2011年3月4日金曜日
にっき。
先月末。俳都・松山へ行ってきました。
26日晩に三ノ宮発のJR高速バスで出発し、27日早朝6時前に懐かしの大街道に到着。
まだ真っ暗な三越前に立ちつくし、さて時間を潰すところなんかあるだろうかと思ってぶらぶら歩いていたらマンガ喫茶を発見したので早速入店。一寝入りするつもりが、ふと『ぬらりひょんの孫』読みはじめて、まったく眠れず。知らないうちにかなり巻数重ねてますね。
ほどよい時間になってしまったので、大街道のマクドナルドに移動し朝マック。
ここは店構えが高校時代とまったく変わっていないわけで、後輩連中とがやがや俳句を作っていたことを思い出しつつ、移動を開始。
午前中は、愛媛大学で佐藤栄作教授(文香父)主宰の研究会に紛れ込ませてもらいました。
正式名称は「役割語」の視点を導入した写生文・「写生」の日本語学的新研究というそうですが、ゲストスピーカーで関悦史さん、青木亮人さんが来松されると聞いていたので、文香氏に無理をお願いして参加させていただいたわけです。
関さんのお話は相変わらず多岐にわたって問題点を指摘しておりついていくのが大変。
よく考えると一番専門から外れてるのは私ではないかと途中で気づき、冷や汗。
なんか適当なことをしゃべった気もしますが、よく覚えてません。
お昼ご飯は道後のお米カフェにて。(たぶんこれ)
ご飯の最中にも談論風発、いろいろ意見が飛んでいたのですが、そこで高知大の塩崎先生からルーズリーフがまわされ、いきなり連句がスタート。
関さんが発句で、塩崎宗匠指導のもと、全員参加の素人連句。二週くらいしたので半歌仙くらいにはなったんでしょうか、よくわからないうちに幕切れとなり、結果もどこへ行ったか。
人生初の連句でしたが、『俳句生活』で連句経験のある紗希さんを交えて、連句は参加者以外にはおもしろくない、活字文化に馴染まない、みたいな話題に。紛れもなく丸谷才一の本は文人の自己満足だと思います。
さらにそこから、現代人の教養という点では「アニメ連句」「ガンダム連句」ができるのではないか、という話題に転じ、ガンダム連句の場合は「月の座」をどう捉えるか、という議題に ……。
ちなみにこのときお酒は一滴も入っていません。
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午後は子規記念博物館の冬季子規塾へ参加。池田澄子氏、橋本直氏の講演「国語で俳句を教えるの」を拝聴。
橋本氏の演題は「子規、教科書に載る」。
池田氏の演題は「子規と私との関係」。
全体とおしても、なかなか問題は根深い。表面的にやろうと思えばやれたんでしょうが、二人ともそこは正面から問題にぶつかっていかれたので、どーも隔靴掻痒。
まず根本的な問題として、俳句を国語教育の一環として教えるべきかどうか、ということ話題が、本来はあるべきだったでしょう。
もちろん橋本氏の講演はそのあたりを射程に入れたものであり、レジュメ中にも「俳句が教科書に載るということはどういうことなのか」と発問して、教育の中で俳句が「美しい」「伝統文化」と扱われることに対する違和感に言及がありました。
一方、池田氏は、中高時代の授業では俳句の記憶がない、としたうえで三橋氏との師弟関係を通じて子規『俳諧大要』を知った、と話し、俳句を作り続けていくなかでご自身が心がけている点などについて言及していました。
これについては後日、改めて。
後半の対談形式では、佐藤文香氏が絶妙の司会を展開。
相手の話に半畳いれたり、適度にぶち切って話題を展開する手際はなかなかのもの。役者ですね。
コーディネーターから司会まで一日お疲れだったと思うのですが、最後はなんとかゴールにもちこみ、「俳句を教えるには俳句を好きになってもらうことから!」と、自分のフィールドできれいに終わらせました。らぶですね。
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夜は懇親会。
松山在住の方々や池田澄子さんを追いかけてきた一行とも合流して大宴会。
…なんかうるさい後輩がいたような気もしますが、そのへんは気にしません。
最終的に私は小西昭夫さん(子規新報)、東英幸さん(船団松山)、岡田一実さん(いつき組/城戸朱里賞)などとともに真夜中まで。松山の夜を満喫させていただきました。
というわけで、朝からまる一日俳句つながり。松山の皆さん、研究会・講演会参加の皆さま、大変お世話になりました、ありがとうございました。
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俳句と教育、とか、個性の表現、とか、いろいろ思うところはあるのですが、当たり前のようなことばかりが去来してまとまりません。
ひとまず今回は、珍しく純粋に「日記」ということで。
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