2011年3月13日日曜日

国難

 
先日記事の「BS俳句王国」は当然放送延期。予定は未定です。

10日の16時ごろに担当の方から電話があり、そのときはこれほどの事態とは想定できなかったために「明日までニュースが続くことはないと思うんですが…」というお話だった。
いまになってみれば、なんと平和な話だったか。


阪神間ではほとんど揺れは感じなかった。なにか「ゴッ」という音が聞こえたような気がしたので、そのときは(雨が降っていたこともあり)「春雷?」と思った程度であった。
ビルの上層階にいたひとは長い揺れを感じたようであるが、交通網に影響が出ることはなかった。
ニュースを見て、宮城沖の地震で関西まで揺れが伝わるというのはどういうことか、といぶかしんでいたところが、津波の情報が入り、次第次第に被害の状況が明らかになっていった。

正直なところ、こちらにいるとまだ実感がない。俳句関連の友人知人たち、blogやツイッターで見る限り、関東の被害は東北に比べ少ないようで、すこし安堵。
しかし研究会で知り合いの東北大の方に出したメールには返信がない。地震発生のときに仙台におられたのかもよくわからないが、もちろん無事で、周囲の被害状況からメールしている余裕がないのだ、と思うことにしている。
阪神淡路大震災のときも、ほかの地域ではこんな気持ちだったのだろうか。あ
のころ私はまだ小学校四年だった。電気は比較的はやく通じたが、断水が続き、ご近所で井戸水や給水車の配給に並んだ記憶がある。



チェーンメールがまわっているようである。
枝野官房長官も情報の真偽については冷静に見極めるよう会見していたが、基金などではなく「節電」「節約」を呼びかけるくらいのメールだと、無害と判断してまわしてしまう人も多いかと思われる。

関西電力の公式HPより抜粋する。

このたびの東北地方太平洋沖地震により被害を受けられた皆様に心からお見舞い申し上げます。当社は当社名で震災に関連してお客さまにチェーンメールを送ることはございませんので、ご注意ください。

また、先日話題にしたyahoo知恵袋に、次のような投稿がある。


チェーンメールですよね?
■お願い■関西電力で働いている友達からのお願いなのですが、本日18時以降関東の電気の備蓄が底をつくらしく、中部電力や関西電力からも送電を行うらしいです。一人が少しの節電をするだけで、関東の方の携帯が充電を出来て情報を得たり、病院にいる方が医療機器を使えるようになり救われます!こんなことくらいしか関西に住む僕たちには、祈る以外の行動として出来ないです!このメールをできるだけ多くの方に送信をお願い致します!

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1457480929

この場合見ていただきたいのは「アンサー」ではなく、「投稿」と同文のメールがまわってきていないか(「友人」を名乗るメールが実は一斉に回っているチェーンメールではないか)ということである。
実際に有効な手段であれば、公式機関が公式手段を使って大々的に告知するはずである。大きな被害をうけてはいるが、現在安全な地域の人間は有効な判断をするだけの余裕が残っている。個々ができることをできるように、冷静に準備しておくべきである。



※補記 17:20、関西電力HPの告知が更新されているのを確認したので再掲。
○このたびの東北地方太平洋沖地震により被害を受けられた皆様に心からお見舞い申し上げます。
○当社はお客さまへの安定供給を維持した上で、11日夕方から、電力各社協力しながら融通可能な範囲で最大限の電気の融通を行っております。

[注]○なお、今のところお客さまに特別に節電をお願いするような状況にはなく、当社名で震災に関連してお客さまにチェーンメールを送ることはございませんので、ご注意ください。
[注]東日本と西日本では、電気の周波数が違います。従って、関西電力の電気を東日本に送るには、周波数を変換しないといけません。この周波数変換施設の容量は上限が決まっております。


こんなときにこんなblogを訪れてくれる人も少ないと思うが、なんらか役に立つ情報でも提供できればと思います。
 

2011年3月11日金曜日

告知。付・総合誌のこと


季刊『俳句研究』春の号(2011.03)に、「第七回鬼貫青春俳句大賞受賞」ということで作品を掲載いただいております。



今週12日(土)11:00~放送の「BS俳句王国」に出演しております。
主宰は宇多喜代子さん。ゲストは女優、富士真奈美さん。「新撰組」相子智恵さんも一緒です。
http://www.nhk.or.jp/haiku/


