2012年4月29日日曜日

「外」の話


先日、梅田駅の紀伊國屋書店で、30代半ばといった風のお兄さんが、高柳克弘『未踏』を購入している現場に遭遇してしまった。ほかにもいくつか句集をめくっていたが、最終的に『未踏』を選んでいかれたのである。
ジーパン履きのわりと活動的な格好で、見た目はいわゆる雑読家風でもなかったのだけど、あの人は俳句関係者だったのだろうか。今、『未踏』というあたりが、どうも関係者らしくもなく、らしくもあり。
最近俳句をはじめた人が、句会の先輩に若手の句集なら『未踏』だろうと勧められてどんなものか買いに来た、とか、そんなストーリーを想像しつつ。




昨日(4/28)の朝日新聞別冊beに「好きな俳人」ランキングが掲載されていた。
第1位は松尾芭蕉で、889票、これは「58パーセント」と過半数の数値らしい。
第2位が小林一茶、868票と僅差である。記事には田中亜美さんの、「俳句と言えば芭蕉。これは誰でも思いつくが、一茶への共感は人間も含む生き物が題材だからでしょうか」とのコメントが載っている。
3位に正岡子規、716票。これはドラマ『坂の上の雲』の影響も大きいようで、ドラマでは秋山兄弟との交流に重点があったが、香川照之の鬼気迫る闘病イメージが作家としてのイメージも助けているようだ。
4位与謝蕪村、625票。ここまで得票が多いのだが、5位の高浜虚子は274票と大きく水をあけられている。

以下、6位から20位までが挙がっている。
種田山頭火、256票。黛まどか、142票。中村汀女、118票。金子兜太、79票。水原秋桜子、74票。山口誓子、70票。中村草田男、68票。飯田蛇笏、50票。鈴木真砂女、47票。尾崎放哉、46票。角川春樹、35票。加藤楸邨、32票。西東三鬼、26票。稲畑汀子、25票。杉田久女、22票。


このアンケートの調査方法は以下のようなものだったらしい。
朝日新聞の会員サービス「アスパラクラブ」のウェブサイトで3月にアンケートし、1537人が答えた。朝日俳壇で俳句時評を担当する田中亜美さんの意見を参考に、江戸期以降から現代までの代表的な50人の俳人を編集部が選び、その中から好きな俳人を5人まで選んでもらった。「その他」の項目では夏目漱石や芥川龍之介、寺山修司、渥美清などの名前も挙がった。
ちなみに記者は宇佐美貴子さん。できれば「代表的な50人」の顔ぶれを聞いてみたいところだが、うち20人が公開されているのでおよそ見当がつく。

昨年、「俳句の外」という言い回しが注目されたことがあったけれども、実際に「俳句の外」というと、こういう形でのアンケート調査ということになるかもしれない。
回答者の中で俳句関係者がどの程度いたかはわからないし、朝日新聞会員1537人という数値が統計学的にどの程度普遍化できるのかもよくわからないが、少なくとも俳句総合誌が行うアンケートよりは、「外」の認識を示しているといえるだろう。
そこで考えてみると、まぁ上位5人は妥当。俳句関係者で同様のアンケートを行っても、虚子の得票、ランキングがもっと上がるだろうが、いずれ上位には入るだろう。一茶、蕪村はすこしランキングを落とすかも知れない。
しかし俳句関係者で同様のアンケートを行ったら、5位以内に入ってもおかしくないのが、山口誓子、金子兜太だろう。逆にランク外の可能性が高いのは黛まどか、角川春樹のお二人。
特に黛まどかは7位と、現存俳人のなかでは最高位である。
CMで流れた俳句が印象的だった」(岐阜、38歳女性)という声も寄せられており、私は知らなかったが、結構いろんなCMに採用されているらしい。やはり「俳句を広げる」という意味においては黛氏の活動は馬鹿にならないものがある。




