2014年3月31日月曜日

坪内稔典古稀の会


先日(2014323日)、京都グランディアホテルで「ネンテンさんと3070100の会」が開催された。

これは、坪内稔典氏が70才になる年に、「船団の会」創設30年、雑誌『船団』100号、という節目が重なることを祝うものだった。
そして、当日の参加者も、船団会員が約100名、外部招待客が約100名の200名。なんともきりのいい、華やかな会となったのだった。

この会は、「船団の会」の岡さんと、塩見先生とが企画・立案して、開催にこぎつけたもの。お二人との関係からしてお前も関わったのかと思われそうだが、私は何も聞かずに当日行って、会場では受付の手伝いをしたり、クラッカーを鳴らしたりしただけで、あとは食って飲んでしていたので、ほぼ無役であった

塩見先生曰く「結婚式の披露宴イメージ」というパーティは、大広間の立食パーティに人が入り乱れるなか、金屏風を前にした坪内先生夫妻がデンと構え、吉藤美也子氏(FM宝塚アナウンサー)による、さすがの司会捌きで粛然と進行されていった。

そして、当日の見所は、やはり塩見先生の偏執、いな、編集のビデオ。
パワーポイントを駆使し、過去から現在へ至る写真や、ネンテン先生の原点を探る故郷、母校をめぐったり、弟さんからのメッセージを撮影したりしたビデオレター、船団の各地区句会からのメッセージなど、盛り沢山の内容。
ほんと、あの先生学校の仕事大丈夫なんだろうか。。。と、いささか恩師の職場事情を心配してしまったほど、気合いの入ったビデオではあった。
(ネンテン先生の故郷めぐりについては、こちらをどうぞ)

興味深かったのは、主催側の「船団」会員を除けば、あまり俳句実作者が招待されていなかったことである。特に関係の深い、宇多喜代子氏、茨木和生氏を除くと、豊田都峰氏、小池康生氏、杉田菜穂氏といったあたりか。
そのかわりというか、坪内先生と仕事をしている、出版社・新聞社の担当さんたちが多く参加されていた。
俳句作家としての上下関係(=「俳壇」)よりも、句会を実際ともにする仲間(結社)と、俳句をとりまく社会(裏方)が優先、というのが「坪内稔典の現在」ということになるのだろうか。

かつて、「三月の甘納豆のうふふふ」発表をうけて林桂氏は「坪内稔典の現在から遠望する」という文章を発表した(『未定』14、1982年4月、のち『船長の行方』書肆麒麟、1988年。所収)
そこでは坪内氏の「現在」が一見「今まで」に過ぎるとしか見えない、と評されたことに関する危機意識が述べられつつ、当時の坪内氏が山本健吉や吉本隆明に引きずられる形で言語空間における主体の確立を欠落させてしまったのではないか、と批判する。

そこから遠く30年が過ぎた。
坪内氏にとっての「現在」は、いったいどんな地平が見えているのだろうか。
それは、おそらく1980年代前後、高柳重信の死後から、あまり変わらず、「俳句の過渡性」の、むしろ非言語的な部分への着目が増していっているのではないだろうか。


ちなみに、『Ku+』「いい俳句とは何か」アンケートにおける坪内稔典氏の回答を引く。
「俳句とはどんな詩か」を問い続けるとき、「いい俳句」が生まれる可能性がある、と考えています。この場合の「いい俳句」とは今までになかった俳句です。きわめて独断的に生まれますが、それが波紋のように広がって独断を超えます。・・・・・・「いい句」は何年もかけて育つのです。もちろん、作者も問い続けていなくてはなりません。日本語の表現史の先端に露の玉のように生じる俳句、それは何か、を。この問いを手放したとき、「いい俳句」から見放されます。


今日、「笑っていいとも!」が32年の幕を閉じた。
そこで、爆笑問題の田中裕二が、「タモリさんの照れ笑い」が好きだ、と言っていた。「32年間やってるのに、なんで慣れないんだろう。なんでまだ照れるんだろう。そんな人だから32年間続けられたのだろう」と。

