2012年6月4日月曜日

閑話

 

先日、『俳句研究』バックナンバーを見ていたら面白い連載を見つけた。
「共同研究・現代俳句50年」というもので、1995年1月に始まり、1996年10月まで、一年以上にわたって執筆が続けられている。

Cinii検索「共同研究・現代俳句50年」

「共同研究」ということで、坪内稔典、大串章、川名大、仁平勝、本井英、の五人が順番にテーマを設けながら「戦後俳句50年史」を執筆し、折々に座談会をはさんで記事を振り返って討議したり訂正を加えたりする、というもの。
座談会には「歴史の当事者」ということで、五人より年長の上田五千石、金子兜太などがゲストとして加わっている。

とても長い連載なので一回では読み切れず、今度図書館でじっくり読み直そうと思っているが、それにしもメンバーといい、連載の期間といい、大変、周到な企画である。

たしか角川『短歌』では昨年、「前衛短歌とは何だったのか」という長期連載があって、短歌には関心が深くないので読んでいなかったが、最近の俳句総合誌ではここまで骨太の企画は通らないだろうな、と思った次第である。

いま、「世代論」ということを考えている。
「世代論」を語ることはとりもなおさず自らを俳句史にどう位置づけるか、ということなので、自然と「俳句史」的意識を持つ必要がある。
当然、先行する世代が自らをどう規定してきたか、ということは大変気になるわけで、「世代論」の続きは、上の連載をある程度読んでからにしたいと思う。




「世代論」の続きを書く前に、いくつか明記しておきたいことがある。
「世代論」を含めて、私のなかの関心事は「俳句批評」の在り方である。
実際、私自身は決してすぐれた批評家ではなく、俳句批評に一生を捧げるという覚悟で臨んでいるまでとは言えないけれども、しかし「俳句批評」の交通整理というか、「この人は信頼できる」「この人の評論は読んで欲しい」という私なりの評価を、できれば多くの人に伝えたいと思っていて、それが最近のメインになっている。

俳句に限らず、文芸作品において批評の在り方というのはやっかいで、単なる感想文に終わらせないためにどうすればよいか、ということは重要な課題だと思う。

先日の記事では、

といっても、先ほど述べたとおり「批評」がいくら自由に作品に迫っていこうとしても歴史的背景や文法を無視して論評されてしまうと、それは一個人の「読み」にしか過ぎなくなってしまう。その批評が当を得ているかどうか、は、その批評がどこまで客観的な素材にもとづいて議論しているか、にかかっており、その点、「研究」とは目指すところは違っても手続きは似ている。
と述べて、要するに個人の読書感想文に終わらないために、客観的素材に基づいて議論を組みたてること、を重視したのだが、もちろん客観的素材を並べただけでは、読んでいて面白くもなんともない。
(読者がまったく知らない資料紹介は、それなりに面白い。知られていない資料を的確に評価し公開することは「研究」の基礎であり、重要な部分である)


では、「感想文」とも違う「事実報告」とも違う、「批評」とは、何だろうか。

私の思う一つの答えとして、「新しい視点を提起する」ことがある。
「感想」「鑑賞」が、あくまで作品本位で、作品読解のひとつであるのに対して、「批評」は、ひとつの作品をよりよく読むだけでなく、ほかの作品や作家の理解にも波及し応用できるような視点を、読者に提起できることが望ましい。(ここで「世代論」で言及した「戦略性」が関わってくる)


つまり、「批評」は、作品主体に即した「鑑賞」より、もう少し踏み込んだ、批評家オリジナルの創作的行為である(ことを目指す)ことが重要ではなかろうか。
ただし行き過ぎると、深読み、というよりまったくの誤読というか創作になってしまう。


古典批評で話題になることが多いのは、仏教哲学者・梅原猛氏である。

梅原氏の『水底の歌―柿本人麿論―』は大仏次郎賞も受賞した著名な評論であるが、益田勝実氏の批判(『文学』岩波書店、1975年4月)でも明らかなとおり自己矛盾をはらんで小説家的空想をはばたかせた本である。
(実は私は益田氏の文章だけしか読んでいない。梅沢氏の本は手に取ったものの最後まで読めず投げ出してしまった。だからこの批判はあまり妥当性がないが、話題の余波でご容赦願いたい)
ちなみに梅原氏は能楽に関する著作も多いが、能楽研究の大家、表章氏の遺作となった『昭和の創作「伊賀観世系譜」―梅原猛の挑発に応えて―』(ぺりかん社)は副題のとおり梅原氏への批判を一書としたものである。