御中虫『関揺れる』と、関悦史『60億本~』が、結構な評判らしい。
なかでも松岡正剛氏によってウェブ上の書評集
『千夜千冊』でとりあげられ、紹介写真で関氏、虫氏の提供した写真が多数掲載されたのは、結構な壮観であった。
松岡氏は俳句にも親しんでいた時期があるそうだが、ざっとバックナンバーを確認したかぎり句集の紹介は少ないようで、芭蕉、蕪村、一茶の三俳人のほか、近代以降では
石田波郷くらいで、あとは加藤郁乎永田耕衣の著作が紹介されている。
ちなみに個人的に関悦史氏の雑読ぶりは、荒俣宏、松岡正剛氏と同種のものを感じ、その意味でも松岡・関の組み合わせに興趣を感じたのだが、どうであろうか。

ところで坪内稔典氏は、『関揺れる』について次のように批判している。
 ところで、詩人の城戸朱理が毎日新聞の詩の時評で御中虫の句を取り上げている(4月19日)。「春麗洗濯物と関揺れる」「関揺れる人のかたちを崩さずに」「揺れるなら止めてみせよう関悦史」という句。城戸はこれらの句を評して「ありうべき震災詩のひとつのあり方を示しているように思う」と述べている。もちろん、肯定的に評しているのだが、上の3句、私の読みでは取るに足らない。俳句の表現として新しいものや魅力がない。要するに駄句。

坪内氏が城戸氏の書評から孫引きしているのは、城戸氏による評をふくめて批判の対象としているからであろう。(たんに面倒だったのかもしれないが)先日記したとおり、私自身は御中虫氏のウェブ上における震災詠のこころみとしての「関揺れる」については、面白く拝読した。
ただし、これも書いたとおり句集は購入しなかった。ツイッター上の、いわゆる「祭」としてのおもしろさと、句集として「鑑賞」するおもしろさとは、おのずから別であるからだ。句集として見たとき、「関揺れる」掲載句は、やはり完成度は高くないと思う。それは第一句集『おまへの倫理崩すためなら何度でも車椅子奪ふぜ』と比べても歴然である。

しかし、一方でこうした「祭」的な言葉の勢いが、句集の形態としても松岡氏のような「外」に伝わったのだとすれば、それはそれとして注目していい事態かもしれない。一句ずつの完成度とは別に、言葉のもつ力が人に伝わる、ということは、ありうるからだ。

ちなみに城戸氏のあげる3句は、私もあまりいい句とは思えない。ブログ掲載の「関揺れる」で私が面白いとおもったのは以下のような句。どうも改めて見ると今回は非定型に収穫が少ないように思われる。
 関揺れる人のかたちを崩さずに
 「この季語は動きませんね」関揺れる 
 政治的意図はないけど関揺れる
 震源は?小首かしげて関揺れる
 関はいつも一人で揺れてゐた、いつも。


※ 5/31追記。  ・・・あ、「関揺れる人のかたちを崩さずに」は城戸氏があげた句と一緒だった。失礼。これはおもしろいと思います。
 
 

2012年4月27日金曜日

「読」を分解する

 

読む、ということについて考えている。

先輩から聞いた話なので出典がわからないのだが、國學院大学教授であった国文学者・折口信夫(釈超空)にこんな逸話があるらしい。

戦後、教育界も民主化の流れを受けて、講義の内容について学生側の要望を聞くということが行われたらしい。その年、学生たちは折口に『徒然草』の講読を要請した、のだそうだが、折口は無視して芭蕉七部集の評釈を行った、というのである。

細かい書名などは違うかもしれないが、これはどうも折口が変わり者だったとかいうだけでなく、散文は読めばわかる、韻文こそ評釈に値する、ということだったらしい。
逸話の当否はともかく、韻文を「読む」ためにはある程度の訓練ないし能力が要求される。


