今日の句もそうだが、取り合わせの句において、僕が最近意識しているのは「Yes,and・・・」の付け方である。現状・眼前を「Yes,but・・・」と懐疑(否定)的に裏返してみることによって、個人の洞察を表現することの方が、深遠な文学的世界に近づいた感じはする。だから逆に、いつまで、どこまで「Yes,and・・・」と言えるかどうか、自分に試している。これはややマゾヒスト的な楽観主義かもしれないが、取り合わせではこちらの方が、知覚を表現に移すさいに「認知」的な思考を通さないため、脈があるのではないか、と思っている。
引用部分は、新刊『新撰21』掲載の越智友亮「地球よし蜜柑のへこみ具合よし」の鑑賞に続いて書かれている。さらに今日は、同じく『新撰21』掲載の中本真人「めくれつつ雑誌燃えゐる焚火かな」をあげ、
いわゆる花鳥諷詠の写生派の俳句である。昨日の続きになるが、写生というのもいかに「認知」を超えるか、がテーマであることに変わりない。……今日の句は、焚火の火に一抹の寂寥ある、素敵な叙情句である。が、これが王道の写生句かどうかと言われると少し悩む。「雑誌」という属性の把握、それが「めくれつつ」「燃え『ゐる』」という動きになお「認知」の匂いがありはしないだろうか。
塩見恵介「日刊この一句」12/13 http://sendan.kaisya.co.jp/ikku.html
としている。
塩見師の議論は、目の前にある景を写す、と理解されがちな「客観写生」と、題詠即吟機知が重視されがちな「取り合わせ」との止揚点を、実作の立場からさぐっていく姿勢で一貫している。そのうえで、今回は「認知」を超えたところにできるおもしろさ、という共有点を見出している。これはおもしろい。
このブログを作ったころにうだうだ呟いていたことがあるが、現代の俳句は基本的には平井照敏が定義した「ことばによる、ことばの俳句」の時代、「CMとコピーと構造主義の時代」の延長線上にあると考えられる。(講談社文庫『現代の俳句』)
先日ふれた『小説の終焉』的な、大上段の「ブンガク観」を克服し、カウンターをくらわせるには、「ことばの時代」を突き抜けた作品、もっと言うならば「ことばの時代」の次を期待させるような作品、でなくてはいけないのだろう。
ただ、このへん実は私は不勉強でよくわかっておらず無知をさらけだすことになるが、「写生」も「取り合わせ」も本来子規が唱えたものであるし、誓子なんかも「二物衝撃」「写生構成」をお題目としている。(誓子の場合、「構成」してしまうところにあからさまな「認知」が働いて、当たりはずれが出てくるわけだ)。 「取り合わせ」の表現は「写生」と対立しなくても成立するはずであり、そうなると「写生」と「取り合わせ」だけで「次の一手」というわけにはいかないのではないか。
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そういう疑問を抱えつつ、今度は『船団』83号を読む。
特集は、「取り合わせの時代」。注目はなんといっても、稲畑廣太郎氏、三宅やよい氏、中原幸子氏、の座談会。
座談会冒頭、三宅氏がさっそく稲畑氏に質問をぶつけてくれている。
三宅 今日は率直な疑問として「虚子が取り合わせをしなかったのはなぜか」を中心にお話をお伺いしたいと思っています。稲畑氏によれば、そもそも「取り合わせ」なんて結果的にできるもので、要するに「客観写生」「季題趣味」と対立する概念ではなく、下位概念にすぎない、ということらしい。続いて、「季題以外で出てくる言葉、というんですかね、それはどれだけ季題を修飾してるかというかね、季題を行かすというかね、それが大事なことなんでしょうね」とも仰っている。
稲畑 でね、虚子が、なんで取り合わせとか言わんようになったかといいますと、「客観写生」のときにやっぱり、主観とか、客観とか、いろいろと行ったり来たりしているわけで、そのときに行き着いた先が花鳥諷詠、十七音で季題を詠むというね、……あとは、その、配合にしてもね、取り合わせにしても、それはもう、出てきたものの結果だという、そいうような考えになったようなんですね。
座談会に出席している、中原氏は、先日ふれた『国文学 解釈と鑑賞』でも虚子の「取り合わせ」に関する考察を書いておられ、子規碧梧桐への対抗意識として「自流に徹した」と述べていた。