本人を知っている人なら分かると思うが、坪内先生もまた、おそろしくシャイである。
シャイで、照れ笑いしながら、しかしぽろっと鋭いこと、聞き逃せないような評語を言いこぼす。

思うに、「表現の先端に立」っている、その自負は、あの「照れ笑い」に潜んでいるのではないだろうか。

2014年3月24日月曜日

外山一機は麒麟村の夢を見るか


私も「へうたんの国は、ありません」という一文を寄せさせてもらった。

せいぜい一ヶ月程度、麒麟さんと親しい数名が執筆するのだろうと思って気軽に引き受けたのだが、27日の56号から開始された同企画は、3月末の現在をもっていまだ終わる様子がなく、二人ずつ毎週『鶉』を絶賛する、という、なんとも贅沢な状況が続いている。
とはいえ、何を書いてもすべて筑紫磐井氏のツンデレに回収されてしまいそうな思いで苦笑していたところ、先ごろ行われた芝不器男新人賞選考会において、西村麒麟氏が大石悦子奨励賞を受賞した、という報が飛び込んできた。

まったく、2014年は西村麒麟の年、ということになりそうである。
ここ数年、東京へ行くときには麒麟さんに連絡をとり、ともに酒杯を傾けながら愚痴を託つのを習いとしていたのだが、今度は祝杯を挙げに行かねばならぬ。


さて、拙文では西村麒麟を次のように評した。
ともかく麒麟氏の作品は、あくまで作者によって仮構された桃源郷であるところに眼目がある。野暮を承知で私見を申しあげれば、俳句という小さな詩型によって擬制される世界の虚構性に自覚的であるという点で、麒麟氏は当代屈指の存在です。
あえて言うまでもなく、麒麟俳句における「へうたんの国」は、徹頭徹尾、仮構された世界である。

へうたんの中に見事な山河あり  西村麒麟
飛び跳ねて鹿の国へと帰りけり

ところで、知っているひとはよく知っているが、西村麒麟と同年生まれの作家に、外山一機がいる。
 
  平成四年歌会始御製歌
  白樺の堅きつぼみのそよ風に揺るるを見つつ新年思ふ
  白(しら)(かは)の方()

  狐(きつ)の身()
  一(ひと)(かせ)ぎ   外山一機


 すっぽんぽんでかわいそうなもの、3号機とあたし。 巻民代

巻民代は外山一機の「別称」で、句集『御遊戯』(電子書籍、2013の「作者」。

作風において両者は一見、著しい違いを感じさせる。
また、おそらく西村麒麟は共通点を強く否定するであろうが、私見では「俳句という小さな詩型によって擬製される世界の虚構性に自覚的」な作家として、両者は双璧といっていい。
その俳句形式のもつ「擬製」する力への自覚の通底をもって、私は彼らの「同世代評」を書きたい、と思っている。
それは、前後の作家に顕著に見られる「パフォーマンス性」と、無縁ではないからだ。

ただ、西村麒麟があくまで肯定的に俳句型式に身を委ねているのに対し、外山は手を変え品を変え、時に偽悪的に、時に自らチキンレースに挑むような切迫感とともに、形式の意味を問い続けている。

外山一機が、俳句形式への鋭い洞察を加えながら、俳句形式が必然のようにもたらす「月並」とも「菊弄り」ともつかぬ「平野のアポリア」に対し並々ならぬ関心を払っていることは周知のとおり。

外山は、俳句形式によってほとんど自動書記的に作られる「俳句」なるものの自立について、考証と実践を通し追究している。彼がしばしば厳しい口調になるのは、形式の力に拠りながら、形式の力に無自覚であるかのような「俳人」の在り方である。
そのような眼にあって、たとえば「俳句の国」の住人であるかのごとき西村麒麟は、どのように映るのか。


Ku+』1号(2014.03)、第1特集「いい俳句」アンケート回答より。
外山一機「意識的であれ無意識的であれ、俳句形式の居心地の良さを自覚しながら、そして以後ことがよいということがいかなる事態であるのかを自覚しながら、それでも自分の作品を「俳句」と呼ぶことを是とする自分の精神に準じようとして書かれたような俳句。また、その句を前にしたときに、自分があるいは俳句形式によって書かされてしまった(読まされてしまった)のではないかという周知と喜びを感じるような俳句。」