収録は実は1月頭だったのですが、明日放送。再放送は水曜日。

ちなみに「BS俳句王国」のBS放送は今週まで。次回からは地上波で30分番組になるそうです。偶然にもBS最後の放送の出演者となりました。



関西俳句なう」も順調に起動中。
3月はそれぞれのテーマを一旦やすみ、「特集 坪内稔典 1984」を実施。
特集趣意を貼っておきます。

特集は、3月の1か月間連続。
「坪内稔典1984」と題し、1984年(昭和59年)以前の、坪内稔典氏および、その周囲の関西若手俳人の作品や俳論にスポットを当てます。
1984年と言えば、坪内氏40歳。『船団』創刊一年前。
関西俳句なうの執筆メンバーでは、まだ生まれていない者もいます。
2011年の若手俳人が1984年にタイムスリップし、当時の作品とどこまでコラボできるかという試みです。



『俳句研究』は一度廃刊になって以来、直販形式で店頭に並ぶことがなくなったので、見開き1ページのために買って読んでくださいとは言いにくい。ただ季刊になったぶん、一冊の分量が厚く、読み応えは充分である。
すこしでも購買促進につながることを期待して、目次からざっと主要なものを取り出してみると、
  • 巻頭作品33句 「東より 鷹羽狩行」
  • 作品10句  綾部仁喜、有馬朗人ら23名
  • 招待席  大久保白村ほか10名
  • 8句新詠  冨田敏子ほか10名
  • 新主宰登場8句
    松岡潔(渋柿)、古賀雪江(雪解)、伊藤伊那男(銀漢・春耕)、大谷弘至(古志) 
  • 自選自解 大石悦子 名取里美
  • 第8回30句競作入選作品 管野めぐみ、水野紀子
  • 第9回30句競作入選作品発表 「何か待つ 糸井芳子」
  • 第二回桂信子賞発表 受賞記念10句 「春隣 文挟夫佐恵」
  • 第六回島原「蕪村忌」大句会
    辻田克己、大石悦子、茨木和生、岩城久治、黒川悦子、中西夕紀、立村霜衣、藤田真一ほか
  • 特集 今井杏太郎の世界
  • 追悼 皆川盤水
  • 新連載 俳文のすすめ 堀切実
  • 新連載 駘蕩たる句境 高柳克弘
  • ロングインタビュー 斉藤夏風 (聞き手:神野紗希)
  • 俳句の醍醐味 室生幸太郎/永島靖子
  • 現代俳句を語る(最終回) 高野ムツオ、星野高士、井上弘美、田中亜美
  • 第7回鬼貫青春俳句大賞受賞作品30句 「こむらがえり 久留島元」
  • 恭二歳時記  小林恭二
  • 大人の文学 仁平勝
  • かたまりかけてこんなもの  小川軽舟
  • 年鑑自選作品集を読む 中村和弘、藤田哲史ほか
  • 「冬の作品集(本誌前号)」を読む  山田佳乃、関悦史、田島健一ほか

といった感じ。
時評やエッセイはおびただしいので適宜選出したが、「新撰組」などでおなじみの若手たちも執筆していてたのもしい。
特に「座談会」は最終回を迎えたが、4人の作家が俳句甲子園など若手世代の句にもリアルタイムに向き合っていてとても興味深い内容。
今回は特に田中亜美さんが田島健一氏の作品をめぐって星野、井上両氏と意見を戦わせており、ネット上でもいくつかそれに反応する声があがって興味深い問題提起となった。もっともこれは世代間の問題というより、俳句に対するスタンスの差に見えたが、「わからない若者俳句」に押し込めようとする意図を感じたのはひが目だろうか。

しかし、目次だけでも相当の重圧である。
『俳句』に比べると「俳句上達」のためのセオリー解説などは少なく、比較的「読む」「詠む」ほうに特化した誌面作りを意識していることがわかる。
これは「俳句研究」の伝統を充分意識しているのだろう。

ただ(載せていただいて不平を言うのもなんだが)、記事のバラエティの広さというのは、案外善し悪し、である。季刊だからやりたいことを一巻に詰めたい、というのも分かるのだが、いささか欲張りな誌面だとは思う。

端的に示すのは、執筆者の顔ぶれ。
たとえば大石悦子氏の名は「特集 今井杏太郎」と「自選自注」両方に見える。
優れた書き手に頼みたいのは当然だが、記事を書ける人が少ないなら、書ける人にもっと重厚な論陣を張っていただいたほうが、どちらにとってもいいのではないか。
ちなみに、この「特集 今井杏太郎」だが、編集部選の「100句抄」や大石氏ほかの小論、八田木枯、鴇田智哉氏ほかの一句鑑賞などそれなりに充実したラインナップであるにもかかわらず、なぜ今井氏をとりあげたのか、今井氏本人はどういう来歴でどういうお人柄なのか、そのあたりのフォローが一切ない。
「皆さんご存知」という前提なのだろうが、一方で別の「インタビュー」「追悼特集」「自選自注」が並んでいるのをみると、どこを見てよいか悩む、というのが正直なところだ。

