2021年3月16日火曜日

【転載】京都新聞2021.02.08季節のエッセー(19)

 「置き忘れ」

 忘れ物が多い。

特に、傘の置き忘れ。誰しも一度は覚えがあるだろうが、私の場合、残念ながら一度や二度ではない。

二年ほど前になるが、電車に乗ったところで長傘を書店に置き忘れたことに気づいた。幸い、店主とは親しかったのでSNSで連絡しようと思った、そのとき。驚くべき事実に気がついてしまった。
なんと、「傘を忘れたので、後日取りに行きます」という連絡を、その一年半ほど前、同じ店に入れていたのだ。

しばらく迷ったが、恥を忍んでまったく同じ連絡を入れた。
店主は笑って保管しておいてくれ、後日取りに行くと「こんなこと滅多にないから、笑い話にしたほうがいい」とアドバイスをくれた。
スマホには履歴が残るが、私のほうは進歩がない。

いま使っているものの中では妻からもらった名刺入れが、比較的長持ちしている。あちこちで置き忘れたが、名刺のほかにポイントカードなど個人情報をたどれるものが入っているので、万が一置き忘れてもすぐに気づいて、慌てて取りに戻る。
個人情報といえば、一度、携帯を新幹線のホームに置き忘れたときには、東京駅の忘れ物係から郵送してもらった。

ちなみに鉄道で多い忘れ物のランキングは、例年傘が第一位。年間数十万本が廃棄されるという。もちろん携帯やスマホ、意外と現金も上位に入るそうだ。
冬から春先にかけてよく見かける落とし物といえば、マフラーや手袋。
ガードレールや電柱に結びつけてあるのもしばしば目にする。道で拾った人が目立つように配慮したのだろう、同じ道を行きかう人同士の、無言の会話のようなもの。
いかにも俳人好みの素材だと思うが、成功した句を見たことがない。誰もが目に留めることをオリジナルな表現で言い止めるのは至難の技なのだ。
なくすことが多いせいか、物への愛着は薄くなりがちだ。
文筆業の人だと筆記用具に愛着をもつ人も多いのだろうが、私はなくしたらあきらめて同じメーカーの品を買い直してしまう。
たとえば私が死んだあとも、思い出深い愛用の品というものはたぶんあまり残らない。
以前は我ながら寂しい気もしたが、もしかすると、とても潔いことかもしれない。
そう思うとちょっと愉快な気もする。


※追記。ちなみに、文中に登場する「書店」さんは、葉ね文庫さんである。
※追記。このエッセーを読んだ姉から、「私が東京駅に携帯を行った気がする」といわれた。そういえばそんな記憶がある。
証明が必要だから直接取りに行かないといけないと言われて、取りに行ってもらったのかもしれない。そうすると、郵送してもらったのは姉から郵送してもらったことになるので、上の記憶はやや間違いがある。

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