資料自体は客観的なものであっても(後者の観世系図は偽書だったのだが)、論理が客観的でない、ということはもちろんある。
梅原氏の「評論」は、「研究」的視座から見るととても危なっかしく利用できないのだが、話題性に富んでいるし、読み物としては成功したといえるのだろう。しかしやはり「的を射た」批評である、というわけにはいかない。

そのあたり、客観性とオリジナリティとの間でバランスをとりながら「読む」のが、「批評」行為の難しさ、ということになるのだろう。

 

2012年5月31日木曜日

「世代論」のために


先日書きかけた「世代論について」をあげておく。



加藤郁乎氏は享年83歳。昭和4年生まれ。
いくつか手許のアンソロジーなどを概観すると、この前後生まれの作家としては
 昭和2年 川崎展宏、津沢マサ子、福田甲子雄
 昭和3年 岡本眸、阿部完市、柿本多映
 昭和4年 加藤郁乎、宮津昭彦、廣瀬直人、青柳志解樹
 昭和5年 有馬朗人、鷹羽狩行、河原枇杷男、原裕、宗田安正
 昭和6年 稲畑汀子、平井照敏
などがおり、上田五千石(S8)、折笠美秋(S9)、宇多喜代子(S9)、寺山修司(S10)、安井浩司(S11)、黒田杏子(S13)と続く。

大正8~9年が作家豊作の年であったことはよく知られているが、この時期もなかなか壮観である。しかし、個性の強い前後に挟まれた昭和一桁世代は、実力やネームバリューのわりに影が薄いように感じられる。

筑紫磐井氏の分類によればこの世代は「ポスト戦後派」の第一陣と位置づけられるはずだが、それでは範囲が広い。

この世代に特化した選集としては、島田牙城、櫂未知子両氏のインタビュー集である『第一句集を語る』(角川書店)があり、ここにおさめられた作家は、

鷹羽狩行、稲畑汀子、岡本眸、廣瀬直人、有馬朗人、黒田杏子、鍵和田秞子、川崎展宏、阿部完市、宇多喜代子
の10人である。帯に、「処女作には、その作家のすべてがある。 昭和一桁世代を中心とした、現代俳句を牽引する10人が「自ら語る我が俳句の原点」」とある。

ここで若干年少の黒田杏子氏が加入し、加藤郁乎がいないことは注目してよい。
もともとこの企画は『俳句』誌上で行われたもので、先行企画として黒田氏の『証言・昭和の俳句』があり、その後続世代を、という意図があったようだ。メンバー選定にはそれなりの事情があるのだろうが、加藤郁乎がいるかいないか、は「昭和一桁世代」のカラーを決定する上では重要だったはずだ。
残念ながら、インタビュー集という性格上、10人のカラーを俯瞰するような「世代論」的な趣は弱いが、「戦後の焦土と混乱の中で俳句を自らの表現手段として選んだ」(櫂未知子氏のまえがき)世代として、まとめられている。

なお、島田氏のあとがきには、企画段階で名前のあがった福田甲子雄氏が本の出版された年の四月に他界したことが触れられている。



昭和一桁世代のなかで阿部完市、加藤郁乎は「言葉派」とされることもあるが、寺山、安井らのほうが本格的な「言葉派」にふさわしく、さらにそのあとの角川春樹(S17)、坪内稔典(S19)、西川徹郎(S22)、摂津幸彦(S22)に至って「言葉派」は全盛を迎えた、というべきである。

あえて言うならプレ「ことば派」、あるいは第一次「ことば派」とでもすべきか。
(ちなみに阿部、加藤はおなじ早稲田小学校の出身で、前掲『第一句集を語る』でも阿部が加藤の句集に衝撃を受けたと語っている。)


『現代の俳句』(講談社学術文庫)後書によれば、坪内稔典は昭和一桁世代を「小さな俳句」と呼び、「大正世代が時代や社会に向き合い大きな俳句をめざしたのにたいし、昭和一けた世代が俳句形式に則した小さな俳句を志向している」と分析している。
孫引きで恐縮だが、加藤、阿部、河原を除けば)おおまかには納得できるのではないか。


ただ、そのなかでも加藤郁乎という存在は、ちょっと微妙である。
初期句集『球体感覚』『えくすとぷらずむ』などは「言葉派」だが、中期以降の江戸俳諧への傾斜は、「言葉」や、「俳句形式」の面からだけ見てよいのか(あるいは言葉や形式への関心はそれとして、同じ語で括っていいか)という疑問が残る。