せっかくの季刊誌でじっくり読めるのだからこそ、もっと焦点を絞った特集も読みたかった、というのは、これはすでにナイモノネダリの領域だろうか。

近頃、「関西俳句なう」の特集に関連して、1980年代の『俳句研究』バックナンバーを眺めることが多いのだが、この時代は本当に熱い。
よく言われることだが、高柳編集長時代の「特集」は、雑誌一冊がそのまま研究資料集になるというものが多く、文字通り「俳句研究」の基礎資料となっている。

いま、あの時代の誌面を超えるのはかなり難しいと思うが、一方で、新たな批評の場や論客は確実に台頭している。俳句批評は、いま、確実に「凪」の十数年を脱しつつあると思う。

※ 一度アップしてから、一部加筆訂正。



参考.
週刊「川柳時評 川柳の「場」はどこに?」

たじま屋のぶろぐ ある座談会について
閑中俳句日記(別館)関悦史 「鷹」2011年2月号
週刊俳句 Haiku Weekly: 【週刊俳句時評 第26回】神野紗希
たじま屋のぶろぐ 「なう」についての疑問(その2)
 

2011年3月6日日曜日

オタクはいく、付・個性のこと

 
そういえば以前教えてもらった「オタク俳句」というのがある。

http://hon-yomi-hp.seesaa.net/article/160859891.html

 髪洗ひ使徒襲来の夜明けかな

なんかは、案外悪くない。この試みはツイッターで展開されていたそうで、コメント欄には「宗匠」役に千野帽子氏も登場する。


「関西俳句なう」の「俳句な呟き」vol.8(2011.02.20) では、船団会員ゆにえす氏のサブカル俳句の試みを紹介した。

  また春が来る磯野家の不老不死  ゆにえす

磯野家住人を扱った句では最近、『超新撰21』に収められた久野雅樹氏の句、

  バカボンもカツオも浴衣着て眠る  久野雅樹

が話題になった。
たしかにマンガ的無理を感じさせない佳句であるが、個人的にはあまりにALL WAYS的情趣が強すぎ、つきすぎ、という感想を抱く。
昭和のマンガの住人である彼らがノスタルジーに馴染みやすいのは当然だが、不条理ギャグと新聞マンガとを同列にノスタルジーに回帰させてしまうのは、作られた昭和像を補強しているだけではないだろうか。

ゆにえす句の内容は、日常会話でありふれた「年を取らないサザエさん」という話題にすぎないが、「不老不死」という語の選択により、「また春が来る」不気味さが倍増され、素材にたよりすぎない問題句たりえていると思う。なにより、昔のマンガを読んでいる、正直な違和感が基底にあることが、久野句との明確な違いになっている。



以下、無用の駄文「個性について」。

句集の刊行時期から言って、ゆにえす氏の挑戦は比較的早い段階で意識的に行われたものと言っていいだろうが、おそらく日本各地でオタク気質の人によって同様の試みがされており、「新しい試み」と評価されていると思われる。
これまで局所的に行われていたであろう試みを、しかし一望できる可能性が出ているのは、特にこうした試みがネット周辺で行われる可能性が高い(高かった)からである。


インターネット時代の時代の「挑戦」は、つまり、それら個々のレベルで行われていた挑戦を見渡した上で、さらに半歩でも先を行く、ものでなくてはいけない


唐突だが、インターネットの普及は、特別メディアを持たない我々のような個人にも、情報送受信の容易さをもたらした。HP、BBS、blog、ツイッター、そして近頃話題の「知恵袋」。

テレビの報道番組では例の「カンニング問題」について、判で押したように「前代未聞のネット利用」とキャッチフレーズをつけているが、ヤフー知恵袋を覗いたことのある人なら、このような事件が起こるであろうこと(あるいは過去現在起きているだろうこと)は容易に想像ができたはずだ。
知恵袋を見ていると、日常我々が思いつくたいていの疑問は繰り返し質問されているし、それぞれに「ベストアンサー」が付けられている。それぞれが的を射ているかどうかはともかく(今回カンニング事件に寄せられた解答も不正確だったらしい)、日常を生きる範囲内において、ある程度の解答を得られれば、まず問題はない。

なかにはこんな質問もある。

「三月の甘納豆のうふふふふ」この俳句の意味を教えてください!
「三月の甘納豆のうふふふふ」という俳句の切れ字と区切れを教えてください!