俳句に限って言うと、もっとも素直に俳句を「読む」環境は「句会」という場である。
というと嘘になる。なぜなら「句会」という場に集う人々は、基本的に、意識して俳句をやりにきているので、実はすでに「俳句」の「読み」のルールに、ある程度は乗っている人たちだと考えられるからだ。
ルールに乗って読む力、これが「俳句リテラシー」である。命名は外山一機氏による。
この「俳句リテラシー」を、どの程度まで求めるか。


坪内稔典氏は、「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」を、俳句知識を持たなくても暗唱できる「名句」であるとしており、「リテラシー」以前の口誦性などを重視しているが、「名句」の成立は教育など外的環境要因も大きいように思われるため評価が難しい。


「俳句リテラシー」を逸脱しかねない自由な「読み」は、しばしば型にはまった句の新しい魅力を掘り出すことが出来、その逸脱力こそ「句会の魅力」といえる。
ところが、句会において逸脱した「読み」は、たいてい「俳句をよりよく読める先輩」によって是正されてしまったりする。
これは善悪両面あって、既存の価値観に押し込められてしまうという面と、歴史的・日本語文脈的に確実な誤読を防ぐという面とを持っている。実際、季語も切れも無視した読解が句会で披露された場合、残念ながらそれは読みうる可能性の域にとどまり、コンセンサスを得ることは難しいであろう。
これにより、自由闊達な「読み」は、一定の方向性と深度をもった「鑑賞」へと移っていく、と考えられる。

玉虫色の解答を目指すなら、一句の「読み」とは、リテラシーに則った正攻法の「鑑賞」を示しつつ、リテラシーを無視した自由な「読み」の幅を許容することが重要なのだ。
「読み」の幅の大きさによって、一句の魅力はときに誤読であっても時代を超え空間を超え、読者の心を打つことがある。

塚本邦雄『百句燦燦』は、往々にして深読みに過ぎる独特の鑑賞文であるが、しかし誤読をも恐れない「読み」の推進力にあおられて、一句の輝きが増すのである。
『源氏物語』を恋愛小説と読むのは、研究上は誤りであり、当時の作者や読者が我々と同じ「恋愛」観を有していたわけなどないのだが、時代ごとに即した読みが行われることによって、作品は生き続けるのである。



私は古典文学を専攻していることもあって、「批評」と「研究」との差異に悩む、ということはあまりない。
「研究」というのは、私の理解では、客観的な資料、素材にもとづいて、作品の内容や背景など読解に当たって有益な新知見を明らかにすること、である。

古典作品を読む上では、文法や歴史的背景など読解にあたって押さえておくべき事象が多く、おのずから「研究」的手法をとらざるをえないからである。古典読解において「研究」的手法をおろそかにした「批評」には意味がないし、「研究」的手法をふまえた「批評」は、まぁ「研究」と呼んで差し支えない。
その点、近現代文学専攻の人とは「批評」に対するイメージが違うと思う。

いまこころみに「批評」を、簡単にネット辞書で引いてみると、

物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること。
[用法] 批評・批判――「映画の批評(批判)をする」のように、事物の価値を判断し論じることでは、両語とも用いられる。◇「批評」は良い点も悪い点も同じように指摘し、客観的に論じること。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/15630200/
などとある。
つまり「批評」は基本的に論者の「評価を述べる」ためのものであり、作品の内容に即した「鑑賞」よりも、さらに一歩踏み込んだ行為なのである。

もともと「文芸批評」の提唱者は、従来の「文学研究」が、作家の伝記的事実(どこで誰と会ったとかどこへ行ったとか)にこだわるあまりストーカーのようになってしまったり、草稿の一字一字の書き直しに注意するあまり小説全体を読んでいないような論文があることを批判して、作品をどう読むか、どう評価するか、ということを重視しようと言い出したものらしい。


考えてみると俳句の「選」というものは、「選は創作なり」という言葉もあるが、ただ読むだけでなく作品内部に分け入って評価し、ときに添削まで加えてしまうというものである。つまり、一句一句について「精読」する必要があり、その意味で「批評」である。
といっても、先ほど述べたとおり「批評」がいくら自由に作品に迫っていこうとしても歴史的背景や文法を無視して論評されてしまうと、それは一個人の「読み」にしか過ぎなくなってしまう。その批評が当を得ているかどうか、は、その批評がどこまで客観的な素材にもとづいて議論しているか、にかかっており、その点、「研究」とは目指すところは違っても手続きは似ている。
(続く・・・?)

