2015年5月3日日曜日

在京感、ていうか。


話題です、『関西俳句なう』
やや残念なことに、とりあげた作家の作品より、惹句のほうが話題先行している模様。

週刊俳句 Haiku Weekly: 後記+プロフィール419

東京に対する「関西」という枠組みに意味があるとすれば、福田くんもご指摘のとおりカウンターだと思うが、関係あるかなと思うので拙記事(曾呂利亭雑記: かみがた)。
たぶんこの意味合いは「九州」や「東北」とは、また違うはずである。

話題になっている「東京が~」の惹句を提案したのは私ではないのですが、地方にいることでメディア露出が少ない作家が多いと感じて賛成したのは間違いない。
それを挑発的に謳いあげれば、ああいう形になるわけですが、しかし、どこまで本気かというと、やや心許ない。
実際、編集に近いサイドの読者からはこんな感想も出ている。




ただ、挑発によって無意識だった人たちの心をざわつかせることがあったなら、惹句としては成功ですね。



ところで、週刊俳句が「在京」メディアだったり、まして「俳壇の中心」だったりするか、と問われれば、「現実」的には、んなわきゃない。

だって週刊俳句って、俳句甲子園出身の学生が編集に入って、関さんや小津さんが活躍し、野口裕さんが連載したり、いつき組やふらここがジャックしたりするんですよ。
中心なわきゃないし、東京集中ともいえんでしょう。

もちろん、執筆者の多くは東京近郊在住だろうし、実際、東京で発生したメディアだったから多くの人を巻き込んで続いてるのだとはいえるでしょう。(「なんかいろいろ集まってる感じがするぞ」)
しかし所詮、「インターネットの世界を無闇に信奉しているのではないかと思われる世代」「週刊俳句あたりをうろちょろしている若い人」という、カルト信者的な扱いをうけている人たちなのだから、偏っていることを指摘するのも、不毛な気はします。
そもそも紙媒体と違って投稿受付しているので、どんどん地方作家も無名作家も、作品なり評論なりエッセイなり、送りつけてよいのだろうと思う。
(実際、私も何度も送りつけてますし)
追記05/05 コメント欄にて指摘をうけたが、週刊俳句は作品投稿は受け付けていない由。失礼しました。
だから、「東京がなんぼのもんじゃ」で対視(あえて敵対視とはいわない)されている「もの」が、週俳のような限定的で流動的なメディアでは、あまりに気宇が小さい。
もっとありますでしょ、「東京」のもつ権威的なもの。



一方で、福田くんに沿って「原理」的に考えれば、週刊俳句であれ関西俳句なうであれ、言説を発信し、編集している「メディア」は、どんなに規模が小さく流動的であっても、「権威的」にならざるをえないはず。
まして7年続けていれば、たとえば関悦史に影響うけた小津夜景、柳本々々が登場する、なんてことがありうる。
追記。 蛇足的に加えれば「話題にする/される」関係に生じる上下関係、身も蓋もなく言えば「発話する/聞く」関係の上下関係が、あると思うのです。これはブログ、ツイッターから日常おしゃべりまで、原理的には同じですよね。ポストモダン的な知性は、常に権威性を無化しようとするように思いますが、結局0にならないことを意識していくしかないのでは。
週刊俳句だって、ひとつの中心・ひとつの権威でありうるし、一部の人に「無闇に信奉」されている対象、にみえうるということ。
そのことから目を背けていたら、たぶん、見えなくなるものがたくさんある。

私見によれば、俳句界では「周縁」を自負、自称する人が多いが、「周縁」を続けるというのは、本来とても難しい。

「中心」に対してカウンター的に作ったものが、別の「中心」になってしまい、それがまた大きな力を持つわけではなく小さな島宇宙を形成し、島宇宙同士がなんら交流できないままお互い敵視/無視して、、、

と話を進めていけば、これは毎度おなじみの「現代文化論」。



もうひとつ、以前からやや気になっていたのは、週刊俳句誌上に登場機会が多い評論家のスタイルで、ある「好み」が共有されているような、特定の作家をつねに話題にするような、一種の連帯感が透けて見えることだ。

もちろん、先に記したとおり週刊俳句にはある種の「カルト」的側面があると思われるので、それが同人誌的な連帯感を帯びるのはやむをえないのもしれないですが。

だから、「カウンター」の刺激というのは、やはり存在意義のあるものであり、俳句は、いろいろな方向からのカウンターで常に撹拌される、「広い」ものであってほしいと思うのだ。
 