古俳諧に親しんだとされる作家は少なくないが、作品として反映させたのは、橋カン石と加藤郁乎が両雄であり、現代俳句の方向に投げかけた一石として、二人の句業は、小さなものではない。




当blogを開設したばかりのころ、しきりと「世代論」を話題にあげていた。

直接的には小川軽舟氏の「昭和三十年世代俳人」という括りに反応した、高山れおな氏や神野紗希氏の発言に触発されたものであったが、もともと「俳句甲子園」組の活躍など、私個人の関心に近かったので連鎖したのだった。
(これは単純に同世代の友人が活躍しているのが嬉しい、というだけの心情だった。)


その後、『新撰21』が刊行されて「ゼロ年代俳人」という枠組みが知られるようになり、
『新撰21』評としてスタートした山口優夢の文が書籍化されたり、
「スピカ」で神野紗希さんや、福田若之くんらが同世代の俳句を中心に論じていたり、
今やゼロ年代作家たちの後見人的存在感を発揮する筑紫磐井氏が複数の媒体で「超戦後俳句史」と称する現在史を記述したり、


断続的に「世代論」めいた議論はネット上で繰り返されてきたようだ。


いつしか私自身は、同世代への関心はそのままに、「世代論」として議論することは控えるようになっていた。結局、「世代論」をどのように「結論」づければいいのか、という疑問を、ようやく考えるようになったいたのである。


同時期に生まれた人たちであれば、同じような時代感覚で成長し、俳句に関わっているはず、というのが「世代論」の前提になるのだが、そもそも時代感覚だけで理解できるような作家ばかりであれば、個々の作家としては特筆するに値しないのである。
育った地域が違えば環境も違うし、早熟の人も晩成の人もいて、作句を始めた時期や句集をまとめた時期だって、おおきく影響するはずだ。

そうである以上「世代論」は、ほかの批評のような客観的妥当性などは重要ではない。

同世代の作家からどの作家のどのような面を論ずるか、あるいはどの作家が時代を代表していると見なしプロデュースするのか、という、戦略性、恣意性をこそ、「世代論」はもつべきだったのである。
(たとえば池田澄子氏は昭和11年生まれで安井浩司氏と同年であるが、彼女を安井と直接比較するのはかなり難しく、むしろ、同時期に活躍した作家、というほうが「世代論」として論じやすい可能性もある)


小川軽舟氏は「昭和三十年世代」を、高山氏の指摘する「夏石番矢はずし」によって編集した。そして、「伝統」の「型」を継承し守っていく世代、という括りで、自分たちをプロデュースしてみせたのである。
小川氏自身が認めているとおり、最初に「昭和三十年世代」をプロデュースしたのは小林恭二氏である。
この新しい世代の演出において、小林恭二の役割は決定的に大きかった。
『現代俳句の海図』角川学芸出版
小川氏は「演出」という語を用い、小林氏が同世代の作家を「売り出し」、世代交代に貢献したと評価している。そして、今は(演出に入っていなかった自分を含めて)三十年世代が「俳壇の中核」を担っている、と自負しているのである。

翻って考えたとき、ここ数年、おもに当事者たちから発信された「世代論」には、小川氏や小林氏のような戦略性、あるいは「世代交代」を強いるような攻撃性に乏しかったといえるのではないか。
ほとんどが、同世代が俳句とどう関わっているのか、現在どのように関わっていけばよいか、という、「同世代への関心」が優先され、先行世代に対する戦略性や攻撃性には乏しかったのでは、ないだろうか。

ほぼ唯一の例外は外山一機氏であり、彼は『新撰21』ですでに、

だが、僕はあえて言おう、「かつての天才」もやはり存在していたのだと。そして僕はまた言おう、その「天才」を僕らが批評と実作徒によって弔う季節が来ているのだと。僕らこそ新たな「天才」なのだと高らかに偽称する季節が来ているのだと
と、きわめて戦略的な発言をしている。(「偽称」という語がいかにも意識的である)
「世代論」は、恣意性を認めた上で、なんらかの戦略性をもって「演出」することを目的になされるべきだった。
「僕ら」は、まだ始まってもいない。だからこそ、「僕ら」は、自ら「偽称」する、そこから始めるべきであった。