2012年4月19日木曜日

雑記、読むこと



先日、青木亮人さんたちがツイッターでやりとりしていた、
金子兜太についてのツイッターまとめがおもしろい。
青木さんは、金子兜太の造型俳句論、社会性俳句といった動きを、同時代の動きとからめて論じた評論が少ない、と指摘していて、実に「研究者らしい」。

兜太にかぎらず、およそ現代俳句作家について論じる手続きは、いつも不充分としか思えないことが多い。
おそらく、造型俳句論や社会性俳句の議論がやかましかった時代は、いちいち出典を明記しなくても、用語のはしばし、論の方向性で、どんな思想の影響があるか、どういう議論を踏まえているか、というのが、共有理解としてあったのだろう。論を読む側にとっても、「今」なぜこの論か、がわかっているから、盛り上がるのだ。

しかし、少なくとも私にはそういった知識がない。正直、なぜ兜太がこうした論を唱えたのか、どういった作業を経て論を立ち上げるに至り、それが社会的にどの程度どんな影響を与えたのか、といったことがわからないままに兜太の論だけを見てもよくわからないし、作品とどうつながっているのか、も見えずらいのだ。

関連して八つ当たりしておくと、俳句界の「評論」と呼ばれるものを見ても、こういう「なぜ」に答えてくれるものはきわめて少ない。

「作家論」と名付けられていても、作家の俳論を参照したり、句集の出版年次まであげているのはまだ良心的なほうで、ほとんどは俳壇的経歴と、代表句数句の鑑賞ですませている場合が多いだろう。もちろん、評者はきちんと調べていても読者や書肆に求められていないから書かない、ということもあるのだろう。
ただ、こうした「読後感想文」については、もちろん基礎作業としては有意義だしそれだけで読ませる名文家も俳壇に多いことを承知の上で、少なくとも「評論」と呼ぶべきではないだろう。

新人作家、現存作家の場合は、雑誌掲載分とか、ここ数年の代表句とか、かいつまんでも論じられると思うが、物故作家、しかも大作家を論じる際に、手垢のついた代表作数句から「作家論」を立ち上げようというのは、無謀だろうと思う。
それをやって許されたのは山本健吉の時代までで、少なくとも山本健吉によって良くも悪くもある程度「俳句評論」の道筋がついてしまった以上、それを乗り越えるために後進としてはもっと緻密な作業も必要なのではないか。その作家の立ち位置というか、なぜその時その主張をしてその作品をつくったのか、という、作家、作品に即した、「なぜ」を評者なりに考える必要があるのではないか。

その意味で、青木さんのツイートは、「読む」作業と、もう一歩上に「研究」ないし「鑑賞」する、ことの差を、端的に指摘してくれたものとして、興味深く拝読した次第。


もう少し、議論を展開させるつもりでもあったのだが、とりあえずここで原稿あげときます。



 

2012年4月15日日曜日

俳句ラボ

 

