2012年7月8日日曜日

鑑賞と誤読

坪内稔典・松本秀一編『赤黄男百句』(創風社出版)、発売されました。

創風社出版 赤黄男百句

愛媛ゆかりの作家の「百句」をポケットサイズで鑑賞できる人気シリーズ。
坪内氏、松本氏の選による富沢赤黄男一〇〇句を、多様なメンバーが鑑賞。亭主も2句ほど鑑賞させていただいております。



直接関係はないのだが、最近俳句の鑑賞について「誤読の可能域」といったようなことを考えている。
かつて私は、ひとつの作品を読むとき、歴史的、社会的コンテクストを無視した「誤読」は斥けられるべきだ、と考えていた。
今でも基本的にその立場には変わりはないのだが、一方で最近、コンテクストを無視した「誤読」をも誘発するのが、「テキスト」の厚みなのではないか、という考えにも囚われつつある。
たとえば、一句の表現から作者の「人生」を見てしまったり、自分勝手な近代的読みを押しつけたりするのは、「誤読」だと思うし、不要だとも思うが、しかしそれで作品が読み継がれていく、ということは、やはりあるのだ。



歯切れ悪い言い方である。具体例を出そう。

 海に出て木枯帰るところなし  山口誓子


この句について、「木枯」を特攻隊に擬えた句で、散っていった若い将校たちを悼んだ句である、という解釈がある。
『遠星』(昭和22年)所収句だが、作句した日がわかっていて、昭和19年11月19日となっていることも、そうした解釈が生まれる要因だろう。


いわゆる「特攻隊」の初出撃は昭和19年10月21日とされるがこれは天候のため失敗。その後一ヶ月間に出撃した特攻隊は、敷島隊(10月25日)、富嶽隊(11月7日)で、特に敷島隊は護衛空母を含む敵艦5隻を撃沈したという。
Wikipedia 特別攻撃隊

『自句自解』などに特攻隊を意識したという記述はないのだが、そうした解釈があることは誓子もよく知っており、ことさら否定もしていない。
表現としてみれば、「木枯らしの果てはありけり海の音 池西言水」が踏まえられているとの指摘がある。(山本健吉『定本 現代俳句』、川名大『現代俳句』)
また昭和17年には誓子自身に「虎狩笛叫びて海を出で去れり」がある。(『誓子俳句365日』11月19日の項目、担当橋本美代子)
わずか一ヶ月のスパンで「特攻隊」が詠み込まれたとするよりも、戦況厳しいなか伊勢で孤独を託っていた誓子が追求していたモチーフと考える方が自然である。
あえて時代背景を結びつけるとしても「特攻隊」と限定するよりも、故郷を離れ敵地で死んでいった日本兵一般を想定したほうがよいだろう。

当時の人々のことを思えば、悼むべき対象は、特攻隊にかぎらなかったはずだ。
しかし、やはり人々が好むのは「特攻隊」の物語なのではないか。
「特攻隊」とあえていうと、実にわかりやすいパッケージができあがる。
人々の共感が入り込む。
それが、皮肉なことに句を有名にする。



古典作品の場合、わかりやすいのだが、読者の共感というのは、やっかいだ。
たとえば、

源氏物語の映画を見て、平安時代も自分たちと変わらない恋愛をしていたんですね!と感動する女子高校生(仮)
という、架空の人格を想定してみよう。
私は源氏物語を専攻しているわけではないし、そもそも実は源氏物語自体あまり好きではないが、とりあえずこのような人に会うと否定的に接せざるを得ない。源氏物語に興味を持ってくれることは奇貨としても、その内容は誤解だらけだからである。
まずは「平安時代は身分社会だから現代的な恋愛なんて発生しない」に始まり、「そもそも顔も見たことない相手に恋愛感情があったかどうか謎」「光源氏は恋愛してるんじゃなくて政略で、結局天皇家を支配する政治小説でもあって云々」「紫の上も正妻ではないが、葵上のあと後妻で女三宮が降嫁してくるけどそれは皇族として云々」「若菜巻以降の宿命観、因果応報の浄土思想が云々」とかなんとか、小一時間は文句を垂れる可能性がある。
(実際にはそこまで大人げないことはしてない・・・つもりですが)