2015年5月1日金曜日

5月30日


「船団」初夏の集いで、シンポジウムに登壇します。


2015年 船団の会初夏の集い in 静岡
 富士の裾野で 詠む・考える
5月30日(土)・31日(日)

5月30日(土) 
於:GRANSHIP/グランシップ(静岡市駿河区池田79-4 電話:054-203-5710)
13:00~ 受 付 (於:GRANSHIP/グランシップ)(アクセス)13:30~16:30 
シンポ 1 「出版から見える俳句」 13:30~15:00 
(ふらんす堂、KADOKAWA、本阿弥書店、池田澄子・坪内稔典)

シンポ 2 「私の俳句的課題」 
芳野ヒロユキ VS 山本たくや・久留島元・紀本直美・藤田俊・静誠司

★シンポは一般に公開します。(一般参加費1500円)事前に申し込んで下さい。 
(会 場 移 動) 
18:00~20:00 懇親会 (会員限定)        於:静岡グランドホテル中島屋   船団賞表彰/懇親
問い合わせ・申し込み:船団の会会務委員 岡 清秀(TEL:090-6058-6529、Mail(okaki5☆k.vodafone.ne.jp) 小西雅子(TEL:080-3134-3613、Mail(masaco_524☆k.vodafone.ne.jp) ※☆を@に変えてご連絡ください。


「VS」ですよ「VS」。話題の。

『関西俳句なう』でとりあげられたのは、船団のなかでも関西勢だけだったわけですが(3年前の段階で)、今回は東京の紀本さん、東海の静さんをふくめてのシンポジウム。
「俳句的課題」ということで、それぞれ何をテーマに持って行くか、考え中。

こういうとき、ふつうなら自分の実作上の課題について理論構築していったほうがいいのかも知れないけど、私自身の興味関心としては、実作よりも周りの「場」をどう考えるか、が課題。
年末の「俳句Gathering」で話題になったようなことや、『関西俳句なう』、さらに伊丹俳句ラボや、自分自身の大学での創作演習のことなど、いろんな「場」の在り方のことが、ぐるぐると頭をまわっている。

船団でのシンポジウム参加ははじめてなので緊張しておりますが、屈指のエンターテイナーである芳野さんが司会ですから、ドンと胸を借りるつもりで自由に発言したいと思っています。
追記.もちろん当日の話題は司会の芳野さんや、ほかのパネリスト、会場の流れで変わっていくので、「場」が中心的な話題になるかどうかは不明。私個人の関心がそこにある、というだけです。為念。

もうひとつのシンポジウムも、俳句界では珍しい視点。
作家や評論家ではなく、それを支える「出版」の人たちを招いてのシンポジウムです。
実作や評論ではなく、制度、システム側から「俳句」を捉え直す、というのは、とても面白い試みですが、これを総合誌やメディア自身ではなく、「船団」という同人誌の場でやってしまうというのが眼目ですね。
坪内ネンテンさんは、若い頃から「日時計」「現代俳句」と、自分で総合誌的な場を作り、評論活動をリードしてきた人。
また、沖積舎や創風社出版などの小さな出版社にも深く関わっている、メディアの立場をよくわかってる人だからこその、テーマなのだろうな。と。

静岡というところで関東からも関西からもお誘いしにくい距離ですが、参加希望の方、取り次ぎますのでご連絡ください。



ほか、5月30日には、各地で興味深い催し。

まずは大阪俳句史研究会
5月30日(土):小川軽舟氏――田中裕明 人と作品会場: 柿衞文庫開始時刻: 14:00
ということです。

なんでよりによってぶつけてくるかな、と思いますが、仕方ありませんね。
大阪俳句史研究会は、俳句に関心があれば誰でも年会費5000円で参加できる研究会。
私自身は、たまにある公開フォーラムしかお邪魔したことがないのでえらそうに言えないのですが、『大阪の俳人たち』などの貴重なお仕事を続けている団体です。