柿衛文庫で、定期的に若い世代の句会が行われることになりました。

俳句ラボ 

~若い世代のための若い講師による句会~

柿衞文庫の也雲軒(やうんけん)では、若い世代の人たちの句会を開催します。1年間の成果は作品集にまとめる予定です。ぜひお気軽にご参加ください。
・日 時:毎月最後の日曜日 午後2時~(詳細は下記の日程をご覧ください)
・場 所:公益財団法人 柿衞文庫
・講 師:塩見恵介さん、中谷仁美さん、杉田菜穂さん、久留島元さん
・参加費:1回500円
・対 象:15歳以上45歳以下の方
・日 程
第1回:6月24日(日)
第2回:7月29日(日)
第3回:8月26日(日)※吟行
第4回:9月30日(日)
第5回:10月28日(日)
第6回:11月25日(日)
第7回:12月23日(日)〔第4日曜日〕
2013年
第8回:1月27日(日)
第9回:2月24日(日)
第10回:3月31日(日)※吟行

お問い合せは、公益財団法人 柿衞文庫 電話(072-782-0244)まで
 

上述のとおり「講師」という肩書で、句会のお世話を回り持ちで担当させていただきます。
内容は、それぞれ担当者や、当日の顔ぶれによって変わるかも知れませんが、とりあえず私は「句会を楽しむ」を目指していくつもり。
この場で特に理屈こねたり、勉強会的なことをやる予定はありません。

「お~いお茶」に応募してみて興味がわいた人とか、

高校大学でちょっとやってたけど、結社句会に顔を出すのは怖いな-、という人とか、
俳句甲子園には出場したけど、卒業してから全然やってないなー、という人とか、
結社の句会がベテランばかりなので息抜きに同世代に知り合いたい人とか、

というか全く俳句初めてだけどやってみるかな、という奇特な方とか、

いろんな方、歓迎です。
中谷、杉田、の美人講師に会いたいだけの人も、歓迎します。
(当日担当者は告知しませんので、当日担当が私でもお怒りにならない方限定)


若手に限定した句会というのも珍しいと思いますが、そのぶん人の集まりも悪いと思われるので、このブログご覧になっている方々、興味のありそうな方面には、【拡散希望】です。
よろしくお願いします。

2012年4月7日土曜日

(承前)高低差について


先日の時評に関する記事、やけにアクセスが多いなと思ったら、関さんがツイッターで取り上げてくれていたらしい。

蛇足的に付け加えるが、もちろん『俳壇』誌には何も含むところがない。
ただ、増成氏の「若手」認識の、あまりに旧弊な、二十年以上変わらない認識が「時評」として掲載されている状況に呆然としたのである。

実は『俳壇』誌には「若手作家トップランナー」という連載がある。
生きのいい若手の作品だけでなく、毎回すぐれた評者によって作家論も付してある、という、これは手の込んだいい企画なのであって、結構読み甲斐があるものだ。


いま手元にある、昨年8月号では(特集・妖怪百句物語、の号である)神野紗希さんが取り上げられていて、作家論は櫂未知子氏が担当。日頃親しい櫂さんらしい、情の深い、いい文章である。今後も神野紗希論として参照されるべきであろう。


また、件の今月号ではドゥーグル・D・リンズィー氏が取り上げられており、高山れおな氏が作家論を担当。そこではかつて高山氏が「豈weekly」誌上(オンライン)で掲載したリンズィー論をふまえて記述されており、これもおもしろい。


つまりこれは、同一誌面上にみられる「差」が恐ろしい、という話なのである。
高低差が激しすぎるのである。


この場合の「差」は、割とわかりやすく「世代」で区切れそうだが、おそらく「世代」だけの問題ではなく、普段接している人間関係、あるいはコミュニティ、俳句的用語で言うところの「座」の問題なのだ。

(この意味で、関さんが「句集」を、コミュニケーションツールの一種に捉えている点は面白い。拙稿曾呂利亭雑記: かさま & ゆうしょりんに引用した座談会の発言なども関わるであろう)

作家Aが属するコミュニティと、作家Bが属するコミュニティ、AとBはともに「俳句」というジャンルで、「俳壇」に属していながら、分裂してきた。
これまでだとたとえば、「地域」(中央と地方、都市と田舎)、あるいは前衛とか伝統とかの「所属」「俳句観」で、これらは分裂していたのである。
無視するとか、対立するとかではないのである。まったくの没交渉。相手が何をやっているか、ということに興味関心をもたず、まったく、「知らない」という状況。

