者でエッセイストの倉嶋厚氏による『雨のことば辞典』(講談社)や、詩人の高橋順子氏による『雨の名前』(小学館)によって二〇〇〇年代に広まったらしい。

両者がもとにした資料はわからないものの、日本最大の漢和辞典『大漢和辞典』も鬼雨を「大雨」と説明する。

用例には唐の詩人・李賀の詩から「鬼雨、空草(くうそう)に灑(そそ)ぐ」(原文は漢文)という一節を引いている。
ところが、どうもこの解釈が間違っているらしい、云々。

以上はネットで指摘された知見を整理したものだが、確かに日中では「鬼」の意味が異なる。日本でも鬼籍に入るという言葉があるが、中国では鬼を死霊、死者の意味で使う。

筋骨隆々で人を食うこわい鬼のイメージは、日本で定着したものだ。
どうやら大雨という解説は『大漢和辞典』の勘違いで、解説だけで使用例のない「幽霊語」だった。

ネットの集合知はあなどれないが、念のため図書館で裏取りすることにした。

まず倉嶋著をみると「大いに降る雨。鬼は程度の並外れたこと」、高島著は「鬼のしわざかと疑われるような並外れた大雨」と解説している。
夏の雨、ゲリラ豪雨とは書いていないが、「鬼」を強い、すごい、といった修飾に使っている。

一方、典拠たる李賀の詩は初秋の墓地が舞台の怪奇幻想趣味あふれる作品。鬼雨は陰々滅々たる秋雨がふさわしい。

つまり鬼雨を大雨とするのは単純な間違いではなく、鬼に対する日中の違いから生まれたわけだ。
言葉の成り立ちとしてはかなり面白い。

なお、ほかに何冊か本を探してみたが、鬼雨をゲリラ豪雨と解説する資料はまだ見つけていない。

ゲリラ豪雨は正式な気象用語ではないが、二〇〇八年ごろから報道関係者が使用し、定着した言葉という。
鬼雨も、ゲリラ豪雨の別名として日本語に定着していくだろうか。(俳人)


追記.
井川香四郎さんという作家の時代小説に『鬼雨』というタイトルがありました。梟与力吟味帳というシリーズの6巻、2009年講談社刊行。読んでみたところ、テンポがよくて面白かったです。鬼雨は鬼画降らせたような大雨で説明されていましたので、倉嶋著を参考にされたものでしょうか。

2019年10月21日月曜日

【転載】京都新聞 2019.07.01 季節のエッセー(3)


「シコブチさん」
京都から滋賀に流れる安曇川ぞいに、シコブチさんという神さまがまつられている。シコブチにはいろいろな字を宛てるようだが、材木を運ぶ(いかだ)乗りだという。
伝説によれば、シコブチさんはいつも子どもを筏に乗せて急流を下っていたが、あるとき河童に子どもを引き込まれたので、筏で川をせき止めてしまった。干上がった川の底で姿をあらわした河童は、今後シコブチさんと同じ格好の筏乗りには手を出さないと誓ったので許してやったという。
一説には、年に三人だけ子どもをひきこむ条件で許したともいう。シコブチさん、強すぎである。
シコブチさんをまつる社は、大津市葛川、高島市朽木、そして源流に近い京都市左京区大原、久多に集中し、日本遺産「琵琶湖とその水辺景観―祈りと暮らしの水遺産」にも指定されている。
昨年の夏、妻の車でドライブにでかけて、たまたま日本遺産の幟を見つけて立ち寄ったのが、朽木岩瀬の志子淵神社だった。
ちなみにこのときの目的は、同じく朽木の、くつき温泉てんくうへ行くことだった。この温泉施設は、朽木の山々を見わたす露天風呂「天狗の湯」で知られている。
地元の天狗伝説にちなんだそうだが、風呂場の外壁が天狗の顔のオブジェになっていて、ちょうどその口の中に温泉がある。外から見ると巨大な天狗の鼻が天空にのびていて、なんとも印象的である。
そんな天狗の湯の帰りに、河童伝説の志子淵神社に行き逢ったというわけだ。
とはいえ実は、シコブチさんの存在や伝説は前々から知っていた。以前、私の所属する東アジア恠異学会という研究会の先輩たちが調査したと聞いていたからだ。
この東アジア恠異学会は歴史学を中心とした学術団体だが、研究者だけでなく小説家や一般の方まで、怪異に関心をもつさまざまな人が集まり、議論を交わす団体である。
河童のような妖怪伝承も考察の対象で、古いシコブチ信仰と、比較的新しいはずの河童の伝説がいつごろ合体したのか、河童以前に水害を鎮めた水神の伝説があったのでは、など怪異学的関心は尽きない。
ああ、そういえば河童のキュウリ好きは祇園社の神紋に由来するという説がある。これもまだ出所を確かめていない。研究を進めなければ。(俳人)

