2012年6月29日金曜日

六月尽

 

先日の「俳句ラボ」に参加していただいた皆さん、お疲れ様でした。
主催側も、「声を掛けた知り合いしか来ないのではないか」とおそるおそるで始めた企画でしたが、予想外の人数が集まり、第一回は盛会のうちに終えることが出来ました。
チラシを見て来て下さった方のなかには、句会初参加、という方もおり、なんというか、大げさですけれども「俳句」の可能性みたいなものを感じてしまいました。

第二回以降もこの調子で続けられればと思います。よろしくお願いいたします。



「九月尽」は俳句でよく見かけますが、そのほかの月ってあまり見ない気がします。

ろくがつじん、は6文字だから笑われるのでしょうが、四月尽、五月尽なんかはどうなんでしょうか。
気になったのでぐぐってみました。

google検索 四月尽
google検索 五月尽

単に認識不足だっただけで、例句もあるようです。
四月尽には「夢に浮く身風呂にしずむ身四月尽」という、たいへんロマンチックな例句を見つけました。作者は江里昭彦氏。

では六月尽は?

検索してみると、『増殖する俳句歳時記』記事が見つかりました。
つまり完全に私の認識不足。数は少ないかも知れないけれど、決して「用例がない」わけではないということがよくわかります。


June 27 2000
 夢に見し人遂に来ず六月尽く
                           阿部みどり女
遺句集に収められているから、晩年の病床での句だろうか。夢にまで見た人が、遂に現れないまま、六月が尽(つ)きてしまった。季語「六月尽(ろくがつじん)」の必然性は、六月に詠まれたというばかりではなく、会えないままに一年の半分が過ぎてしまったという感慨にある。作者はこのときに九十代だから、夢に現われたこの人は現実に生きてある人ではないように思える。少なくとも、長年音信不通になったままの人、連絡のとりようもない人だ。もとより作者は会えるはずもないことを知っているわけで、そのあたりに老いの悲しみが痛切に感じられる。将来の私にも、こういうことが起きるのだろうか。読者は、句の前でしばし沈思するだろう。同じ句集に「訪づれに心はずみぬ三味線草」があり、読みあわせるとなおさらに哀切感に誘われる。「三味線草」は「薺(なずな)」、俗に「ぺんぺん草」と言う。そして掲句は、こうした作者についての情報を何も知らなくとも、十分に読むに耐える句だと思う。「夢に見し人」への思いは、私たちに共通するものだからである。虚子門。『石蕗』(1982)所収。(清水哲男)



「表現の新しさ」を証明するためにも、google検索を使うことが出来る。
類句、類想句、ということは、短詩型のなかではとかく問題になるが、「類想」があるような気がしたら、ためしにgoogleで検索してみるのは基本だろう。
「ありそう」だが「新しい」のか、発想は「ありそう」だが表現としては「新しい」のか、表現レベルをふくめて「よくある」のか。

ちなみに。google検索 想定外 すまされぬ
これはよく、大学の先生などが学生のレポートの「ネットコピー」を見破るために行っていることなのだが、レポートの一部を検索にかけるのである。すると、よく似たサイトがひっかかる。時には、まったく同じ文言が見つかることがある。ざっと見て、「参照した」程度ならよいが、明らかな表現・文章構成の一致が見つかれば、アウトである。
最近では自動で文章の一部を検索にかけて「盗作」を見破るというソフトもあるのだそうだ。



以前「船団」の句会に、あるJ-POPの歌詞によく似た句が句会に出て、話題になったことがある。
たしかその頃『超新撰21』でも同じような騒ぎがあったところで、私はその事件を踏まえた問題提起かとも思ったのだが、実際には作者は六十代の男性で、その事件も歌詞についても知らず、偶然出したものだったそうだ。
そのとき、中原幸子さんが、坪内氏の発言として語っていた内容が印象的だった。

曰く、俳句のように短い文芸においては特に、1字でも変えれば創作である。16字が一緒であったとしても1字が違っておれば別の作品であり、作品の優劣によってどちらがよいかを決めればよい、と。


中原さんはさらに、おそらく表現者としては1字でも変えるべき文字はない、ベストの17字だ、覚えられなかったり変えたりできるようならその作品はダメ、という矜恃を持つべきだということだろう、、、という解釈も語っていて、記憶によるので正確な表現ではないけれども、なるほど見識である、と感心した覚えがある。
「本歌取り」などと言って安易な「類想」を認めるくらいなら、これくらいは徹底しておかないとダメだな、と、思った次第である。





そういう坪内先生に、引用ミスがかなり多いっていうのは、、、納得できるような、できないような。

2012年6月20日水曜日

川柳のはなし

 

先日ふれた「共同研究 現代俳句50年」を読みふけっていたら、いつまでたっても更新できなくなってしまいそうなので、今日はすこし川柳の話を。



川柳の概略史については案外、WIkipediaでわかりやすくまとめられており、そこそこの造詣のある人間が執筆しているようである。

Wikipedia「川柳」

しかし、同じくWIkipediaで「川柳家一覧」を見てみると、「六大家」とされる岸本水府、麻生路郎、川上三太郎、前田雀郎、村田周魚、椙元紋太の六人でさえ、充分に記述されていないことがわかる。

