2020年7月27日月曜日

【転載】京都新聞2020.06.29 季節のエッセー(13)


「町の歴史」

外出自粛が続くなか、ご多分にもれず極端な運動不足になった。
もともとアウトドアなほうではないし、自宅勤務で家を出る機会が減り、施設の休業で行くところがなくなって、本当に家から出なくなった。
買い物も気をつかうので、ひたすらパソコンの前で作業をしたり、人と連絡をとったり、ネットサーフィンをしたりの日が続く。
さすがにこれではいけない。
歩くべし。

神戸から滋賀に移って三年目だが、買い物スポットや通勤路以外は知らない道も多い。
ひとまず近くの神社をめざす。
このあたりはマンション隣接地帯と田んぼとの距離が近い。田んぼ道からさらに住宅街へ。桜の木が見えてくる。今年は花見もできなかった。目的の神社は、大きくはない地元の村社だが、創建は欽明天皇にさかのぼると伝え、鳥居や社殿が立派だ。例祭には子ども相撲の奉納があるそうだが、今年は中止になった。やむをえない。夏越しの祓えはあるだろうか。
そこから迂回して自治会館を目指す。その近くに「行者堂」があることをグーグルマップで確認済みだ。不審者で通報されたらどうしようかと不安になりながら、スマホ片手に曲がりくねった細い路地を進む。あった。残念ながら行者堂は施錠されていた。家から十分ほどの地域に息づく信仰の現場である。
路地を歩いていて、昔ながらの集落と新興住宅地との境が明らかな場所や、地元ならではの苗字の表札を目にすると思わず立ち止まってしまう。安易な憶測は他人のプライバシーを傷つけるので危険なのだが、町の歴史に触れた気がして、わくわくする。
滋賀県は人口あたりの寺社の数が多く、古い寺社が残る土地だ。自転車で行ける距離に、重要文化財を守るお寺があるので驚く。
先月も、観光では行かないような寺社をいくつかめぐった。細い路地や農道も示してくれるグーグルマップは、こういうときも強い味方である。
とはいえ、位置情報システムで動きを把握されているというのは、考えようによっては恐ろしい。そういえば感染者の行動把握にも活用されているようだ。
  青嵐神社があったので拝む  池田澄子
 池田さんの句は、たまたま見つけた、お参りしたという気軽さが心地よい。「グーグルに神社があったので拝む」私は、神さまよりスマホに見られているのかも。(俳人)

2020年7月16日木曜日

ビジネスニーズとマーケットの話


あらゆる業界で、マーケットを広く大きく流行にのせる、というより、ニッチでも欲しい人へ届ける、という流れがあると思う。
わかりやすい大きなヒットより、ニーズのあるところに投げ込んで、バズったものが後追いでブームとかヒットとか名づけられる、という感じ。
その結果、「ニーズのあるところに欲しいものを与える」式のビジネスモデルが唯一正解みたいになっているように思う。
買ってくれる前提の市場にエサを与える、公式が供給するのを待つオタク、みたいな囲い込み戦略ばかりになる。 これに「嫌なら見るな」「人の好きなものを悪く言うな」というお気持ち配慮が重なり、容易にカルト化していく。
近しい分野だと出版業界がそれ。
枕詞のように使われる出版不況の実態は、ネットの充実による紙の雑誌不買で電子書籍などの分野を考えると大きな変化がないことが明らかにされつつあるけど、もとより売れないはずの句集や研究書は、明らかに以前よりボンボン出版されていて、人気者になればどんどん一般書を出すようになっている。
もちろんその人たちの仕事が認められ注目されているのだ、と思えば嬉しいしいいことなのだが、結局誰に向けて届けてるのか、どこへ発信できているのか。
カルト的に、教祖の本を買わせてるだけならこれ以上タコツボ掘り進むことに意味があるのか。

オタク界隈でいえば、地上波ゴールデンでの子供番組が減り、深夜帯で、ある程度自由な製作が許されている反面、一定の固定ファンがジャンルを支える、そんな構図なのではないか。周辺ジャンルや歴史を掘り返すような広がりは見込めない。