憶測するに、国語の宿題で出された問題をそのまま投稿したのではないか。
そうではないとしても、国語の授業で習った「俳句」と、坪内句とのギャップに対して生じた疑問をそのまま投稿したもの、であるのは間違いない。
こうした疑問は、おそらく、この句に接した全ての人が共通して抱くだろう疑問である。
分かれるのは、このあとだ。

「ベストアンサー」に満足するか、
その先へ興味をもって進んでいくか。

ネットがもたらす情報の多くは、結局、多くの人が抱く「共通の疑問」レベルに止まる。人間が日常生活を営んでいて出会うあれこれ、そこで思う疑問などに、そんなに違いがあるわけではない。だからたいていの会話は、共感と相づちで成り立つ。
その先へ進むためには個々が能動的に情報(知識)を摂取、解読していく必要がある。
ありのままの自然体で進んだものが共通レベルを超えているということなど、まぁ、ありえない。
まずは共通レベルを見渡すこと。
そのうえになにかを積み上げることができれば、それがはじめて「個性」と呼ぶべき範疇に入るだろう。

えーっと、何が言いたいかというと、「小主観」が実は「月並」にすぎないから、「個性」を言いたければ「月並」の知識を蓄えて何が「個性」か見極める眼力養えよ、みたいな、意外と俳句の王道の話題。

2011年3月4日金曜日

にっき。


先月末。俳都・松山へ行ってきました。

26日晩に三ノ宮発のJR高速バスで出発し、27日早朝6時前に懐かしの大街道に到着。

まだ真っ暗な三越前に立ちつくし、さて時間を潰すところなんかあるだろうかと思ってぶらぶら歩いていたらマンガ喫茶を発見したので早速入店。一寝入りするつもりが、ふと『ぬらりひょんの孫』読みはじめて、まったく眠れず。知らないうちにかなり巻数重ねてますね。
ほどよい時間になってしまったので、大街道のマクドナルドに移動し朝マック。
ここは店構えが高校時代とまったく変わっていないわけで、後輩連中とがやがや俳句を作っていたことを思い出しつつ、移動を開始。

午前中は、愛媛大学で佐藤栄作教授(文香父)主宰の研究会に紛れ込ませてもらいました。
正式名称は
「役割語」の視点を導入した写生文・「写生」の日本語学的新研究というそうですが、ゲストスピーカーで関悦史さん、青木亮人さんが来松されると聞いていたので、文香氏に無理をお願いして参加させていただいたわけです。

関さんのお話は相変わらず多岐にわたって問題点を指摘しておりついていくのが大変。
よく考えると一番専門から外れてるのは私ではないかと途中で気づき、冷や汗。

なんか適当なことをしゃべった気もしますが、よく覚えてません。

お昼ご飯は道後のお米カフェにて。(たぶん
これ
ご飯の最中にも談論風発、いろいろ意見が飛んでいたのですが、そこで高知大の塩崎先生からルーズリーフがまわされ、いきなり連句がスタート。
関さんが発句で、塩崎宗匠指導のもと、全員参加の素人連句。二週くらいしたので半歌仙くらいにはなったんでしょうか、よくわからないうちに幕切れとなり、結果もどこへ行ったか。

人生初の連句でしたが、『俳句生活』で連句経験のある紗希さんを交えて、連句は参加者以外にはおもしろくない、活字文化に馴染まない、みたいな話題に。紛れもなく丸谷才一の本は文人の自己満足だと思います。
さらにそこから、現代人の教養という点では「アニメ連句」「ガンダム連句」ができるのではないか、という話題に転じ、ガンダム連句の場合は「月の座」をどう捉えるか、という議題に ……。
ちなみにこのときお酒は一滴も入っていません。



