朔出版、 著者の第3句集。
帯の惹句に「平成を駆け抜けた「船団」時代を総決算」とある。文字どおり「船団」解散にあわせて、新たな旅立ちという思いの籠もった一冊ということだろう。
構成が変わっている。二章構成で、Ⅰ 四月のはじめ~八月のおわり、Ⅱ 九月のはじめ~三月のおわり、となっていて、後書きにあるとおり、句作の現場であった大学の二期制にあわせたもの。
まずはざっと目に付いた句を。
#STAY HOME スイートピーが眠いから Ⅰ
レタスから夢がこぼれているところ
犬動画見て猫動画見て日永
縄文の空に野生の虹を飼い
ポケットにいつの胃薬夏の月
女子力の高い団扇の扇ぎかた
中年は急にトマトになるのかも
世の中をちょっと明るくする水着
廃船に汽笛の記憶草いきれ
ぷかぷかを悩む水母に陽が届く
いちじくはジャムにあなたは元カレに Ⅱ
月ノ出ルアッチガマンガミュージアム
橋を焼くように別れて芒原
むく鳥は空消した消しゴムのかす
消化器のなかが霧笛であったなら
コロッケのぬくさは正義冬めいて
虚子以後を小さなくしゃみして歩く
熱燗のそれぞれに貴種流離譚
初夢がめっちゃ良くなるストレッチ
燕来る隣の駅が見える駅
中高で専任教員として多忙を極めるなか、京都の女子大学で講師体験が長いせいか、ターゲットのみえる句が散見される。
日常的な「あるある」で笑いを取りにいっているような句も多く、機知と日常詠が本集の基調をなしているといえる。そのなかで「胃薬」「熱燗」の句は「中年」の現実といえるかもしれない。
そうした日常詠が多いなかで注目できるのは、「縄文の空」「廃船に」「橋を焼く」「むく鳥は」「消化器の」のような、ロマンティックな見立ての句だ。壮大さと繊細さが同居していて、作者の詩質が本質的に叙情にあることを思わせる。
「ぷかぷかを悩む水母に陽が届く」は、作者の想像力と日常的ユーモアの、中間的位置づけかもしれない。一見軽いが、「陽が届く」の優しい明るさが心地よい。
見逃せないのは、
白南風は地球の欠伸モアイ像 Ⅰ
爽やかや象にまたがる股関節 Ⅱ
印度全土の全印度象嚔
耕して地球にファスナー付けてゆく
蒲公英を咲かせて天と地の和解
などの、地球規模の視点をもった句。どれも壮大な比喩、想像力で気持ちが良い。
アウンサンスーチー女史的玉葱S Ⅰ
びわゼリーちょっとセリヌンティウス風
固有名詞を「~的」「~風」で形容詞に使う手法は船団のなかでも一時流行したが、解釈の幅が自由すぎて成功例は少ないように思う。
「アウンサンスーチー女史」は、何故か女史という敬称が必ず付けられる違和感とともに「玉葱S」の謎が重ねられていて、ちょっと複雑な句である。
それから、本集には一時期作者が集中して作っていた「雪女」の句がわずか二句(牛乳のちょっと混じった雪女、眼鏡だけ残して消えし雪女)しか収録されていなかったが、その代わりでもなかろうが宗教・オカルトめいた句がいくつかある。
守護霊がおられるのですビールに泡
サイダー、サイダァー、ってずっと言うイタコ
秋澄んで石触ったり拝んだり
風刺的ではあるものの否定的ではないあたりが作者の愛情かもしれない。
後書に「幼小中高大学生という年下の方々と教育現場で、あるいは、地域の若い社会人や熟した人生を送られている先達の方々とカルチャーセンターで」作られた句をまとめたという。著者の多忙ぶりは、私も仄聞するばかりだけれど、おそらく日本で一番バラエティゆたかな年齢層と句座を重ねている作家ではないだろうか。
表現に野心的な専門家が集まる句会ではなく、さまざまな年齢の人々と交流するなかで生まれた句集であるということが、現代俳句の、ある意味ではもっとも実践的な場で磨かれた表現でありうるということを実感させられる。
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