しかし、である。
外山氏の問題意識に対して、多大なる共感と関心を抱きつつ、一抹の違和感が残るのだ。果たして、これまで何度となく繰り返されてきた「世代交代」なるものに、「僕ら」は、本当に期待できるだろうか。
別の言い方をしよう。
今、我々は、先行世代が期待する「世代交代を強いる若者」を、演じるべきなのだろうか? と。


「世代交代」というのは、原則的に時が移れば必ず起こるはずだが、文芸の世界では残酷なことに、死んでなお旧世代の存在感のほうが大きければ、新世代の作品は読まれないのである。だから、旧世代が絶滅すれば、それでジャンル自体が存在感を失うということがありうるのである。
だから、単純に「旧世代」が時代に合わないからと引退を勧告すればすむような「世代交代」では、文芸史上的には、まったく意味をなさないのである。

(この稿、続く)

2012年5月29日火曜日

俳句バトル

 

5月が終わる。。。



俳句バトル漫画、というネタが、一時ツイッターに流れていた。

あまり知られていないようなので、西川火尖さんのブログで連載されていた「近未来俳句バトル漫画」を、紹介しておく。
http://syuuu.blog63.fc2.com/blog-entry-803.html
http://syuuu.blog63.fc2.com/blog-entry-812.html


近未来(読み直したら2019年だった)、荒廃した末期的世界に、「大虚子」が復活して、その圧倒的「句力」のため俳人が絶滅してしまうというところから物語がスタート。(実在の人物、団体とはたぶんあまり関係のないフィクションだろうと思います)

唯一「虚子」に対抗できるキャラが「深見けん二」というあたりのセレクトが絶妙であった(実在の人物、団体とはry)
最近まったく更新がないが、もう打ち切りなんだろうか。とりあえず他の登場人物が気になるところである。

戦闘力なら山口誓子は上位だろう(防御力は弱そうである)。あと、なんとなく永田耕衣が強そうである。


しかし、俳人バトルは個人の好みがでて難しい。
むしろ俳句詠んだら技が発動する系のほうがよいのではないか。


A「できたぞ、くらえっ『くちなはは父の記憶を避けて進む』!!」
B「なんのっ、『とびつきり静かな朝や小鳥来る』」
A「なにいっ、あたしの『くちなは』が破れたっ!?」


的な。(※実在の人物、団体とはあまり関係がありません、また句の優劣とも無関係なただの例示です)

たぶんあれですね、詠むと「季語」が発動するわけです。イナ○マイレブン的な。出来がわるいと「季語が生きない」んだろうな。

で、「季語」同士の戦いが当たり前になっているところに、こんな人が登場するんでしょうね。


「いきます!『乾電池ころころ回す涼しさよ』!」
「ぐぉぉっ、いきなり冷風が!涼やかだ!!だがな、○理!!果たしてその季語が本当に必要だったか!?くらえぇっ『風死んで手足ぞろぞろ出勤す』!!」
「そんな、無季句でこの破壊力!?ありえないっ!」


みたいな。(※実在のry)


うん、なんか、誰かの設定コントみたいになってきたので、著作権的に怒られるのもまずいのでそろそろやめよう。




お知らせ。

スピカで、昨年連載の「平成狂句百鬼夜行」を読んでもらいました。
http://spica819.main.jp/kirinnoheya/6753.html


スピカ 「きりんのへや」祝連載100回、きりん祭に参加しました。
http://spica819.main.jp/kirinnoheya/6753.html


その西村麒麟さんも登場の「赤い新撰」はこちら。
http://shiika.sakura.ne.jp/sengohaiku/cho_sengohaiku/2012-05-25-8968.html
 

2012年5月20日日曜日

うっわー

 

最近、国文学関係では大手の笠○書院のツイッターにも目を付けられたりしているので、一応きちんと自分の考えをまとめて書くようにしよう、と思いながらぐずぐずしていたら、いくつかネタ的事態のため、萎えた。
そうか、こういうときにツイッターを使えばいいのか、と思う。
ということで、以下、「つぶやく」。


・5/18、西村麒麟さんから、加藤郁乎氏逝去のお知らせをいただく。亡くなったのは残念だけど、これを機会に特集とか組まれてまとめて作品が読めるようになればうれしい。

・新聞死亡欄見てすぐに返信したつもりが、なぜか間違って佐藤文香にメールしていたことが発覚。同日昼、麒麟さんに返信し直し、文香には謝罪メール。微妙に関係者なところが、良いやら悪いやら。