午後は子規記念博物館の冬季子規塾へ参加。池田澄子氏、橋本直氏の講演「国語で俳句を教えるの」を拝聴。

橋本氏の演題は「子規、教科書に載る」。
池田氏の演題は「子規と私との関係」。

全体とおしても、なかなか問題は根深い。表面的にやろうと思えばやれたんでしょうが、二人ともそこは正面から問題にぶつかっていかれたので、どーも隔靴掻痒。

まず根本的な問題として、俳句を国語教育の一環として教えるべきかどうか、ということ話題が、本来はあるべきだったでしょう。

もちろん橋本氏の講演はそのあたりを射程に入れたものであり、レジュメ中にも「俳句が教科書に載るということはどういうことなのか」と発問して、教育の中で俳句が「美しい」「伝統文化」と扱われることに対する違和感に言及がありました。
一方、池田氏は、中高時代の授業では俳句の記憶がない、としたうえで三橋氏との師弟関係を通じて子規『俳諧大要』を知った、と話し、俳句を作り続けていくなかでご自身が心がけている点などについて言及していました。

これについては後日、改めて。


後半の対談形式では、佐藤文香氏が絶妙の司会を展開。
相手の話に半畳いれたり、適度にぶち切って話題を展開する手際はなかなかのもの。役者ですね。
コーディネーターから司会まで一日お疲れだったと思うのですが、最後はなんとかゴールにもちこみ、「俳句を教えるには俳句を好きになってもらうことから!」と、自分のフィールドできれいに終わらせました。らぶですね。



夜は懇親会。
松山在住の方々や池田澄子さんを追いかけてきた一行とも合流して大宴会。
…なんかうるさい後輩がいたような気もしますが、そのへんは気にしません。
最終的に私は小西昭夫さん(子規新報)、東英幸さん(船団松山)、岡田一実さん(いつき組/城戸朱里賞)などとともに真夜中まで。松山の夜を満喫させていただきました。

というわけで、朝からまる一日俳句つながり。松山の皆さん、研究会・講演会参加の皆さま、大変お世話になりました、ありがとうございました。



俳句と教育、とか、個性の表現、とか、いろいろ思うところはあるのですが、当たり前のようなことばかりが去来してまとまりません。
ひとまず今回は、珍しく純粋に「日記」ということで。
 

2011年2月24日木曜日

俳句的発想

 
俳句的発想、三題。



日本経済新聞に連載されていた、坪内稔典氏の「俳句的発想」が第四回で最終回を迎えた。この最終回がかなりおもしろい。
いままで書いてきたことの総まとめという感じで、かなりストレートな形で意見が表明されている。
冒頭と、末尾の文章を引く。

自分の感動を表現しないのが俳句だ。
と言うと、えっ、表現とは自分の感動や暮らしの記録ではないか、と思う人がいるだろう。……だが、俳句では五七五の言葉に表現させる。五七五の言葉の表現を通して、作者は感動を発見する。つまり、感動の表現でなく、感動の発見が俳句の基本なのである。

作者の感動などを表現するという近代の文学観から見ると、以上のような俳句は前近代的かもしれない。明治時代、坪内逍遙は批判した。
……実は私も逍遙や武夫の意見に賛成である。だが、賛成しながらも、野蛮や第二芸術であることも大事だ、と思っている。つまり、句会を通して自分の感動に気づき、自分をほんの少し広げる、そういう五七五の表現に魅かれている。

「俳句的発想」日本経済新聞2011年2月24日夕刊



申し遅れましたが、今週末はこちらのイベントを見学に行く予定。

子規記念博物館 冬季子規塾

こちらの告知では、なぜか青木さんや関さん、越智に混じって私の名も。

週刊俳句 Haiku Weekly: 子規記念博物館 冬季子規塾 国語で俳句を教えるの―正岡子規から池田澄子へ―



前回ぼそっと書いた、自分たちのプロデュース、ということですが、このあたり、ほったらかしにしている女流俳句ということへの続きへもつながってくる話だと思っています。
要するに、自分のなかでの、どこにこだわって、どこを表現していくか、というところ。

女性は消費される。これは、もう、しょうがない。しょうがないと言ってしまうと身も蓋もないが、女性という性別と肉体を与えられた以上、私たちの眼の前には、それを利用するかしないか、という選択肢しかない。

神野紗希「木曜日と冷蔵庫」『週刊俳句』195号

「しょうがない」ってのは、なんなのだろう。女性ならぬ私には想像もできないが、表現において「女性」であることはそれほど決定的なことなのか。
作者にとって女性であることは、あるいは重要かも知れないが、全部ではないはずだ。まして読者にとって作者が女性であるかどうかは、数ある情報の一部にしか過ぎない。何を見るか、は読者側の問題だ。
高校生が作る句に必ずしも「高校生らしさ」が表れる必要がないように、女性の句に「女性性」が表れる必然性はなく、また読者がそれを看取せねばならぬいわれもない。