そういえば、パンデミックの影響下で大学ではオンライン講義が普及したが、学生を名乗るアカウントでオンライン講義の不備を糾弾し学費減免を訴えるものが散見された。
それらの学生の「消費者目線」のクレームに大きく欠けていたのは、本来高等教育が持っていた「自習」という観点ではなかったか。
「自習」の観点のないところに、ただエサのように供給しつづけて、それがどこへ繋がるのだろうか。
 参考:学生の日常も大事(1) - 中世文学漫歩

もちろん私自身は本を読むのが好きだし買うし、俳句においても研究においても本出すことが多いグループに属しているし、はっきり出版反対、などと短絡な意見を言うつもりはない。 というよりできないのだが、しかし「本出す」「活字でまとめる」ことにかつてほどの魅力がなくなってきた時代だからこそ、どうすべきか、どうなっていくべきか、は考えなくてはいけないと思う。もしかしたら、自家中毒は手遅れのレベルに達している。

これはよく「日本のビジネスモデルがガラパゴス化する理由」としてあげられる構図とよく似ている。国内ニーズにあわせて最適化していくうちに大きな変化に乗り遅れる、というやつだ。
ビジネスモデルとしては「マーケットイン」と「プロダクトアウト」の対比として説明されるけれども(参考:どっちか一択?マーケットインとプロダクトアウトの正しい考え方)、当然出てくる反論として、「文芸表現」「研究」と「ビジネス」は、同一では語れない。ビジネスは、売れたら正解だけれども、「文芸表現」も「研究」も、売れるか売れないかより、次世代への「更新」のほうが大切な面がある。
そして、自分で新しい表現、新しい分野を開いたつもりでも、それが、カルト的に閉じた場を作ってしまうだけであれば、とても危うい。

研究の場合なら、幸いなことに「専門家」によってある程度の公共性、客観性が担保されるところがあるから、それがどのような公的評価されているかによって、ある程度判断することが可能である。
ニッチなものでも高い評価を得ているものはあるし、逆に、バズって大ヒットしていても「専門家」によっては全く評価しない、できない、それどころか批判されているものもある。もちろん公的評価がいつも正しいわけではないけれども、いつも正しいわけではないから全て間違いだというのは、無茶な議論である。専門知は、専門知として尊重されるべきである。それによってカルト的トンデモとの差異をつけることができる。

ところがプロフェッショナルとアマチュアの区分が地続きの「第二芸術」においては、プロとしての活動が結局のところ「結社制度」のように、師弟関係が、生徒からの学費で稼ぐ先生という経済活動になってしまうところがあり、しかもそれが、主宰が生計を立てるためのカルト的なマーケットを作り出すだけだとすれば、当人たちはいいけれど、一体何のための表現だったのか、わからなくなってくる。
それでも師弟関係には指導という対価があるが、仮に、出版というビジネスに支えられたプロ活動が成立したとして、それが一部の購買者に対してのみ通用するものだとすれば、純粋な作家と読者との関係のなかで、表現はどこへ進むだろう。

戦後、現代俳句協会は「俳人相互の生活や著作権の擁護を主目的」として設立され、新人賞や機関誌を設けた。(楠本謙吉『戦後の俳句』教養文庫など参照)
協会、ひいては近代的な俳壇というつながりは、タコツボ化しカルト化した商売になりがちな個々の結社ではなく、広いプラットフォームで俳句を評価し、職業作家としての生活を保障するために生まれたのではなかったか。
そうして生まれた協会や俳壇が、逆に作家活動や生活を侵蝕するようなことがあるなら、それは本末転倒といえる。

プロとしての矜持を持ってあえてビジネス面の挑戦してきた尊敬する友人が、その人自身の達成やがんばりとは別に、結局のところ、公共的な場から離れた個人サロンを作りだしているように見える。そんな危うさのなかで、どのような形でカルト的な世界同士をつなぎとめて、大きな更新を作れるだろうか。


過去ツイートをもとに追記、改稿

2020年7月12日日曜日

廃品処理 いつですか30句


第8回俳句四季新人賞にこっそり応募したところ、一応最終候補41作に選んでいただいたようです。受賞作は既報のとおり、浅川芳直さんの「雪くるか」、曾根毅さんの「焼身」の2作同時受賞。
それぞれ、作家の個性が出ている作品。おめでとうございます。


で、拙作。こういうの、いままで箪笥の奥(比喩表現)で腐らせていたのですが、無駄なので掲載しておきます。2019年作。
選考会では無得点なので当然コメントもなし。選考委員高野ムツオさんによれば「魅力ある作品が少なかった」とのこと。今見るとずいぶん平和な句が並んでいて、2020年の新人賞として選ばれなかったのは当然かなとも思いますね。