2014年3月6日木曜日

びーえるとかもえとか


ちかごろ「BL俳句」というものに手を出し始めた。
私にとっての「BL俳句」への関心は、次のふたりのツイートに要約される。

 1月29日 
「共有結晶」二号。岩川ありささんが、BL短歌、と、BL読みできる短歌、を、同じカテゴリー内の別概念として考えているのは卓見だと思う。BLを支持はしても萌える人ではない私が、BL短歌をめぐる状況に強く惹かれるのは、岩川さんの言う、読みのモード、の部分に反応しているということだろう。

私見ではこれに加えて、作品が本来もつコンテキストから逸脱してしまう力を重視する。

このベクトルが、二次創作同人誌を作ったり、妄想カップリングを行ったりする原動力としての性格をもつことになる。

実のところ、私自身は「BL」に限らず「萌え」文化自体にあまり興味がなく、その意味で現在主流の「オタク」文化とかなり心理的径庭を感じている。その理由を考えたとき、行き当たったのが上の「萌え」の定義である。

つまり、私はアニメや漫画などの「作品」自体への関心は強いのだが、それは「作品」内外の情報を過剰に摂取したい、という欲求である。従って作品個々のコンテキストを重視し、コンテキストを離れたキャラクターないし属性に対する執着は薄い。

これに対し、「萌え」はあくまで鑑賞者本位の感情である。
東浩紀『動物化するポストモダン』などはさらに、「萌え」を「物語の断片」に対する「動物的反応」とまで述べ、「萌え」キャラクターの多くがオリジナルを持たない「萌え」要素の組み合わせにすぎない、という。
もちろんこれは少し前の議論だし、そうは言っても「サンプリングしていても固有性は残る」という大塚英志の発言とか、いまいち萌えない娘問題とか、考えなくてはいけないことは多いのだけど、それはいまは措く。



「BL俳句」運動の中心にいる石原ユキオさんが「短絡的に「男同士の性愛を描いたものはBLである」と考えるひと」に対して書いている文章を引く。

Wikipediaのボーイズラブの項にはこのように書いてある。 
 ボーイズラブ(和製英語)とは、日本における男性(少年)同士の同性愛を題材とした小説や漫画などのジャンルのこと。書き手も読み手も主として異性愛女性によって担われている。
つまり細かいことをバッサリ切り落として単純に言えば「女性向けに男性同士の性愛を描いたものがBL」ということになる
男同士の性愛を描く創作物のジャンルはBLだけではない。
(…中略)
そう。「わたしにとっては」を入れるならばなんでもBLになり得る。
男同士の性愛を描いたものはBLである。
うん、マル!
古典文学も鉛筆と消しゴムもゲイ漫画もわたしにとってはBL! 


これは、上の私的定義、鑑賞者本位に立った「萌え」とか、作品のコンテキストを逸脱するベクトルとか、そういう方向ときわめて重なる発言だと思う。

一方で私が興味深いのは、それが「俳句」という、極めて小さな、一般に言えばコンテキストという概念を導入することさえ難しい短詩型において発露された、ということなのである。

小説や漫画のような、ある程度の長さをもった「作品」に対して、私は作品のコンテキストから逸脱して「読む」ことを好まない。
しかし、「俳句」という極めて小さな詩型から「BL」の物語を立ち上げることが可能な「読者」の存在はとても心強い。
だから「BL読み」は、直接的な性愛をよみこんだ句に対象が限定されてはおもしろくないし、一句の読みが「異性愛読み」と「BL読み」、さらに「ゲイ読み」など複数の可能性と併存することにおいて、真価を発揮すると思う。


2014年2月18日火曜日

ネット評論渉読


過去、俳句に関する言説のほとんどは、もちろん紙媒体として発表されている。

図書として刊行されているものでさえめまいがするほど膨大だが、これに加え『俳句』『俳句研究』などの総合雑誌、さまざまな文芸誌・学術誌・結社誌・同人誌において発表される文章のが、この数年に限ってもどのくらいあるのか、考えるだに恐ろしい。