で、もうひとつ。

こちらは本当に専門の学術学会ですが、日本近代文学会で青木亮人さんが登壇されます。



2015年度春季大会
   日時: 2015年5月30日(土)・31日(日) 
   場所: 東京大学 駒場Ⅰキャンパス [地図]
                    京王井の頭線・駒場東大前駅 徒歩2分
    発表要旨は[こちら
  ■ 30日(土) 14:00より 会場:5号館
開会の辞   小森 陽一
《特集》 震災後にうたうこと――日本詩歌の可能性/不可能性
 青木 亮人 体験と有季定型
 阿木津 英 〈記録する私〉の問題
 佐々木 幹郎 震災後にうたうこと――詩と「うた」をめぐって
 (ディスカッサント)小関 和弘  
〈総会〉 

〈懇親会〉ルヴェソンヴェール駒場(駒場ファカルティハウス一階)
(※30日(土)12時30分より、512教室で評議員会を開催する予定です。)
学会の参加って、学会の性格ごとに全然違っていて、私の参加している学会なんかは会員でなくても自由に出入りして聴講できるのですが、近代文学会はどうかな。
もしかしたら参加費が必要だったり、会員申し込みが必要かもしれません、そのあたり確認しなきゃわからないので、申し訳ないデスが。

「要旨」をみる限り、青木さん、「現代詩手帖」の時評ばりに、俳句界のホットな話題を使ってご報告になるようなので、大変興味深い。
本発表では、市井の俳人や総合俳句誌等に象徴される「俳壇」動向と、関や鴇田ら俳人の句との偏差を浮き彫りにしつつ、詩や短歌といかに共通し、何が異なるかを明らかにしていきたい。 
だそうですよ。



さて、5月30日、どこに行きますか?
(私は選択肢ないのだけど)


2015年4月23日木曜日

ありがとうございます。


3~4月で、俳句をふくめ短詩型関係の人とやりとり・会う機会がたくさんあって、そこで考えたこと、思ったことをメモしつつ、「下書き」状態で放ってあるので、はやくアップしなきゃいかんのですが・・・。

ありがたいことに、『関西俳句なう』(本阿弥書店)刊行から、拙句をとりあげてくださる方が。

きつね来て久遠と啼いて夏の夕  久留島元  spica よむ

2015年4月17日 ねんてんの今日の一句

『関西俳句なう』 週刊「川柳時評」

「奇譚のかけら 久留島元の一句」 俳句的日常

どなたさまも、ありがとうございます。

書籍で句をまとめると、いろいろな方が反応してくださるのでありがたいですね。

今回、句群のタイトルを「妖怪の国」としました。
はじめは無題だったのですが、編集の過程でやはりタイトルあったほうがいいだろうということになり、
  日本は妖怪の国春の川
から採って、「妖怪の国」。

わたくし「妖怪」好きですからね。俳句よりもつきあいは古い。深い。
国文学を研究しているのも「妖怪」が好きだからだし、論文は「鬼」や「天狗」ばかり扱っているし、日ごろの交流も「妖怪」「恠異」の探求、研究が好きな方々が多い。
ですからまあ、周りからも「妖怪」俳句を作れと言われますし、自己紹介がてら作るときもあったり。
ということで、半ば冗談で作った俳句、つけたタイトルなのですが、結局はわたくしの本性はそこだ、ということでしょうか、全体的に「そーゆー流れ」で読んでいただくことが多いようです。

妖怪俳句。奇譚。

そうなんや、と。

本人、そこまで全体に「妖怪」づくしとは思っていなかったのですけど。
というか、私の句はほとんどが句会や、依頼にもとづいて、〆切間際に「えいやっ」で作る句なので、一貫した世界があるとは思っていない。
基本的に、俳句は句会のもの、句会ごとに大半が消えていくものという認識なのです。

むろん、句を並べる、編集のときには多少の意識もあり、細工もしますが、むしろ、妖怪研究の立場からすれば、読者・俳人柳人の方々が、こういう句をすべて「妖怪」的、と認識している、ということも興味深い。

  きつね来て久遠と啼いて夏の夕
も、これは東京の友だちと句会をしたときに(会場は銀座ルノワールでした)、席題で「久」が出て。
そうですね、久留島の久。それで作った句。深い考えはない。
それが、いろいろの方にとりあげられると、育ってくる。
ありがたいことです。

作者の認識とか思い入れと別に、読者に育てられる。
これは、大変幸福なことと思います。俳句は、少なくとも私の句は、できる限りそうありたいと思っています。



で。
一般に句集・書籍が出ると、好意的評価で書いてくれる人が多いし、また私自身も句集評頼まれれば基本的には「よく」読もうとする。
ですが、一方で「アンソロジー」という形式は、「ここはいいけどここはダメ」と言いやすい形式でもあります。全面否定ではないからね。

