THE HIGH-LOWSが好きだ。
BLUEHEARTSの曲は泣きたくなるほど好きだが、HIGH-LOWSの曲はいつも口ずさみたくなる。
HIGH-LOWSの結成はTHE BLUEHEARTSの解散した1995年。
BLUEHEARTSに熱狂した私が、主要メンバーを同じくするHIGH-LOWSを好きになるのは当然の流れだったが、実際には若干の時間を要した。
高校生時代に聞いたHIGH-LOWSは、BLUEHEARTSと比較すると軽薄に感じられたからだ。
想像力 それは愛だ 歴史の果てまで
漂白剤ぶちまけるぜ 世界の果てまで
「コインランドリー」BLUEHEARTSの名曲「1000のバイオリン」は、次のように始まる。
ヒマラヤほどの消しゴムひとつ 楽しいことをたくさんしたい
ミサイルほどのペンを片手に おもしろいことをたくさんしたい
「1000のバイオリン」
ここで出てくるアイテムが「消しゴム」「ペン」の順であることは象徴的だ。
BLUEHEARTSにとっての現実世界は、なによりまず消されるべきもの、そして描き直されるべきものであった。伴走者は「ハックルベリー」(※1000のバイオリン)であり「ほら男爵」(※俺は俺の死を死にたい)だった。
世界と対峙し、書き直してしまう英雄的なBLUEHEARTSに比べ、「コインランドリー」で洗濯物を眺めながら漂白剤をぶちまける中年男の姿は、いかにも滑稽に映った。
ところが、HIGH-LOWS「バームクーヘン」では、そうした価値観がまったく覆る。
鳥は飛べる形 空を飛べる形
僕らは空を飛ばない形 ダラダラ歩く形
ダビンチのひらめきと ライト兄弟の勇気で
僕らは空を飛ばないかわり 月にロケットを飛ばすしばしば我々は、大空を飛ぶ鳥に憧れ、翼が欲しいと願う。
「バームクーヘン」
しかしHIGH-LOWSは、「翼を持って生まれるよりも 僕はこの両手が好き」と歌うことに成功した。
叶わぬ夢を夢見る子どもではなく、自ら夢を叶えてきたことを誇る大人のたくましさが、そこにあった。
そのことに気づいたのは、私が大学生になってからだった。
以来、私はむさぼるようにHIGH-LOWSを聞くようになった。
それでもBLUEHEARTSに較べると、やや生硬で直接的すぎる表現が好きになれないこともあった。
会社にもバカがいる インターネットにバカがいる
どこにでもバカがいる 子供でも知ってるよ
「バカ(男の怒りをブチまけろ)」
バカテレビやバカ雑誌に生き方を教わる
キミは何だ オレはパンダ 上野で待ってるぜだがその直接すぎる力強さに、何度も救われたのも事実であった。
月光陽光 俺を照らすよ
月光陽光 なんて力強く
アネモネ男爵 退屈を知ってる
他人のために生きる 退屈を知ってる
「アネモネ男爵」
かつて青春の真ん中で「見えない自由」を欲したバンドは、いつしか青春そのもの(cf.
青春、岡本君)を歌う立場になった。青春を美化して歌えるのは、むろん青春を過去のものとして眺められる「大人」の視点を持ったからだ。
子どものころに わかりかけてたことが
大人になって わからないまま
一人で大人 一人で子供
彼らはもう無理解な「大人」に対する「子ども」ではなかった。「子ども」の時代を経てしかも失わず「大人」になった彼らは、まさに無敵である。
考えは変わる青のり一つまみ 塩見恵介
西日暮里から稲妻みえている健康 田島健一
「大人」たちは社会と戦い、罵倒し、疲れきり、ときに青春を苦く懐かしみながら、しかし確かな現実を生き、たくましく謳歌していく。そんな「大人」のRockが、HIGH-LOWSだった。
まっすぐ歩かないから まっすぐ歩けないから
僕が歩いたあとは 曲がりくねった迷路
迷路 迷路 迷路 迷路
「迷路」
おーい おっさんおっさん そんなに目クジラ立てて
おーい おっさんおっさん 血走った目で
一服しようよ 短気は損気
カッコイイ音で 高速充電
「俺軍、暁の出撃」
ちなみに私は「Born To Be Pooh」を、人生のテーマソングと定めている。
みんながあっと驚くような 大発見するかもしれない
Born To Be Pooh
Born To Be Pooh
「Born To Be Pooh」
0 件のコメント:
コメントを投稿