研究目的でこれらを追うときには、まずCinii や国文学研究資料館論文目録データベースなどの検索サービスで当たりをつけ、国立国会図書館俳句文学館図書室国文学研究資料館などの蔵書を頼ることになる。
しかし、これらの機関は東京近郊にいれば簡単に公共利用できるとはいえ、地方ではなかなか活用できない。

関西ではかろうじて国立国会図書館関西館や虚子記念文学館柿衛文庫などの蔵書を利用できるが、いずれもゆかりの俳人の寄贈図書に頼っているため網羅的な収集・保管は目的としていない。

『俳句』『俳句研究』の二誌くらいなら、県下の中央図書館、あるいは大学図書館でも所蔵されている可能性が高いため利用サービスをうけることができるが、それ以外の結社誌や同人誌はほぼ不可能である。
コレ、と狙いをつけて各図書館に問い合わせて、国会図書館などから複写・郵送サービスを依頼するしかないが、外れたとき(期待ほど面白くなかったとき)のガッカリ感は相当なものだ。



これら紙媒体に対し、ウェブ媒体が圧倒的に有利なのは、まずその即時性、加えて、意図的に削除されないかぎり簡単に検索することのできるアーカイブとしての機能である。

「週刊俳句」「俳句空間」のように、多様かつ上質なコンテンツを取りそろえたアーカイブを、誰でも無料で、どこからでもアクセスできる、というのは、紙媒体では考えられない。

むろんそれも、多くは民間会社からのサービスを前提としているため絶対ではなく、たとえばある日突然googleやYahoo!がサービスを停止したら、たちまち雲散霧消しかねない。

この点、紙媒体なら、現物さえあれば必ずどこかに保存・管理はされているわけなので、安心安全といえる。
(災害や時間の経過で現物自体が消失・散佚する可能性もあるが、一般に全てが一度に消えることは少なく、どこかで誰かが保存している、ことが多い)

とはいえ、「思い出したとき」「その場で」簡単にその文章に当たれる、という利点は、なんにしても圧倒的である。



昨年読んだ俳句の評論のなかで印象的だったものといえば、まず【俳句時評】保見光成の「俳句」を信用する / 外山一機だった。

保見光成。

こう書いても、もう誰のことか、よく思い出せない人も多いだろうが、昨年七月に世間を騒がせた「山口県周南市金峰の郷集落における連続殺人・放火事件の容疑者」である。

当該記事は、容疑者・保見光成氏が現場に残した「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」という「俳句」について論じたものである。
この五・七・五の文字列を「俳句」と見なすかどうか、という点も異論は多いだろう。
しかし、執筆者である外山氏の意図は、むしろこれが「俳句」として世間に受容されたこと、少なくともこれが「五・七・五」という定型律をもって発表されたものであること、そのことを、五・七・五を「定型」の名で呼び、日本人になじむ音律・詩型と呼び習わしていた「俳人」たちが引き受けるべきではないか、ということだろうと思う。

そのうえで外山氏は、金子兜太氏の提唱するさまざまなキャッチフレーズに対し、次のように疑問を投げかける。
「原郷」にせよ「本能」にせよ「生きもの感覚」にせよ、こうしたものの共有を信頼してやまない兜太から最も遠い場所にいるのが保見ではなかったか。・・・兜太を根底のところで支えている肯定的な人間観とはあまりにも異なる場所から立ち上がっているこの句を前にして、僕はむしろ兜太の言葉に不信感さえ覚えるのである。
私に換言するならば、このとき、外山氏が違和感を示しているのは、金子氏の背負うところの「俳句」なり「人間」なり、要するにその巨大すぎる、ひどく肯定的な全きもの、統一的な、共有基盤幻想のような、そのようなものの存在感、なのである。