「いつですか」
1.        業務連絡鬼A外へ福は内
2.        森のなか駆け抜け雛祭を見に
3.        平成の怪物の遺書木ノ芽時
4.        胃カメラのずるずる進む春の鼻
5.        花の客医者と薬の話して
6.        春は今でしょうか夏はいつですか
7.        神様の一撃やがて黴生まれ
8.        重代の武者人形と偽系図
9.        肩車されて端午の司令官
10.    わたくしのくの字しの字がなめくじり
11.    王様は痛みに耐えて寄居虫に
12.    強そうなサンバイザーの早歩き
13.    女王の昼寝を運ぶベビーカー
14.    この道で昨日踏まれた松落葉
15.    鯉が鰓ひらくよ夏が終わるのだ
16.    残暑とは「ムー」のずらりと並ぶ棚
17.    生きることパンを買うこと秋桜
18.    百日紅後悔すればきりがない
19.    亀虫を8まで数え飽きている
20.    なんてことないわけないや星月夜
21.    私の希望に沿わぬ芒原
22.    ポストあかあか嵐ちかづく
23.    古墳から出てきた子どもハロウィーン
24.    蛇穴に入ると穴から泣き声が
25.    ポッキーの日よ締切よ締切よ
26.    冬の海鯨の精が放たれて
27.    日向ぼこじっと逃亡者の気分
28.    虎落笛爪の再生する過程
29.    寒北斗いま新天地別天地
30.  狐火の動画眠りにつく儀式

2020年7月6日月曜日

【転載】京都新聞2020.05.25季節のエッセー(12)


「子規の写生」

 不要不急の外出自粛(・・)。接触者の八割減を目指した国の要請(・・)や施策で、「新たな日常を取り戻す」という、矛盾した標語まで飛び出した。
不思議な感覚だ。
予定されていた句会、勉強会は軒並み中止となり、大学の講義も全て遠隔授業、つまりオンラインでの動画配信や資料共有になった。教員も学生もほとんど大学へ通うことなく、ひたすら課題を通して向き合う日々である。新入生は、大学に入った実感もないのではないだろうか。
 外に出ることができない。そんな状況に、明治の正岡子規を想起した俳人は多いのではないか。
子規は二十二歳ではじめて喀血し、二十九歳のころから病状が悪化するが、以来、三十四歳で没するまで病床で執筆活動を続けた。
仰臥漫録(ぎょうがまんろく)』は、晩年激痛に苦しみながら記した病床記録のようなものだが、今も多くの人に愛されている。それは痛い、苦しい、辛いと訴えながら、どこまでも元気な子規のパワーに圧倒されるからだ。
 たとえば、有名な子規の大食ぶり。
毎食(かゆ)を三碗(毎日ではない、毎食である)たいらげ、そのうえ朝は菓子パン、牛乳。昼は(かつお)佃煮(つくだに)、間食に団子をほおばり、夜はまた鍋や焼き魚を食べて感想を書く。
 そして子規は、よく人に会う。
高浜(たかはま)虚子(きょし)河東(かわひがし)(へき)梧桐(ごとう)()(とう)()()()といった人々が毎日入れ替わり訪問し、雑誌の打ち合わせをしたり、議論を交わしたりしている。
関川夏央さんの小説『子規、最後の八年』でも書かれていたが、子規はすぐ仲間を呼び出した。電話やはがき、電報と手段を駆使し、来るのが遅いと一日何度も連絡させた。かなり大変。
 子規の重視した「写生」という方法は、動きのとれない病床からの庭のながめから生まれた。毎日の小さな変化こそ、頭で作るよりもオリジナルな素材の宝庫だというのである。子規が毎日訪ねてくる仲間と交流し、刺激しあうなかで生まれた発見だった。
 考えてみれば、明治時代ならテレワークという訳にはいかなかった。
十年前と比べても動画配信のスピードは段違いだ。
もちろん対面に比べ不便なことは多いが、通信の発達した今だからこそできることは多い。子規が現代にいれば、きっと今を楽しんで乗り切ったに違いない。
そう思えば、直接出歩いたり、人と会ったりすることのできない今も、立派な「写生」の対象だ。(俳人)