すなわち、「結社のタコツボ化」という表現で、あらわされていた事態である。


実際問題として、ひとりの作家がふつうに生きて交流できる人数は限られているから「結社のタコツボ化」は当然おこりうる。
それ以上に「外部」と交流することを望む時代(つまりそれだけ俳句が多様化し拡大した時代と言うことだが)に求められたのが、「総合誌」であり、また「協会」という形式だっただろう。


ところでその、「地域」や「世代」をこえるツールとして期待されたのが、現代にあってはインターネットであったはずである。


事実、「週刊俳句」は、結社や地域の縛りをなくして、「同時代の俳句を読みたい」欲求に答えるために、発足した。


しかし今、「週刊俳句」がひとつのコミュニティ、つまり「ネットツール」を利用できる層だけのコミュニティ、となってしまって、「ネットツール」に親和的な作家と、そうでない作家とをまったく区分してしまい、コミュニティの
外部、つまり既成の「俳壇」的なるものに、まったく届いていない、まったくの没交渉になるのだとすれば。
これはいささか、背筋の寒くなる事態である。

正直に言ってしまうと、私は筑紫磐井氏がけしかようとする「世代間闘争」には、あまり関心が持てない。

それより私は同時代全体の「没交渉」をこそ、どうにかならないか、と思う。
お互い「俳句」に関わるなら、お互い、建設的に、コミュニティ同士、回路設けていけませんか、と。


2012年4月4日水曜日

時評について


こんにちは。サボるつもりもないのですが、また期間があいてしまいました。
週1更新、月4~5回ペース、と思っているのですが、3月は3回しか更新できてませんね。面目ないです。



先日、北のほうへ行ったついでに東京へ立ち寄ってきました。
そのときにも話題になりましたが、八田木枯さんの訃報。最近ネットを通じて面白い作家だと知ったところだったので、やはり残念。

木枯さんについては週刊俳句、また「きりんのへや」でご参照いただくとして、私が興味を持ったのは、関悦史さんの時評であった。

週刊俳句 Haiku Weekly: 〔週刊俳句時評61〕なぜ句集なのか ――現代俳句協会青年部勉強会 「シンポシオンⅤ 句集のゆくえ」の後で 関悦史


これは直接には現代俳句協会青年部の勉強会、「句集のゆくえ」からスタートしている。
関さんは周知のとおり『六十億本の回転する曲がった棒』(邑書林)を上梓されたわけだが、そもそもなぜ「句集」という形態が必要だったのだろうか。
ネット媒体に親しい関さんあれば、当然、紙媒体以外にも作品発表の選択肢は多かったはずだし、そもそも関悦史という作家の個性を考えると、「句集」という形で後世に遺ることを至上としているようにも思えず、「俳壇」的評価を気にするお人柄でもなかろう。そんな関さんが句集をどう思っているか、というのは、たしかに興味深い点ではあったのだ。
関さんは結局、「句集」という形態は読者の読みたい欲求と作者とを結ぶ「交流」の手段だ、という。そしてそこから最近接した作家の訃報を通じて、

句集を編む際には、それを届け、読ませたい誰彼の名が、数百人以内の規模で現われる。現在、俳句が「座の文学」であるということの潜在力は、句会よりもむしろ(遺)句集編纂という局面でその真価を発揮するともいえるだろう。
と論じる。
ところで、関さんの時評がおもしろいのは、この続き。
ここから外山一機さんが『鬣』に発表したという文章に接続し、インターネットでの送受信が容易になってしまったことでかえっておこる「奇妙なループ」、つまり、「ネット上での活動はしばしば不特定多数よりは特定のコミュニティ内の誰かに向けて発されてしまう」という、外向的に見えてその実内向的な奇妙さ、に警鐘を鳴らすのである。