近時発表された【俳句時評】俳句の「後ろめたさ」について /  外山一機もまた、上記にかかわる問題意識が丹念に記された、興味深いものであった。
外山氏が主に拠ったのは、関悦史氏が照井翠氏の句集について評した次のような評言である。
ここでの句作は、大災害の表現不能性に直面することではなく、涙を誘う程度には理解・受容の可能なものへと震災をスケールダウンしていくことにひたすら奉仕しており、この句集の達成と限界はいずれもそこにある。

あわせて外山氏があげるのは、ドキュメンタリー作家・森達也氏の言である。
事件や事故、そして災害は、すべて「人の不幸」が前提だ。愛を訴えるとか絆を確認するとか後世の教訓にするとか、そんな綺麗ごとで自分や誰かをごまかしたくない。状況が悲惨であればあるほど、記事や映像は価値を持つ。だって人は人の不幸を見たいのだ。そして僕たちは、人のその卑しい本能の代理人だ。
引用は外山氏の文に拠る。
ここに語られる心情は、事件報道一般に関する言説である。もっと極端には戦場写真にも通じることだろう。だが、「事件」に取材した「句」を詠むとき、もっと言えば、「他者の死」を句に詠むとき、「俳人」たちは、この意識をもっているだろうか。その傲慢さに、自覚的であっただろうか。

写真やドキュメンタリーだけが卑しい行為で、「俳句」や「文学」だけがそれを免れているはずがない。これはその作家本人が被災していようがいまいが、を加工して「作品」を生み出す、創作営為そのものが背負うべき、根源的な「後ろめたさ」である。
外山氏にせよ関氏にせよ、「涙に奉仕させる」句を作る、その営為自体を直接批判していない。その自制的筆致には留意してよい。実際(議論を巻き起こした長谷川櫂氏の句集は棚上げとして)照井氏の詠作によって不快感を持つ読者はあまりいないと思う。

しかし、そのことによって創作にまつわる「後ろめたさ」は、少なくとも消失すべきでないし、そのことに自覚的であろうとする外山氏の態度はきわめて健全で、信頼すべきものとして映る
 

2014年2月8日土曜日

親和と異和、補


以下、メモ。

前回書いた「親和」と「異和」という概念、自分のなかでもまだ試行段階でまとまったものではない。
前回の記事を読み直して思ったが、「異和」を感じる主体が作中主体なのか読者なのか、を曖昧なまま使っている気がしたので、これは改めるべきだろう。

いちおう自分のなかでの整理を試みると、「親和」を季語に代表される外界に対する親和的態度、と定義しており、「異和」も当然、外界に対する異和感覚、ということになる。
つまり、既成概念や予定調和的な世界観に対して、それが破られたことに対する驚き、というのが大げさであれば、発見ないし気づき、を「異和」として定義したい。(気づき、というこなれない名詞化は気にくわないが、便宜的に用いる)

 屠蘇散や夫は他人なので好き  池田澄子
 月欠けて高三郎に出会った日  坪内稔典
 おっぱいを三百ならべ卒業式  松本てふこ
 うなみさなみ帽子飛ばされそうですわ  藤実

日ごろ愛唱する句である。
いずれも描いているのは日常なのだが、日常を当たり前と思わず、日常に異和を生じさせている、そのことが一句をなしている。
他人を家族と呼んでともに暮らしている違和感、見過ごしてしまうような植物が人名のようだと知って「出会い」を感じたこと、卒業式に並ぶ女子たちを「おっぱい」に焦点化してしまうこと、帽子が飛ばされるということだけでお嬢様気分に浸ること。

このささやかさを「驚異」「脅威」と呼ぶのはおかしいし、どちらかといえば「共感」に属するが、作中主体は日常のなかにかすかな「異和」を発見しているのである。

「親和」と「異和」は、どちらが優れているというたぐいの尺度ではない。

 落椿とはとつぜんに華やげる  稲畑汀子
 エリカとは心やりとりして遊ぶ  後藤比奈夫
 とびつきり静かな朝や小鳥来る  西村麒麟

「落椿」はくり返し引用される代表句だが、花の強烈な鮮やかさが「驚異」でありながら「親和」的。後藤句は、先の坪内句とよく似た、植物の名前から発想された句だが、「心やりとり」する遊び心、おだやかさが際立つ。

