今週は、評論、当たりの週間。
週刊俳句 Haiku Weekly: 「俳句想望俳句」はロラン・バルトの夢を見るか? 福田若之
私もかなり説得されていた「俳句想望俳句」という用語に警鐘を鳴らす、丁寧な論述。これが大学の講義レポートとして提出されていたということに驚く。
結論部分はちょっと飛躍が感じられ、一読では納得できない部分も散見される。
しかし問題意識はきわめて明晰。評論が陥りがちな、レッテル貼って喜ぶ風に対する冷や水として有効。自戒を込めて。
だが、「俳句想望俳句」という一つの特殊な方法論を時代の主流とし、「遺伝子をきちんと受け継ぐことが肝心だ[55]」という脅迫観念に俳壇全体がとらわれるとしたら、それは「第二芸術論」の支配したとされる近代俳句の歴史とは逆の向きで、俳句にとって不幸な時代になりはしないか。*
ふたつめ、前提として。
asahicom 俳句 新世代が台頭 30代で結社主宰 学生が同人誌
で、大谷弘至(「古志」主宰)、高柳克弘(「鷹」編集長)、藤田哲史、越智友亮(「傘」)が紹介されたことをうけ、
佐藤文香公式HP、「さとうあやかとボク」より
「傘とさとうと俳句甲子園」
佐藤のとりあげる「俳句甲子園世代」には、それでもやはり漏れが多いのだが、概観としては私がかつて行った見取り図と重なる点が多い。
ただし私は森川大和、神野紗希らの時代を「俳句甲子園第一次世代」とし、山口優夢、佐藤文香を中心とする1985年生まれ世代を「俳句甲子園第二次世代」としている。以降、「第三次世代」は伊木勇人、熊倉潤、藤田哲史、生駒大祐、羽田大祐、越智友亮まで続いていく。
佐藤との差は、私が俳句甲子園自体の形態に即して言い、佐藤は「俳壇」的なデビューに重きを置いているためである。
第一次世代は第1回~3回までの出場者だが少数第4回出場者を含む。この世代の特徴は、俳句甲子園が愛媛の県内大会であったころを知っていること。
従って必然的に松山周辺の出身者で占められており、夏井いつき氏の直接の薫陶を受けた人々が多い。
第二次世代は、俳句甲子園の大枠が作られつつあった時期に俳句甲子園の洗礼を浴びた。
山口、佐藤らは、初の全国大会となった第4回で登場し、その後高校三年間をみっちり「甲子園」に捧げた世代である。
この世代はもっとも濃厚であり、山口、佐藤のほかに酒井俊佑、谷雄介、宮嶋梓帆、浅沼知季といった名前が思い浮かぶ。佐藤は言及していないが、俳句甲子園スタッフが充実しはじめたのもこの時期からだ。森川、神野に引き続き、名実ともに「俳句甲子園世代」といえるのが彼らである。
間にはさまっているのが、我々、第4回、第5回に出場した世代である。
第5回で優勝を経験している藤田亜未などは同い年でも第二次世代に限りなく近い存在かもしれないが、偶然とはいえ第4回にしか出場していない私は、個人的には「一.五次世代」のつもりでいる。
実はこの学年の作家、きわめて少ない。関西に藤田、徳本、久留島の「関西俳句なう」組がいる他は、甲子園出場経験のない江渡華子、面識のない西川火尖がいるくらいではないか。甲子園出場者のなかでも、定着率の悪い学年ではあった。
佐藤は「甲子園組」の条件として以下のみっつをあげる。
1 俳句甲子園デビュー
2 俳句甲子園出場経験アリ
3 俳句甲子園世代
俳句甲子園デビュー、とはよく名づけたものだ。
これこそ、かの大会エンターテイメントたる部分であり、文字通り「スター」として「デビュー」してしまう人間が、ある時期までは、毎年いたのである。(多くは優勝・最優秀の二冠、またはどちらか片方を獲得していた)
そのうえで、俳句甲子園の形態変化に関する、重要な指摘をしている。
俳句甲子園が全国大会となったのが第4回、それが3年生の神野紗希が優勝・最優秀賞をダブル受賞した年である(佐藤はそのチームにおり、翌年準優勝&最優秀賞)。全国大会のひとつのかたちができあがったのが第6回、ちょうど山口優夢が開成高校3年生で優勝・最優秀賞をダブル受賞した年である。
個人的な思い出でいうと、第6回、山口優夢と準決勝であたった甲南の主力が伊木勇人であり、優夢×勇人のディベートが、俳句甲子園ディベートのひとつの頂点であった、と思う。
個人史のなかでは決勝戦での淳也×優夢の対決よりも伊木の活躍のほうが思い出深い。
佐藤の指摘するとおり、第7回以降の「ディベート賞」設立以降、いわゆる「スター」は登場していない。ディベート賞は、我々の間ではよく「イロモノ賞」とか「キャラクター賞」とか言われ、作品で評価されていないことを半ば揶揄、半ば同情するための賞であった。
(伊木勇人は個人賞では奮わず、第7回でディベート賞を受賞している)
こうした甲子園側の体制強化は、一方で第一次世代、第二次世代が必然的に抱え込んできた「ミウチ感」を希薄にさせるものだったのではないか。
第一次世代、第二次世代で、「スター」といえないまでも多少目立つ人間は、スタッフ側にとっても注目すべき可愛い存在であった。従って早くから裏方との交流が生まれていた。特に谷、佐藤のような愛媛出身生はスタッフの中心ともなり、文字通り体制強化に尽力していたのである。
俳句甲子園の関係から離れて久しい私であるが、佐藤の論を読んでちょっと書いておきたくなった。
雑然と書いてきたが、ここにひとつの傍証をあげる。私を含め、第二次世代までの甲子園出身の作家たちは、俳句甲子園について言及することが、きわめて多い。
好例は上の佐藤論や、橋本直氏に「学問的にはだいたい自己神話化を疑われる」と評された山口優夢の「俳句甲子園と僕」を挙げることができる。
しかし、案外、第三次世代以降の作家が俳句甲子園について言及することは少なく、かつ、かなり覚めた口調なのではないか。
俳句甲子園に対する愛着が、第二次世代までは「スタッフ」的愛着と半ば一体であったのに対して、スタッフ側の体制ができあがった後に「作家」として自立を選んだ層は、数こそ少ないがきわめて冷静であるように思う。
スター、でこそないものの、「作家」としての覚悟がある世代だ、と思えるのである。
先日「関西俳句なう」で紹介した金田文香や、最近親しくしている黒岩徳将といった作家が、越智と同期であることを付言し、ひとまず擱筆したい。
関連拙稿:曾呂利亭雑記: 取り合わせの時代
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