久留島個人の句やスタンスへの批判もふくめ。

いろいろな評価、批判をうけて、『関西俳句なう』(本阿弥書店)が、ひとつの起爆剤として、話題になることを期待しています。


追記2015.05.16

閑中俳句日記(別館) -関悦史-  【十五句抄出】『関西俳句なう』

俳句雑誌ににん 受贈著書

スピカ きりんのへや なうなう①
スピカ きりんのへや なうなう②
スピカ きりんのへや なうなう③

『増殖する俳句歳時記』 ハイヒール山に突き刺し夏に入る 加納綾子
『増殖する俳句歳時記』 飛行機が大きく見える夏が来る 中谷仁美


2015年4月1日水曜日

新年度


エイプリルフールですが、いたって通常運転、新年度の告知から始めます。

若手による若手のための俳句講座「俳句ラボ」 新年度受講生募集!

関西在住の若手俳人 杉田菜穂、久留島元、藤田亜未の各講師が、俳句の作り方や鑑賞の方法などについてわかりやすく、楽しく教授。魅惑的な俳句の世界へエスコートいたします。句作の経験が無くても大丈夫。実作を中心に実践的な句会を体験していただく、ユニークな内容も予定しております。ぜひお気軽にご参加ください。

  • 対象:49歳以下で俳句に興味がある方ならどなたでも。
  • 日時:毎月第2日曜日、午後2時~午後5時
  • 場所:柿衞文庫
  • ガイダンス(6月14日 全講師参加予定)
    1. 基本を学ぶ(7月12日・8月9日・9月13日 講師:杉田菜穂)
    2. 詠む読む俳句(10月11日・11月8日・12月13日 講師:久留島元)
    3. どんどん句会(平成28年1月10日・2月14日・3月13日 講師:藤田亜未)
    4. ※ガイダンスは、無料でご参加いただけます。
      ※受講者は、講座終了時に作成する作品集(講師、受講者の作品などを掲載予定)に作品をご掲載いただけます。
  • 受講料:
      全テーマ一括:5,000円
      1テーマ:2,000円
      6月のガイダンスは無料
  • 問い合わせ・申し込み:
      電話(072-782-0244)で公益財団法人柿衞文庫まで


俳句ラボも、ありがたいことに4年めに突入。
はじめは、そんなに若い人が来るのだろうかと不安ななかで始まりましたが、毎年少しずつ違った参加者を得て、また継続してくれる人もいて、ゆるゆるとのびやかに継続しております。

今年は講師もすこし変更があり、藤田亜未さんが参加。
ますます若返った、活気ある句会であり、講師陣も受講者もあまり区別なく、一緒に試行錯誤しながら、俳句について考えている「実験室」です。

テレビで関心を持ったというまったくの初心者でも、
俳句は好きだが結社に入るのはまだちょっと、という人でも、
あるいは結社句会では同世代に出会えないと苦労している若手作家でも、

どなたでも歓迎です。
よろしくお願いいたします。


で、新しくなった「俳句ラボ」を起点に、新しい試み。

伊丹俳句ラボというHPを立ち上げました。

俳句ラボの講師と受講生が曜日ごとに担当し、毎日更新をめざして一句紹介します。
まだ試験運転という感じですが、これから充実させていけると思います。
トップバッターは、杉田菜穂(「運河」)さん。

ほかは、塩見恵介、藤田亜未、久留島(「船団」)、瀬越悠矢、仮屋賢一、野住朋可(ふらここ)という顔ぶれ。
こういう、結社や既存のグループを超えて、新しい場を起点に気軽に発信していけるのが、ネットツールのいいところですね。

久留島は土曜日に登場します。よろしくお願いします。



そういえば。

たゆまず継続更新されているspicaの、「つくる」コーナー、今月は岡田一実さんが登場です。


先月の進藤くんが更新しなくなってからは、どうなるかと思いましたが。。。
岡田さんは先年現代俳句協会新人賞を受賞されてから破竹のご活躍、あっちこっちで目にするようになりました。
発売されたばかりの『関西俳句なう』(本阿弥書店)にも参加してもらって、私の往復書簡相手をしてもらっています。
以下、『関西俳句なう』所収「白鳥」より。