そのうえではっきり言うと、文芸表現において「女性性」を表明するのは、すでにかなり過激なかたちで先人が実行しているのであって、いまさら誰がどんな表現をとったとしても、ほとんどは既視感にまみれてしまうのではないか。
端的に言って、現代において女性が「女性性」にこだわること自体、現代の表現として新しくない、と思う。である以上、評論がその地点に止まっていなくてはならぬわけはない。

俳句表現では「女性性」に限らず、ときどき現れる「私性」の過激表現に対して過剰なほど賛否両論がまきおこるように見えるが、評論の怠慢だと思う。評論家の仕事は、きちんと評論史を参照し、既視感のある表現にはそれと指摘してご退場願わなくてはならない。

というか、同じ人間がつくりだす表現が、自然のままでそれほど「個性的」であるわけもない。たいていは先行して同じような作風があり、そのバリエーションで理解できるものなのである。
ところが同時に、まったく同じ表現、というのも、作るのが難しい。
やはり語彙やニュアンスに時代差、世代差、地域差、そして性差があらわれる。
作品の「個性」など、多くは、その程度である。だが、その「程度」が重要であり、それを意識してプロデュースできるかどうか、だけが「新しい表現」への途だと思う。



と、どうひねっても当たり前のことしか言えていないように思うが、ひとまず、極小詩型のなかからの発想、三題。

2011年2月21日月曜日

週刊俳句200号


「関西俳句なう」を紹介した記事 を、週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句 第200号に掲載いただきました。

文責は自分ですが、メンバー全員にいろいろ推敲してもらったので、いつもと少し違った文体、視点になってます。編集人のほうで、リンクとかレイアウトを整えていただけたので見やすくなってますね。ありがとうございました。

さて、その『週刊俳句』、200号の記念特集である。
(おそらくたくさんいる)創刊以来の読者の一人なので、ちょうどタイミングがあって文章を掲載いただき、お祝いに参列できたのはありがたかった。
さまざまな視点からの「オススメ記事」を集めた「週俳アーカイヴ」や、西村麒麟さんの好評企画、そして「ちょっと大きめのお知らせ」など、読みどころが満載。
しっかし「アーカイヴ」の、リンクの便利さといったらありませんな。これは紙媒体ではできない。

「アーカイヴ」で江渡華子氏が触れているが、先日の福田若之氏の評論は力稿であった。
とはいえ、手放しで褒めたのはちょっと軽率だったかもしれぬ。

改めて読み直すと粗いところが多い、というか、かなり論旨があっちゃこっちゃ行っていて真意(結論)がつかみにくい文章である。
しかし、それでも評者の向く姿勢は好感がもてる。

『傘』に掲載された藤田哲史氏の評論は、佐藤文香の句について外山一機氏の評を引いて、「かつての俳句から今の俳句を構築する行為」とみた。そのうえで、

ことさら新しさを外部から導入せずともかつての俳句からの引用だけで作品が構成できるほどの、俳句の成熟度も同時に示している。

と肯定的な評価を下したのである。
これに対し、福田氏の次の表現は、いささか違う姿勢をもっている。彼は『新撰21』の作家たちについて形式へのフェティシズムを看取しない立場であり、その上で

もちろん、『新撰21』の外側に「俳句想望俳句」は見出せるかもしれないし、『新撰21』の中に入っている作家たちのなかにも、やがてはかつての俳句へ深く深く入り込んでいく「俳句想望俳句」的な表現方法を見出す作家がいるかもしれない。……だが、「俳句想望俳句」という一つの特殊な方法論を時代の主流とし、「遺伝子をきちんと受け継ぐことが肝心だ[55]」という脅迫観念に俳壇全体がとらわれるとしたら、それは「第二芸術論」の支配したとされる近代俳句の歴史とは逆の向きで、俳句にとって不幸な時代になりはしないか。

というのである。
彼の評が妥当かどうかは、作家自身の評論を積み重ねるよりも作品分析を土台に検討されるべきであろう。
また言論史からいうならば、もっと第二芸術周辺の議論(高柳重信の一連の評論や、赤城さかえ『戦後俳句論争史』俳句研究社などで俯瞰できる)などを抑えてから議論を深めていく必要があるだろう。

しかし、「俳句想望俳句」という上(外)からのレッテルに対し、近い世代から自分たちを見直そう、とするところがいい。

結局、自分をプロデュースするのは自分だし、自分たちをプロデュースするのは自分たちでなくてはいけない。ある程度は師匠やら結社やら友だちやら先輩やらの厄介になって構わないが、最後は自分が何に拠って何を出すか、である、と、ごく当たり前に思う。
だからこそ、自分たちが先行世代と何が違うのか、どこにこだわって自分を出していけるのか、というのは、たとえ幻想に過ぎないとしても、過剰なくらい意識して発信していったほうがいい。