ネットを通じた交流の広がりが、実は小さな島宇宙を形成していくだけだ、というのは、SNSやツイッターのようなコミュニケーションツールを論じる際に言い古されているが、「句集」の問題から、ネットツール問題にまで言及できるのは、やはり関さんならではと言うべきだろう。



こんなことを考えたのは、実は『俳壇』4月号誌上の「時評」の、あまりのていたらくに驚いたためである。

増成栗人氏の文章で、話題は俳壇の高年齢化について。
まず小中学生への俳句教育から書き起こし、しかしその上の世代である二十代、三十代の割合が5パーセントを超える結社はほとんどないだろう、と言って結局明日を作るのは若者なのだから「若人」たちよ恐れずに一歩を踏み出せ、と結んでおられるのだが、驚くべきことに、そう、まったく私には信じられないことなのであるが、文中、俳句甲子園にも、芝不器男新人賞にも、『新撰21』にも、それどころか、高柳克弘、神野紗希といった名前すら、ただの一回も言及がなく、唯一登場する作家の名前が、なんと黛まどか氏『B面の夏』なのだ。
(黛まどか氏については外山氏の俳句時評のほうがよほど読むに値する。増成氏が俵万智氏と黛氏を単純にならべて短詩型ブームがおこったように書いているのに対し、外山氏はきちんと年次をあげ、最後に松本恭子氏にも言及している)

増成氏が言及するのは、各結社が小中学生相手にジュニア俳句を指導している努力、であって(おそらくご自分の結社でされているのだろう)、二十代三十代はもう一人も育っていないような口吻であり、そのうえで「若人」たちへ、夢と責任をもて、と、おっしゃるのである。
当たり前だが、いち結社のなかで若手が何パーセントだろうと、それは結社内部で解決すべきことであり、総合誌上の公論としては、「俳壇」全体の何パーセントが何歳代であるか、ということを話題にすべきなのだ。
仮に、増成氏が、今の若手に黛氏のように論評に値する実力者ないしカリスマ的な存在がいないというのであれば、そのように書くべきであろう。
現在の「若手」を一切無視して説諭されても、「若手」としても聞く耳の持ちようがない。

「新撰」シリーズによって「若手」ブーム、ともてはやされているようでありながら、そのブームが「新撰」以外の若手におよぶどころか、ブームすら無視した議論が、総合誌上に「時評」として掲載されているという、その格差は絶望的である。
結局、「新撰」シリーズですら、話題になっているのは「週刊俳句」界隈、という、新たに作られた狭いコミュニティのなかだけ、ということなのだろうか。



かつてこの場で、私の期待する「時評」について書いた。
曾呂利亭雑記: 若手評論家見取り図、時評篇

「時評」とは、時機に応じた批評、評論、であり、一個の完結した論考である必要はない。しかし、ときどきにおける問題提起がなければ「時評」ではない、と思う。
要するに、インプットとアウトプット。
読者の知らない情報をインプットする情報収拾力と、その情報を読者にとって身近な問題、公論のために必要だととわからせるアウトプット、問題提起の力が必要なのだ。

もっと言うなら、小さなコミュニティのなかだけで消費されがちな問題を、隣のコミュニティにもわかりやすく提示してくれる、「道しるべ」であってほしい、ということなのだ。
その意味で私は、自分の参加できなかった研究会の内容や、知らなかった最近の句集、評論の話題から問題を提起してくれる、関さんの時評にたいへん刺激をうける。
あるいは川柳世界の案内人として、毎週力のこもった鋭い問題提起を発信し続けている小池正博さんの時評を愛読する。
あるいは、ときにジャーナリスティックにすぎる高山れおな氏の文章や、幅広い目配り(気遣い)と一貫した問題意識をもつ高柳克弘氏に対して、論旨とは別に深い共感を覚えるのである。