柳人のプロフィールを調べる場合、まとまったものとしては「MANO 川柳人名鑑」が簡便だが、ほかは一人ずつ検索をかけて調べるしかない。
紙媒体では尾藤三柳編『川柳総合大事典』(雄山閣出版、1984)、田辺麦彦編『三省堂現代川柳鑑賞事典』(三省堂、2004)などが大部のものである。
しかし、繰り返し指摘されているように簡便なアンソロジーが皆無の状況であることは川柳界にとっては大きなハンデである。せめて「六大家」くらい、まとめて読める一冊があってもよろしかろうと思う



以前、西原天気
さん(現・さいばら天気)が「週刊俳句」で次のようなことを書いていた。
ところで、難解な川柳ということで、私自身、ずいぶん前から強く抱いている思いというか疑問がある。難解な句と「誰にもわかる」句のあいだの溝は、俳句にもある。しかし、俳句の場合、その両極は、溝があるとはいえ、まだ地続きのようにも思える。いわゆる前衛的な作風(関は九堂夜想を例として挙げている)の句群と、例えば「おーいお茶」俳句とは、細い線ではあっても、まだ繋がりを見出せるように思うのだ。溝はあっても、決定的に断絶しているわけではない。ところが、川柳の場合、この「バックストローク」誌に掲載された川柳と、例えばサラリーマン川柳とのあいだには、俳句の場合よりもはるかに深くて広い溝があるように思える。


西原さんが現在でも同様の感想を持っておられるかどうかは知らないけれども、たとえば『川柳全集5 川上三太郎』(構造社出版、1980)などを読むと別の感想が生まれるのではないか。

 善政の国史に無駄な文字が無し  三太郎
 これ程の腹立ちを母丸く寝る
 蟇(ひきがえる)汝元来懶者(なまけもの)
 男の子口を結んでから強し
 も一つの自叙伝闇に指で書く
 これでこの友を失う金を貸し
 天皇は猫背に在す雨の中
 すとらいきなんじしんみんあるくべし
 孤独地蔵お玉じやくしが梵字書く
 河童起ちあがると青い雫する
 人間に似てくるを哭く老河童
 鴉ひよこりひよつこり寒いなあ日本海


三太郎の台詞としてよく知られたものに、「どこまでが俳句か、俳句のほうで決めてくれ。それ以外は全部川柳でもらおう」というものがある。
その宣言どおり、三太郎は皮肉な時事川柳から、いわゆる「詩性川柳」の連作、ほっこりする人情句まで幅広く詠んでいて、ときに「二頭主義」との批判もされたという。

(参考.http://web11.jp/akuru/mano-koike4.html

むろん、一句における緊張感や語の選択は、「サラリーマン川柳」の気楽さとは大きな開きがある。しかし、三太郎という地平から眺めると、両端の「溝」はそれほど深くもないのではないか? とも思われる。

むしろ、「川柳」の根っこは、諷刺や機知、情緒や風情といった水脈を通じてやっぱり「狂句」とつながっており、その先の「サラ川」とも地続きで、しかもそれでいて、「難解」へも「詩性」へも、振り切れるだけの飛翔力を秘めているのが「川柳」なのだ。
「現代川柳」は「飛翔力」に特化し、ことさらストイックな仮面をまとおうとしているように見える。



実際のところ、たとえ狂句であっても、「誰でも詠める」狂句に意味がないのは、一般文芸と同じではないだろうか。機知や諷刺であっても、やはり「作品」ならば、日常語彙からはすこし逸脱した、なにかがほしい。
次のような句が、「怒りの川柳」と称して「大賞」を受賞するようならば、どう足掻いても「川柳」どころか「文芸」の萌芽は生まれない。


想定外そんな言葉ですまされぬ
 

(再び――言う!)川柳は 誰にでも出来る
だから 誰にでも出来る川柳は 書いても無駄であり 書いてはならぬ
 
川上三太郎「単語(抄)」『川柳全集5 川上三太郎』

2012年6月8日金曜日

【告知】 俳句ラボ

柿衛文庫「俳句ラボ」、近日始動。

何度かお知らせしている若手のための句会、いよいよ初日が迫っております。
6月24日(日)、14:00~、伊丹市の柿衛文庫です。
アクセスなどは、こちらでご確認ください。

参加してくださる方は、事前に柿衛文庫受付にご連絡いただければ幸いです。
たぶん、当日飛び入りでも大丈夫だと思いますが。

経験者のみならず、
まったく俳句はじめて!という方、大歓迎です。
ヒマつぶしに一度のぞいてやろうかな、という方、待っております。

くれぐれも。当blogでやってるような面倒な議論を期待されないよう、お願いいたします。
オフラインでもこんな話題やってたら、疲れちゃいますからね。
単純に、句会を楽しめればいいなと思っております。

遠方で参加できない、という方は、宣伝に努めて下さい(^^;)