・加藤郁乎さんってそういえば昭和4年生まれで、阿部完市(S3)、河原枇杷男(S4)、有馬朗人(S5)、鷹羽狩行(S5)と同世代、と思い出す。「戦後派」はこのあたりから「世代論」で括れなくなる。

どうも我々の世代は、世代論が好きだ。ある人から、同世代意識ってそんなに大事? と聞かれたけれど、やはり俳句を継続するモチベーションになっているところはある。

・世代論を、ただの「同世代仲良しシンパシー」に終わらせないためにどーゆーふうに利用しましょうか、という話題を書こうとしたら、本日配信されたHaiku Driveでも世代論について言及があったらしい。 → 萎えた。
(※ Haiku Driveはユーストリーム配信されるネットラジオ。今日は15:00~、関悦史、榮猿丸、鴇田智哉のSSTで放送していたらしい。聞いたことはない)


・実は読んでなかった田辺聖子『道頓堀に別れて以来なり』、ようやく下巻も終盤。川柳おもしろい。熱い。 しかし、うんちく長い。
・作中引かれる水府句はどれも伸びやかでいいが、麒麟さんオススメの三太郎の幅広さのほうが好きかもしれぬ。詩性と諷刺が地続きで「川柳」なのがいい。河童7句は素敵に過ぎる。

・と言っても、「川柳/俳句」の境界は難しい。まとめて読むと、やはり印象がずいぶん違うのだが。山田耕司氏の時評小池正博氏の時評など。まともな議論に加わるには、まだ勉強不足。

・スピカで新たに、昨年一年の「つくる」を読み直す企画が始まり、第1回(山口優夢「ロビンソン」、谷雄介「平成俳風鳥獣戯画」)が掲載されているのだが、甲府夫妻のノロケがひどすぎる。これは下ネタと判断すべき。

・やっぱり谷の連作はおもしろいなぁ。「平成俳風鳥獣戯画」も、最初は単純なネーミングと思ったが、改めて考えるときちんと作品に即している。(画はないけど)

・で、最後まで読んでから気づいた。これ、来週は俺の番か・・・!しかも御中虫さんと対とか、分が悪すぎるだろ・・・・・・!! → 萎えた。

 
 

2012年5月11日金曜日

(承前)「外」とカオスと

 

いつの間にか、ゴールデンウィーク、終わってましたね。
まあ、私は世間様とは若干違う時間軸に生きているので、あまり変化はないのですけれども。



前回、朝日新聞のアンケート「好きな俳人」ランキングについて紹介した。
その記事に、涼野海音さんがコメントをくださったのだが、なぜかアップされなかったので、許可を得て再録することにする。

こんばんわ。なかなか興味深いランキングですね。種田山頭火と放哉の票差が大きいのは何故とか、四Sの中で私が好きな素十と青畝がランクインしていないのは何故だろうとか色々考えさせられました(笑)。草田男が入ってて、川端茅舎と松本たかしが入っていない、金子兜太が入ってて、飯田龍太・森澄雄が入っていないのも、ちょっと不思議な気がしましたが。やはり一般的な認知度の問題でしょうか。
ランク外の作家については「一般的な認知度の問題」以外なにものでもないと思われる。
数ある作家のなかで誰が入らないか、ということはタイミングもあるし難しいところだが、むしろ「俳人」では当たり前にあがる名前を差し置いてランク入りした「作家」の名前のほうに、私としては興味がある。
たとえば、そう、桂信子によって「私たちとは違う」と評された、「黛まどか」さんのような名前である。

もちろん「外」の評価が絶対ということはありえない。
しかし「外」にまで存在感が知られている作家というのは、やはりそれなりの発信力を持っているというべきであり、なにより存在感のある作家の存在はジャンルそのものを活性化させることがある。

近世俳諧の時代にさかのぼらずとも、俳句の沃野は特別な意識も持たない圧倒的多数の俳句愛好家(その多くが作家)によって支えられてきたのである。そしてその多くは革新ではなく伝統を、孤絶ではなく温雅を愛する人々であり、そこに「定型」も「季語」も立脚している、といってよいだろう。俳句が大衆文芸たる所以である。
しかし一方で、近代俳句の表現の革新は、一握りの「存在感のある作家」による「無名作家」たちの意識を革新させてきたから、に他ならなかった。


だから、むしろこうした「一般的な認知度」について、「中の人」がどう感じるのか、ということが問題なのである。その意味で言うと涼野さんが「不思議」と感じる、そのギャップこそ「外」と「中」とを分ける「壁」なのだ。


