2015年4月23日木曜日
ありがとうございます。
3~4月で、俳句をふくめ短詩型関係の人とやりとり・会う機会がたくさんあって、そこで考えたこと、思ったことをメモしつつ、「下書き」状態で放ってあるので、はやくアップしなきゃいかんのですが・・・。
ありがたいことに、『関西俳句なう』(本阿弥書店)刊行から、拙句をとりあげてくださる方が。
きつね来て久遠と啼いて夏の夕 久留島元 spica よむ
2015年4月17日 ねんてんの今日の一句
『関西俳句なう』 週刊「川柳時評」
「奇譚のかけら 久留島元の一句」 俳句的日常
どなたさまも、ありがとうございます。
書籍で句をまとめると、いろいろな方が反応してくださるのでありがたいですね。
今回、句群のタイトルを「妖怪の国」としました。
はじめは無題だったのですが、編集の過程でやはりタイトルあったほうがいいだろうということになり、
日本は妖怪の国春の川
から採って、「妖怪の国」。
わたくし「妖怪」好きですからね。俳句よりもつきあいは古い。深い。
国文学を研究しているのも「妖怪」が好きだからだし、論文は「鬼」や「天狗」ばかり扱っているし、日ごろの交流も「妖怪」「恠異」の探求、研究が好きな方々が多い。
ですからまあ、周りからも「妖怪」俳句を作れと言われますし、自己紹介がてら作るときもあったり。
ということで、半ば冗談で作った俳句、つけたタイトルなのですが、結局はわたくしの本性はそこだ、ということでしょうか、全体的に「そーゆー流れ」で読んでいただくことが多いようです。
妖怪俳句。奇譚。
そうなんや、と。
本人、そこまで全体に「妖怪」づくしとは思っていなかったのですけど。
というか、私の句はほとんどが句会や、依頼にもとづいて、〆切間際に「えいやっ」で作る句なので、一貫した世界があるとは思っていない。
基本的に、俳句は句会のもの、句会ごとに大半が消えていくものという認識なのです。
むろん、句を並べる、編集のときには多少の意識もあり、細工もしますが、むしろ、妖怪研究の立場からすれば、読者・俳人柳人の方々が、こういう句をすべて「妖怪」的、と認識している、ということも興味深い。
きつね来て久遠と啼いて夏の夕
も、これは東京の友だちと句会をしたときに(会場は銀座ルノワールでした)、席題で「久」が出て。
そうですね、久留島の久。それで作った句。深い考えはない。
それが、いろいろの方にとりあげられると、育ってくる。
ありがたいことです。
作者の認識とか思い入れと別に、読者に育てられる。
これは、大変幸福なことと思います。俳句は、少なくとも私の句は、できる限りそうありたいと思っています。
*
で。
一般に句集・書籍が出ると、好意的評価で書いてくれる人が多いし、また私自身も句集評頼まれれば基本的には「よく」読もうとする。
ですが、一方で「アンソロジー」という形式は、「ここはいいけどここはダメ」と言いやすい形式でもあります。全面否定ではないからね。
久留島個人の句やスタンスへの批判もふくめ。
いろいろな評価、批判をうけて、『関西俳句なう』(本阿弥書店)が、ひとつの起爆剤として、話題になることを期待しています。
追記2015.05.16
閑中俳句日記(別館) -関悦史- 【十五句抄出】『関西俳句なう』
俳句雑誌ににん 受贈著書
スピカ きりんのへや なうなう①
スピカ きりんのへや なうなう②
スピカ きりんのへや なうなう③
『増殖する俳句歳時記』 ハイヒール山に突き刺し夏に入る 加納綾子
『増殖する俳句歳時記』 飛行機が大きく見える夏が来る 中谷仁美
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