西村麒麟
知性抜群である人、詩心がある人、コツを掴むのが早く、すぐに上達する人。何を考えているのか、何をしでかすのかわからない人。天才肌に見える人。
これらの人達は意外とよく見かけるので特別怖いと思うことは少ない。
僕がゾッとするのは、「妙な人」というタイプの俳人だ。妙な人はその存在が気になり、注目することが多い 。
「妙」とは難しく、それらしく演じると、すぐに句は異臭を放ち、目をそらしたくなる。妙は天然に限るのだ。才気を見せる何倍も、妙を見せることは難しい。
面白い人がいるから何か書いてくれと友人の久留島君に言われて、初めて野住朋可氏の俳句を拝見した。
春休みだから飛行機見にきたの
あ、妙な人だな、この人は、と直感した。この句、別に難しいところはなく、読んだそのままの意味で、春休みだから飛行機を見に来たという句、それだけの句。どこが「妙」かと言えば、作者が楽しんでいるような気もするし、退屈しているような気もするところ、それもほのかにだ。読者の心がちょうどよくモヤモヤする。そこが「妙」。
しじみ汁京都に長い長い晩
「長い夜」ではなく、「長い晩」を下五に選んだあたりは、理解できる。センスの良い人の選択だと思う。それだけでは推せないが、もう一押しこの句には魅力があり、「長い」の後の「長い」がそうだ。この句もまた、作者が喜んでいるのやらどうやら、曖昧なところだ。
が、もちろん、そこが良い。だからこそ京都が生きる。蜆汁で、京都で、長い夜ときたら、もう、それは駄目じゃないか。が、野住氏はのらりくらりと面白い句を詠んでみせた。
うららかに三十品目のサラダ
は「うららかに」の選択が面白い。
初夏のギタリストの口の半開き
「半開き」とは、それほどには好意的でない作者の視線が面白い。「それほどには」ぐらいな感じが良いのだ。
ポスターに女ホームに冬の蝶
ポスターの女が冬の蝶を見ているような、作者がポスターと蝶を見ているような、そもそも全部嘘のような、幻のような、そんな感じが良い。
冷麦をすする早さで過ぎる夏
さらっと読んだ時には、否定的な意味かと思ったけれど、何度か読み返すと、それも良いと思っているのかもしれないと、作者がどう思っているのか、断言はできないところが、面白い。
巧い、というより、面白い、というよりも、「妙」を一番かんじた句が次の句だ。
数え日の塔にょんにょんと光るなり
いったい何が「にょんにょん」なのだろうか。「にょんにょん」が読者に「ん?」と思わせることが出来たとしたら、この句は成功だろう。
なんだかわかるような、わからないような、だけど気になってしまう。作者の目指した方向が、そこではないかも知れないが、それは得難い素質だ。
「妙」は素質だけれども、「スタミナ」は努力だ。余計なお世話だろうけれど、野住氏には「スタミナのある妙な人」になって欲しい。
最後に野住氏へ。
そう聞こえないかもしれませんが、「妙」とは最大限の褒め言葉です、本当に。そして別に「妙」を目指しているわけではないでしょうが、僕は勝手にそこに魅力を感じました。
湯豆腐の豆腐以外のおおざっぱ
どうか、おおざっぱが薄まりませんように。作者の今後の作品も楽しみにしたい。
わがままで良い、わがままが良い。
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