参考拙稿 週刊俳句 Haiku Weekly: 虚子の未来・俳句の未来 久留島元
正直私にとって疑問だったのは、果たして虚子は「取り合わせ」を意識していたのだろうか、ということである。
もちろん、中原氏が指摘するとおり、碧梧桐の行き過ぎた「配合論」への批判はある。
ただ総体から見ると、虚子は「取り合わせ」に関して言及することがほとんどなかった作者、なのではないか。
事実、『現代俳句事典』などを見ても虚子の「取り合わせ」に関する言及はほとんどない。だから稲畑氏の意見についてはなるほどと思った。
ただ、稲畑氏は具体例に基づいて発言されているわけではないので、このあたりのことはもう少し念を入れて検証しないといけないなぁ、と思っていたら、次のような記事を読んだ。
橋本直氏のブログ「Tedious Lecture」の12/5記事である。
しかし、虚子論において特に注意しなければならないのは既にできあがった「花鳥諷詠」や俳壇のドンのイメージを前提にしがちなことで、そもそも虚子が取り合わせ論を否定したのは、ライバルとなる碧梧桐一派が新規な表現をおりまぜた一種の「取り合わせ」を作句の方法論の主力としていたからだと思う。……虚子が一作家の発見成長として、最終的に作句方法としては「取り合わせ」を採用しなかったように見えるとすれば、それは結果への説明の後付けというものではないだろうか。
橋本氏の意見を参考にすれば、稲畑氏や私の印象論も、中原氏の論考も、一面では当たっているわけで、むしろ長命な虚子の句業というか俳句観を、一体のものとして見るほうが誤りなのだ。
常識なのだが、専門外ではついついずさんになってしまう。反省をこめて記録しておく。
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『新撰21』が各所で話題。
朝日俳壇の時評欄でも、小澤實氏が『新撰21』をとりあげておられる。
そこで紹介されている俳人は越智友亮、中本真人、関悦史、の三人で、偶然ながら塩見師が紹介されているラインナップとよく似ている。
越智氏は最年少(小澤氏は池田澄子門、として「前衛の流れにある作家」としているが、越智の句風「前衛」であらわすのはちょっと無理がある)、中本氏は客観写生代表、関氏は前衛代表、といったところか。
収録作品は多種多様であった。昭和俳句が生み出した様々な形が、今も若手作家の中で生きているのを見たのは驚きだった。もうひとつ、湊圭史氏のブログ「海馬」で、『新撰21』登場俳人について連載記事が掲載されている。興味深いのは、越智、藤田、山口、佐藤、谷の5人までで、「第一部」というまとまりを感じているところ。
大ざっぱで感覚的な印象で書かせていただくと、この5人は個々人非常に個性的なかたちでだが、俳句形式と邪気なく遊べているのではないだろうか。もちろん創作には苦しさや戦略的創意工夫もともなっているに違いないが、伝統から、あるいは現代から、過度の圧迫を受けていない。
越智から谷までの5人はまったく違う作風なのだが、共通点があるとすればこの5人はまさに「俳句甲子園」出身である、と言うこと。
もちろん『新撰21』にはもうひとり重要な神野紗希さんがいるが、個人的な印象でいうと、紗希さんは「甲子園的第一次世代」である。
紗希さんが優勝した第四回は、甲子園が初の全国大会になり、僕や山口優夢、佐藤文香が初参加した年である。このころから甲子園のルールが整備され、審査員も充実し始めてきた。いわゆる俳壇の文脈とは違う「甲子園」の文脈が機能したはじめたのが、第四回・第五回あたりではなかったか。
それ以前の、第三回以前の地方大会時代、いわば「黎明期」を知っている紗希さんや、それから森川大和さんらには、年齢ではなく「世代差」を感じるのである。
それが「無邪気さ」の背景にあると考えるのは、安直ではあるが、意外と的を得ているのではないかと思う。
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ところで、実はまた『新撰21』を入手していないのですが、(おそらく来週中には購入できるはず) 山口優夢氏の100句作品は角川応募作とは随分印象が違うようです。このあたりも非常に楽しみ。
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