 うなみさなみ帽子飛ばされそうですわ
 髪洗はれて吾は王の血を継ぎし者
 われわれの凧の不出来が昇り来る
 のうぜんかづら地球から落っこちる
 胎内に一回休む絵双六

2015年3月28日土曜日

関西俳句なう


むかしむかし・・・

関西俳句なう」というHPがありました。

「船団の会」所属の若手会員6人が、関西(西日本)ゆかりの若手作家の句を毎日一句ずつ紹介するというもので、2011年1月1日から12月31日まで、1年間活動していました。

「関西」「若手」といったキーワードにこだわったのは、既存の「俳壇」「俳句メディア」に対するアンチテーゼ、マイノリティとしての自己主張でした。
すでに俳句甲子園出身生の活躍や、若手を対象とした俳句賞の設置などで同世代の作家に注目が集まっていましたが、どうしても注目は関東近郊に住む作家に集中しており、地方に住む作家は、実力に比べてスポットがあたることが少ない、と感じていたからです。
これは、関東の人たちが意識してやっていることではありません。
誰だって面白い作家に会いたいし、関東で活躍している作家のなかには地方出身の作家もたくさんいる(むしろ東京在住者の多くが地方出身者)。
しかしコストや物理的距離を考えると、やはり地方に目を向ける余裕は少ない。ごく自然な流れなのですが、むしろ無意識だからこそ、対処できない。改善しない。

だからこそ、あえて「関西」「若手」というマイノリティを前面に出し、いささかの押しつけがましさ、カッコ悪さを感じつつも「関西俳句なう」というテーマ、キーワードで、活動してきたのだ、と、改めて言うことができます。

「関西俳句なう」の活動がわずか1年間で終了したのは、実は「船団の会」が企画する書籍化をめざした企画だったからでした。
情報がどんどん流れていってしまうインターネットではなく、書籍という形で、きちんと若手の作家たちをとりあげたい、という意図があったのです。

しかし、諸般の事情で書籍化は遅れに遅れ、いつしか人は「関西俳句なう」のことも忘れ果ててしまいました。。。



2015年3月。

「関西俳句なう」は、ついに書籍化されました。



帯が映っている書影がなかったので、個人撮影でご容赦ください。

本阿弥書店さんより、1600円(税別)。
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1106520130/subno/1
加納綾子VS黒岩徳将 
二木千里VS三木基史 
山本たくやVS手嶋まりや 
山本皓平VS山澤香奈 
藤田亜未VS涼野海音 
久留島元VS岡田一実 
舩井春奈VS伊藤蕃果 
藤田俊VS乘富あずさ 
河野祐子VS羽田大佑 
中谷仁美VS森川大和 
工藤惠VS杉田菜穂 
塩見恵介VS若狭昭宏 
朝倉晴美VS新家月子

「船団の会」所属の若手作家13名と、
関西(すこし広げて西日本)の若手作家13名の、
往復書簡形式による作品50句と作品評が中心となり、
また「船団の会」会員によるミニエッセイがたっぷり詰まった本です。


内容については、実は基本的には企画当初の2012年初のままなのですが、発刊が遅れるなかで2015年現在を最大限、現実路線の中、掬う努力や微修正がなされたもの、と理解しています。
人選、惹句、コンセプト、等々、多くの議論を重ねた上での結果なので、今はただ、無事の出版に、感謝することがいっぱいです。

収録作家のなかには、2012年から2015年までの間に、おおきく注目度が変化された方もいます。単純に受賞や句集を出されただけでも、

 黒岩徳将(第5回、第6回石田波郷新人賞)
 山本たくや『ほの暗い輝き』
 涼野海音(第4回北斗賞)『一番線』
 岡田一実(第32回現代俳句新人賞)『境界』
 杉田菜穂『砂の輝き』
 藤田俊(第5回船団賞)
 工藤惠(第6回船団賞)

など。

しかし、それ以外にもまだまだ面白い作家たちの作品と、本音が、しっかりと反映された本になりました。


「東京がなんぼのもんじゃい」


あえての「関西俳句なう」、お楽しみいただければ幸いです。



参考.
【エンタがビタミン♪】“東京に魂を売った芸人”はFUJIWARA・藤本敏史。大阪人の多くが回答。
http://tairyudo.com/tukan02/tukan3195.htm