よろしくお願いいたします。

亭主拝

2012年6月4日月曜日

閑話

 

先日、『俳句研究』バックナンバーを見ていたら面白い連載を見つけた。
「共同研究・現代俳句50年」というもので、1995年1月に始まり、1996年10月まで、一年以上にわたって執筆が続けられている。

Cinii検索「共同研究・現代俳句50年」

「共同研究」ということで、坪内稔典、大串章、川名大、仁平勝、本井英、の五人が順番にテーマを設けながら「戦後俳句50年史」を執筆し、折々に座談会をはさんで記事を振り返って討議したり訂正を加えたりする、というもの。
座談会には「歴史の当事者」ということで、五人より年長の上田五千石、金子兜太などがゲストとして加わっている。

とても長い連載なので一回では読み切れず、今度図書館でじっくり読み直そうと思っているが、それにしもメンバーといい、連載の期間といい、大変、周到な企画である。

たしか角川『短歌』では昨年、「前衛短歌とは何だったのか」という長期連載があって、短歌には関心が深くないので読んでいなかったが、最近の俳句総合誌ではここまで骨太の企画は通らないだろうな、と思った次第である。

いま、「世代論」ということを考えている。
「世代論」を語ることはとりもなおさず自らを俳句史にどう位置づけるか、ということなので、自然と「俳句史」的意識を持つ必要がある。
当然、先行する世代が自らをどう規定してきたか、ということは大変気になるわけで、「世代論」の続きは、上の連載をある程度読んでからにしたいと思う。




「世代論」の続きを書く前に、いくつか明記しておきたいことがある。
「世代論」を含めて、私のなかの関心事は「俳句批評」の在り方である。
実際、私自身は決してすぐれた批評家ではなく、俳句批評に一生を捧げるという覚悟で臨んでいるまでとは言えないけれども、しかし「俳句批評」の交通整理というか、「この人は信頼できる」「この人の評論は読んで欲しい」という私なりの評価を、できれば多くの人に伝えたいと思っていて、それが最近のメインになっている。

俳句に限らず、文芸作品において批評の在り方というのはやっかいで、単なる感想文に終わらせないためにどうすればよいか、ということは重要な課題だと思う。

先日の記事では、

といっても、先ほど述べたとおり「批評」がいくら自由に作品に迫っていこうとしても歴史的背景や文法を無視して論評されてしまうと、それは一個人の「読み」にしか過ぎなくなってしまう。その批評が当を得ているかどうか、は、その批評がどこまで客観的な素材にもとづいて議論しているか、にかかっており、その点、「研究」とは目指すところは違っても手続きは似ている。
と述べて、要するに個人の読書感想文に終わらないために、客観的素材に基づいて議論を組みたてること、を重視したのだが、もちろん客観的素材を並べただけでは、読んでいて面白くもなんともない。
(読者がまったく知らない資料紹介は、それなりに面白い。知られていない資料を的確に評価し公開することは「研究」の基礎であり、重要な部分である)


では、「感想文」とも違う「事実報告」とも違う、「批評」とは、何だろうか。

私の思う一つの答えとして、「新しい視点を提起する」ことがある。
「感想」「鑑賞」が、あくまで作品本位で、作品読解のひとつであるのに対して、「批評」は、ひとつの作品をよりよく読むだけでなく、ほかの作品や作家の理解にも波及し応用できるような視点を、読者に提起できることが望ましい。(ここで「世代論」で言及した「戦略性」が関わってくる)


つまり、「批評」は、作品主体に即した「鑑賞」より、もう少し踏み込んだ、批評家オリジナルの創作的行為である(ことを目指す)ことが重要ではなかろうか。
ただし行き過ぎると、深読み、というよりまったくの誤読というか創作になってしまう。


古典批評で話題になることが多いのは、仏教哲学者・梅原猛氏である。

梅原氏の『水底の歌―柿本人麿論―』は大仏次郎賞も受賞した著名な評論であるが、益田勝実氏の批判(『文学』岩波書店、1975年4月)でも明らかなとおり自己矛盾をはらんで小説家的空想をはばたかせた本である。
(実は私は益田氏の文章だけしか読んでいない。梅沢氏の本は手に取ったものの最後まで読めず投げ出してしまった。だからこの批判はあまり妥当性がないが、話題の余波でご容赦願いたい)
ちなみに梅原氏は能楽に関する著作も多いが、能楽研究の大家、表章氏の遺作となった『昭和の創作「伊賀観世系譜」―梅原猛の挑発に応えて―』(ぺりかん社)は副題のとおり梅原氏への批判を一書としたものである。

資料自体は客観的なものであっても(後者の観世系図は偽書だったのだが)、論理が客観的でない、ということはもちろんある。
梅原氏の「評論」は、「研究」的視座から見るととても危なっかしく利用できないのだが、話題性に富んでいるし、読み物としては成功したといえるのだろう。しかしやはり「的を射た」批評である、というわけにはいかない。

そのあたり、客観性とオリジナリティとの間でバランスをとりながら「読む」のが、「批評」行為の難しさ、ということになるのだろう。