私が俳句をめぐるシステムに違和感を覚えるのは、この壁なのである。
一方で俳句は無限に大衆に向かって開かれ、あらゆる俳人先生はこぞって「入門書」を著し、俳句雑誌はこぞって「上達テクニック」を特集し、日本各地に誰でも参加可能な投句欄、投句大会が存在している。
にもかかわらず、「外」では、閉鎖的な「俳壇」イメージが蔓延し、「難しいもの」「古めかしいもの」だと思っていて、事実、「中の人」の評価する作家と「外の人」の評価する作家との間にはギャップがある。

要するに、こちらに興味を持ってくれる人だけ迎え入れて、それで細々やっていこうというならばよいのだが、奇妙なことに若手不足とか、俳壇の停滞とか、袋小路とか、そういった嘆きだけは、止むことがないのである。

奇妙、というほかない。



「外」へ。

近ごろ飛び交いつつあるこのフレーズは、「外」と「中」との境界を乱して、一時のカオスをも覚悟せねばならぬ、カオスをもって活性化させ、カオスをくぐり抜けて次代へつなぐことを目的とする、そういう言葉に他ならない。
俳句を「俗」な「遊び」と心得る、私にとっては、その「カオス」が、なかなかおもしろそうに見えるのだけれども。
 
 

2012年4月29日日曜日

「外」の話


先日、梅田駅の紀伊國屋書店で、30代半ばといった風のお兄さんが、高柳克弘『未踏』を購入している現場に遭遇してしまった。ほかにもいくつか句集をめくっていたが、最終的に『未踏』を選んでいかれたのである。
ジーパン履きのわりと活動的な格好で、見た目はいわゆる雑読家風でもなかったのだけど、あの人は俳句関係者だったのだろうか。今、『未踏』というあたりが、どうも関係者らしくもなく、らしくもあり。
最近俳句をはじめた人が、句会の先輩に若手の句集なら『未踏』だろうと勧められてどんなものか買いに来た、とか、そんなストーリーを想像しつつ。




昨日(4/28)の朝日新聞別冊beに「好きな俳人」ランキングが掲載されていた。
第1位は松尾芭蕉で、889票、これは「58パーセント」と過半数の数値らしい。
第2位が小林一茶、868票と僅差である。記事には田中亜美さんの、「俳句と言えば芭蕉。これは誰でも思いつくが、一茶への共感は人間も含む生き物が題材だからでしょうか」とのコメントが載っている。
3位に正岡子規、716票。これはドラマ『坂の上の雲』の影響も大きいようで、ドラマでは秋山兄弟との交流に重点があったが、香川照之の鬼気迫る闘病イメージが作家としてのイメージも助けているようだ。
4位与謝蕪村、625票。ここまで得票が多いのだが、5位の高浜虚子は274票と大きく水をあけられている。

以下、6位から20位までが挙がっている。
種田山頭火、256票。黛まどか、142票。中村汀女、118票。金子兜太、79票。水原秋桜子、74票。山口誓子、70票。中村草田男、68票。飯田蛇笏、50票。鈴木真砂女、47票。尾崎放哉、46票。角川春樹、35票。加藤楸邨、32票。西東三鬼、26票。稲畑汀子、25票。杉田久女、22票。


このアンケートの調査方法は以下のようなものだったらしい。
朝日新聞の会員サービス「アスパラクラブ」のウェブサイトで3月にアンケートし、1537人が答えた。朝日俳壇で俳句時評を担当する田中亜美さんの意見を参考に、江戸期以降から現代までの代表的な50人の俳人を編集部が選び、その中から好きな俳人を5人まで選んでもらった。「その他」の項目では夏目漱石や芥川龍之介、寺山修司、渥美清などの名前も挙がった。
ちなみに記者は宇佐美貴子さん。できれば「代表的な50人」の顔ぶれを聞いてみたいところだが、うち20人が公開されているのでおよそ見当がつく。

昨年、「俳句の外」という言い回しが注目されたことがあったけれども、実際に「俳句の外」というと、こういう形でのアンケート調査ということになるかもしれない。
回答者の中で俳句関係者がどの程度いたかはわからないし、朝日新聞会員1537人という数値が統計学的にどの程度普遍化できるのかもよくわからないが、少なくとも俳句総合誌が行うアンケートよりは、「外」の認識を示しているといえるだろう。
そこで考えてみると、まぁ上位5人は妥当。俳句関係者で同様のアンケートを行っても、虚子の得票、ランキングがもっと上がるだろうが、いずれ上位には入るだろう。一茶、蕪村はすこしランキングを落とすかも知れない。
しかし俳句関係者で同様のアンケートを行ったら、5位以内に入ってもおかしくないのが、山口誓子、金子兜太だろう。逆にランク外の可能性が高いのは黛まどか、角川春樹のお二人。
特に黛まどかは7位と、現存俳人のなかでは最高位である。
CMで流れた俳句が印象的だった」(岐阜、38歳女性)という声も寄せられており、私は知らなかったが、結構いろんなCMに採用されているらしい。やはり「俳句を広げる」という意味においては黛氏の活動は馬鹿にならないものがある。