このblogも、結局はそうした発信のための土台作りである。



最近、『俳句研究』のバックナンバーを読んでいる。
1980年代後半、高柳重信編集時代の晩年から、重信没後のあたりを読んでいるのだが、この時代、実に熱い。
なによりオモシロイのは、重信の肝いりなのだろうが、坪内稔典、宇多喜代子、澤好摩といった若手の論客がほぼ毎号のように筆をふるい、議論しあっているところだ。

そのなかで『俳句研究』1984年7月、重信の没後に組まれた「特集・高柳重信の世界」において坪内稔典が発表しているのが「口誦の文学」である。
内容については『現代俳句入門』感想に書いた(→曾呂利亭雑記: 『現代俳句入門』を読む)のだが、初出時の特集と合わせて読むと、意図したものかどうかわからないが、改めて坪内氏流の「恩返し」を思うのである。

そしてさらに二ヶ月後。『俳句研究』1984年9月号の月評では、澤好摩による「口誦性の問題など」という文章が発表されている。

ところで、最近書かれた評論の中で坪内稔典の「口誦の文学」は気になる一文であった。単に浮ついた文章だから、という意味においてではなく、その批評の視点、角度が、彼のこれまでの評論とは明らかに異質な感じがしたのである。俗な言い方をすれば、一般うけしそうな、枯れた批評とでも言おうか。

この時期が、坪内氏にとって画期であったことは再三当blogで確認してきた。同時代にあってもそれまで盟友関係にあった澤氏が、相当戸惑っていることがよくわかる。

口誦性・暗誦性は、確かに重要な俳句の属性であるが、その問題を「今なお、披講を伴う句会という音読の場が、俳句の根ざしている場所なのだ」というレベルで語る坪内稔典は、『過渡の詩』を書いた頃の、俳句の近代から現代へかけてを俯瞰し、対象化可能な視点と方法的構想力を持ちえた場所から、かなり大きく後退しているように見える。

詳しくは別の機会をもつ予定なのでそれに譲るが、同時代の雰囲気をもって坪内氏の「転向期」を読み直す作業、かなり興味深そうである。

2011年2月8日火曜日

メモ。

 
今週は、評論、当たりの週間。

週刊俳句 Haiku Weekly: 「俳句想望俳句」はロラン・バルトの夢を見るか? 福田若之

私もかなり説得されていた「俳句想望俳句」という用語に警鐘を鳴らす、丁寧な論述。これが大学の講義レポートとして提出されていたということに驚く。
結論部分はちょっと飛躍が感じられ、一読では納得できない部分も散見される。
しかし問題意識はきわめて明晰。評論が陥りがちな、レッテル貼って喜ぶ風に対する冷や水として有効。自戒を込めて。


だが、「俳句想望俳句」という一つの特殊な方法論を時代の主流とし、「遺伝子をきちんと受け継ぐことが肝心だ[55]」という脅迫観念に俳壇全体がとらわれるとしたら、それは「第二芸術論」の支配したとされる近代俳句の歴史とは逆の向きで、俳句にとって不幸な時代になりはしないか。


ふたつめ、前提として。

asahicom 俳句 新世代が台頭 30代で結社主宰 学生が同人誌

で、大谷弘至(「古志」主宰)、高柳克弘(「鷹」編集長)、藤田哲史、越智友亮(「傘」)が紹介されたことをうけ、

佐藤文香公式HP、「さとうあやかとボク」より
傘とさとうと俳句甲子園

佐藤のとりあげる「俳句甲子園世代」には、それでもやはり漏れが多いのだが、概観としては私がかつて行った見取り図と重なる点が多い。
ただし私は森川大和、神野紗希らの時代を「俳句甲子園第一次世代」とし、山口優夢、佐藤文香を中心とする1985年生まれ世代を「俳句甲子園第二次世代」としている。以降、「第三次世代」は伊木勇人、熊倉潤、藤田哲史、生駒大祐、羽田大祐、越智友亮まで続いていく。
佐藤との差は、私が俳句甲子園自体の形態に即して言い、佐藤は「俳壇」的なデビューに重きを置いているためである。

第一次世代は第1回~3回までの出場者だが少数第4回出場者を含む。この世代の特徴は、俳句甲子園が愛媛の県内大会であったころを知っていること。
従って必然的に松山周辺の出身者で占められており、夏井いつき氏の直接の薫陶を受けた人々が多い。