「親和」と「異和」は、句によって使い分けられるバリエーションの豊かさこそ、現代には求められるのではないか。






2014.02.10
別に全然関係の無いメモなのだけれど、別に記事をたてるほどでもないので追記のかたちで残しておきます。

某論文執筆で引きこもっていたときになんとなく作った、「昭和10年代俳人」メモ。
俳句舎の俳人名鑑 を参照しました。
順不同。遺漏ご容赦。

S10 宇多喜代子 矢島渚男 寺山修司
S11 安井浩司 池田澄子 岩淵喜代子 内田美紗 加藤瑠璃子
S12 高橋睦郎 大串章 栗田やすし 落合水尾 永方裕子 大岡頌司
S13 黒田杏子 大石悦子 森田智子 秦夕美 清水哲男 中原幸子
S14 斎藤慎爾 茨木和生 中嶋鬼谷 塩野谷仁
S15 竹中宏 岩城久治 倉田紘文 七田谷まりうす
S16 大木あまり
S17 角川春樹 中村和弘 白木忠
S18 鳴戸奈菜 石寒太 しょうり大
S19 坪内稔典 澤好摩 寺井谷子 山尾玉藻 行方克巳 嶋田麻紀

S20 本井英 辻桃子 岡野泰輔


2014年1月19日日曜日

備忘録、親和と異和


注意力のちぐはぐな作動ぶりを記したこの句は、「おもしろさ」も「かなしさ」も持ちつつ、しかし読者の感情移入を誘ったり、何らかのメッセージを伝えたりする暑苦しい同調圧力からは徹底して身を遠ざけており、・・・ 





穂村弘氏が提唱する、詩の二分法として「共感(シンパシー)」と「驚異(ワンダー)」というものがあって、これは大変便利な概念であると感心して当Blogでも、たびたび用いている。


しかし、もちろんこの二分だけで割り切れるものではない、という気もしていて、(当たり前だ)特に俳句について考えたときには、また別の基準が必要だと感じていた。


それはもちろん、「写生」とか、「前衛」「伝統」とか、旧弊のキャッチフレーズなどとはもちろん無縁な基準である。

上にひいた関さんの評は、春の夜の時刻は素数余震に覚め 榮猿丸」という句に対して書かれたもの。
作句技法としては、正統派の「写生」といってよいだろう。
「余震」で目が覚め、ふと目にした時計が「素数」を表示していた、という。地震で目覚めて時計を見るという行為自体は「あるあるネタ」であり、そこには「共感」がある。
しかし「時計」の表示を「素数」と見る感性は普通ではなく、関さんのいう「注意力のちぐはぐな作動ぶり」がきわだつ。
しかしこれを「驚異」と呼ぶことにも躊躇いがある。


最近、これがいけるんじゃないか、と思い出したのは、「親和」と「異和」である。


 さへづりのだんだん吾を容れにけり  石田郷子

 はつなつの太平洋のものを干す  対中いずみ
 若葉風らららバランス飲料水  宮本佳世乃

たとえば、ここには大きな「季語」的世界観との親和を看取できる。


それに対して、たとえば

 
 青嵐ピカソを見つけたのは誰 神野紗希
 アイスキャンディー果て材木の味残る  佐藤文香

これらは、明らかに「共感(シンパシー)」を基盤として作られているにもかかわらず、同調・調和とはむすびつかない、むしろ、「季語」のような、外界との異和を表面化させている句であるといえる。

榮さんの句もまた、「余震」という不安な状況下においてなぜ「素数」に気づいたか、そして「素数」に気づいた作者の意識の持ち方、という点において、「異和」が残る。

どちららがいいとか悪いとかではないのだが、「驚異(ワンダー)」に向かわない方向の「異和」という感覚、あるいはまた「共感」とも違う、外界との「親和」という方向性について、すこし考えてみたいと思うのである。




2014.01.20 追記、参考。
「薄氷に壊れる強さありにけり」「歯ブラシを噛み締めてゐる遅日かな」「浴衣脱げば脱ぎ過ぎたやうな気も」「串を離れて焼き鳥の静かなり」「冬の朝座つているといふ動作」。たとえばこれらの句、私たちの日常を定義し直している感じがする。日常が今までとは少しずれて現れるのだ




