2022年3月21日月曜日

【転載】京都新聞2022年2月7日 季節のエッセー(29)

 「春を待つ」

春を待つ、という季語がある。
漢語でいえば待春。万葉集にさかのぼるようだから日本でも相当昔から愛されてきた言葉で、春待顔などという言葉も平安時代に用例がみえる。
もう少し春の気配を感じられると、春近し、となる。

春隣という言葉もあって、やわらかな、よい言葉だと思う。
春の訪れは春信、春告鳥といえばウグイスのこと。実家のある神戸の山裾でもウグイスの声は聞こえるのだが、それと意識したのは俳句を始めてからだった気がする。
ある友人は、季語を知ると目の前の景色の解像度が上がると表現していた。まさにそう、知っていたはずの景色をより明晰に認識することができる。

あるいは春に入ってからも余寒、冴え返る、など早春の寒さをあらわす季語がある。

 鎌倉を驚かしたる余寒あり 高浜虚子

行きつ戻りつ、少しずつ寒さがほどけて春らしくなっていく。春夏秋冬、それぞれに移ろう時季を楽しむ季語はあれど、冬から春にかけての変わり目は、特に語彙が豊かなように思う。

春先に強い風が吹けば、SNSのトレンドワードに「春一番」があがる。
気象庁の定義では、立春から三月半ばごろまでに、日本海に発達した低気圧により最初に吹いた南よりの風。もともと西日本の方言だったものを民俗学者の宮本常一が採集し、歳時記で紹介されるようになったという。全国的には比較的新しい言葉だが、いやだからこそなのか、現代では季節の言葉として定着している。

天気予報といえば「暦の上では春ですが、」という定型句もよく使われる。我々はなんとなく春は暖かいものと思い込んでいるけれど、立春を過ぎても暖かい日はなかなかやってこない。だから「名のみの春」などという言葉まで使ってしまうのだが、実はこれも吉丸一昌作詞の唱歌「早春賦」で広まった新しい言葉らしい。
以前、別の場所にも書いたが、一年を四等分した暦本来の意味からすれば本末転倒でも、「名のみの春」の感覚は現代人には広く支持されている。
季節や暦の感覚が乏しくなった時代だからこそ生まれたり、再認識されるようになったりする言葉がある。
歴史の浅い、バーチャルな季語を嫌う人もいるけれど、新しい、軽い手ざわりも捨て難い。そして多くの人に愛されて、厚みを増していくのだ。


ウラハイ = 裏「週刊俳句」月曜日の一句 久留島元の一句

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