御中虫『関揺れる』と、関悦史『60億本~』が、結構な評判らしい。
なかでも松岡正剛氏によってウェブ上の書評集
『千夜千冊』でとりあげられ、紹介写真で関氏、虫氏の提供した写真が多数掲載されたのは、結構な壮観であった。
松岡氏は俳句にも親しんでいた時期があるそうだが、ざっとバックナンバーを確認したかぎり句集の紹介は少ないようで、芭蕉、蕪村、一茶の三俳人のほか、近代以降では
石田波郷くらいで、あとは加藤郁乎永田耕衣の著作が紹介されている。
ちなみに個人的に関悦史氏の雑読ぶりは、荒俣宏、松岡正剛氏と同種のものを感じ、その意味でも松岡・関の組み合わせに興趣を感じたのだが、どうであろうか。

ところで坪内稔典氏は、『関揺れる』について次のように批判している。
 ところで、詩人の城戸朱理が毎日新聞の詩の時評で御中虫の句を取り上げている(4月19日)。「春麗洗濯物と関揺れる」「関揺れる人のかたちを崩さずに」「揺れるなら止めてみせよう関悦史」という句。城戸はこれらの句を評して「ありうべき震災詩のひとつのあり方を示しているように思う」と述べている。もちろん、肯定的に評しているのだが、上の3句、私の読みでは取るに足らない。俳句の表現として新しいものや魅力がない。要するに駄句。

坪内氏が城戸氏の書評から孫引きしているのは、城戸氏による評をふくめて批判の対象としているからであろう。(たんに面倒だったのかもしれないが)先日記したとおり、私自身は御中虫氏のウェブ上における震災詠のこころみとしての「関揺れる」については、面白く拝読した。
ただし、これも書いたとおり句集は購入しなかった。ツイッター上の、いわゆる「祭」としてのおもしろさと、句集として「鑑賞」するおもしろさとは、おのずから別であるからだ。句集として見たとき、「関揺れる」掲載句は、やはり完成度は高くないと思う。それは第一句集『おまへの倫理崩すためなら何度でも車椅子奪ふぜ』と比べても歴然である。

しかし、一方でこうした「祭」的な言葉の勢いが、句集の形態としても松岡氏のような「外」に伝わったのだとすれば、それはそれとして注目していい事態かもしれない。一句ずつの完成度とは別に、言葉のもつ力が人に伝わる、ということは、ありうるからだ。

ちなみに城戸氏のあげる3句は、私もあまりいい句とは思えない。ブログ掲載の「関揺れる」で私が面白いとおもったのは以下のような句。どうも改めて見ると今回は非定型に収穫が少ないように思われる。
 関揺れる人のかたちを崩さずに
 「この季語は動きませんね」関揺れる 
 政治的意図はないけど関揺れる
 震源は?小首かしげて関揺れる
 関はいつも一人で揺れてゐた、いつも。


※ 5/31追記。  ・・・あ、「関揺れる人のかたちを崩さずに」は城戸氏があげた句と一緒だった。失礼。これはおもしろいと思います。
 
 

2012年4月27日金曜日

「読」を分解する

 

読む、ということについて考えている。

先輩から聞いた話なので出典がわからないのだが、國學院大学教授であった国文学者・折口信夫(釈超空)にこんな逸話があるらしい。

戦後、教育界も民主化の流れを受けて、講義の内容について学生側の要望を聞くということが行われたらしい。その年、学生たちは折口に『徒然草』の講読を要請した、のだそうだが、折口は無視して芭蕉七部集の評釈を行った、というのである。

細かい書名などは違うかもしれないが、これはどうも折口が変わり者だったとかいうだけでなく、散文は読めばわかる、韻文こそ評釈に値する、ということだったらしい。
逸話の当否はともかく、韻文を「読む」ためにはある程度の訓練ないし能力が要求される。