第二次世代は、俳句甲子園の大枠が作られつつあった時期に俳句甲子園の洗礼を浴びた。
山口、佐藤らは、初の全国大会となった第4回で登場し、その後高校三年間をみっちり「甲子園」に捧げた世代である。
この世代はもっとも濃厚であり、山口、佐藤のほかに酒井俊佑、谷雄介、宮嶋梓帆、浅沼知季といった名前が思い浮かぶ。佐藤は言及していないが、俳句甲子園スタッフが充実しはじめたのもこの時期からだ。森川、神野に引き続き、名実ともに「俳句甲子園世代」といえるのが彼らである。

間にはさまっているのが、我々、第4回、第5回に出場した世代である。
第5回で優勝を経験している藤田亜未などは同い年でも第二次世代に限りなく近い存在かもしれないが、偶然とはいえ第4回にしか出場していない私は、個人的には「一.五次世代」のつもりでいる。
実はこの学年の作家、きわめて少ない。関西に藤田、徳本、久留島の「関西俳句なう」組がいる他は、甲子園出場経験のない江渡華子、面識のない西川火尖がいるくらいではないか。甲子園出場者のなかでも、定着率の悪い学年ではあった。

佐藤は「甲子園組」の条件として以下のみっつをあげる。

1 俳句甲子園デビュー
2 俳句甲子園出場経験アリ
3 俳句甲子園世代

俳句甲子園デビュー、とはよく名づけたものだ。
これこそ、かの大会エンターテイメントたる部分であり、文字通り「スター」として「デビュー」してしまう人間が、ある時期までは、毎年いたのである。(多くは優勝・最優秀の二冠、またはどちらか片方を獲得していた)

そのうえで、俳句甲子園の形態変化に関する、重要な指摘をしている。

俳句甲子園が全国大会となったのが第4回、それが3年生の神野紗希が優勝・最優秀賞をダブル受賞した年である(佐藤はそのチームにおり、翌年準優勝&最優秀賞)。全国大会のひとつのかたちができあがったのが第6回、ちょうど山口優夢が開成高校3年生で優勝・最優秀賞をダブル受賞した年である。

個人的な思い出でいうと、第6回、山口優夢と準決勝であたった甲南の主力が伊木勇人であり、優夢×勇人のディベートが、俳句甲子園ディベートのひとつの頂点であった、と思う。
個人史のなかでは決勝戦での淳也×優夢の対決よりも伊木の活躍のほうが思い出深い。

佐藤の指摘するとおり、第7回以降の「ディベート賞」設立以降、いわゆる「スター」は登場していない。ディベート賞は、我々の間ではよく「イロモノ賞」とか「キャラクター賞」とか言われ、作品で評価されていないことを半ば揶揄、半ば同情するための賞であった。
(伊木勇人は個人賞では奮わず、第7回でディベート賞を受賞している)

こうした甲子園側の体制強化は、一方で第一次世代、第二次世代が必然的に抱え込んできた「ミウチ感」を希薄にさせるものだったのではないか。
第一次世代、第二次世代で、「スター」といえないまでも多少目立つ人間は、スタッフ側にとっても注目すべき可愛い存在であった。従って早くから裏方との交流が生まれていた。特に谷、佐藤のような愛媛出身生はスタッフの中心ともなり、文字通り体制強化に尽力していたのである。

俳句甲子園の関係から離れて久しい私であるが、佐藤の論を読んでちょっと書いておきたくなった。
雑然と書いてきたが、ここにひとつの傍証をあげる。私を含め、第二次世代までの甲子園出身の作家たちは、俳句甲子園について言及することが、きわめて多い。
好例は上の佐藤論や、橋本直氏に「学問的にはだいたい自己神話化を疑われる」と評された山口優夢の「俳句甲子園と僕」
を挙げることができる。

しかし、案外、第三次世代以降の作家が俳句甲子園について言及することは少なく、かつ、かなり覚めた口調なのではないか。
俳句甲子園に対する愛着が、第二次世代までは「スタッフ」的愛着と半ば一体であったのに対して、スタッフ側の体制ができあがった後に「作家」として自立を選んだ層は、数こそ少ないがきわめて冷静であるように思う。
スター、でこそないものの、「作家」としての覚悟がある世代だ、と思えるのである。

先日「関西俳句なう」で紹介した金田文香や、最近親しくしている黒岩徳将といった作家が、越智と同期であることを付言し、ひとまず擱筆したい。

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