2015年3月21日土曜日

かみがた


桂米朝さんが亡くなった。

高座に上がられなくなって、入退院をくり返しているという記事は何度か目にしていたので、突然の訃報にも、驚きはそんなにはなかった。
ただ、落語ファンとしては年季の浅い私でさえ、ひとつの時代が終わった、という空虚感でぼんやりしてしまう。
落語は、子どものころはテレビでやっているのを見るものだったが、たしか高校のときに枝雀さんが亡くなり、「生きているうちに聞きに行かないと死んでしまう」と思った。
それから米朝一門会に何度か見に行っているので、幸い、米朝さんの高座には間に合った。それでも、先代・桂文枝さんや、桂吉朝さんには、間に合わなかった。

「百年目」の、優しくて粋な「旦さん」が好きだった。これは幸い、ビデオテープにも録画がのこっている。
高座で「…いま思い出しましたけど」と言って始まる枕の小話が、好きだった。演出なのか本当かわからないが、「いま」だから聞ける、という喜びがあった。
「地獄八景」や「はてなの茶碗」は、米朝さんのを見ることはできなかったが、米朝さんが復活させてくれたから楽しむことができている。
米朝さんが上方落語を守ってくれた、そのあとで生まれてよかったとつくづく思う。
米朝さんの落語を聞き、楽しめる時代に育ったことを、本当に感謝している。



朝日新聞大阪版の本日(3/20)記事のなかで、米朝さんが連載していた「米朝口まかせ」(2005年9月~2013年11月)からの発言がいくつか引かれている。


いろんなものが東京中心になっている関東と違い、関西は大阪、京都、神戸とそれぞれに異なる文化の味が残っています。これはええことやないかな。
(09年2月)

落語家の師弟関係というのは不思議なもんやで。筋のええ弟子であればあるほど、育てば、やがて師匠にとってもライバルになるんやさかいね。私の一門でも、枝雀はそうでしたな。
(09年6月)



「江戸(東京)落語」に対して、「上方落語」という。
「上方」は、京都・大阪の文化を総じての言い回しである。
大阪は船場を中心にした商人文化であり、京都は町衆と公家が作る都の文化である。神戸の港町文化は明治からこっちとしても、関西人と一括りにできないのは、それぞれがそれぞれ別々にプライドを持っているからだ。これが関東では、鎌倉、横浜がいくらがんばっても、やはり東京に対抗できる、ということはありえない。
そのためだろうか、関西人気質というのは、どこか一極集中ではなく、よくいえば多様性があり、悪くいえばまとまりに欠ける。

俳句界も、そんなところがあるのではないか。

宇多喜代子さんがよく主張している、関西の融通性、波多野爽波が前衛俳人たちと付き合って現代俳句協会へ加盟するような、阿波野青畝や山口誓子がいつまでも日野草城と友情を保っていられるような、そんな気質は、やはり「上方」、関西の風土だと思う。
宇多さんに言わせるとそれは「大阪が町人文化だから」となるのだが、私は上に述べたような、中心地のない(あるいは中心が複数ある)文化だからだと思っている。

なんというか、東京の俳句界では一つのスタートがあって一つゴールがあってみんなで駆けっこをしているのだが、上方では、スタートとゴールがたくさんあるなかでいっせいに競うような、ところがあると思う。
近ごろ勉強した大正末年あたりを想起すれば、東京は丸の内にホトトギス本社がありすべての耳目がそこを中心にしていたように思う。
しかし関西には巨人がいないかわり、子規時代の生き残りである松瀬青々、青木月斗がおり、一方で京都ではホトトギスの新鋭が育ちつつあり、大阪では財界人が俳句を楽しんでおり、というような、そんな価値観の並立を許す独特さが、ある。
イスとりゲームでひとつとり負けても他のイスがあるというような、いやむしろ、イスの取り合いに夢中になっている人たちを茶化して笑ってしまうような、そんなところがあるのが、上方の強みなのではないか。




追記。
関西から東京へ移られてずいぶん長い、関西人な西原天気さんが、当記事に言及してくれていました。
週刊俳句 Haiku Weekly: 後記+プロフィール413