しかし「研究」的視点は、しばしば作品の魅力を半減させてしまうことがある。源氏物語を「華麗な王朝絵巻」と理解する人にとって、源氏の皇統簒奪や、栄華の絶頂期に出家を願う浄土観など、げんなりする話題だろう。(話す人の話術にもよるのだろうけれども)

古文を精読して注釈書をひもとき必死に「鑑賞」したり、資料を掘り起こしたり理屈をこねたりして「研究」する読みとは別に、「源氏ファン」は、自由に「源氏物語」というテクストを楽しんできたのであり、またそうしたファンに支えられて源氏物語は一千年以上も読み継がれてきたのだ、と言える。

定家が源氏物語を重視したのは歌の教養書としての側面であったし、鎌倉時代には源氏物語は恋愛や政争を描き尽くすことで逆説的に仏法を語っているという言説があったし、室町時代には源氏物語を王朝文化の規範に祭り上げられて「源氏」つながりで足利将軍家にまで重視されていたというし、江戸時代には扇子や櫛笥などさまざまな小物に源氏由来の意匠が反映され、浮世絵になり歌舞伎になり、また好色本にパロディされ、一方で国学者たちはマジメに源氏物語の訓詁注釈を行い、明治期には風俗紊乱の書と排斥されたのにもめげず、与謝野晶子や谷崎潤一郎らは熱心に現代語訳を出版して映画にもなり、瀬戸内寂聴が現れ、大和亜紀の「あさきゆめみし」があり。ときには中国に対する日本文化の結晶とあがめられ、ときには皇統簒奪を実現した大胆不敵な書と賛美され、、、
彼らがどこまで本気で源氏物語に相対していたか。それは千差万別いろいろだが、いずれも近代的な文学研究の立場からは、平安期の物語を「誤読」している、ととるしかない運動が、「源氏物語」を「日本の古典」にしたてあげてきたのだ。
(参考.三田村雅子『記憶の中の源氏物語』新潮社)

 平安時代人が自分たちと同じように恋愛をしていた

という、歴史的には圧倒的な「誤読」は、研究に関わる人間としては訂正したい。
まして、映画を見て源氏物語を理解したような、そんな言動が出現するとしたら、これはもう、全面的に食い止めたい。
しかし、そのような「誤読」を含めて、源氏物語は愛されてき。そのような「誤読」を誘発するのも、作品の力なのかもしれないのだ。

であれば、我々にできることは?
「誤読」を「斥ける」としても、それを否定するのではなく、源氏物語という作品から切り離した、「読み」の可能性のひとつと見なす。これしかないのではないか。



俳句リテラシーをふまえた「鑑賞」、時代背景や表現史をふまえた「研究」のレベルにおいて、心情的に「作者を理解してしまう」、共感的読みは、必ずしもよい結果を生まない。
そして、読者が理解しきってしまうような句は、面白くもない。

一方、ただ無限に飛躍すればいいのではなく読者にウケるには、ほどよいアマさ、ベタさが含まれる方がよい、というのは、誰しもが感じるところであろう。
俳人にはもっぱら人気の高い、森澄雄や飯田龍太よりも、種田山頭火や住宅顕信のような自由律作家がもてはやされるのはナゼか。夭折というなら篠原鳳作だって、境涯性なら石田波郷だって、もっともてはやされてよいではないか。
しかし、俳句リテラシーをふまえた「読み」だけが正道である必要はない。

「誤読」であっても、読者の記憶や感情にヒットする「作品」があり、そこに「読み」があるなら、それはそれで「作品の力」を認めて良いのかも知れない。

山頭火のような突発的人気者がいなかれば、俳句という文芸自体がもっと貧弱なものであったかもしれないのだ。




考えてみれば、高浜虚子の「わかりにくさ」は、まさに虚子が「俳句リテラシー」そのものであろうとしたから、なのかもしれない


※ 7/8 12:00、一度アップしたものを若干改稿。

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