俳句に限って言うと、もっとも素直に俳句を「読む」環境は「句会」という場である。
というと嘘になる。なぜなら「句会」という場に集う人々は、基本的に、意識して俳句をやりにきているので、実はすでに「俳句」の「読み」のルールに、ある程度は乗っている人たちだと考えられるからだ。
ルールに乗って読む力、これが「俳句リテラシー」である。命名は外山一機氏による。
この「俳句リテラシー」を、どの程度まで求めるか。


坪内稔典氏は、「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」を、俳句知識を持たなくても暗唱できる「名句」であるとしており、「リテラシー」以前の口誦性などを重視しているが、「名句」の成立は教育など外的環境要因も大きいように思われるため評価が難しい。


「俳句リテラシー」を逸脱しかねない自由な「読み」は、しばしば型にはまった句の新しい魅力を掘り出すことが出来、その逸脱力こそ「句会の魅力」といえる。
ところが、句会において逸脱した「読み」は、たいてい「俳句をよりよく読める先輩」によって是正されてしまったりする。
これは善悪両面あって、既存の価値観に押し込められてしまうという面と、歴史的・日本語文脈的に確実な誤読を防ぐという面とを持っている。実際、季語も切れも無視した読解が句会で披露された場合、残念ながらそれは読みうる可能性の域にとどまり、コンセンサスを得ることは難しいであろう。
これにより、自由闊達な「読み」は、一定の方向性と深度をもった「鑑賞」へと移っていく、と考えられる。

玉虫色の解答を目指すなら、一句の「読み」とは、リテラシーに則った正攻法の「鑑賞」を示しつつ、リテラシーを無視した自由な「読み」の幅を許容することが重要なのだ。
「読み」の幅の大きさによって、一句の魅力はときに誤読であっても時代を超え空間を超え、読者の心を打つことがある。

塚本邦雄『百句燦燦』は、往々にして深読みに過ぎる独特の鑑賞文であるが、しかし誤読をも恐れない「読み」の推進力にあおられて、一句の輝きが増すのである。
『源氏物語』を恋愛小説と読むのは、研究上は誤りであり、当時の作者や読者が我々と同じ「恋愛」観を有していたわけなどないのだが、時代ごとに即した読みが行われることによって、作品は生き続けるのである。



私は古典文学を専攻していることもあって、「批評」と「研究」との差異に悩む、ということはあまりない。
「研究」というのは、私の理解では、客観的な資料、素材にもとづいて、作品の内容や背景など読解に当たって有益な新知見を明らかにすること、である。

古典作品を読む上では、文法や歴史的背景など読解にあたって押さえておくべき事象が多く、おのずから「研究」的手法をとらざるをえないからである。古典読解において「研究」的手法をおろそかにした「批評」には意味がないし、「研究」的手法をふまえた「批評」は、まぁ「研究」と呼んで差し支えない。
その点、近現代文学専攻の人とは「批評」に対するイメージが違うと思う。

いまこころみに「批評」を、簡単にネット辞書で引いてみると、

物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること。
[用法] 批評・批判――「映画の批評(批判)をする」のように、事物の価値を判断し論じることでは、両語とも用いられる。◇「批評」は良い点も悪い点も同じように指摘し、客観的に論じること。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/15630200/
などとある。
つまり「批評」は基本的に論者の「評価を述べる」ためのものであり、作品の内容に即した「鑑賞」よりも、さらに一歩踏み込んだ行為なのである。

もともと「文芸批評」の提唱者は、従来の「文学研究」が、作家の伝記的事実(どこで誰と会ったとかどこへ行ったとか)にこだわるあまりストーカーのようになってしまったり、草稿の一字一字の書き直しに注意するあまり小説全体を読んでいないような論文があることを批判して、作品をどう読むか、どう評価するか、ということを重視しようと言い出したものらしい。


考えてみると俳句の「選」というものは、「選は創作なり」という言葉もあるが、ただ読むだけでなく作品内部に分け入って評価し、ときに添削まで加えてしまうというものである。つまり、一句一句について「精読」する必要があり、その意味で「批評」である。
といっても、先ほど述べたとおり「批評」がいくら自由に作品に迫っていこうとしても歴史的背景や文法を無視して論評されてしまうと、それは一個人の「読み」にしか過ぎなくなってしまう。その批評が当を得ているかどうか、は、その批評がどこまで客観的な素材にもとづいて議論しているか、にかかっており、その点、「研究」とは目指すところは違っても手続きは似ている。
(続く・・・?)