2015年3月18日水曜日

THE HIGH-LOWS頌


THE HIGH-LOWSが好きだ。

BLUEHEARTSの曲は泣きたくなるほど好きだが、HIGH-LOWSの曲はいつも口ずさみたくなる。

HIGH-LOWSの結成はTHE BLUEHEARTSの解散した1995年。
BLUEHEARTSに熱狂した私が、主要メンバーを同じくするHIGH-LOWSを好きになるのは当然の流れだったが、実際には若干の時間を要した。

高校生時代に聞いたHIGH-LOWSは、BLUEHEARTSと比較すると軽薄に感じられたからだ。
想像力 それは愛だ 歴史の果てまで 
漂白剤ぶちまけるぜ 世界の果てまで
                         「コインランドリー」
BLUEHEARTSの名曲「1000のバイオリン」は、次のように始まる。
ヒマラヤほどの消しゴムひとつ 楽しいことをたくさんしたい 
ミサイルほどのペンを片手に おもしろいことをたくさんしたい
「1000のバイオリン」

ここで出てくるアイテムが「消しゴム」「ペン」の順であることは象徴的だ。
BLUEHEARTSにとっての現実世界は、なによりまず消されるべきもの、そして描き直されるべきものであった。伴走者は「ハックルベリー」(※1000のバイオリン)であり「ほら男爵」(※俺は俺の死を死にたい)だった。

世界と対峙し、書き直してしまう英雄的なBLUEHEARTSに比べ、「コインランドリー」で洗濯物を眺めながら漂白剤をぶちまける中年男の姿は、いかにも滑稽に映った。

ところが、HIGH-LOWS「バームクーヘン」では、そうした価値観がまったく覆る。
鳥は飛べる形 空を飛べる形 
僕らは空を飛ばない形 ダラダラ歩く形 
ダビンチのひらめきと ライト兄弟の勇気で 
僕らは空を飛ばないかわり 月にロケットを飛ばす
「バームクーヘン」
しばしば我々は、大空を飛ぶ鳥に憧れ、翼が欲しいと願う。
しかしHIGH-LOWSは、「翼を持って生まれるよりも 僕はこの両手が好き」と歌うことに成功した。
叶わぬ夢を夢見る子どもではなく、自ら夢を叶えてきたことを誇る大人のたくましさが、そこにあった。
そのことに気づいたのは、私が大学生になってからだった。

以来、私はむさぼるようにHIGH-LOWSを聞くようになった。
それでもBLUEHEARTSに較べると、やや生硬で直接的すぎる表現が好きになれないこともあった。
会社にもバカがいる インターネットにバカがいる 
どこにでもバカがいる  子供でも知ってるよ
「バカ(男の怒りをブチまけろ)」

バカテレビやバカ雑誌に生き方を教わる 
キミは何だ オレはパンダ 上野で待ってるぜ
だがその直接すぎる力強さに、何度も救われたのも事実であった。
月光陽光 俺を照らすよ 
月光陽光 なんて力強く

アネモネ男爵 退屈を知ってる 
他人のために生きる 退屈を知ってる
「アネモネ男爵」

かつて青春の真ん中で「見えない自由」を欲したバンドは、いつしか青春そのもの(cf.
青春、岡本君)を歌う立場になった。青春を美化して歌えるのは、むろん青春を過去のものとして眺められる「大人」の視点を持ったからだ。

子どものころに わかりかけてたことが 
大人になって わからないまま

一人で大人 一人で子供

彼らはもう無理解な「大人」に対する「子ども」ではなかった。「子ども」の時代を経てしかも失わず「大人」になった彼らは、まさに無敵である。

  考えは変わる青のり一つまみ  塩見恵介
  西日暮里から稲妻みえている健康  田島健一

「大人」たちは社会と戦い、罵倒し、疲れきり、ときに青春を苦く懐かしみながら、しかし確かな現実を生き、たくましく謳歌していく。そんな「大人」のRockが、HIGH-LOWSだった。
まっすぐ歩かないから まっすぐ歩けないから 
僕が歩いたあとは 曲がりくねった迷路 
迷路 迷路 迷路 迷路 
 「迷路」

おーい おっさんおっさん そんなに目クジラ立てて 
おーい おっさんおっさん 血走った目で
一服しようよ 短気は損気 
カッコイイ音で 高速充電 
「俺軍、暁の出撃」

ちなみに私は「Born To Be Pooh」を、人生のテーマソングと定めている。

みんながあっと驚くような 大発見するかもしれない 
Born To Be Pooh 
Born To Be Pooh 
「Born To Be Pooh」