そんなことと関わるのかどうか。
大変刺激的な、時評的な記事をふたつ。

【週刊俳句時評86】 まれびとの価値論と、句集2冊 上田信治

しかし、俳句にルールがありその一つが季語であることが、俳句の、人の発話であることからの遠さ、言説性の欠如、現実世界との紐帯を切らないといった性質を、発生から基礎づけている。それは、本当のことです。

短歌評 <ショート・エッセイ>何が違うか  筑紫磐井 - 「詩客」短歌時評

短歌の歴史が前田透の言うように「主体的表現を獲得する」ための長い歴史であるとすれば、俳句の99%は、季語を使い――ことによると季語を使わないでも――、「主体的表現を放棄する」ことによって生まれるものだということなのである。

『アナホリッシュ国文学』、未読ですが大学図書館には収蔵されるはずなので、いずれじっくり読もうと思います。


2014年1月6日月曜日

新年詠など


ツイッターではもう宣伝してしまったのですが。

関西現代俳句協会青年部のページで、10句作品を公開してもらってます。

〆切が昨年だったので新年詠の意識がなく、完全に「冬」の句。
めでたさに欠けること甚だしい句群ですが、ご覧いただければ幸いです。

10句作品は岡村知昭さん、木村修さんと並び。
木村さんのは、これはマンガ俳句というかキャラクター俳句といっていいかな。

青木さんの連載は、関西の生んだ初代「詩歌梁山泊」と言うべき、富澤赤黄男『詩歌殿』について。


毎年の恒例行事となりつつある「週刊俳句」新年詠、今年も参加させていただきました。



今年は168句、去年よりは少なめですが、それにしても老若男女、これだけの「1句」が並ぶのはやはり壮観。
今年のレイアウトは特に、「みっちり」って感じですね。

熊谷尚さん(存じ上げない)と、黒岩徳将くん(旧年中はお世話にry)に挟まれてます。


もうひとつ、これは関係ありませんが、昨日の記事に関連して。


タイトルどおり、俳句の「お金」についてのコラムです。

あまり正面切って論じられることは少ないですよね。
数ヶ月前に、朝日新聞で結社誌の売り上げについての記事を読んだのですが、ちょっと探しても見付けられませんでした。

代わりに、上のコラムを発見したので、お知らせします。
筆者は石田修大氏、もと日経新聞の論説委員だそうですが、それより石田波郷の長男、といったほうが馴染みやすい。
というわけで、波郷に関する記述はかなり正確なものと思われます。
結社からの収入は微々たるもの、俳句でも大した金にならない波郷の主な収入源は、新聞、雑誌の俳句欄の選者として得る選句料だった。読売文学賞を受賞して3年後、昭和33年のある月、波郷が選句を引き受けていたのは読売新聞江東版・城南版、愛媛新聞、新潟日報、図書新聞、オール読物、小学館、創元社、全逓文化、かまいし、東芝などなど。全国紙、地方紙から労働組合の機関誌まで十数件、読売新聞の2件2万円を別格として、あとは1件3000~5000円ほど。それでもサラリーマン世帯の平均月収が35000円弱の時代に、月ごとの波は大きいが5万から15万円の月収を得ている。それも数多くの新聞、雑誌の俳句欄選者だったからで、波郷クラスにならないと、これほどの注文は集まらない。俳句人口300万人と言われた当時、俳句で飯を食っているのは10人か20人だろうと、波郷は言っている。
いったい何千、何万の句を一月に「選句」していたのでしょうか。
石田波郷をして、自分の結社の上にそれだけの選句欄を抱えないと、「俳人」はやっていけなかった。

コラムでは、カルチャーが普及して状況が変わったと結ばれていますが、果たしてどうでしょうか。いずれにしても「アルバイト掛け持ち」の、不安定な状況には変わりありません。

「俳句」で「お金を稼げる」か。

少なくとも、現状、その道はない。だから、「諦める」か、それも「自分で作る」か、どちらかしかないわけだが。