THE BLUEHEARTSが好きだ。
校歌斉唱やバースディソングの合唱さえ躊躇う、自他の認める「絶対音痴」で、古典はもちろん洋楽にもJ-POPにもほぼ関心のない私が、THE BLUEHEARTSのアルバムCDだけはすべて購入している。
ほかに聞くのはHIGHーLOWSとクロマニヨンズくらいだから、文字通り偏愛である。
THE BLUEHEARTSの結成は私の生まれた1985年。
解散は10年後で、「リンダ・リンダ」や「TRAIN TRAIN」「情熱の薔薇」など全盛期の曲を聞く機会もあったはずだが、記憶がない。
私がはじめて彼らを認識したのは中学校に入ってから。
入部した文芸部の部室で、なぜか毎日大音量でかかっていたのが「THE BLUEHEARTS SUPER BEST」だった。
ハンマーが降りおろされる 僕たちの頭の上に
ハンマーが降りおろされる 世界中至るところで
私の母校は中高一貫で、当時文芸部には高校生の先輩が数名所属しているだけだった。
そのうちひとりが趣味でバンドもしているロック好きで、CDはその先輩が持ち込んでいたのだった。
はじめ騒音にしか聞こえなかったものが、やがて歌詞に惹かれて口ずさむようになり、貸借してから購入に至るまでは長くかからなかった。
トゥー・トゥー・トゥー・・・・・・
どこまで行くの 僕達今夜このままずっと
ここにいるのかはちきれそうだ 飛び出しそうだ
生きているのが すばらしすぎる
生きるということに命をかけてみたい
世界がはじまる前 人はケダモノだった音楽といえばアニメのOP、EDくらいしか聞かなかった思春期の文系オタクに、彼らの歌はまず生命賛歌として響いた。
すべての僕のような ロクデナシのために この星はぐるぐると回る
THE BLUEHEARTSが、いわゆる「不良少年」たち(cf.「ろくでなしBLUES」、「クローズ外伝 リンダリンダ」)から、コミュ障文化系(Cf.伊集院光、穂村弘)にいたるまで幅広く熱烈に支持されているのは、彼らがマイノリティの立場をやや自虐的に、しかし力強く肯定したことに由来しよう。
自らを「ロクデナシ」と規定し、マイノリティとしての「生」と「愛」を歌うBLUEHEARTSは、多くのジャンルに普遍の青春の鬱屈を、独特の形で表現した。
折しも神戸連続殺傷事件など少年犯罪に関する報道が過熱であった。
少年の声は風に消されても ラララ間違っちゃいない
そしてナイフを持って立ってた そしてナイフを持って立ってたBLUEHEARTSの歌は事件よりはるか前に作られたものだったけれど、その鬱屈は確かに共有されたのである。
見えない自由が欲しくて 見えない銃を撃ちまくる
70年代の「政治の季節」はすでに遠く、バブルの狂騒から、すでに崩落が起きつつあった。「TRAIN TRAIN」
THE BLUEHEARTSが歌いあげたのは、これから何にでもなれる若さのすばらしさと、現実には何も持っていない、何をするにも無力な、若者の切ない悲鳴であった。
僕らは泣くために生まれたわけじゃないよ
チェルノブイリには行きたくねぇ
あの娘とKissをしたいだけ
こんなにチッポケな惑星の上
彼らは、さまざまな矛盾と不幸のあふれた現実社会に対して、何もできない、なしていない自分の弱さと、それでも好きな人と過ごしたい、好きな音楽を聴いていたい、自分たちの素直で等身大の欲望を、くり返し歌った。「チェルノブイリ」
あれもしたい これもしたい もっとしたい もっともっとしたい
愛することだけ考えて それでも誰かを傷つける
そんなあなたが大好きだ そんな友達がほしかった何も持たず、何もなしえていない自分自身の欲望を、それでも肯定し歌いあげたBLUEHEARTSは、だからこそ他人の欲望にも寛容であろうとした。
お互いの欲望を認める優しさ、それを彼らは、「愛」と呼んだ。
生きているっていうことは カッコ悪いかもしれない
死んでしまうということは とってもみじめなものだろう
だから親愛なる人よ そのあいだにほんの少し
人を愛するってことを しっかりとつかまえるんだ
「チェインギャング」
それは、安易なラヴソングが使うerosではなく、限りなくagapeに近いものではなかったか。現実では難しい、そんな「人にやさしい」世界を夢見るから、BLUE HEARTSの歌は青く、美しく、また、切ない。
それはまさに、「青春」と呼ばれる刹那がもつ、はかなくも美しい切なさであったろう。
カンバスの余白八月十五日 神野紗希
ヒヤシンス幸せがどうしても要る 福田若之
THE BLUEHEARTSは当時、「社会派バンド」と呼ばれ、時事的なメッセージ性の強い作風で知られた。しばしば彼らは、Rockでありながら、いやだからこそ、「良識」を歌うことを期待されつつあった。
私がBLUEHEARTSにハマったのは彼らが解散した後だったから当時のことはよくわからない。
しかし、次第に彼らはそうしたレッテルを重荷に感じていたのかもしれない。
どっかの坊主が 親のスネかじりながら
どっかの坊主が 原発はいらねえってよ
どうやらそれが 新しいはやりなんだな
明日はいったい 何がはやるんだろう
永遠なのか 本当か 時の流れは続くのか
いつまでたっても変わらない そんなものあるだろうか
かつて「少年の詩」を歌った彼らも、大人になった。
変わらず、「大人」たちを批判しつづける選択肢もあっただろう。
しかし彼らは、鮮やかに、軽やかに変化していった。
彼らはより自由に、ストレートに、Rockを歌い始めたのである。
それは、次のステップ、すなわち、THE BLUEHEARTSからTHE HIGH-LOWSへ変化する、準備段階でもあった。
「朝の光」じゃなくて「世界のまん中」ですよー
返信削除ありがとうございます、すみません間違ってました、訂正いたしました!
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