2019年10月14日月曜日

【転載】京都新聞2019.05.27 季節のエッセー(2)

「俳句甲子園」
 起立礼着席青葉風過ぎた 神野紗希
高校二年のとき、俳句甲子園という大会に出場した。
ご存じだろうか。高校生が五人一組になり、俳句の創作力と、ディベート形式の質疑応答によって鑑賞力を競う大会で、毎年八月に愛媛県松山市で開催されている。
小説、漫画の舞台にもなり、最近は発起人である夏井いつき氏の出演番組でも取り上げられ、すっかり有名になった。
今年は第二十二回大会が予定されているが、私が出場した第四回大会のころは出場校も少なく、まだまだ地方の町おこしイベントという感じだった。
松山なら温泉に入れるぞ。お前は電車旅が好きだから旅の俳句作れるだろ。そんな適当な誘い文句で、気の合う友だちと参加した大会で出会ったのが、冒頭の句だった。
ちなみに初心者の私たちは初日の予選で敗退。掲句は二日目、準決勝で出された句だった。
教室の号令とともに青葉を揺らす一陣の強い風。窓の外は初夏の陽気。
わずか十七音が、高校生にとって身近な実感をありありと再現できることに衝撃を受けた。青葉の季節になるといつもこの句を思い出す。
受験もあって私はしばらく俳句から離れた時期もあったが、大学に入ると再開した。母校では、顧問の先生も本気になり、第七回大会では後輩のチームが全国優勝を果たした。以来、関西の出場校は、残念ながら優勝からは遠ざかっているが、洛南高校が出場を重ねており、三度の準優勝を経験している。
最近は滋賀、和歌山からも出場校が増え、今年の三月には彦根東高校、和歌山の県立海南高校でそれぞれ練習試合が行われた。
私は和歌山での試合に審査員として参加したのだが、驚いたのは、和歌山の高校生が彦根まで試合を見学に行ったり、大阪や兵庫の高校生が和歌山まで見学に来ていたり、とにかく高校生たちの熱心さだ。
今どきは学校や世代を超えて俳句の好きな若者がSNSでもつながっており、そんなことも活気づかせる要因になっているらしい。うらやましい。おじさんたちのころ、高校生はまだ携帯を持っていない人も多かった。俳句のやりとりに、学校のファクスを使っていたんだぞ。そんなことを思いながら、昭和生まれ、平成育ちの私は、平成生まれの俳句作家たちを見ている。
次の時代は、どんな時代になるのだろう。
(俳人)

2019年10月7日月曜日

【転載】京都新聞 2019.04.23 季節のエッセー(1)

「ハナミズキ」
大変なことになった。
京都新聞文芸欄から、季節のエッセーについての依頼である。まさか、自分にこんな連載依頼が来るとは思わなかった。
文章を書くのは好きだからありがたいが、テーマが問題だ。俳人には季語の知識があって季節に敏感だと思われがちだが、そんなことはない。他の人は知らないが私の場合、知識はあっても実感がともなわない。
ふだんは俳人らしく歳時記という字引のようなものを持ち歩いているので、わからないときはすぐ調べる。桜とチューリップならわかるが、石楠花や山吹の咲く時季に自信がない。山菜を採りに野山へ入ることもないし、田打ち、麦踏みなどの農耕季語になるともうお手上げだ。いや、もともと四季や節気といった区分は一年を等分した暦の目安であって、体感と一致するとは限らない。季節を意識し文芸に生かすというのが、実は都会的な知識先行の営みなのだ。
したがって俳句を作らねばならぬ時には、歳時記やスマホを片手に目を配り、季語をさがす。そうすると今まで自分の関心外だった風景が立ち上がる。
むしろ、これこそ季語の作用ではないかと開き直ってみる。
以前、ある女子大学で俳句の創作演習を担当したとき、庭にハナミズキが咲いているのを見つけて学生に紹介した。
ちゃんとプレートで掲示してあったので私も自信をもって紹介できる。
しかしほとんどの学生は花を目にしていても名前に気づかなかった、ハナミズキをはじめて認識した、という。
平成時代にもっともカラオケで歌われた曲は一青窈さんの「ハナミズキ」だそうだ。
私が目を留めたのも、学生たちが反応したのも、もちろんあの曲が脳裏にあったからだ。ここ最近、平成最後と銘打った数々の歌番組でもくりかえし流れ、改めて名曲だと思った。
かつての知識人たちが桜や山吹であまたの歌を連想したように、現代の私たちもそれぞれの知識をふまえて季語に接する。季語の伝統は、ただ昔ながらの教養を守り伝えていくだけではなく、更新されていく。
本欄でも、自分なりの季節をお届けできればと思う。(俳人)